The Future History of the Church - Part 3 - Japanese

April 3, 2025

未来の教会史3

ジェイコブ・プラッシュ

エリヤ 昔と今

これについては説明できることがたくさんありますが、次のように説明しましょう。私たちはまずエリヤについて理解しなければなりません。

アハブ王はぶどう畑を欲しがりました――反キリストはダニエル書で麗しい地に入りました――しかし、アハブは簡単にはそのぶどう畑を取り上げられませんでした。そこで女王イザベルは彼のためにぶどう畑を我が物としようとしました。このことにより、エリヤフー・ハナヴィー(Eliyahu HaNabi)、つまり預言者エリヤとの争いに入ったのです。終わりの日に反キリストはそのぶどう畑を欲しがり、偽りの宗教体制を用いてそれを奪い取ります。このためにアハブはエリヤとの争いに陥ったのです。エリヤ、エリシャ、サムエル、またバプテスマのヨハネはすべてつながりがあります。ミドラッシュ的に、教会が思い付きもしない方法でそれらはつながりを持ちます。教会はギリシア的思考でユダヤ的な本を読んでしまっています。聖書中のどこでも、同じ地理的な場所で起こったことはミドラッシュ的につながりがあります。バプテスマのヨハネの奉仕はどこで行われたでしょうか?エリコの平原です。ここはエリヤの奉仕が終わり、エリシャの奉仕が始まったのと同じ場所です。サムエルは最後のさばきつかさでしたが、最初の預言者でした。バプテスマのヨハネは旧約における最後の人物でしたが、新約における最初の人物でした。使徒たちがユダの代わりを探しているとき、彼らは最初からイエスと共にいた者ではなく、ヨハネの奉仕の頃から共にいた者を探していました(使徒 1 章 21 節-22 節)。ヨハネは重要人物であり、過渡期にいた人物です。新約の時代はヨハネから始まりました。イエスからではありません。

バプテスマのヨハネとサムエルは誕生の際、同じような状況に置かれていました。人が奇跡的な状況で誕生するなら、そこには必ずミドラッシュ的なつながりがあります。エリヤとエリシャ、ヨハネは同じ霊を持っていました。そのように、邪悪な女が王をエリヤに敵対させました。同じことがヘロデヤとヘロデとに起こりました。邪悪な女が王をバプテスマのヨハネに敵対させたのです。これはパターンです。同じことが繰り返し、繰り返し起こります。両者に起こったことはエリヤに対して起こったことであり、それが終わりにも再びやって来ます。これについては語ることがたくさんありますが、とても複雑なもので

す。

アモス 8 章 11 節を見てみましょう

『見よ。その日が来る。――神である主の御告げ――その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。』

物質的なことが霊的なことを反映していることを思い出してください。神殿の幕が裂かれた時、物質的な出来事は霊的な出来事を反映していました。イエスは終わりの日に飢饉がやって来ると言われましたが(マタイ 24 章 7 節)、物質的な飢きんはただ霊的な飢きんの写しにすぎません。バプテスマのヨハネがエリヤの霊をもってやって来たとき、イスラエルには 4 百年間預言者がおらず、彼は飢きんの中にいる神の民を養い、メシアの到来に民を備えたのです。

終わりの時代には飢きんがやって来ます。しかしなんらかの形で神の民はエリヤの霊にあって、養われ、メシアの到来に備えられます。エリヤが雨を止めた方法は、この世で聖霊の降り注ぎが無くなり、聖霊が取り去られることと同じです。しかしエリヤは異邦人の女を超自然的に養いました。彼女は教会の象徴であり、シェバの女王など聖書に登場する多くの異邦人の女と同じです。シェバの女王はソロモンの知恵を聞くためにやって来たとイエスが言われたのを覚えているでしょうか(マタイ 12 章 42 節)。

神の民はその飢きんの時代に養われます。ユダヤのカレンダーには雨が降り注ぐ時期と、収穫期があります。ユダヤ人が黙示録 10 章と 11 章を読んだなら、それをヨシュア記のミドラッシュだと呼ぶことでしょう。そこには同じ数字のパターンがあるからです。黙示録では七つの封印があり、七つ目の封印から七つのラッパが出てきます。数の集合です。それらのラッパは角笛を吹き鳴らす祭りと関連していて、それは最後のラッパ、またヨム・キプールに吹かれるラッパと関連しています――今これに立ち入ることはできませんが、これらのものはすべて一致します。ともあれ、七つある中の七つ目に七の集合があります。そしてその後に黙示録には天に半時間ばかり静けさがあったとあります。(私にとって、この節は聖書の中で最も複雑な箇所です――人の時間の数え方をどのように永遠に適用できるでしょうか。私はこの節を理解できていません)その次にゼカリヤ書で語られているふたりの証人が登場します。最後のラッパが吹き鳴らされると、『この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった』と本文は語っています。

ここでエリコの占領時に起こったことを見ていきましょう。彼らは町の周りを七度回り、

七日間そうしました。しかし七日目になると彼らは町の周りを七度回らなければなりませ

んでした。そうです。黙示録に書かれている同じ数のパターンがそこで登場します。ヨシュア記でエリコに遣わされたふたりの密偵は、裁きが下される前に異邦人の女、ラハブを救い出しに行きました。このふたりは黙示録に出てくるふたりの証人を予め示していたのです。黙示録はミドラッシュを用いてヨシュア記の記述を再現しています。ですが私の知る限り、このような解説をどの注解書にも見つけることはできません。なぜならギリシア的思考を持っている人たちがそれらすべてを書いているからです。

モーセは出エジプトに備えてイスラエルの子らを養いました。ヨセフは飢きんの期間その全世界を養いましたが、モーセはエジプトを去るようにとイスラエルを養ったのです。これはもちろん、復活・携挙の象徴です。最初の過越では暗やみがあり、ユダヤ人たちだけが過越の食事を食べるために家の中に灯りがありました。イエスがご自分の最期に直面されたとき、ご自分の弟子たちに起こることのために彼らを養いました。使徒 20 章ではパウロが彼の最期を覚悟してそこを去る前、上の部屋に行き、パンを裂き、弟子たちを養いました。使徒 20 章にはその部屋には多くのともしびがあったと書かれてあります。目は体の

ともしびです。聖書にはもし目が健全なら、体もまた健全だと書かれてあります(マタイ 6

章 22 節)。ゼパニヤ 1 章にはユダヤ人が過越の際に行う“ベディカット・ハメツ(Bedichat

Chametz)”が暗に示されてありますが、その時期にはそれぞれの家にパン種が無いか、住んでいる人たちが探し回ります。

『その時、わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し、…と心の中で言っている者どもを罰する。』(ゼパニヤ 1 章 12 節)

パン種は聖書の中で罪の象徴です(1 コリント 5 章 6 節-8 節)。ユダヤ人は過越の食事を食べる前に、家の中からすべてのパン種を除き去ってしまわなくてはいけませんでした。それは私たちが主の食卓にあずかる前に人生の中からパン種を除き去るべきであるのと同じことです。もう一度言いますが、昔のブレザレンは主の聖餐について、他のクリスチャンよりも多くのユダヤ的理解を有していました。

『わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し』

終わりの日のイエスが戻って来られる前、正しい教えによってシオンからパン種が除き去られます。

『からだのあかりは目です。』(マタイ 6 章 22 節)

イザヤ書から引用されたエペソ 6 章の武具のことを考えてみてください。それはナホム書

とイザヤ 52 章で語られています

『良い知らせを伝える者の足は、山々の上にあって、なんと美しいことよ。』(イザヤ 52 章 7 節)

エペソ 6 章は次のように忠告しています

『足には平和の福音の備えをはきなさい。』(エペソ 6 章 15 節)

教会はひとつの体です。その足は伝道者です。一方、からだの明かりは目です。これは教師について語っていて、教師とは見て、光(理解)を与える者です。なんらかの形で、エリヤの奉仕は終わりの日において教師のともしびに油を入れることになるでしょう。イエスは使徒たちを養いその後にパンを裂き、5 千人を養い、人々を 50 人に分けて養いました。

50 とは聖霊の数、ペンテコステです。エリヤはオバデヤを通して預言者の子らを 50 人ずつに分けて養いました。その食物はひとつの源から来ましたが、裂かれ、多くの集団に与えられました。私はこれを完全には理解しきっていませんが、これはパターンであり、どのようにしてか再びそのように繰り返されます。

エリヤは終わりの日に他の教師たちを養うようになります――エリヤが誰であれ、皆さんがどう理解しているか分かりませんが。その“エリヤ”がひとりの人物であれ、ひとつの運動であれ、ふたりの人であれ、他のものであったとしても私はここで深入りはしません。私は一旦確実に理解したこと、またどのような意味で、どのような機能があるか聖霊が完全に示してくれたことしか教えません。ヤコブは『多くの者が教師になってはいけません。』(ヤコブ 3 章 1 節)と語りました。神はあなたがた教師でない人たちよりも、私に多くの責任を追及されます。それゆえ、神が私に見せてくださったと確信を持つまで、私は何事も教理的に教えることはしません。

ダニエル 11 章に登場するマカベア家はこの点でエリヤに似ています

『民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。』(ダニエル 11 章 33 節)

箴言の中で、邪悪な女が両刃の剣のような真理を持ち(箴言 5 章 4 節)、油よりもなめらかだと言われています。これが欺きの本質です。もし人が神の知恵に欠けているなら、欺きに対して無防備になります。私たちが両刃の剣よりもするどいものを持っているため、彼らも似たものを持っています。私たちが注ぎの油を持つがゆえに、彼らも油よりなめらか

なものを持ちます。それらが良いわけではありません。しかし偽造されるのです。ダイヤ

モンドに関しても、もしその人が専門的な鑑定能力を持っていなければ、本物と偽造された物の違いを言い当てることはできません。磨かれたガラスや価値の無いものから出来た偽のダイヤでもとてもよく本物に見え、宝石商しか偽物だと分からない場合があります。複製品でもとても優れた品質の偽のダイヤなどは、専門家でさえ最初は見極めるのが難しく、あらゆる種類の焼灼(しょうしゃく)検査を行わなければなりません。同じように、今日のクリスチャンたちが明らかに間違ったものにはまり込んでいるなら――マタイ 24 章は終わりの日についての箇所ではないと言っているリック・ゴドウィン(Rick Godwin)らに騙されているなら――説得力のある嘘に直面した時にどうなるのでしょう?乾いた地で立つことができないなら、ヨルダンの密林においてどうやって持ち堪えられるでしょう?

(エレミヤ 12 章 5 節)また人々が「名を挙げて要求しなさい」などのくだらないものに騙されているなら、本当の欺きが来たときにどうなってしまうのでしょうか?

終わりの日の教会は、数多くのことのために分裂が起こることになります。そのひとつの要素は妥協する教会と、妥協しない教会の分裂です。もうひとつ教会を分裂させることになるものは、イスラエルへの神の役割とその召しです。三つ目は、聖書の権威と、聖書を解釈する方法です。他の事柄もあるでしょうが、この三つの問題のために教会が分裂することになります。エリヤに対して起こったことはこの患難について教えています。

ノアの日のように

終わりの日を示すもうひとつの聖書箇所は『ちょうどノアの日のようだ』(マタイ 24 章 37節)と言われた箇所です。ペテロの手紙では、ノアの直面した問題がひとつの観点から書かれています。ノアは義なる教師で人々に警告をしましたが、もう手遅れになるまで人々は聞き従いませんでした。これがノアの未信者に向けたメッセージです。それは第二ペテロ 3 章 9 節から 10 節にあります。

『主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。』

これを皆さんがどう解釈するか分かりませんが、アインシュタインとオッペンハイマーが発見するまで、誰も原子が分裂する際に爆発的なエネルギーを得るという意味での亜原子

粒子のことを知りませんでした。素粒子物理学などが知られるずっと以前、原子が分裂す

ると誰も考えもしなかった昔から、このガラリヤ出身の漁師は原子を分裂させることが可能であると語っただけではなく、それによって全世界を崩壊させるだけの爆発的なエネルギーを得ることが可能だと書いたのです。これがギリシア語においてまさにこの箇所で語られていることです。

ここでペテロは未信者に向けてのノアの日の警告を語っています。彼らはもう手遅れになるまで聞こうとせず、救われていない人たちは手遅れになるまで私たちの言うことを聞こうとしません。船は教会の象徴です。ノアの箱舟はその寸法によっても何らかのことを意味しています。とはいえ、これは未信者への警告です。彼らが耳を傾けなかったのは、自分たちの罪や不品行で満たされていたからであり、ただ残りの者たちだけが守られるのです。

しかしながら、イエスはマタイ 24 章でノアの日のようになるともう一つの側面から警告されました。

『人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。』(マタイ 24 章 37 節-

39 節)

飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりすることです!未信者は不品行について警告を受ける必要がありましたが、クリスチャンは一時的なものに夢中になることについて警告を受けなければなりません。

飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりすることに何ら悪い点はありません。しかしながら、終わりの日におけるクリスチャンに対しての危険性は、それらがクリスチャン生活の最大の関心事となり、信者がそれに熱中してしまうということです。次のことを覚えておくのはとても重要です。この世にあるもののために私たちは存在しているのではないということです。結婚したり、レストランに行ったりすることに本質的に悪いことはありませんが、それらのものがある人の生活の中心になってしまうと、その人は問題を抱えています。そのような人はイエスの再臨に準備ができていないのです。

それだけではなく、奉仕が偶像となってしまう危険性もあります。神の国を建てる代わりに自分たちの帝国を築いてしまうのです。

『畑にいる者は…』

――宣教の畑にいる者は――

『…着物を取りに戻ってはいけません。』(マタイ 24 章 18 節)

イエスは『あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』と言われました(マタイ 4 章

19 節)。

考えてみてください。弟子たちは夜通し漁をしていましたが、イエスから網を投げる場所を教えてもらうまで何も獲れませんでした(ヨハネ 21 章 3 節-6 節)。漁をすることは伝道の象徴であり、そのように物事は起こります。イエスが彼らの漁を導かれた時、彼らは他の船を呼んで、助けに来てもらわなくてはなりませんでした。イエスさまが私たちの伝道を導かれるとき、同じ奇跡が起こります。ひとつの教会でリバイバルが起こると、それは他の教会にも広がります。

ヨハネ 21 章で漁をしている時、ペテロは主が待っているということを知り、非常に変わったことをしました。たいていの場合、泳ごうとしたなら、シャツを脱いで水に飛び込むでしょう。しかしペテロは自分の上着を着ました。なぜなら彼の上着はイザヤ書や黙示録にあるように救いの衣の象徴だったからです。ヨハネ 21 章 7 節で、「主です」という声があってから彼はすぐさま船から飛び込みました。その時、ペテロは漁をしていたのであって、象徴的に自分の奉仕に精を出していました。しかしイエスが来られるとすぐさま自分の奉仕を忘れました。イエスさまが来たからです。終わりの日には奉仕でさえ偶像になってしまう危険が真にあります。イエスさまがいつも第一優先でなければなりません。私はもっと多くのクリスチャンがこれを考えてくれることを望みます。私自身もよくこれを考える必要があります。

どれくらいの時間が残されているか?

アメリカのバスケットボールを考えてみてください。そこにはほぼ超人的な能力でバスケットボールをこなすアフリカ系アメリカ人選手がいます――彼らの能力は驚くべきものです。彼らにとっては試合の時間があと 2 時間残されていようと、30 秒であろうと関係がありません。試合にたった 10 秒しか残されていないとしても彼らはものすごいエネルギーや活力、集中をもってこなします。彼らはその時間で勝負を変えられると考えているからです。試合に 1 時間残っていたとしても同じことでしょう。しかし試合終了のブザーが鳴る

と同時に、激しいプレーは終わります。私たちもそうであるべきです。私たちも今行って

いることに完全に集中すべきです。イエスさまが戻って来るまでにあと 3 日であろうと、

300 年であろうと関係がありません。私たちは彼らと同じように、変わらない集中力、活力、激しさをもってこの試合をこなすべきです。しかし最後のブザーが鳴るとそれで終わります。これが私たちのあるべき姿です。

いつも真夜中の鐘は鳴ろうとしています。ヨハネはその手紙で今が終わりの時だと言いました。ギリシア語で示されているのは時間が凍りついたというものです(1 ヨハネ 2 章 18節)。イスラエルは諸国民に対しての神の日時計です。なぜ初代のクリスチャンたちは終わりの日だと言ったのでしょうか?これを説明しましょう。

ある日、ハロルドがテレビでラグビーを見ていると、スーザンが言いました。「いつ晩御飯にしたい?」その時、6 時 10 分前だったので「ええっと、あと 10 分たったらにするよ。

ラグビーの試合がもう 6 時で終わるんだ」そう言われたのでスーザンは晩御飯を電子レンジに入れて、ボタンを押しました。すると突然、6 時 10 分前にラグビーのグラウンドで負傷者が出て、レフリーは時間を止めました。医療班が出てきて医者無しにはこの選手を動かせないと言いました。そして医者が来ると、ある決まった運び方をしなければならないから救急車が必要だと言いました。その負傷者についてどうすることも出来ず、ゲームの残り時間は後回しにされました。ですが、試合にあと何分残っていたのでしょう?10 分です。10 分前に試合には 10 分残っていましたが、その時点から試合は前に進んでいません。試合の残り時間はいつも 10 分ですが、その負傷した選手が動かされるといつでも時計は再びスタートします。この時が異邦人の時です。これがイスラエルが神の日時計であるという意味です。

ネブカドネザルは聖書の中で多くのことを象徴しています。彼は聖書の中でとても興味深 く、複雑な人物です。黙示録に登場する七つの教会は、第一世紀の小アジアに文字通り存 在していた七つの教会です。またそれらはいつの時代でも存在する教会の七つの種類、特 に黙示録 4 章までの終わりの時代に存在する教会のことです。一方で、私が確信している のが、それらが教会史の中の重複する期間に関連しているということです。それらギリシ ア語の教会名はそれぞれ意味を持っています。“エペソ”は“継続しない”、“スミルナ”は“没薬”、

“ペルガモ”は“離婚した”、“テアテラ”は“継続するいけにえ”などです(私たちはこのテーマについての詳細な一連の説教を提供しています)。とはいえ、その七つの期間は黙示録 4 章、幻の主要な部分に至るまでに起こっています。ネブカドネザルは切り倒され、彼の周りに鉄の鎖がかけられました。聖書には彼が再び繁栄しないように鉄の鎖がかけられたとありますが、その七つの期間の終わりに鉄の鎖は取り去られ、彼は再び繁栄しました。これは同じことです。私の考える限りでは教会の時代はダニエルの 69 週と 70 週との間に起こり

ました。どのようにかしてルカ 21 章 24 節またローマ 11 章に言われているように異邦人の

時は終わりを迎え、その後に時計は動き始めます。試合にはいつも 10 分残されているのです。時間は凍りつきました。

従って、いつもこの時が“終わりの日”なのです。ノアの日に関して考えると、私たちは未信者に対して不品行を警告する必要がありますが、自分たちに関してはこの人生に執着してはいけないことを警告されなければなりません。ノアの日について理解するために私たちはノアの物語に戻って、それを読んでいく必要があります。

ネフィリム 昔と今

クリスチャンになったばかりの頃、私はドラッグ文化から救い出されたヒッピーでした。私たちはイエスが次の週にでも戻って来られると思っていたので、一日に 8 時間伝道していました。他に何のすることがあったでしょう。その中で他の惑星に住む神々や、UFO を信じている人たちと多く会いました。

ジミー・カーターがアメリカの大統領になったとき、彼は「ビューローレポート(The Bureau

Report)」と呼ばれる文書を機密解除しました。それはアメリカ空軍、NASA、中央情報局によってまとめられたものでした。すべてが機密解除されたわけではありませんが、カーター元大統領は大部分を機密解除しました。彼らは宇宙生物学から地球外生命体の証拠を発見しませんでしたが、多くの人々が超心理学を用いて、地球外のように見える現象を引き起こしていました。これらのことを現実にするカルト信奉者たちさえいました。同じような調査がイギリスでもなされました。ビューローレポートはとても恐ろしい文書です。地球外生命を信じることに科学的な根拠はありませんが、オカルトの中ではきちんと記録された根拠があります。イスラエル人でスプーン曲げを披露しているユリ・ゲラーは、他の惑星の人々が自分をメシアになるよう説得しようとしていると言いました。

堕落した者であるネフィリムは創世記において特異な存在です。彼らはノアの洪水を生き抜いたと思われます。ユダヤ人がカナンの地に来たときに遭遇したネフィリムと、そのネフィリムが同じであったかどうかは、神学者の中でも意見が分かれるところです。誰も核心を握ってはいません。ある人は同じであると言い、またある人は違うと言います。もしそれが同じならば、彼らが何らかの方法で大洪水を生き抜いたということです。ともあれ、彼らは“堕落した者”であり、聖書は彼らが人間の女性と性的に交わったと書いています。

さて、今日流行している“解放のミニストリー”の大半は聖書的な根拠を持たない、ゴーストバスターズ的な無意味なものです。私は真剣に疑っているのですが、これらの人たち大半

が実際に本当の悪霊につかれている人を前にするとそれを対処できるのでしょうか――これは冗談ではありません。私は、悪霊と性的関係を持っていた黒魔術師から悪霊をかつて追い出したことがあります。

アメリカのテレビで、イギリスにいる魔女のことが放送されていて、彼女は救われた時の証をしていて、悪霊と性的な交わりを持っていたことを話していました。他の人も目撃したようです。この種の行為はノアの日にも存在し、終わりの日にも再び現れます。なんらかの形で、ノアの日のように半分悪魔の人間――事実上の怪物ですが――が再び地上に現れるようになります。私たちはオカルト行為の増加、特にこの種の悪魔崇拝を目撃するようになります。それは人が悪霊たちと関係を持つ段階まで至るのです。このようなことはすでに見られるようなっていますが、将来に増加の一途をたどります。

人は完全に堕落しています。私は大学で科学を専攻したので、科学自体を否定することはありません。しかし、人が堕落しているという事実はそこにあります。したがって、科学自体を否定する気はないのですが、堕落した人の手に科学が渡るとき何が起こるかを私は知っています。遺伝子工学を用いて残虐な行為がなされることは想像に難くありません。人は次第にDNA をクローンし、スターリンを再創造したり、スターリンの家系全体を復元したりすることができるようになります。私が大学で生物学を学んでいたときにはサイエンス・フィクションに思われていたことが今この時代に実現しています。もはや空想ではないのです。

私は次のことを確信しています――これは教理的に語っているのではなく、私の意見ですが

――この世は、UFO や地球外生命体などのものが関係する大きな霊的惑わしのために備えられています。それらは例えばデヴィッド・ボウイのアルバムやスピルバーグの映画で見られるものです。聖書は“堕落した者たち”について語っています。天から堕ちた者たち、ネフィリムです。この宇宙は洗浄される必要があります。このような地球外の現象は、現在進行している霊的惑わしの大きな部分を占めると確信しています。私は遺伝子工学の発達を危惧しています――学問の発達自体ではなく、この種の技術が堕落した人の手に渡ることです。それが、“サイエントロジー”やこれらの種類の団体が実際行っているようなカルトと組み合わされれば、行く末は恐ろしいものとなります。なんらかの形でノアの日には悪霊たちの肉体的な現われがありました。これはイエスの再臨の前の終わりの日において、なんらかの方法で再び起こることになります。これ以上推測することはしませんが私は物事が進んで行っている方向が分かります。このような世界に対して私たちは子どもを備えなければならないのです。これを考えてみてください。キリスト教系の学校など信じられないでしょう。

ロトの時代 昔と今

スミルナ、エリヤの時代、ノアの時代のそれぞれは、ソドムの罪と同様になんらかの形で患難について教えています。使徒ヤコブが殉教の死を遂げた後、イエスの従兄弟であったシメオンの指導の下、信者たちはエルサレムからペラと呼ばれる場所、ペトラではなく、ペラへと逃れました。信者たちは教会の携挙が紀元 70 年に起こると考えていたのです。ローマ人たちを通り抜け、救い出された時――ヨセフスがこれを記していますが――彼らはイエスがその時到来すると思っていました。これが携挙の主要な予型です。これは終わりに起こることを教えています。周りを囲まれ、神の民が救い出され、破滅が来るというこの考えは非常に重要なものです。これが紀元前 720 年のサマリアの陥落で起こったことであ

り、またエルサレムの崩壊、紀元 70 年にローマの元で二度目にエルサレムが陥落した時に

起こったことです。これは神の民が救い出され、裁きがやって来るということです。

なんらかの形で、ロトの家族を救い出した二人の天使は、エリコでラハブを救い出した二 人の斥候、また黙示録での二人の証人と関連があります。彼らは皆なんらかの方法で同じ ことを教えています。ロトの娘たちはソドムの崩壊をこの世の終わりのように考えていま した。ロトの妻が振り返り、ソドムに未練を持っていたことはイエスが警告していたこと に似ています――その時が来れば振り返ってはいけません。この世に執着してはいけません。ロトは信仰の弱い信者を象徴しており、彼のためにとりなしの祈りをしていたアブラハム はイエスを象徴しています。塩は腐敗を防ぎます。一旦、塩が腐敗を防がなくなり、光が 差さなくなると、神は真にご自分のものである民のために介入され、裁きが下ります。

終わりの日において、本当の信者でさえも多くの問題を抱えるようになります。ロトがその分かりやすい例で、多くの点で信仰の弱い信者を表しています。ある時点まで彼はあのような邪悪な場所で快適に暮らしていました。

イザヤ書 28 章は旧約聖書の中で、終わりの日に関して最も重要な箇所のひとつです。そこでは終わりの時代のメッセージが語られていて、『この啓示を悟らせることは全く恐ろしい』(イザヤ 28 章 19 節)と言われています。聖書の深い意味が明らかにされるとき、そこには“恐ろしさ”があるのです。ハバククが未来を見たとき、それがとても恐ろしかったので、神に将来を変えてくれるよう願いました。しかしそうはできないと神は言いました(ハバクク 2 章 1 節)。何かとてつもなく恐ろしいことが起こりますが、神は真にご自分のものである民のために介入されます。

ロトの義理の息子たちのことを思い出してください。警告されたとき、彼らはロトの言葉を真剣には受け取りませんでした。それゆえ彼らは救い出されなかったのです。ロトは逃

げ、彼の娘たち、彼の妻も逃げました。彼の妻は救い出されましたが振り返ってしまいま

した。イエスは熱心な信者たち――イエスの再臨を望み、この世に執着していない者のために戻って来られます。このような人たちが再びソドムから救い出されるのです。

取り返しのつかなくなる時

赤ん坊は神の愛の究極のしるしです。未信者の人でもこれを理解できます。夫婦に初めての赤ん坊ができたとして――起こってはほしくないことですが――その赤ん坊の体調が思わしくなく、死に直面しているとき、赤ん坊が引き替えに生きられるのなら、両親は自分のいのちさえ惜しくないと思うでしょう。神は、ご自身がどれだけ私たちを愛しているかを教えようとして、そのような愛を創造されました。イエスは私たちが生きるためにご自分のいのちをささげました。赤ん坊は両親をひどくイライラさせるかもしれません――夜泣きをしたり、色々なことをするでしょう――ですが、それでも親は「これが私の赤ん坊だ。この子のために死ぬこともできる」と言うのです。神はご自身がどれくらい私たちを愛しているかを教えようとしてこの愛を創造されました。

イスラエルが取り返しのつかなくなった時は、悪霊たちやモレク、他の神々に自分たちの子どもを犠牲にした時です。現代の社会では中絶がなされる理由として医療的なもの――子宮外妊娠や膣がん、など――すべてを除いたとしても、西洋諸国でなされている中絶のほんのわずかの割合にしかなりません。大半の中絶が非医療的な理由でなされています。言い換えると、社会的または経済的な理由なのです。イエスさまはこれを「マモン(富の神)崇拝」と呼びました。注意してください。医療目的ではない中絶は神学的に、また霊的に悪霊崇拝とつながっています。神はイスラエルをそのために裁かれ、またアメリカとイギリスに対してもこのために裁きを行われます。人がこの神の愛の究極のしるしを悪霊にささげるなら、それが神の忍耐の限界となります。これにはまた戻ってきましょう。

ソドムの罪は同じようなものでした。私たちは人間の性についての神学を理解する必要があります。聖書は、キリストが教会のかしらであるように、夫は妻のかしらだと語っています(エペソ 5 章 23 節)。クリスチャン生活でのセックスは、イエスがご自身の花嫁のところに入り、実り豊かにすることの反映です。これは結婚における性的な愛が、性欲をかき立てるものでないとか、楽しいものではないと言いたいのではなく――それは聖なるものであるということです。創世記では神が共に下ってきて、創造者としての愛をもって、被造物を生み出しました。複数である神は共に下ってきて――ヘブライ語は“エハッド”――“複数からなる一”であり――被造物を創りました。神は私たちを神の御姿に似せて創造されました。したがって、神の愛にあって男性と女性が子を産むとき、

私たちは神の創造を再現しているのです。神は被造物を生み出した方であり、私たちは

神の御姿に似せて造られたので、私たちも子を産むように造られています。神が意図した人の性は神格の中の関係、また教会とキリストの関係にさかのぼる深い霊的な重要性を持っています。サタンの明確なしるしは、いつも神と反対のことを試みるということです。神の設計した性的な関係は喜びを受け合い、与え合う関係であり、異性愛のものです。現代世界にはびこる最も大きな二種類の性的倒錯は、疑う余地もなく同性愛とサディズム/マゾヒズムです。神の反対を行うという原則のために、これらのものはどちらも明確なサタンの特徴を有しています。異性愛の代わりに、性はねじ曲げられ同性愛になっています。喜びを与え合い、受け合う代わりに、セックスは痛みを与え、受け合うものとなっています。私は結婚したカップルが積極的なセックスを楽しむのが悪いと言っているのではありません。私は性の倒錯を憂慮しているのです。

ポップシンガーのマドンナがタイムズ紙かニューズウィークマガジンで昔取材を受けていました。私はそれを読んでいました。彼女はセックスについてのビデオを出していて、内容の大半がサディズムとマゾヒズムでした。彼女がこれについて聞かれ、なぜそこに性的魅力を見出すのかと尋ねられると、彼女は自分がローマ・カトリックの家庭で育ったために、厳しい男性の権威に辱められ、罰せられるのが好きだと答えたのです。皆さんがローマ・カトリックをご存じなら、彼女はある点で的を射ています。ローマ・カトリックは十字架の否定を通して、人々の上に罪悪感を植え付けます。十字架が罪悪感を取り去るものであるために、その十字架を取り去り、ミサの教理と共になるとローマ・カトリック教徒たちは深い罪悪感の問題を抱えるのです。多くの場合、ローマ・カトリック教徒が救われると、この罪悪感のコンプレックスから抜け出すには多くの時間がかかります。

私たちの社会には同性愛とサディズム/マゾヒズム両方が増え広がっています。最近ロンドンでは、レズビアンの女校長がいる学校が、ロメオとジュリエットを授業の一環で子どもたちに見に行かせるのを拒否しました。それはロメオとジュリエットが「あからさまな異性愛」だったからです。これはソドムの終わりの日を描いています。またイギリスとアメリカの終わりの日も描き出しています。裁きは神の家から始まり、それには“キリスト教系”諸国も含まれています。例を挙げると、ハリウッドやマリブで起こっている地震や山火事、地滑りなどの増加があります。神はイスラエルをこれらのために裁き、西洋諸国もそのために裁かれます。私たちはイスラエルよりひどいことを行ってきたので、イスラエルより罪深いのです。

偽預言者 昔と今

さらに、聖書は「バビロンは倒れた」と語っています(イザヤ 21 章 9 節、エレミヤ 51 章

8 節、51 章 44 節、51 章 49 節、黙示録 14 章 8 節、18 章 2 節)。聖書はエレミヤとイザヤからこのテーマを取り、黙示録で用いています。またそれは神殿が崩壊するというダニエル書のテーマと共にです――マタイ 24 章を見てください。エレミヤやダニエル、イザヤたちはバビロン捕囚に至る前に現われた預言者たちでした。この期間――捕囚に至るまでと捕囚時――にイスラエルに起こったことは、この世の終わりに起こることの象徴です。このために黙示録とマタイ 24 章はこれらのテーマを繰り返し、イスラエルと教会に対して様々な方法で適用しているのです。

エレミヤ 5 章 30 節から 31 節を見てみましょう

『恐怖と、戦慄が、この国のうちにある。預言者は偽りの預言をし、祭司は自分かってに治め、わたしの民はそれを愛している。その末には、あなたがたは、どうするつもりだ。』

預言者たちは偽って預言をし、指導者たちは自分の権威で人を導き、それを神の民は愛していました。現代のひとつの例は、ジョン・ウィンバーとポール・ケインが主の御名によって偽って預言した後に、それを信じた同じ人たちが再び彼らを見にバスに乗って行っていた事実です。エレミヤは彼らの国に下る神の裁きを警告していました。同じ 5 章の 27 節を見てください。

『彼らの家は欺きでいっぱいだ。だから、彼らは偉い者となって富む』

彼らはラオデキヤのように、物質的に富んでいるために神から祝福され、神の好意を得ていると考え、裁きがすぐそこに迫っていると認めたくはありませんでした。それがラオデキヤの教会です。エレミヤは真実を語っていました――「神の裁きが来る。悔い改めなければならない」ですが彼らは「いいえ、私たちは富んでいて、神は私たちに金持ちになってほしいんだ」と言います。エレミヤは裁きを警告していたのに、人々は否定していました。私たちは同じことを現代の「繁栄の信仰」を教える説教者たちや再建主義者たちのうちに見ます。「預言者は偽りの預言をし、…わたしの民はそれを愛している」気付いてほしいのが、彼らのことを「わたしの民」でないとは言っていないということです。

エレミヤ 28 章を見てください。ハナヌヤはカンザスシティーのにせ預言者たちのように、起こりもしない大それた予測を立てました。15 節ではこう言われています

『そこで預言者エレミヤは、預言者ハナヌヤに言った。』

――彼が預言者でなかったとは言われていません――

『「ハナヌヤ。聞きなさい。主はあなたを遣わされなかった。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。それゆえ、主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたを地の面から追い出す。ことし、あなたは死ぬ。主への反逆をそそのかしたからだ。』」』(エレミヤ 28 章 15 節-16 節)

ウィンバーよ、あなたは神の民を偽りに拠り頼ませた。ボブ・ジョーンズよ、あなたは神の民を偽りに拠り頼ませた。ポール・ケインよ、あなたは神の民を偽りに拠り頼ませた。彼らは実際そうしたのです。これは事実であり――彼らのビデオや本を読むと、彼らが同じことを行ったことを確かめられます。これが当時起こったことであり、イエスはご自身の再臨の前にこのようなことが起こると言い、現在まさに同じことが起こっています。このような人たちはグノーシス主義であり、エキュメニズム的です。「ローマ・カトリック教徒のまま死者に祈ってもよろしいですよ。神はそれを忌むべきことだと呼んでいますが、何ら問題はありません」と彼らは教えます。バビロン捕囚に至るまで、また捕囚時に起こったことは終わりの日の教会に起こることの主要な象徴です。またソドムとゴモラ、アハブとイゼベルに対峙したエリヤの生涯、スミルナの教会の時代、ノアの日、イスラエルとサマリアの終わりの日々にも同じことが言えます。そして、バビロン捕囚以前に神の裁きを引き起こしたのは子どもを悪霊にささげる行為であり、医療目的でない中絶は神の裁きを西洋にもたらす要因になると私は確信を持っています。

同じように、イスラエルの社会がバビロン捕囚以前に秩序を無くし、神の差し迫った裁きの特徴があらゆるところに現われたとき、人々は「私たちは富んでいる。神は私たちに金持ちになってほしい。私たちは勝利を得る。王様の子どもたちだ。エレミヤ、あんたは偽預言者だ」と言っていました。これは今日も同じです。神の来るべき裁きの特徴があらゆるところに現われ、社会は秩序を無くしています。しかし、人は神が私たちを富ませようとしているだとか、私たちは王様の子どもだ、勝ち誇る教会だと吹聴して回っています。そうです。これがイエスがマタイ 24 章で繰り返し警告していたこと、教会を欺く偽預言者のことです。

リック・ジョイナーは『収穫(The Harvest)』という本を書き、共産主義の繁栄を実際に予測し、それが発展途上国全体を飲み込み、アメリカの一部にまで広がり、西洋の主要な他の場所にも及ぶと語りました。しかしながら、それとまさに正反対のことが起こりました。それでも人々はこの男や彼と似たような人たちが真実の預言者であるかのように従っていくのです。「預言者は偽りの預言をし…わたしの民はそれを愛している」

用語が再定義される時

列王記や歴代誌、またエレミヤやイザヤ――捕囚に至るまでの過程を読むとき、私たちは終わりの時代について読んでいます。箴言 5 章 10 節を覚えているでしょうか、

『そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。』(箴言 5 章 10 節)

ヒゼキヤ王は自分の富をバビロンの王に見せてしまいました(2 列王記20 章 12 節-18 節)。終わりの日には、バビロン、偽りの宗教制度の繁栄が起こります。彼らは主の宮の宝を欲しがります。福音派たちがエキュメニカルになるとき――ジョン・ウィンバーやジョージ・ケアリーなど――彼らは私たちの宝をバビロンの王に見せ、バビロンの王はそれを奪い取るようになります。バビロン捕囚以前に起きたこと、またそれを引き起こしたこと――子どもをささげること、バビロンの王に私たちの宝を見せること、真実の預言者に聞き従わず偽預言者たちに従っていくこと、神が私たちを富ませたいと思っていると考え自分たちが富んでいるため大丈夫だと思うようになること――これらと同じことが終わりの日に先立って起こるようになります。

このグノーシス主義すべて、またその他の誤りはどれもエリート主義、簡単に言うと、霊的な高慢に基づいています。これに注意してください。私は最近、ロジャー・フォスター

(Roger Foster イギリスで始まった信者の行進運動の創始者のひとり)から手紙を受け取りました。私が彼に対して霊魂消滅説が間違っていると言ったことが気に入らなかったようです。彼は永遠の地獄は無いと主張していたので、私は地獄に関して「永遠に」続くと使われているギリシア語を見せ、その同じ言葉が神の栄光またイエスの大祭司職、私たちの救いに関して使われていることを示しました。それゆえ、もし地獄での苦しみが永遠のものでなければ、神の栄光も、イエスの大祭司職も、私たちの救いも永遠のものでなくなるのです。未信者の人たちに悔い改めてイエスの元に来なければ、死んだ時に存在は消えてしまうと言ったなら、彼らは「だから何なんだ?おれたちもそう信じているじゃないか」と言われるでしょう。残念ながらこれがマーチ・フォー・ジーザス(March for Jesus)の背後にある神学なのです。それがグラハム・ケンドリック(Graham Kendrick)とロジャー・フォスターの信じていることです。人々はそれに気付いていません。私はクリスチャンが共に立ちあがってイエスの御名を宣言し、福音を宣べ伝えることに賛成です。ですが支配主義神学では空に向かって宣言することが伝道と置き換えられています。グラハム・ケンドリックはとても才能に恵まれたミュージシャンであり、讃美歌作者です。おそらくチャールズ・ウェスレー以来の逸材だと人々は言います。しかしながら、彼の曲のすべてにはこの支配主義――「私たちは宣言する、私たちは公表する、勝利を収めている」などの

考えが含まれています。本当の問題は次のものです。グノーシス主義を対処するとき、そ

の支持者たちは私たちと同じ用語をいつも用いていますが、その用語に違う意味を持たせているということなのです。これを説明しましょう。

ローマ・カトリックの神学者とプロテスタントの神学者が神学フォーラムでエキュメニカルの対話をしたとしましょう。プロテスタント側は「私たちは恵みによって救われた」と言い、イエズス会側は同意して「そうです、私たちは恵みによって救われました」と言うでしょう。どちらも意見を同じくし、宗教改革が間違いであったかのようです。しかしながら、“恵み”を意味するヘブライ語は“ケセッド(chesed)”であり、それは契約の中にある神の慈しみです。ギリシア語では“カリス(charis)”であり、“賜物”を意味します。英語の意味は“受けるに値しない好意”であり、ラテン語の“グラジア(grazia)”から来ました。したがって私たちが“恵み”のことを話すとき、このようなことを私たちは考えるのです。しかしながら、ローマ・カトリック教徒にとって恵みとは、祭司による秘蹟によって得られる何かこの世のものではない物質なのです。それゆえ、両者とも「私たちは恵みによって救われた」と同意することができますが、“恵み”という言葉によって、二つの全く違ったことを意味しているのです。

ニューエイジ運動に関わっている人に証をする時、あなたは「私は光を見た」と言うかもしれません。そう言うのは、ヨハネ 1 章に書いてあるこの世に来た真実の光のことを考えているからです。ですが彼らも答えてこう言うでしょう。「私も光を見ました」。ただ彼らは「宇宙意識を悟ること」について語っているのです。どちらの人もそれぞれの証をするときに、光を見たと言うことはできますが、どちらも“光”という言葉の定義によって二つの違うことを意味しているのです。

同様に再建主義者たちが“勝利”や“御国”、“征服”、“支配”、“宣言”などの言葉を使うとき、彼らは私たちが使っているのと違う意味を持たせています。このような人たちはちょうどローマ・カトリック教徒や、ニューエイジ信奉者のように、聖書的な用語を非聖書的な方法で用いるのです。実際ローマ・カトリック、再建主義、グノーシス主義はすべて同じ場所から発生しました。それはアレキサンドリアです。それらはみなアレキサンドリア神学に根を下ろしています。

神殿 昔と今

私たちは神殿についての考えをここで話す必要があります。イエスはこの世の終わりについて話す際、マタイ 24 章で紀元 70 年の神殿崩壊について話し始めました。イエスは『こ

の神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう』(ヨハネ 2 章 19 節)と言

われました。彼はそこでご自分の体について話しておられたのです。

人は神の御姿に似せて造られています。私たちは神殿のようです。コリント人への手紙でパウロは「あなたがたは聖霊の宮であることを知らないのですか」と言いました。神殿は箱の中に箱があり、またその中に箱があるというものです。外庭があり、そして聖所、またコデシュ・コデシーム(Qodesh Qodeshim)すなわち至聖所があります。外庭は私たちの物質的な体と関連しています。聖所は私たちの思考や感情、知性を象徴しています。私たちのたましいです。至聖所は私たちの内に神の霊が宿るところに関連しています。これを理解するとクリスチャンから悪霊を追い出すといわれる多くの混乱状態が分かり、それを撲滅できます。しかし、クリスチャンであっても悪霊の影響下に置かれる可能性はあり、圧迫されることや、体や、時にはたましいまで侵入されることがあるでしょう。しかし悪霊に“憑かれる”ということは、内なる人の中に悪霊が入ることを指しており、その場所はクリスチャンにとって神の霊が宿る所なのです。これはあり得ません。イエスに従っているクリスチャンが悪霊に憑かれることはあり得ません。ギリシア語の“エクバロー(ekballo)”という言葉は“投げ出す”という非常に強い意味を持つ言葉です。私たちはそこから“バリスティック(弾道学)”という言葉を得ています。そのギリシア語は聖書中のどこにおいてもクリスチャンとの関わりで使われることは一度もありません。

イエスはご自分の体のことを神殿と呼ばれました。覚えているでしょうか。イエスの最期の日々に起こったことは初代教会にも起こり、そして使徒たちの終わりの日々にも起こったということを。これらのことは終わりの日の教会に何が起こるかということを共に教えています。再びヨハネ 2 章 19 節を見てみると、イエスは言われました

『この神殿をこわしてみなさい。わたしは、…それを建てよう』

物質的な神殿はイエスの体の象徴でした。ヘブライ語でホセアのことは“ ホシェア

(Hoshea)”と呼ばれます。この“シェ(sh)”の音はヘブライ語の構造のためにイエスとのつながりを示しています。ヘブライ語は語根に基づいています。あるふたつの違った言葉でも同じ語根があれば、ふたつの言葉はたいてい互いに何らかの神学的つながりを持っています。ミドラッシュでは同じ語根、ショーレーシュを持つ言葉はその解釈において、たいてい確立したミドラッシュ的なつながりがあります。ホセアのその“シェ”という語根は

“救い”を意味しています。イエスの名前はイェシュアでした。イザヤの名前はイシャヤフーであり、ヨシュアの名前はイェホシュアでした。その“シェ”の音があればいつでも救いと関連した意味があり、その“シェ”の音を持った人物はすべてイエスについて何らかの方法で教えています。

ホセア 6 章 2 節を見てみましょう

『主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。』

ここで分かることがあります。イエスに起こることは私たちにも起こるのです。新約聖書は七箇所で教会が“神殿”または“幕屋”だと言っています。聖霊はレンガを接着させるセメントのようなものです。第一ペテロ 2 章 5 節には

『あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、』

とあります。教会は聖なる宮、神殿であり、私たちがそれを構成する石です。ヘブライ語で“交わり”は“ヒートハブルット(hitchabrut)”といいます。ペテロの書簡はユダヤ人に対して書かれ、彼の奉仕はガラテヤの手紙で言われているように、主にユダヤ人に対してでした。それゆえ彼はとてもユダヤ的な視点から手紙を書きました。ユダヤ的な“交わり”の考え方は“ヒートハブルット”、つまり“組み合わされたレンガ”なのです。教会に来るということはひとつのことですが、交わりに入るのは別のことです。誰でもその建物に入ることはできますが、壁の中のレンガとなることは全く違ったことです。私たちの壁にひとつのレンガが欠けていたなら、その建物には何か問題があります。もしあるクリスチャンが教会に組み合わされていなければ、何か教会に問題があるのです。彼や彼女は組み合わされるべきです。私たちはその石だからです。

ミドラッシュ的にシュロの主日には何が起こったでしょうか?ルカ 19 章 37 節から 40 節に

は次のようにあります。イエスさまが神殿の丘に来たとき、人々は詩編 118 編からのハレル・ラバーを歌っていました――「ダビデの子にホサナ!」そこでパリサイ人は驚いて、静まらせるように言いました。しかしイエスは『もしこの人たちが黙れば、石が叫びます』と言い、神殿のヘロデによって据えられた石を指し示しました。言い換えると、「ユダヤ人がわたしをメシアだと宣言しなければ、クリスチャンが宣言する」ということなのです。パリサイ人とユダヤ人指導者たちは、自分たちがアブラハムの子孫だということで特別だと考えていました。しかし荒野にいるバプテスマのヨハネのもとに行くと、ヨハネは『神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになる』(ルカ 3 章 8

節)と言ったのです。何らかの形で、イエスの体に起こったことは紀元 70 年の神殿の崩壊

の際に繰り返されました。使徒 15 章ではダビデの幕屋が教会として建て直されるとアモスから引用されています。これは私たちにも起こることです。神殿は再び崩壊しますが、栄光のうちによみがえります。

初代教会は神殿のすぐ外にあるソロモンの廊で会合していました。神が古い神殿を壊そう

としているまさにその時に、すぐ隣に新しい神殿を造り始めていたのです。新しい神殿の準備が出来ると古い神殿は取り壊されました。これは私たちも同じことです。神は新しい神殿、新しい幕屋を建てようとされています。

エルサレムにあるその古い神殿は崩壊して、紀元 70 年の帝政ローマの侵入と共にその場所に荒らす憎むべきものが据えられました。それは神の宮に対する政治的支配を象徴していました。エラストゥス主義(Erastianism)、または国家的教会に注意してください。その考えは全くもって危険なものです。イエスが『カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい』(マタイ 22 章 21 節)と言われたとき、三つの問題を扱っておられました。最初の問題は、旧約のユダヤ教の中でも、ある種の国家と教会の分離があったということです。王はダビデの子孫でなければならず、大祭司はアロンの子孫である必要がありました。これはマカベア家時代の後、ハスモン王朝時代のヨハネ・ヒルカヌスの治世(紀元前 134-104)に複雑になってしまいました。この背景からイエスはこのことを扱っていました。

二つの契約間のつながり

二つ目の問題は二つの契約の間にある区別でした。エレミヤ 31 章に言われているように、新しい契約は古いものとは違ったものとなります。

『わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、…彼ら(先祖たち)と結んだ契約のようではない。』(エレミヤ 31 章 31 節-32 節)

彼らは国家的教会を持っていました。エレミヤの時代の民は国家的な契約に属しているため、自分たちは神と正しい関係にあると考えていました。エレミヤは「新しい契約はもはやそのようではなくなる。神はあなたの心にご自分の律法を記される。個人の応答に基づくものとなる」と語りました。バプテスマのヨハネも同じことを語りました。イエスは来て、その国家と教会の関係を取り除きました。神殿は崩壊したのです。

後にパウロはローマ 2 章で「それはもう終わった。新しい契約は古いものとは違ったものになる」と書きました。しかしイエスが取り除くとエレミヤが語ったまさにそのこと、バプテスマのヨハネが予告したまさにそのこと、イエスが死をもって取り除いたまさにそのこと、またイエスによって取り除かれたとパウロが確信していたことをコンスタンティヌス帝は元に戻しました。その後、宗教改革者たちは聖書に戻ることをせず、元に戻してし

まいました。カトリック系国家教会の代わりに、今度はプロテスタント系国家教会が出来

たのです。真の意味で教会を聖書に立ち返らせるために必要なことは、初めに国家と教会の非聖書的な婚姻関係を崩すことでした。第二のことはアウグスティヌスの「目に見える教会と目に見えない教会(The Visible and Invisible Church)」という偽りの教理を取り除くことでした。なぜならそれは教会が信者と未信者で構成されると教えていたからです。このような人たちはこれを取り除くことに失敗したので、本質的に古い契約の元に戻ってしまいました。

覚えておいてほしいのが、サタンは教会を異教化する前にユダヤ教化したということです。ローマ・カトリック主義とプロテスタント主義はどちらもユダヤ教化されています。彼らはエラストゥス主義、国家的宗教に戻り、どちらも数世紀にわたって相容れない信者たちを迫害しました。反キリストは最終的にそのように教会と国家を結婚させます。これがイエスさまが三つ目に警告していたことです。国家宗教は完全に非聖書的なものです。事実、本当の終末論が暗示していることを理解するなら、それは忌むべきものです。イギリスはジェームズ王(キングジェームズ)のような同性愛の王をいただき、今はニューエイジの国王が王座につこうとしています。その王たちすべてが本来キリストに冠せられるべき

――“教会のかしら”という称号を付けています。

使徒の働きを読むとき、それはただ単に過去の歴史を読んでいるのではありません。私たちは未来の歴史をも読んでいます。エレミヤやイザヤ、バビロン捕囚時の王たち、また捕囚に至るまでのことを読むとき、私たちは過去の歴史と共に未来の歴史をも読んでいるのです。同じことがダニエル書やダニエルが予告したマカベア家の歴史、ソドムとゴモラ、ノアの日についても言えます。イザヤ書には神は『終わりの事を初めから告げ』ているとあるのです(イザヤ 46 章 10 節)。

船の象徴

今、最終的な描写を見ます。再び言いますが、これは象徴です。私はこれを教理の基礎としているのではなく、真理を説明するものとして用いています。マルコ 4 章と 6 章では船が波に飲まれそうになる記事を読みます。これは患難の中にある教会の象徴です。地はイスラエルと関連していて、海は国々と関連しています――「なぜ国々は騒ぎ立つのか」などの箇所です。とはいえ、最終的な船は使徒 27 章に見られるものです。そこでパウロはマタ

イ 24 章 45 節で時に従って食べ物を与える忠実なしもべのように、また世界中を養ったヨセフのように、出エジプトに備えるためイスラエルの子らを養ったモーセのように振る舞っています。この象徴を見てみましょう。使徒 27 章 1 節から

『さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人

の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。』(使徒 27 章 1 節)

思い出してください。パウロはカイザルの前に立たなければなりませんでした。カイザルは反キリストの象徴です。2 節、3 節

『私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。』(使徒 27 章 2 節-3 節)

(つながりが理解できるなら)ダニエル書にあるように彼らは「小さな助け」を受けました(ダニエル 11 章 34 節)。そして 4 節、

『そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。』(使徒 27 章

4 節)

ギリシア語での“風”は“ニューマ(pneuma)”であり、ヘブライ語では“ルアハ(ruach)”です。どちらも“霊”と同じ言葉です。

風には良いものと悪いものがあります。最も悪い風は北東からの風です。地中海に北東からの風が吹くとき、それはガリラヤのカルメル山脈を通り、ガリラヤ湖に吹き下ろし、荒々しい波を引き起こします。カルメル山脈の峡谷はピストン効果を生み出し、ガリラヤ湖に激しい波を作り出します。これがパウロの乗った船が遭遇した風です。ユダヤ人のカレンダーを見てみるなら(それは農耕用のものですが)、雨が降る時期と風がどの方向に吹くかが分かります。歴史の中で大きな影響を持つ霊的な力があったように、風にも向かい風と良い風があります。しかしながら最後にはその霊的な力はこの上なく敵対するようになります。5 節を続けて読みましょう、

『そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、「皆さん。この航

海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失

が及ぶと、私は考えます」と言った。しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。』(使徒 27 章 5 節-13)

パウロは自分たちが困難に突き進んでいることを知っていました。彼はそれをどう避けるかを警告しましたが、大多数は本当に何が起こるかを知っている人に聞き従おうとしませんでした。そして風向きが変わり、状況が良くなったとみえると「ほら、あんなやつに従わなくてよかったじゃないか」という態度を示したのです。

再建主義者たちは鉄のカーテンが崩壊した時、「ほら、ハル・リンゼイはおかしいといったじゃないか。ロシアはイスラエルに侵略なんかしない」と言いました。しかしロシアにおける反ユダヤ主義は当時から高まる一方で、旧ソ連に属していた 4 つのイスラム教国がありますが、少なくともそのひとつが核兵器を備え、イスラム原理主義が隆盛を極めています。これは同じことです。『人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります』(1 テサロニケ 5 章 3 節)

米ブッシュ元大統領は“新世界秩序(New World Order)”について語りました。数週間後、彼と英メージャー元首相はペルシア湾岸諸国に数万もの軍隊を投入して、それは第二次世界大戦以来の大きな戦争となったのです。次に彼らはサダム・フセインが新世界秩序の脅威になると考え、彼を取り除こうとしました。しかし彼はまだそこにいます。そして次にユーゴスラビア、中東と続きました。世界のどこにも長く続く平和は無く、特に世界のその特定の地域に平和は存在しません。これはダビデの子、平和の君がユダヤ人とアラブ人に認識されるまで続きます。中東には偽りの平和があります。私はそれがゼカリヤの預言した偽りの平和であるかは確信が無いのですが、もしそうでないとしても、確かにその前触れとなるものでしょう。物事は改善していくように見えます。しかし思い出してください。これはまるで陣痛のようなものです。少しの間痛みはましになるかもしれませんが、子宮収縮は次第に強さを増し、前回よりも激しさを増します。

世のものを取り除く

使徒 27 章 14 節で次に起こることを見てください

『ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそ

れに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。』

教会はその進む方向と目的地を自分の力ではコントロールできませんでした

『しかしクラウダという小さな島の陰に入ったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。』

彼らは方向を制御することを諦め、ただ船が浮くことだけに気を遣っていました

『私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、』(使徒 27 章 14 節-18 節)

初代信者たちはこの世のものを捨て去らなければなりませんでした。終わりの日において、私たちは注意深くしていなければ、自分の持っているものに所有されるようになります。私たちに必要な態度は、私たちが持つものすべてはイエスに属しているというものです。もし私がお金持ちであっても、現実には一文無しですが、それは私のものではありません。私はただイエスに属するものの管理人だからです。反対に、もし私が何も持っていず、4 年間も無職だとしても、実際私は富んでいます。なぜなら私はキリストとの共同相続人だからです。これ以外の態度は非聖書的で、不健全であり、私たちを問題に突き当らせるものです。彼らは船を救うために積荷を投げ捨て始めました。ブラジルにいるとても貧しいクリスチャンたちを私は知っています。彼らは自分たちの家や車を売って教会を建てます。西洋のクリスチャンはそのような自分たちの積荷を捨て、自分たちの教会を救うためにこの世のものをはぎ取ることを良しとするでしょうか?そのような人は多くはいないでしょう。

さらに 19 節から見てみると

『三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。』(使徒 27 章 19 節)

太陽も星も光を放ちませんでした。イエスはアブラハムに彼の子孫は天の星のようになると言われました。星が光を放たないとき――アブラハムの子孫たちがその光を隠すとき――

イエスの栄光は不明瞭になります。イザヤ 13 章 10 節から 11 節には次のようにあります

『天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。わたしは、その悪のために世を罰し、その罪のために悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。』(イザヤ 13 章 10 節-11 節)

これが使徒 27 章で起こったことです。船は暴風に翻弄されていました。何が起ころうとしているかを知っている人たちは大多数によって無視され、その大多数は真理を知りたがりませんでした。

カリスマ派運動に何がこれから起こるかを知りたいなら、イザヤ 24 章 7 節を読んでください

『新しいぶどう酒は嘆き悲しみ、ぶどうの木はしおれ、心楽しむ者はみな、ため息をつく。陽気なタンバリンの音は終わり、はしゃぐ者の騒ぎもやみ、陽気な立琴の音も終わる。』(イザヤ 24 章 7 節-8 節)

これがカリスマ派運動の終焉です。みことばの真理に基づいている限り、喜びと礼拝には活躍の場があります。一旦自分たちの教理を経験に基づかせてしまったり、聖書以外の基礎を持ってしまうと何も喜ぶことは無くなります。その先には滅びしか期待すべきものがありません。しかしながら、イエスさまは私たちを保とうとされています。

危機における正しい声

使徒 27 章の 21 節から続けると

『だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。』(使徒 27 章 21 節)

もし人々が真理を語っている教師に聞き従い、聖書の方法で群れを導いている牧師に従う知恵を持っていたなら、教会に起こっている大半のことは理論上、避けることができたものです。しかし人々は耳をくすぐる者たちに従っていきます。現代、アメリカにいる有名な再建主義者たちや繁栄の説教者たちは大きな教会を持っています。なぜ彼らの教会が大きいかを知っているでしょうか?人々がそこで救われているからではありません――人々はそのような教会で救われたのではないのです。ペンテコステ派教会についていえば、彼

らはデイビッド・ウィルカーソンやニッキー・クルーズ(Nicky Cruz)などの伝統的なペンテコステ派の教会で救われています。再建主義者たちや繁栄の説教者らが大きな教会を持っている理由は、繁栄の福音や神の国は今という神学をもって耳をくすぐられたい人々を他の教会から引き込んでいるからです。もし、人々が神のことばに従い、その警告に注意していたなら、理論的には教会に来る大半の破滅や裁きを逃れることができたでしょう。

22 節を読むと

『しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』』(使徒 27 章 22 節-24 節)

私が確信していることは、イエスの戻って来られる前に悪霊による活動が増えるだけでなく、天使による活動も増えるということです。25 節から

『ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。』(使徒 27 章 25 節)

パウロの自信と落ち着きとを見てください。ただのいんちきと聖霊が語られた時の油注ぎとの違いは聖霊の声を聞いていたなら分かります。26 節から

『私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。』(使徒 27 章 26 節-29 節)

14 という数字は興味深いものです。ユダヤ人の系図は 14 という数字、7 の二倍を重要だと見なしています。彼らは自分たちの意図する議論にとって重要な神学的意味を持つ先祖だけを系図に載せました。例えばイエスの系図では、イエスがメシアだと示そうとするマタイの神学的理論に従って神学的重要性のある人だけが、14 人ごとに載せられています。14とは次の出来事に移行する中間状態といえます。良い例は何といってもマタイ 1 章 17 節です

『それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移

住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。』(マタイ 1 章 17

節)

これが聖書で頻繁に用いられている 14 という数字のひとつの例です。このパターンはパロ

の幻にも登場します。パロは 7 年間の幻を二度見ます。その収穫と飢きんも終末論に関係しています。

(この聖書の数字学に関してより多くの事柄がありますが、学ぼうとしている量に時間が追いつきません)

試みの時の一致

続けて読んでいきましょう。使徒 27 章の 30 節から

『ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、』(使徒 27 章 30 節)

終わりの日には多くの者が堕落します。背教者について考えてみましょう。ユダの手紙の中では教会の中にいる背教者について書かれています。教会の中には外にいるのと同じくらい多くの背教者がいます。箴言では心の堕落している者は自分の道に甘んじると書いてあります(箴言 14 章 14 節)。背教者たちは離れようとするとき何かを企てます。彼らは教会に来なくなり、交わりに入らず、祈祷会にも来なくなります。そして次々に言い訳を考えるのです。彼らは人を操り、悪巧みを企むようになります。彼らが本当にしていることは、船の“オーナー”から離れ去ってしまったために、船から降りようとすることです。31節から

『パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません」と言った。』(使徒 27 章 31 節)

交わりはいつでも重要なものです。第一ペテロの手紙のように、ヘブル人への手紙はとてもユダヤ的な書であり、ユダヤ的な交わりの概念を引き合いに出しています。

『ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。』(ヘブル 10 章 25 節)

もし極めて重要な場所から多くのレンガが外れたならば、その建物の屋根は落ちてしまい

ます。クリスチャンは一緒になって立つか、ひとりになって立つことができなくなるかのどちらかです。

このことを限定させてください。一致には御霊の一致と人の一致があります。聖霊は真理の霊です。何か嘘の上に聖霊の一致を築くことは出来ません。エキュメニカル運動やインターフェイス運動はこれを試みていますが、嘘の上に一致を建てています。しかしながら、真の御霊の一致はただ真理の上に築かれるものです。エキュメニズムは欺きの上に一致を建てており、彼らはある種の“霊の一致”を持っていますが、問題はどの霊であるかということです。人々が“聖霊の一致”と呼ぶ多くのものは実際、組織的な運営のために神のことばの真理を妥協した人の手による一致です。

養われ、救われる

使徒 27 章 32 節から

『そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。』

(使徒 27 章 32 節-33 節)

3 年半の期間、エリヤは異邦人の女を養いました。パウロは、モーセやヨセフ、エリヤ、バプテスマのヨハネのように――良い忠実なしもべのように――暗やみと飢きんの時に神の民を養いました。終わりの時に同じことが起こります。良い忠実なしもべは神の民を養うのです。34 節から

『ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」』(使徒 27 章 34 節)

このような状況で立ち上がるには、本当に神の人でなければなりません。すべての人がもう終わりだと思うとき、神の力と油注ぎをもって「いやまだ望みがある。イエスは私たちを愛し、ここから救い出そうとしておられる」と言うことが必要とされます。迫害が来たときに最初に裏切り合い、堕落してしまう者はユダの手紙に描かれているような者です。困難な時が来たとき、繁栄の説教者や彼らに付き従うものは最初に自分の信仰を失います。彼らは十字架に付けられた生活や困難に準備が出来ていないので、困難がやって来るとき

それをどう扱って良いか分からないのです。

35 節から

『こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。』(使徒 27 章 35 節-38 節)

『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。』

(伝道者 11 章 1 節)その患難の期間に何らかの形で、御国の福音は荒れ狂う海に宣べ伝えられます。御国の福音は福音とある形で違ったものです。それは同じ福音であり、良い知らせであることに変わりはありませんがその性質において違ったものです。御国の福音はマタイの福音のようなものです。イエスはマタイの福音書で天国について語るよりも、三倍多く地獄のことを語られました。バプテスマのヨハネは御国の福音を宣べ伝え、神がご自身の裁きを下されることを警告しました。使徒 27 章では彼らは自分たちが食べた後に、残りのパンを水に投げました。39 節から

『夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。しかし百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、その計画を押さえ、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。』(使徒 27 章 39 節-44 節)

ここで船は壊れましたが、その中にいる人々は救われました。ここから私たちが学ぶべきことは、もし私たちが共に立つことが出来ないなら、その時が来たときにひとりで立つことは無理だということです。使徒 28 章 1 節から

『こうして救われてから、私たちは、ここがマルタ [蜂蜜の意] と呼ばれる島であることを知った。島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して

来て、彼の手に取りついた。島の人々は、この生き物 [原語では therion=獣] がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合った。しかし、パウロは、その生き物 [=獣] を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。』(使徒 28 章 1 節-5 節)

黙示録では悪魔である古い蛇は燃える火の中に投げ込まれたとあります(黙示録 19 章 20

節)。これはサタンへの裁きを象徴しています。

ユダヤ的なミドラッシュは一般の教会と違った聖書の読み方をします。それは教会が全体として、根を忘れるというローマ 11 章でパウロが警告した間違いを犯してしまったからです。私たちがその根を見られないのは地面の下にあるからです。しかしながら、もし根がなければ木自体も存在せず、根が枯れていれば木も枯れているのです。終わりの日においてユダヤ人を通して神は教会を祝福されます。私たちはより多くのユダヤ人がイエスに信仰を持つのを見るようになり、神によって自分たちのルーツに目を向けさせられ、聖書の正確な教え方を指し示されます。小さな光があれば普段は十分ですが、より暗くなったときには強い光が必要です。これらのことは終わりの時代まで封じられています。今私たちが終わりの日にいるというしるしのひとつは、聖霊がそれらの封印を解いていることなのです。

船は壊れますが、それに乗っている者は救われます。石は投げ倒されますが、よみがえります。サタンは裁かれるのです。これが将来起こります。次第に使徒 27 章で船に乗っていた人々は、大多数が聞き従わなかったにも関わらず、パウロが初めから真理を語っていたことを気付きました。彼らは身をもって彼が正しいということを知りました。ソドムの民はロトとふたりの御使いの言葉をあざけりましたが、身をもって彼らが正しいことを知りました。ノアの日の人々はノアをおかしいと思っていましたが、彼らも余裕が無くなってから彼が正しいと知りました。

多くの者を悟らせる

ダニエル 11 章では民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせるとあります(ダニエル

11 章 33 節)。もし私が何をしてもよいのなら、私は決して聖書を教えることはしなかったでしょう。私はむしろ伝道をしたいのです――私は人々が救われるのを見たいので、そのためにこのことをすぐに譲りたいほどです。私が教えている唯一の理由は充分な数の人がこれが神の望んでいることだと私に語り、彼らが正しいと私は思っているからです。もし終わりの日に備えるために神の民を養うことが私の召しならば、私はそれをしましょう。

賢いおとめと愚かなおとめがいましたが、愚かなおとめはともしびの中に油を持っておら

ず、賢いおとめたちが正しかったと分かると、それを買おうとしました。しかしながら、マタイ 25 章で見られるように、その時はもう過ぎていたのです。夜が来た時にすでにともしびの中に油を用意しておく必要があります。私が見たいと願っていることは皆さんがともしびの中に油を備えられることです。なぜならそれが必要になるからです。私は皆さんが自分の倉庫に穀物を貯えていることを望みます。それが必要になるからです。

しかし、この穀物を貯え、ともしびの油を買う時、事実に直面し、預言が目の前で成就していることを見ているこの時、私たちはノアの日やエレミヤの日、ソドムの日、エルサレムの終わりの日と同じ状況を抱えています。過去起こったことは今にも起こります。事実それはすでに現在起こっています。

分裂がキリストのからだに来ようとしています。そして少なくとも三つのことがそれを引き起こします。もう一度言います。妥協する者と妥協しない者たちです。多くの福音派たちが妥協してしまっています。バプテスト派やペンテコステ派、カリスマ派の中での分裂はすでに来ています。第二にイスラエルとその預言の中での役割です。この問題に関する教会の分裂も来ようとしており、実際すでに来ています。第三に分裂は神のことばの権威と神のことばが解釈される方法に関してやって来ます。これが現在起こっていることです。

誰も間違えないようにしてください――イエスは来ます。穀物を得、油を買う時は今です。そうするなら、あなたは賢いおとめとなります。もしそうしないなら、愚かなおとめとなります。イエスはそれを今得てほしいのです。彼はここにおられて、あなたにそれを渡そうとされています。どうぞ、それを受け取ってください。†††


By David Passmore July 14, 2026
Circling the wagons Ruben Rothler LLB, LLM Israel is a society riddled with tension and division. It is sociologically, if not politically miraculous that a country drawing Jews from all over the world is able to exist at all. The army affords a degree of integration as a melting pot. But this is only a marginal source of national unity in the overall scheme of things. More so are the myriads of external threats that face this small country. In the former generation the Ashkenazi (Jews of European descent) - Sephardic (Jews of Oriental descent) divide was far more pronounced. The dominant Ashkenazi establishment held the reins of political and economic power which was resented by the Sephardim. However, due to a combination of inter-marriage and political accommodation much of the chasm that separated these distinct groups was forged. Menachem Begin (an Ashkenazi politician) in 1970 successfully ran on the Likud Party ticket with a campaign that brought Sephardic Jews under his conservative political umbrella. Later the immigration of Russian Jews following the end of Communism would add a whole new dimension to the Israeli demographic milieu. The younger generation of these immigrants tended to adapt well to Israeli society and contributed much to the economy. The wider division in Israeli society that crosses ethnic lines concerns that between religious and secular Jews. This can be further bifurcated to the clash between the secular and specifically ultra-orthodox Jews (Haredim) as distinguished from the national religious Jews (Dati Leumi). The Secular and the Religious generally part on what they envisage a Jewish State to entail. Religious Jews desire the State to strictly adhere to the stipulations of Jewish Law (Halacha), while at present Halakhic influence is largely limited to certain areas of Family Law concerning Jewish citizens. Wider considerations of promoting a socially conservative political agenda would also be forefront amongst the religious mindset broadly. Secular Jews view the imposition of such proposed measures as a serious infringement of their civil rights. With regard to the Haredim, the bone of contention looms larger, in that this group is fundamentally opposed to participating in society at large. This is acutely manifested in diminished contribution to the work force and a refusal to be conscripted into the army. The 2023 judicial reform protests posed a significant threat to social civil order. The nation appeared to be bitterly divided into two opposing camps. This split reflected broader divisions concerning visions of how the country should be governed. The judicial reforms would have weakened the Supreme Court's ability to render the Executive branch accountable. However, the Supreme Court was also accused of using its considerable powers to promote a socially liberal agenda. Left wing secular Israelis tended to oppose the proposed reforms while those on the right (which included the majority of Religious Jews) supported the reforms. Every weekend droves of protesters were brought onto the streets causing major disturbances to traffic. The polarising nature of this impasse threatened the future of Israeli democracy. It was the October 7th attack that brought a swift end to this public debate and civil strife. The nation instinctually united in response to this common existential threat. The judicial reforms were shelved for a future point when the urgent security threats subsided. However, as the war dragged on the enduring issue of Haredi refusal to conscript into the army became more pronounced. Mounting casualties combined with ever increasing manpower demands to field troops on the multiple theatres of action on which the IDF is engaged has depleted the ranks, and the army is now in much need of fresh conscripts. Haredi belligerent refusal to participate in the pressing national defence has escalated from being a political debate to a matter of very practical vital importance. Overall we can observe that the challenges to national unity in successive generations since the establishment of Israel has recurrently been ameliorated by the common necessity of defence towards outside threats. Most recently we can see this happening with regard to the global anti Semitism and anti-Zionism that has been raging since the October 7th atrocities. These hostile attitudes have paradoxically acted as a force which promotes nationalism and a sense of national cohesion in Israel that otherwise might not functionally exist.  (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).
By David Passmore July 8, 2026
A Divided Nation Rubin Rothler LLB, LLM The Haredi community has had a complicated, paradoxical relationship with the State since its founding. Rooted in a Talmudic precept that the Jews are forbidden to resettle the land of Israel en masse by force before the coming of the Messiah, the secular democratic State of Israel presents itself as blasphemous by its mere existence. Yet due to practical considerations such as the need to obtain funding for its religious academies the Haredi leadership reached a settlement with the State's founders that exempted Haredi men from being conscripted for military service. This was at a time when the Haredi population in Israel was relatively small. Over the past decades this demographic ballooned until the point that soon the majority of Jewish children in Israel will be born into Haredi families. Such a situation is clearly unsustainable. Recently the Knesset's (Parliament's) Haredi parties have pressured their coalition partners in government to codify Torah Study as part of the Country's Basic Laws. This was purposefully done to elevate the status of their institutions to be on parity with service in the IDF. Israel is yet to promulgate a written Constitution, so legislation classed as a Basic Law holds Constitutional status for all intents and purposes. These moves by the religious parties represent a back door power grab to enshrine in law very significant hurdles to prevent the enlistment of Haredi men. The burden of Israel's defence is comparatively massive for a country its size and it is vastly disproportionately shouldered by the secular population. Until now there have been political initiatives to conscript the Haredim. But given the huge manpower shortages emerging in the wake of near continual conflict on multiple fronts since the events of October 7th this matter has become urgent and not merely a theoretical discussion of what is fair and equitable. It is important to draw a distinction between the Haredim and national religious Jews (Dati Leumi). The Haredim adhere to a lifestyle entirely committed to observance of Jewish Law and Talmudic study. This is embraced to the exclusion of gainful employment and participation in wider society. They are either outrightly opposed to Zionism or consider themselves non-Zionist. Conversely, followers of the national religious movement in Israel although being observant of Jewish law and learning would alongside this pursue secular professions. Furthermore, they are ardently Zionist and disproportionately serve in IDF combat units. This is often done within the framework of a program called Hesder Yeshiva that combines religious learning with military service. Efforts to cater a similar model for accommodating Haredi participation in the IDF have so far failed to make substantial gains. Such measures designed to override Haredi objections to service based upon modesty concerns by strict segregation of the sexes in these specially formed units have failed to appease the Haredi leadership. For them, any form of military service is considered a dereliction of their duty to fully devote themselves to a Torah lifestyle. They argue that their Talmudic learning and prayers are in itself a form of national service and act to protect the Jewish people spiritually from enemy attack. It is as if two parallel societies exist within Israel. And the trajectory of separation between the two is only growing. The Haredim are cloistered away in their Yeshivas, immersed in lives devoted to adhering to the stipulations of Jewish law. While the particulars of actually running the State is left to the Secular. The Haredim desire all the benefits of subsidizing their lifestyle without contributing to society. What we really have going on here at source is two profoundly different and opposing ideological visions of what is important in life and what is the purpose of a Jewish State. At the State's founding these divergent perspectives were more manageable. Ben Gurion only had to contend with one religious party –the National Religious Party. Later in 1970 Begin aligned with the NRP to form a coalition government that also brought Sephardic Jews under the Likud umbrella which had the effect of bringing unity to the country by bridging the Ashkenazi-Sephardi divide. However, over time Israeli politics has seen a proliferation of religious parties, gaining further leverage as king brokers in forming governments due to the proportionate representation voting system which secular Israelis not uncommonly view as political blackmail. (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).
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By Mea Fredrickson June 23, 2026
New Paragraph
By David Passmore June 22, 2026
THE CAPTION AT THE HEAD OF THE POSTER IMAGE FOR THE MOVIE ‘DISCLOSURE DAY’ BOLDLY DECLARES ‘WE DESERVE TO KNOW’ Indeed, we do need to know the truth. But will we find it in Stephen Spielberg’s new movie ‘Disclosure Day’? Could it just as well be entitled ‘DECEPTION DAY’? In an interview with USA Today Spielberg says that evidence of non-human contact has become “overwhelming” to him. He has suggested that his film could raise significant theological questions for Christians. But will it? For us Christians - No, not on our watch! The movie raises no questions for those who accept the proven accuracy of God’s Word, the Bible. The film, which is capturing the imagination of the public, only confirms exactly what scripture tells us about what are in fact extra-dimensional beings. ALIENS OR FALLEN ANGELS? God inhabits the heavenly realm along with a vast array of angels. Because Lucifer, a created angel, wanted to usurp God as ruler of the universe, he was expelled to another realm outside of our time and space, along with one third of the angels who rebelled with him. These fallen angels manifest themselves as demons who can appear on earth and disappear at will. Spiritual hosts of wickedness exist in heavenly places, wherever this realm is, it is not the place where God dwells. ARE ALIENS BENEVOLENT? In the movie, the ‘aliens’ are portrayed as friendly beings who want to help mankind in a time of crisis. If the aliens are really demons, not visitors from outer space, this is a dangerous delusion. Whitley Striber in his book ‘Communion’ writes on encountering ‘aliens’; ‘I felt an indescribable sense of menace. Whatever was there seemed so monstrously ugly, so filthy, so dark and sinister. Of course they were demons. They have to be.’ Many others have reported similar malevolent experiences. During the movie, Daniel claims to have had an encounter with extra-terrestrials during which he received a special gift of empathy, which is regarded by him as the ultimate superpower. However, there is only One who completely understands our human frailty. We read this concerning Jesus: ‘For we do not have a high priest who is unable to empathise with our weaknesses, but we have one who has been tempted in every way, just as we are - yet he did not sin.’ (Hebrews 4 v 15). Jesus said: “Come to me, all you who are weary and burdened, and I will give you rest.” (Matthew 11 v 28) END TIMES DECEPTION Before he was crucified, Jesus warned his disciples about these last days in which we are living. The first words he used in this context were: “Watch no one deceives you. For many will come in my name saying, ‘I am the Christ,’ and will deceive many.” Deception was top of the list! Later, the Apostle Paul wrote about these days: ‘The coming of the lawless one is according to the working of Satan, with all power, signs, and lying wonders, and with all unrighteous deception among those who perish, because they did not receive the love of the truth, that they might be saved.’ (2 Thessalonians 2 v 9) Have you received the love of the truth? Have you received Jesus who is the way, the truth and the life? If not, you are in great danger. Perilous times are here and they are only going to get worse as man turns more and more away from his maker. Things will only change when Jesus returns soon to establish his own Kingdom on earth, where justice and peace will rule. JESUS, OUR ONLY HOPE! The Bible says all human beings are sinners. The message of Jesus is simple; repent and believe the good news, that God wants humanity, his highest creation, to be reestablished in relationship with him. His plan was simple: to give his life in unconditional love for every human being that has and ever will live, by shedding his blood on a Roman cross. In doing this, we can receive forgiveness of sins. Our old life will then be buried with him, giving us new life with the hope of an eternal future of true peace, love and joy, with freedom from pain and tears. Why ignore such a great gift of salvation? If you do, your fate will be sealed for eternity in hell, which is a real place without God, and thus without love, to face only eternal consequences of punishment. We condemn ourselves to such a fate. REPENT AND BELIEVE THE GOSPEL BEFORE IT’S TOO LATE! Jesus loves you and asks that you repent and believe in him. It would be the best and safest decision of your life! If you commit your life to him, he will give you a new heart, you will be a new person inside. You will also gain a new desire for all that is right and true. And his Holy Spirit will give you an ability to discern the lies of the age we are living in. ‘For God so loved the world, that he gave us his only son, that whosoever believes in him, will not perish, but have eternal life.’ (John 3:16) FINALLY, A RECOMMENDATION  All that is described in this leaflet has been open, in the light for millennia. On the other hand, the theory of extra-terrestrial life has been hidden in darkness, awaiting ‘Disclosure Day’. Which would you prefer to believe, the Word of God, or the word of Stephen Spielberg? I made my choice years ago, and have never regretted it! If this message has spoken to you, just call upon Jesus in a short prayer. Confess to him that you are a sinner in need of salvation. Ask him in sincerity to forgive you and to fill you with his Holy Spirit. You will then become what the Bible describes as being ‘born again’. (John 3 v 7) Then you need to seek a Bible believing church where you can be baptised and become part of a group of believers who can help you get to know Jesus more and more fully. “And you shall know the truth, and the truth shall make you free” (John 8 v 32)
By David Passmore June 20, 2026
Prayer request for Teerth Sond Petitioned Prayer-Supplication/Personal Prayer/ Collective Prayer/Thanks Giving Prayer Our Dear brethren in Yeshua, my family & myself Teerth request your prayers in The Spirit that the latest drugs Ramicirumab & Pacilitaxel will destroy the cancer cell in the Authority Of The Lord Yeshua in The Power of The Holy Spirit. Targeted Petition: Please stand with us in prayer & fasting; The Lord will target the 2cm legion & that it will be cast out of my Liver in the love (agape), compassion, kindness, grace, mercy of God. I do not deserve it because of me- but By His Stripes we are healed for His Glory. This will allow the main operation to go ahead (which should have been done 18 months ago). Step by Step in the leading of The Holy Spirit and the in the Lord Step by Step, as our beautiful sister Beryl said, has worked on my Spiritual man- thank you Lord for waking me up. Lord raise me up for your glory forever because of your love to me, the family & fellowship- an unworthy sinner saved by your grace & love. Email sent to my Oncologist & my Local MP: Greetings Natasha & Dr Mano Joseph Hope All Is Well Thank you for our meeting today. At our meeting we discussed my MRI & CT scans which were done in May 2026. We discussed the operation on my oesophagus which I believe is the best option. (This should have been done 18 months ago). My Kidney operation will be done- non evasive- Lord willing within the next month. Will you be talking to Mr Chacravaty about this? The liver must be targeted first- this is wisdom and the latest radiotherapy treatments available- proton therapy-radiotherapy atezolizumab and bevacizumab sorafenib lenvatinib regorafenib cabozantinib durvalumab and tremelimumab At the meeting we discussed the next CT & MRI scans to be held end off July. Wouldn't it be to better to have them in August so by then I've had 4 full treatments on the latest medication. Also we have Zolbetuximab on compassionate usage- all glory to The Lord. After all the past wrongs I have no doubt now Dr Joseph you will pursue the best for me and family. Dear brethren- King Manasseh, David, Hannah, The Church For Peter, James, The Lord Jesus Christ for example made petitions onto the Lord. We pray as one body to cast off the illness in the Power of The Holy & The Authority Of Yeshua. The Great Physician who came for the ill. To lay out raised hands 🙌🏽 upon the head of our Lord. ABBA/Daddy/Lord in your mercy have mercy on us. Love you all in Yeshua our Lord & God. Teerth, Family & Fellowship
By David Passmore June 19, 2026
The End of an Extended Honeymoon – Are Trump and Netanyahu Parting Ways? Rubin Rothler LLB, LLM  The Israeli public had high hopes for Trump. Unlike his predecessors, he consistently endorsed Israeli measures of self-defence in the different theatres of conflict in which it had to contend. Further to these ends Trump shared in Netanyahu’s determined agenda of preventing the Iranians from pursuing the proliferation of nuclear weapons. During Trump's first term he tore up Obama's negotiated settlement with the Iranians concerning enriched Uranium, echoing Netanyahu’s position that it didn't go far enough. Now in his second term Trump partnered with Israel in a war with Iran that turned out to lack clearly defined goals. The campaign required resolve on the part of America that it wasn't willing to commit. After an initial lightning blitzkrieg that decapitated the Iranian leadership, the Persians dug in and the conflict became a protracted war of attrition hinging on Iran's stranglehold on the straits of Hormuz that could only be realistically lifted by placing boots on the ground or an intensified air war directed against Iranian coastal positions and the destruction of Kharg island, or at least the viable threat to obliterate Kharg island if Iran did not acquiesce. It transpired that Trump and Netanyahu underestimated the resilience of the Iranian regime, thinking that it had already received a near mortal blow during the prior popular demonstrations. So now we are left with a situation where Trump is exasperated with this protracted endeavour and appears to be aiming his frustration towards Netenyahu. A sticking point is Israel's continued occupation of Southern Lebanon. Iran is insistent that Israel withdraw its forces from there as a precursor to fully committing itself to a final status agreement with the U.S. to put an end to its nuclear aspirations. With the midterm elections looming Trump seems to be desperate for an exit strategy from this war. From Israel's perspective the fight against Hizbollah is an inextricable part of the Iranian equation. The IDF has invested massive resources and personnel in the hopes of quashing the Iranian proxy once and for all. Netanyahu is determined to build on the momentum achieved after the spectacular pager attack in 2024. After the catastrophic Hamas massacres of October 7th, the majority of the Israeli public is unwilling to tolerate a capable hostile force on its borders. Trump's proposed solution to this dilemma unrealistically suggests that Syria should take on the role of disarming and removing Hizbollah from Lebanon. In the ultimate reckoning of international relations, America doesn't have iron clad allies, but rather interests like any other nation. If, (as appears to be occurring now) U.S. and Israeli interests fail to align the two countries will cease to act in unison and there may be a rupture in relations on the not-too-distant horizon. Trump has indicated that Israel owes him big time. He has asserted that were it not for his decisive actions they would have been obliterated by Iran's missiles. This is nothing to say of the robust diplomatic support Trump has lent Israel in such forums as the United Nations Security Council and sanctioning officials of the International Criminal Court. Netanyahu is acutely aware of what may be next after Trump. The way public opinion is turning against Israel it is unlikely that the next administration is going to be any way near as friendly as Trump has been thus far to Israel. Trump too of course is mindful of this turning tide opposing Israel. The Iran war has been unpopular to his domestic audience, and the President has been caricatured as Netanyahu’s stooge doing Israel's bidding. Another major consideration for Trump is the colossal impact that the war has had on his other major regional allies: the Gulf States and Saudi Arabia. They have received the brunt of the Iranian backlash that has effectively targeted their energy infrastructure and trading routes. They, along with the Europeans have been exerting pressure on Trump to end the conflict and reopen the Straits of Hormuz regardless of whether the most favourable terms of Iranian capitulation are achieved. Israel, however important a strategic asset and technological powerhouse will not override these broader concerns that are endangering global energy markets. An unspoken factor is Trump's propensity for a belligerent severing of his relationship with allies in the political sphere. His public displays of hostility with former political allies such Senator Ted Cruz, Governor Ron Santos and Elon Musk demonstrate a temperament that the same kind of falling out could invoke with strategic allies as well as those political. Both Trump and Netanyahu are approaching the sunset of their political careers and are naturally inclined to deeply consider the legacies they will leave behind. In the international sphere Trump projected himself as a peacemaker from a position of strength. But as many commentators have pointed out, the war with Iran demonstrated the limits of U.S. power. Trump appraised Iran as low hanging fruit that could be swiftly toppled like Venezuela. However, when push came to shove and the only prospect of landing a decisive blow demanded a massive ground offensive on the scale of the Iraq war, he bottled out and sued for a premature peace that will leave Netanyahu in the cold. Netanyahu is anxious to rehabilitate the injury inflicted on his reputation of the greatest disaster to have occurred in Israel's history having happened on his watch. Eliminating Iran as the great regional adversary pulling the strings of its proxies would have done much in this regard. Neither leader is able to craft their legacies as they would have wanted. Trump is choosing the perceived option of mitigating the damage done to his legacy in foreign affairs. He is trying hard to sell his Iran deal as being more than what Obama bargained in terms of guaranteeing a nuclear free Iran. But as further details of his proposal are leaked this is becoming a tall order. Netanyahu is faced with October elections and he may decide to stay the course in Lebanon as otherwise he will seem weak to most voters. Should this happen, we will be in uncharted waters as it will thwart Trump's designs for an immediate end to this affair.
By David Passmore June 17, 2026
The Battlefield for Israel's Reputation Rubin Rothler LLB, LLM Israel has enjoyed strong U.S. support since its founding. Within eleven minutes of Israel's Declaration of Independence Truman recognized the Jewish State. Under the Kennedy administration the Pentagon sold advanced missile systems to Israel. However, it was the 1970 attempted PLO takeover of the Hashemite Kingdom of Jordan that demonstrated to the U.S. Israel's regional prowess and indispensability for implementing Washington's agenda. During Arafat's attempted Coup Syria mobilized its forces on the Jordanian border in support of the PLO's bid to dislodge the ruling Hashemite dynasty. Upon Washington's direction the IDF also mobilized its army upon its border with Jordan, thereby deterring the Syrians from taking further action. From then, the Pentagon and U.S. military planners invested heavily in promoting Israel's defence. During the 1973 Yom Kippur War disaster Nixon's massive air lift came to Israel's aid. For decades U.S. diplomatic and military support for Israel was a non-partisan issue. Both Democrat and Republican members of Congress voted nearly unanimously in support of measures concerning Israel. However, in the mid 2010's this began to change. To the extent that now 80% of Democrats hold views in opposition to Israel and this is reflected in how their representatives are acting. It is difficult to praise an exact moment when this turning point occurred. For years Democrat grassroots activist groups across the nation were lobbying their local representatives about their attitudes to Palestine and the mass student protest movements following the Gaza war built upon this momentum. The dual standards by the academic establishment were riddled with hypocrisy as if by the same criteria Israel is condemned for its responsive self-defence counter attacks in Lebanon and Gaza, Britain and America would be similarly indicted for what they did to Dresden, Hamburg and Berlin in response to Hitler. This is facilitated by the funding of Western Universities by Qatar and other Islamic interests associated with the Muslim Brotherhood. There is alienation between Israelis and the traditional left-centre Jewish Diaspora in the U.S. with a third of New York Jews voting for Mandani a vehement anti-Zionist in the New York Mayoral election. This is counterbalanced by a growing Jewish Right in America led by Ben Shapiro, David Ruben, Dennis Prager, Mark Levin and Trump advisor Steven Miller who are in political harmony with the Evangelical Right. The Republicans are also approaching a crossroads. Just as the Democrats have been hijacked by the Woke Left there has emerged a virulently anti-Zionist Woke Right led by Tucker Carlson, Nick Fuentes and Candace Owen who are also attempting to hijack the Republicans. What is alarming here, is the fact that the majority of young Republicans under forty now hold an unfavourable view of Israel. So, it is very much a matter of fighting for the future of the Republican Party. The growing populist movements in Britain and Europe may counter the anti-Zionist and anti- Semitic political activities of the Muslim vote and their left-wing allies. In any eventuality, even if the least favourable trajectory of U.S. public opinion were to further materialize it is unlikely to dismantle the massive military and intelligence sharing cooperation between the U.S. and Israel. The Pentagon views Israel as far too big of a strategic asset in a volatile region to cut ties with. (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).
By David Passmore June 10, 2026
MAJOR PRAYER REQUEST - STEVE MITCHELL MORIEL ORPHANAGE (Andar Pradesh, INDIA) Please read the enclosed missions report from Moriel Missions Branch India: Our children need us and we put a lot of money into buying and then expanding the Moriel orphanage to take in more children. These precious orphan children are coming to Christ and the devil is angry. Until now we had opposition from radical Sheikhs at the Moriel Horeb church we built in Punjab, but the Hindu Authorities in Andar Pradesh have largely until now left us alone. The BJP government is however as wicked as Hamas or Hezbollah - only Hindu (I was in India when radical Hindus burned the Australian missionary family alive in their car; these are the ones who wanted to murder Steve Mitchell when Moriel helped to quickly get him out of the country some years ago). Some pastors have been murdered again in West Bengal. (Samuel, who oversees the Moriel orphanage went to Bible College with one of them). Because our orphan children are Dalet (treated as subhuman 'out casts' by the Hindu caste system), or from Muslim backgrounds, we have largely been been left alone and some of the local officials liked us. This is obviously not a good situation. Prayer is urgently requested. Please pray for Mark Masih particularly that they will not cancel his visa. They are now forbidding us from bringing any more bibles into the country. What would happen if Britain, Australia, or America outlawed Hindus from bringing the Bhagavad Gita into England, Oz, or the USA? MARANATHA Come Quickly Lord Jesus  "You Will Be Hated By Men For My Name's Sake" Matthew 10:22
By David Passmore May 30, 2026
Staying The Course Amidst Isolation Rubin Rothler LLB, LLM Living in Israel one gets the feeling that the metaphorical walls are closing in. Israel's reputation is being tarnished all over social media and the mainstream media, and this is reflected in massive public disdain towards this country. We are constantly told that there is near consensus amongst academics and commentators that a genocide was committed in Gaza. The very legitimacy of the state is brought into question. The majority of Americans are now hostile towards Israel. There is real fear that the next U.S. administration will turn against Israel. Even if this were to happen passively, by the U.S. refraining from exercising its veto power towards Security Council Resolutions condemning Israeli actions this could be catastrophic. Internally it is a fractured society leaning increasingly right wing which further alienates Israel from world opinion. An example in point is how Ben Gvir mocked the most recent participants of a global aid flotilla to Gaza. Such conduct further agitates outrage at Israel. The left-wing media presents the ruins of Gaza as a mortal wound in Israel's side. When the world observes this level of carnage no degree of public relations can ameliorate the sense of indignation towards Israel. We can liken the situation of Israel to that of a depressed person. All he sees is hopelessness and gloom. But this isn't the first time that the Jewish nation has been faced with such darkness. Things change and we don't know how the geo-political map will reconfigure in the future. We need to ride out this storm and keep going. On a historical note, the situation is reminiscent of what our ancestors faced when we returned from the Babylonian exile to rebuild the walls of Jerusalem. Nehemiah was faced with constant lies and conspiracies designed to entrap him by hostile actors: Sanballat the Horonite, Tobiah the Ammonite and Geshem the Arab. They employed deception, slander and ridicule in order to maintain their political eminence. There was also a certain sense of abandonment amongst the Jews in Israel then as in our own day. We read in the books of Ezra and Nehemiah about the anguish of the leadership in Israel concerning the lack of assistance from the Babylonian diaspora towards the rebuilding of the walls of Jerusalem and the Temple. Only 20% of the exiles returned to the land. It was largely the poor who returned. Most of the affluent, established Jews remained in Exile. This is a continuing theme in Jewish history. It is also important to observe that from its very beginnings there were bible believing Christians who spearheaded the return of the Jews to their land. The idea of organizing a return of the Jews to Israel began as a Protestant Restorationist objective that can be traced to 17th century Puritan England. The protagonists of the Cromwellian Republic viewed themselves as the new Israel fighting the Papist forces of Satan. Alongside this, interest grew in the notion that biblical prophecies pertaining to the return of the Jews to Israel were a necessary precursor for the return of Christ. The growth of the British Empire in the 19th century lent political clout to Christian Restorationism with specific missions to the Jews established. Although there had been a longing to return to Israel as written in the thrice daily Amidah prayer, Jewish Zionism arose in the midst of mid nineteenth century nationalism and was further fermented by European antisemitism. It was an altogether secular enterprise. Although Israel's situation appears rather stark, we can draw strength from the Providence afforded to our ancestors in the days of Ezra and Nehemiah when they too were faced with defamation. This is also an opportunity to grow closer to our natural allies in the evangelical world who from the beginning of Zionism were steadfast supporters of the project to establish a Jewish homeland in Israel.  (Author is an Israeli American lawyer academically qualified in British and in U.S.A. law, and a graduate of the School of Oriental & African Studies, London. He is a Jewish believer in Jesus and is currently based in Israel).