Welcome to Moriel Ministries...

Moriel is an international multi-faceted ministry of Jewish and non-Jewish regenerate believers one in Jesus the Messiah and is committed to the evangelization beginning with the Jews and also people of other faiths including Islam, Hinduism, Buddhism, and theologically deviant expressions of Christendom including Roman Catholicism (which we view as aberrational much as we deem Talmudic Judaism to be likewise largely unscriptural).

Book Of Ruth - Japanese

ルツ記

ジェイコブ・プラッシュ

ルツ記はユダヤ人のシナゴーグにおいて、ペンテコステの祭りに朗読されていました。その日は異邦人の教会の始まりの日でした。ルツ記は、イエスがペンテコステの日に異邦人の教会を起こし、キリストの花嫁としたように、富を持ち権力あるユダヤ人の男性が、異邦人の花嫁を取り彼女の地位を引き上げた話です。

『1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘム [“パンの家”という意味] の人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。

  1. その人の名はエリメレク [わが神は王であるという意味] 。妻の名はナオミ。ふた

    りの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、

  2. ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。

  3. ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた [モアブ人は出エジプトのとき、ユダヤ人に不当な扱いをしたので特に軽蔑されていました] 。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。

  4. しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

  5. そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。

  6. そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。

  7. そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、

  8. あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

  9. ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」

  10. しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとす

    るのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとで

    もいうのですか。

  11. 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだ としても、

  12. それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」

    ルツの忠実

  13. 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。

  14. ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」

  15. ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけない でください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

  16. あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」

  17. ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。

  18. それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか」と言った。

  19. ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。

  20. 私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」

  21. こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。

[これが週の祭り(五旬節)にシナゴーグで朗読されていたもので、イスラエルにおいて大麦の収穫の時期でした]

ルツがボアズの畑で落穂を拾う

  1. ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった [ボアズとはヘブライ語で“彼の力のうちに”という意味で、それは神殿の中にあったひとつの柱の名前でもあります] 。

  2. モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで」と言った。3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。

  1. ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように」と答えた。

  2. ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」

  3. 刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。

  4. 彼女は、『どうぞ、刈る人たちのあとについて、束の間で、落ち穂を拾い集めさせてください』と言い、ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」

  5. ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。

  6. 刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」

  7. 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」

  8. ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。

  9. 主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」

  10. 彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」

  11. 食事のとき、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。

  12. 彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。

  13. それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」

  14. こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。

  15. 彼女はそれを持って町に行き、しゅうとめにその拾い集めたのを見せ、また、先に十分食べてから残しておいたのを取り出して、彼女に与えた。

  16. しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという名の人の所で働きました」と言った。

  17. ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」 [近親者とは遠い親戚ということです]

  18. モアブの女ルツは言った。「その方はまた、『私のところの刈り入れが全部終わるまで、私の若者たちのそばを離れてはいけない』と私におっしゃいました。」

  19. ナオミは嫁のルツに言った。「娘よ。あの方のところの若い女たちといっしょに出かけるのは、けっこうなことです。ほかの畑でいじめられなくても済みます。」

  20. それで、彼女はボアズのところの若い女たちのそばを離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れの終わるまで、落ち穂を拾い集めた。こうして、彼女はしゅうとめと暮らした。

ボアズがルツを買い戻す

  1. しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。

  2. ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。

  3. あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさ

    い。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。

  4. あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてから入って行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」

  5. ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」

  6. こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、7 ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。

  1. 夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。

  2. 彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」

  3. すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。

  4. さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。

  5. ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。

  6. 今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」

  7. こうして、彼女は朝まで彼の足のところに寝たが、だれかれの見分けがつかないうちに起き上がった。彼は、「打ち場にこの女の来たことが知られてはならない」と思ったので、

15「あなたの着ている外套を持って来て、それをしっかりつかんでいなさい」と言い、彼女がそれをしっかりつかむうちに、大麦六杯を量って、それを彼女に負わせた。こうして彼は町へ行った。

  1. 彼女がしゅうとめのところに行くと、しゅうとめは尋ねた。「娘よ。どうでしたか。」ルツは、その人が自分にしたことをみな、しゅうとめに告げて、

  2. 言った。「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」

  3. しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていな

さい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょ

うから。」

ルツの結婚

  1. 一方、ボアズは門のところへ上って行って、そこにすわった。すると、ちょうど、ボアズが言ったあの買い戻しの権利のある親類の人が通りかかった。ボアズは、彼 にことばをかけた。「ああ、もしもし、こちらに立ち寄って、おすわりになってく ださい。」彼は立ち寄ってすわった。

  2. それから、ボアズは、町の長老十人を招いて、「ここにおすわりください」と言ったので、彼らもすわった。

  3. そこで、ボアズは、その買い戻しの権利のある親類の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。

  4. 私はそれをあなたの耳に入れ、ここにすわっている人々と私の民の長老たちとの前で、それを買いなさいと、言おうと思ったのです。もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。しかし、もしそれを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたをさしおいて、それを買い戻す人はいないのです。私はあなたの次なのですから。」すると彼は言った。「私が買い戻しましょう。」

  5. そこで、ボアズは言った。「あなたがナオミの手からその畑を買うときには、死んだ者の名をその相続地に起こすために、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買わなければなりません。」

  6. その買い戻しの権利のある親類の人は言った。「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。あなたが私に代わって買い戻してください。私は買い戻すことができませんから。」

  7. 昔、イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、すべての取り引きを有 効にするために、一方が自分のはきものを脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける証明の方法であった。

  8. それで、この買い戻しの権利のある親類の人はボアズに、「あなたがお買いなさい」と言って、自分のはきものを脱いだ。

  9. そこでボアズは、長老たちとすべての民に言った。「あなたがたは、きょう、私がナオミの手から、エリメレクのすべてのもの、それからキルヨンとマフロンのすべてのものを買い取ったことの証人です。

  10. さらに、死んだ者の名をその相続地に起こすために、私はマフロンの妻であったモアブの女ルツを買って、私の妻としました。死んだ者の名を、その身内の者たち

    の間から、また、その町の門から絶えさせないためです。きょう、あなたがたはそ

    の証人です。」

  11. すると、門にいた人々と長老たちはみな、言った。「私たちは証人です。どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのよ うにされますように。あなたはエフラテで力ある働きをし、ベツレヘムで名をあげ なさい。

  12. また、主がこの若い女を通してあなたに授ける子孫によって、あなたの家が、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように。」

  13. こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。

  14. 女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。

  15. その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」

    ダビデの系図がここから始まる

  16. ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。

  17. 近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。

  18. ペレツの家系は次のとおりである。ペレツの子はヘツロン、

  19. ヘツロンの子はラム、ラムの子はアミナダブ、

  20. アミナダブの子はナフション、ナフションの子はサルモン、

  21. サルモンの子はボアズ、ボアズの子はオベデ、

  22. オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデである。』(1 章 1 節-4 章 22 節)

イエスの系図はマタイ 1 章で始まったのではなく、ルツ 4 章から始まりました。

私の家族はユダヤ人と異邦人との混合です。妻と私はふたつの偽りの宗教を経験してきました。名ばかりのキリスト教(救いが新しく生まれることから来ると教えないもの)と、ラビ的ユダヤ教(自分たちのメシアを拒否したもの)です。

なぜ私たちなのでしょう?

ルツ記は神ご自身が自分に敵対していると感じた、年を取った女性の話です。彼女は自分

の土地からあるとき出て行かなければならず、夫が死に、彼女の息子たちも彼女を残して死にました。ナオミはすべて奪われて、つらい思いをし、見捨てられたと感じました。神の御手が自分の上にくだったとまで思ったのです。

これが私の妻の両親のそのままの姿です。彼らユダヤ人はホロコーストにおいて、クリスチャンと名乗る人々に家族が殺されました。

そのホロコーストの後に、あるユダヤ人作家がこう書きました。「150 万人のユダヤの子どもたちがオーブンの中にけり入れられた。神は私たちを嫌っているに違いない」

多くのユダヤ人が尋ねます、「なぜ私たちなのか?なぜホロコーストが起きたのか?なぜ宗教裁判が起きたのか?十字軍はなぜやってきたんだ?なぜいつも私たちなんだ?」

ユダヤ人は自分たちが特別な国民だと知っていますが、それがなぜかは分かっていません何かが特別なのです

ユダヤ人自体に特別なことは何もありません。ユダヤ人は何も独特ではありません。ユダヤ人も他の人と同じように救いを必要としている民族です。

しかし、ユダヤ人の神がまさに特別であり、ユダヤ人の契約は非常に特別なのです。ユダヤ人の本が特別であり、ユダヤ人のメシアが特別なのです。しかし、彼らがメシアを理解するまで、その他のことは分からないでしょう。

今日のユダヤ人はナオミの状況にあります。彼らは神に見捨てられ、呪われたと感じているのです。

ほぼ 2 千年以上ユダヤ人は、自分たちの土地から追い出されていました。彼らは状況が改善し始めたと聞き、絶望のうちからイスラエルに帰ったのです。彼らはナオミがそうであったように戻ってきました。彼らは見捨てれたことへの重荷、苦痛、苦悩、たましいの悩みを持って帰ってきました。ユダヤ人と神について話すと、宗教的な者でさえ、自分たちに対して神が敵対しているという感覚を明らかにするでしょう。

オルパ

そこにはふたりの異邦人の女がいました。すべての異邦人クリスチャンとその教会が、ル

ツかオルパの性格どちらかを持っています。

オルパは礼儀正しく親切に見えます。しかし、一旦自分の利益が危機にひんすると、自分の民とその神々のもとへ戻っていくのです。『その神のところへ』(ルツ 1 章 15 節)に注目してください。ニカイア公会議の後の教会、コンスタンティヌスがローマ帝国を“キリスト教化”してから、教会はユダヤ人のルーツを失ってしまいました。

パウロが警告していたことが起こってしまったのです。(ローマ 11 章 17 節-18 節)

『すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。

神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを、知らない のですか。彼はイスラエルを神に訴えてこう言いました。

「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らはいま私のいのちを取ろうとしています。」

ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」

それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。

もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。

では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。

こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」』(ローマ 11 章 1 節-8 節)

教会はユダヤ的なルーツを失ってしまいました。その後何が起こったでしょうか?異教がキリスト教に侵入してきたのです――ローマ・カトリック教や東方正教会、それらはユダヤ人のヘブライ的な信仰である新約聖書のキリスト教を曲解しました。

そのユダヤ的ルーツを失ってしまうやいなや、彼らは自分たちの神々に戻って行ったのです。

ルツ

しかしルツは違いました。『あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。』(ルツ 1 章

16 節)新約聖書も同じように語っています。

『そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。』(エペソ 2 章 12節-13 節)

あなたは近親者のように近い者とされました――ヘブライ的な“親族”の考え方はその人に近い人というものです。

ローマ 11 章は結合について語っており、置き換わることについてではありません。悔い改め、イエスを受け入れた異邦人のクリスチャンが、イエスを拒んだユダヤ人に取って代わったのです。しかし、その木は同じまま存在します。それはもうひとつの木ではなく、教会は“新しいイスラエル”ではないのです。

神の主権的な恵みによって、異邦人クリスチャンは霊的に接ぎ木され、信仰によるアブラハムの子孫となったのです。これがルツ記の示していることです。

レビレート婚

さらに詳しく見ていく場合、トーラーについてあることを理解しなければなりません。トーラー(律法)は高齢者のための規定を持っていました。

ルツ記がダビデの系図の始まりを記載していたことを思い出してください。しかしながら、マタイの系図とルカの系図を比べると不一致があることに気付きます。これらの不一致を 説明するには主にふたつの方法があります。そのひとつが“レビレート婚”です。

『兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。その夫の兄弟がその女のところに、入り、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。

そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。

しかし、もしその人が兄弟の、やもめになった妻をめとりたくない場合は、その兄

弟のやもめになった妻は、町の門の長老たちのところに行って言わなければならな

い。「私の夫の兄弟は、自分の兄弟のためにその名をイスラエルのうちに残そうとはせず、夫の兄弟としての義務を私に果たそうとしません。」

町の長老たちは彼を呼び寄せ、彼に告げなさい。もし、彼が、「私は彼女をめとりたくない」と言い張るなら、その兄弟のやもめになった妻は、長老たちの目の前で、

[少なくとも長老は 10 人(ミンヤン)が必要] 彼に近寄り、彼の足からくつを脱が

せ、彼の顔につばきして、彼に答えて言わなければならない。「兄弟の家を立てない男は、このようにされる。」彼の名は、イスラエルの中で、「くつを脱がされた者の家」と呼ばれる。』(申命記 25 章 5 節-10 節)

このことを説明しましょう。

系図の重要性

王はダビデの子孫でなくてはなりませんでした。祭司はレビの子孫でないといけませんでした。大祭司はアロンの子孫である必要があったのです。トーラーによるとヨシュアによって分配された部族の相続物は保たれなくてはなりませんでした。

したがって、律法による子どもは絶やしてはならなかったのです。そうしなければ、誰が大祭司になるべきかを知っている人はいたでしょうか?誰が王になるべきか、またその人の家族の遺産が何であるかをどうやって知ることができたでしょう。結局のところ、誰がメシアを知ることができるのかということになります。

血統は立証され、絶やしてはならなかったのです。その中には生物学的な血統と法的な血統がありました。新約聖書のひとつの系図は法的な血統を記しており、もう一方は生物学的、遺伝的な子孫についてです。これが系図の不一致を説明するひとつの方法です。他の方法もありますが、これが主なふたつの方法の中のひとつです。

膣外射精

古代中近東で唯一行われていた避妊の方法は膣外射精でした。今日、それについて死の宣告があったという聖書箇所を取り上げて(創世記 38 章 8 節-10 節)、結婚している人たちに避妊をしないようにと教えているクリスチャンがいます。しかし、それが唯一禁じられていた状況はレビレート婚の中だけなのです。それは兄弟のやもめをただのそばめ、性的な対象にしてしまわないようにと設計されたものです。兄弟のやもめと性的に交わり子孫を残すのは次のふたつの理由のためでした。

社会福祉の規定

第一の理由はそのやもめの経済的援助のためです。ヘブライ語で「父と母を敬え」という言葉は(これは謝礼金と関連しています)、彼らがあなたの両親だからというだけで、そのすべての言葉に同意しなければならないということではありません。

それはあなたにとって重い存在と受け取り、責任を持つという意味です。母親が子どもが小さな時期に世話をすべきなのと同じように、神の考えでは母親が年を取ったなら、その赤ん坊が母親に対して責任を持つべきなのです。子どもを持つということはひとつの高齢者への福利厚生です。レビレート婚の第一の理由は、兄弟のやもめが老齢になって援助を受けるためなのです。

家族の相続物

第二は相続物のためです。子どもは家族の相続物を保ち続けます。もし、自分の土地が借金のために他の者の手に渡ってしまったなら、ヨベルの年にはそれは家族に返されます。

パリサイ人たちは物を神にささげることによって――それはコルバンと呼ばれていました

(マルコ 7 章 11 節-13 節)――法的に両親の援助をすることを拒否するように教えていました。彼らはその教えのために神の戒めを無効にしたのです。イエスはそのために彼らを非難しました。

両親への責任はユダヤ人の心に織り込まれていました。それは新約聖書でも続いており、あなたが老齢になった両親の世話をしなければ、この世で長く生きることはできないと教えています(エペソ 6 章 2 節-3 節)。

買い戻す権利

ルツ記において、その中に出てくる人は実行しようとしませんでしたが、死んだ兄弟の名前が絶たれてしまわないように、兄弟の妻をめとり兄弟の代わりに子をもうけるべきでした。

これはイエスの象徴です。旧い契約において、神に忠実であったために死んだ者は、後に誰かが彼らを贖う(買い戻す)必要があったのです。誰がが死んでしまった兄弟のために子をもうけ、地を相続することは「買い戻す権利」と呼ばれていました。旧い契約のもと

で死んだユダヤ人は、その父祖たちから切り離されないように、契約の相続物を失ってし

まわないように、後に近親者が来てその人を買い戻す必要があったのです。このことはイエスさまを指し示しています。

旧約の時代にユダヤ人たちはどのようにして救われたのでしょうか?

私たちと同じ方法によってです。ヘブル人への手紙は、動物の血は罪を取り去ることはできないと言明しています。それらは、もし信仰と悔い改めが伴っていたなら、メシアが来て罪を取り去るまで、罪を覆うことしかできませんでした。旧い契約のもとでのユダヤ人たちは、彼らの後に来て、贖ってくれる人に依存していたのです。このことはすべてイエスさまを指し示しています。

落穂拾い

もうひとつの社会福祉の制度は落穂拾いでした。私たちはこのことを理解する必要があります。当時、狭い通路を目印として、畑はそれぞれ違う農業者や家族で区分されていました。ユダヤ人は畑の隅を収穫することが禁じられていました。

なぜでしょうか?社会福祉として、貧しい者ややもめ、みなしご、社会的な権利を持てないでいる人、また在留異国人 [その地を旅してまわっている者] は落穂拾いをする権利があったからです。

これがルツ記で記されてあることであり、ルツは次のように言う姑と帰ってきたのです。

『私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから』現在ユダヤ人がホロコーストや共産主義のもので起きたことの後に、自分たちの土地に帰ってきたなら、彼らは「神がこれらを私たちにしたのだ」と感じていることでしょう。

正統派ユダヤ人たちはレビ 26 章や申命記 28 章を見て、自分たちの経験はこれらの箇所に書かれた律法の呪いであることを認めるでしょう。彼らの身に起きたことはともかく神の御手によることなのです。すべてのユダヤ人がこれを認めるわけではありませんが、超正統派のユダヤ人たちは確実に認めます。

あなたを祝福する者をわたしは祝福する

ユダヤ人であるボアズが、異邦人のルツに言いました、

『刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あな

たのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。』(ルツ 2 章 9 節-11 節)

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろうと神は言われました。これはユダヤ人が特別だという意味ではなく、ユダヤ人の神、その父祖たちと結んだ契約が特別であるためです。神はその契約を重んじ、人の忠実さや不忠実の度合いによって左右されません。神の契約は神自身の忠実さを土台としているのです。

これはユダヤ人異邦人ともに、信じる者すべての父であるアブラハムに関しての記述で説明されています。

『さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。』(創世記 15 章 17 節)

この燃えているたいまつとは神のシェキナー(Shekinah)と呼ばれる火の柱、聖霊と同じものです。

神は忠実である

契約を結ぶというヘブライ語は「契約を切る」という言葉です。動物の死体は半分に切られました。契約を結ぶときには、当事者ふたりが半分に切った死体の間を通ったのです。

しかし、神がアブラハムと契約を結ぶとき、アブラハムではなく燃えているたいまつだけが通り過ぎました。

なぜなのでしょうか?なぜなら、神は初めから、自分の民は契約に対して忠実ではないということを分かっており、神ご自身は不忠実ではなかったからです。その契約がイスラエルや教会の不忠実に左右されず、神ご自身の忠実さによっていることを賛美しようではありませんか。

もしイスラエルが契約を破ったために神がその関係を終わらせたのなら、教会に対しても

同じようにしない理由がひとつでもあるでしょうか?ユダヤ人が間違ったことをしたならば、教会も同じ間違いをしたことは確かです。教会のしたこととは何でしょうか?イスラエルと同じことです。他の神々のもとにしたがって行きました。たとえば教会におけるニューエイジを見てください。

悪霊に子どもをささげる

イスラエルは捕囚以前に何を行っていたでしょうか?彼らの子どもを悪霊にささげていたのです。そうです。それが彼らのしていたことであり、そのときに裁きが下りました。神は「もうたくさんだ。偶像礼拝なら耐えられよう。不品行なら耐えられよう。社会にある不正にも耐えられよう。しかし、他の神々、悪霊に対して子どもをささげることは見ていられない」と言われました。

もし、医療的な理由でなされる妊娠中絶すべてを考慮したなら、それは妊娠中絶全体の 1パーセントにも満たないものでしょう。ということは、99 パーセントの妊娠中絶が治療とは関係ない理由で行われているのです。

それらは臨床的や医療的な理由で行われているのではありません。それらは社会的、または経済的な理由で行われているのであり、イエスさまが「マモン(Mammon)崇拝」と呼ばれたものです。間違えてはいけません。医療目的ではない妊娠中絶は、神学的にも霊的にも、一種の悪霊崇拝なのです。

もし、神が野生の枝を惜しまれないとしたら、あなたに対してもそうです。また、イスラエルとユダヤ人の忌みきらうべきことが裁かれたのなら、西洋のキリスト教世界もそうなることでしょう。

イスラエルの失敗から学ぶ

『これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。』(1 コリント 10 章 6

節)

イスラエルの失敗が記録されたのは、教会が同じ失敗を犯さないためでした。教会は彼らの失敗から学ぶべきなのです。しかし、私たちはそうしてきたのでしょうか?とんでもない!

私たちはイスラエルの持っていたもの、いやそれ以上のものを持っています。彼らには旧

約聖書しかありませんでしたが、私たちには新約聖書もあります。彼らはメシアの到来を期待するのみでしたが、教会はすでにメシアを知っています。旧約のもとでは、聖霊は特定の時期に特定の人、たとえば大祭司や王、預言者にしか与えられませんでしたが、今聖霊はすべて信じる者たちの中におられます。

それに加えて、私たちは学ぶべきイスラエルの実例を持っているにも関わらず、そこから学んではいません。もし、イスラエルが契約を破ったために神に捨てられたのなら、ましてや神は教会をどう扱うことでしょう。私たちの忠実さではなく、神の忠実さが契約の有効性を決めるという事実を賛美しましょう。そうでなければ、ユダヤ人がそうなるべきであったように、私たちも捨てられていたのです。神の裁きはずっと以前にアメリカ合衆国に下っていてもおかしくありませんでした。しかし、ふたつの要因がそれを阻止していました。

ひとつは塩が腐るのを遅らせたのです。アメリカ合衆国は他のどの西洋の国より、多くの福音的なクリスチャンと教会をいまだに抱えています。世界中の宣教や慈善活動の4分の

3の資金が北アメリカから使われている一方で、貧しい国へ行くフルタイムの宣教師は、全体の 5 分の 3 がアメリカから出ています。

もうひとつの理由はアメリカがユダヤ人を歴史上、どの国よりも親切に扱ってきたという ことです。そのようでなかったならば神の裁きはとうの昔に下っていたことでしょう。ア ムステルダムは先進国の中で最も邪悪な都市です。私は多くの都市で腐敗を見てきました。バンコクでは子どもたちが性的な奴隷として売られています。

アムステルダムはそれと同じくらい腐敗しているのです。もし、あなたがアムステスダムやホラントを歩いて通ったなら、道徳の廃退に目を疑うことでしょう。それは言い表すことのできないものであり、全くの恥辱であるのです。しかし、その国(オランダ)はホロコーストの際にユダヤ人を保護しました。アメリカが神の裁きに値するものであったことは明らかですが、彼らはユダヤ人を祝福したのです。『あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。』(創世記 12 章 3 節)

これは神の裁きがやって来ないという訳ではありません。裁きはただ神の恵みによって遅らされたということです。「どうして親切にしてくださるのですか」とルツは聞きました。なぜなら、神の民を祝福したからです。神はそのようなクリスチャンや教会、国家を祝福します。彼らのためではなく、神の御名のためです。ひいてはクリスチャンを祝福する救われていない人をも、神は祝福します。

二流のクリスチャン

「私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました」とボアズは言いました。彼らが食べるところで食べ、彼らが飲むものを飲みなさい、と。

ヘブライ語で「ひれ伏す」と「礼拝する」とは同じ言葉です。ローマ・カトリック教徒たちが像の前にひれ伏して祈るとき、それはヘブライ語での偶像礼拝なのです。

それゆえ、ローマ・カトリック教会は彼らのカテキズム(教義)から第二戒を長い間取り除いてきました。

『あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。』(申命記 5 章 8 節

-9 節)

私はガラリヤのカルメル山に住んでいたことがありました。カルメル山において、ファティマ(Fatima)や他の多くの場所のようにマリアの顕現がありました――悪霊の現れです。人々はマリア像を夏の別荘から、冬の別荘に運んで行きます。なぜなのでしょうか?マリアが寒いのを嫌うのだそうです!2 年に一回カトリック教徒たちは山からその像を運び、ハイファ(Haifa)の中央にある教会に置きます。彼らはそれに向かってひれ伏し、祈り、香を焚き、それに対して歌を歌います。

私には昔カリスマ的なカトリックの修道士であった友だちがいます。彼は私たちの集会に来て、手を振り、私たちのひとりのようになります。ハレルヤ!また、カトリック教徒たちが偶像を運んでいる間、彼は他の偶像礼拝者たちと一緒にいて、歌い、香を焚き、ひれ伏して偶像を礼拝するのです!

この偶像礼拝をあるユダヤ人とイスラム教徒が見たとき、彼らはこれがキリスト教だと思いました。新生したクリスチャン、メシアニック・ジューたちがその人たちにそれは違うと説明しなければならなかったのです。サタンがユダヤ人を地獄に落とすために、使う最初の手段は偽のキリスト教――ローマ・カトリック、東方正教会、偶像礼拝です。

美徳をそなえた女性

ホロコーストの期間、どの国がユダヤ人を保護したのでしょうか?福音的なプロテスタン

トの人口がとても多い国、デンマークやオランダです。どの国がユダヤ人を裏切ったのでしょうか?ローマ・カトリックや東方正教会の国々、ラトビア共和国、フランス、ルーマニアでした。今日イスラエルに行ってみると、若いボランティアがキブツ(kibbutzes)で働いています。彼らの中にはカナダや日本、アルゼンチン、オランダなどからの者もいます。

「どこから来たの?」「オランダです」と言うと、「今夜うちに食べに来ませんか?ホロコーストで私のおばあちゃんを助けてくれたのがオランダのクリスチャンだと知っているの」と言われるでしょう。

「どこから来たのですか?」

「デンマークからです」と言えば、ナチスがデンマークを占領しているとき、彼らはユダヤ人たちに黄色の星を付けるように命令しました。するとデンマークの王は、自身がクリスチャンだったのですが、出てきて黄色い星を自ら付け、イエス・キリストはユダヤ人だったと言いました。誰でもイエスを信じる者は、その国でユダヤ人と同じようにならなくてはいけなかったのです。デンマークにいるすべての人が黄色い星を付けなくてはなりませんでした。

美徳をそなえた女性。ユダヤ人はイスラエルの高校でそのように教えられています。

あなたがユダヤ人を愛するなら、偽りの教会から出て行きなさい。反ユダヤ主義の教会から出て行きなさい。ユダヤ人を嫌う教会から出て行きなさい。偶像礼拝をする教会から出て行きなさい。ローマ・カトリックや正教会、また福音的と呼ばれるユダヤ人を嫌う教会から出て行きなさい。

若い男たちのあとを追わなかった

『すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあ とからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。』(ルツ 3 章 10 節)

イザヤ書のしもべに関する第四の詩で、イエスさまについてはどう書かれているでしょうか?

『彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔を

そむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。』(イザヤ 53 章 2 節-3 節)

贖いへの鍵

『ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。』(ルツ 3 章 12 節)

私は一番目ではなく、彼が一番近い。彼がエリメレクから買い戻す権利――土地を買い、 相続物を受け、ルツをめとり、亡くなった兄弟のために子をもうける権利を持っています。この最初の男は――彼が誰であったとしても、どういう訳か彼の名前は記されておらず、 聖書の中でくつを脱がされた者と呼ばれているのみです。その人が言いました。「私に相 続物をください。私が引き受けましょう」

しかし、ボアズが彼に異邦人の女をもめとらないといけないと言うと(ルツ 4 章 5 節)彼は考えを変えました。『私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。』(ルツ 4 章 6 節)

彼は相続物は望みます。父祖たちの祝福も望みます。贖いの権利もほしいのです。祝福を望みます。しかし、彼は“シクサ”(shiksa=軽蔑的なイディッシュのスラングで“異邦人の女”という意味)とは関係を持ちたくありません。しかし、その“シクサ”が自分の約束を、祝福を、贖いを得る鍵なのです。

くつを脱がされた者は名前が記されていません。キリストのからだのもとに来て、自分の相続物を受けない者は名前が記されません。彼らの名前は消されてしまうのです。キリストのからだのもとに来る者だけが自分の相続物を受けるのです。その異邦人の女が鍵なのです。

自分の民へ穀物を持っていく

ボアズはルツに大麦六杯を与えました(ルツ 3 章 15 節)。するとルツは『「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」』(ルツ 3 章 17 節)と言いました。

イエスは異邦人の教会に何と言ったのでしょうか?「穀物を持って、わが民であるイスラエルに与えなさい」。ユダヤ人に福音を伝えること無しに、彼らを祝福したがっている組

織を警戒してください。

神は一世紀において異邦人に福音を伝えるためにユダヤ人を用いたように、この終わりの時代において、神は異邦人を用いてユダヤ人に福音を伝えるのです。『もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。』(ローマ 11 章 15 節)

間違えてはいけません。神はイエスが戻られる前に、もう一度ユダヤ人を通して教会を祝福されようとしています。初期のクリスチャンはユダヤ人たちでした。そして最後のクリスチャンもユダヤ人たちなのです。彼らに穀物を与えるのです。良い知らせを再び、その生誕の地に持って行くのです。

この男は買い戻しの権利を拒みました。そのため、彼らは申命記 25 章に規定されてある儀式を行ったのです。そして婚姻が成立し、次第に赤ん坊が生まれました。

イスラエルの家を建てた者

婚姻の宴において人々はボアズに言いました。『どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように。』(ルツ 4 章 11節)

ここでの象徴は創世記から来ています。ヤコブは花嫁のために、自分の民のもとからやって来ました。彼はラケルを望みましたが、最初にめとったのはラケルではなく、レアでした。彼がラケルと同じようにレアを愛せるようになってから、ラケルをめとりました。最初レアは多くの子をもうけ非常に多産な妻でした。しかし、その後にラケルがみごもったのです。

イスラエルは実り豊かなぶどうの木になるはずでした。イエスさまはイスラエルのために地上に来て、イスラエルと結婚をしたかったのですが、彼はそうすることができませんでした。結局、イエスさまは最初には望んではいなかった異邦人の教会という花嫁をめとったのです。

異邦人の教会をめとってから、イエスさまはイスラエルをめとります。はじめに、教会は多くの子どもを抱えていました。しかし最後には、イスラエルが実り豊かなぶどうの木となるのです。『イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように』

現代のイスラエルとユダヤ人の重要性を否定する人たちを信じないでください。イスラエ

ルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように、と書かれてあります。教会はユダヤ人と異邦人であり、ひとりの花嫁なのです。

イスラエルの買い戻す者

『女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。

その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」』(ルツ 4 章 14 節

-15 節)

ボアズとルツとの間に生まれた赤ん坊は、ベツレヘムから出た買い戻す者と呼ばれました。

「イスラエルでその名が伝えられるように」ベツレヘムから出た者とは誰でしょう。買い戻す(贖う)者とは誰でしょう。その名が伝えられているのは誰でしょうか。

ダビデの系図の根幹はユダヤ人と異邦人とのつながりによって始まりました。なぜなら、救いはそこからやって来て、ユダヤ人と異邦人どちらにも与えられるからです。

七人の息子にまさる

『その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。』(ルツ 4 章 15節)

買い戻す(贖う)者と呼ばれた赤ん坊を産んだ異邦人の女は、七人の息子にもまさると言われました。ある異邦人のクリスチャンは自分たちよりもユダヤ人に親切にします。しかしそれにもまして、この赤ん坊は「ベツレヘムから出た買い戻す者」と呼ばれ、ユダヤ人女性を元気づけ、彼女の老後をみとるのです。

回復を与える

『ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。』(ルツ 4 章 16 節-17 節)

その子はユダヤ人の子でした。そして、イエスの来られるダビデの系図がここから始まっ

たのです。

美徳を備えた女性は、ベツレヘムで生まれ、買い戻す者と呼ばれ、イスラエルの民に対して回復を与えると言われる“赤ん坊”を、その多くを失い、悲しみ、軽蔑され、つらい思いをし、神ご自身の手が自分にくだっていると感じていたユダヤ人の女に与えることができます。

しかし、このユダヤ人の女性は子を受取ったときにこう言いました。「ここにいる赤ん坊は本当に私の子です。この子は本当に私のメシアです。私の人生を回復させてくれる者なのです」この後、子どもが与えられたことによって彼女の悲しみや苦悩、苦痛、死別、捨て去られたという感情は消し去られました。

キリストの花嫁

これらの花嫁、聖書の中での良い女性はすべて、キリストの花嫁をそれぞれ違った側面から示しています。ルツがキリストの花嫁について教えていることは、贖い主(買い戻す者)をユダヤ人たちに返した者であるということです。

その花嫁とはあなたたちです。

『私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。』(ローマ 1 章 16 節)

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