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今日教会の中でユダヤ人の本当のアイデンティティーについての議論があります。誰がイ スラエルの十二部族の血を引いた子孫なのか、また教会はどこに位置するのか、神は異邦 人教会のためにイスラエルを永遠に諦めたのか、また現代イスラエルの世俗の市民たちは 神の選民なのかなど。これらはクリスチャンの間でイスラエルについて話す時に頻繁に登 場する質問です。

まずはじめに、異邦人の時について語っているふたつの聖書箇所を見ることから始めてみ ましょう。ひとつはローマ 11 章 25 節で、そこでパウロは救いという観点から語っていま

す。「異邦人の完成のなる時」。イエスはルカ 21 章 24 節で異邦人の時を、国家の預言的側 面から語っています。「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされま す」

ユダヤ人への神の目的は部分的また一時的に保留されました。しかし個人的にイエスを信 じるユダヤ人はいつの時代でも存在しました。それはただ一日にして終わったのではあり ません。神は「もう終わりだ――私は異邦人に行く」とは言いませんでした。異邦人の時は 使徒 10 章でコルネリオの家で最初に異邦人が信じたときに始まります。その後、使徒 13 章でパウロやバルナバの働きがあります。

異邦人への移行は漸進的な(少しずつ進む)ものでした。一日の間にユダヤ人から異邦人 へ恵みが移ったのではなく、そこには移行期があったのです。そしてそれと同じように異 邦人の時は終わりに至ります。これは神がご自身の恵みを異邦人からユダヤ人に戻される 移行期のことです。

イザヤはメシアが千年王国に到来することを預言しました。初代教会はすべて前千年王国 説を信じていました。そして新約聖書は神が恵みをイスラエルに対して回復される時にキ リストは再臨すると書いています。神がユダヤ人を頑なにしたことは部分的であり、一時 的です。なので神はあたかもこう言っているようです。「私はあなたがたを呼んだが、あ なたがたは私の契約を破った。私はエレミヤを遣わしたがあなたがたは牢獄に入れた。イ ザヤを遣わしたがあなたがたは半分に切り裂いた。私はリバイバルをもたらす義の説教者

たちを遣わした。ヨシヤ王を遣わし、ヒゼキヤ王を遣わした。またエズラやネヘミヤを遣

わしたが、あなたがたはそのようなリバイバルを忘れてしまった。あなたがたは私の契約 を破り、今度は私の息子、メシアを退けた。私は異邦人のほうに行く」

しかしパウロはその状況が入れ替わる時が来ると私たちに語っています。したがってそこ には異邦人とユダヤ人という区別があるのです。それではユダヤ人とは一体誰のことなの でしょう?

創世記 12 章にはアブラハムへの 5 つの約束があります。またパウロはローマ 2 章 29 節で 本当のユダヤ人がどのようなものかを説明しています。パウロはそこで言葉遊びを用いて 書きました。

『かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、 心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです』

誉れという言葉が鍵となる言葉です。“ユダヤ人”という言葉はユダ部族――イェフダから来 ています。その本来の意味は“神の礼拝者(誉れを与える者)”というものです。パウロはこ こで言葉遊びをしています。パウロは誉れが人から来るものではないと言っているのです

。それは“ユダヤ人”の意味――ユダ部族からの神の礼拝者とかけた言葉遊びです。

“ユダヤ人”と再定義される異邦人

私たちが今日“ユダヤ人”と呼ぶものの一般的な定義は主にバビロン捕囚から生じたもので す。本来、彼らはイスラエル人と呼ばれていました。“ユダヤ人”という言葉がユダヤ人自 身からではなく、異邦人によりアブラハム、イサク、ヤコブのすべての子孫へ付けられた ことは興味深いことです。これは福音書でも顕著な事柄です。マルコ 15 章 32 節ではイエ

スはユダヤ人から“イスラエルの王”と呼ばれています。しかし同じ章の 2 節では彼はロー マ人たちから“ユダヤ人の王”と呼ばれています。イエスはユダヤ人にとっては“イスラエル 人”だったのです。“ユダヤ人”という一般的な言葉は主にバビロン捕囚の期間またその後に 主に発達したものです。第二列王記 16 章を見ると、南王国ユダに住んでいた住民の地理的 な位置を知ることができます。当時の“ユダヤ人”はただ、バビロン捕囚から戻ってきたユ ダの住民を指す言葉でした。本来彼らは“イスラエル人”と呼ばれていて、それはへブル人 から来ていました。“イスラエル人”はヤコブ、神と闘う者の子孫であり、それがユダヤ人 の特徴を形作っています。ユダヤ人は神と闘う者です。ヤコブは主の御使いと格闘しまし た。ラビたちはその御使いを“メタトロン”と呼んでいます。私たちはそれがキリストの顕 現――旧約聖書でのキリストの顕れであることを知っています。

ここで思い出してほしいのが、ヤコブは主の御使いと顔が見えるまで夜を通して格闘した

ということです。夜とは大患難に関して最も一般的に用いられる聖書象徴の比喩のひとつ です。「夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か」彼が戻って来るのは第 二の夜回りか、第三の夜回りか。「夜中の盗人のように来る」「わざを、昼の間に行なわ なければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます」ヤコブは夜の終わりまで格 闘しました。未信のイスラエルは大患難全体を経験し、その後、大患難の終わりにイエス を認めます。聖書中でヤコブという言い方がなされているとき、それはユダヤ民族に特化 した表現です。ユダヤ民族は神と格闘しています。一方彼らが国になる前、出エジプトか ら彼らは“ヘブル人”と呼ばれていました。

新約聖書はこれをさらに展開しています。新約聖書ではユダヤ人とは南部イスラエル人の 子孫、つまり、バビロン捕囚から帰還したユダヤの民、またマカベア家の後のハスモン王 朝を通ってきた者たちのことです。ですがヨハネはそれに特別な見解を加えています。彼 は他の福音書と違った独特な意味で“ユダヤ人”という用語を使っています。そのために誤 ってヨハネの福音書がクリスチャンの反ユダヤ主義を伝えているといわれていますが、私 たちは当時の背景を理解する必要があります。ギリシア語の“ユーダイオス(Ioudaios)” の翻訳に問題があるのです。ヨハネは、ヨハネ 4 章を除いて、“ユダヤ人”という単語を、 エルサレム内外に住みサンヘドリンが支配していた宗教組織のメンバーという意味で使っ ていました。したがって「ユダヤ人のために」や「信じたユダヤ人は」という表現を見る 時、彼らはみなユダヤ人であったことは確かなのです。それが意味していることは、その 宗教組織の一員であった者のこと、たいていがパリサイ人、時に他の分派のこともありま した。しかしそのすべての者がサンヘドリンの支配下にあったのです。使徒の働きはより 一般的な用語を使うか、“ユダヤ人”という単語をより一般的な意味で使っています。それ は異邦人ではない者、ガアル(在留異国人)ではないもの、サマリヤ人ではない者という 意味です。

ユダヤ教には主要な三種類があります。モーセ的ユダヤ教、タルムード的ユダヤ教、イス ラエルの法的ユダヤ教です。このうちふたつは有効で、ひとつはそうではありません。最 初のモーセ的ユダヤ教はタナク、旧約聖書の最初の五書、モーセ五書に見られるものです

。このユダヤ教は紀元 70 年から存在しえないユダヤ教です。預言者ダニエルはメシアは大 事神殿が崩壊する前に来て、死ななければならないと言いました。ミシュナのサンヘドリ ン 96b にもそうあります。実際、人々はイザヤ 53 章を禁断の章と呼んでいます。タルムー ドは事実ダニエル 9 章を読む者には呪いが下ると書いています。なぜでしょうか。それは

その箇所にメシアの到来の時期が予告されていたからです。メシアはやって来て、死なな

ければなりませんでした。ユダヤ人の多くは尋ねます。「もしイエスがメシアなら、なぜ 今も戦争があるのか」彼らはきちんと理解していません。ダニエルにはメシアが来て死に

、終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められていると書いてあります。メシアはその第二 の到来において世界的な平和をもたらすのです。

ユダヤ教ではふたつのメシア像があります。マシアハ・ベン・ヨセフ、それとマシアハ・ ベン・ダヴィード、つまりヨセフの子とダビデの子です。最初の到来においてイエスはヨ セフの特徴をもってやって来ました。それはユダヤ人兄弟たちに裏切られ、異邦人の手に 引き渡されるという特徴です。彼の兄弟はヨセフを最初の出会いで認識しませんでしたが

、2度目に会った時に彼だと分かりました。そして彼らはヨセフと共に激しく泣き、それ と同じことをヨセフの子にも行うのです。第二の到来においてダビデの子はメシアの王国 を建て上げます。そうです、イエスは平和をもたらします。ですが最初の到来は救いをも たらすために来られました。モーセ的ユダヤ教に関しては、それは紀元 70 年以降は存在し ていません。

誰も自分で聖書を読むだけでは、人々が信じさせようとしているものと同じ結論に至る人 はいません。本当に多くの人がただ新約聖書を読むだけで新生に至っています。誰もただ 新約聖書を読んだだけでエホバの証人になることはありません。誰もただ新約聖書を読ん だだけでモルモン教徒にならないし、(私の母親にこう言ったと言わないでほしいですが

)誰もただ新約聖書を読んだだけでローマ・カトリック教徒にはなりはしません。そして ユダヤ人の誰もトーラーを呼んで、タルムード的ユダヤ教がモーセや預言者のユダヤ教だ と思う人はいないのです。“ラビ”という単語はタナク(旧約聖書)に一度も登場しません。

二つ目のユダヤ教がタルムード的ユダヤ教です。それは紀元 90 年のヤブネの会議にてラビ

・モーシェ・ヨハナン・ベン・ザッカイが創設したものです。彼はガマリエルの学派出身 の聖パウロと同級生でした。彼はラビ・ヒレルの孫ガマリエルの元に、ヒレルのパリサイ 派神学校で他のラビたちと学んでいました。これはふたりのラビの物語です。ふたりの同 級生がいました。タルソのラビ・サウルとラビ・ベン・ザッカイです。紀元 70 年に神殿が 崩壊した時、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイはエルサレムから箱、棺桶に入れられなん とか脱出しました。そしてヘブライ語の正典――旧約聖書が定められた会議に集ったので す。彼は神殿の代わりにシナゴーグにしようと言いました。大祭司の代わりにラビたちを 置き換えました。そしていけにえの代わりにより多くのミツヴォート――善行を行おうと 決めたのです。

すべてのユダヤ人はこのふたりの同級生どちらかに従います。救いの確信が無かったヨハ

ナン・ベン・ザッカイか、イェシュアを自分のメシアと信じていたために救いの確信があ

ったタルソのラビ・サウロのどちらかです。

タルムード的ユダヤ教はモーセや預言者のユダヤ教ではありません。それは混ざり合った のものです――まさに名ばかりのキリスト教と同じです。タルムード的ユダヤ教にはさま ざまな形があり――ハシド派、正統派、保守派とあります。またリベラルな改革派は基本 的に人間主義者です。その宗教は本当の信仰に関するよりも文化や倫理的なことにかりあ っています。これがタルムード的ユダヤ教です。ですが三種類目のユダヤ教があります。 これは有効なものです。これがパウロや使徒たちが守ったものです。それはイエスがトー ラーを成就したメシアだと信じるユダヤ教、「メシアニック的ユダヤ教」です。しかしな がら今日のメシアニック運動の中にはさまざまなものがあります。

ユダヤ人が何でないかという地位の定義について考えてみましょう。パウロはローマ人へ の手紙 2 章 28 節-29 節でこう書いています。「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではな く、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人が ユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人か らではなく、神から来るものです」文字ではなく霊によります。

さて人目に隠れたユダヤ人についてですが、このふたつの節の誤解によって置換神学の考 えに推進力が与えられています。「我々が人目に隠れたユダヤ人なのだ。私たちの心は割 礼を受けている」というものです。しかしながら、もし誰かが手紙を受け取ったなら、手 紙全体の文脈を無視して、ある部分だけを引用することはできません。ローマ人への手紙 は手紙であり、そのような解釈は手紙のその先に書いてあるものと正反対のものです。11 章全体では、この手紙の著者であるパウロが聖霊(ルアハ・ハ・コデシュ)の導きのもと

、本来のオリーブの枝(ユダヤ人)と接木された枝(異邦人)の区別を付けています。

エレミヤ 31 章 31 節ではこのようにあります。「わたしは、イスラエルの家とユダの家と に、新しい契約を結ぶ。その契約は…(父祖たちと結んだもの)のようではない」神は新 契約を誰と結んだのでしょうか?教会でしょうか?イエスは教会とひとつも契約を結びま せんでした。彼はイスラエルとユダヤ人に結ばれたのです。もし神がユダヤ人との関係を 終わらせたのなら、神は教会とも関係を終わらせたことでしょう。もし神がユダヤ人との 関係を終わらせたのなら、私たちとの関係も終わっていました。幸運なことに、契約の有 効性は人の忠実さによるものではなく、神の忠実さによるものです。神は初めからご自分 の民が不忠実であることを知っておられました。イスラエルの背信に関することでも、そ れと同等またはイスラエル以上の背信が実際に教会の中にあります。

信じた非ユダヤ人、すなわち異邦人が信じないユダヤ人に取って代わったのは事実です。

自分の木から切り折られた不信のユダヤ人が信じた異邦人に取って代えられました。しか しそれは新しい木ではなく、同じ木 なのです。根は見ることができません。しかしもし 根が死んでいたなら、木そのものも死んでいるのです。もし神がイスラエルとの関係を終 わらせているなら、自動的に教会との関係も終わらせていることになります。

北王国の失われた十部族についてはどうでしょうか。聖書は彼らに何が起こったかを記し ています。北王国からの忠実な者たちはアサ王の治世に南に下り、自分たちの部族として のアイデンティティーを守りました。そのためにヤコブの手紙は“十二部族”に向けて書か れているのです。ルカの福音書の誕生物語に登場するアンナは、アシェル部族の出身でし た。ミシュナはずっと 3 世紀、4 世紀までそれぞれの部族の記録をたくさん残しています。 十部族は聖書によれば決して失われていないのです。他の者たちはアッシリア人侵略者た ちと雑婚し、サマリヤ人となりました。そしてその他はアッシリア帝国に散らばり、中央 アジアのユダヤ人共同体を形作ったり、ただ吸収されてしまいました。

ローマ人への手紙 2 章 28 節から 29 節を見てみましょう。「かえって人目に隠れたユダヤ

人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です」エレミヤ 9 章 25 節から 26 節は“割礼を受けているが割礼を受けていない者”という言葉を使っています。 そのような者たちに対して「エジプト、ユダ、エドム、アモン人、モアブ、および荒野の 住人でこめかみを刈り上げているすべての者を罰する」と書かれてあります。ユダが異邦 人の国々のただ中に書かれていることに注目してください。これはなぜなのでしょうか。 それは異教徒のようにふるまうなら、ユダヤ人は彼らに勝ったところが無くなるからです

。そのような人はユダヤの遺産を捨て去ってしまっています。自分たちのメシアを退けた ユダヤ人は自分たちのユダヤの遺産を放棄してしまっています。パウロが言うように彼ら はもう一度自分たちの木に戻されることができます。神はユダヤ人をとても簡単に信じさ せることができます。なぜなら神はそれより困難なことをもうすでにされたからです。そ れはエスキモーにユダヤの神を信じさせ、ベネズエラ人にユダヤの神を信じさせ、中国の 民に信じさせ、ヨーロッパ人にユダヤの神を信じさせたからです。イザヤ 11 章 1 節にある

、異邦人がエッサイの根のもとに来るという言葉が諸国の上に成就するなら、また軽蔑さ れたこの小さな国の神を非ユダヤ人に信じさせられるのなら、自分たちのメシアをユダヤ 人に信じさせることはいかに容易なことでしょうか。

割礼は改宗のひとつの象徴です。それでは非ユダヤ人で新生した者はどうなるのでしょう

?私たちはその答えをイザヤ 56 章 3 節とエペソ 2 章 12 節で見ることができます。「主に 連なる外国人は言ってはならない。『主はきっと、私をその民から切り離される』と」(イ ザヤ 56 章 3 節)神はあなたがユダヤ人のメシアに信仰を持つなら、ユダヤ人から切り離し

はしません。アブラハムがすべて信じる者の父と書かれていることを思い出してください

。それはアブラハムが異邦人からユダヤ人へ改宗した者であるからです。アブラハムは民 族的にユダヤ人であり、同時に異邦人でした。このためにアブラハムはすべて信じる者の 父なのです。このためにイエスの系図の中に異邦人が登場します。彼がすべての救い主と なるためです。パウロはエペソ 2 章 12 節においてギリシア語で政治的な市民権に関する言 葉を使っています。

『そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約 束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちで した。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中 にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです』(エペソ 2 章 12 節-13 節)

異邦人はイエスへの信仰を通して接ぎ木されました。それは養子にされることと、父祖へ なされた約束のためです。養子をする時、父親は法律的に子どもの父親になります。母親 は法律的に母親となるのです。そしてこれと共に聖書では、父祖の約束にあずかることも 書かれてあります。大半が異邦人で占められていたコリントの教会に対して第一コリント でパウロは「私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました」と書 いています。アブラハムの子孫(種)を信じる信仰によって、アブラハムは人種に関わら ずすべて者の父となりました。

第二に、改宗――信仰の転換によってです。改宗(回心)にもふたつ種類があります。仏教 徒が救われるとき、仏教徒であることをやめます。ヒンドゥー教徒が救われれば、ヒンド ゥー教徒であることをやめます。ユダヤ人が救われれば、その改宗には違った言葉――テ シュバー(立ち返ること)が使われます。その人は罪から神に立ち返り、ユダヤ人として のアイデンティティーが完全となるのです。異邦人のみが改宗できます。ユダヤ人は完成 されるのです。ユダヤ人の完成はテシュバーです。これは異教徒の背景を持つ黒人アフリ カ人の子どもがクリスチャンのポーランド人家庭に養子されることで説明できます。その 子は法律的な養子制度によりポーランド人となり、キリスト教に改宗しました。しかしそ の子が今度は大きくなり、ポーランド人の女性と結婚するとします。そうすると彼は結婚 によりポーランド人となり、ポーランド語を話し始めます。したがって彼は文化によりポ ーランド人になったのですが、彼の肌は黒いままです。これが非ユダヤ人がイエスの信者 となる場合に起こることです。父祖の約束を受けることによりユダヤ人ではありませんが 子となります。それは養子――改宗、宗教的な改宗によるものです。または婚姻関係によ り子となります。それはキリストが主に異邦人でなる教会の花婿であるからです。第一コ リント 9 章では、異邦人が主の聖餐にあずかる場合の文化変容について書いてあります。

彼らは本来の相続者とペサハ、過越の祭りの意義を祝います。これが異邦人クリスチャン

の地位です。

貧しさのためにヨーロッパの家族に養子されたこのアフリカ人の子どもを考えてみてくだ さい。いかなる法律的、婚姻的または文化的理由においても彼はポーランド人となりまし た。しかし彼はまだ黒人アフリカ人であるのです。彼はまだ自分のアイデンティティーを 保っています。それでも彼は本当のポーランド人なのです。彼は他のどの子どもとも同じ ように親から愛されています。子どもをひとり生むことと、子どもを養子することは同じ くらいの大きな愛を必要とします。その子どもは同じ法律的権利を持ち、法律的地位を保 っているのです。

次にユダヤ人に関しては法的な立場があります。最初のものはイスラエルの帰還法です。 シオニズム運動の父祖たちはこれを議論しました――数年間ではなく、数十年間にわたっ てです。最終的にベン・グリオンが言いました。「誰がユダヤ人なのか、我々の敵に決め させよう」彼らはその通りにしました。ユダヤ人の祖父をひとりでも持っていれば強制収 容所に行けとナチスが言ったために、イスラエル政府もユダヤ人の祖父がひとりいればア リヤー(帰還)を行い、イスラエルに移住する権利があると定めました。これが本来の帰 還法です。

第二にハラハー的な(ユダヤ法的)法律があります。これはユダヤ人の宗教法で立てられ たものです。ハラハーによるとそれは母系の血筋によるものです。ある人の母親がユダヤ 人で、その人がユダヤ教へのハラハー的な改宗を経ているなら――言い換えるなら割礼で すが――父祖の約束に入ることができるというのです。第三のものは、イスラエルのラビ が定めるユダヤ人の定義で、それは本来ハラハーの定めるものと同じであるべきものです

。ですが現実はイスラエル政権の窮状によって物事は複雑化しています。世界には約 55 の 民主主義の国がありますが、その中で唯一ユダヤ人が宗教の自由を持てない国があります

。それがイスラエルです。これはイスラエルのラビが定めるユダヤ人の地位です。彼らは 数世紀前にラビ・ヨセフ・カロ(Yosef Karo)が定めたミツヴォートの法典『シュルハン

・アルーフ(Shulchan Aruch)』を受け入れなければならないと言います。そしてもし『 シュルハン・アルーフ』を受入れないならば正式にユダヤ人となれないのです。このため にアフリカ系ユダヤ人(ファラシェ)の中で葛藤が起こり、インド系ユダヤ人( イェフデ ィン )また正統派でないユダヤ人の間でも葛藤が起こります。反シオニズム主義のラビは 何の問題もなくラビでいられますが、改革派やリベラルのラビたちは資格を持てないので す。私たちはこれまで人々がどのようにユダヤ人の宗教の自由を奪ってきたかを話してき ました。ユダヤ人の歴史的な惨劇や侮辱を私は認めます。しかしイスラエルもユダヤ人の 宗教の自由を否定し、特にメシアニックジューに対して同じことを行っているのです。

これによりイスラエルの法律的立場が考えられます。数年前に彼らは、他の信仰にかつて

改宗したことのある人はユダヤ人ではないと定めました。特にミクベー・ブリット( mikve-brit)、洗礼を受けた場合です。その当時にあってもそれは政治的圧力の強い決定で した。法律的な立場におけるユダヤ人の定義をこれまで 4 つ見てきましたが、それを見る とそこに共通認識が無いことが分かります。そこには法律的共通認識も、宗教的共通認識 も無いのです。彼らは政治の便宜に合わせてユダヤ人のアイデンティティーの定義を気ま ぐれに定めているのです。

聖書的な分類

聖書はどう語っているでしょうか。旧約聖書、タナクにあるのは主に父方の系図ですが、 歴代誌には母方の系図もあり、ルツ記の記述もあります。これは非常に重要です。正統派 のラビたちは系図に基づいてイエスのメシア性の信用を落とし、新約聖書の正当性を攻撃 します。しかし彼らが言いたがらないことは、ラビ的な文書自体(サンヘドリン 25C)が ルカの系図はマリヤのものだと言っていることです。「いや、ユダヤ人のアイデンティテ ィーは父からでなくてはならないのだ」との反論が返ってくることがありますが、ラビた ち自身がユダヤ人は母方の系図によると言っているではありませんか。ラビたちは自分た ちの中で矛盾を起こしています。一方で、歴代誌とルツ記には母方の系図の前例となるも のがあるのです。

新約聖書はより寛大です。系図は母方であ

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