The Woman at the Well - Japanese

井戸のそばの女

ジェイコブ・プラッシュ

『イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳に入った。それを主が知られたとき、――イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが――主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。

しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその 子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコ ブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。

イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである――イエスは答えて言われた。

「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」

女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」

イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼

拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。

女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。』(ヨハネ 4 章 1 節-

30 節)

この“井戸のそばの女”の話を理解するために、最初に井戸が何を意味しているかを見ていきましょう。

聖霊の象徴

聖書の中でさまざまな液体は、聖霊を色々な側面から表しています。

新しいぶどう酒は、礼拝の側面において聖霊を象徴する液体です。もうひとつの液体は油であり、それは聖霊の油注ぎについて語っています。

また聖書において生ける水(湧き水)とはいつも聖霊が注ぎ出されることについて語っています。イエスは次のような形で説明されました。

『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。』(ヨハネ 7 章 38 節-39 節)

イエスは生ける水は、聖霊が注ぎ出されることだとはっきり語られました。

イエスがこの生ける水について教えられたときは、スコット――仮庵の祭りの時期で(ヨ

ハネ 7 章 2 節・10 節)、その祭りで行われていた儀式のひとつは、行列を組みながらシロアムの池の水を汲み、レビ人に導かれて、水を注ぎ出すためにガバタ(*1)と呼ばれるところに行くというものでした。

このようなことを背景に、イエスは自分が生ける水を与える者だと言い、だれでも渇いているならわたしのもとに来て飲みなさいと言われたのです。

『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節)

聖霊は注ぎ出されるものであり――降った雨は地下水となり湧き水を生み出します。

ラインハルト・ボンケのような人がアフリカにおいて大きな成功を収めているのに、彼がドイツやイギリス、オーストラリアに行っても何も起こらないのはなぜでしょうか?

『わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、 一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。』(アモス 4 章 7 節)

今日、世界には多くの福音派教会の指導者たちがいて、彼らは間違って「正しいプログラムを組めば、それに応じた結果がついてくる」と考えています。

この考え方は教会成長運動(Church Growth Movement)から来たもので、人々が技術的に高度化した世界観を教会に当てはめようとした例です。

「ハードウェアに合ったソフトを買えば、パソコンでの操作は思うがまま」

このように彼らは聖書によらず、高度技術の世界観をもって教会論と宣教論を再編してしまっています。

聖霊はアフリカやブラジル、中国、インドネシアなどの場所で雨のように降り注いでいます。しかし、イギリスとオーストラリアは干ばつに襲われているのです。

聖書が教えているのは、神の命令によって、一つの場所には雨が降り、他の場所は雨が降らずかわききってしまうということです。

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神には主権があり、嘆願されることはあっても操られることはありません

聖霊は注がれなくてはなりません。しかし、人がどんなに多くのプログラムを練って、多額の金をつぎこんでも、自分たちで雨を降らせることはできません。

神には主権があり、嘆願されることはあっても、誰かに操られることはありません。

さまざまな種類のユダヤ人

次に私たちはイエスの時代のサマリヤ人を理解する必要があります。当時ユダヤ人はサマリヤ人と関わりを持ちませんでした。今日、同じような関係が、北アイルランドのプロテスタント信者とカトリック信者の間に見られます。

イエスが最初に来られたときに存在していたユダヤ人は、今日存在するクリスチャンと確実に関連性を持っています。

サドカイ人:サドカイ人たちは超自然的なものを否定する合理主義者でした。彼らは復活や超自然的なこと、御使い、死後の世界などを否定していました。今日、英国国教会の主教たちは処女懐胎とイエスの復活を否定しています。サドカイ人はリベラルなプロテスタントにとてもよく似ています。

熱心党(ゼロータイ)/ ヘロデ党:当時、自分たちの政治観と教えを区別できないひとたちがいました。その中で左派であったのが熱心党です。ヨセフスは彼らについて多くの箇所を割いています。イエスの弟子たちの中にも熱心党員たちがいました。

今日そのような考えは“解放の神学”と呼ばれるもので、聖書の中での中心的な出来事はイエスの復活ではなく、出エジプトだと主張しています。それが国家を政治的に解放したものであったので、彼らはその教えをマルクス主義の弁証法と混ぜて主張しています。

そのような左派は南アメリカのローマ・カトリックや、リベラルなプロテスタントのツツ主教、他にはアフリカなどに存在しています。

一方、右派はヘロデ党と呼ばれました。それは今日でいうなら南アフリカにあるオランダ改革派教会、アメリカ南部の根本主義、北アイルランドの厳格な長老派などです。彼らは自分たちの持つ政治観と聖書を切り離せずにいます。

エッセネ派:三つ目のグループは奇妙な異端でした。彼らはユダヤ人の歴史に起ころうとすることを知っており、終末論的なことやメシアの重要性を知っていました。しかし、彼らは他者から自分たちを切り離し、そのようなことについての奇妙な信条を発達させました。最も注目すべきなのがこのエッセネ派で、死海文書からその存在を知ることができます。

現代では、キリスト教の中にいる再臨を強調する風変わりな異端がこれにあたります。

サマリヤ人:北の十部族が捕囚として連れて行かれたときに、イスラエルに少数の者たち

が残り、彼らはアッシリヤ人と結婚し、混血の者たちが生まれました。

この人たちは聖書と異教の宗教を混合し、シオンの山以外に自分たちの山(ゲリジム山)を持ち、ダビデの家からではない王をいただき、レビ人以外の者たちを祭司として立てました。

サマリヤ人はエズラやネヘミヤの敵であった者の子孫であり、エルサレムの城壁と神殿を再建しようとしたときに妨害しようとした者たちの子孫です。

ユダヤ人はサマリヤ人を嫌っていました。ユダヤ人は彼らを混血の民と見なし、ユダヤ教を混ぜ物にした者たちと考えていました。

現代ではそれはカトリックやアングロ・カトリック、東方正教会などの聖書と異教を混ぜ合わせる者たちです。例えば、ローマ・カトリック教会はレビ人以外の祭司制度を持ち、別の聖都を持っています。

しかし最も重要な特徴は、サマリヤ人がもうひとつの救いの教理を持っていたということです。旧い契約と新しい契約の双方において鍵となっていたことは、罪がどのように贖われるかという問題でした。

旧い契約の下ではそれは神殿であり、適切な場所で、適切な時期に、適切な祭司たちによってささげられるいけにえによって贖われました。サマリヤ人たちはそれに対して相対する祭司と山を持っていたのです。

罪はどのように贖われるのでしょうか?

彼らは土地のことについて意見を異にしていたのではなく、救いについて違った意見を持っていました。

パリサイ人:彼らの教理は他のどのグループよりも正しく、最も真理に近い者たちでした。イエスは彼らと多くの事柄に関して同じ意見を持っていました。イエスがサドカイ人と議 論したときは、唯一イエスを陥れようとしたときだけです。普段彼はサドカイ人たちを無 視していました。イエスは主にパリサイ人を相手にしたのです。

パリサイ人の中にも二つの主なグループがありました。シャンマイ学派の弟子たちと、ヒレル学派の弟子たちです。タルソのラビ・サウロ(パウロ)はこのヒレル学派で学んでいました。

パリサイ人たちは多くの事に関して正しかったのですが、ある問題を抱えていました。

そのひとつは口伝律法(*2)でした。彼らは自分たちの伝統に聖書と同じ権威を持たせたのです。

もうひとつの問題は彼らの目を盲目にさせた宗教的なごう慢さでした。パリサイ人は物質主義的な貴族社会を作り、自分の羊を養わずに、自分たちの地位を高めていました。

ミドラッシュ

パリサイ人たちはミドラッシュを理解していました。彼らはラビ・ヒレルが考案した七つの基準(ミドロット)を理解していました(その内容はかなり以前から存在していたものです)。パリサイ人たちは聖書に隠されている奥義を知っていました。

例えば、1 世紀のユダヤ人クリスチャンがヨハネの福音書を読んだなら、ヨハネ 1・2・3 章が創世記 1・2・3 章に対するミドラッシュであるということを認識していたでしょう。ヨハネの福音書での“新しい創造”は創世記の“創造”に対するミドラッシュなのです。

神は創世記のはじめで地を歩いており、ヨハネの福音書でも神が地を歩いています。

創造において、神はやみと光を区別されました。またヨハネの福音書の新しい創造において神はやみと光を区別されました(ヨハネ 3 章 20-21 節参照)。

創造において、霊は水の上を動いて被造物を生み出しました。『水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。』(ヨハネ 3 章 5 節)――と書いてあるように、ヨハネの福音書において御霊は新しい創造をもたらしにやってきたのです。

創世記では小さな光と大きな光がありました。またヨハネの福音書では小さな光――であるバプテスマのヨハネと、大きな光――であるイエスがいるのです。

創世記ではいのちの木が登場し、それはエゼキエル書、ヨハネの福音書、黙示録に登場します。

ヨハネの福音書では、いのちの木がいちじくの木に象徴されています。ナタナエルが『どうして私をご存じなのですか』(ヨハネ 1 章 48 節)と聞いたとき、イエスは『あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです』と言われました。ユダヤ人の象徴、ミドラッシュによって、イエスが彼に言おうとされていたことは、ただナタナエルが文字通りいちじくの木の下にいたということだけではありません。(もちろんそのことも含まれています)イエスはナタナエルに「わたしはあなたを創造のときから見ていた。この世のはじまりからあなたを知っていたのだ」ということを言っていました。

イエスはパリサイ人たちに向かって、『おまえたちは知識のかぎを持ち去り』(ルカ 11 章

52 節)と言われました。それはこれらのことを理解するためのかぎだったのです。

教会は何世紀にも渡ってこの知識のかぎを失っていました。教会はユダヤ人の書物を異邦人の書物として読み、ヘブライ的なものをヘレニズム的に読もうとしてきたのです。

私たちの解釈の方法は西洋の影響を大きく受けています。その読み方は 16 世紀の人間主義から来ており、新約聖書の著者たちからのものではありません。

新約聖書が旧約聖書を扱っている方法を見てください。そうしたときに分かるのは、教会が一部の理解しか持っていないということです。私たちの文法的・史実的な読み方は、中世ローマ・カトリックのグノーシス主義(*3)とスコラ学(*4)に対する反発なのです。

原点に戻るためのかぎは、使徒たちが理解していたように、聖書がユダヤ人的な書物であ

ることを再び認識することにあります。

福音書の中でイエスはみことばを理解するためのかぎを取りました――そのかぎとはパリサイ人たちが政治的、財政的、社会的な権力の基盤としてきたもので、それを用いて自分たちをエリート化し、宗教的な貴族制を作り出してきたものです。イエスはそのかぎを取って一般の民衆に与えました。

そのためにパリサイ人たちはイエスを嫌いました。彼らは本来であれば一般の者たち、民衆を養うべきでしたが、そうはしませんでした。

イエスが少年の頃、バル・ミツバ(*5)のためにエルサレムに上られたときのことを読むとそれが分かります。大人たちは彼の知恵に驚嘆していました。彼らはどこでのこのような知恵を得たのだろう。この子はどうやってミドラッシュを学んだのだろうと思っていました(ルカ 2 章 47 節)。

イエスは聖書を理解するための知識のかぎを一般民衆に与えました。

例をあげると、イエスはイザヤ5 章1 節から7 節のぶどう園のたとえを繰り返されました。

マタイ 21 章 33 節から 46 節では、『祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。』とあり、なぜ彼らがそのことに気づいたかというと、ミドラッシュを理解していたからです。

一方でイエスは、自分の弟子たちにはたとえの意味を個人的に教えられました。そのためにパリサイ人たちは彼を嫌ったのです。イエスはパリサイ人たちの手の内を明かしていました。

サマリヤでのユダヤ人ラビ

今日、厳格な長老派の牧師が――オレンジ色の帯を付け長い帽子をかぶって、カトリック教徒の多いイギリスの西ベルファストを歩かないように、普段サマリヤを通るユダヤ人ラビを見かけることはありません。

過越の時期にエルサレムから戻って来るラビが、ガラリヤ湖を背にして、サマリヤを通るということも同じことなのです。その行為は当時ラビたちが常識と考えていたことと正反対のことでした。

今日まで、正統派ユダヤ人たちは次のように祈ります。「神よ、私が犬や異邦人、女として生まれなかったことに感謝します」(キリスト教とユダヤ教が女性差別をしていると思っている人は、異教が行われている地での状況を見る必要があります。そこで女性は所有物であるかそれ以下です)

イエスはこのサマリヤ人の女に会うために、すべての社会的な慣習に反する行動を取りま

した。イエスは彼女に対して心を開いており、愛情深く、彼女のことを気遣っておられ、

直接的に関与され、ご自身のことを明かされました。その時点では自分のユダヤ人の弟子たちに対するよりも多くのことを彼女に明かされました。イエスは自分がメシアであることをはっきりと告げたのです。

二つの悪

イエスは彼女に生ける水を与えることを望んでおられました。ここで用いられているのはミドラッシュの考え方です。イエスがなされたことはエレミヤ 2 章 13 節から取られています。

『わたしの民 [ユダヤ人] は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。』(エレミヤ 2 章 13 節)

エレミヤはユダヤ人が二つの悪を行うことを予告しました。最初の悪は湧き水の泉であるメシア(聖霊を与えられる方)を捨てるということ。二つ目の悪は自分たちで水をためることのできない、こわれた水ためである他の宗教を作るということです。

今日のユダヤ教はラビ的ユダヤ教というもので、モーセとトーラーを基にしたユダヤ教で はありません。神殿も無ければ、祭司制度も無いのです。それは人が考案した宗教であり、何世紀にも渡って発達した宗教なのです。

ローマ・カトリック教が新約聖書のキリスト教でないのと同じように、ラビ的ユダヤ教はタナク(*6)のユダヤ教ではありません。

正統派のすべてのシナゴーグ(会堂)の屋根には、“イ・カボデ(ichabod)”――栄光は去ったと書かれています。彼らは神殿が崩壊したことを知っているのです。

ユダヤ人クリスチャンは過越の祭りに子羊を食べて祝います。彼らはひとりの大祭司がいるのでそうすることができます。その大祭司の名はイェシュアです。

一方で、正統派ユダヤ人や他のユダヤ人は過越の祭りに鶏肉を食べます。それは彼らが過越の祭りを正しく守ることができないという証となっています。

ラビ的ユダヤ教の始まり

ダニエル 9 章 26 節には、メシアは第二神殿が破壊される前に来て、死ななければならないと書かれてあります。そのときに旧約聖書のユダヤ教は終わったのです。

タルムードを読むと、贖いの日(ヨム・キプール)に至聖所の前に緋色のひもが吊るされ

ていたとあります。その緋色のひもの色が白く変わると、人々の罪は赦されたということを示していました。タルムードの中で、神殿が破壊されるまでの 40 年間、そのひもの色は白く変わらなかったということが記されています。言い換えると、イエスの時代からユダヤ人の罪は赦されなかったということです。(この話はタルムードの中に記されてあり、ラビたちもこれを認めています)ユダヤ人たちは律法ののろいの下にいます。

新しい宗教がヤブネ(パレスチナにある町)で始まりました。それを始めたのは、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイといって、ヒレル学派でタルソのラビ・サウロ(パウロ)と一緒にラビ・ガマリエル(ラビ・ヒレルの孫)から教えを受けていたパウロの級友です。

当時その学派には数多くの著名なラビがいました。そのひとりはラビ・オンケロスであり、聖書のタルグムという翻訳を行った者です。

しかしその中で、疑う余地がなく有名だったラビは、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイとタルソのラビ・サウロの二人でした。神殿が崩壊した後、すべてのユダヤ人がこの二人のラビどちらかに従ったのです。

当時、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイは後にラビ的ユダヤ教となるものの兆しをもたらしました。ラビ的ユダヤ教はレビ人の祭司制度をラビに、神殿をシナゴーグと取り替え、トーラーのほとんどを自分たちの伝統や非聖書的な書物と置き換えてしまいました。

ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイはその名を“力強い金槌”として知られていました。彼が死の床にあったとき、弟子たちが来てみると泣いているのに気づきました。彼らがなぜ泣いているのかと聞くと、「私はもうすぐ“ハ・シェム(*7)”に会おうとしている。その御名がほめたたえらえるように。私の前には二つの道が用意されている。ひとつはパラダイスに続いており、もうひとつはゲヘナに続いている。私は自分がどちらを宣告されているのか分からないのだ。そのために涙を流している」と彼は言いました。

ラビ的ユダヤ教の創始者は死が迫っているときに、救いの確信がなかったのです。一方で彼の級友であったタルソのラビ・サウロは次のように言いました。

『私が世を去る時はすでに来ました…今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。』(2 テモテ 4 章 6 節-8 節)

ミドラッシュ ― つながりを見出す

ユダヤ的な観点で聖書を読むとき、二つのことが地理的に同じ場所で起ったとき、たいていの場合、そこには神学的・霊的なつながりがあります。

例えば、ダビデ王はベツレヘムにおいて生まれ、“ダビデの子”であるイエスもベツレヘ

ムで生まれました。

エリヤとエリシャ、バプテスマのヨハネはみな同じ霊を持っていました。エリヤの奉仕はエリコの平原で終わり、エリシャはその同じエリコの平原で奉仕を開始し、バプテスマのヨハネもその奉仕をエリコの平原で行いました。

井戸のそばにいたリベカ

1 世紀のクリスチャンなら、ヨハネ4 章を理解するために、旧約聖書のどの箇所で女が井戸のそばにいたことがあったかを考えたことでしょう。「以前このようなことはどこで起こったのだろう?イエスさまはそれをどのように成就したのだろうか?」

ミドラッシュは同じような出来事が以前どこで起こったかを問います

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私たちは象徴やたとえに基づいて教理を作りはしません。私たちは象徴やたとえを用いて、聖書の他の箇所にはっきりと記されている教理を論証するのです。私たちはグノーシス主 義には陥っていません。

ミドラッシュを理解するためには、何かが起こったとき、その場所で以前何があったかをさかのぼって見る必要がります。

アブラハムが老齢になったころ、彼は息子の花嫁を探すためにしもべを遣わしました(創世記 24 章)。アブラハムは贈り物――宝石――をらくだの背に乗せました。それは自分の親類に与えるため、またそのしもべがアブラハムに遣わされた者だということを証明するためでした。

父はその子に花嫁を準備するためにしもべを遣わしました。神はイエスのために花嫁を整えるため、聖霊を遣わしました。(それは神の三位一体を示すものだったのです)

そのしもべはイサクの花嫁となるべく定められた者を見つけられるように、神に導かれるよう祈りました。

『こうして彼がまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはアブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘であった。この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉 [井戸] に降りて行き、水がめに水を満たし、そして上がって来た。

しもべは彼女に会いに走って行き、そして言った。「どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」』(15 節-17 節)

リベカの兄のラバンは最初、そのしもべのことを信用していませんでしたが、アブラハム

からの贈り物を見たとき確信を持ちました。

『その娘は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。その娘は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。リベカにはひとりの兄があって、その名をラバンと言った。ラバンは外へ出て泉のところにいるその人のもとへ走って行った。

彼は鼻の飾り輪と妹の腕にある腕輪を見、また、「あの人がこう私に言われました」と言った妹リベカのことばを聞くとすぐ、その人のところに行った。すると見よ。その人は泉のほとり、らくだのそばに立っていた。

そこで彼は言った。「どうぞおいでください。主に祝福された方。どうして外に立っておられるのですか。私は家と、らくだのための場所を用意しております。」』

(創世記 24 章 28 節-31 節)

贈り物(賜物)はしもべが御子の花嫁を得るために遣わされたことを証明するものなのです。(これは使徒の働きでのことです)

“井戸のそばにいる女”というこのテーマは、ヨハネの福音書においてもう一度表れています。それは『ヤコブは私たちにこの井戸を与え…』と言った女です(ヨハネ 4 章 12 節)。

井戸のそばにいたラケル

『ふと彼 [ヤコブ] が見ると、野に一つの井戸があった。そしてその井戸のかたわらに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。

その井戸の口の上にある石は大きかった。群れが全部そこに集められたとき、その石を井戸の口からころがして、羊に水を飲ませ、そうしてまた、その石を井戸の口のもとの所に戻すことになっていた。

ヤコブがその人たちに、「兄弟たちよ。あなたがたはどこの方ですか」と尋ねると、彼らは、「私たちはハランの者です」と答えた。それでヤコブは、「あなたがたはナホルの子ラバンをご存じですか」と尋ねると、彼らは、「知っています」と答えた。

ヤコブはまた、彼らに尋ねた。「あの人は元気ですか。」すると彼らは、「元気です。ご覧なさい。あの人の娘ラケルが羊を連れて来ています」と言った。

ヤコブは言った。「ご覧なさい。日はまだ高いし、群れを集める時間でもありませ ん。羊に水を飲ませて、また行って、群れをお飼いなさい。」すると彼らは言った。

「全部の群れが集められるまでは、そうできないのです。集まったら、井戸の口か

ら石をころがし、羊に水を飲ませるのです。」』(創世記 29 節 2 節-8 節)

復活の後に石がころがされるまで、聖霊は与えられませんでした。

ラケルとレアのように

ヤコブはふたりの妻を持ちました。彼はラケルを望みましたが、最初にめとったのはラケルではありませんでした。彼はレアをめとったのです――彼女は本来の目的ではありませんでした。

ヤコブがレアをラケルと同じように愛せるようになってから、その後にラケルをめとることができました。最初はレアが子どもを多く産みましたが、最終的にはラケルの胎が豊かに祝福されました。

イエスはユダヤ人のために来ました(ヨハネ 1 章 11 節)。しかし、彼は異邦人の教会をめとり、彼らをイスラエルやユダヤ人と同じように愛せるようになってからしか、ユダヤ人をめとることはできません。

その後ローマ 11 章にあるように、ユダヤ人はイエスの元に帰ってきて、イスラエルは花嫁となることができるのです。

最初は異邦人の教会が子どもを多く産みましたが、最終的にはイスラエルが実り豊かなぶどうの木となります(ローマ 11 章 25 節-26 節)。

ルツ記は“シャヴォート(七週の祭り――ペンテコステ)”の時期にシナゴーグで朗読されます。ルツ記とは、裕福な男がユダヤ人の妻をめとり、ベツレヘムで生まれたその子が買い戻す者(贖う者)と呼ばれるという話です(ルツ記 4 章 14 節)。

そこで人々はボアズに向かって言いました。

『どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように』(ルツ記 4 章 11 節)

このように彼らが言ったのは、教会がユダヤ人と異邦人とで構成されるべきものだからです。

霊的な次元で語る

ヨハネの福音書では、ナタナエルに始まりニコデモに対しても繰り返されていることがあ

ります。それはイエスが霊的な次元で語っていたということです――新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません――しかし、それを聞いていた人々は物質的な意味にとっていました。『もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか』(ヨハネ 3

章 4 節)

このことの例はヨハネの福音書を通して見受けられます。また他の福音書にも見られることですが、新約聖書の中ではヨハネの福音書において一番目立つものとなっています。

イエスがベテスダの池の近くにいた足なえをいやしたとき、彼にこう言われました。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』(ヨハネ 5 章 8 節)この男がいやされて床が必要でなくなったのなら、なぜイエスは「床を取り上げて歩きなさい」と言われたのでしょうか。なぜなら、床とは十字架の象徴であるからです――これから自分の体をずっと離してはならなかったからです。

言い換えると、イエスはミドラッシュ的に「あなたの十字架を取り、わたしについてきなさい。十字架の道を歩みなさい」と言われていました。

イエスはしばしば霊的な次元で物事を語られましたが、話しかけられた人たちは物質的なことしか考えていませんでした。井戸のそばにいた女も同じようです。

イエスが彼女に会ったとき、彼はすべての社会的な慣習を破って彼女の存在を認めていることを示しました。そして、まだご自分の弟子たちにさえも明かしていないことを彼女に明らかにしたのです。

イエスは、ユダヤ人から見て不道徳で、しかもサマリヤ人だと忌み嫌われていた女に大きな愛を示し、彼女を受け入れる心を示されました。

罪の贖われる方法

ふたりは会話をし始めました。彼女はユダヤ人が信じている多くのことを信じているようでした。彼女は族長たちを尊敬しており――私たちの父ヤコブと言い、トーラー(モーセ五書)を信じていました(サマリヤ人たちは聖書すべてを聖典としませんでしたが、トーラーを固守していました)。また彼女はユダヤ人と同じように、メシアが来ることを信じていました。

最終的に彼女はイエスがメシアであることをはっきりと信じさえしました。

ある人はこう言うかもしれません。「それで十分じゃないか。彼らは聖書を持っているし、族長を信じていて、イエスを信じているのだから。何かいけないところがあるのです か?」

しかし、その女はすぐさま『私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます』(ヨハネ 4 章 20 節)と言いました。イエス

はこれに対してどう言われたのでしょうか?

これは土地の問題でも、周辺的な問題でもありません。これは中心的な問題です。罪はどこで贖われるのでしょうか?

罪はどのように贖われるのでしょうか?ということです。

ローマ・カトリック教会は、救いが主に洗礼とざんげの秘蹟によって与えられると教えています。

これは秘蹟主義や洗礼による再生と呼ばれるものです。

救いは秘蹟によって与えられるものではありません。救いは生まれ変わることによって与えられます。

『しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。』

(ガラテヤ 1 章 8 節)

パウロはそのような人たちから離れなさいと書いています。それは彼らと何の関係を持たないということです。それが神の御使いであっても退けるべきなのです。モーセが岩を杖で打ったとき(出エジプト 17 章 6 節)、水が溢れ出しました。それはイエスが十字架にかけられて、聖霊が与えられることと同じことでした。

モーセがその岩を二度打ったために(民数記 20 章 11 節)、彼は約束の地に入ることができませんでした。それは大きな罪と見なされました。まさにイエスをもう一度十字架につけるようなことだったのです。

モーセが岩を二度打ったことは、

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イエスをもう一度十字架につけるようなことでした

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ローマ・カトリック教会はミサを行うごとに、何度もその“岩”を袋叩きにしているのです。彼らはミサがカルバリの丘でささげられたのと同じいけにえだと主張します。ということは、イエスは何度も何度も死ぬということなのです。

これがローマ・カトリックの教えです。

ただ一度だけで

私たちの大祭司は『まず自分の罪のために、その次に、(旧約のもとで)民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。』(ヘブル 7 章 27 節)

イエスはただ一度だけ死なれました。カトリック教会のミサの教えのように毎日死ぬとい

うものではありません――彼らはミサが同じいけにえだと主張し、キリストは礼典的に死なれると主張しています。

『また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』(ヘブル 9 章 12 節)

『キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。』(ヘブル 10 章 14 節)

サタンは絶えず、クリスチャンに十字架の完全さを否定させようとします。サタンに歪められたキリスト教のすべてが何らかの形で十字架を否定しています。

すべての欺きは信者であるあなたを十字架から離れさせるのです。

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すべての欺きは信者であるあなたを十字架から離れさせます

繁栄だけを約束する説教者たち(ヘーゲンやコープランドなど)は、イエスが地獄に下り、そこでサタンと同じ性質を持ち、地獄で生まれ変わったと教えています。そこでイエスが勝利を得たと言うのです。

彼らの考えは十字架が救いにおいての中心でないために、十字架が信仰生活の中心でなくなっています。聖書が教える生き方とは、十字架を取りイエスに従い、十字架につけられた生活をすることです。

エホバの証人は十字架のことを“苦しみの杭”と呼びます。彼らはそれを十字架とさえ呼

びたがりません。彼らは救いが自分たちの組織から与えられると信じています。

また、内なる癒しと解放という分野で教えられていることのほとんどは、一種の巧妙な霊的誘惑であり、十字架の完全さを否定するようになっています。このことを信じている人たちは、祖母が占い師であったりする人(信者)を見つけては、彼らにそののろいから解放され、救い出されなくてはならないと言います。

聖書に基づいた癒し

聖書の中にあるすべての癒しは、ふたつのことに基づいています。それは赦しと十字架です。

人が私に対して何をしたかに関わりなく、私は神に対して最も酷いことをしました。私が

どれだけ傷つき退けられたかに関わらず、私は神に対して最も酷いことをしました。

神は私を赦したいと願っておられ、私も赦してほしいと望んでいます。しかし、そうなるためには条件があります。それは私が他者を赦すための恵みと力を神に求めることです。これがクリスチャンの内なる癒しの最初の基礎です。

二つ目は、『このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。』(ローマ 6 章 11 節)という原則です。

私たちはキリストと共に十字架につけられました。あなたは新しく造られた者です。昔虐待された子どもであっても、夫に捨てられた妻であったとしても、どんな人であったとしてもその人は死にました。あなたは新しく造られた者です。

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(2 コリント 5 章 17 節)

悪魔は絶えず、十字架の完全性を忘れるように仕向けさせます。彼のすることといえば、古い人を掘り返し、何らかの形で古い人のままで生きさせようとすることです。

私はここで、そのような良くない環境にいた人たちが色々な方法でのカウンセリングや、回復するための手段、助けを必要としないと言っているのではありません。そのような人たちは手助けを受けることが必要です。しかし、その基礎はいつも二つの原則、赦しと十字架となるべきなのです。

ローマ・カトリックもまたイエスの十字架の完全性を否定します。

イエスと井戸のそばの女はただ「私たちにはこの山があって、あなたたちにはあの山がある」と言っていたのではありません。

問題はどこで罪が贖われるのか。私たちはどのようにしたら赦されるのかということです。

イエスはその話を進める前に彼女に言いました。「女の人。あなたは良い人だ。わたしはあなたを悪く思っていない。あなたと会話をするためにすべての社会的な風習に反した。なぜなら、あなたはサマリヤ人で、女であり、遊女のようであるからだ。わたしはあなたと話をするためにすべてのマナーを破った。しかし、言っておかなければならないことがあります。救いはユダヤ人から来ます」

霊とまこと

イエスは霊とまことが大切だと言われました。彼女は正しい霊を持っていましたが、まこ

とを持っていませんでした。おそらくパリサイ人たちはまこと(真理)を持っていたでし

ょう。しかし彼らは正しい霊を持っていませんでした。

神にとって比較的容易なのは、正しい霊を持っている人たちにまことを与えることです。たいていの場合、まことだけを持っている人に正しい霊を与えることは容易ではありません。

それは極端なカルヴァン主義を持った人たちの態度の中に見ることができます。予定説とそこから発生するエリート意識はしばしば人種差別という形となって現れます。

実際に、超カルヴァン主義の教会がずっと存在していた場所のすべてに、社会的な不公平の歴史がありました。超カルヴァン主義が存在したアメリカ南部では人種差別と奴隷制があり、また超カルヴァン主義のオランダ改革派教会があった南アフリカにはアパルトヘイト(人種隔離政策)がありました。同じ超カルヴァン主義を持った厳格な北アイルランドの長老派の地域もそうです。これはカルヴァンのジュネーブでの警察国家にさかのぼることなのです。

人が食べるものではない

イエスは井戸のそばの女に対して、悪霊につかれた娘を持つスロ・フェニキヤの女に対するとのと同じような態度を取りました。『子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。』(マルコ 7 章 27 節)

表面的にはイエスはひどい人種差別をしていたかのように見えます。しかし、私は保証しますが、イエスさまはユダヤ人の少女と同じように、スロ・フェニキヤの少女を愛していました。

イエスがその女に言っていたことというのは、「あなたの宗教は人の食べるようなものではない。あなたがそのようなものを信じている限り、わたしが持つものを与えることはできない」ということなのです。

イエスさまは会話を先へ進める前に、彼女が信じる偽りの宗教を正しました。

ローマ・カトリックは人にはふさわしくありません。偶像礼拝をすることや、死者に向かって祈ることは忌むべきことです。救いは秘蹟によって与えられるものではなく、私たちために十字架上で流されたイエスの血から来ます。

霊とまこと。正しい霊を持たないなら、まことだけでは十分だといえません。またまことを持っていなければ、正しい霊だけで十分ということはありません。

イエスさまは何と言われたでしょうか。「女の方よ。救いはユダヤ人から来ます。あなたがたは知らないで礼拝しています。まことは彼らのものです」

救いは福音主義からやってきます。ローマからではありません。この井戸のそばの女のようなローマ・カトリック教徒たちが多くいます。正しい霊を持つ人たちです。

使徒の働きで、使徒たちがユダヤ人に退けられたとき、多くのサマリヤ人たちが福音に対

して心を開き始めました。同じように今日多くのローマ・カトリック教徒が心を開いています。

カトリック教徒たちの中で働かれる神

カトリック教国の中で神さまは働かれています。イギリスでペンテコステ派は衰退する一方で、イタリヤやフィリピン、ブラジルなどにいる何百万のカトリック教徒たちがキリストに導かれています。

ヨーロッパでは、宗教改革の影響が全くなかった東方正教会やカトリック教国の中で教会は成長しています。現代のアイルランドでは、プロテスタントよりも多くのカトリック教徒たちがキリストに導かれています。

同じことがイタリヤやスペイン、ポルトガル、ルーマニア、アルバニア、ロシアなどの宗教改革の影響を全く持たなかった国で起こり、福音は前進しています。

それではどのような場所で教会は衰退しているでしょうか?イングランドやウェールズ、スコットランド、オランダ、ドイツ、スイス、スカンジナビアなど、何世紀にも渡り真理を持っていた場所です。

カトリック教徒たちは正しい霊を持ち、まことを得たいと望んでいます。彼らは飢え渇いているのです。神はカトリックの人たちを愛しています。彼らは未来を代表していて、プロテスタント主義は過去のものとなってしまいました。

チリのサンチアゴでは毎週 2 万人もの人が救われ、ローマ・カトリック教会を離れていった時期が最近ありました。フィリピンでも同じようなことが起こっています。

グアテマラでは過去 10 年間で、人口の 10 パーセントがローマ・カトリック教会を去っています。

このようなことが起こっているので、教皇は事態を取り繕うためにその国々へと向かいます。

「アヴェ・マリア あ~会えて嬉しいや

どうか去って行かないで」

イエスは何と言われたか

イエスは何と言われたでしょうか。イエスはカトリック教徒たちに対してリック・ウォレ

ンのように話しかけられたでしょうか?またダーリン・チェックやヒルソングのようにカトリック教徒たちに話しかけられたでしょうか?

(注…日本のキリスト教書店では、マザー・テレサやザビエルの映画を販売して、まるで彼らが聖書的な救いの道を知っていたかのように思わせています)

「死者に向かって祈ってもよろしいですよ。救いの教理が違ってもかまいません。聖書とイエスを信じていればそれで十分なのです」と彼らは言います。

それは間違っています。十分ではありません。救いはユダヤ人から来ます。その山ではなく、あなたの罪が赦されるのはそのような方法ではないのです。秘蹟は罪を贖いません。

これがイエスの言われたことです。そして私たちもカトリックの人たちを愛するならば、同じことを彼らに言うべきです。

エキュメニズム

『ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」しかし、ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちは、彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」』(エズラ 4 章 1 節-3 節)

エキュメニカル運動は何を主張しているのでしょうか?

「私たちもあなたたちといっしょに建てたい。私たちはみなひとつじゃないか。イエスを 信じ、聖書も持ち、あなたたちの信じていることを信じています。妊娠中絶にも反対だし、同性愛にだって反対していますよ(私たちの中の多くの祭司は同性愛者だけど)」

ヒゼキヤは良い王でしたが、ひどい間違いを犯しました。自分の宝をバビロンの王に見せてしまったのです。そのことがあってから、イザヤが予告したようにバビロンの王が来て宝を奪っていきました。

福音派がローマと宝を共有してしまうと、その宝はいつかローマによって奪い去られるこ

とでしょう。ローマ・カトリックのエキュメニズムについての文章のすべてが同じこと、

ローマに戻ることについて書いています。彼らは公にそれを認めています。何も分かっていないのは思慮のないプロテスタントだけです。

人々はエキュメニズムがリバイバルをもたらす方法だと言い、ローマ・カトリック教徒たちが救われる方法だと言います。

しかし、ローマ・カトリック教徒が救われている場所(ブラジルやメキシコ、フィリピンなど)を見ると、その何千、何万、何百万もの人たちがローマから出てきたことが分かります。その人たちは「私たちはバビロンから去って来ました。今私たちはクリスチャンです」とあなたに言うでしょう。

エキュメニズムという異端を受け入れている社会はほとんど次のような社会です。過去にキリスト教国だった社会、そしてもはや真理に立っていないカリスマ派運動、みことばを知らない指導者たちやみことばに気を留めない指導者たちのいる社会です。

「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい」と彼らは言うでしょう。しかし、ゼルバベルとヨシュアは言います。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない」

グノーシス主義

ローマ・カトリックはグノーシス主義を基礎にしていることを思い出してください。グノーシス主義を信じている人と関わりを持つとき、彼らは同じ用語を使っていますが、彼らにとっては違う意味を持っています。

例えば、ニューエイジ(基本的にグノーシス主義)に関わっている人と話すとき、あなたが「私は光を見た」と言うと、彼らも「私も光を見ましたよ」と言うでしょう。

私たちにとって光とは唯一イエスのみ(ヨハネ 1 章 9 節)ですが、彼らには違う定義があり、内なる自己が照らされたことという意味で使っており、どちらも「光を見た」と言うのです。

また復興主義者たちが“神の国”や“勝利”といった言葉を使うとき、聖書と違う意味をもたせて使っています。

ローマ・カトリックとプロテスタントの神学者たちのエキュメニズム的な会議では、プロテスタント側が「私たちは恵みによって救われた」と言うと、カトリック側も同意して「私たちも恵みによって救われました」と言うでしょう。

英語の“グレース(恵み)”という言葉の意味は“受けるに値しない恩恵”というものです。ヘブライ語で恵みを表す言葉は“ケセッド(chesed)”というもので、“神の契約の中にある慈しみ”という意味です。またギリシア語で“恵み”とは“カリス(charis)”であり、

“賜物”を意味します。

つまり、福音派が「私たちは恵みによって救われた」と考えるとき、神の賜物、契約の中

にある神の慈しみ、自分たちが受けるに値しない神の恩恵について考えているのです。

しかし、ローマ・カトリックにとって“恵み”とは秘蹟によって得られる、何かこの世のものではない物質なのです。

なので、彼らはどちらも同意して「私たちは恵みによって救われた」と言う一方で、その用語に対する二つの違う定義を持っているのです。

水がめは置いていくが、その中にいる人たちは

霊とまこと。サマリヤ人の女はイエスが言われた生ける水に関しての言葉をそのまま受け取りました。

『女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」』(ヨハネ 4 章 28 節-29 節)

彼女はイエスに会った後自分の水がめを置いて、町の中の人たちのもとへと行きました。 彼女は自分の宗教を置いていきましたが、その中にいる人たちは置いていきませんでした。改心したローマ・カトリック教徒はローマ・カトリック教会を去るべきですが、その中に いる人たちは置いていってはなりません。

唯一の仲介者

救いは秘蹟によっては与えられません。生まれ変わらなくてはならないのです。ローマ・カトリック教会は、救いが秘蹟によって与えられると教えており、膨大な数の人たちを地獄に引き込んでいます。

マリアに祈ることは死者に向かって祈ることであり、神にとって忌むべきものです。ロザリオの祈りの中では、ひとつの祈りの中で 10 回はマリアに対して祈っています。

『女の中の祝福された方…』これは事実です。しかし「聖なるマリア、神の母」ということは聖書には出てきません。それは神に対する冒涜です。

「今我々罪人たちのために祈ってください。また私たちの死の間際にも」これはイエスとマリアを取り違えることです。聖書は『神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです』(1 テモテ 2 章 5 節)と言っています。

聖書はまたイエスのみが唯一の贖い主であると言います。しかしローマはマリアが共贖者

(イエスと共に罪を贖う者)であると言います。これらすべてのことはバビロンを起源と

する異端の宗教からやってきました。聖書からではありません。

ローマ・カトリックの中でも本当にイエスを愛し、神を求めている人たちがいます。正しい霊を持つ人はまことを受け入れます。しかし、正しくない霊を持つ人はまことを受け入れません。

答えられないほどの疑問

ローマ・カトリック教会の枢機卿であったヘンリー・エドワード・マニング(1808-92)は自伝の中で、祭司として人々がローマ・カトリック教徒になる何千もの理由を知っていると書きました。

しかし、彼は人々がローマ・カトリック教会を去る理由をひとつだけしか知りませんでした。それは神のことばを読み、結局どの祭司も答えられなくなるような疑問でいっぱいになる場合でした。

学者たちは少なくとも、カトリックの儀式の 70 パーセントが異教から来ていると言ってい ます。ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿は、彼の論文『キリスト教という宗教の発達』の中で「聖域や香、燭台、奉納の供え物、聖水、聖日、勤行の時期、行進、土地への祝福、聖職者の祭服、剃髪式(祭司や修道僧、修道女などの)、像などはすべて異教から来たも のである」と書いています(p.359)。

カトリックの中で最も偉大な二人の神学者、トマス・アクィナスとヒッポのアウグスティヌスは無原罪懐胎(マリアが原罪の無い状態で生まれたとする説)を否定していました。カトリックの聖者である聖ベルナルドは化体説を否定しました。ローマ・カトリック教会の中で生まれ変わったと主張し、真理を示されたときにそこを去ろうとしない人たちは、初めから救われていないか、反抗心へと陥っている人たちです。

正しい霊を持ったローマ・カトリック教徒がまことを聞くと、彼らはそれを喜んで受け取ります。

世界中に井戸のそばの男と女がいて彼らはイエスを待っています

そして私たちを待っているのです

(*1) ガバタ=エルサレムの総督官邸にある舗装された地域。ピラトがイエスを十字架に

かけるためにサンヘドリンに彼を渡した場所

(*2) 口伝律法=モーセ五書に関する教えや格言を集めたもの。律法についての“ここまでして良い”という境界を定める注解書の役割をなしている

(*3) グノーシス主義=救いが信仰や行いによらず、神秘的な知識を得ることによるとする教え。(グノーシス=ギリシア語で知識の意味)

(*4) スコラ学=中世ヨーロッパで後に“スクールマン”として知られるようになる学者たちが発達させたキリスト教哲学・神学のこと

(*5) バル・ミツバ=文字通りには“義務の子”。ユダヤ教で大人の一員として認められるためになされる儀式

(*6) タナク(Tenach)=旧約聖書のヘブライ語の名称。トーラー(モーセ五書)、ネヴィーム(預言書)、ケトゥヴィーム(文字通りには“諸書”、詩篇や、特定の歴史・知恵文学)の頭文字を取った言葉

(*7) ハ・シェム=文字通りには“その名”を意味するヘブライ語。ユダヤ人が神の名を口にすることを避けるために一般的に使っていた婉曲表現