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Moriel is an international multi-faceted ministry of Jewish and non-Jewish regenerate believers one in Jesus the Messiah and is committed to the evangelization beginning with the Jews and also people of other faiths including Islam, Hinduism, Buddhism, and theologically deviant expressions of Christendom including Roman Catholicism (which we view as aberrational much as we deem Talmudic Judaism to be likewise largely unscriptural).

Christian Cult - Japanese

l イントロダクション

マタイ 24 章・ルカ 21 章のオリーブ山の訓戒でイエスさまは偽教師、偽預言 者、偽クリスチャンに関して警告されました。 私が救われて間もなかった頃、 その箇所を読むと私の頭の中にはエホバの証人やモルモン教などのことが浮か びました。今世紀になって、また特に過去この 20 年間でカルトが急増している ことは紛れもなく聖書の預言した通りであり、そのことに疑問はありません。 ですが、それはイエスさまが主に警告していた偽教師や偽預言者ではありませ ん。イエスさまは終わりの時代に現れ、選ばれた者たちをも騙そうとする者た ちのことを語っていました(マタイ 24 章 24 節)。 

もちろん選ばれた者たちが騙されるなんてあり得ないという人たちがいます。 ですがそれ自体が嘘です。起こりもしないことをイエスさまが何度も警告する ことはありません。それはそうとして、イエスさまはクリスチャンを騙す人た ちに関して警告していました。モルモン教やエホバの証人に騙される人がいる なら、それは救われて間もない人か、物事を何も知らない人たちです。救われ て 3 年、4 年、5 年経った人たちはそのような人たちの犠牲にはなりません。

l 人から始まる カルトにも神学的な「カルト」と社会的な「カルト」があります。ですが、

この二つはどこかの時点で必然的に合流し、ひとつとなります。

あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私 はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。 キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけ られたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたの はパウロの名によるのでしょうか(1 コリント 1 章 12 節-13 節)

人々は「パウロにつく」、「ケパにつく」、「アポロにつく」と言っていました。

「私はキリストにつく」と言っていた人たちは「どんな指導者をも認めず、指

導者の必要性も感じない。イエスが私たちのリーダーだ。牧師の権威など認め ない」と考えていました。人々は「私はあの人につく、あの人につく」と言い、 人を教祖に祭り上げてしまいました。

カルトの行うことは、関心を人間に向けること、時には死人に向けることで す。今日のカルト――福音派のカルト――でも創始者が生きていた時より、死 んだ後のほうが人気のあるカルトが存在します。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッドはウィリアム・ブランハム(William Branham ※1)が生きていた時にも彼の考えを退けました。E・W・ケニヨン

(E. W. Kenyon ※2)の考えはペンテコステ派主流にとっては忌むべきもので した。「神の子たちの現れ・後の雨運動」、「再建主義、神の国は今」などのよう

なものは、40年代から50年代のアッセンブリーズ・オブ・ゴッドを含め、ペン テコステ派主流によって一般的に退けられていました。カルトと見なされてい たのです。これらかつてはカルトや異端と見られていたものは、現代急激に台 頭してきており、今日でもブランハムを信奉する者たちがいます。

カルトのリーダーは死んだ人物であることもあります。それはエホバの証人 やモルモン教のようなカルトのことではなく、真実の福音を信じる人たちのカ ルトです。人がそのような団体の中で救われると問題が発生します。モルモン 教徒が救われても何ら問題はありません。ジョセフ・スミス(Joseph Smith) は偽預言者だと分かっているので、モルモン教全体も偽りの道に入っているこ とが分かります。エホバの証人が救われても何ら問題はありません。チャール ズ・テーゼ・ラッセル(Charles Taze Russell)も偽預言者だったので、ものみ の塔も終わっています。ですが「クリスチャンカルト」を通して人が救われる と大きな問題が発生します。クリスチャンカルトとは神学的には「教会」です が、社会的に「カルト」である団体です。

そのように神学的にだけ「教会」で、社会的にカルトである団体は次第に異 端的になってきます。背教的な教えに引き込まれていくのです。ですがそのよ うな団体も最初は真実の福音をもって始まりました。

このような団体を通して救われると、人は真に新生したために、指導者が霊 的、心理的な影響を強く持ち、指導者からコントロールされるようになります。

私は「神の子ら(The Children of God)」という団体を通して新生しました。

クリスチャンになって最初の 5 年間はそのような団体と関わっていました。も うひとつは「聖書を理解する教会(The Church of Bible Understanding)」と いうものでした。また別のクリスチャンカルトは「聖書は語る(The Bible Speaks 別名 Greater Grace)」というものでした。そのようなカルトがなぜそ れほど危険かというと、真実の福音を伝えているからです。エホバの証人やモ ルモン教を排除する方法でそれらは排除できません。大きな問題がそこにはあ

ります。その団体に属している人と、そのような団体を通して救われた人は束 縛の下にあります。霊的に、そして心理的にも縛られてしまうのです。

l カルトの第一のしるし パウロなど使徒たちがこのような精神に反対していたことに注目してくださ

い。パウロがあなたを救ったのでしょうか?救いをもたらしたのはイエスであ って、福音であり、教会ではありません。ローマ・カトリック教会は救いの道 具だと自称し、司祭によって執り行われた秘跡によって、人が救われると教え ています(エクス・オペレ・オペラート)。これらの団体はキリストを宣べ伝え ますが、キリストとその団体との区別はつけません。

パウロは後にガラテヤ人への手紙で「肉の行ない」(ガラテヤ 5 章 19 節)「党 派心(20 節)」と呼んだカルトの第一の性質を非難していました。

「党派心、分裂、分派」(ガラテヤ 5 章 20 節)カルトの第一のしるしはパウ ロが「党派心」と呼んだものです。党派心の罪は、特定の団体が自分たちだけ が聖書の真理を握っていると主張するところに発生します。党派心を生むもの のひとつにグノーシス主義があります。グノーシス(Gnosis)とは「神秘的知 識」を表すギリシア語から来ています(1 テモテ 6 章 20 節「霊知」)。

ローマ・カトリック教会内にあるグノーシス主義は「センサス・プレニア

(sensus plenior)」――聖書の「完全な意味」というものです。聖書にはより 豊かな意味があることは事実ですが、ローマ・カトリック教会の主張している ことは、教皇がペテロの後継者であるために、みことばの意味を間違いなく定 義でき、それを基礎に教理を作ることが出来るということなのです。

グノーシス主義においては、聖書の釈義が大事なのではなく、聖書について 語る指導者の言葉が重要視されています。

ジョン・ウィンバーの運動である「ヴィンヤードムーブメント」は初代教会 にも存在したクリスチャンのグノーシス主義に基づいています。例えば、ヴィ ンヤードや後の雨運動、カンザスシティーの預言者などの基本的な教えは、再 建主義であり、「ヨエルの軍隊」と呼ばれるものです。

「町を襲い、城壁の上を走る。 主の命令を行なう者は力強い」

これはいなごに譬えられています。歴史的な背景からこれはネブカデネザル の軍隊で、悔い改めないユダを裁くために神が用いた軍隊です。ですがこれは また黙示録に登場する反キリストの軍隊の象徴でもあります。ヨエル書に登場 したいなごは黙示録でも再び現れています。それゆえ、この軍隊が何であれ、 終わりの時代に登場する反キリストの軍隊であり、ヨエル書 2 章 20 節には「わ たしはこれを滅ぼす。その臭いは天にまで立ち上る。それを西の海に追いやろ う」とあります。ヴィンヤード運動はこれが自分たちだと教えています。神に 裁かれ、滅ぼされる軍隊に入りたいと思う人たちがもしいるなら、ヴィンヤー ド運動に入るべきです。神の子たちの現れや後の雨運動もしかりです。

彼らにとっては聖書が何を語っているかは問題ではありません。神秘的知識 が語ることだけが重要なのです。「神さまが私だけに見せてくださった」という ようにです。

コープランドとヘーゲンは共にケニヨンの教えに頼っています。イエスさま が十字架上で「完了した」(ヨハネ 19 章 30 節)、また「父よ。わが霊を御手に ゆだねます」(ルカ 23 章 46 節)と言ったにもかかわらず、ケニヨン信奉者たち は「十字架上ではイエスさまではなくサタンが勝利を得たという啓示を、私は 受けた。イエスさまは三日三晩地獄で拷問を受け、サタンとひとつの性質とな り、そのサタン付きのイエスさまは地獄で新生し、死人からよみがえった」と 主張します。このようなものはイエスと全くの別人物であり、買い取ってくだ さった主をも否定する偽りの福音です。

繁栄の説教者たちもそうです。「神は私に 啓示を与えて下さった」と言いま すが、これらはみなカルト的です。

それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわ ち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、という

ことです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされ たのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語っ

たのだからです(2 ペテロ 1 章 20 節-21 節)

この節の直後に「パレイサズーシン(pareisazousin)」――「偽りの傍に真 理を置く」というギリシア語が登場します。そのような人たちは聖書預言の解 釈などを自分の解釈次第であるかのようにみなしてしまっています。それゆえ 聖書が何を語っているかが大事なのではなく、その指導者がどう語っているか が重要視されているのです。

l 人の上に立とうとする者たち これらの二つの特徴(党派心とグノーシス主義)が重なれば、第三のものが

来るのも時間の問題です。

イエスさまはニコライ派の行いを憎みました(黙示録 2 章 6 節)。ニコライ

派がどのような人たちであったか歴史から知ることは出来ません。使徒 6 章に 列挙されている執事たちのうちの息子がニコライで、ニコライ派は彼に従って いたのではないかという推測がありますが、誰も分かりません。このような話 は伝承から来たものです。ですが私たちが知ることが出来るのは「ニコライ派」 のギリシア語における意味です。「ニコス(nikos)」は「抑圧」、「ラオディクー ス(laodikeus)」は「民」という意味です。彼らは自分たちを支配層に押し上げ たのです。

次のような主のことばが私にあった。「人の子よ。イスラエルの牧 者たちに向かって預言せよ。

(ヘブライ語で「羊飼い」と「牧師」とは同じ言葉です)

預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。 ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わ なければならないのではないか。あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛 を身にまとい、肥えた羊をほふるが、羊を養わない。弱った羊を強 めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たも のを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で 彼らを支配した。彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野

の獣のえじきとなり、散らされてしまった。(エゼキエル 34 章 1

節-5 節)

聖書的なリーダーシップは模範によるものであり、他者を支配するものでは ありません。イエスさまはこのことでパリサイ人を強く非難しましたが、これ が初代教会にも入り込んでしまっていました。

「党派心」のあるところには大抵の場合、「グノーシス主義」があります。人々 は「あの先生は私たちより聖書に精通しておられるから」と言います。

ある時、本当におかしなことを語る人がいて、完全に異端でした。ですがそ の人は聖書に関して非常に深い洞察力を持っていました。自分の知名度を気に している指導者たちに気をつけましょう。本当に賜物のある人が、自己崇拝す る人々を容認している時には警戒しましょう。人はそのような人に関して「私 たちは先生のしていることが理解できないが、先生は私たちよりも神に近いお 方だ。深い洞察力を持っておられる」と言います。深い洞察力を持っているの は事実かもしれませんが、聖書の語ることと正反対を行っているなら、「あなた がたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい」という状況と同 じです(ヨシュア 24 章 15 節)。ですがそのような時点になると、従っている人 たちはもうすでに強い束縛の下に置かれています。

次に来るものはニコライ派の行い、重いくびきを負わせることです。「我々に 異議を唱え、我々に挑戦するとは君は一体何様のつもりなんだ。君は反抗的な 霊を持っている」と指導者は語ります。

l カルト指導者の人格 法医学の精神科医も同じことを言うと思いますが、カルト指導者の人格は独

裁者の人格とほぼ同じものです。アドルフ・ヒトラーやジョセフ・スターリン を含む多くの独裁者たちに関して、法医学の精神科医による評価が下されまし た。精神科医の一団が 1940 年代のイギリスやアメリカ連合軍に対するアドル フ・ヒトラーやジョセフ・スターリンの人格評価を行った際、彼らはあること について意見が一致しました。それはヒトラーやスターリンは、スターリング ラードの戦い(1942・1943 年)やバルジの戦い(1944・1945 年)で戦う勇気 は持っておらず、強制収容所の人々に強制したことを自分たちが行うのは明ら かに耐えられなかっただろうということでした。

カルト指導者は独裁者のようなもので精神的に不安定です。カルト指導者は 人格的に精神不安定であり、より精神不安定な者たちを回りに集めることによ り、その人たちをコントロールし、彼らを通して人々のもとに行きます。カル ト指導者は、一緒に怒鳴りつけてくれる者無しには、ほとんど誰かと関わろう としません。カルト指導者は基本的に自分の言うことを繰り返すだけのオウム のような人物を送り出します。カルト指導者は精神不安定であり、その部下、 代理人もまた精神不安定で容易に操作されてしまう人たちです。

すべての人が同じ訳ではありませんが、ひとつのことは確実に言えます。あ る人が新生したなら、その人は霊的に変化し始めます。そして霊的に変化する と、心理的に変化してきます。神は人を内から外へと変えていきます。イエス にあって成長するにつれて、その人はキリストにあって安定していき、共にキ リストにある者たちと和合するようになります。クリスチャンのカルトではこ れが起こりません。クリスチャンのカルトとは神学的には「教会」ですが、社 会的に「カルト」である団体です。その人たちはキリストにあって安定するこ とがありません。彼らの安定は指導者との関係性に基づいてしまっています。 程度の差こそあれ、カルトに属する者はすべて同じです。

再建主義神学に陥っている大半の「ハウスチャーチ運動」は、どの程度カル ト化しているかで差があるだけです(1990 年代から始まったハウスチャーチ運 動は、新使徒改革を通してキリストが再臨する前に、この世に神の国を打ち建 てることを目指してきました。その中で悪名高いのがピーター・ワグナー、シ ンディー・ジェイコブス、リック・ジョイナー、ビル・ジョンソンです)。みな 同じ道をたどっています。そのようなハウスチャーチ運動とエホバの証人やデ イビッド・コレシュが違う点は、ただ彼らの方がより深く堕ちて行ってしまっ ているということだけです。神学的には「教会」であっても社会的に「カルト」 である教会は時間が経つと確実に異端の教えを持つようになります。ささいな 誤りではなく、根本的な誤りです。「神の子ら」もそれをし、「聖書を理解する 教会」もそれを行いました。時間が経つとそのようなものは教理的誤りに陥る のです。しかしそれはただの始まりに過ぎません。

このような人たちは精神的に不安定なので、自分たちが知らないことを知っ ている人を恐れます。

私たちは教育を崇拝すべきではありません。アポロとパウロは正式な学問が

ありましたが、ペテロとヨハネはそうではありませんでした。そうであっても ペテロとヨハネの持つ使徒の権威はパウロのものに劣ることはありませんでし た。しかしながらペテロは手紙の中で「これらのことは複雑だ。パウロがそれ

らを説明するほうが良い」と語っています(2 ペテロ 3 章 15 節-16 節参照)。

ある人の知性が十字架にかけられ、知性に頼らず、キリストに頼ることを学 べば、知性はとても良いしもべとなります。「知性」は良いしもべですが危険な 主人です。ですが「無知」は死をもたらす主人です。「知性」は良いしもべです が悪い主人です。「無知」は悪いしもべであるだけでなく、死をもたらす主人で す。

このような人たちが神学校や聖書学校、ギリシア語を読める人々を無意識の うちに貶めるのが見受けられるでしょう。彼らはその人々を恐れるでしょうか ら。彼らは自分の知らないことを知っている人々に出会うと、自分の団体の中 でその人々を貶め、卑下し、笑い者にせずにはいられないでしょう。彼らは原 語のギリシア語やヘブライ語を読め、神学校に行った人たちが自分たちにとっ て脅威であると知っています。それは独裁者たちと同じです。彼らは自分が持 っていない知識を持つ者を恐れるので、結果その人たちを貶めるのです。「そん なもの必要無い」と彼らは言います。そしてそれ自体は事実であることを言い ます。「大学には博士号を持ち、ギリシア語やヘブライ語が読める者が多くいる が、彼らは地獄へ向かっている。彼らは救われてもいない」彼らはその点を強 調しますが、コインの裏側を見ようとはしません。彼らは人をコントロールす るのに見合うことだけを強調します。

独裁者やカルト指導者たちを見ると、彼らは自分自身が精神不安定であるた めに、人々を同じく精神不安定にすることによってだけコントロールすること が出来ると分かります。

l 教理の誤りを越えて 最終的に彼らは教理の誤りに陥ります。ですが必然的にある時点からふたつ

の事柄――両方同時とはいかなくとも――が起こります。最初のものはエゼキ エル 34 章に記されたような金銭的不祥事です。「あなたたがは私腹を肥やすた めに羊をほふるが、彼らの生活を見てみなさい」(エゼキエル 34 章参照)

ひとつの例が、ネズミが出るような犯罪率が多いスラムに信徒たちが住む一

方で、5 機の飛行機を保有し、バハマで二人目の妻と休日を楽しんでいる指導者 です。ある人はニューヨークシティーの劣悪な地域に住み、一日 14 時間カーペ ットを掃除し、すべてのお金をそのカルトに寄付しています。その寄付の名目

はハイチに住む子供たちに与えるためだといわれています。もしかすると寄付 金の一部がそこに届いたかもしれませんが、確実にそのお金はその指導者と彼 の妻しか乗らない 5 機の飛行機のために使われたことでしょう。

金銭的不祥事が最初のものです。そこには大抵の場合、格差が見受けられま す。奉仕は仕える立場であるはずなのに、牧師たちは「先生」と呼ばれる栄誉 と、世俗社会では得られない金銭的な地位を得ようとしています。世界的に見 て、これらのことはペンテコステ派の牧師たちの中に見られ、神学的な理解は ないがしろにされ、お金や繁栄が強調されています。(このようなことは、仏教 カルト「幸福の科学」にも見られるものです。神道の神官でも家から霊を追い 払う振りをして、人を恐れさせ、お金を巻き上げています)

このような人たちの中に多くの場合、見受けられる二つ目のものは性的不祥 事――性的不品行です。それは明らかになるまで、ある期間は内密に行われま す。

短期的にカルトを見ると、これらが脱出するための警告です。そこにはある 形でグノーシス主義と関連した「党派心」の罪があります。そして他者が気付 いてこなかったとする教理の偏りがあり、支持者たちはそれに傾倒しなければ なりません。その時点で脱出しなかった場合はその次に金銭的不正があり、金 銭の搾取があります。非常に多くの場合、金銭の搾取を行うためにその人たち は什一献金などの聖書の教えを歪曲します。そしてそこには不品行――大抵の 場合性的なものがあり、異常な性的嗜好を持つ者までが時には存在します。

l どのようにして生じるのか 新約聖書から読み取れるサタンの最初のトリックは、4 世紀に教会を異教化

する以前、教会をユダヤ教化することでした。といってもこれは教会を「ユダ

ヤ化」することとは違います。教会は事実神学的にユダヤ的なものだからです。 イスラエルは本来の根です(ローマ 11 章)。聖書はヘレニズムの観点から理解 されるべきではなく、ユダヤ・キリスト教の観点から理解されるべきです。主 はみことばをご自分の民、文化を持つ国を通して啓示されたため、私たちはそ れを理解しなければなりません。聖書的キリスト教を理解するためには、聖書

的ユダヤ教をまず神学的に理解することが必要不可欠です。イエスさまは律法 を成就されました。サタンの最初の誘惑は人々を律法の下に置くことであり、 本来キリストを指し示すものとしての律法を違った形で用いることでした。

これは慣習とは違います。イスラエル系ユダヤ人の家族を持ち、ガラリヤで 生れた子供を持つ者として、私たちは文化のためと、未信のユダヤ人への証の ために過越の祭りを守っています。ドアにはメズザーもあり、家庭でヘブライ 語を話しています。ハヌカを祝えば、プリムも祝い、ユダヤの祭りの多くを祝 います。私たちは日曜に教会に行き、土曜日――安息日にはメシアニック系の 交わりに参加します。従ってサタンが教会をユダヤ教化したということは、自 分の文化の中でユダヤ人に福音を伝えようとして文化を守ることとは違います。 これは間違っていません。また第一コリント人への手紙 9 章でパウロが語って いるような、証のために文化を採用した人たちによるユダヤ人への伝道も同じ です。問題となってくるのは律法を守ることが、救いや聖化に必要不可欠だと 誰かが主張する時です。そのような人たちは「あなたたちは恵みによって救わ れたけれど…」と言います。

律法を守ることが救いに不可欠だと言われる時にはそれは「律法主義」に陥 っています。聖化のために不可欠だと言われる時、また救われた人があれやこ れをしなければならないと言われる時、それは「ノミアン主義(Nomianism)」 と呼ばれます(その言葉はギリシア語の「ノモス」から来ています)。

今日、二つの契約の下で生きようとしている二種類のグループに気をつけな ければなりません。ひとつはメシアニック運動の過激派です。これにはアーノ ルド・フルクテンバウム(Arnold Fruchtenbaum)のようなメシアニックの良 い教師や、新約聖書のユダヤ的背景の理解を助けている人たちなどは含まれて いません。またユダヤ人に伝道するためにユダヤ的文化の枠組みで礼拝してい る人たちもこれには含まれません。問題なのは、律法を守ることが義務だと教 える人たちです。

デイビッド・クリス(David Kriss)という人がメルボルンにいますが、彼は 危険な人物です。しかし彼だけが過激派メシアニックではありません。イング ランドでは最終的に刑務所に入れられたフィリップ・シャープ(Philip Sharp) という人がいます。彼はイスラエル人の妻と子供を捨て、集会で自分を王なる メシアとして崇めさせていました。彼は「メシアニック・ジューイッシュ・ラ ビ」でした。ある人たちは狂っています。クイーンズランドにはある種のハラ

ハー共同体がありますが、私はそこに近づくことさえもしたいと思いません。

再度強調しますが、これにはアーノルド・フルクテンバウムやアルト・カッ ツ(Art Katz)のような人は含まれていません。私は良い人たちのことを言っ ているのではなく、おかしな人たちのことを指摘しています。ですがメシアニ ック・ジューだけが隔ての壁を再建しようとしているのではありません。二つ の契約の下で生きようとする人たちが他にもいます。それはセブンスデイ・ア ドベンチストです。デイビッド・コレシュ(David Koresh 信者の集団自決を 引き起こしたカルト指導者)の信奉者たちの大半がセブンスデイ・アドベンチ ストでした。

二つの契約の下で生きるような、深刻で根本的な教理の誤りに陥ると、人は さらに深刻な誤りに陥りやすくなります。いったん根本的な教理の誤りに陥る と、自動的にその人はより深刻で、より危険な誤りに対して無防備になります。 ただそこにあるのは程度の違いだけです。

デイビッド・コレシュについて記された記録を読むと信じ難いものですが、 福音派のカルトでも不可解な事を人々に行わせた

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