死者は人の魂を救えない  

第四章:死者は人の魂を救えない (2012 年 6 月 14 日)

死者の力が及ばない物事は多い。その最たるものが、死者は人の魂を救えないことである。以前に執筆した『仏教徒の道標』と題した論文で、仏教の教えのいくつかを探究した。人生を旅に喩えるなら、仏教徒の地図には目的地が明記されておらず、地図の作成者はもうこの世におらず、そして地図そのものも、人間の主観的で限られ

た体験に権威を置いた、危険な霊言ばかりである。

私がこのような論文を書く目的は誹謗中傷ではなく、ただ単に仏教の限界を検証し創造主である神と和解することを歓迎する為である。この論文では、私が検証したい 5 つのトピックを掲げた。すなわち、1. 仏教における歴史的な不正確さ ; 2. 拠り所は自分自身 ; 3.人間の心の満たされていない 空虚 ; 4. 錨のない倫理観 ; 5. イエス・キリストから離れ迷うこと; である。またこの論文では、仏陀が芸術において最も一般的に関連付けられている

“動物”についても明らかにしたい。

仏教における歴史的な不正確さダンマ(仏教法典)まず、仏教徒の正典であるパーリ聖典は(仏陀の時代か

ら)随分と遅れて編纂されており、他の仏教宗派の経典はさらにその後に書き留められたものである。カリフォ

ルニア州立大学のジェフリー・フェイドリンガー

(Veidlinger)教授によれば、パーリ聖典はおよそ紀元

前 70 年にスリランカで執筆された (Veidlinger,23) : 「現在では多くの学者が、パーリ・ティピタカ聖典は彼らの創始時代から紀元前 1 世紀までの約 400 年の間に口伝で継承されたと考えている」(Veidlinger,2)。

2004 年版仏教百科事典のなかで定められた日付は更に遅い。ペンシルベニア州立大学のチャールズ・プレビッシュ教授は、「紀元前 25 年にスリランカのヴァッタガマーニ王のもとで上座部仏教議会が開催されました…パーリ仏教聖典の執筆によって、上座部仏教の伝統的な経典の三つの吊り篭の蓋を“閉じる”ことへの取り組みに関与する会議でした」と、記述している(188)。これはケネス・ロイ・ノーマン(ケンブリッジ大学元教授)がヴァッタガマーニ王の治世を推定した年代(紀元前 29~17 年)とも一致していて、その時代にパーリ聖典は執筆された(ノーマン,10)

また、執筆された時代から現存する最古の稿本までの間に膨大な年代差がある。Veidlingerによれば: 「…小乗仏教(上座部仏教)における伝統的な手書きパーリ聖典は 19 世紀の写本の中に多数現存する。これまでに発見された最古のパーリ聖典は 6 世紀まで遡る…それは選ばれた 1 句 1 節の集まりである…1411 年にスリランカで発見された現存する最古の稿本は『相応部』(パーリ聖

典の経蔵・五部のうちの第三番目)だ…」(14-15)。

これらの年代は、2 つのウェブサイトからの引用でも確かめられる:「現存する最古の有形遺物(経典)はネパールで発見されており時代は 8~9 世紀である。独自の経典で最古の完全写本は 15 世紀のものである。そして 18 世紀以前の完全な経典写本はない。」

http://dharmastudy.net/the-pali-canon

「…ネパール以外、インドの何処からも現存する写本は出ていない。PTS(パーリ聖典協会)発足以後、学者が

利用している写本の殆どは 18~19 世紀のものであ

る。」http://www.palitext.com/subpages/lan_lite.htm

同様に、ドイツの学者ヒニューバーはこの状況について次のように確証している:「完全な経典を継続的に書き残すという伝統はせいぜい 15 世紀後半に始まったばかりだ。そこで、小乗仏教派が文献としてすぐ利用できる原典資料は、仏陀から約 2000 年もの時間的な隔たりがある」(4)。ここで“完全な経典”という言葉はパーリ聖典からの個々の経典全体を意味する。もし現代の学説に従って仏陀の死を紀元前 410 年だとすれば、仏陀と完全なパーリ聖典写本との年代差は 2000 年以上となる。そこで、仏陀の時代からパーリ聖典完成まで 400 年、最古の独自の写本まで約 2000 年(それ以前にも幾つかの断片は見られる)、そして仏陀の時代から最古の完全なパーリ聖典に至るまでには 2000 年以上の年代的な隔たりがある!

それとは対照的に、我々にはイエスキリストが死から蘇られてから約 150 年後に独自の新約聖書の稿本(それ以前にも幾らかの断片は見られる)があり、キリスト復活

300 年後の完全な聖書の原稿がある。死海の洞窟から発

見された紀元前約 200 年の旧約聖書がある。

19 世紀にパーリ聖典はビルマで石に刻まれた…

「ミンドンが初めて機械で刻印された硬貨をビルマに紹介した。そしてまた 1871 年にマンダレーで第 5 回仏教評議会を開催した。彼はすでに 1868 年に世界最大の書籍を発行していたが、それは Tipitaka(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵)と呼ばれる 729 頁もの大理石に刻まれた仏教パーリ聖典で、各頁の石板はスラブ構造床の小さな仏舎利塔の中に納められていた…」

http://en.wikipedia.org/wiki/Mindon_Min「石に刻まれた」というのは、永続的なもので変えることのできない絶対なものに対する慣用句であるが、トレバー・リングはミンドン王の事業について、「経典を刻む際の誤りは訂正されなければならなかった…」と、記述

している(124)。この訂正は 1954~1956 年ビルマにおける第 6 回仏教評議会で行われた。

スリランカ [ここで最初(紀元前 25 年)にパーリ聖典が執筆され注釈本(西暦 500 年)が編纂された] の歴史中では、この経典は 12 世紀に取り除かれ追放されている。

「ParakkamabahuⅠ世(1153~1186)が 12 世紀にセイ

ロンで仏教を改変したとき、Abhayagiri と Jatavana 寺院の僧侶たちは、大乗仏教の流儀に従って再任された。その結果、彼らの経典は次第に消失し、一つだけ現存する小乗仏教経典は唯一の大乗仏教寺院 Mahaviharara のものである。」(Hinuber,22)

パーリ聖典の歴史は石に刻まれたものとは遠くかけ離れている(それが意図されたものだとしても)。いわゆる仏陀自身の御言葉(パーリ聖典の Vinaya Pitaka)でさえ

も、彼の教えの純正さを損なわれることが防がれ腐敗していないわけではないと指摘している。仏陀は彼の 10 人の主要な弟子の 1 人であるアーナンダと会話している最中に預言:「アーナンダよ、もし女性たちが真実の発見者によって宣言された教えと規律について道を外れることがなければ…バラモンたちの修行は永続し仏教の真理は数千年長続きするであろう。しかし、アーナンダよ、女性たちは真実の発見者によって宣言された教えと規律から道を外れたので…いまやアーナンダよ…バラモンの修行は永続せず、仏教の真理は 500 年しか持ちこたえられないであろう」(356)。

女性たちは(修道女になる)“道を外れ”既に 500 年がすでに経過したので、彼自身の御言葉によれば、その教えは期限切れになった。もし我々がそれは誤った預言だと言えば、パーリ聖典の権威は傷つけられ、仏陀は偽りの預言者となる。もし我々がそれは真実の預言であると言えば、それはやはり偽りとなる。なぜならば、既に

500 年が経過しており、結局、「真実の教え」(それが真実であるかどうかの預言も含む)はもうどこにも存在しないからである。

シュラーヴァスティー・ ダンミカは自らも熱心な仏教徒でありながら、上座部仏教(小乗仏教)を破壊的に批判する文章を書いている。彼はその著作の中で幾度かキリスト教の長所を告白している:「キリスト教はタイの人口のごく少数派であるが、タイの非政府社会事業ではかなりの割合を担っている。他の上座部仏教の国においても同様である。」「存在する僅かな上座部仏教徒の社会事業への資金は地域社会の枠を超えてもたらされ、そのような社会事業は通常、西洋ないしキリスト教の影響を受けて行われる…キリスト教の社会事業を模倣しているか、キリスト教徒が奉仕する社会活動に対抗する為に行われている。」「キリスト教において、愛を信徒の生活と実践の中心に据えてきたものとは何なのだろうか?上座部仏教において、このことを阻んでいるものは何なのか?」(http://www.buddhistische-gesellschaft-

berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf)

それにも拘らず、彼はパーリ聖典そのものに欠陥があるとは認識していない。「悲劇なのは、パーリ聖典に於ける仏陀の教えが、恐らく他のどの古代の教えよりも現代の問題やニーズに上手く対処できるということである。」と、彼は主張している。

これは実に皮肉なことだが、特にその数ページ後で彼はパーリ聖典の権威を損ない、パーリ聖典ではなく彼自身の意見を用いて現代の問題に対処する自己矛盾に陥っている:「仏陀の教えがどうであろうとも、仏教徒が女性を修道生活から締め出すのは間違いで、21 世紀の今日、男性に次ぐ地位を常に要求するのは不適切で、女性をある種の伝染病であるかのように扱うのは卑劣である、と考えるだろう。彼らはこの問題や他の幾つかの問題点に関して、仏陀が語ったカラマ経典を指針とする。「伝統に従って進むな…聖典に従って進むな…しかし、ある事柄が正しく、善であり、巧みであり、それに従ったり実践したりすると幸福や利益がもたらされることを

あなた自身が知っている時には、それ従いなさい」(A.

Ⅰ,188) (http://www.buddhistische-gesellschaft-

berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf)

先ずパーリ聖典を高く評価し、次に「仏陀の教えがどうであろうとも…」と、その権威を否定し、そして女性の役割に関しては仏陀の教え(“…はどうであれ”の教え)に従わない、と述べている。この場合、彼はまさに 5 世紀の仏教解説者ブッダゴーサや現代の上座部仏教徒の行いについて批判したことを、彼自身がしている:

「多くの上座部仏教徒は、ブッダゴーサの解釈が仏陀の言葉と矛盾する場合でも、ブッダゴーサの側につく」(上記ウェブサイト参照)。ダンミカは仏陀の教えと矛盾する現代的な解釈を思いつくという点で同じことをしている。そして、彼は権威としての仏陀の教えに立ち帰るが、その権威を弱める為に、「…聖典に従うなかれ…」と、述べている。何故、聖典に従わないのか?何故なら聖典がそう書いてあるからだ。これは自虐的な論理である。自分の意見以外、何の権威も無いことを如実に示している。彼は自分の視点で正しいものを何でも選ぶ事が出来るのだ。

ここでの本当の問題は適切な解釈を見出すか、或いはパーリ聖典の字義に厳格に拘るようなことではない。問題なのは、その原典自体に欠陥があり、人々の最も深い精神的な必要性への答えを与えられないことである。パーリ聖典の歴史的信憑性の低さを超えて、より重要な疑問は、「そもそも仏陀は霊的なテーマについて教える権限を持っていたのか?」ということだ。仏陀はただ人間

(知識が非常に限られている)であり、現在では死者なので、例えば、「あなたはどこで永遠の時を過ごすのか?」「人生の目的は?」「人はどこから来たのか?」といった究極のテーマについてアドバイスを与える資格は全く無い。

実際、仏陀はしばしば永遠の問題よりも現世のことに人々の注目を集めるだけで、これらの重要な題目から人々の注目を逸らせている。もちろん改革を求める現代の僧侶たちには仏陀以上の権威を求める余地はない。すべてをご存知で、死をも超える力を持たれ、この世を創造し所有され、人々に霊的な真理を教えるに足りる権威をお持ちなのは神様だけである。ここにパーリ聖典で用いられる極端な誇張の幾つかを示す 2 つの物語がある… 「パーリ経典の律(Vinaya)の中で僧侶になろうとする者は必ず「お前は人間か?」という質問を受けることになっているが、その理由について説明する驚くべき信じられないような話がある。その話によると、ナーガ(鎌首をもたげてあたかも仏陀を雨から守るように見える大蛇)が姿を変えて僧侶になった。「そしてある日、仲間の僧が夜中に起きて明け方まで瞑想歩行の修行を行うため外出した。大蛇は同房の仲間が出かけたことを確かめて深い眠りに就き、眠っているうちに元の姿に戻ってしまった。蛇は部屋一杯にふくれ上がり、そのトグロは窓から外へ突き出た。しばらくして、彼の同室の僧が自分の部屋に戻ろうと思ってドアを開けると、部屋中が大蛇で一杯に塞がれていた…彼はその光景を見て仰天し、叫び声をあげた」(Strong,19995;P62)。

パーリ聖典の中にもう一つ信じられない出来事がある。それは現在に至るまで(具体的に言えば━“この世界が続く限り”)存在すると思われているが、屋根がないのに雨が降りこまない家である。「…Majjihima-Nikaya(中篇の物語)の中に、寺院を修理する為に陶芸家の住居の屋根を“借りた”僧侶の話がある。ただ、この陶芸家と盲目の両親は屋根を人に貸すことになって怒るでもなく、7 日間、言葉にならない喜びに包まれた。このとき「因果関係」の法則に従えば実に奇妙な現象が起こったのだ。ものすごい豪雨で村中、国中が水浸しになったが、この屋根のない家には一滴の雨も降り込まなかっ

た。そこでこの《Gati Kara の家》の光景はそのまま永久

に保存するように命じられた。」(King,121)

著者は以上の現象について今風な説明を加えている:

「この場所は永遠の都市ベナレス(Benares)周辺のどこかであろう。インド政府はそれを突き止めるべきである …とくにネール氏は敬虔な仏教徒のようだから。いとも簡単なことだ。ベナレスから半径 100 マイルそこらの範囲内で村の首長の家を詳しく調べる必要がある。そして、この素晴らしい場所を探し出すことだ。それが発見されれば仏教が人類に与えるインパクトは大きく、インドの旅行業者も大きな収益を得ることが出来るだろう」

(King,121)。

また、ビルマ人が正典とする『ミリンダパーニャ』(ミリンダ王の議論)も、歴史的に不正確な例であり、ヒニューバーは、「メナンドロス(ギリシャ王)は歴史上の実在人物であるが、ミル(ミリンダパーニャ)は非歴史的な経典である:ミリンダ王は仏陀の同時代人である 6 人の異教徒に語りかける!」と書いている(83)。メナンドロス王は仏陀から 250 年以上も歴史的に隔たっていたのである。

一方、ルカのよう人物を例にとると、聖書の記述は、それに敵対する人々によって歴史的、考古学的に厳しく精査を経た上でも確証されている。これに関するやや専門的な著書としては、コリン・ヘマ―の…『古代ギリシャ歴史書として設定された使徒言行録』がある。いわゆる仏教経典の歴史と呼ばれるものには不正確なものが多い。パーリ聖典は膨大な伝説のセクション項目を包含している。こられの聖典は“物事のあり方”についての物理的な報告文という点では正しくなかったので、一体全体、自分の永遠の魂に関して、何故それらを信頼したいと思うのだろう?仏教の経典で永遠の魂は否定されているが、歴史的な不正確さを持つ書物の中に、精神的・霊的な不正確さが存在することは、それほど驚くべきことではない。悲しいことに、皮肉なことに、彼らの経典に権威が欠けているため、仏教徒は神を探すようになる代わりに、彼らはより自分自身に依存する傾向がある ━ 自分自身の教えによれば、それは永続せず、常に変化し続けるものだ。

拠り所は自分自身パーリ聖典と史実の相関関係が欠如している事については仏教徒もある程度承知しているので、仏教の経典は重要視されていない。この経典への熱意がなくなると、それに取って代わって自分自身の中へ意識が集中する。し

かし、それでも問題は解決されず、魂は存在しない

(Anatta)という仏陀の思想からすれば、このことは問題の解決を難しくするだけだった。ワールポラ・ラーフラは『ブッダが説いたこと』の中で述べている「…仏陀は一度ならず、アートマン、魂、自分自身、或いは人の内外または宇宙のどこかにあるエゴの存在を、明白な言葉できっぱりと否定している」(Rahula,56―57)。

仏教における 3 つの伝統的な避難所(心の拠り所)は、仏陀、教義、僧侶社会である。一般に避難所へ向かうという考えは、我々が外部から助けを求める状況を想定している。人は制約を受け限定された存在だから、無限の信頼できる隠れ家を欲しがるものとされる。これらの避難所は 3 つとも荒廃して役に立たず、さらに悪いこと

に、第 4 番目の避難所が提案されている。それが“自分自身”である。パーリ聖典Dhammapada の教え

(Kumarakassapa の母の前世物語)は、“自分自身”を前面に押し出してくる:

「Bhikkhus と bhikkhunis、他人に頼りきる彼らは人生

の進歩も繁栄も得ることができない。だから、人は自分自身が避難所か主君であり、他人は誰も我々の避難所に

はなれないのだ」http://www.buddhapadipa.org/plinks/MHAR-6ELBY2

この 3 つの避難所はジャータカ本生譚(説話集)の解説で重視されている。“自分自身”は最高に重要な避難所として強調されているのだ。しかしながら、結局のとこ

ろ、これらの避難所は 4 つとも信頼に値しない: 

Ⅰ.「ダンマ」(仏教における法典)を避難所とすることは、全般的にその教えが指し示す方向として避難所を自分自身の中に造ることだ。しかし、その教えが史実として信頼できないことは明らかであり、又その教えは仏

陀の教え「聖典に従って進むことなかれ」と矛盾する

(A.Ⅰ.188)。もし人がこの訓戒を無視して聖典に従え

ば、人は途中で再びそれによって進むのを阻まれてしまう!現在多くの仏教徒は仏教経典を超越的、不変の権威として捉えておらず、それは人々の現代的意見(経典に

優る自己依存)に従って修正されてもよいと考えている。

Ⅱ. 「仏陀」を拠り所とすることは、救いの手を差し伸べることができない死者に頼るということだ。伝説と信憑性のない歴史に満ちている彼の伝記で人々を救うことはできない。

Ⅲ. 「サンガ」(僧侶社会)に救いを求めることは、自らの苦しみを抱え絶え間なく変わる(anicca)、永続性のない自己(anatta)に依存すること(dukkha)である。上記のジャカータ物語の中にも「他人に頼る者は人生の繁栄、進歩は得られない」との記述があるが、それは僧侶社会への依存をも意味している。

Ⅳ. 自分自身の中に拠り所を持つということは、まさに限られた避難所に身を置くことである。これでは人の限界を超えた問題は解決しない。自己は一瞬のうちに無視され(anatta魂の不在)、次にそれは逃避の場所と化してしまう。

どんな人でも、本当に自立しているだろうか?別の言い方をすれば、自分というものに本当に頼ることができるだろうか?他人から何も受け取らず、神からも何も授からないと言い切れる人がいるだろうか?“自分自身が拠り所である”というスローガンを一貫して実践できる人がいるだろうか?

例えば、ある仕立屋が何らかの理由でこのスローガンを掲げてしまったとしよう。彼はまず、自分の衣服をすべて自分で仕立てなければならない。他人が仕立てたものや購入したものを着用することはできない。但し、綿花畑や養蚕場などから自分で収穫していない織り糸や布地を用いることはできない。また、自分で製作したものでなければ鋏やミシンを利用することはできない。更に、その為の鉄鉱石を自分で採掘し精錬しない限り、どんな裁縫道具も製作ことはできない。だが、他人の製作した道具を用いずにどうやって鉄鉱石を採掘するのだろうか?すぐ仮説を立てる我らが仕立屋は、自分で植物を植えて調理しない限り、何も食べることができない。しかし、彼自身が製作した調理器具以外、何を用いて料理することができるだろうか?ちなみに、彼自身で建てた家以外に、果たして彼は何処に住むことができるのだろうか?

もし、この哀れな人が、人間の依存から自分を切り離すことに時間と労働の極端な要求を感じ始めたら、恐らく彼は森に行って暮らしたいと思うだろう。森では(都会でもそうだが)、神が創造された多くのもの ━ つまり食料となる植物や避難所となる樹木、生命を維持する為の水など…ect. に、依存しなければならないのである。神が与えられた口がなければ食べられないし、手足がなければ何かを作成することができない。同様に、神から授かった頭脳と魂がなければ、考えることも選択することもできない。いくら自分の避難所になりたいと願っても、究極の、いや時間的や現実的にも、自身の限界が自分の拠り所となることを許さないという真実に直面しなければならない。

人間の心の満たされていない空虚仏教国においても、仏教だけで満足している仏教徒は稀である。良い仏教徒であると自認している人の多くは、ありとあらゆる種類の非正統的なアイテムで仏教の教えを補っている。

タイでは神話のガルーダ鳥が国の守護神として通貨や公式書類に使われている(ガルーダ鳥はヒンドゥー神話に由来するが、仏教神話にも用いられる)。ナーガという蛇は、仏陀の守護神の一種である(例えば、仏陀がトグロの上に座っていたと思われる時、フード[庇]のように鎌首をもたげたコブラが彼の頭部を雨から守ってい

た)。また、巨大なナーガ蛇の彫刻が、多くの仏教寺院で不気味に飾られているのをよく見かける。この神話のなかで、ナーガ蛇はガルーダ鳥の敵であり、それはタイ、バンコクの民主主義記念碑にも描かれている。つまり、奇妙なことに、タイの守護神は仏教の守護神の敵となっているのだ。

「神について関心を持つ必要はない」と、人々に告げることは、あたかも仏陀が「考えることは重要ではない」と、語ったかのようだ。それはすべての人間に生まれつき備わっているものであり、何故なら神は“神を知り、神を崇拝したいという渇望を持つ者”として我々を創造されたからだ。しかし、この渇望を他のものに置き換えることで、満足できないまま探究が続いてしまうのだ。それはちょうど誰かが鳥に「飛ぶことは重要ではない」と言って、それからその鳥の翼を切り取ってしまうようなものだ。次世代の鳥の翼は正常に成長するが、「飛ぶことは重要ではない」と言われる環境の中では、鳥は翼を飛ぶためではなく、土の中で使うようになる。しかし、彼らは依然として飛ぶことを“渇望して”いるはずだ。鳥が飛ぶように創造されたように、人間は神を愛し崇敬するように創造されている。仏教は、創造主を知りたいという人間の心のニーズを満たしてはくれないので、探究も続いていく。しかし残念なことに、それは神に繋がる真理と正義の探求ではなく、個人的な繁栄のための探究になってしまっている。神を拒絶した後、人々は偶像をつくり、それを代わりに崇拝する傾向がある。

タイ仏教徒の一例としては、

ジャトゥカム・ラマテープの御守り(7~12 世紀の仏教帝国シュリーヴィジャヤ王国に実在した 2 人の王子に因んで名付けられた)がある。リチャ-ド S.エールリッヒの記事(2007 年)ではこう記述されている:「エコノミストによれば、ジャトゥカムの御守りの売り上げは、過去 2 年間で 5 億ドルに達したという…。現在タイ国内の店頭に 100 種以上の御守りジャトゥカムが並べられ、業者間の競争が激しい。中には人の気を惹く魅力的な名前、例えば「百万長者への道」「お金が舞い込む」というような大富豪シリーズものがある

http://www.globalpolitician.com/22711-thailand。欲に目がくらみ借金して御守りに大きな投資をしたものの需要が落ち込んでしまい、多額の負債を抱え込んだ寺院もある。それはかなり皮肉なことである。人は、「百万長者への道」

「お金が舞い込む」という神秘的なメダルで一杯の倉庫があれば、富を保障するものと考えたことだろう。現実はそうではなかった。真実の神を求める代わりに、人々はいわゆる神、つまり彼らの欲望の実現を約束する力を求めた。この“役に立つ”神を求める態度が問題の核心である。アーサー“Art” カッツ牧師は、偶像崇拝とは

“神への崇拝”というよりも、むしろ“自己への奉仕”

であると定義づけ、人間の心の問題を明らかにした。

我々の起源の問題や何に焦点を当てることが重要かという問題についての古典的な仏教のアナロジーは、矢で射られた者の話である。その男は、矢がどこから飛んできたか、誰が射たのか、どんな弓で射たのか…etc. などに気を揉まず、矢を抜くことに焦点を当て集中する!ですから、人間は世界の始まりや仏陀の行く末など、《形而上学的な質問》に煩わされる必要性はない。しかし残念なことに、神を傍観者に追いやることで、真の(永遠の)救いの源も見逃されてしまう。神は見過ごされ、拒絶され、まるで傷ついた人が医者に「あっちへ行け」、言うようなものだ。トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」『ヨハネによる福音書 14 章 5 節~6 節(口語訳)』。

仏陀の歯や骨の破片などの仏教遺物は、一部の仏教徒にとって重要な関心事となっている。今日は DNA 検査の時代だから、すべての遺物が同じ DNA を持っているか調べてみるのも一興だろう。なぜこのようなテストが行われず、公表もされないのか?そして、いったい何故、遺物を持つことが重要なのか?仏陀はただの人間であったし、物質的なものへの執着心は邪魔ものだ、とされている。その仏教徒によって実践されていることは明らかに非仏教徒の慣習である。理由は明白で、人々の心の隙間は満たされず精神面の探求が多様な表現を通じて続けられているからだ。残念ながら真の答えは考慮から除外されてしまった。多くの仏教コミュニティは仏陀の分骨を持っていると主張しており、なかには彼の歯を持っていると主張するところもある。彼らは仏陀のどんな歯でもいいから欲しがる。しかし、その歯を彼らはどうしようというのであろうか?ここで、ちょっと駄洒落を許して欲しい。彼らは神をないがしろにし、創造主に代わってものを創り出そうと(この場合は歯の創造)している。仏陀の 40 本の歯

(パーリ聖典によれば仏陀は赤ちゃんの頃に 40 本の歯を持っていた)のうちの 1 本を探し求めたり、又はそのような歯を崇拝することの代わりに、栄光は神に与えられるべきなのだ。遺物を探し求め神をないがしろにすることは、歯ぎしりするのを仕向けるだけであろう:「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするであろう。」『ルカによる福音書 13 章

28 節(口語訳)』

錨のない倫理観自己を促進し高める様々な哲学がある。その主な論旨はこうだ:「自分自身に集中し望むところを実行せよ」もしくは「自己に焦点を当てて集中し支配者に従え」。仏教はその基本を「自己努力によって集中し善を行え」とする点でこれと異なる。ただ、そこには“善”を定義する卓越した権威がなく自己が焦点であるべきだと定める超越的な権威かないという点では同じである。言い換えれば、これらの総ての哲学においてなされた主張は、“いったい誰が命じるのか?”という質問で反論することができる。ミュンヘンでの演説の中で、アドルフ・ヒトラーは正面切って自己努力を強調した:「ドイツ国民の将来は、我々自身にかかっています。我々自身の労働、勤勉、決意、大胆さ、そして忍耐を通じて我々ドイツ国民

が立ち上がった時にこそ、我々は再起することができ

る。」http://www.earthstation1.com/Hitler.html

彼が自分自身に焦点を当てた結果…彼が引き起こした戦争でおよそ 600 万人のユダヤ人が死亡し 600 万人以上の死傷者が出たことを万人が知っている。

仏教は自己重視について似て異なる思想を持っていて、

「誰でも自分が拠り所だ」と唱えている。1950 年、ソロモン・W.R.D.・バンダラナイケがまだセイロンの首相になっていなかった時、世界仏教徒連盟を前に、「人間は、神の意志に関係なく、何が正しくて何が間違っているかを自分で自由に決めることができる」と、宣言した。:「仏陀は、人間の心が神の意志に服従する必要さえなく、何が正しか間違っているのか物事の成否を自分で自由に決定できる時、人間の究極の自由があると説いた…」(Swearer, 117)

このような哲学があるので、首相に選出されてから3年後、何者かが彼を狙撃して致命傷を負わせ、何が正しいかを自分で判断したことに驚くべきではなかった(彼は 1956 年に首相に選出され 1959 年に暗殺された)。その何者かとはヒンドゥー教徒タミル族の人ではなく、彼の政府が社会的に疎外した、しかし僧侶だった同士の仏教徒であった。彼は単にバンダラナイケのアドバイスに従い、自分で決定したのだった。そして“究極の自由”はセイロン(1972 年からスリランカと呼ばれている)に何をもたらしたのか?論文には、「スリランカの過激派の僧侶たちにとって中庸は無い」と 2007 年に書かれていて、武力行使に反対しない仏教僧がいることは明らかある:「25 年間スリランカに荒廃をもたらしている戦争が新たな恐ろしい局面を迎えるので、Rathana とその同志強硬派の僧侶たちは、2005 年後半に政権の座に就いたマヒンダ・ラジャパクサ大統領に公約を守るよう、

軍事力で強敵を打ち負かすよう強く要請した」。

http://www.theage.com.au/articles/2007/06/15/1181414

556706.html?page=fullpage内戦の原因はバンダラナイケ政府がヒンドゥー教徒のタミル人やその他の少数派を軽視し社会的に疎外した当時に始まった。:「バンダラナイケが仏教徒市民宗派を支持したことは、スリランカ島においてのシンハラ族多数派とタミル人少数派間での共同紛争をシンハラ族の熱狂的な仏教徒が激化させることになった。1983 年、その

紛争は依然として未解決の同胞相争う内戦に突入する」

(Swearer,117-118)。

歴史的に見てその内戦は、紀元前 101 年にセイロンから仏教徒ではないタミル人の打倒を求めたドゥッタガーマニー王の時代まで更に遡る。「ドゥッタガーマニー王は仏陀の遺品を彼の槍に装着し、彼の闘いは自分の利益の為ではなく宗教の推進の為であると主張した。」(上記ダンミカのリンク参照) ドゥッタガーマニー王と共にやって来た仏教僧たちでさえ、「…袈裟を脇にやり闘争

に加わるよう促され、仏陀の直弟子 arahats(悟りを得た聖者)のようになろうとした幾人かは、まさにそうした」(ダンミカのリンク参照)。

仏教は通常それ自体は暴力や不道徳を支持しないが、人間に空虚な状態を作り出し、そこでは心の拠り所の錨が投げ捨てられ“自己”が中心となる。実際、著名なタイの仏教学者ポー・オー・パユットーは次のように述べている、「仏教がどこに広がって伝わろうとも、その教えが歪められようとも、この人間の努力に重きを置くことは決して変わらない。もしこの一つの原則が失われたな

ら、それはもはや仏教ではないと確信をもって断言する」(38)。

「上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教を結ぶ基本的接点は、1967 年の第一回世界仏教徒僧侶集会(WBSC)において作成された各宗派の違いを超えて、全仏教徒の一致を目指す重要な声明である」。その中のポイント三番目で仏教の教義には創造主である神は含まれてないことを明確にしている:「我々はこの世界が神によって創造され支配されたとは信じない」。1981 年にこれは次の通り改訂された:「上座部であれ大乗であれ、我々はこの世界が神の御心によって創造され支配されたとは信じな

い」。1981 年に声明も出された:「…すべては関係があり、相互に依存し、相関関係にあって、この宇宙には絶対的に不変で永遠なるものは存在しない。我々は仏陀の教えに従って、すべての条件付きのもの(samkhara)は

永続せず(anicca)、不完全で満足できず(dukkha)、またすべての条件付き・無条件のもの(dhamma)に自我はない(anntta)と判断する」。

http://en.wikipedia.org/wiki/Basic_Points_Unifying_the_Therav%C4%81da

_and_the_Mah%C4%81y%C4%81na

「…この宇宙には絶対的に不変で永遠なるものは存在しない」と宣言することで、それは結果的に倫理の仕組みを支える基盤をかなり軟弱なものにした。宇宙の起源は仏陀が答えられなかった質問の一つである。然るにパーリ聖典は、絶対不変な人格を持った主観的な創造主である神の存在を否定した。そこで我々は興味深い難問にぶつかる。この世界に人間は存在するが、一人の人間を我々の宇宙の起源とすることを仏教は許さない。何か人間でないものから何か人格を備えたものがもたらされるのだろうか?例えば岩石を例にとる。岩石は人間ではない。この人格のない岩石から人格を備えた存在の生まれる可能性があるだろうか?

さらに、倫理は属人的なもので(岩石は倫理を持たない)、カルマ(業)は非人格的な力だと言われる。ジョン・ジョーンズはこの矛盾点を要約している:「カルマの結末に関する倫理性(道徳性)は、カルマの過程の厳密に非人格的な性質に対して疑問を呼び起こす。何故なら、もしカルマの過程が倫理的な過程であるとすれば、我々が経験によって真偽を立証できる倫理の唯一のタイプは、人格に関連するものだからだ。このように、カルマの非人格的な属性と倫理的な属性の間には緊張関係がある」(37)。個人的な倫理観がどのようにして非人間的なものから始まったのだろうか?これは無神論者が抱える問題と同じである。言うまでもなく、無神論者や仏教徒は善人になる道を選ぶことができる。ただ、いとも易々と、無神論者は悪人にもなれる。神がいなければ、これはただの意見でしかない。問題は「無神論者は倫理的になれるか?」ではなく、「無神論者は倫理的になるべきか?」である。神がいなければ、無神論者は偶発的に出来上がった化学物質の集まりに過ぎず、「なるべ

き」は人の行動に関する単なる意見に過ぎない。

タイには仏教徒僧侶の 2~3 倍の売春婦がいて(僧侶およそ 30 万~40 万人に対し売春婦およそ 80 万~100 万人)、これは 95%が仏教徒であると推定される国の話

である…売春婦の多くは、まだ自分を仏教徒だと考えている。タイの僧侶について、ダンミカ(Dhammika)は「2002 年に発表された調査によれば、タイの僧侶の死因のトップは喫煙に関連する病気だった」と、書いている。これは、欲望を排除しなければならないという“四聖諦(四つの聖なる真理)”を説く宗教としては皮肉な現象である。喫煙は“欲望”が働く行為の典型的な例である。ここでのポイントは、仏教の教義と矛盾した生き方をしている仏教徒がいる、ということではない。キリスト教や他の宗教の人たちにも、その教えと矛盾した生き方をしている人はいる。私が明らかにしたいポイントは、仏教の教えそのものが、意図せずにしてこの様な結果を招いているということである。非人間的なカルマのシステムの中で自己に焦点を当て、将来何度も生まれ変わることを想定すると、多くの人が先延ばしにする態度や、差し迫ったニーズや目先の欲求を処理するだけの実際的な哲学を採用していることは驚くに当たらない。そして、非人間的なシステムの中で、人々はやっぱり霊的な世界との個人的な接触に飢えている。しかし不幸なことに、それは偶像崇拝に繋がることが少なくない。皮肉なことに偶像崇拝は、非人間的な物事の扱いを強化する。聖書では、偶像崇拝は売春に喩えられている。売春とは、非常に個人的なものを取り上げ、それを二人の人間が互いに利用しあうだけのビジネス取引である。偶像崇拝もまた個人的な関係ではなく、ただ単に相手を利用することを促進する。結局のところ、聖書の個人的な人格をもった神は探し求められなかったので、それは“お互いが損をする”だけの状況である。「わが民は木に向かって事を尋ねる。またそのつえは彼らに事を示す。これは淫行の霊が彼らを惑わしたからである。彼らはその神を捨てて淫行をなした。彼らは山々の頂で犠牲(いけにえ)をささげ、丘の上、かしの木、柳の木、テレビンの木の下で供え物をささげる。これはその木陰がここちよいためである。それゆえ、あなたがたの娘は淫行をなし、あなたがたの嫁は姦

通を行う」『ホセア書 4 章 12 節~13 節(口語訳)』。

これは仏教を改革しなければならないという意味ではない。ダンミカは上座部仏教を手厳しく批判しているにも拘わらず、仏教に改革をもたらしたいと望んでいる。彼は自分の改革への努力が、かつての仏陀の努力ほど限定的であるとは考えていない。仮に彼が現代仏教を仏陀自身の基準、あるいはそれを超える基準にまで引き上げることができたとしても、システム全体は依然として人間の意見に基づいており絶対的な権威に欠けるものとなろう。彼は自分が満足のいく改革をもたらすことに成功するかもしれないが、神の道を無視することで、この努力は最終的に現在の仏教の全ての限界を示すことになる。

我々はセイロンの元首相が宣言したようには、何が善で何が悪であるかを自分たちだけで決めることはできな

い。ヒトラー政権時代のドイツの法律のように、時として国の法律自体が非倫理的な場合もある。この場合、国の法律は倫理的な立法府の議員のように機能しており、非倫理的で任意の事柄を思うままに促したり、倫理的な事柄を禁止したりしている。仏教そのものがまさに、それに相応しい権限もないまま独自のルールを作りあげているのだから、反逆の法律家のようなものだ。仏教の倫理が辿り着く結論は常に無垢ではない。チベット仏教が信奉する非倫理的なことの興味深い事例とし

て、ここにダライ・ラマに対する 8 つの痛烈な質問がある:www.trimondi.de/EN/deba03.html

神を無視するようなシステムは、最終的に人間の意見だけに倫理観を委ねなければならない。これが仏教の苦境である。多くの指導者は高尚で人道的な理想を唱えるだろうが、それは単なる意見であり、それを裏付ける権威はない。また、権威が欠如しているため、他の指導者は倫理観を強調することはない:「鈴木俊隆-老師は、禅の修行には形式が必要性であることを強調しながらも、倫理観は文化に左右されるという理由で、弟子のために倫理規定を設けることを避けた。その様な規範は、試行錯誤を繰り返しながら時間をかけて徐々に発展させる必要があると述べた…彼の一般的な倫理的相対主義は、アメリカの性風俗の革命を推進した世代に強くアピールし明らかに魅力的であった(Robinson,304) 。この禅仏教の老師がしたように、あるチベット仏教の指導者もまた倫理観の重要性を軽視した:「トゥルンパは倫理的規範が瞑想を打倒することを意図した“エゴの官僚制”の一部と見なした…トゥルンパ(Trungpa)の著書は…非常に人気があり、倫理規範を率直に拒絶したことは悪評を呼んだ」(Robinson,304-5)。

上記の 2 つのケースにおいて、その結末は予想できたことだった:「鈴木老師は 1971 年に、チョギャム・トゥルンパ(Chogyam Trungpa)は 1987 年に死去した。両者とも亡くなる直前にアメリカ人の Dharma(法)の相続人を任命していた;彼らの相続人の 2 人ともすぐにセックススキャンダルに巻き込まれ、最終的に任命された組織から除名される結果となった。やがて、他の禅、ソン

(韓国の禅)、チベット仏教センターでも同様のスキャンダルが発生し、アメリカ人指導者だけでなくアジア人指導者も巻き込まれ、これらは孤立した事例ではなく、一

般的なパターンの一部であることが明らかになった」

(Robinson,306)。

魂は存在せず(行為の報酬や罰を受ける永続的な人間はいない) 再生はある、と教えているにも拘わらず、仏陀は依然として、宇宙は倫理的ではないという信念を持っていた。これが倫理的な宇宙である、という仏陀の信念に関してジョーンズは次のように結論付けている:

「彼はこの信念が彼の教えの合理的かつ分析的な部分に根拠があると主張できなかった;実際のところ、これらの二つの間には絶望的に和解しがたい矛盾があると言っても過言ではないように思える」(Jones,36)。

キリスト教哲学者のフランシス・シェーファーは次のように書いている:「非個人的な事から始めれば、それをどのように表現しても、倫理には意味がありません」

(37)。また、プラトンを例に取りあげ、シェーファーはこう書いている:「我々はこの点でプラトンの説が完全に正しかったことを理解しなければなりません。彼は絶対というものがなければそこに倫理はないと主張しました。これがプラトンのジレンマに対する完全な解答です。彼は自分の絶対的なものを根付かせる場所を見つけようと時間を費やしましたが、彼の神々が十分ではなかったため、決して見つけることができませんでした。しかしここに、すべての悪を追い払う性質を備え持ち、その品格は宇宙における倫理的な絶対である無限を司る人格神がおられます」(42)。

プラトンの立場は仏陀のそれと似ている。仏陀は絶対的かつ人格的な神の存在を拒否したので、倫理のようなものが存在するという彼の確信を正当化することができなかった。人格を持たない非人間的なカルマ(業)で個人的な倫理観を説明することはできない。仏教徒たちは、不変かつ絶対的に機能するカルマの様なものがあると説いた仏陀の限り有る結論に依って信仰を深める必要がある。仏陀は有限であり無我、非永続的、非絶対的な心を通して、どうしてこれらの結論に達することができたのだろうか?

仏教徒は一人の人間の結論を信じなければならない。その結論は、同じく絶対的でない、主観的で神秘的な瞑想の結論によってより強化され補完されることもある。もしある人が瞑想して、自分が(恐らくは過去に生きてきた人生で)まだ誰も名乗り出ていない未請求の財産の真の相続人であることを“発見”した場合、裁判所はこの瞑想による啓示を証拠として受け入れ認めるだろうか?その瞑想は夢と同レベルであり、もちろん法的な証拠としては認められないだろう。仏教徒は、物事の道理についての主張を裏付ける証拠がなくても信仰によって歩まなければならない。

我々が住んでいる世界は、行き当たりばったりの非個人的な始まりだけでは生まれない方法で、それ自体驚くほど住むのに適合している。木や植物は酸素を排出し、二酸化炭素を摂り入れる。人間と動物はちょうどその反対のことを営んでいる。我々の胃袋は身の周りにある食物を消化して利用することができる。我々には目があり、この器官を使用する為に必要な光もある。渡り鳥の本能は、我々の世界の地形に適応している。また、人間には倫理観が備わっているが、これは進化や非個人的な始まりでは説明できるものではない。

タイのパユットーという僧侶は、上座部仏教の観点から、次「世界を創造し人間の運命を支配する神など存在しない。人は自分自身の主人である。その道は、祈りや迷信から解放された自助努力の道である」と、述べている(10)。また、日本での仏教復興について、パユットーは、「その教えがダーウィンの進化論のような近代科学の新しい発見や理論に適合することが分かり、仏教は再評価されました」と、書いている(129)。何百万年もの間、無作為に非個人的なチャンスを経験しても倫理観の安定した基盤にはつながらず、ましてや進化という科学的基盤は、ドキュメンタリー映画『進化論のアキレ

ス腱』のように、かなり挑戦的なものである

(https://creation.com/eah-review)。人間の倫理観は動物の世界で見られるものとは異なっている。動物には警察も裁判所も刑務所もない。動物に倫理を強制しようとするのは不条理なことだ。人間の倫理観を全て手放すことも、同様に不条理なことである。我々は生来、倫理的な存在として創造されたのだから。

仏教の雑誌、ウェブサイトや書籍などの様々な記事を読んでいると、仏教には多様な倫理論が提唱されている。しかし、これら全ての問題点は形而上学的に(一貫した合理的な方法で)固定できないことである。仏教徒は善き人間たるべき様々なシステムを提案することができるが、これらのシステムにおいて善を定義するものは、最終的には人間の見解にすぎない。個人的な倫理は、非個人的な力から生じるものではない。その代わりに、個人的な存在である仏教徒は、独自の倫理を作り上げてきた。ただし、これは究極の権威を持つものではなく、何が良いことかを教える権威を持っておられる我々の創造主を全く考慮に入れていない。

イエスキリストから離れ迷うことイエスは言われた、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」『ヨハネによる福音書 10 章 11 節(口語訳)』。羊が迷子になるには多くの間違った道がある。羊の群れの中に居るためには、イエス・キリストとの関係が必要になる。仏教徒はどの様な点で神の道から外れているのだろうか?まず、仏教徒は神を愛していない:〖イエスは言われた、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である。「自分を愛するようにあなたの隣人(となりびと)を愛せよ」。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている〗『マタイによる福音書 22 章 37 節~40 節(口語訳)』。

また、仏教徒は神への信仰や信頼を持っていない:「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神の居ますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである」『ヘブル人への手紙 11 章 6 節』。この信仰は盲目的な信仰ではなく、神が私たちに与えてくださった証拠に基づいている。神を考慮から除外することで、仏教徒は神に相応しい畏敬の念を払わない:「主を恐れることは知恵のもとである、聖なるものを知ることは、悟りである」『箴言 9 章 10 節』(口語訳)。多くの仏教徒は、神を恐れる代わりに精霊を恐れて生活し、色んな霊

魂を宥めようとして束縛され囚われの身となる。

自分自身を拠り所にすることによって、仏教徒は神への謙虚な依存の余地を残さない:「…神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」『ヤコブの手紙 4 章

6 節』 。「よく聞きなさい。心を入れかえて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう」『マタイによる福音書 18 章 3 節』(口語訳)。仏教徒は神を賛美する代わりに、瞑想と想像上の前世を賛美することによって空虚な空想に従う:「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり…」『ローマ人への手紙 1 章 21 節~22 節(口語訳)』。

「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」『ヨハネによる福音書 17 章 3 節』。神を知ることが目的地である。これは個人的なものである。神は人々に、知性を駆使して霊的な冒険をするよう呼びかけたのではない。一部の偽医者の処方箋が一時的に大成功することもある。インチキ医者たちが合理的なものを処方したとしても、彼らが正当な医者であるとは限らない。仏陀は幾つかの合理的な倫理を規定したが、人々を神から遠ざける幾つかのことも規定した。瞑想が経験につながるか否かが論点ではない。仏陀の資質が著しく欠けている。神は我々に経験を求めるのでは

なく、神との関係を求め、神に従うよう求められている。アダムとイブか神の禁じられた果物を取って食べることの何がそんなに悪いのだろう?不従順という明らかな罪もさることながら、彼らは“神から離れた知識を求める”という過ちに引っかかった。これは様々な形で表面化する過ちであり、その一例が占星術である。人々が新聞の占星術欄に目を向けると ━それは神から外れた知識を求める一種の予言である。これを行うには、人は神がすでに啓示した真理を抑え込まなければならない。問題は無知であることではない。それは真理を知らないという問題ではなく、真理を知りたくないという問題なのだ。神が啓示したことを知りたくないという態度は、それに従いたくないという気持ちから端を発している。たとえその知識が神の存在の認識に過ぎないとしても、誰もが神について何らかの知識を持っている。しかし、ひとたびその知識が抑圧されると人は別の答え、━“神から離れた知識”を求める傾向がある。

これは仏陀が陥ったのと同じ過ちである。神からの知識を求め創造主を認める代わりに、彼はその真実を抑圧し、瞑想を通して神から離れた知識を求めた。瞑想はちょうど占星術やタロットカードと同じような予言の一種である。この過ちのより深い問題は、それが不信感の表れであるということだ。神を信頼し神との関係を持つ代わりにその関係は断ち切られ、「神は本当に…と言った

のか?」という、巧妙な蛇の言葉が繰り返される。

仏陀は真実の代わりに空言を人々に与え、その結果は霊的な悲劇をもたらした:「あなたは偽りをもって正しい者の心を悩ました。私はこれを悩まさなかった。またあなたがたは悪人が、その命を救うために、その悪しき道から離れようとする時、それをしないように勧める」

『エゼキエル書 13 章 22 節』。結局のところ、愛情深い羊飼いの庇護の下に置かれる代わりに、仏教徒は悪魔、すなわち蛇(仏教が崇めているが実際は悪魔である蛇神ナーガ)の前に置き去りにされた。

テント生活者 または フード(庇屋根)付き?簡潔に言えば、死者は人生の最も重要な質問への答えを見つけるのを助けることはできない:「私はどこから来たのか?」「なぜ私はここにいるか?」「死ぬとき私はどこへ行くのか?」聖書はこれらの質問に答えることができる。イエス・キリストは生きておられる。主は死から蘇えられた。「あなたは創造主と和解したいです

か?」もしそうなら、あなたは神をないがしろにし、神に与えられた栄光を神に称えなかった罪を含め、自分の罪を神に告白することから始めることができる。「も

し、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」『ヨハネによる第一の手紙 1 章 9 節(口語訳)』。神は一人ひとり誰でもイエス・キリストを信じ、神との個人的な関係を持つことを望んでおられる。

私が本書で取り上げた項目の幾つかを頭字語:HOODED で要約してみた。これが、仏教徒の置かれている極めて不安定な状況である。まさに仏陀自身の如く、それはフード(庇屋根)のように鎌首をもたげた巨大コブラが、腰かけている彼らの頭上に止まっているようなものだ。

人生の最も重要な質問に対する答えが不十分であったり、無視したりするため、まるで怪我をした人が医者に立ち去れと言っているようなものである。もう一方で頭字語 CAMPER がある。これはクリスチャンが持っている証拠を表すもので、聖書への信仰を人生の最も重要な質問に答える為の非常に合理的で信頼できる基盤にしている。ここまで多くの理由を提示してきたが、今、選択はあなた次第である。「神の愛に応えますか?」「謙虚に神の御許に立ち帰りますか?」「子供のような信仰心

で、あなたの人生を神にお委ねしますか?」

仏教の不確実性

HOODED

クリスチャンの証拠

CAMPER

極めて非人間的な起源

Highly Impersonal beginning)

天地創造 

(Creation)

誇張された物語(Overblown

stories)

考古学による立証

(Archeology)

2000 年以上の経典の空隙

(Over a 2000 year Scripture gap)

御言葉の写本 

(Manuscripts)

予言的な洞察力の欠如

(Devoid of prophetic insight)

多くの預言 

(Prophecies)

経験は主観的な試金石

(Experience is the subjective test)

自身の目で見た証人たち

(Eyewitnesses)

死せる不在の指導者(Dead

and absent leader)

キリストの復活

(Resurrection)

HOODED の“経験”(経験は主観的な試金石)についてもう少し詳しく説明する:「瞑想は非常に主観的なもの

(瞑想によって“学び得た“ものは証拠として法廷で認められない)であるのに加えて、瞑想は霊界への危険な扉を開くものでもある。瞑想者は意識の変容状態に入る必要がある。仏教における瞑想による覚醒への道のりを説明した上で、ロビンソン&ジョンソンによる仏教の歴史的入門書では、:「覚醒の内容は、結果として倫理的に変容したシャーマニズムが 3 分の 2、現象学が残り 3 分の 1 である…」と、要約している(19)。ロビンソン

&ジョンソンはシャーマニズムを次のように定義している:「最もシンプルな言葉で表現すればシャーマニズムとは、意識の変容状態から知識や力を得ようとする為の努力である」(290)。

数年前、バンコク在住の知人の大家さんが瞑想の指導を受けていた。ある時、彼女が瞑想をしていると、目の前にぞっとするような恐ろしいものが現れた。彼女は怖くなって慌てて部屋を飛び出してしまったそうだ。その後、瞑想の師は彼女に、「心配しないで、戻ってその醜い存在に仏教の“安らかな”道を教えなさい」と、言った。このようにして悪霊は、自分が何か善行をしていると思わせるよう彼女を騙したが、実際には安らぎについて学ぶようなふりをしながら、彼女を欺き続けて邪悪な欺瞞者の前に束縛していたのである。パーリ聖典は、この記録や私の以前の論文にあるように、歴史的にも科学的にも不正確な情報を提供していることが分かった。したがって、霊的な領域でその指示を信頼することは、同じように惑わされ誤った導きを招くことになる。瞑想は、人を最も深いレベルで開き、正確で客観的な真実によってではなく、自分を愛してくれる神から離れた主観的な経験に導美かれるようにする。写真(Photograph):

http://patokallio.name/photo/travel/Thailand/NongKhai/Buddha_Naga2.JPG

HOODED:フード(庇屋根)のように鎌首をもたげた七つの頭を持つ蛇神に覆われた仏陀 パーリ聖典では七つの頭とは書かれておらず、七日間と七重に巻かれたトグロに因んでと書かれている(パーリ語で編纂されたパーリ聖典にある無量寿経典)。以下は、仏陀と蛇神ナーガについての経典に基づく記述である:「それからナーガ王ムチャリンダは棲家を離れ、彼のトグロで仏陀の身体を七重に取り囲んだあと、鎌首をもたげて大きな庇屋根(フード)のように彼の頭上に広げて立ち、寒さや暑さ、虻や蚊、風や日差し、そして気味悪く忍び寄る這うものから彼を守ろうと考えた。その七日間の精進期間の終わりに、仏陀は精神集中の囲みから姿を現された。それからナーガ王ムチャリンダは空が晴れわたり雨雲が無くなったのを見届けてから、仏陀の身体から彼のトグロの囲みを取り去りました。そして自分の姿を変えて若者の姿になり、仏陀の前に立って手を合わせて崇めた」

http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/ud/ud.2.01.irel.html

聖書の最後の書では、悪魔は竜、蛇、悪魔、そして、サタンと呼ばれている。:「この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使いたちも、もろともに投げ落とされた」『ヨハネの黙示録 12 章 9 節(口語訳)』。タイ語、ラオス語、ビルマ語、シャン語、インドネシア語、マレーシア語、カンボジア語、ベンガル語の聖書の『ヨハネの黙示録 12 章 9 節』ではナーガという言葉がそこで使われており、ナーガを悪魔の竜と同一視している(そして聖書には、この存在が仏教美術において通常描かれている様に七つの頭があると書かれている ━『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』)。聖書は明らかに竜・蛇(ナーガ)が悪いと教えているが、パーリ聖典ではナーガは善であると教えている。エデンの園の初めから、人類を欺いたのは蛇(『ヨハネの黙示録 12 章 9 節』のナーガと同一視されている)であった。聖書は━ それが神の御言葉であることを示す歴史的、預言的な両

方の証拠を持っている。蛇は人類の友では非ず。

また、聖書の最初の書である『創世記 3 章』で、蛇の姿をした悪魔がエデンの園でエヴァとアダムを惑わすこと

を指して使われている蛇の単語が、ヘブライ語で

“nakash”(ナカシュ)となっているのも興味深い。これは、サンスクリット語の“naga”(ナーガ)と発音が似ている。面白いことに、サンスクリット語の最初の考古学的証拠はインドではなく、紀元前 14 世紀のシリアで発見されたものである。シリアはイスラエルの北隣国であることから、ヘブライ語とサンスクリット語の

“蛇”が関連していると考えるのは、さほど不自然ではない。アーリア人(サンスクリット語をもたらした)が仏教に及ぼした影響については、付録 A をご参照ください。『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』にあるギリシャ語の

“drakon”は、少なくとも8つのアジア言語の聖書で

“naga”と訳されている。ギリシャ神話の“ドラコン” は、西洋の“恐竜”のようなドラゴンではなく、“蛇” のような概念である。

ダニエル・オグデンは著書『ドラゴン:ギリシャ・ロー

マ時代の竜神話と蛇神崇拝』のなかで、ギリシャ語の

“drakon”について次のように述べている「…“蛇”という言葉はドラコンの完全なセマンティックフィールドにより良く適合しています…」(4)。また、オグデンは“ドラコン”が、「…実に単純明快に蛇の形をしている存在(例:ラドン)…あるいは他の形態のなかで、蛇の形で姿を現すことができる(例:アスクレピオス[彼の他の形態は人間])存在にも使われることがあると指摘している。アンキペードは複合ドラゴンの最も典型的な種類で、腰から上が人型で下が蛇のような生き物です」(4)。ダニエル・オグデンによる“ドラコン”の説明では、ドラコンもナーガも半人半蛇の姿になったり、完全な蛇の姿から完全な人間の姿になったりするということで、ギリシャ神話と仏教神話との重複があることがわかる。パーリ聖典には、僧侶のふりをしたナーガなどの例が挙げられている。プリンストン大学仏教辞典によると、「ナーガは図像的には人間の頭と胴体を持つが、フードのように広げてもたげた鎌首と尾を持っている」とある(1383)。

“ナーガ”はギリシャ神話に登場する“ドラコン”という言葉の文字にぴったり適合するだけでなく、ヘブライ語の“ナカシュ”(英語では“serpent”)と音韻が似ている。『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』では、“ドラコン” を“ナーガ”と訳しているアジア言語は少なくとも8つあり、仏教におけるナーガは、人類を欺くことを目的とする、悪魔の形態の一つであるという結論に達する。当初からそうであったが、今でも人類は『ヨハネの黙示録

12 章 9 節』に登場するギリシャ語“ディアボロス

(diabolos)”の影響から脱しなければならない。これは“告発者”を意味する英語“デビル”の語源となった言葉である。偽りの告発者、欺く者(ナーガ)は、仏教の伝説では悟りを開いた仏陀の傍らに一緒に座っていた者である。仏陀は誰と一緒に座っていたのか?彼らは、

「そのような友がいれば、誰が敵を必要とするだろうか?」と、言った、イエスは人類の真の友人であり、創造主である父なる神と我々が和解できるように、我らの

罪のために十字架の上でご自身を犠牲にされた。

締め括り

シュラーヴァスティー・ダンミカ(Shravasti

Dhammika)はスリランカにおける瞑想について、次のように書いている。:「…瞑想者たちは、まるで精神病院の長期入院患者のように歩きまわる。実際、このような瞑想センターで過ごす人の中には、深刻な精神的問題を抱えることになる人がいるのは、決して珍しいことではない。1990 年代にスリランカの或る界隈では、“カンダボダの 1 ヶ月はアンゴダの 6 ヶ月”というジョークが流行っていたようだ。カンダボダはコロンボにある有名な瞑想センターで、アンゴダはコロンボの主要な精神

病院である」http://www.buddhistische-gesellschaft-

berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf

前回(本書第 2 章)と本章で書いたことを要約すると、仏教徒は誤ったロードマップを手にし、頼りない自分自身に頼れと言われ、その頭上はホバリングしている蛇のフードで覆われている、ということになる‼ 代わりにイ

エス・キリストを紹介してもよろしいですか?

聖書を裏付ける考古学上の証拠について、マーク・ケーヒル(Mark Cahill)は次のように書いている:「聖書の中に登場する人物、その肩書、場所について裏付ける考古学的発見が 2万 5,000 件以上ある。高名なユダヤ人考古学者ネルソン・グレック(Nelson Glueck)は、“聖書の記述を覆すような考古学上の発見は、これまで一度もなかった”と、断言している」(Cahill, 65)。ライオネ

ル・ラックフー(Lionel Luckhoo)(1914~1997)は、高名な弁護士で後に福音伝道師となったが、245 件もの殺人事件の裁判で最も多く無罪判決を出した人物としてギネスブックにも登録されている。彼はこう言った:「私は 42 年以上にわたり世界各地で弁護を担当し、今も現役で活躍しています。そして私は、イエス・キリストの復活の証拠には疑いの余地が全くないと、はっきりと言います」( http://www.conservapedia.com/Lionel_Luckhoo)。イエス・キリストは肉体を持った全能の神である。イエスは宇宙の創造主である。彼は33 年間、我々の間で生きられ、奇跡を起こし、人々を癒し、悪霊を追い出し、権威をもって教え、十字架につけられ、墓に葬られ、3 日目に死から蘇えられた。イエスの弟子たちは、自分の流した血で復活を証しすることを厭わなかった。何百もの預言がイエスの宣教に先立ち、彼によって成就された。これらの預言の殆どは仏陀が生まれる前から与えられていた。イエス・キリストは他の宗教指導者のように死んだ人ではなく、生きておられる。彼こそが我らの罪を清め、我らを天国に受け入れる権威を持つ唯一の存在である。しかし、彼を拒絶することは、嘘を支持して真理を拒絶することだ。あなたは真理を愛していますか?どんな犠牲を払ってもイエス・キリストに従う意思がありますか?救いは無償で提供されますが、天の父なる神を人生の主とする為に神に委ねることには一定の費用が掛かり、“自分”を主として維持することには、より大きな費用が嵩む。イエスは道であり、真理であり、命である。

 

テント生活者 CAMPER

「信仰によって、アブラハムは他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を受け継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ」『ヘブライ人への手紙 11 章 9 節(口語訳)』。

参考文献(References)

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