The Future History of the Church - Part 1 - Japanese

April 3, 2025

未来の教会史1

ジェイコブ・プラッシュ

だれもが未来を知りたいと思っています。このために人は占い師やオカルトなど、さまざまなところに行き未来がどうなるかを知ろうとします。しかしながら、イエスさまは私たちに未来を告げました。

私は信者になる前、よくまじない師のところに行き、タロットカードを読んでもらっていました。そのまじない師はカードを読むのが得意で、彼女はある日、私がイエスを信じるようになることをカードをもって言い当てました。その人はカードを見て「これが起こったときに戻ってきて、私を火あぶりにしないでおくれ。これは確かだが、戻ってきて火あぶりにだけはしないでおくれ」と言い始めました。彼女のまじないはかなり正確でした。オカルトは未来を予測することにおいて、とても正確であることがあり得ます。しかしながら申命記 18 章を読むと、“かなり正確”でもそれは十分ではないということが分かります。預言者は毎回、寸分違わず正しくなければならないのです。現代には多くの人が自分は預言者だと主張し、自分中心の預言の奉仕を立ち上げますが、彼らは起こりもしない奇妙な予測を立てます。それが起こったとき、人々はにせ預言者を弁護して言います、「この人はだいたいは正しいじゃないか」。それはそうかもしれませんが、ニュージャージーでタロットカードを読んでいたまじない師もだいたい正しかったのです。申命記 18 章は非常に明快です。主の御名によって語ったことが実現しなければその人はにせ預言者なのです(申命記 18 章 20 節-23 節)。主の御名によって語るのはとても危険なことです。その“預言”が神からのものでなければ語らずに、口を閉じておいたほうが良いのです。聖霊を消すことをしてはいけませんが、その言葉が本当に聖霊からのものであれば実現せずにいることはありません。

私は本当の預言者を目撃する機会がありました。イスラエルのカルメル山にある一室に 40人くらいの人と、(当時の呼び名でいう)ソビエト連邦から来た男性がいました。当時はイスラエルとソ連の間に外交関係や直通の飛行機もなく、その人はヨーロッパを経由して来ることしかできませんでした。その人はテル・アビブに降り立ち、誰かがベン・グリオン空港に迎えに行き、ガラリヤまで連れてきました。その人は英語で話し始め、預言や予告をし始めたのです。彼が話しているのを聞いたとき、私はこの男が本当の預言者か、またはにせ預言者であるだけでなく、頭がおかしいに違いないと思いました。この紳士は一冊の本を書き、その中で赤の広場(モスクワの都心部にある広場)で主の聖餐式をすること

について語っていました。その人が言うには、赤の広場で立ち上がった後、神は聖餐式の

杯をモスクワ川に投げ込むように言われ、ソ連政府が教会を迫害しユダヤ人にイスラエルへ移住することを禁止したために、神はエジプトにしたのと同じことをソ連にも行うと予告していたというのです。その人たちは「わたしの民を行かせよ」また「わたしの福音を宣べ伝えさせよ」、さもなければ神はあなたの帝国を滅ぼすと宣言していました。「私たちはあなたの地にのろいを宣言する――神はあなたの地をのろわれる」その後まもなくチェルノブイリ原発事故があり、ソ連が経験した中で最悪の収穫期を迎えました。そのクリスチャンたちはまた「神はソ連の戦争兵器を破壊される」と言いました。その直後、ソ連はアフガニスタンから引き上げ、ワルシャワ条約機構(ソ連を盟主とした東ヨーロッパの軍事同盟)が解体しました。次にその信者たちは、レーニンが永久的にミイラ化され展示されてある墓に向かって、「これは死をもたらす霊だ。神はレーニン崇拝を崩壊させる」と言いました。当時、ソ連にはレーニンの像や胸像だけを製造する工場が 11 ほどありました。その後、夜のニュースで、その工場がひとつ残らず閉鎖され、レーニンの像の首が切り落とされているのを私たちは見ました。その後、その信者たちはクレムリン宮殿の方を向き、言ったのです「神はあなたの帝国を滅ぼされる。ソ連は崩壊し、誰も信じることができないほど神は迅速に裁きを下される。『わたしの民を行かせよ。そしてわたしの福音を宣べ伝えさせよ』」

このようなことを 1984 年や 85 年に言うことは不可解なことで、全く考えられないことでした。神から本当にそのことを聞いたのでなければ、ただ気が狂っているだけでした。しかし、そう語ることが突飛であったにもかかわらず、語られた言葉はみな現実となったのです。私はそれからその兄弟に会うことも、彼の本を読んだこともありませんが、私はその人が言ったことと自分の目の前で起きたことを知っています。

そういった出来事の後、私は聖書学校に通うためにイギリスに行き、カリフォルニアのカンザスシティーから来た人たちに会いました。彼らは自分たちをカンザスシティーの預言者・ヴィンヤードと名乗っていました。その人たちは何万人もの聴衆の前に立ち、1990 年

10 月に大きなリバイバルが起き、偉大な“後の雨”がやってくると予告しました。その“大きなリバイバル”から数年たち、イングランドには教会よりも多くのモスクが建造され続けています。

教会への侵入

申命記 18 章にはにせ預言者は“ネヴィー・シェカル(nebi shekar)”であると書かれてあります。にせ預言者たちはもはや石打ちの刑に処せられることはありませんが、偽りの預言をするという罪は同じくらい深刻なものです。エレミヤ 5 章と 28 章はにせ預言者がどのよ

うなものであるかを明らかにしていて、イエスも終わりの日ににせ預言者たちが現れると

語られました。新生したクリスチャンが犯してしまう大きな間違いのひとつは次のことです。マタイ 24 章やルカ 21 章のオリーブ山での教えを読むとき、イエスさまがにせ教師やにせ預言者が現れると4回言われたのを見て、私たちのほとんどは機械的に「これはエホバの証人や統一教会、モルモン教(末日聖徒キリスト教会)、クリシュナ教団、クリスチャン・サイエンスなどのことだ」と言ってしまうことです。確かにこのような人たちがにせ預言者、にせ教師であることに疑問の余地はなく、過去 100 年間でのカルトの急増自体が終わりの日のしるしであり、私たちが生きている時代を象徴しているものですが、マタイ

24 章、ルカ 21 章、使徒 20 章、マタイ 7 章をその文脈にそって読むと、これらのカルトはイエスや使徒たちが警告していたにせ預言者、にせ教師とは違っていたことが分かります。イエスや使徒たちが警告していたのは、選ばれた者を欺こうとする者たちです。

未信者はすでに悪魔に欺かれています。悪魔は2種類の人たちを欺こうと躍起になっているのです。それは国としてのイスラエルと聖書に信頼する教会です。国としてのイスラエルは霊的な暗闇の中にいます。エルサレムを含む多くの場所、ロンドンのスタンフォード・ヒルやブルックリンのクラウン・ハイツにはイスラエル人の看板が立ててあり、そこには

「私たちは今こそメシアを待望する」と書かれてあります。イエスはヨハネの福音書で、民はメシアを受け入れないが自分の名によって来る者を信じると二重の予告をされました

(ヨハネ 5 章 43 節)。これはシモン・バル・コクバの時代の初代教会において成就されましたが、明かにこれは自分のことをユダヤ人にメシアだと信じさせる反キリストの象徴でもあります。ユダヤ人は反キリストの到来のために手はずを整えられているのです。

したがって悪魔はこの世とユダヤ人を騙してしまいました。今悪魔はどのような人を欺こうとしているのでしょうか。あなたと私です。マタイ 7 章、使徒 20 章、マタイ 24 章、ル

カ 21 章を読んでみてください。これらの箇所で警告されているにせ教師やにせ預言者とは、教会内に入り込んできて選ばれた者を騙そうとする者たちのことです。

私はモルモン教やエホバの証人などのカルトの問題を懸念しています。それは新生したクリスチャンが、偽りに対してカルトが持つ熱意と同じほどの熱意を持っていれば、多くの人がそのようなものに入ることがなく、むしろ救われるからです。聖書を信じる教会が何もしない一方で、カルト団体が偽りのために熱心であるという状況は、ラオデキヤの教会の特徴です。西洋の教会はラオデキヤのようになってしまいました。しかしながら、クリスチャンでモルモン教徒やエホバの証人に騙される人は限られています。騙されるような人は信じて間もないときに羊のようにさらわれたか、最初から弱く、やっかいな信者なのでしょう。これらのカルトを、未信者に警告する責任を私たちは持っていますが、第一に心配すべきにせ預言者ではありません。私たちが気を配らなくてはならないのは、教会に

忍び込んでくる者たちです。霊的な欺きは終わりの日に増加します。

ユダヤ的観点からの聖書解釈

“カル・バ・ホメル (kol ve homer) ”といってユダヤ的観点から導き出された聖書の原則があります。これを日本語で表わすと「軽いものから重いものへ(軽から重へ)」という意味です。これはラビ・ヒレルのミドロットの最初の原則で、ヒレルとはラビ・ガマリエルの祖父であった人物です。ラビ・ガマリエル(使徒 5 章 34 節)は使徒パウロがラビになった

ときの教師でした。ラビ・ヒレルは 7 つのミドロット、つまり聖書を解釈する原則を考案しました。新約聖書はこの原則を繰り返し用いています。“カル・バ・ホメル”つまり“軽いものから重いものへ”という原則はこのうちの最初のものです。これを用いている箇所がへブル 10 章 25 節です。

『ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。』(へブル 10 章 25 節)

さして重要ではない(軽い)状況において真実なことは、重要な(重い)状況において特に真実になります。この箇所では交わりの問題が取り上げられています。交わりはいつであっても重要ですが、終わりの日において特別に重要なものとなるのです。私たちが共に立ちあがることができなければ、迫害が来たときにひとりで立つことはできません。

終わりの日に関して“軽いものから重いものへ”という原則が使われているもうひとつの例は、にせ預言者とにせ教師についての箇所です。彼らはいつの時代にも存在します――これが“軽い”です。しかし終わりの日に彼らの数は増えます――これが“重い”です。常に真実であることは終わりの日に特に真実になり、教会にとって常に危険なものは終わりの日に特に危険となります。

イエスの時代のユダヤ人は私たちがしている方法で聖書を解釈しませんでした。イエスはラビであって、他のラビと同じ方法で教えました。イエスはミドラッシュを用いていたのです。イエスはまた“マシャル・ニムシャル形式”というものも使いました。マシャルとは日常の生活、また自然などを描写したもので、ニムシャルとはその背後にある霊的な意味です。箴言はヘブライ語で“ミシュレー”と呼ばれ、マシャルの本という意味です。例を挙げると、箴言 11 章 22 節には『美しいが、たしなみのない女は』というのがニムシャルで『金の輪が豚の鼻にあるようだ』とありこれがマシャルです。たとえは単にマシャルを延長したものなのです。

西洋の寓喩と予型の考え方は基本的に西洋風に作り直されたものなのです。私たちはユダ

ヤ人の聖書の考え方を理解する必要があります。それはダニエル 12 章 9 節にこう書かれているからです。

『このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ』(ダニエル 12

章 9 節)

人が黙示録について本を書き、黙示録の内容をすべて解明したというときは気を付けてください。ダニエル書ではっきりと言われているのは、これらのことは終わりの時まで封じられているということです。何か新しい真理や、新しい啓示が与えられるのではありません。聖霊は終わりの日に聖書の奥深い内容について、神の民に理解を与えます。私たちに何か新しい教理や、新しい真理、新しい啓示が与えられるのではなく、聖書の中にすでに書かれてあることに関して、より深くより明らかな理解が与えられるのです。リベラル(自由主義神学者)がしていることは、聖書をその“シツ・イム・レベン (Sitz im leben) ”=“文化的背景”から切り離して解釈することです。福音主義者たちも同じことをしています。なぜならギリシア的な解釈法また釈義を使い、ユダヤ的な本を理解しようとしているからです。この問題について話すべきことがたくさんありますが、終わりの日に注目して、最も重要な点をみなさんに知ってもらいたいと思います。

聖書の預言は実際どのように成就するのか

西洋プロテスタントがとる預言解釈の方法は、“ 過去主義 (Preterism)” 、“ 歴史主義

(Historicism)”、“激励主義 (Poemicism)”、“未来主義(Futurism)”この4つのうちのひとつです。

リベラルは“過去主義”に傾倒しています。彼らは「神はいない、いたとしても未来は知らない。もし知っていたとしてもイザヤに未来を告げることは確実にない」と言います。それゆえ、クロス王に関することがその 200 年前にイザヤによって預言されると、リベラルの頭の中では自動的に、それが起こった後にイザヤが書いたか、イザヤ書がイザヤではない誰かに捕囚の後に書かれたと考えるのです。こうした考え方の基盤は、イザヤはクロス王のことを 200 年前に知っていた可能性はないというものです。神学用語でいうならこれは

“バチカン補間法 (ex-Vaticana interpolation)”というものです。リベラルは未来に関しての超自然的な知識を信じることができないので、過去主義を容認しています。

第二のものは“歴史主義”であり、これは神の国がもう到来したと信じる人たちが好むもので

す。改革者たちもまたこの考え方にひどく傾倒していました。歴史主義は「新約聖書の終

末に関する預言は、初代教会の時代に完全に成就した」と信じるものです。初代教会はローマをバビロンと認識していました。ペテロは最初に書いた書簡を閉じる際、『バビロンにいる、…婦人がよろしくと言っています。』(1ペテロ 5 章 13 節)と書きました。バビロンにおいてニムロデが始めた偽りの宗教は、小アジアに行き渡り(特にペルガモの町へ)、そこからギリシア・ローマ文化へ浸透しました。そこからローマ・カトリックやフリーメーソンなどの宗教が発生しました。しかしながらそのルーツはすべて、この世の偽りの宗教と腐敗した政治制度が組み合わさったバビロンに行き着きます。

バビロン人は第一神殿を“ティシャーベ・アブ(Tisha' b'Av)”、ヘブライ暦でのおおよそ 8

月 9 日に破壊しました。ほぼ同じような状況で、ローマ帝国の軍隊は第二神殿を同じ日付に破壊しました。その日も”ティシャーベ・アブ”でした。このため初代の信者たちはローマをバビロンであると認識し始めたのです。どちらも同じ偽りの宗教でした。

このことを説明するために私がよく使う例は“スコットランドヤード”です。スコットランドヤードという名は、ロンドンでホワイトホール(通りの名前)とビクトリア・エンバンクメント(テムズ川の近くにあるもの)の間にあった小さな通りの名前で、元々ロンドン警視庁の本部があった場所です。現在の警視庁はシャーロック・ホームズの時代と違い、ビクトリア駅から 800 メートル離れた場所に位置しています。しかしそれがもうホワイトホールのそばの小さな通りに位置していないにもかかわらず、本部はいまだに“スコットランドヤード”と呼ばれています。言い換えれば、施設の名前が本来の場所の名前を取ってしまったのです。バビロンに関しても同じことがいえます。このため黙示録に書かれてあるように、初代教会が7つの丘の上にいる女を見たとき、カピトリーナという名を冠していましたが、その女がひとつの町を表しているということから、彼らにとってローマはバビロンだったのです(黙示録 17 章 9 節)。

それゆえ皇帝ネロの統治下にローマが火に包まれたとき、それはイザヤとエレミヤによって預言されていたバビロンの崩壊の成就だったのです。このように初代の信者たちは考えていました。またベスビオ火山が噴火したとき(ポンペイが灰に埋もれ)、火山灰が電離圏と成層圏の上部に滞留し、ローマ帝国全体に太陽と月の光が届かなくなりました。これは実際に起こった出来事です。このようなことが最後に起こったのは 1960 年代のアイスラン

ドだったと思います。次におよそ紀元 70 年頃、神殿が破壊され、ローマ人たちは神殿の丘に異教の像を建て、その場で礼拝しました。当時のクリスチャンたちはそれが”荒らす憎むべき者”――ハシキューツィム・ハメショメム――であると考えていました。こうしてこれらの預言は成就したのです。これが歴史主義という考え方です。

プロテスタントの改革者たちは歴史主義に傾倒していました。なぜなら中世の教皇の権威

が拡大することを防いだのは、ローマ帝国、帝政ローマであったと主張していたからです。コンスタンティヌス帝が首都をコンスタンティノープルに移し、西ゴート族が移住してきてからローマ教会は繁栄しました。『彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがある』(2 テサロニケ 2 章 6 節)とあるように、改革者たちはローマ帝国がローマ教皇の権威を制限しており、後になってその制限は取り去られたと解釈しました。このために神の国はもう到来したという人たちは、“終わりの日”はただ紀元 70 年に至るまでの出来事を指すと言い、多くの場合、黙示録の記述に未来のことが書かれているとは考えません。

預言解釈の第三の手法は“激励主義”です。激励主義とは「黙示録は迫害の時代に生きているクリスチャンを励ますためだけに与えられたものであり、迫害されているクリスチャンに与えられるべき栄光と、迫害する者への裁きを思い起こさせることによって、勇気を与えようとして書かれたものである」というものです。これは的を射ています。黙示録はこれを読む者は幸いであるという言葉とともに始まり、黙示文学はどれも迫害下にある教会を励ますものです。部分的にその目的は正しいのですが、それが唯一の目的ではありません。

預言を解釈する第四の手法は“未来主義”であり、これはこのような出来事が終わりの日に起こるというものです。

どの方法が正しいのか?

プロテスタントの解釈を使う西洋の異邦人的な思考によると(ここではふれませんが、多くの理由によりこれはギリシア的な起源を持ちます)、この4つの手法のうちどれが正しいものであると考えます。問題はどれを支持するかということになります。あなたは過去主義、歴史主義、激励主義または未来主義のどれを支持するでしょうか。紀元1世紀のユダヤ人なら、イエスがそうであったように、これら4つすべてを同時に支持することでしょう。

マタイ 24 章 15 節から 33 節で、イエスはダニエルによって語られた“荒らす憎むべきもの”

が現れるのを見たなら、終わりが近いと言われました。ここで問題になるのが、マタイ 24

章やルカ 21 章のオリーブ山の訓戒で語られた、荒らす憎むべきものはイエスが語られる以

前に出現していたということです。イエスはヨハネ 10 章で“ハヌカ”、宮きよめの祭りを祝っておられました。イエスはアンティオコス・エピファネス(B.C.215-164 セレウコス朝シリアの王)が神殿に偶像を建て、神殿内で豚をほふり、その神殿をマカベア家が再び聖めたことなどすべてを知っていました。ダニエルによって預言された荒らす憎むべきもの

は旧約新約間の時代にすでに登場していましたが、イエスはその預言を指し、それがもう

一度起こると言われました。イエスは過去主義を用いたのです。イエスは過去の出来事を指し、それを未来形で話されました。

次に歴史主義です。もう一度、イエスがオリーブ山で預言された荒らす憎むべきものについて見ていきましょう。ヨセフスを読み、ローマ人がどのように神殿を破壊し、神殿の丘に異教の象徴を建て、礼拝したかを読むと、それが荒らす憎むべきものであったことが分かります。その後、2世紀にハドリアヌス帝はアエリア・カピトリーナという町を作り、神殿の丘にジュピター(ローマ神話の神)の神殿を建造しました。それがもうひとつの荒らす憎むべきものでした。コンスタンティヌスの甥であった背教者ユリアヌスは、ローマ帝国を再び異教化しようと試み、神殿を建て、神殿の丘で多くの不審火が起こりました。これがもうひとつの荒らす憎むべきものです。現在の神殿の丘では、オマール・モスク、岩のドームがあります。その外面にはコーランのスラーからの引用が刻まれています。それは「神には子がない」という意味です。これもまたもうひとつの荒らす憎むべきものです。

しかし来るべき荒らす憎むべきものが未だに存在します。すでに現れたものすべては、来るべきものを象徴しています。大事な点はこれです。西洋的な預言の考え方は預言が予告と成就とでなっているというものです。しかしヘブライ的な預言の考え方は、預言を反復するパターンと見なします。ひとつの最終的な成就と共に複数の成就があると、ヘブライ的な預言は考えられています。そしてそれぞれ複数の成就は、最終的な成就の予型であり、最終的な成就がどのようになるかを教えているのです。

もうひとつの例を挙げましょう。マタイがイエス降誕の記述を書いたとき、ホセア 11 章 1節から『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と引用しました。問題になるのがそのホセア 11 章を読んでみると、ホセアはモーセの指導のもとエジプトを出たイスラエルの民のこと、出エジプトに関して語っているということです。しかしマタイは一見したところ、その文脈を全く無視し、イエスに当てはめているように見えます。しかしながら、本当の問題はマタイが文脈を無視したということではなく、西洋の教会がユダヤ人の本を取り、自分たちで文脈を読みとる方法を作ってしまったことにあります。マタイはミドラッシュを用いて考え、預言をパターンだと見なしていました。これを説明しましょう。

ミドラッシュ

それはアブラハムから始まります。創世記において、神はパロをさばき、アブラハムはその子孫と共にエジプトを出ました。アブラハムは原型であり、すべて信じる者の父です。

後になって出エジプト記において、神はパロをさばき――邪悪な王をさばき――再びアブ

ラハムの子孫はエジプトを出ました。このようにパターンは始まります。イスラエルに起こったことは最初アブラハムに起こったことの繰り返しなのです。アブラハムがパロから富を得たように、イスラエル人は出エジプト記においてエジプト人から富をはぎ取りました。

次に、イエスがエジプトから出た後、また邪悪な王――今回はヘロデ――がさばかれました。ミドラッシュ的にイスラエルはイエスを隠喩として表しています。聖書の中で「イスラエルはわが栄光、イスラエルはわが長子」という箇所を見つけたなら、それはミドラッシュ的にメシアをほのめかしています。これはラビでさえも知っています。それゆえ、イスラエルの現れであるイエスもエジプトを出たのです。

教会がキリストの体であるのと同じように、ある意味においてイスラエルもキリストの体です。そして 1 コリント 10 章に書いてあるように、私たちもエジプトを出ます!エジプトはこの世の象徴、またパロはこの世の神である悪魔の象徴です。またモーセが山に昇り、民の代わりに血で契約を結んだように、イエスも同じことをしました。モーセがイスラエルの子らをエジプトから導き出し、水の中を通して、約束の地に導いたように、イエスは私たちをこの世から導き出し、バプテスマを通して、天へと導かれます。一方が他方の象徴となっています。私たちはみな出エジプトの経験を持っています。

しかし出エジプトの最終的な意味は、教会の復活と携挙です。出エジプト記で行われたのと同じさばきが黙示録でも繰り返されます。またモーセとアロンのしるしをパロの呪法師たちが真似たのと同じように、反キリストとにせ預言者はイエスとその証人たちの奇跡を真似ることができるでしょう。黙示録ではなぜモーセの歌(“主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに”)が歌われているのでしょうか(出エジプト 15 章 1 節、黙示録 15 章 3 節)。出エジプト記が示しているのは、パロの敗北は悪魔の敗北の予型であるということです。またなぜイスラエル人は自分たちの所有物に先立ってヨセフの遺骸を運んだのでしょうか。それは 1 テサロニケ 4 章

16 節から 17 節に書いてあるように「キリストにある死者が、まず初めによみがえる」から

です。そして私たちも共にエジプトから出ます。

もう一度いいます。ヘブライ的な預言の考え方は反復されるパターンです。それはひとつの予告ではなく、最終的な成就をともなったパターンです。これがヘブライ的な終末に関する預言の概念です。終わりの日に関して書かれてある聖書の教えを本当に理解するためには、まず西洋的、異邦人的、ギリシア的な考え方をやめて、初代教会のやり方に倣って聖書について考え始めなくなくてはなりません。黙示録 2 章・3 章にでてくるエペソの教会

には他の教会にはない燭台が出てきたことを思い出してください(2 章 5 節)。

『あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。』(詩篇 119 篇 105 節)

マタイでのたとえ話に出てくるおとめたちは、夜を照らすためにともしびの中に油が必要でした(マタイ 25 章 1 節-13 節)。この話には後で戻ってきます。

終りの日には聖書の理解と忠実さはとても重要なものとなります。マタイ 25 章の賢いおとめはともしびに油があったために、夜でも見ることができたのを覚えているでしょうか。これは聖書を理解するための聖霊の照明です。ラオデキヤの教会は目が見えるようになるため、目に塗る目薬を必要としていました(黙示録 3 章 18 節)。終わりの日には、みことばの理解は忠実さと密接に関係してくるでしょう。ダニエル書には悪者はひとりも悟ることがないと書かれています(ダニエル 12 章 10 節)。ところで純粋な心を持ち、空っぽの頭をしている人に知恵を与えるのは神にとってたやすいことです。しかしながら、頭でっかちで知性を誇っている人に純粋な心を与えるのは容易ではありません。霊とまことが必要です。神は私たちにどちらも持っていてほしいのです。単純な人は教養のある人より救われやすい傾向があります。しかし救われた後には、単純だった人はそのままでいることはよくありません。

神の時間の枠組み

さて、これらのことを頭に入れながら、マタイ 10 章を見てみましょう。1 節から、

『イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。』

“イスカリオテ・ユダ”という名がどのような意味か知っているでしょうか。“郊外居住者ユダ”という意味です。5 節から続きます、

『イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。

病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い

出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。

いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。』(マタイ

10 章 1 節-24 節)

イエスが弟子たちを二人ずつで遣わされたとき、彼らはイエスの名のために総督たちや王たちの前に連れて行かれたでしょうか。いいえ。マタイ 10 章において裁判の中で聖霊が言うべきことを教えてくださったでしょうか。いいえ。兄弟が兄弟を死に渡し、親は子を死に渡したでしょうか。いいえ。イエスが弟子たちを二人ずつで遣わされたとき、イエスの名のためにすべての国々に嫌われたでしょうか。いいえ。そのときはどれも起こりませんでした。イエスは弟子たちを訓練しておられました。その前はバプテスマのヨハネが彼らを訓練したのです。今イエスは彼らを最初の予行演習に出して、「これらのことが起こる」

と言われたのに何も実現しませんでした。何が起きていたかというと、16 節でイエスは時間枠を完全に変えて話していたのです。

今日、再建主義者といって、イエス・キリストのために全世界を征服し、再臨の前に神の国を建て上げようと主張する人たちがいます。その人たちはこれらの預言が初代教会で成就し、自分たちが勝ち誇る教会になるべきであるなどと言います。これは完全にくだらないことです。神の国は今存在していますが、まだ来ていません。2種類の用語があります。ひとつは“開始された終末論(inaugural eschatology)”というもので、もうひとつは“実現された終末論(over-realized eschatology)”です。

“開始された終末論”とは神の国はもう挿入されていて、サタンの力は覆されており、サタンが勝利を収める可能性はないが、最終的な勝利はキリストの再臨までやって来ないというものです。ダニエル 7 章 21 節を見てみましょう。

『私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。』(ダニエル 7 章 21節-22 節)

この箇所はマカベア家の話を再現しています。したがって、再建主義者たちはこの箇所はマカベア家や初代教会において成就され、私たちの時代が神の国なのだと主張します。これが“実現された終末論”であり、全くの誤りの教理です。将来に背教が起こり、迫害があり、反キリストが登場するのです。教会は勝利を得ます、しかしその勝利はイエスの再臨にかかっているのです。

十字架の問題

マタイ 10 章に書かれてあるもうひとつのことは、私たちが総督や王の前に連れて行かれ、イエス・キリストの名のために迫害を受けること、またしもべはその主人にまさることはないということです。

私の友人に、救われる以前 20 年間もクリスチャン・サイエンスに関わっていた人がいます。

E・W・ケニオンは、クリスチャン・サイエンスの創始者メアリー・ベイカー・エディ(1821

-1910)から影響を受けたと認めています。ケニオンの「私の体は嘘を付いている」という一連の考えは、クリスチャン・サイエンスから出てきたものであって、クリスチャン・サイエンスは医学を信頼していません。ケネス・コープランドやケネス・へーゲンらの教

えの多くはケニヨンから譲り受けたものであり、そのケニオンは自分の教えを確かにクリ

スチャン・サイエンスから得ました。

カルトや、キリストの福音を歪めた教えはすべて、例外なしに何らかの形でイエスの十字架を否定します。エホバの証人は十字架のことを十字架と呼ぶことさえ好まず、“苦しみの杭”と呼びます。そしてエホバの証人たちは救いが彼らの組織を通して、また組織への個人の献身を通してもたらされると主張しています。

これはローマ・カトリックとも同じことです。イエスは十字架上で「完了した」と言われました。しかしローマ・カトリックはミサがカルバリの丘でささげられたのと同じいけにえであり、繰り返しささげられるものだと主張します。ローマ・カトリックはイエスの十字架を根本的に否定しています。偽りの宗教です。カトリックの中には本当の信者がいるかもしれませんが、本当の信者ならそこから出てくる必要があります。そのような教えを信じ、参加しながらも神のみこころのうちにいることはできません。

また“イエスは霊的に死んだ”と主張するお金目当ての説教者たちがいます。ケネス・コープランド、ケネス・ヘーゲン、E・W・ケニオンら、またその支持者たちは、イエスが勝利を得たのは十字架上ではなく、地獄に行きサタンとひとつの存在になったときであると主張しています。このようなことを彼らは教えていて、十字架を根本的に否定しています。その結果としてどのようなことが起こってしまうのでしょうか?『しもべはその主人にまさりません』(マタイ 10 章 24 節)と書かれてあるように、イエスの十字架がその奉仕において見下されているために、十字架に付けられた生活は自分たちにとって重要ではなくなってしまいます。その代わりに「あなたが金持ちになることを神さまは望んでいる。決して病気にはかからない。神さまはあなたにあれやこれを所有してほしい」ということが教えられているのです。十字架はその方程式から取り除かれています。

そうです、この世にあるすべての歪められたキリスト教は、何らかの形でイエスの十字架を否定します。それと反対にパウロは「十字架を誇りとする」と書いています。昔書かれた賛美歌の中でも――直訳では「私は荒削りの古い十字架にしがみつく、そしてかの日に冠と交換する」(新聖歌 108 番)とあるように、私たちはその日に冠を与えられます。この世にいるときではありません。“神の国は今ここに”という教えはこれを否定し、今こそ冠を受けるときだと主張します。聖書が語っているのは神の国は今ありますが、まだ来ていないということです。しかし“神の国は今ここに”の支持者たちは今こそが神の国だと言うのです。

現在から未来へと切り替える

根本的な問題に戻りましょう。マタイ 10 章でイエスは使徒たちを遣わし、これらのことが

起こると言って警告しましたが何も起こりませんでした。マタイ 24 章を見てみましょう。

イエスは 1 節から 4 節まで神殿について語っています。イエスはダニエル 9 章の預言について語っており、メシアは第二神殿が崩壊する前に来て、死ななければならないということを説明していました。その後、イエスは使徒たちの生涯で起こる出来事や、神殿の崩壊について語りました。イエスはここでもマタイ 10 章でしていたのと同じこと―会話の真ん

中で時間枠を切り替えていたのです。マタイ 24 章も同じで―紀元 70 年についてのことを話していたと思えば、すぐに時間枠を切り替え、この世の終わりについて語っていたのです。これはもちろん、マタイ 25 章の預言を含んでいます。

同じことが使徒 2 章、聖霊が降り注ぎペテロがそのことについて説明しているときに見ら

れます。ペテロは使徒 2 章 15 節でヨエル 2 章を引用しています。

『今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。

すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。

すると、彼らは預言する。』

ペンテコステの日に預言は語られたでしょうか?語られませんでした。 19 節から

『また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。』(使徒 2 章 15 節-20 節)

天と地に不思議なわざが示され、血や火や煙がペンテコステの日にあったでしょうか?ありませんでした。太陽はやみとなり、月は血に変わったでしょうか?これも起こりませんでした。太陽は御子であるイエスの象徴であることを思い出してください。イザヤにこうあります、

『起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。』(イザヤ 60 章 1 節)

四福音書すべてにおいて、イエスがよみがえったのは日の出のときであったと記してあり

ます。太陽(sun)が昇ることは、御子(Son)が復活することの隠喩です。これに対して月は自ら光を放ってはいません。月はただ太陽から受けた光を反射します。これは教会がそのうちに何の光も持っていないが、イエスの光を反射することと同じです。私は聖書に書いてあるような天体現象が起こることを否定しているのではありません。私が言おうとしているのは、それが起こるときには、より深い事柄をただ反映しているにすぎないということです。地上にある教会にはイエスの光がもはや届かなくなり、教会は血で染まる――つまり迫害されます。私は文字通りの天体現象が起こらないと言っているのではありません。ただこのたとえの意味を理解しなければならないと言っているのです。21 節、

『しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』(使徒 2 章 21 節)

これはペテロの“カリグマ”と呼ばれていて、ギリシア語では文字通り“これはそのようになる”と書かれています。

そうです、マタイ 10 章でイエスが使徒を二人組で遣わし、彼らに対して起こると言われた

ことは実現しませんでした。マタイ 24 章においても、イエスは教会に対して起こることを告げましたが、当時の教会では完全に成就せず、ただ部分的に成就しただけでした。また使徒 2 章でペテロはこれから起ころうとしていることを告げましたが、どれも実現しませんでした。

では違った点からマタイ 10 章を見てみましょう。これらのことは誰に対して実現するのでしょうか。イエスは二人ずつ使徒を遣わし、彼らが総督や王に引き渡され、迫害されて、聖霊が言うべきことを教えてくれること、また家族にも裏切られるが、最後まで耐え忍ぶ者は救われることを語りました。これらのことはマタイ 10 章の使徒たちには起こりませんでした。しかしこれは誰に対して実現したでしょうか。これらのことはすべてイエスに対して実現しました。イエスの生涯の終りに起こったことは、私たちの教会の終りの日に起こります。私たちは統治者や王の前に連れて行かれ、人々は互いに裏切り合うが、最後まで耐え忍ぶ者が救われるのです。これらのことがイエスに起こったように、私たちにも同じように起こります。

再現され始める

一方でまた違った事柄があります。使徒の働きのはじめのほうで、これらのことは使徒たちに起こりました。使徒 4 章 18 節から 23 節を見てみましょう。

『そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはなら

ない、と命じた。ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。』(使徒 4 章 18 節-23 節)

ここで使徒たちが総督や王たちの前に引き渡され、会堂で非難され、聖霊によって誰も反論することのできない言葉を語りました。そして使徒 4 章 25 節から 26 節において彼らは

詩篇 2 篇から続けて引用しました。

『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』(使徒 4章 25 節-26 節)

聖書は終わりの日における、この世から教会への迫害を多くの箇所で騒ぎ立つ海として表現しています。

詩篇 2 篇はイエスに対して起こりました。異邦人たちは立ち、主と油注がれた者に対して反抗したのです。今度は使徒の働きでそれが教会に対して行われています。このようなパターンは増加していきます。使徒 5 章 19 節から 25 節を見てみましょう。

『ところが、夜、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出し、「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい」と言った。彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間たちは集まって来て、議会とイスラエル人のすべての長老を召集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を獄舎にやった。ところが役人たちが行ってみると、牢の中には彼らがいなかったので、引き返してこう報告した。「獄舎は完全にしまっており、番人たちが戸口に立っていましたが、あけてみると、中にはだれもおりませんでした。」宮の守衛長や祭司長たちは、このことばを聞いて、いったいこれはどうなって行くのかと、使徒たちのことで当惑した。そこへ、ある人がやって来て、「大変です。あなたがたが牢に入れた人たちが、宮の中に立って、人々を教えています」と告げた。』

(使徒 5 章 19 節-25 節)

この内容は非常に分かりやすいものです。マタイ 27 章 65 節を見てみましょう。

『ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。』(マタイ 27 章 65 節-66 節)

マタイ 28 章 11 節から 14 節まではイエスが復活された後のことを書いています。

『女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」』(マタイ 28 章 11 節-14 節)

こう見てみると分かるのが、イエスが墓から御使いによって導き出されたように、使徒たちも御使いによって牢から連れ出されたのです。また祭司長たちが使徒 5 章 26 節で人々を

恐れていたことは、ルカ 22 章 2 節と同じことなのです。

もう一度繰り返しますが、マタイ 10 章においてイエスは使徒たちを二人ずつお遣わしになり、起こると言われたことは彼らにはその時起こりませんでした。しかしそれはまずイエスの身に起こったのであって、その後使徒たちや初代教会に起こり始めました。そこから分かるのがイエスに起こったことと、初代教会に起こったことは、また繰り返されるのであって、私たちに対しても起こることなのです。しかしどうしてそう言えるのでしょうか。またマタイ 10 章 17 節から見てみましょう。

『人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。』(マタイ 10 章 17 節-22a 節)

これらのことはマタイ 10 章では起こりませんでした。またルカ 21 章 12 節を見てみましょう。

『しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。』(ルカ 21 章 12 節)

ここで「これらすべてのことの前に」と書かれてあることに注目しましょう。教会は終わりが到来する前に迫害を受けるのです。13 節からつづけて読むと、

『それはあなたがたのあかしをする機会となります。それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、わたしの名のために、みなの者に憎まれます。しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。』(ルカ 21 章 12 節-19 節)

再び次の節から紀元 70 年のことへと時間枠は移ります。マタイ 10 章で予告されたことはその時成就しませんでしたがそれはイエスに対して起こり、また使徒たちと初代教会とに対して起こり、再び終わりの日にある教会に対して起ころうとしているのです。イエスは同じ言葉を使っています。私が意図的にルカの箇所を読んだのは、その考え方をしているのはマタイだけではないということを示すためでした。聖霊はルカの福音書にも同じことを啓示したのです。

しかし、これからこのミドラッシュはさらに目立つようになります。私たちが使徒の働きを読むとき理解しなければならないことは、それはただ1世紀の教会史を読んでいるのではなく、終わりの時代の教会史を読んでいるということなのです。

最初はキリストに、次はパウロに

ヨハネ 19 章 4 節から 6 節において、ラビたちはイエスに冤罪を着せ、ローマの権威に引き渡しました。この箇所においてポンテオ・ピラトはイエスを裁こうとする意思はありませんでした。これが始まりです。パウロの奉仕とその生涯の終わりの期間は、イエスの生涯の終わりに起こったことを繰り返しています。パウロにはラビたちによってあらぬ罪の訴

えがローマ人支配者に出されていましたが、使徒 18 章 12 節から 18 節においてローマ総督もパウロを裁こうとする意思はありませんでした。イエスに対して起こったことはパウロに対しても起こったのです。

マルコ 14 章 12 節から 15 節では、逮捕される時に先立って、イエスは弟子たちと過越の時

期に上の部屋で会い、パンを割きました。使徒 20 章 6 節から 8 節でパウロは彼の弟子たちと上の部屋で会い、捕われの身になる前にパンを割きました。

ヨハネ 10 章 15 節とマルコ 10 章 32 節から 34 節で、イエスはご自分の死を神のみこころ

だと受け入れ、付き従っている者に自分の死を予告しました。使徒 20 章 24 節から 25 節では、パウロは全く同じことをしました。

ヨハネ 11 章 8 節では、イエスの弟子たちは命の危険が迫っていることを思って、イエスに

ユダヤに行かないよう説得しようとしました。使徒 21 章 11 節から 13 節では、パウロの弟子たちもパウロの命を助けるために、エルサレムに下って行かないように説得を試みました。

マタイ 7 章 15 節や 24 章 11 節、マルコ 13 章 6 節、ルカ 21 章 18 節などはイエスが去った

後現れて羊を襲う狼についての警告であり、イエスはその警告を弟子たちとの 3 年間の関

係が終わるときに与えられました。使徒 20 章 29 節から 30 節でパウロは、3 年目の終わりに弟子たちの中に起こるにせ預言者について警告を与えました。

マルコ 15 章 12 節から 15 節やヨハネ 19 章 15 節、ルカ 23 章 21 節、マタイ 27 章 21 節か

ら 23 節などは、ラビたちに扇動された群衆がイエスの死を求めて叫んだことを記していま

すが、使徒 21 章 36 節と 22 章 22 節では、ラビたちに扇動された後、群集がパウロの死を求めていました。

マタイ 26 章 59 節から 61 節ではラビたちがイエスに対して偽証をつかもうとしていたことを記してあり、イエスは律法と神殿に逆らうことを教えたとしてあらぬ罪を着せられました。使徒 21 章 28 節ではパウロにも同じことが起こったと記されています――ラビたちはパウロが律法と神殿に逆らうことを教えていると彼に罪を着せました。

ルカ 23 章 8 節ではイエスがローマ市民政府の興味を引き、好奇心を起こさせたように、使

徒 22 章 30 節ではパウロもローマ市民政府の興味を引き、好奇心を起こさせました。このことが終わりの日にも起こるのです。政府は、私たちが他の人と何が違うのかを不思議に思い、初代教会に対してそうであったようにクリスチャンを好奇の目で見つめます。

ヨハネ 19 章とマタイ 27 章において、ローマ政府はイエスを釈放しようとしました。しかしイエスを釈放できないと分かると、無罪だと知っていながら、問題すべてをラビの権威へ委ねました。使徒 22 章 30 節と 18 章 15 節で同じことがパウロにも起きました。

マタイ 27 章 24 節ではローマ政府がイエスの件で暴動が起こるのを懸念して、仲裁するこ

とを余儀なくされました。使徒 23 章 10 節と 21 章 34 節から 36 節では、ローマ政府がパウロに関して暴動が起きるのを防ぐため、仲裁に入らなければならなかったことが記されています。

マタイ 26 章 4 節でラビたちがイエスを殺す策略を立てていたとき、ローマ総督はカイザリヤからエルサレムに下ってきました。同じような状況下でローマの地方総督はパウロの裁判を行うためにカイザリヤからエルサレムに下ってきました。使徒 23 章 12 節、21 節。

イエスはユダヤ人の兄弟によって異邦人と総督の手に渡されました。これはルカ 18 章 32

節、ルカ 23 章 1 節、マタイ 27 章 2 節に見られる具体的な預言に関する成就でした。パウロも具体的な預言の成就として、同じ境遇を味わいました。

ヨハネ 18 章 22 節でイエスは大祭司への話し方のために平手で打たれました。使徒 23 章 2

節ではパウロも同じ理由で打たれそうになりました。

マタイ 23 章 27 節でイエスは宗教的な偽善者のことを「白く塗った墓」と呼び、ペサハ(過

越)の時期に白塗りにされる墓のことをほのめかしていました。使徒 23 章 3 節でパウロは大祭司に向かって「白く塗った壁」と言いました。

イエスはルカ 20 章 26 節から 40 節で、パリサイ人とサドカイ人が一緒に向かってきたとき

に、復活の話題を使って彼らを巧みに操りました。使徒 23 章 9 節でパウロも同じ戦略を使いました。

“ユダヤ人が2人いれば、3つの意見が出てくる”という冗談を聞いたことがあるでしょうか。それは“ピルプル (pilpul )”として知られるものから来た言い回しです。“ピルプル”とはラビ たちの議論法で、どんな意見や立場でも正当化したり、批判するために使われ、他のラビ たちに関して注解をしているラビの権威をいくらでも引用するものです。これは議論のた めの議論であり、イエスはピルプルと関わりを持ちませんでした。山上の説教が終わった ときに、群衆はイエスが律法学者やパリサイ人のようではなく、権威のある者のように教 えられるのに驚いたとある箇所は、イエスが“ピルプル”と関わりを持たなかったという意味

です。イエスは率直に「こうである」とだけ言われ、当時のラビや現代のリベラルたちが

しているような神学論争やあらさがしはしませんでした。しかしひとつだけ例外があります。イエスはこれをパリサイ人とサドカイ人の間で論争を引き起こすために用いました。パウロも同じように、パリサイ人とサドカイ人の間に内輪もめを起こさせる目的以外にはピルプルを用いませんでした。

もう一度確認します。マタイ 10 章はイエスが語られたときには成就しませんでしたが、最初イエスに対して実現し、次に使徒たち、また非常にはっきりとパウロに対して起こりました――私がここに載せた以上に関連した箇所はあります。またマタイ 24 章とルカ 21 章を読むとそれが私たちにも起こることであると分かります。イエスに対して起こったことは初代教会に起こり、そのふたつの例が共に私たちに対して起こることが何かを教えているのです。ユダヤ的な預言は反復されるパターンです。複数の成就があり、それぞれの成就が最終的な成就に関することを示しています。私たちの結末を知りたいのなら、イエスの結末を見てください。終わりの時代の教会に何が起こるかを知りたいのなら、1 世紀の教会に起こったことを見るのです。

ヘブライ暦の象徴

そうです、私たちが使徒の働きを読むとき、それはただ過去の歴史を読んでいるだけではなく、未来の歴史をも読んでいるのです。初代教会は、春の雨と関連して、力強い聖霊の降り注ぎを経験しました。ヘブライ語の“マイム・ハイーム”つまり“生きた水”は聖霊の呼び名でもあります。雨が注がれることは聖霊が降り注ぐことの象徴です。イスラエルには春の雨と秋の雨(後の雨と前の雨)があります。初代教会に力強い聖霊の降り注ぎがあったように、終わりの日の教会にも力強い聖霊の降り注ぎがあります。これが初代教会に豊富な賜物が与えられ、終わりの日にもそれが復活することのひとつの理由です。そしてこれはイスラエルの雨期と関係があります。現在、再び大量のユダヤ人が救われているのもこのためなのです。収穫が来ています。

イエスはイスラエルの春の例祭を最初の到来において成就しました。過越の祭りはほふられる過越の子羊として、初穂の祭りは復活の初穂として、ペンテコステはイエスが聖霊を使徒たちに与えたときに成就されました。これらが春の例祭であり、春の雨が降り収穫を備えるときなのです。長く暑い夏は異邦人教会の時代と関連があり、その後イエスは再臨において秋の例祭を成就されます。秋に2度目の雨季が始まり、もうひとつの収穫期が来ます。使徒 2 章で引用されたヨエル 2 章は、はっきりと初代教会に見られたものが終わりの日に繰り返されると語っています。

このことは“賜物終結論 (Cessationism)”(御霊の賜物が初代教会で終わったとする説)の誤りに対する最も力強い論拠のひとつです。これを信じる人が間違って考えている、御霊の賜物は使徒とともに終わり、もう見られることはないという教えは、その対極にある“カリスマニア”と同じくらい極端なものです。真実はその中間にあります。御霊の賜物は初代教会に見られ、終わりの日の教会にも御霊の注ぎはあり、再び同じことが見られるのです。

聖霊の降り注ぎはしるしと不思議がその後に続きました。使徒 2 章 16 節から 21 節は、終わりの日の聖霊の降り注ぎもまたしるしと不思議がそれに続くと予告しています。しかし残念なことに、聖霊の降り注ぎとその結果であるしるしと不思議の後には、間違った教理や経験主義の神学、肉欲、霊的な賜物の誤用が続いていました――1 コリントを読んでみてください。今日ではどのようなことが起こっているでしょうか。御霊の賜物の後には、経験主義の神学や肉欲、性的不品行、与え主と賜物を置き換える人々、おかしな教理が続いています。初代教会が抱えていたのとそっくり同じ問題があります。

モーセの律法がクリスチャンとどのように関連しているかということが、使徒 15 章とガラ

テヤ 5 章において、初期ユダヤ人信者の間での対立的な問題となりました。また再び、メ

シアニック・ジューの間でその問題が起きています。過去 15 年間のうちに何万人ものユダヤ人が救われていて、初代教会の時代にあったのと同じ問題を私たちは今抱えています。

福音の動向

初代教会の時代に知られていた世界はローマ帝国や地中海を越えませんでした。しかし使徒 17 章 6 節を読むと、福音が当時の世界をひっくりかえしたことが分かります。マタイ 24

章 14 節では終りの日に神がもう一度地を震わせると主張されています。福音が地の果てまで宣べ伝えられることにより、神はもう一度地を震わせるのです。

韓国のように仏教徒が多数を占める国が、ひと世代のうちにキリストに立ち返ったことを私たちは目撃しています。地球上で最もイスラム教徒が多い国であったインドネシアでは、毎年 100 万から 200 万人ものイスラム教徒がムハンマドに背を向けて、キリストに自分たちの命をゆだねています。福音とキリスト教が西洋世界では衰える一方、発展途上国では急速に拡大しています。また福音はプロテスタント系の国々では衰え、ローマ・カトリック系の国々で爆発的に広がっています。そして異邦人が自分たちに与えられた真理と恵みを拒むにつれて、ユダヤ人が戻ってきているのです。

初代教会において、使徒 1 章 8 節で見られるように、神はユダヤ人を用いて異邦人に福音

を届けました。おそらく黙示録 7 章、また確実にローマ 11 章で『彼らの受け入れられるこ

とは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう』とあることを取り違えてはいけま

せん。神はユダヤ人を通して教会に恵みを与えようとされています。神はユダヤ人を用いて異邦人に福音を伝えようともされているのです。ちょうど1世紀にユダヤ人を用いて異邦人に福音を届けたように、終わりには神は異邦人を用いて福音をユダヤ人のところへ戻されます。それがなされると、神はユダヤ人信者を用いて教会を祝福されます。

反ユダヤ主義の復興

使徒 19 章 33 節、34 節を見ると、初代教会の時代には反ユダヤ主義が勃興していたことが分かります。終わりの日には、私たちは再び反ユダヤ主義が勃興するのを見るでしょう。聖書の中で神に選ばれた者と呼ばれている2種類の人たちは、ユダヤ人と新生したクリスチャンです。このことはすべて創世記 3 章で、神が蛇に向かって、蛇と女の間、蛇の子孫と女の子孫との間に敵意を置くと言われたときにさかのぼります。反ユダヤ主義と教会への迫害はコインの裏と表のような関係です。そのふたつを区別することはできますが、引き離すことはできません。

イスラム教徒はどの人たちを最も嫌っているでしょうか。ユダヤ人と新生したクリスチャンです。鉄のカーテンの背後にいた共産主義者たちはどのような人たちを一番迫害したでしょうか。ユダヤ人とクリスチャンです。ローマ・カトリック教会が何世紀にもわたって十字軍や異端審問、大虐殺などで迫害したのはどのような人たちだったでしょうか。ユダヤ人と新生したクリスチャンです。ロシア正教会が一番迫害したのはどのような人たちだったでしょうか。これもユダヤ人と新生したクリスチャンです。

すべては初代教会にさかのぼります。ローマ政府は教会と敵対した後に、ユダヤ人に牙をむきました。それが紀元 70 年に、また紀元 120 年から 132 年のバル・コホバの反乱で起こったことであり、確実に終わりの日に反キリストがなすことでもあります。反キリストは私たち教会に敵対し、次にユダヤ人に向かっていくでしょう。反ユダヤ主義は広まり、今でさえ、ある再建主義者たちによってそれは教会の中に入り込んで来ています。

マルティン・ルターは、間違いなく神の人でした。しかし彼が行きついた末路はひどく衝撃的なものでした。ルターは、農民の背を刺して殺し、ユダヤ人は囲いの中に集められて、ナイフの刃を突き付けてキリストを告白させなければならないと言い、ドイツ人は自分たちがクリスチャンであることを証明するために、ユダヤ人を殺さなければ非難されるべきだと主張しました。このようなことが現代の教会に再び忍び込んできているのです。

ユダヤ人を滅ぼそうとした腐敗した政治家たちは、いつもそれを神学的に正当化するため

クリュソストモスやルターのような人たちから引用してきました。現代も同じ状況が起こ

っています。私たちの時代に出版されたいくつかの本を読んでみてください。たとえば

『Whose Promised Land?』(約束の地は誰のものか)や『Blood Brother』(血を流した兄弟)などはイスラエルに対してひどい偏見を抱いています。人々はイスラエルに対しての憎しみを正当化し、神がユダヤ人のために抱いている終りの時代の目的を否定する奉仕者たちを見出そうとして、彼らは成功しているのです。しかし神がこの世を贖う計画は最終的にはイスラエルの贖いにかかっています。預言によると神がこの世を救われる計画はイスラエルの救いの計画と密接な関わりがあるのです。イスラエルは神の日時計です。これはユダヤ人の地位が高いとか、すぐれているとかいう意味ではありません。それでもなおイスラエルが神の日時計であることに変わりはないのです。

ローマの復興

ダニエル 7 章 19 節と 20 節、黙示録 17 章 9 節――ローマは初代教会の時代の世界を支配し ていました。私は確信を持って言えるのですが、ダニエル書の第4の獣はローマ帝国が再 編されたものになるでしょう。まだローマは終焉に至っていません。欧州評議会はローマ 条約によって創設されました。私たちが覚えておかなければならないことは、ローマ皇帝 はローマのパンテオン神殿のかしらであったということです。ローマ皇帝に向かってひざ まずいている限り、人はどのような神でも信奉することができました。ヘブライ語で“礼拝 する”と“ひざまずく”という言葉は同じ単語――“ヒスタカボート (Histachavot)”といいます。ローマ・カトリック教徒がマリア像の前でひざまずくとき、それは偶像礼拝の行為なので す。

皇帝を筆頭としてパンテオン神殿に入ってきたすべての神は、皇帝を全宗教と政治の霊的な指導者と認めている限り、人々はどのような神でも拝むことを許されました。皇帝は“ポンティフィカス・マキシマス (Pontificus Maximus)”すなわち“ポンティフ(Pontiff)”と呼ばれていました。コンスタンティヌス帝が首都をコンスタンティノープルに移してから、教皇はポンティフの名を名乗りました。教皇とポンティフは結局同じものになり――異教に物を贈る神がいたので、ポンティフはそれを聖ニコラウスと呼ぶことを決め、異教に愛の神がいたために、それを聖ウァレンティヌス(バレンタイン)と名付けました。アルテミスやミネルヴァなどすべて他の女神はマリアになりました。実質的にローマ・カトリックは同じ偽りの宗教のままなのです。これが終わりの日に再び起こることです。(ポンティフとは実際、橋渡しという意味です。この場合はさまざまな文化と宗教の仲介者となるということ)

ローマ人たちには公認宗教(religio licita)と非公認宗教(religio illicita)がありました。

公認された宗教はポンティフを指導者として認めている限り、許されていました。皇帝に

ひざまずくことを拒んだ非公認の宗教、最終的にこの分類に入る唯一の宗教は私たちの宗教です。ポンティフはキリスト教を非難しました。教皇ヨハネ・パウロ2世は、チベットの仏教徒たちから神として崇拝されているダライ・ラマと会見しました。教皇はゾロアスター教の祭司、まじない師、イスラム教のイマーム、正統派のラビ、カンタベリー大主教などとも会見し、すべての宗教を尊敬していると言い、神として崇拝されているダライ・ラマを“偉大な霊的指導者”として認めました!これが反キリストです。教皇はこの人たちにただ自分をポンティフとして認めるように要求しただけでした。

しかしながら、ポンティフであるヨハネ・パウロ2世が認めなかった宗教がひとつだけあります。7年前にボリビアで、また今から1年も昔ではないサントドミンゴ(ドミニカ共和国の首都)でこの教皇は新生したクリスチャンを“貪欲な狼たち”と呼びました。彼の中にも公認宗教と非公認宗教があります。私たちの宗教を除いてすべての宗教は彼にとって好都合なのです。これがポンティフが2千年前にしていたことであり、今も彼がしていることなのです。

ギリシア語での反キリストという言葉を見ると、それはただ“キリストに対して”という意味だけではなく、“キリストの代わりに”という意味を持っています。教皇のラテン語での称号は“ヴィカリアス・クリストス (Vicarius Christus)”、キリストの代理人というものです。“キリストの代理人”をギリシア語に訳すと“アンティクリストス (antichristos)”つまり反キリストとなります。

これが初代教会において起こっていたことであり、現在にも共通していることです。教皇ヨハネ・パウロ2世はひとつに統合されたヨーロッパにひとつの教会を望んでいると言いました。教皇は同盟を結んだヨーロッパがひとつしか共通に持っているものがないことをとてもよく知っています。それはローマ・カトリックです。聖公会は消え失せて、ローマのもとに下って行きつつあります。カンタベリー大主教であるジョージ・ケアリーは『The Meeting of Waters』(融合)という本を書き、聖公会が教皇の権威のもとに入ることを促しています。ヨーロッパ全域で、違った言語、違った文化、違った遺産を受け継いでいる人たちをひとつにできるのはローマ・カトリックであると教皇は知っています。彼はひとつのヨーロッパにひとつの教会ができることを望んでいるのです。言い換えると、16 世紀また宗教改革以前にあったものに戻ろうとしているのです。ポンティフは初代信者たちに向かってきました。そして今のポンティフが自分のしたいことを行うのなら――今その通りにしていますが――再び私たちに敵対するのです。救われたカトリック信者はバビロンから脱出する必要があります。

初代教会の時代には、多神教のローマは世界中の偽りの宗教の神殿となっていました。ロ

ーマが関わっているインターフェイス会談を見ると、確信を持って私が言えるのがローマその会談は何らかの形で世界の偽りの宗教が集まったもの、そして最後には政治体制と組み合わさったものとなるでしょう。偽りの宗教は信者を迫害しました。使徒 19 章 23 節-

29 節ではアルテミス礼拝に基づく具体例が示されていています。現代では世界中にマリア

礼拝で同じことがあります。マリア自身は救い主が必要だと言ったにも関わらず(ルカ 1

章 47 節)、ローマ・カトリックはそれを否定し、彼女を拝んでいます。

マリアは今までに存在した女性の中で最も偉大な人でした。ヘブライ語で“神の力強い者”

という名前の意味を持つ御使いガブリエルはマリアに言いました。

『あなたはどの女よりも祝福された方です』(ルカ 1 章 28 節)最も偉大な女性は自分自身についてどう語ったでしょうか。

『わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。』(ルカ 1 章 46 節-47 節)

マリアは「私には救い主が必要だ」と言いました。しかしながらローマはこれを否定し、マリアが胎の中から原罪を持っていなかったと主張します。このようなことはローマの中で頻繁に見られるようになります。



By David Passmore July 14, 2026
Circling the wagons Ruben Rothler LLB, LLM Israel is a society riddled with tension and division. It is sociologically, if not politically miraculous that a country drawing Jews from all over the world is able to exist at all. The army affords a degree of integration as a melting pot. But this is only a marginal source of national unity in the overall scheme of things. More so are the myriads of external threats that face this small country. In the former generation the Ashkenazi (Jews of European descent) - Sephardic (Jews of Oriental descent) divide was far more pronounced. The dominant Ashkenazi establishment held the reins of political and economic power which was resented by the Sephardim. However, due to a combination of inter-marriage and political accommodation much of the chasm that separated these distinct groups was forged. Menachem Begin (an Ashkenazi politician) in 1970 successfully ran on the Likud Party ticket with a campaign that brought Sephardic Jews under his conservative political umbrella. Later the immigration of Russian Jews following the end of Communism would add a whole new dimension to the Israeli demographic milieu. The younger generation of these immigrants tended to adapt well to Israeli society and contributed much to the economy. The wider division in Israeli society that crosses ethnic lines concerns that between religious and secular Jews. This can be further bifurcated to the clash between the secular and specifically ultra-orthodox Jews (Haredim) as distinguished from the national religious Jews (Dati Leumi). The Secular and the Religious generally part on what they envisage a Jewish State to entail. Religious Jews desire the State to strictly adhere to the stipulations of Jewish Law (Halacha), while at present Halakhic influence is largely limited to certain areas of Family Law concerning Jewish citizens. Wider considerations of promoting a socially conservative political agenda would also be forefront amongst the religious mindset broadly. Secular Jews view the imposition of such proposed measures as a serious infringement of their civil rights. With regard to the Haredim, the bone of contention looms larger, in that this group is fundamentally opposed to participating in society at large. This is acutely manifested in diminished contribution to the work force and a refusal to be conscripted into the army. The 2023 judicial reform protests posed a significant threat to social civil order. The nation appeared to be bitterly divided into two opposing camps. This split reflected broader divisions concerning visions of how the country should be governed. The judicial reforms would have weakened the Supreme Court's ability to render the Executive branch accountable. However, the Supreme Court was also accused of using its considerable powers to promote a socially liberal agenda. Left wing secular Israelis tended to oppose the proposed reforms while those on the right (which included the majority of Religious Jews) supported the reforms. Every weekend droves of protesters were brought onto the streets causing major disturbances to traffic. The polarising nature of this impasse threatened the future of Israeli democracy. It was the October 7th attack that brought a swift end to this public debate and civil strife. The nation instinctually united in response to this common existential threat. The judicial reforms were shelved for a future point when the urgent security threats subsided. However, as the war dragged on the enduring issue of Haredi refusal to conscript into the army became more pronounced. Mounting casualties combined with ever increasing manpower demands to field troops on the multiple theatres of action on which the IDF is engaged has depleted the ranks, and the army is now in much need of fresh conscripts. Haredi belligerent refusal to participate in the pressing national defence has escalated from being a political debate to a matter of very practical vital importance. Overall we can observe that the challenges to national unity in successive generations since the establishment of Israel has recurrently been ameliorated by the common necessity of defence towards outside threats. Most recently we can see this happening with regard to the global anti Semitism and anti-Zionism that has been raging since the October 7th atrocities. These hostile attitudes have paradoxically acted as a force which promotes nationalism and a sense of national cohesion in Israel that otherwise might not functionally exist.  (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).
By David Passmore July 8, 2026
A Divided Nation Rubin Rothler LLB, LLM The Haredi community has had a complicated, paradoxical relationship with the State since its founding. Rooted in a Talmudic precept that the Jews are forbidden to resettle the land of Israel en masse by force before the coming of the Messiah, the secular democratic State of Israel presents itself as blasphemous by its mere existence. Yet due to practical considerations such as the need to obtain funding for its religious academies the Haredi leadership reached a settlement with the State's founders that exempted Haredi men from being conscripted for military service. This was at a time when the Haredi population in Israel was relatively small. Over the past decades this demographic ballooned until the point that soon the majority of Jewish children in Israel will be born into Haredi families. Such a situation is clearly unsustainable. Recently the Knesset's (Parliament's) Haredi parties have pressured their coalition partners in government to codify Torah Study as part of the Country's Basic Laws. This was purposefully done to elevate the status of their institutions to be on parity with service in the IDF. Israel is yet to promulgate a written Constitution, so legislation classed as a Basic Law holds Constitutional status for all intents and purposes. These moves by the religious parties represent a back door power grab to enshrine in law very significant hurdles to prevent the enlistment of Haredi men. The burden of Israel's defence is comparatively massive for a country its size and it is vastly disproportionately shouldered by the secular population. Until now there have been political initiatives to conscript the Haredim. But given the huge manpower shortages emerging in the wake of near continual conflict on multiple fronts since the events of October 7th this matter has become urgent and not merely a theoretical discussion of what is fair and equitable. It is important to draw a distinction between the Haredim and national religious Jews (Dati Leumi). The Haredim adhere to a lifestyle entirely committed to observance of Jewish Law and Talmudic study. This is embraced to the exclusion of gainful employment and participation in wider society. They are either outrightly opposed to Zionism or consider themselves non-Zionist. Conversely, followers of the national religious movement in Israel although being observant of Jewish law and learning would alongside this pursue secular professions. Furthermore, they are ardently Zionist and disproportionately serve in IDF combat units. This is often done within the framework of a program called Hesder Yeshiva that combines religious learning with military service. Efforts to cater a similar model for accommodating Haredi participation in the IDF have so far failed to make substantial gains. Such measures designed to override Haredi objections to service based upon modesty concerns by strict segregation of the sexes in these specially formed units have failed to appease the Haredi leadership. For them, any form of military service is considered a dereliction of their duty to fully devote themselves to a Torah lifestyle. They argue that their Talmudic learning and prayers are in itself a form of national service and act to protect the Jewish people spiritually from enemy attack. It is as if two parallel societies exist within Israel. And the trajectory of separation between the two is only growing. The Haredim are cloistered away in their Yeshivas, immersed in lives devoted to adhering to the stipulations of Jewish law. While the particulars of actually running the State is left to the Secular. The Haredim desire all the benefits of subsidizing their lifestyle without contributing to society. What we really have going on here at source is two profoundly different and opposing ideological visions of what is important in life and what is the purpose of a Jewish State. At the State's founding these divergent perspectives were more manageable. Ben Gurion only had to contend with one religious party –the National Religious Party. Later in 1970 Begin aligned with the NRP to form a coalition government that also brought Sephardic Jews under the Likud umbrella which had the effect of bringing unity to the country by bridging the Ashkenazi-Sephardi divide. However, over time Israeli politics has seen a proliferation of religious parties, gaining further leverage as king brokers in forming governments due to the proportionate representation voting system which secular Israelis not uncommonly view as political blackmail. (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).
P
By Mea Fredrickson June 23, 2026
New Paragraph
By David Passmore June 22, 2026
THE CAPTION AT THE HEAD OF THE POSTER IMAGE FOR THE MOVIE ‘DISCLOSURE DAY’ BOLDLY DECLARES ‘WE DESERVE TO KNOW’ Indeed, we do need to know the truth. But will we find it in Stephen Spielberg’s new movie ‘Disclosure Day’? Could it just as well be entitled ‘DECEPTION DAY’? In an interview with USA Today Spielberg says that evidence of non-human contact has become “overwhelming” to him. He has suggested that his film could raise significant theological questions for Christians. But will it? For us Christians - No, not on our watch! The movie raises no questions for those who accept the proven accuracy of God’s Word, the Bible. The film, which is capturing the imagination of the public, only confirms exactly what scripture tells us about what are in fact extra-dimensional beings. ALIENS OR FALLEN ANGELS? God inhabits the heavenly realm along with a vast array of angels. Because Lucifer, a created angel, wanted to usurp God as ruler of the universe, he was expelled to another realm outside of our time and space, along with one third of the angels who rebelled with him. These fallen angels manifest themselves as demons who can appear on earth and disappear at will. Spiritual hosts of wickedness exist in heavenly places, wherever this realm is, it is not the place where God dwells. ARE ALIENS BENEVOLENT? In the movie, the ‘aliens’ are portrayed as friendly beings who want to help mankind in a time of crisis. If the aliens are really demons, not visitors from outer space, this is a dangerous delusion. Whitley Striber in his book ‘Communion’ writes on encountering ‘aliens’; ‘I felt an indescribable sense of menace. Whatever was there seemed so monstrously ugly, so filthy, so dark and sinister. Of course they were demons. They have to be.’ Many others have reported similar malevolent experiences. During the movie, Daniel claims to have had an encounter with extra-terrestrials during which he received a special gift of empathy, which is regarded by him as the ultimate superpower. However, there is only One who completely understands our human frailty. We read this concerning Jesus: ‘For we do not have a high priest who is unable to empathise with our weaknesses, but we have one who has been tempted in every way, just as we are - yet he did not sin.’ (Hebrews 4 v 15). Jesus said: “Come to me, all you who are weary and burdened, and I will give you rest.” (Matthew 11 v 28) END TIMES DECEPTION Before he was crucified, Jesus warned his disciples about these last days in which we are living. The first words he used in this context were: “Watch no one deceives you. For many will come in my name saying, ‘I am the Christ,’ and will deceive many.” Deception was top of the list! Later, the Apostle Paul wrote about these days: ‘The coming of the lawless one is according to the working of Satan, with all power, signs, and lying wonders, and with all unrighteous deception among those who perish, because they did not receive the love of the truth, that they might be saved.’ (2 Thessalonians 2 v 9) Have you received the love of the truth? Have you received Jesus who is the way, the truth and the life? If not, you are in great danger. Perilous times are here and they are only going to get worse as man turns more and more away from his maker. Things will only change when Jesus returns soon to establish his own Kingdom on earth, where justice and peace will rule. JESUS, OUR ONLY HOPE! The Bible says all human beings are sinners. The message of Jesus is simple; repent and believe the good news, that God wants humanity, his highest creation, to be reestablished in relationship with him. His plan was simple: to give his life in unconditional love for every human being that has and ever will live, by shedding his blood on a Roman cross. In doing this, we can receive forgiveness of sins. Our old life will then be buried with him, giving us new life with the hope of an eternal future of true peace, love and joy, with freedom from pain and tears. Why ignore such a great gift of salvation? If you do, your fate will be sealed for eternity in hell, which is a real place without God, and thus without love, to face only eternal consequences of punishment. We condemn ourselves to such a fate. REPENT AND BELIEVE THE GOSPEL BEFORE IT’S TOO LATE! Jesus loves you and asks that you repent and believe in him. It would be the best and safest decision of your life! If you commit your life to him, he will give you a new heart, you will be a new person inside. You will also gain a new desire for all that is right and true. And his Holy Spirit will give you an ability to discern the lies of the age we are living in. ‘For God so loved the world, that he gave us his only son, that whosoever believes in him, will not perish, but have eternal life.’ (John 3:16) FINALLY, A RECOMMENDATION  All that is described in this leaflet has been open, in the light for millennia. On the other hand, the theory of extra-terrestrial life has been hidden in darkness, awaiting ‘Disclosure Day’. Which would you prefer to believe, the Word of God, or the word of Stephen Spielberg? I made my choice years ago, and have never regretted it! If this message has spoken to you, just call upon Jesus in a short prayer. Confess to him that you are a sinner in need of salvation. Ask him in sincerity to forgive you and to fill you with his Holy Spirit. You will then become what the Bible describes as being ‘born again’. (John 3 v 7) Then you need to seek a Bible believing church where you can be baptised and become part of a group of believers who can help you get to know Jesus more and more fully. “And you shall know the truth, and the truth shall make you free” (John 8 v 32)
By David Passmore June 20, 2026
Prayer request for Teerth Sond Petitioned Prayer-Supplication/Personal Prayer/ Collective Prayer/Thanks Giving Prayer Our Dear brethren in Yeshua, my family & myself Teerth request your prayers in The Spirit that the latest drugs Ramicirumab & Pacilitaxel will destroy the cancer cell in the Authority Of The Lord Yeshua in The Power of The Holy Spirit. Targeted Petition: Please stand with us in prayer & fasting; The Lord will target the 2cm legion & that it will be cast out of my Liver in the love (agape), compassion, kindness, grace, mercy of God. I do not deserve it because of me- but By His Stripes we are healed for His Glory. This will allow the main operation to go ahead (which should have been done 18 months ago). Step by Step in the leading of The Holy Spirit and the in the Lord Step by Step, as our beautiful sister Beryl said, has worked on my Spiritual man- thank you Lord for waking me up. Lord raise me up for your glory forever because of your love to me, the family & fellowship- an unworthy sinner saved by your grace & love. Email sent to my Oncologist & my Local MP: Greetings Natasha & Dr Mano Joseph Hope All Is Well Thank you for our meeting today. At our meeting we discussed my MRI & CT scans which were done in May 2026. We discussed the operation on my oesophagus which I believe is the best option. (This should have been done 18 months ago). My Kidney operation will be done- non evasive- Lord willing within the next month. Will you be talking to Mr Chacravaty about this? The liver must be targeted first- this is wisdom and the latest radiotherapy treatments available- proton therapy-radiotherapy atezolizumab and bevacizumab sorafenib lenvatinib regorafenib cabozantinib durvalumab and tremelimumab At the meeting we discussed the next CT & MRI scans to be held end off July. Wouldn't it be to better to have them in August so by then I've had 4 full treatments on the latest medication. Also we have Zolbetuximab on compassionate usage- all glory to The Lord. After all the past wrongs I have no doubt now Dr Joseph you will pursue the best for me and family. Dear brethren- King Manasseh, David, Hannah, The Church For Peter, James, The Lord Jesus Christ for example made petitions onto the Lord. We pray as one body to cast off the illness in the Power of The Holy & The Authority Of Yeshua. The Great Physician who came for the ill. To lay out raised hands 🙌🏽 upon the head of our Lord. ABBA/Daddy/Lord in your mercy have mercy on us. Love you all in Yeshua our Lord & God. Teerth, Family & Fellowship
By David Passmore June 19, 2026
The End of an Extended Honeymoon – Are Trump and Netanyahu Parting Ways? Rubin Rothler LLB, LLM  The Israeli public had high hopes for Trump. Unlike his predecessors, he consistently endorsed Israeli measures of self-defence in the different theatres of conflict in which it had to contend. Further to these ends Trump shared in Netanyahu’s determined agenda of preventing the Iranians from pursuing the proliferation of nuclear weapons. During Trump's first term he tore up Obama's negotiated settlement with the Iranians concerning enriched Uranium, echoing Netanyahu’s position that it didn't go far enough. Now in his second term Trump partnered with Israel in a war with Iran that turned out to lack clearly defined goals. The campaign required resolve on the part of America that it wasn't willing to commit. After an initial lightning blitzkrieg that decapitated the Iranian leadership, the Persians dug in and the conflict became a protracted war of attrition hinging on Iran's stranglehold on the straits of Hormuz that could only be realistically lifted by placing boots on the ground or an intensified air war directed against Iranian coastal positions and the destruction of Kharg island, or at least the viable threat to obliterate Kharg island if Iran did not acquiesce. It transpired that Trump and Netanyahu underestimated the resilience of the Iranian regime, thinking that it had already received a near mortal blow during the prior popular demonstrations. So now we are left with a situation where Trump is exasperated with this protracted endeavour and appears to be aiming his frustration towards Netenyahu. A sticking point is Israel's continued occupation of Southern Lebanon. Iran is insistent that Israel withdraw its forces from there as a precursor to fully committing itself to a final status agreement with the U.S. to put an end to its nuclear aspirations. With the midterm elections looming Trump seems to be desperate for an exit strategy from this war. From Israel's perspective the fight against Hizbollah is an inextricable part of the Iranian equation. The IDF has invested massive resources and personnel in the hopes of quashing the Iranian proxy once and for all. Netanyahu is determined to build on the momentum achieved after the spectacular pager attack in 2024. After the catastrophic Hamas massacres of October 7th, the majority of the Israeli public is unwilling to tolerate a capable hostile force on its borders. Trump's proposed solution to this dilemma unrealistically suggests that Syria should take on the role of disarming and removing Hizbollah from Lebanon. In the ultimate reckoning of international relations, America doesn't have iron clad allies, but rather interests like any other nation. If, (as appears to be occurring now) U.S. and Israeli interests fail to align the two countries will cease to act in unison and there may be a rupture in relations on the not-too-distant horizon. Trump has indicated that Israel owes him big time. He has asserted that were it not for his decisive actions they would have been obliterated by Iran's missiles. This is nothing to say of the robust diplomatic support Trump has lent Israel in such forums as the United Nations Security Council and sanctioning officials of the International Criminal Court. Netanyahu is acutely aware of what may be next after Trump. The way public opinion is turning against Israel it is unlikely that the next administration is going to be any way near as friendly as Trump has been thus far to Israel. Trump too of course is mindful of this turning tide opposing Israel. The Iran war has been unpopular to his domestic audience, and the President has been caricatured as Netanyahu’s stooge doing Israel's bidding. Another major consideration for Trump is the colossal impact that the war has had on his other major regional allies: the Gulf States and Saudi Arabia. They have received the brunt of the Iranian backlash that has effectively targeted their energy infrastructure and trading routes. They, along with the Europeans have been exerting pressure on Trump to end the conflict and reopen the Straits of Hormuz regardless of whether the most favourable terms of Iranian capitulation are achieved. Israel, however important a strategic asset and technological powerhouse will not override these broader concerns that are endangering global energy markets. An unspoken factor is Trump's propensity for a belligerent severing of his relationship with allies in the political sphere. His public displays of hostility with former political allies such Senator Ted Cruz, Governor Ron Santos and Elon Musk demonstrate a temperament that the same kind of falling out could invoke with strategic allies as well as those political. Both Trump and Netanyahu are approaching the sunset of their political careers and are naturally inclined to deeply consider the legacies they will leave behind. In the international sphere Trump projected himself as a peacemaker from a position of strength. But as many commentators have pointed out, the war with Iran demonstrated the limits of U.S. power. Trump appraised Iran as low hanging fruit that could be swiftly toppled like Venezuela. However, when push came to shove and the only prospect of landing a decisive blow demanded a massive ground offensive on the scale of the Iraq war, he bottled out and sued for a premature peace that will leave Netanyahu in the cold. Netanyahu is anxious to rehabilitate the injury inflicted on his reputation of the greatest disaster to have occurred in Israel's history having happened on his watch. Eliminating Iran as the great regional adversary pulling the strings of its proxies would have done much in this regard. Neither leader is able to craft their legacies as they would have wanted. Trump is choosing the perceived option of mitigating the damage done to his legacy in foreign affairs. He is trying hard to sell his Iran deal as being more than what Obama bargained in terms of guaranteeing a nuclear free Iran. But as further details of his proposal are leaked this is becoming a tall order. Netanyahu is faced with October elections and he may decide to stay the course in Lebanon as otherwise he will seem weak to most voters. Should this happen, we will be in uncharted waters as it will thwart Trump's designs for an immediate end to this affair.
By David Passmore June 17, 2026
The Battlefield for Israel's Reputation Rubin Rothler LLB, LLM Israel has enjoyed strong U.S. support since its founding. Within eleven minutes of Israel's Declaration of Independence Truman recognized the Jewish State. Under the Kennedy administration the Pentagon sold advanced missile systems to Israel. However, it was the 1970 attempted PLO takeover of the Hashemite Kingdom of Jordan that demonstrated to the U.S. Israel's regional prowess and indispensability for implementing Washington's agenda. During Arafat's attempted Coup Syria mobilized its forces on the Jordanian border in support of the PLO's bid to dislodge the ruling Hashemite dynasty. Upon Washington's direction the IDF also mobilized its army upon its border with Jordan, thereby deterring the Syrians from taking further action. From then, the Pentagon and U.S. military planners invested heavily in promoting Israel's defence. During the 1973 Yom Kippur War disaster Nixon's massive air lift came to Israel's aid. For decades U.S. diplomatic and military support for Israel was a non-partisan issue. Both Democrat and Republican members of Congress voted nearly unanimously in support of measures concerning Israel. However, in the mid 2010's this began to change. To the extent that now 80% of Democrats hold views in opposition to Israel and this is reflected in how their representatives are acting. It is difficult to praise an exact moment when this turning point occurred. For years Democrat grassroots activist groups across the nation were lobbying their local representatives about their attitudes to Palestine and the mass student protest movements following the Gaza war built upon this momentum. The dual standards by the academic establishment were riddled with hypocrisy as if by the same criteria Israel is condemned for its responsive self-defence counter attacks in Lebanon and Gaza, Britain and America would be similarly indicted for what they did to Dresden, Hamburg and Berlin in response to Hitler. This is facilitated by the funding of Western Universities by Qatar and other Islamic interests associated with the Muslim Brotherhood. There is alienation between Israelis and the traditional left-centre Jewish Diaspora in the U.S. with a third of New York Jews voting for Mandani a vehement anti-Zionist in the New York Mayoral election. This is counterbalanced by a growing Jewish Right in America led by Ben Shapiro, David Ruben, Dennis Prager, Mark Levin and Trump advisor Steven Miller who are in political harmony with the Evangelical Right. The Republicans are also approaching a crossroads. Just as the Democrats have been hijacked by the Woke Left there has emerged a virulently anti-Zionist Woke Right led by Tucker Carlson, Nick Fuentes and Candace Owen who are also attempting to hijack the Republicans. What is alarming here, is the fact that the majority of young Republicans under forty now hold an unfavourable view of Israel. So, it is very much a matter of fighting for the future of the Republican Party. The growing populist movements in Britain and Europe may counter the anti-Zionist and anti- Semitic political activities of the Muslim vote and their left-wing allies. In any eventuality, even if the least favourable trajectory of U.S. public opinion were to further materialize it is unlikely to dismantle the massive military and intelligence sharing cooperation between the U.S. and Israel. The Pentagon views Israel as far too big of a strategic asset in a volatile region to cut ties with. (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).
By David Passmore June 10, 2026
MAJOR PRAYER REQUEST - STEVE MITCHELL MORIEL ORPHANAGE (Andar Pradesh, INDIA) Please read the enclosed missions report from Moriel Missions Branch India: Our children need us and we put a lot of money into buying and then expanding the Moriel orphanage to take in more children. These precious orphan children are coming to Christ and the devil is angry. Until now we had opposition from radical Sheikhs at the Moriel Horeb church we built in Punjab, but the Hindu Authorities in Andar Pradesh have largely until now left us alone. The BJP government is however as wicked as Hamas or Hezbollah - only Hindu (I was in India when radical Hindus burned the Australian missionary family alive in their car; these are the ones who wanted to murder Steve Mitchell when Moriel helped to quickly get him out of the country some years ago). Some pastors have been murdered again in West Bengal. (Samuel, who oversees the Moriel orphanage went to Bible College with one of them). Because our orphan children are Dalet (treated as subhuman 'out casts' by the Hindu caste system), or from Muslim backgrounds, we have largely been been left alone and some of the local officials liked us. This is obviously not a good situation. Prayer is urgently requested. Please pray for Mark Masih particularly that they will not cancel his visa. They are now forbidding us from bringing any more bibles into the country. What would happen if Britain, Australia, or America outlawed Hindus from bringing the Bhagavad Gita into England, Oz, or the USA? MARANATHA Come Quickly Lord Jesus  "You Will Be Hated By Men For My Name's Sake" Matthew 10:22
By David Passmore May 30, 2026
Staying The Course Amidst Isolation Rubin Rothler LLB, LLM Living in Israel one gets the feeling that the metaphorical walls are closing in. Israel's reputation is being tarnished all over social media and the mainstream media, and this is reflected in massive public disdain towards this country. We are constantly told that there is near consensus amongst academics and commentators that a genocide was committed in Gaza. The very legitimacy of the state is brought into question. The majority of Americans are now hostile towards Israel. There is real fear that the next U.S. administration will turn against Israel. Even if this were to happen passively, by the U.S. refraining from exercising its veto power towards Security Council Resolutions condemning Israeli actions this could be catastrophic. Internally it is a fractured society leaning increasingly right wing which further alienates Israel from world opinion. An example in point is how Ben Gvir mocked the most recent participants of a global aid flotilla to Gaza. Such conduct further agitates outrage at Israel. The left-wing media presents the ruins of Gaza as a mortal wound in Israel's side. When the world observes this level of carnage no degree of public relations can ameliorate the sense of indignation towards Israel. We can liken the situation of Israel to that of a depressed person. All he sees is hopelessness and gloom. But this isn't the first time that the Jewish nation has been faced with such darkness. Things change and we don't know how the geo-political map will reconfigure in the future. We need to ride out this storm and keep going. On a historical note, the situation is reminiscent of what our ancestors faced when we returned from the Babylonian exile to rebuild the walls of Jerusalem. Nehemiah was faced with constant lies and conspiracies designed to entrap him by hostile actors: Sanballat the Horonite, Tobiah the Ammonite and Geshem the Arab. They employed deception, slander and ridicule in order to maintain their political eminence. There was also a certain sense of abandonment amongst the Jews in Israel then as in our own day. We read in the books of Ezra and Nehemiah about the anguish of the leadership in Israel concerning the lack of assistance from the Babylonian diaspora towards the rebuilding of the walls of Jerusalem and the Temple. Only 20% of the exiles returned to the land. It was largely the poor who returned. Most of the affluent, established Jews remained in Exile. This is a continuing theme in Jewish history. It is also important to observe that from its very beginnings there were bible believing Christians who spearheaded the return of the Jews to their land. The idea of organizing a return of the Jews to Israel began as a Protestant Restorationist objective that can be traced to 17th century Puritan England. The protagonists of the Cromwellian Republic viewed themselves as the new Israel fighting the Papist forces of Satan. Alongside this, interest grew in the notion that biblical prophecies pertaining to the return of the Jews to Israel were a necessary precursor for the return of Christ. The growth of the British Empire in the 19th century lent political clout to Christian Restorationism with specific missions to the Jews established. Although there had been a longing to return to Israel as written in the thrice daily Amidah prayer, Jewish Zionism arose in the midst of mid nineteenth century nationalism and was further fermented by European antisemitism. It was an altogether secular enterprise. Although Israel's situation appears rather stark, we can draw strength from the Providence afforded to our ancestors in the days of Ezra and Nehemiah when they too were faced with defamation. This is also an opportunity to grow closer to our natural allies in the evangelical world who from the beginning of Zionism were steadfast supporters of the project to establish a Jewish homeland in Israel.  (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).