Typology of the Grain Offering - Japanese

April 3, 2025

穀物のささげ物の象徴

ジェイコブ・プラッシュ

レビ記はヘブライ語で「そして、主は呼ばれた」という意味の「ヴァイクラー(V'yekra)」と呼ばれます。レビ記 2 章 1 節から

『人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならな い。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らの ところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、そ の乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。』(1 節-2 節)

『その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。また、もしあなたのささげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れないものでなければならない。あなたはそれを粉々に砕いて、その上に油をそそぎなさい。これは穀物のささげ物である。また、もしあなたのささげ物が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉で作らなければならない。こうして、あなたが作った穀物のささげ物を主にささげるときは、それを祭司のところに持って来、祭司はそれを祭壇に持って行きなさい。祭司はその穀物のささげ物から、記念の部分を取り出し、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。これは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。』(3 節-10 節)

『あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはなら ない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしては ならないからである。それらは初物のささげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇の上で焼き尽くしてはならない。』(11 節-12 節)

『あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの

穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。もしあなたが初穂の穀物のささげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。祭司は記念の部分、すなわち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。』(レビ 2 章 13 節-16 節)

ほとんどのクリスチャンは、ユダヤ人がタナク(Tenakh)と呼ぶ、旧約聖書での動物のい けにえはイエスの象徴であるなどの何かしらの考えを持っています。過越の傷のない子羊 は、イエスがどのような方であるかを示していたということを知っているかもしれません。神さまにとってひとりの罪の無い者は多くの罪ある者たちにまさっています。それゆえ、 ひとりの人が私たち全員のために死ぬことが出来たのです。またある人は贖いの日(ヨム・キプール)の贖罪のやぎのことについて知っているかもしれません。私たちはヘブル人へ の手紙 9 章から 11 章でそれについて読みます。大祭司は実際に二匹のやぎの頭に手を置き ます。それは罪をやぎの頭の上に置くことの象徴です。そして、彼らはそのやぎを通りに 連れ出し、人々はやぎにつばをかけ、足で蹴り、石を投げ、棒で叩き、罪のためにそれら を呪います。その後、やぎは町の外に連れて行かれ、そこで一匹はほふられ、もう一匹は 断崖に連れて行かれます。これはイエスに起こることの象徴でした。神は私たちの罪を彼 に負わせられ、エルサレムの通りで見せ物とされ、都の外に連れ出され、処刑されました。クリスチャンの多くは、これら動物の血のささげ物がイエスの象徴であったと知っていま す。しかしながら、穀物のささげ物に関してのことを考える人はあまり多くありません。

その本当の名前をタルソのラビ・サウロといったパウロは、イエスが成就されたモーセ五書、「トーラー」を私たちが確立すると教えています。その中のすべてのことがイエスを指し示しています。私たちは新約聖書のみを読むことによって福音を理解し、救われる方法を知ることが出来ます。しかしそれを深いレベルまで理解し、福音の豊かさを理解するためには旧約聖書の背景を知らなければなりません。私たちはイエスさまがどのようにして律法を成就したのかを知るべきなのです。

ここで穀物のささげ物はヘブライ語で「マッツァー(matzah)」といい、種をいれないパンです。もしかすると、マッツァーを見たことがあるかもしれません。ある教会では聖餐式のときにマッツァーを用いるからです。それには筋が入れられ、穴が開けられます。タルムードの中で過越しで使われる種をいれないパンはそうでなければならないと命じられているのです。このことは過越の子羊と関連しているとラビたちは言っています。これはま

さにイエスがヨハネ 6 章で語られたことであり、彼の体の象徴です。そのためにパンは筋が入れられ、穴を開けられ、その後、砕かれました。『彼の打ち傷によって、私たちはいやされ』、『彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され』た、とヘブライ人の預言者イザヤは私たちに伝えています。穀物のささげ物はイエスが私たちの罪のためにささげられたいけにえの象徴なのです。

穀物は三つの方法でささげられました。第一に、それは覆いの無い火の上、かまどでささげられます。第二に、平なべでささげられました。それは長い取っ手のついたフライパンのような物です。第三の方法は、私たちがヘブライ語で「ブタナー(b'tanur)」と呼ぶなべの中でささげられます。つまり、穀物は覆いの無い火の上、平なべ、なべの中でささげられたのです。私たちは三次元の生き物です。なぜなら、神さまは私たちを神のかたちに似せて(Imago Dei)、お造りになったからです。私たちは体、たましい、霊とで成っています。この性質は私たちがどのように三位一体の神のかたちに似せて造られたかを示すものです。私たちの三つの側面は創造主の三つの側面を示しています。私たちはある人が「セオポモーフィック(theopomorphic)」と呼ぶものであり、神のかたちに造られています。

この事実を踏まえると、イエスさまが私たちの罪のために死なれたとき、彼は体、たましい、それに霊において苦しまれたということが分かります。罪は私たちの存在のすべての側面を汚します。罪は肉体を汚し、たましいである意思や感情、知性を汚し、私たちの霊を汚します。私たちのすべての側面は罪のために汚れています。それゆえ、その罪を取り去るためにイエスさまは体、たましい、霊をもって贖わなければならなかったのです。

なので、まず穀物のささげ物は覆いの無い火の上でささげられました。かまどの上で穀物がささげられている時、すべての人はそれが焼けていくのを見ることが出来ました。このことは主イエスの肉体的な苦しみと関連しています。イエスはほぼ裸に近い状態で公に吊るされ、ローマ人による処刑を耐え忍んでいました。すべての人は彼が肉体的に拷問にかけられているのを見ることが出来ました。イエスが十字架につけられた時、彼は私の罪のために釘付けにされました。イエスがローマ人兵士たちに打ち叩かれ、その頭にいばらの冠を押し付けたられたのは私の罪を負ったからです。イエスは釘を受け、私は救いを受けした。正しくない者のために正しい者が苦しんだのです。

アメリカの“バイブル・ベルト(伝統的にクリスチャンが多い地域)”には大きな問題があります。その問題とは“文化的プロテスタント主義”です。言い換えると、そのような環境で育ったという理由だけで、福音が宣べ伝えられている教会に行き、福音を信じている人々がいるのです。その人たちはずっとそうしてきました。しかし、全き救いには至っていません。これが、私が世界中のバイブル・ベルトのある地域で見た大きな問題です。南

アフリカや北アイルランド、もちろん南アメリカでもその状態を発見しました。そこには

教理があり、信条があり、主を知っている人たちもいるかもしれませんが、そうでない人たちがいるのです。イエスが十字架に向かったとき、それはあなたのためでした。神はあなたの罪を取り、彼に負わせられました。そしてイエスの義を取り、あなたに着させられたのです。あなたはこれを個人的に受け入れなくてはなりません。そうでなければ何度教会に行こうともクリスチャンではないのです。

彼は肉体において苦しみを受けました。すべての人が穀物が焼けていくのを見ることが出来ました。彼への拷問は言うに耐えないほどのものでした。私はあるクリスチャン病理学者が記した死体解剖のレポートを一度読んだことがあるのですが、それはローマ式に十字架にかけられた死体についてであり、信じられないほどおぞましいものでした。現代の技術をもってしても、人を殺すためにローマ人たちがイエスに用いたほど残酷な方法を見つけることは難しいでしょう。

一方で、穀物は平なべにおいてもささげられました。その上で焼かれているとき、どのような状態であるかはただ部分的に見えるだけでした。そこで起こっていることをいくらかは見えたでしょうが、すべてを見ることは出来なかったのです。レビ記 2 章で見るこの平なべで焼かれた穀物は、イエスの情緒的・精神的な苦しみと関連しています。聖書が「たましいの苦しみ」と表現しているものです。

誰かが情緒的・精神的に苦しんでいるとき、また絶望や死別や何らかのものによって憂う つになっているとき、他の人は何が起こっているかを部分的に知ることは出来ますが、す べてを知ることは出来ません。少し離れると、平なべで焼かれている穀物を部分的にしか 見えませんでした。しかし、焼かれていくさまのすべてを見ようとするなら、真上に立ち、見下ろさなくてはなりません。従って、誰かが絶望や死別、救われなかった親類の死につ いて悲しんでいたとしても、他の人は何が起こっているのかを部分的に知るだけなのです。しかし、あなたを上から見下ろす方はすべてを知っています。主はすべてをご存知です。 他の人は敏感に察し、共感するかもしれませんが神さまはすべてを理解されているのです。

そうです。イエスは私たちの悲しみを負いました。彼は肉体的にも苦しみ、情緒的にも精神的にも拷問を受けました。

しかし、穀物がささげられる三つ目の方法があります。それはヘブライ語で「オーブンの中」という意味の「ブタナー」と呼ばれる物で、誰もその中を見ることは出来ませんでした。

イエスが十字架に向かったとき、三位一体の神の中で特別なことが起こりました。父なる

神が御子に背を向けました。さて、私たちが非常に気を付けないといけないことは、アメリカ南部を起源としたとんでもない異端の教えがあるということです。それは名ばかりの

“クリスチャン TV(Christian television)”というものの中で、金銭目的の説教者が広め たものです。彼らは「イエスは霊的に死んだ」と言い、イエスがいのちを引き取るときに、 彼自身「完了した。」「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と言ったにも関わらず、サタ ンが十字架上で勝利を得たと教え、イエスの言ったことは起こらなかったとする、完全に 冒とく的な嘘です。彼らは、イエスはサタンと性質がひとつになり、よみで三日三晩苦し みを受け、そこで生まれ変わったと教えています。これが金銭目的の説教者たちの信じて いることです。このようなことを信じているとイエスの十字架は信仰生活の中心ではなく、救いに関しても十字架が中心ではなくなります。「自分の十字架を負ってわたしについて来 なさい。そして、やがて来るべき世に希望を持ちなさい」と言う代わりに、彼らの信条は、

「名を挙げて要求しなさい(Name it and claim it)・あなたは王様の子どもなんだから・

神さまはあなたに金持ちになってほしい」というものや、『神の国は今(Kingdom now)』などのものです。これらはひどい異端の教えです。イエスは十字架上で勝利を得ました。悪魔ではありません。しかし、オーブンの中では何かが起こりました。その神性の中で何かが起こったのです。父なる神が御子に背を向けました。神さまは罪を見逃すことは出来ません。私たちはここで何が起こっていたかということについて、完全には理解しきっていません。

私たちはイエスの肉体的な苦しみを少しもないがしろには出来ません。その苦痛は耐え難いほどのものだったのです。そして、彼の情緒的・精神的な苦しみもそうです。聖書は簡素に「たましいの苦しみ」と書いていますが、これも事実です。しかし、イエスにより深い苦しみを引き起こしたのは三位一体の中で起こったことです。父なる神が御子に背を向けました。そのオーブンの中で何かが起こりました。私たちの罪を彼に負わせ、その義を私たちに与えるため、父なる神が御子に背を向けるといったような、危機的状態に神がどのようにして陥ることが出来たでしょうか?肉体の苦しみはひどく、精神的苦痛は耐え難かったのですが、霊的には起こったことはさらに悪かったのです。イエスは、私の罪とあなたの罪のために、その時、父なる神との交わりから切り離されました。

イエスは肉体において、たましいにおいて、霊において苦しみました。このように穀物はささげられなければならなかったのです。かまどでは、すべての人が見ることができ、平なべでは、上から見下ろす以外には部分的にしか見えず、なべ(オーブン)では誰も見ることが出来ませんでした。

そこで、穀物には油が塗られ、油が注がれなければなりませんでした。ヘブライ語での油

の基本的な単語は「シェメン(shemen)」といいます。それは油注ぎに関して使われます。

「キリスト」という言葉はギリシア語の「クリストス(christos)」から来ました。これは、

「油注がれた者」という意味のメシア、つまりヘブライ語では「ハ・マシアハ(ha Mashiach)」という単語のギリシア的な言い方です。イエスはその支配に関して油注がれる以前に、埋葬のために油注がれました。そして、第二コリントの手紙において、パウロが自らの奉仕について油注ぎの証拠を語ったときも、彼は使徒としての奇跡やしるしを初めに語らず、見捨てられたことや遭難したこと、石打ちにされたことなどを語りました。キリストから来る油注ぎ、真実の油注ぎの証拠は何よりもまず、十字架につけられた生活であり、この世に何の望みも置かない生活です。それはいわゆる“クリスチャン TV”であるように、世が見てからかう、ベンツなどの物質的な浪費ではありません。それは油注ぎではありません。油注ぎとは十字架につけられた生活であり、この世に望みを置かない生活、神のみこころであればこの世で苦しむ恵みを与えてくれる神、その方に信頼する者に与えられるものです。もしそれが死に至ろうとも、この世においての自分のいのちを惜しまない者、そのようなものが油注ぎの本当の証拠です。

イエスは埋葬のために油注がれました。油は穀物の上に注がれました。油と乳香です。イエスがお生まれになったとき、東方の博士たちは彼が王であるために、黄金を持ってきました。またその死のために没薬を持ってきました(没薬とは、ご存知のように埋葬のために死体に塗られる物で、それはヨハネ 19 章 39 節で見ることが出来ます)。そして彼らはまた乳香を持ってきました。香とは、黙示録を見るなら、それが聖徒たちの祈りだということが分かります。(訳注…黙示録 5 章 8 節)

このことを理解するために、雅歌の 4 章 6 節を手短に読んでみましょう。私たちは雅歌のことをヘブライ語で「ハシェル・ハシェリム(Hashir Hashirim)」と呼びます。これはアレゴリー(たとえ話)であり、ソロモンとシュラムの女との恋愛は、キリストと花嫁との恋愛の象徴です。4 章 6 節では次のように言われています、

『そよ風が吹き始め、

影が消え去るころまでに、

私は没薬の山、乳香の丘に行こう。』(雅歌 4 章 6 節)

花婿は花嫁のために死ぬという目的で、埋葬の準備にと油注がれていました。それは私たちがカルバリの丘と呼ぶ、没薬の山において、受け入れられるいけにえをささげるためでした。そのようにイエスは受け入れられるいけにえをささげるため、埋葬のために油注が

れていたのです。気付いているでしょうか。あなたが祈りに祈っても、讃美歌を何度も何

度も歌っても、それは関係がありません。それがキリストにあってなされたことであり、人が生まれ変わっていなければ、その礼拝は受け入れられません。キリストにあってなされたことだけが重要なのです。あなたは教会に行きたいだけ行くことが出来ます。それは良いことなのですが、それだけでは十分ではないのです。キリストにあることだけが重要です。続けましょう。

穀物は受け入れられる礼拝をもたらすために油注がれました。油と共に香がありました。しかし、穀物と一緒に蜜をささげてはいけませんでした。パン種もそうです。“種を入れないパン”それがマッツァーの意味するものです。なぜ、イエスの体を象徴しているパンにはパン種を入れてはならなかったのでしょうか。パン種とはどのようなものでしょうか?新約聖書は繰り返し、パン種について語っています。

第一コリント 5 章では、パウロは次のように言います、『あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの [ペサハのメシア] 過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。』(5 章 6 節-7 節)

パン種やイースト菌はそのパンの栄養価という点に関しては、何の貢献するところもありません。ただそれをふくらませるだけです。『あなたがたの高慢は、よくないことです。』第一に、パン種の示すものは罪ですが、特に高慢の罪に関してです。高慢は影響力の大きな罪です。それは他の罪を引き起こすものだからです。イザヤ 14 章において、最初の罪は高慢だったことが分かります。サタンは神になろうとしました。永遠の時の中で、サタンは神の権威を奪い取ろうとしています。イザヤ 14 章によると、高慢がサタンの最初の罪でした。アダムとエバの誘惑されたとき、人間の最初の罪も高慢でした。高慢は、他の罪を招く種類の罪なのです。誰でも、よこしまであったり、押さえられない欲望を持っていたり、怒りやすかったりする人であっても、根底には高慢があります。このように高慢は他の罪を生み出し、他の罪を引き起こすものです。

イエスさまが十字架の上でなされたこと以外に、私が誇るものがあってはなりません。それがすべてであり、イエスさまが私の罪を取り去り、死者からよみがえられたことだけを私は誇るべきなのです。イエスは神でしたから罪はありませんでした。彼が誇るべきことはすべてのことについてであったにも関わらず、何も誇りはしませんでした。しかし、私のような何も誇るところの無い者が、毎日高慢と戦っています。あなたもそうではないでしょうか。私たちは高慢と毎日戦いますが、イエスはそうされなかったのです。マッツァ

ーにはパン種は入っていませんでした。

またイエスはさらに語られます。『パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。』これは彼らの“偽りの教理”についてです。異端や間違った教理を見つけたときには、(偽りの教理を理解するにはただ、名ばかりの“クリスチャン TV”をつけるだけで十分です。その中には真実の教えより、偽りの教えのほうが多いのです)それはパリサイ人のパン種です。ふくらませるもの、それが高慢です。「神に示された!これが出来る!進んで行って征服するんだ!」といったものは霊的な高慢です。偽りの教理や異端があれば、その源泉はいつも霊的な高慢から出てきています。パリサイ人のパン種に気をつけてください。イエスの内には何の偽りの教えも、異端もありませんでした。彼の話されたすべての言葉は 120 パーセント真実です。そのマッツァーの中にパン種はありませんでした。もしそうでなかったならイエスは私たちの罪のために死ぬことが出来なかったでしょう。

もう一度言いますが、罪のあるすべての人より、罪のないひとりの人のほうが神にとって価値があります。あなたがどのくらい善い人かということは問題ではありません。天国に行くには十分に善い人ではないからです。また言い換えると、あなたがどんなに悪くても問題ではありません。神があなたを愛さず、イエスがあなたの罪を負い、そのいのちを与えられないほど人が悪くなることは出来ないからです。これが福音です。

しかし、このことをずっと耳にしながら、育ってきた人たちの場合は難しいものです。そ の人たちは 20 年や 30 年、40 年とこのメッセージを聞いてきて(人によって違いはあるで しょうが)何百回となく聞いてきた人もいるでしょう。その状況で未だに新しく生まれる に至っていない人がいます。これはとんでもない悲劇です。私の家族はイスラエルに住む ユダヤ人です。ユダヤ人は福音を退けたことにおいて、他の人たちよりも罪が重いのです。なぜならイエスはユダヤ人であり、福音はまず初めにイスラエルに来たからです。またロ ーマ人への手紙で言われていることですが、神はまずユダヤ人に責任を問うとあります。 なぜなら彼らは救いを受取ることができ、それを拒否することの結果も彼らに最初に下る からです。従って、福音をくりかえし聞き続けてきた人たちは、福音に容易に触れること の出来なかった人たちより、責任が重くなります。私は大学に入るまでは、新生したクリ スチャンがどのようなものか全く知りませんでした。そのようなことについて聞いたこと すら無かったのです。しかし、多くの人がそれを聞きながらも受け入れずに育ってきてい ます。その人たちは真理を知っているのです。そうでなかったとしても、少なくとも真理 は彼らの手の届くところにあります。私はよくアフリカやインド、中東に行きます。この 真理について、何も聞いたことの無い人々のいる場所に訪れます。しかし、その場所でも、日曜日ごとに教会に行く人たちはいるのですが、彼らの生活に何の変化も見られません。

マッツァーの中には、高慢や偽りの教理のようなパン種は何も入っていませんでした。罪

のないひとりの人が、罪あるすべての人のために死ぬことが出来るためです。

しかし、また、そこには蜜はありませんでした。その穀物にはなぜ、蜜がそえられていなかったのでしょうか?蜜に何か問題があったのでしょうか?私たちは聖書によってパン種とは何であるかが分かります。それなら蜜のいけないところは何なのでしょうか?なぜレビ記 2 章で神は穀物がささげられるとき、蜜が一緒にあってはならないと言われたのでしょうか?

箴言 24 章 13 節を開いてください。聖書はいつも他の聖書箇所によって解釈されなければいけません。そこで『わが子よ。蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。』とあります。蜜は甘いのです。ここで、蜜についてのヘブライ的な考え方を理解しておきましょう。ヘブライ語で蜜は「デヴァッシュ(devash)」といい、それは蜂を表わす「デボラ(devorah)」という言葉から来ています。デボラという女の子の名前はヘブライ語で“蜂”という意味です。一方、神の言葉である聖書を表わすヘブライ語は「デヴァール(devar)」といいます。神の言葉は甘いのです。黙示録の中で(またはエゼキエル 3章で)巻き物は口に甘く腹に苦いものでした。神の言葉は私たちの舌に甘いのです。それはいつも口に対して甘いにも関わらず、腹には苦いものです。聖書はとても興味深くまた励まされるものです。しかし、私たちには責任があります。ただ単に知識を増やすだけではなく、自分の生活を変える必要があるからです。口に甘く、腹に苦いのです。そうです私たちは蜜の部分だけ好み、苦味の部分は嫌います。

ヘブライ人は乳と蜜の流れる地に入りました。なのでいつの日か私たちも、乳と蜜の流れる地である天に入ります。これは象徴です。天においてすべてが愛らしいものとなります。しかしながら、私たちはこの世の象徴であるエジプトを出てから、そこに至るまでは荒野に滞在しています。砂漠は厳しい場所です。イスラエルの民のためにマナが降り注ぎましたが、それはちょうど蜜のような味がしました。今もその“マナ”は降り注ぎ、蜜のような味がします。

しかし、蜜には問題がありました。それは蜜自体に悪い点があるのではなく、私たちが蜜をどう扱うかという点において問題があるということです。箴言 25 章 16 節を見ると、『蜜を見つけたら、十分、食べよ。しかし、食べすぎて吐き出すことがないように。』とあります。蜜を食べすぎたなら、吐き気がします。私自身とても穏やかなペンテコステ派(カリスマ派)ですが、その中のすべての過激主義には反対しています。しかし、ペンテコステ運動の何が間違っていたか、ほぼ 30 年たったにも関わらず何のリバイバルも起こらない

理由について、ひとこと言いたいと思います。蜜が多すぎるのです。すべてのことが愛情

や感情、やさしくすることに基づいていました。彼らはただ口に残る甘さを求め、腹に残る苦味は欲しがらなかったのです。彼らは聖書的な神学の代わりに経験主義の神学を受け入れました。彼らの教理は自分たちにとって気持ちが良いので、そう作り上げたものです。それはこの世の心理学と変わりがありません。気持ちが良いという要因「気持ちが良いので、良いものに違いない」という考え方です。

『蜜を見つけたら、十分(必要なだけ)、食べよ。』――ある程度の蜜は必要なのです。 私たちはみな、愛情を必要としています。蜜は愛情と関連しています。子どもに最も深刻 な害を与える親が二種類います。ひとつは、子どもに厳格すぎる親であり、もうひとつは、子どもを甘やかし過ぎる親です。私には、アメリカ軍にいた叔父がいました。そして、彼 の職務は兵士を戦闘のために訓練することであり、朝鮮では英雄であって、ひとりの良い 兵士でした。しかし、叔父は自分の職業柄と、家庭生活を切り離すことが出来ませんでし た。結果として、子どもたちにとても厳しく訓練のように接しました。これが子どもたち に悪い影響を及ぼし、彼らは次から次へと非行に走りました。最終的には、子どもたちは 自分の人生に対して責任を負うのですが、その育てられ方は厳しすぎたのです。父親であ っても自分の子どもを一度も抱きしめたことの無い人がいるのを知っていますか?聖書は 母親の愛について語るよりも、父親の愛について多くの箇所を割いて語っています。なぜなら、神は父である神だからです。もし、子どもが父親の愛を分からなければ、その欠落 は彼や彼女の、神に対するイメージを不明瞭にします。子どもに対して非常に必要とされ る愛情を一度も示さない父親がいます。

ただ「必要な分だけ食べて」食べすぎないほうが良いのです。「こんな小さなヘンリーのお尻を叩くなんて、ヘンリーは良い子なのよ」と言っていると、ある日、もはや小さくもないし、良い子でもないヘンリーを探しに、警察がドアをノックするようなことになります。これも良くありません。

蜜を見つけたのですか?必要なだけ食べてください。私たちは蜜を確かに必要としていま す。しかし、食べすぎると吐き気がします。感情によって支配されて、霊的であることと、感情や感覚を取り違えている人たちを警戒してください。何が霊的かを決定するのは神の ことばにある教えです。私たちの感情ではありません。

さらに読み進めてみましょう。箴言 25 章 27 節『あまり多くの蜜を食べるのはよくない。しかし、りっぱなことばは尊重しなければならない。(新共同訳――蜂蜜を食べ過ぎればうまさは失われる。名誉を追い求めれば名誉は失われる。)』蜜を食べすぎている(感情に支配されている)人たちに出会ったなら、その人たちは霊的な高慢に陥っています。彼ら

は名誉を追い求め、まわりにいる誰よりも自分が霊的であると思い「私はあなたがたより

聖い」という態度を取り、間違って感覚と感情が霊的であることのバロメーターとなっているのです。そして「私たちは裁いてはいないし、批判もしていない」と言います。

私の家族はふたつの文化的背景、ユダヤ人とカトリック教徒の組み合わせです。私のユダヤ人家族たちはメシアなしに地獄への道を歩んでいます。しかし「ユダヤ人を愛している」と言いながらも、彼らに福音を伝えることをしないクリスチャンがいます。実際に、イスラエル人をその国に帰還させたいと考えている人たちが、「クリスチャン大使館(Christian

Embassies)」と呼ばれる組織を作っていますが、彼らは“愛”の名を語って福音を伝えずにいるのです。それは「私たちは、あなたたちユダヤ人を愛しています!地獄に行きなさい」と言っているようなものなのです。ユダヤ人を愛しているのならメシアについて語ってください。

「ああ、私たちはカトリックの兄弟たちを愛しています!」と言う人もいるでしょう。私の母は救いに関して主イエス・キリストよりも、マリヤ像に信頼しています。また彼女も地獄への道を歩んでいるのです。もし、カトリック教徒を愛しているのなら、彼らに真実の福音を告げるはずです。キリストの血ですべての罪がきよめられるか、煉獄(魂が天国に行く前に清めのため罰を受けると言われる場所)に行って自分の罪の償いをするかふたつにひとつです。どちらの福音を信じますか?パウロは、もし神の使いが来て別の福音を伝えても、私たちはそれを拒否すべきだと教えました。煉獄というものはありません。私たちは自分の罪の償いをすることはありません。なぜなら、キリストの血はすべての罪から私たちをきよめるからです。しかし、愛の名において人々はカトリック教徒を兄弟と呼び、彼らを死の恐怖につながれたままにします。これは愛ではありません。全き愛は恐れを締め出します。イエスが私たちの罪を負いました。しかし、愛の名において、あるクリスチャンたちは人々をそのような奴隷の状態のままにしておくのです。「ああ、でも私たちはカトリック教徒を愛すべきでしょう!」確かにそうです。だから彼らに真実を告げましょう。ピリピ 1 章 9 節において、私たちは愛と真理が互いに排他的ではなく、むしろ、互いに依存し合っていることが分かります。しかし、カリスマ派運動が穀物にではなく、蜜に目を向けているために、彼らはもはやこのことを知らなくなりました。

「必要なだけ食べて、食べすぎないように」

たましいの機能は意思、知性、感情です。人間の知性はとても良いしもべですが、悪い主人です。人間の感情もまた良いしもべですが、それは命取りになる残酷な、死を招く主人です。もし、神のことばの代わりに感情や感覚を用いて物事を考えている人がいるなら、その人は霊的な高慢に陥っており、霊的に自殺をするような道を歩んでいます。そしても

し可能なら、その人は他の者をも引きずり込もうとするでしょう。

そうです、穀物の上に蜜はありませんでした。イエスの十字架の内に感情は全く含まれていませんでした。父なる神は御子に背を向けました。しかし、私は蜜を得ました。――『…ほどに神は世を愛された』――私は蜜を得たのです。私が一晩を共にした女の子、鼻から吸っていたコカイン――イエスはその代価を払ってくれました。彼は釘を受けました。イエスは私のしたことによって木に吊るされ、私は蜜を受けました。イエスは蜜に触れることすらしませんでした。その穀物の上には蜜はなかったのです。

そこには蜜もなく、パン種もありませんでした。レビ記 2 章 12 節には『それらは初物のさ さげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇 の上で焼き尽くしてはならない。』とあります。初物の穀物はなぜ穀物のささげ物として、用いられなかったのでしょうか?初物(初穂)とは何かを理解しましょう。それは 4 月、 過越の週の間のヘブライ人の例祭でした。イエスはその時期に十字架にかけられました。 その週の日曜日、大祭司はキデロンの谷といって神殿の丘とオリーブ山のちょうど中間に ある谷に行きます。日の出と共にオリーブ山の後ろからさしこんでくる光が最初に照らす、その穀物の芽が初穂と呼ばれるものです。四つの福音書はすべて、イエスがよみがえった のは夜明けごろであったと記しています。言い換えると、大祭司が初穂を神殿に持ち帰っ ていたまさにその時、イエスは復活する者たちの初穂として死者からよみがえったのです。これが 1 コリント 15 章 20 節でパウロが言っていたことです。『しかし、今やキリストは、 眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。』彼がその初穂なのです。

それならどうして、穀物の初物は祭壇の上でささげられなかったのでしょうか?それはイエスが死なれたのが、それで最後だったからです。一度私たちの罪のために死なれ、墓からよみがえられたのなら彼が再び死ぬことはありえません。こういうわけで、モーセが岩を二度打ったために、約束の地に入ることが出来なかったのです。それはイエスを繰り返し十字架につけるようなことだからです。イエスは一度だけ死なれ、生ける水である聖霊が注がれました。

今日、エキュメニカル(教会統一)運動という大きな問題があります。ところで、救われた信者が救われた信者と一致するのはとても良いことです。私は新生したバプテスト派が新生した長老派や(過激ではない)新生したペンテコステ派と一緒に集まることに賛成です。私は救われたクリスチャンが一致するのを大いに支持しています。しかし、救われたクリスチャンがリベラルなプロテスタントや未信者と協調し始めたり、ローマ・カトリック教会と近づくことは全く違ったものとなります。ヘブル 7 章 27 節を見ると、『ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日

いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ

一度でこのことを成し遂げられたからです。』とあり、ヘブル 9 章 12 節では、『また、や ぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』と同じようにあり、ヘブル 9 章 28 節には『キリス

トも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが』ヘブル 10 章 10 節 には、『このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられた ことにより、私たちは聖なるものとされているのです。』とあります。ただ一度です。もし、何かが完全にされたなら、それをさらに改善することは出来ません。イエスはただ一度だ け死なれました。

それゆえ、コリント人への手紙で言われているように、イエスは初穂なのです。彼は一度 死なれ、一度だけ死者からよみがえられ、再び死ぬことはありません。なぜならそのいけ にえは完全だったからです。ローマ・カトリック教会のミサの教義はこのことを否定します。彼らはミサがカルバリでのいけにえと同じものであると主張し、イエスが何度も、何度も、何度も死なれると主張します。カトリックのミサの教理はイエス・キリストの福音を根本 的に否定しているのです。

ルターやカルヴァン、ツヴィングリなどの宗教改革者たちは、確かに完璧な人たちではありませんでした。彼らは多くの過ちを犯し、再洗礼派(バプテスト)を迫害さえしたのです。しかしながら、その一人ひとりはかつてローマ・カトリックの司祭であって、聖書を読んで救われた者たちでした。また彼らはローマ・カトリックの聖職者であっただけでなく、その中の知識人階層であり、聖書に立ち返り、それを原語のギリシア語で読んだとき何が間違っているかを理解した者たちです。すべての宗教改革者たちが、かつてカトリックの司祭であったが、聖書を原語で読み救われた者たちです。第二バチカン公会議(1962

‐1965)以降でもカトリックの教理は何も変わっていません。イエスはたった一度だけ死なれました。

穀物はまた塩で味をつけられました。もう一度“ことば”という考えに戻ってみましょう。ヨハネ 1 章『初めに、ことばがあった。』イエスはそのことばであり、聖書こそが“ことば”です。彼のことばが彼自身なのです。またそれは塩味のきいたものです。塩は古代中東で、唯一用いられた保存料でした。塩である神のことばは保存します。イエスの力が保存します。教会が伝道的( evangelistic ) でなくなったなら、次第にそれは福音的

(evangelical)ではなくなってくるでしょう。キリストを捨てると、そのことばも次第に 捨て去るようになります。そしてこれがリベラルなプロテスタントの陥ったことなのです。彼らは「宗教の形を備えているが、その中にある力を否定した」のです。彼らはただ聖書 の道徳的な教えだけ守ろうとし、主との個人的な関係を忘れてしまいました。“ことば”

はみことばです。一旦、ことばが見捨てられるとみことばもそれに続きます。言い換えれ

ば、一旦、イエスが捨てられると聖書もその後に続くのです。

私はイギリスに住んでいます。ロンドンのウェストミンスターにある英国国会議事堂の外壁には「pater nostra cuis en coeleas(天にましますわれらの父よ)」と記してあります。なぜならその国会議事堂は聖書を信じる清教徒により建てられたからです。しかし、その内側は無神論者やフリーメーソン、イスラム教徒などでいっぱいです。神はその他の者たちをご存知です。

この社会はなぜくだらないものになってしまったのでしょうか?なぜこんなに多くの犯罪があるのでしょうか?なぜ救われた信者や、牧師と呼ばれる者であっても離婚・再婚をしているのでしょうか?塩がその味を失ったからです。彼らはイエスから離れ去ったため、聖書の教えからも離れたのです。彼らが“ことば”から離れたので、みことばから離れたのです。イエスがみことばです。あなたが聖書から離れると、それにつれてキリストから離れるようになります。単純なことです。

塩は保存します。いわゆるバイブル・ベルトと呼ばれるところであっても、“クリスチャン”の間での不品行や犯罪、離婚は驚くべきものです。さらに驚くべきことは、それが今受け入れられてきているということです。私が救われたときクリスチャンが離婚して、再婚するといったことは聞いたことがありませんでした。もしそれが起こったなら、その人たちが救われる以前であったか、未信者の配偶者が去って行ったかのどちらかでした。それだけでした。そうでなければ決して起こりはしなかったからです。しかし今は、何の意味も成さなくなりました。とても有名な人たちがそうしています!新聞に出ていさえするのです!ハル・リンゼイ(Hal Lindsay 1929 年生まれの米国の伝道者)は三度目の離婚と再婚の最中であり、エイミー・グラント(Amy Grant 米国のクリスチャンシンガー)は離婚交渉中です。もはや何の意味も持たなくなりました。塩がその塩味を失ってしまったからです。

さらに詳しく見てみましょう。穀物はふたつの方法でささげられます。そのままの状態と粉々に砕かれた状態です。そのままの穀物と砕かれた穀物の違いとは何でしょうか?それはどちらも神のことばを示していますが、それはふたつの形でやってきます。神のことばが真実の聖霊の油注ぎのもとに教えられるなら、それが砕かれた穀物です。それはみことばを取りすっかり砕いて、人々が消化しやすい形で与えるということです。これは良いことです。しかし、そのままの穀物が最初に来ます。どんな聖書の教師もクリスチャンの本も、あなたひとりで神のことばを読むことに取って代わることは決してありません。『天路歴程』(ジョン・バンヤン著)や『悪魔の手紙』(C・S・ルイス著)、また A・W・トウザーに

よる本などはとても良いものであり、砕かれた穀物です。多くの良く砕かれた穀物があり

ます。しかしながら、そのままの穀物が最初に来ます。どんな教えや教師、テープ、ビデオ、本、インターネットもあなたの祈りを伴った、個人的に聖書を読むことに取って代わることは決してないのです。

みことばが“ことば”であり、主のことばであり、ことばの主です。主こそがみことばです。イエスは穀物であり、三つの方法でささげられます。イエスが私たちの罪を負ったとき体、たましい、霊において苦しまれました。その穀物はかまど、平なべ、なべ(オーブン)で焼き尽くされました。

イエスは王国の支配のために油注がれる前に、埋葬のために油注がれました。そこにはベニー・ヒン(Benny Hinn)のヘアースタイルもなく、ベンツや豪邸もありませんでした。そこには、油注ぎの証拠として十字架につけられた生活がありました。イエスは主へ受け入れられるいけにえをささげたのです。

蜜はありませんでした:十字架の上に愛情はありませんでした。父なる神は私の罪のために、御子に背を向けたのです。私は地獄のほか何も受ける価値はありません。しかし、私は愛情を受けました。イエスが私の罪を取り去ったので、私は地獄に行くことがなくなったのです。

パン種はありませんでした:そこには何の偽りの教理も、高慢も、罪もありませんでした。しかし、保存するための塩がありました。この塩で味が付けられた穀物は社会を保ち、国 や教派、教会、家族、あなたの人生と私の人生を保ちます。塩は腐るのを防ぎます。

そのままの穀物と砕かれた穀物:神が私たちのために用意されているものであり、神が望まれているものです。ある人々の場合、福音は全生涯を通して啓示されていますが、それは受け入れられていません。しかし、今日というこの時も、それを受け入れることが出来るのです。

クリスチャンは多すぎる蜜に警戒するように。愛情を差し控えてはいけませんが、またそれによって支配されないようにすることです。

これがすべてです。私たちの住んでいる国々は素晴らしいものです。しかし、アメリカやイギリスなどの国に何かが起きています。私たちが先祖たちから譲り受けた聖書的な遺産は急速に衰退しています。私たちの置かれている状況は次第に文化的なキリスト教としか呼べないほどになっています。本当には救われていない人々が何の行いも無しに、口ばか

りなのです。私は解決策を持っていませんが、神はすべてご存知です。その解決策とは穀

物です。私たちは問題を抱えていますが、神は解決策を備えておられます。



By David Passmore April 14, 2026
A critical juncture in NATO'S future Rubin Rothler LLB, LLM NATO was originally established in 1949 to keep the Russian hordes at bay from toppling those European countries not forked over to the Soviet sphere of influence at the Potsdam conference. Europe lay in ruins. Britain had passed on the torch of global hegemony to the U.S. by tacitly acquiescing to the decolonization of its Empire when Churchill and Roosevelt agreed terms of the Atlantic Charter for the post-war new world order in 1941. So from its start NATO was very much an American driven endeavor. American money with the Marshall plan was propping up western European economies and its military might was forming the bulk of their defensive capabilities. The lopsided nature of this dynamic has informed how tensions have persisted and recently erupted in the Alliance. During the Cold War the U.S. felt obligated to shoulder the costs of underwriting Europe's security in light of the broader interests to keep the Soviet's in check. Following the fall of the Iron Curtain European complacency became a sticking point with the 'peace dividend' further exploiting American largesse. European NATO allies spent ever smaller percentages of their GDP on defense expenditure at U.S. expense. Now in a multi-polar world U.S. and European perceived threats are less aligned. This was first tested in the aftermath of September 11th when for the first time NATO elected to trigger its article 5 collective defense protocol. And since then the U.S. has sought to continue to expand the traditional theatre of operations beyond Europe's borders. No longer is Russia perceived by America as being a proximate existential threat to its interests, but rather containing Chinese expansion in the Pacific arena. Parallel to NATO a discrete 'five eyes' intelligence sharing alliance comprising the Anglo-sphere (the U.S., U.K., Canada and New Zealand) emerged. This stands at the center of the U.S. – U.K. 'special relationship'. A relevant question would be can this signals intelligence (NSA-GCHQ) partnership persist should the U.S. withdraw from NATO? Conventional thinking would have led one to believe that with Brexit the U.K. would naturally pivot towards closer U.S. relations but under Starmer the U.K. is distancing itself. European powers misrepresent the present conflict as an aggressive, rather than defensive U.S. adventure while they themselves are more likely to be at risk. In this the Starmer government resembles the Labor party led committee for nuclear disarmament in the 1980's. It opposed the Thatcher supported deployment of U.S. cruise missiles in response to the Soviet SS20's pointed at Britain's cities. The British left branded their response to Soviet strategic escalation to U.S. aggression. This time however there is for the moment no Thatcher to bring common sense into an equation dominated by emotionally driven ideologies in the face of an aggressor with definite aims. In terms of the Russian-Ukraine conflict we are reverting to the old question dating back to the Napoleonic war era: to what extent is London happy with the European nations fighting it out alone for dominance of the continent. Britain was never willing to accept a single power in control. Many variables will dictate what kind of world emerges from the current conflicts in Ukraine and Iran. How will power be extracted from potential gains? What will be the strategic impact of this? What is sure, in the age of Trump this pattern of reliance on U.S. muscle is becoming quickly exhausted. Dating back to the Roman Empire, a factor in the decline of major powers has always been astronomical military spending, a budgetary demand that the U.S. under Trump is no longer willing to shoulder alone. (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).
By David Passmore April 9, 2026
Please keep brother Malcolm Betts from the New Life Pentecostal Church, Winsford in prayer. He is suffering from heart failure, valve problems and spinal stenosis. Your prayers for healing and intervention are coveted. Also, Malcom’s daughter Laura-Louisa is having complications with her pregnancy. Her baby boy is due on the 22nd of April and was in a breach position, however he is now moved to an oblique position which carries serious risk and possible surgical intervention. Laura is also at risk of postpartum haemorrhage. Please pray for the midwives and obstetricians skill and wisdom. Please also pray for Malcolm’s sister Susan who has sepsis in her leg. And please pray also for Sheila Carlisle. She is undergoing knee replacement surgery.
By David Passmore April 8, 2026
Greetings Dear Brethren in Yeshua our Lord & God Hope your all well Further developments: The NHS and oncologist from day one got my Markers wrong which in result denied me access to the latest treatments such as immunotherapy and targeted treatment. After getting a second opinion from Royal Marsden they discovered my Markers were not zero but 13-14 and that I was also Claudine 18.2 which confirmed I was allowed to all the latest treatments such as targeted treatment. My local MP and Health secretary are now involved and have written to both the treatment companies and NHS trust. I have also spoken to doctors in the states. Dear brethren my family & I have been through so much in the past and the valley is truly a battle. I truly thank The Lord Yeshua for Him humbling us all, correcting us in His parental love (1 Cor 4-6 & 2 Cor 2). It’s been very hard but also a blessings to truly draw closer The Lord- cast of works of darkness/old garments and be washed in His Blood daily. Your prayers are vital and above all The Glory Of The Lord to be magnified. Please remember us in your love & prayers as we walk through this battle in The Lord. Praying for you all and much love in Yeshua. Your brother - Teerth & Family
By David Passmore March 26, 2026
Contrary to the near unanimous chorus of media coverage concerning the current impasse in the straits of Hormuz it isn't obvious that this is an American problem. The chief consumers of oil passing through this critical juncture are China, India, South Korea, Japan and the European markets. The U.S. has alternative reserves due to domestic crude from Alaska, the Permian Basin, the Gulf of America and domestic fracking. This is further augmented by Venezuelan heavy crude now refined in the U.S. and possible further supplementation with Canadian sand shale from Alberta. Based on those determinations if European powers won't contribute to efforts to keep the straits open, Trump can simply leave them to their own repercussions that will further drive up the price of Brent crude oil. The question may then become whether the U.S. can redefine the global oil market by legislatively mandating the West Texas Intermediate. Can America divorce the WTI from the Brent prices and from the Rotterdam spot market prices by maintaining a domestic market legislatively controlled? In so doing, keeping all oil being drilled from federal lands subject to a semi-interventionist price control system that in theory could average domestic gasoline prices at $2/gallon varied only by state taxes. Such a fundamental restructuring of oil markets will allow the U.S. to operate independent of global bench marks. This might be opposed by petroleum industry interests who would benefit from higher international prices, but would likely have public support. Such price regulation would not be government mandated price controls in the ordinary sense, but could be legally enforced as terms of condition in federal licensing policies for drilling on federal lands. Approximately 25% of oil pumped in the U.S. is drilled on federal land where contractual conditions can be easily implemented. These strategies would have a short to medium term impact on global markets and on domestic prices. Medium to longer term strategies however would require a national network construction of safer pebble cooled nuclear reactors, generating a viable source of electricity for electric vehicles. Additionally, similar to the energy company SASOL, the U.S. should begin domestic production of a coal conversion variant of gasoline, jet fuels and certain petrol chemicals. The Fischer-Tropsch process technology allowing for the production of cleaner synthetic fuels has existed since the 1930's and enhanced upgrades of this method are in active production use in South Africa. This would avoid the failed folly of moving towards 100% renewables that have crippled the German economy and driven energy costs punitively higher in order to placate Green Party-political interests. The Trump administration must lower domestic gasoline prices in an election year in the short term. However, in the medium to longer term the current conflict with Iran affords an opportunity to restructure the international oil market in such a manner that it will immunize the U.S. from surging oil prices. In theory such a fundamental revamping of oil markets could keep domestically produced oil under $50/barrel. Events are marching forward at pace. At time of writing some European nations have indicated a willingness to perhaps contribute towards a naval response. Trump himself has said that Iran is negotiating an end to the blockade. Irrespective of this, the situation has elucidated the vulnerability of European and Asian gas and oil supply and the opportunity for the U.S. to advance its energy independence in such a way that will directly translate into savings for domestic consumers. (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).
By David Passmore March 23, 2026
An ex-catholic and bible scholar responds to the eucharist
By David Passmore March 11, 2026
THE CONFGLAGRATION OF HOSTILITIES IN THE MIDDLE EAST AND CURRENT RISING GLOBAL ENERGY PRICES. WHAT IS REALLY HAPPENING? Rubin Rothler LLB, LLM The markets historically have responded with grave alarm at the prospect of disruptions in the major sea lanes for transporting fuel. So far, Iran has exercised a degree of reluctance to fully close this critical channel due to Chinese pressure for their major source to remain. The Chinese economy could be savaged should Iran fully attempt to shut down all shipping in its entirety. As the war continues, Iranian capability to realize these ends becomes less likely due to the severe damage inflicted upon maritime forces. The U.S. has strategically positioned their Armada in place so that they are effectively choking the deployment of the Iranian Navy at sea in all theatres. From the coast of Sri Lanka in the mid Indian Ocean to the outer reaches of the Persian Gulf, the Iranian Navy is simply out gunned and woefully inadequate technologically to pose any meaningful opposition. However, they may decide to go all in and actively concentrate directed attacks by their small boats at all incoming oil tankers in the Straights. If this scenario unfolds, we may see an impasse in the conflict. Fear in the Gulf States and Saudi Arabia has already greatly increased. These regimes continue to be actively targeted by Iran to cause maximum economic impact. They may lean on the U.S. to seek a negotiated settlement. Europe with the exception of Spain has so far largely fallen into line with the Washington consensus. But if prices rapidly increase policy may shift (as it has been with now over $100 per barrel of oil). The combination of Arab consternation, Chinese pressure and European pliability together with a collapse in global energy supplies could cause the U.S. to reconsider its objectives in terms of what can be realistically realized. Trump prepared for these repercussions and mitigated the damage by posturing accordingly. The City of London's traditional monopoly on ensuring the maritime industry is being effectively displaced by U.S. surety for transit in the Straights. Further, the operation to remove Maduro in Venezuela with the consequent assumption of their oil reserves lent handsomely to the aim of forging an alternate fuel supply to the global markets. Albeit there remain questions concerning the ability to refine thick Venezuelan crude oil as its refining is more costly and arduous than Saudi and Gulf oil. Trump gained an extension of time for getting these operations underway by drawing out the prior negotiations with Iran. Here we can see that contrary to popular comment Trump's actions are strategically calculated. Complicating matters, after the oil and natural gas embargo was imposed on Russia, Europe became increasingly reliant on Middle Eastern supplies. Qatar is the prime source of natural gas and its depots are being choked by Iranian strikes. If this persists Europe will find it extremely difficult to secure its energy needs. Similarly, India has been acutely impacted to such an extent that Trump was moved to allow Delhi to lift sanctions on Russian energy. It must also be noted however that at present there exists no shortage of ready refined petroleum supplies, not even including the embargoed Russian oil (much of it unrefined) stored in tanker ships due to Ukraine War sanctions. Trump Administration plans using US naval and allied naval assets to escort tankers through the Straights f Hormuz would easily allow Lloyds of London to provide usual insurance once those vessels clear the Persian Gulf. Hence, the upward trajectory of crude prices is in part being manipulated by certain City of London and Wall Street interests that are in some measure politically motivated to favour the American Democrat Party in upcoming mid-term congressional elections. In terms of supply actualities, crude increases should be no higher than 25% in terms of Brent and 20% in terms of West Texas Intermediary. Predictably the legacy media is misrepresenting the price surge as purely market driven, when it is to some degree being engineered. Certain questions can be raised regarding how current events will unfold. A catastrophic situation could plausibly embroil dragging in additional actors to the conflict. Serious commentators have actually cautioned that we are heading towards World War Three. Short of this, Qatar is warning of global economic disaster. At the very least we will continue to see instability in global energy markets that will increasingly hit everyday consumers at the gasoline pump.
By David Passmore March 9, 2026
There appears to be a number of good pastors in very serious health struggles at the moment in England. These include Pastor Tony Pearce (London), Pastor John Anglisse (reading area), and Moriel Pastor Teerth Sonde (Wolverhampton). To these we have just learned that another Moriel Pastor in Winsford, Pastor Malcom Betts has suffered a serious coronary and is likewise in deep need of prayer. This may or may not be a general demonic attack on pastors in the area of health, however Our God Is Indeed Able to undettake for all of them and each of them.
By David Passmore March 7, 2026
URGENT PRAYER REQUEST Moriel has learned that Pastor John Anglisse of Ark Christian Fellowship in England, a long standing friend of Moriel, has been medically diagnosed as being pre terminal in his on going health battles. Moriel and Jacob Prasch earnestly request prayer for The Lord's intervention and prolonging of John's temporal life for the sake of his wife Mary and for his congregation and ministry. While "to Live is Christ and to die is gain" for John, his homecoming would be quite a loss for those of us who remain, and we ask The Lord for healing. We also thank our subscribers for their prayers for our friend & brother Pastor Tony Pearce in London. Tony is scheduled for two surgery procedures this week for skin cancer, one of which involves potential risks for his eye. Continued prayer is much appreciated.
By David Passmore February 19, 2026
Prayer request for Sue
By David Passmore February 17, 2026
Prayer request for Joan Philips