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ジェイコブ・プラッシュ

レビ記はヘブライ語で「そして、主は呼ばれた」という意味の「ヴァイクラー(V'yekra)」 と呼ばれます。レビ記 2 章 1 節から

『人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならな い。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らの ところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、そ の乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい

。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。』(1 節-2 節)

『その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは主への火 によるささげ物の最も聖なるものである。あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物 をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるい は油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。また、もしあなたのさ さげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉 の、種を入れないものでなければならない。あなたはそれを粉々に砕いて、その上 に油をそそぎなさい。これは穀物のささげ物である。また、もしあなたのささげ物 が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉で作らなけれ ばならない。こうして、あなたが作った穀物のささげ物を主にささげるときは、そ れを祭司のところに持って来、祭司はそれを祭壇に持って行きなさい。祭司はその 穀物のささげ物から、記念の部分を取り出し、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。こ れは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。穀物のささげ物の残りは、 アロンとその子らのものとなる。これは主への火によるささげ物の最も聖なるもの である。』(3 節-10 節)

『あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはなら ない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしては ならないからである。それらは初物のささげ物として主にささげなければならない

。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇の上で焼き尽くしてはならない。』

(11 節-12 節)

『あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの

穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物 には、いつでも塩を添えてささげなければならない。もしあなたが初穂の穀物のさ さげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂 の穀物のささげ物としてささげなければならない。あなたはその上に油を加え、そ の上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。祭司は記念の部分、すな わち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にし なさい。これは主への火によるささげ物である。』(レビ 2 章 13 節-16 節)

ほとんどのクリスチャンは、ユダヤ人がタナク(Tenakh)と呼ぶ、旧約聖書での動物のい けにえはイエスの象徴であるなどの何かしらの考えを持っています。過越の傷のない子羊 は、イエスがどのような方であるかを示していたということを知っているかもしれません。 神さまにとってひとりの罪の無い者は多くの罪ある者たちにまさっています。それゆえ、 ひとりの人が私たち全員のために死ぬことが出来たのです。またある人は贖いの日(ヨム・ キプール)の贖罪のやぎのことについて知っているかもしれません。私たちはヘブル人へ の手紙 9 章から 11 章でそれについて読みます。大祭司は実際に二匹のやぎの頭に手を置き ます。それは罪をやぎの頭の上に置くことの象徴です。そして、彼らはそのやぎを通りに 連れ出し、人々はやぎにつばをかけ、足で蹴り、石を投げ、棒で叩き、罪のためにそれら を呪います。その後、やぎは町の外に連れて行かれ、そこで一匹はほふられ、もう一匹は 断崖に連れて行かれます。これはイエスに起こることの象徴でした。神は私たちの罪を彼 に負わせられ、エルサレムの通りで見せ物とされ、都の外に連れ出され、処刑されました

。クリスチャンの多くは、これら動物の血のささげ物がイエスの象徴であったと知ってい ます。しかしながら、穀物のささげ物に関してのことを考える人はあまり多くありません

その本当の名前をタルソのラビ・サウロといったパウロは、イエスが成就されたモーセ五 書、「トーラー」を私たちが確立すると教えています。その中のすべてのことがイエスを 指し示しています。私たちは新約聖書のみを読むことによって福音を理解し、救われる方 法を知ることが出来ます。しかしそれを深いレベルまで理解し、福音の豊かさを理解する ためには旧約聖書の背景を知らなければなりません。私たちはイエスさまがどのようにし て律法を成就したのかを知るべきなのです。

ここで穀物のささげ物はヘブライ語で「マッツァー(matzah)」といい、種をいれないパン です。もしかすると、マッツァーを見たことがあるかもしれません。ある教会では聖餐式 のときにマッツァーを用いるからです。それには筋が入れられ、穴が開けられます。タル ムードの中で過越しで使われる種をいれないパンはそうでなければならないと命じられて

いるのです。このことは過越の子羊と関連しているとラビたちは言っています。これはま

さにイエスがヨハネ 6 章で語られたことであり、彼の体の象徴です。そのためにパンは筋 が入れられ、穴を開けられ、その後、砕かれました。『彼の打ち傷によって、私たちはい やされ』、『彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され』た、とヘブライ人の預言者 イザヤは私たちに伝えています。穀物のささげ物はイエスが私たちの罪のためにささげら れたいけにえの象徴なのです。

穀物は三つの方法でささげられました。第一に、それは覆いの無い火の上、かまどでささ げられます。第二に、平なべでささげられました。それは長い取っ手のついたフライパン のような物です。第三の方法は、私たちがヘブライ語で「ブタナー(b'tanur)」と呼ぶなべ の中でささげられます。つまり、穀物は覆いの無い火の上、平なべ、なべの中でささげら れたのです。私たちは三次元の生き物です。なぜなら、神さまは私たちを神のかたちに似 せて(Imago Dei)、お造りになったからです。私たちは体、たましい、霊とで成っていま す。この性質は私たちがどのように三位一体の神のかたちに似せて造られたかを示すもの です。私たちの三つの側面は創造主の三つの側面を示しています。私たちはある人が「セ オポモーフィック(theopomorphic)」と呼ぶものであり、神のかたちに造られています。

この事実を踏まえると、イエスさまが私たちの罪のために死なれたとき、彼は体、たまし い、それに霊において苦しまれたということが分かります。罪は私たちの存在のすべての 側面を汚します。罪は肉体を汚し、たましいである意思や感情、知性を汚し、私たちの霊 を汚します。私たちのすべての側面は罪のために汚れています。それゆえ、その罪を取り 去るためにイエスさまは体、たましい、霊をもって贖わなければならなかったのです。

なので、まず穀物のささげ物は覆いの無い火の上でささげられました。かまどの上で穀物 がささげられている時、すべての人はそれが焼けていくのを見ることが出来ました。この ことは主イエスの肉体的な苦しみと関連しています。イエスはほぼ裸に近い状態で公に吊 るされ、ローマ人による処刑を耐え忍んでいました。すべての人は彼が肉体的に拷問にか けられているのを見ることが出来ました。イエスが十字架につけられた時、彼は私の罪の ために釘付けにされました。イエスがローマ人兵士たちに打ち叩かれ、その頭にいばらの 冠を押し付けたられたのは私の罪を負ったからです。イエスは釘を受け、私は救いを受け した。正しくない者のために正しい者が苦しんだのです。

アメリカの“バイブル・ベルト(伝統的にクリスチャンが多い地域)”には大きな問題があ ります。その問題とは“文化的プロテスタント主義”です。言い換えると、そのような環 境で育ったという理由だけで、福音が宣べ伝えられている教会に行き、福音を信じている 人々がいるのです。その人たちはずっとそうしてきました。しかし、全き救いには至って

いません。これが、私が世界中のバイブル・ベルトのある地域で見た大きな問題です。南

アフリカや北アイルランド、もちろん南アメリカでもその状態を発見しました。そこには 教理があり、信条があり、主を知っている人たちもいるかもしれませんが、そうでない人 たちがいるのです。イエスが十字架に向かったとき、それはあなたのためでした。神はあ なたの罪を取り、彼に負わせられました。そしてイエスの義を取り、あなたに着させられ たのです。あなたはこれを個人的に受け入れなくてはなりません。そうでなければ何度教 会に行こうともクリスチャンではないのです。

彼は肉体において苦しみを受けました。すべての人が穀物が焼けていくのを見ることが出 来ました。彼への拷問は言うに耐えないほどのものでした。私はあるクリスチャン病理学 者が記した死体解剖のレポートを一度読んだことがあるのですが、それはローマ式に十字 架にかけられた死体についてであり、信じられないほどおぞましいものでした。現代の技 術をもってしても、人を殺すためにローマ人たちがイエスに用いたほど残酷な方法を見つ けることは難しいでしょう。

一方で、穀物は平なべにおいてもささげられました。その上で焼かれているとき、どのよ うな状態であるかはただ部分的に見えるだけでした。そこで起こっていることをいくらか は見えたでしょうが、すべてを見ることは出来なかったのです。レビ記 2 章で見るこの平 なべで焼かれた穀物は、イエスの情緒的・精神的な苦しみと関連しています。聖書が「た ましいの苦しみ」と表現しているものです。

誰かが情緒的・精神的に苦しんでいるとき、また絶望や死別や何らかのものによって憂う つになっているとき、他の人は何が起こっているかを部分的に知ることは出来ますが、す べてを知ることは出来ません。少し離れると、平なべで焼かれている穀物を部分的にしか 見えませんでした。しかし、焼かれていくさまのすべてを見ようとするなら、真上に立ち

、見下ろさなくてはなりません。従って、誰かが絶望や死別、救われなかった親類の死に ついて悲しんでいたとしても、他の人は何が起こっているのかを部分的に知るだけなので す。しかし、あなたを上から見下ろす方はすべてを知っています。主はすべてをご存知で す。他の人は敏感に察し、共感するかもしれませんが神さまはすべてを理解されているの です。

そうです。イエスは私たちの悲しみを負いました。彼は肉体的にも苦しみ、情緒的にも精 神的にも拷問を受けました。

しかし、穀物がささげられる三つ目の方法があります。それはヘブライ語で「オーブンの 中」という意味の「ブタナー」と呼ばれる物で、誰もその中を見ることは出来ませんでし

イエスが十字架に向かったとき、三位一体の神の中で特別なことが起こりました。父なる 神が御子に背を向けました。さて、私たちが非常に気を付けないといけないことは、アメ リカ南部を起源としたとんでもない異端の教えがあるということです。それは名ばかりの “クリスチャン TV(Christian television)”というものの中で、金銭目的の説教者が広め たものです。彼らは「イエスは霊的に死んだ」と言い、イエスがいのちを引き取るときに、 彼自身「完了した。」「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と言ったにも関わらず、サタ ンが十字架上で勝利を得たと教え、イエスの言ったことは起こらなかったとする、完全に 冒とく的な嘘です。彼らは、イエスはサタンと性質がひとつになり、よみで三日三晩苦し みを受け、そこで生まれ変わったと教えています。これが金銭目的の説教者たちの信じて いることです。このようなことを信じているとイエスの十字架は信仰生活の中心ではなく、 救いに関しても十字架が中心ではなくなります。「自分の十字架を負ってわたしについて来 なさい。そして、やがて来るべき世に希望を持ちなさい」と言う代わりに、彼らの信条は、

「名を挙げて要求しなさい(Name it and claim it)・あなたは王様の子どもなんだから・ 神さまはあなたに金持ちになってほしい」というものや、『神の国は今(Kingdom now)』 などのものです。これらはひどい異端の教えです。イエスは十字架上で勝利を得ました。 悪魔ではありません。しかし、オーブンの中では何かが起こりました。その神性の中で何 かが起こったのです。父なる神が御子に背を向けました。神さまは罪を見逃すことは出来 ません。私たちはここで何が起こっていたかということについて、完全には理解しきって いません。

私たちはイエスの肉体的な苦しみを少しもないがしろには出来ません。その苦痛は耐え難 いほどのものだったのです。そして、彼の情緒的・精神的な苦しみもそうです。聖書は簡 素に「たましいの苦しみ」と書いていますが、これも事実です。しかし、イエスにより深 い苦しみを引き起こしたのは三位一体の中で起こったことです。父なる神が御子に背を向 けました。そのオーブンの中で何かが起こりました。私たちの罪を彼に負わせ、その義を 私たちに与えるため、父なる神が御子に背を向けるといったような、危機的状態に神がど のようにして陥ることが出来たでしょうか?肉体の苦しみはひどく、精神的苦痛は耐え難 かったのですが、霊的には起こったことはさらに悪かったのです。イエスは、私の罪とあ なたの罪のために、その時、父なる神との交わりから切り離されました。

イエスは肉体において、たましいにおいて、霊において苦しみました。このように穀物は ささげられなければならなかったのです。かまどでは、すべての人が見ることができ、平 なべでは、上から見下ろす以外には部分的にしか見えず、なべ(オーブン)では誰も見る ことが出来ませんでした。

そこで、穀物には油が塗られ、油が注がれなければなりませんでした。ヘブライ語での油

の基本的な単語は「シェメン(shemen)」といいます。それは油注ぎに関して使われます

。「キリスト」という言葉はギリシア語の「クリストス(christos)」から来ました。これ は、「油注がれた者」という意味のメシア、つまりヘブライ語では「ハ・マシアハ(ha Mashiach)」という単語のギリシア的な言い方です。イエスはその支配に関して油注がれ る以前に、埋葬のために油注がれました。そして、第二コリントの手紙において、パウロ が自らの奉仕について油注ぎの証拠を語ったときも、彼は使徒としての奇跡やしるしを初 めに語らず、見捨てられたことや遭難したこと、石打ちにされたことなどを語りました。 キリストから来る油注ぎ、真実の油注ぎの証拠は何よりもまず、十字架につけられた生活 であり、この世に何の望みも置かない生活です。それはいわゆる“クリスチャン TV”であ るように、世が見てからかう、ベンツなどの物質的な浪費ではありません。それは油注ぎ ではありません。油注ぎとは十字架につけられた生活であり、この世に望みを置かない生 活、神のみこころであればこの世で苦しむ恵みを与えてくれる神、その方に信頼する者に 与えられるものです。もしそれが死に至ろうとも、この世においての自分のいのちを惜し まない者、そのようなものが油注ぎの本当の証拠です。

イエスは埋葬のために油注がれました。油は穀物の上に注がれました。油と乳香です。イ エスがお生まれになったとき、東方の博士たちは彼が王であるために、黄金を持ってきま した。またその死のために没薬を持ってきました(没薬とは、ご存知のように埋葬のため に死体に塗られる物で、それはヨハネ 19 章 39 節で見ることが出来ます)。そして彼らはま た乳香を持ってきました。香とは、黙示録を見るなら、それが聖徒たちの祈りだというこ とが分かります。(訳注…黙示録 5 章 8 節)

このことを理解するために、雅歌の 4 章 6 節を手短に読んでみましょう。私たちは雅歌の ことをヘブライ語で「ハシェル・ハシェリム(Hashir Hashirim)」と呼びます。これはア レゴリー(たとえ話)であり、ソロモンとシュラムの女との恋愛は、キリストと花嫁との 恋愛の象徴です。4 章 6 節では次のように言われています、

『そよ風が吹き始め、 影が消え去るころまでに、

私は没薬の山、乳香の丘に行こう。』(雅歌 4 章 6 節) 花婿は花嫁のために死ぬという目的で、埋葬の準備にと油注がれていました。それは私た

ちがカルバリの丘と呼ぶ、没薬の山において、受け入れられるいけにえをささげるためで

した。そのようにイエスは受け入れられるいけにえをささげるため、埋葬のために油注が れていたのです。気付いているでしょうか。あなたが祈りに祈っても、讃美歌を何度も何 度も歌っても、それは関係がありません。それがキリストにあってなされたことであり、 人が生まれ変わっていなければ、その礼拝は受け入れられません。キリストにあってなさ れたことだけが重要なのです。あなたは教会に行きたいだけ行くことが出来ます。それは 良いことなのですが、それだけでは十分ではないのです。キリストにあることだけが重要 です。続けましょう。

穀物は受け入れられる礼拝をもたらすために油注がれました。油と共に香がありました。 しかし、穀物と一緒に蜜をささげてはいけませんでした。パン種もそうです。“種を入れ ないパン”それがマッツァーの意味するものです。なぜ、イエスの体を象徴しているパン にはパン種を入れてはならなかったのでしょうか。パン種とはどのようなものでしょうか

?新約聖書は繰り返し、パン種について語っています。

第一コリント 5 章では、パウロは次のように言います、『あなたがたの高慢は、よくないこ とです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませること を知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きな さい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの [ペサハのメシア] 過越の小 羊キリストが、すでにほふられたからです。』(5 章 6 節-7 節)

パン種やイースト菌はそのパンの栄養価という点に関しては、何の貢献するところもあり ません。ただそれをふくらませるだけです。『あなたがたの高慢は、よくないことです。

』第一に、パン種の示すものは罪ですが、特に高慢の罪に関してです。高慢は影響力の大 きな罪です。それは他の罪を引き起こすものだからです。イザヤ 14 章において、最初の罪 は高慢だったことが分かります。サタンは神になろうとしました。永遠の時の中で、サタ ンは神の権威を奪い取ろうとしています。イザヤ 14 章によると、高慢がサタンの最初の罪 でした。アダムとエバの誘惑されたとき、人間の最初の罪も高慢でした。高慢は、他の罪 を招く種類の罪なのです。誰でも、よこしまであったり、押さえられない欲望を持ってい たり、怒りやすかったりする人であっても、根底には高慢があります。このように高慢は 他の罪を生み出し、他の罪を引き起こすものです。

イエスさまが十字架の上でなされたこと以外に、私が誇るものがあってはなりません。そ れがすべてであり、イエスさまが私の罪を取り去り、死者からよみがえられたことだけを 私は誇るべきなのです。イエスは神でしたから罪はありませんでした。彼が誇るべきこと はすべてのことについてであったにも関わらず、何も誇りはしませんでした。しかし、私

のような何も誇るところの無い者が、毎日高慢と戦っています。あなたもそうではないで

しょうか。私たちは高慢と毎日戦いますが、イエスはそうされなかったのです。マッツァ ーにはパン種は入っていませんでした。

またイエスはさらに語られます。『パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気 をつけなさい。』これは彼らの“偽りの教理”についてです。異端や間違った教理を見つ けたときには、(偽りの教理を理解するにはただ、名ばかりの“クリスチャン TV”をつけ るだけで十分です。その中には真実の教えより、偽りの教えのほうが多いのです)それは パリサイ人のパン種です。ふくらませるもの、それが高慢です。「神に示された!これが 出来る!進んで行って征服するんだ!」といったものは霊的な高慢です。偽りの教理や異 端があれば、その源泉はいつも霊的な高慢から出てきています。パリサイ人のパン種に気 をつけてください。イエスの内には何の偽りの教えも、異端もありませんでした。彼の話 されたすべての言葉は 120 パーセント真実です。そのマッツァーの中にパン種はありませ んでした。もしそうでなかったならイエスは私たちの罪のために死ぬことが出来なかった でしょう。

もう一度言いますが、罪のあるすべての人より、罪のないひとりの人のほうが神にとって 価値があります。あなたがどのくらい善い人かということは問題ではありません。天国に 行くには十分に善い人ではないからです。また言い換えると、あなたがどんなに悪くても 問題ではありません。神があなたを愛さず、イエスがあなたの罪を負い、そのいのちを与 えられないほど人が悪くなることは出来ないからです。これが福音です。

しかし、このことをずっと耳にしながら、育ってきた人たちの場合は難しいものです。そ の人たちは 20 年や 30 年、40 年とこのメッセージを聞いてきて(人によって違いはあるで しょうが)何百回となく聞いてきた人もいるでしょう。その状況で未だに新しく生まれる に至っていない人がいます。これはとんでもない悲劇です。私の家族はイスラエルに住む ユダヤ人です。ユダヤ人は福音を退けたことにおいて、他の人たちよりも罪が重いのです

。なぜならイエスはユダヤ人であり、福音はまず初めにイスラエルに来たからです。また ローマ人への手紙で言われていることですが、神はまずユダヤ人に責任を問うとあります

。なぜなら彼らは救いを受取ることができ、それを拒否することの結果も彼らに最初に下 るからです。従って、福音をくりかえし聞き続けてきた人たちは、福音に容易に触れるこ との出来なかった人たちより、責任が重くなります。私は大学に入るまでは、新生したク リスチャンがどのようなものか全く知りませんでした。そのようなことについて聞いたこ とすら無かったのです。しかし、多くの人がそれを聞きながらも受け入れずに育ってきて います。その人たちは真理を知っているのです。そうでなかったとしても、少なくとも真 理は彼らの手の届くところにあります。私はよくアフリカやインド、中東に行きます。こ

の真理について、何も聞いたことの無い人々のいる場所に訪れます。しかし、その場所で

も、日曜日ごとに教会に行く人たちはいるのですが、彼らの生活に何の変化も見られませ ん。

マッツァーの中には、高慢や偽りの教理のようなパン種は何も入っていませんでした。罪 のないひとりの人が、罪あるすべての人のために死ぬことが出来るためです。

しかし、また、そこには蜜はありませんでした。その穀物にはなぜ、蜜がそえられていな かったのでしょうか?蜜に何か問題があったのでしょうか?私たちは聖書によってパン種 とは何であるかが分かります。それなら蜜のいけないところは何なのでしょうか?なぜレ ビ記 2 章で神は穀物がささげられるとき、蜜が一緒にあってはならないと言われたのでし ょうか?

箴言 24 ç«  13 節を開いてください。聖書はいつも他の聖書箇所によって解釈されなければ いけません。そこで『わが子よ。蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口 に甘い。』とあります。蜜は甘いのです。ここで、蜜についてのヘブライ的な考え方を理 解しておきましょう。ヘブライ語で蜜は「デヴァッシュ(devash)」といい、それは蜂を表 わす「デボラ(devorah)」という言葉から来ています。デボラという女の子の名前はヘブ ライ語で“蜂”という意味です。一方、神の言葉である聖書を表わすヘブライ語は「デヴ ァール(devar)」といいます。神の言葉は甘いのです。黙示録の中で(またはエゼキエル 3 章で)巻き物は口に甘く腹に苦いものでした。神の言葉は私たちの舌に甘いのです。それ はいつも口に対して甘いにも関わらず、腹には苦いものです。聖書はとても興味深くまた 励まされるものです。ã

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