五重の福音書を持つ記録者 (Part 1 of 2)
Abrahams Journey - Japanese
アブラハムの旅
ジェイコブ・プラッシュ
創世記 12 章を開いてください。ヘブライ語では創世記を“ベレシート(はじめに)”といい
ます。これはイエスが生まれる約 2166 年前の話です。
主はアブラムに仰せられた。
(彼の名はまだアブラハムではなく、アブラムでした)
『「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』
『アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。アブラムは妻のサライと、』
サライとはヘブライ語で“わが王妃”という意味です
『おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。』
『さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在す
るために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。彼はエジプトに近づき、そこに入ろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。』
実際にサラはアブラハムと異母兄妹でした
『そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのび るだろう。」アブラムがエジプトに入って行くと、エジプト人は、その女が非常に美し いのを見た。パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの 宮廷に召し入れられた。パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラ ムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するように なった。しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛 めつけた。そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私にいったい何とい うことをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。なぜ彼女 があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しか し、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」パロはアブラムについて部下に命じた。彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。』
『それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべ ての所有物と、ロトもいっしょであった。アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでい た。彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに 天幕を張った所まで来た。そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラ ムは、主の御名によって祈った。アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや 牛の群れ、天幕を所有していた。その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。そ のうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。』
『そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」ロトが目を上
げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったの
で、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、 東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。』(創世記 12 章1節-13 章 11 節)
それはハラン以前に始まった
聖書の中には、旧約聖書に記されなかったけれども、古代ユダヤ人には知られており後に新約聖書に書かれたことがあります。使徒の 7 章でステパノが殉教を遂げる前に行った弁明の中で創世記には記されていなかったことがふれられています。
『兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父アブラハムが、ハランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現われて、『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け』と言われました。そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、ハランに住みました。そして、父の死後、神は彼をそこから今あなたがたの住んでいるこの地にお移しになりましたが、』(使徒 7 章 2 節-4節)
使徒の働きは、まだアブラハムがメソポタミヤ――カルデヤのウルにいるときに彼が召されたと教えています。創世記はそれからかなりたったハランでのことを書いているのです。
アブラハムはすべて信じる者の父です――ユダヤ人やアラブ人、イスラム教徒でさえアブラハムを尊敬します。アブラハムはアラブ人には“イブラヒム”と呼ばれ、ユダヤ人には
“アッバ・アブラハム(父なるアブラハム)”と呼ばれます。“すべて信じる者の父”とは
神学的に彼がすべての人の原型であるということです。アブラハムの経験は彼の子孫に起
こることの予型なのです。
エジプトの象徴
“エジプトを出ること”を理解しましょう。ききんのときアブラハムはエジプトへ下ってそこに滞在しました。神はパロをさばき、アブラハムはエジプトを出てイスラエルに入りました。後にその子孫ヤコブの子どもたちはききんのとき、エジプトへ下り神のさばきが頑ななパロのもとに下りました。このようにアブラハムの子孫はアブラハムと同じことをしたのです。つまり、彼らはエジプトを出るときにエジプトの富を携えてイスラエルに入りました。アブラハムに起こったことは、その血がつながっているユダヤ人にも起こるのです。
1 コリントの手紙でパウロはそれが私たちにも起こることだと教えています。エジプトは この世の象徴であり、約束の地は天の象徴です。またモーセが民に血を振りかけて契約を 結び、紅海を通って民を約束の地に導いたことは、イエスが私たちをこの世から導き出し、バプテスマを通して天に導くのと同じことです。(1 コリント 10 章)私たちはエジプトか ら出てきました。パロはもちろん悪魔の象徴であり、この世の神、またやがて来る反キリ ストを最もよく象徴する者のひとりです。アブラハムはエジプトを出て、その子孫である ユダヤ人もエジプトを出ました。そしてアブラハムがすべて信じる者の父であるために、 私たちの救いもエジプトを出ることなのです。
さて、次の節に多くの人が疑問を持ちます。特にリベラルな神学者たちがそうです。
『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』(マタイ 2 章 15 節)
ヘロデ王が死んだときこの言葉が引用されました。マタイは預言者ホセアの書 11 章 1 節か ら引用しました。しかし、そこでホセアはユダヤ人の出エジプトのことを語っていました。マタイはどうしてユダヤ人の出エジプトの文脈をイエスに当てはめたのでしょう?
それはヘブライ的な理解では預言は“パターン”だからです。アブラハムはエジプトを出、ユダヤ人はエジプトを出、私たちもエジプトを出たので、アブラハムの子孫であるイエスもエジプトから出なければならないのです。こうしてイエスはパターンを成就しました。神は再び邪悪な王であるヘロデをさばき、アブラハムの特徴を備えた子孫であるイエスもエジプトを出ました。ヘブライ人の預言はパターンです。エジプトを出ることの最終的な
意味は教会の携挙と復活です。出エジプトでなされたエジプトへの暗やみや血などのさば
きは黙示録で再現されています。また、パロがモーセとアロンの奇跡を真似たのは、反キリストとにせ預言者がイエスとその証人の奇跡を真似るのと同じことなのです。
ヤコブの子孫たちはエジプトを出るときにヨセフの骨を約束の地に携え上りました。なぜならキリストにある死者が最初によみがえるからです(1 テサロニケ 4 章 13 節-17 節)。私たちはエジプトから共に出ていきます。これは復活の象徴であり、それこそがエジプトを出ることの最終的な意味です。ヘブライ的な預言はいつもパターンであり、複数の成就があります。しかし、それぞれの成就は最終的な成就の象徴であり型でもあります。これはアブラハムについても真実です。彼の経験はユダヤ人と信者たちによって再現されました。私たちはエジプトから出るのです。
アブラハムへの契約
神はアブラハムへ 5 つの契約を与えられました
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アブラハムの名を偉大なものとすること(これは確かに起こったことです)
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彼にその地を与えること(これも起こっています)
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彼を国民とすること(これも起こっています)
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神はまたアブラハムを祝福する者を祝福することを約束されました。これは後にヤコブ、アブラハムの子孫へと継承されました。
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神はアブラハムとその子孫をのろう者をのろうと言われました(これはいつでも起こってきました)
二つの要因のために、ずっと昔に下るはずだった神の裁きはアメリカに下りませんでした。ひとつは、奉仕や伝道、慈善活動などに使われているドル全体の 5 分の 3 が北アメリカか ら来ていること。もうひとつは、他の国々にましてアメリカがユダヤ人を優遇してきたこ とのためです。オランダもアメリカと同じです。オランダで起きている不品行は信じがた いものですが、この国はホロコーストにおいてユダヤ人を保護したのです。唯一このこと のために神の御手が下らないでいると私は確信しています。アムステルダムに行ったこと がある人なら、なぜこの国に裁きが下らないのか不思議に思うことでしょう。
何があったとしても、神はユダヤ人を祝福する者を祝福し、ユダヤ人をのろう者をのろいます。ナチスがドイツでの支配権を握ったとき、映画『シンドラーのリスト(1993 年)』を見た人なら分かるのですが、彼らはユダヤ人の居住地(ゲットー)の周りに壁を建てました。そして、その壁を乗り越えようとしたユダヤ人は誰でも機関銃で打たれました。その後に何が起こったでしょうか?ナチスの第三帝国が崩壊すると帝国の首都ベルリンに壁が建てられ、それを乗り越えようとするドイツ人は誰でも機関銃で打たれました。その壁は
シュパンダウ刑務所でルドルフ・ヘス(ナチ党副総裁)が亡くなるまで倒されることはあ
りませんでした。1930 年代から 40 年代に行われたことに責任がある最後のナチ党員が死ぬまで、その壁は倒されなかったのです。
私の祖父母はイギリスで生まれました。大英帝国は当時世界を制していました。もし彼らに大英帝国に太陽が沈む日がやってくると言ったなら、彼らは笑い飛ばしていたことでしょう(植民地が世界中にあることから“太陽の沈まない国”と呼ばれていたからです)。しかし、イギリスはユダヤ人に帰還を約束していながらバルフォア宣言を破棄し、ユダヤ人が強制収容所に行くことを余儀なくしました。ホロコーストが公になった戦後であっても、イギリスはキプロス島の収容所にユダヤ人を閉じ込め、イスラエルに戻れなくしました。それはイスラム教徒を刺激しないためです。現在、イギリスでは 24 時間ごとに日が沈んでいます。私はそれをよく知っています。そこに暮らしているからです。
スペインでは異端審問がありました。スパニッシュ・メイン(スペインの領地)と呼ばれるものがあったように、スペインは世界の偉大な勢力であり、異端審問があるまでは新世界において傑出した国家でした。1492 年にコロンブスが新大陸を発見し、その直後ローマ・カトリック教会の命を受けてフェルナンド 2 世とイザベルのもと異端審問が始まりました。それが始められてからというもの、スペインの無敵艦隊がフランシス・ドレークに沈められ、イギリスが覇権を握るのに時間はかかりませんでした。
『あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう』のです。
アブラハムの子
ここで言っておきたいのですが、これはユダヤ人と何の関係もありません―むしろアブラハムと結ばれた神の契約のためなのです。そうすると、教会に関してもこのことは真実ではないでしょうか。信者たちもアブラハムの子だからです。教会を祝福する国は祝福を受け繁栄し、それをのろう国は神の裁きのもとに置かれてきました。東ヨーロッパを見てみるとそれは明らかです。
反ユダヤ主義と教会の迫害はほぼ表裏一体の関係を成しています。なぜなら、この 2 種類
の人たちだけが聖書において“主に選ばれた者(”と呼ばれているからです。
詩篇 105 章 6 節、2 テサロニケ 2 章 13 節)
わたしは、おまえと女との間に、
また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く…(創世記 3 章 15 節)
この“女”はイスラエルですが、ひいては教会もその中に含まれています。サタンがいつ
でも嫌ってきた 2 つの人種はユダヤ人と新生したクリスチャンです。なぜなら彼らがアブラハムの子孫であり、“神の民”と呼ばれる者たちだからです。
鉄のカーテンが無くなるまで、共産主義者たちがロシアで最も嫌っていた人たちとは誰で しょう。ユダヤ人と新生したクリスチャンです。ローマ・カトリック教会が最も迫害した のは誰でしょうか。ユダヤ人と新生したクリスチャンです。イスラム教徒は誰を最も嫌っ ているでしょう。ユダヤ人と新生したクリスチャンです。東方正教会も同じ有様でしょう。神はアブラハムの血のつながった子孫、そして信仰による子孫を祝福する者を祝福し、ま たのろう者をのろいます。ユダヤ人と教会をのろう者は神のひとみに触れる者なのです
(ゼカリヤ 2 章 8 節)。しかし、ここで話は終わりではありません。
私たちの旅でもある
アブラハムは旅をしましたが、その旅は私たちの旅でもあります。創世記の記述では、その旅はハランにおいて彼の父が死んだとき始まったとあります。そのときアブラハムが神の召しに応えました。しかし、新約聖書によるとそのときが旅の始まりではないのです。神の召しはカルデヤのウルから始まっていました。
カルデヤのウルはおよそバベルの塔が建てられていた場所です。そして後にバビロン帝国 が興った場所でもあります。アブラハムの父は偶像を作って生計を立てていました。それ はユダヤ人の伝承であるタルムードから分かります。彼の父は偶像の彫刻家だったのです。タルムードの中にはひとつの逸話が残されています――これはただの逸話です――アブラ ハムは金槌(パティーシャ)を取って父のものであった偶像を全て叩き壊しました。しか しその中の一体だけを残しておいて、その偶像に金槌を持たせておきました。やがて父の テラがそれに気づいて「誰がこの神々をみな殺したのだ」と言いました。「あの神がやっ たのです、金槌を持っているあの神が」と言うと「そんなわけがない!あれはただの石の 欠片に過ぎず命も持たず、その中に息も無いではないか!」と言いました。そこでアブラ ハムは言ったのです、「その通りです、お父さま―おっしゃる通りです」これはタルムード からのただの逸話ですが、アブラハムの父は偶像の彫刻家だったのです。
父が死ぬという重大な局面にさしかかり、やっとアブラハムは神の召しに応えたのです。それはカルデヤのウルにいた時から、若いころから与えられていた召しでした。
同じことが多くの人にも起こります。神は人を引き寄せ、絶えず呼びかけていますが、人
生の危機に直面するまで人は神の恵みと召しに応えようとしません。それはときには、親
しい者との死別であったり、生活が立ち行かなくなったり、健康を損なうことまたはそれらが合わさったものであったりするでしょう。神は絶えず呼びかけています。人がそれに応じようとしないときでも、神は何とかして救おうとされています。神は不幸な出来事を通してでも救おうとされるのです。
神は人々をあらかじめ知っておられます(ローマ 8 章 29 節)。私はカルヴァン主義者ではありませんが、神は私たちを世のはじまる前から知っておられ、胎の中から、子どものうちから私たちをみもとに引き寄せています。人が生まれ変わり、その人が主イエスの救いの知識に達し最初に救われたとき、未来に待っていることや現在起きていることの意味が理解できるようになるだけではありません。過去の事柄さえ明らかになるのです。目が開けたようにすべてが分かります。人が主を信じると、過去の人生がなぜそのように導かれてきたかが分かります。頭の中でははっきりとしなかったこと、ベッドで寝る前に頭の中をかけめぐっていたようなこと、あなたの経験や何気ない印象、それらは以前何の意味も成しませんでした。何らかの抽象的な側面があったのかもしれませんが、ただ何を示しているかが分かりませんでした。しかし一旦あなたは救われると、「はじめからずっと導いてくれたのは神なんだ。御子を通して神を知ったこの時この瞬間まで導かれたのは」と気付きます。人が生まれ変わると、未来に待っていること、現在に起こっていることの意味が分かるだけではありません。過去にあったことでさえその意味が分かるのです。神はずっと初めから私たちを導いています。
しかし、ちょうど父アブラハムがそうであったように、私たちが神の恵みとその召しに応えるためには人生の危機が必要なことが多いのです。その後に真実の旅が始まります。
家族から離れることはとても困難なことですが、多くの場合福音はそれを要求します。こ れはユダヤ人にとって真実なことです。またイスラム教徒たちの中にあっても真実です。 しかし、そのことで苦しんでいたローマ・カトリックや共産主義者の家族、ギリシャ正教、ロシア正教の家族の中にいる人たちを私は知っています。パウロは 2 テサロニケの手紙で 異邦人さえもユダヤ人が自分の家族から受けたような非難を受けたと書いています。イエ スは分裂をもたらすために来ました(ルカ 12 章 51 節)。救われた家族がいることは素晴 らしいことです。しかし死は家族を分かちます。家族とずっと一緒にいるためには彼らも 救われなければならないのです。
アブラハムは旅を始めました。主と会ってから最初に滞在した場所はシェケム(Shakem)でした。“シェケム”とはヘブライ語で“肩”を示す言葉です。これは身体の肩という意味ではなく、重荷を負うところという意味です。その地は現在のナブルスの町に近くにあ
りました。アブラハムはそこである樫の木の下に宿りました。“モレの樫の木”です。“モ
レ”とは現代ヘブライ語では“教師”ですが、古代ヘブライ語では“知識”を表す言葉で、特に神の知識を表していました。
木の象徴
ユダヤ人のミドラッシュ(聖書の解釈)において、木の下に宿ることが何かを理解する必要があります。
第1世紀のユダヤ人がヨハネの福音書――1 章・2 章・3 章を読んだなら、これは創世記の創造に対するミドラッシュであると言ったことでしょう。ヨハネ 1 章・2 章・3 章での“新しい創造”は創世記 1 章・2 章・3 章での創造に対するミドラッシュです。
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神は最初の創造において地を歩いていました(アダムが園で神が歩くのを聞いたことを思い出してください。それはイエスです)今度は神はヨハネの福音書の新しい創造において地を歩いていました。ことばは人となったのです(ヨハネ 1 章 1節)。
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創世記で神は暗やみと光を分けました。今度はヨハネの福音書では神は新しい創造において、暗やみから光を分けにやって来ました(ヨハネ 1 章 5 節)。
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創世記では水の上に神の霊があり被造物を生み出したとあります。水と霊によって生まれた者(ヨハネ 3 章 15 節)、神は新しい創造ではいのちを水から引き出しました。
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創世記では小さな光と大きな光がありました。一方で新しい創造では“ヨハナン・ハマトビル Yochannan Hamadvil”――小さな光であるバプテスマのヨハネがいて、“イェシュア・ハマシア Yeshua HaMashiach”――大きな光であるイエスがいました。一方は他方の証をし、受けた光を反映します(ヨハネ 1 章 8節)。
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創世記の創造の 3 日目に神は水に関するしるしをなされました。ヨハネ 2 章 1 節
を見てください、カナで結婚式があったときそれは 3 日目であったと書いてあります。神はそこでも水を用いたしるしをなされました。
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神は人の創造の計画を結婚において、アダムとエバの結婚のつながりにおいて始められました。そこで今度は神は人に新しいいのちを与える計画をカナの結婚において始められたのです。イエスの公の奉仕は結婚式で始められました(ヨハネ 2
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章 11 節)。
このように第 1 世紀のユダヤ人はヨハネの福音書を読んだことでしょう。新しい創造はかつての創造に対するミドラッシュなのです。
ここでヨハネ 1 章を見てみると次のようにあります、『ナタナエルはイエスに言った。「ど
うして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ
前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」』(ヨハネ 1 章 48 節)ナタナエルが実際にどんないちじくの木の下にいたかということは、ミドラッシュでは“ペシェット(peshit)”――単純な意味として知られています。(これはグノーシス主義ではありません。グノーシス主義は象徴を教理の基礎にするのに対し、ミドラッシュでは教理を例えをもって理解を深めるために象徴が使われます)そのペシェットでは「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た」という意味ですが、“ペシェル(pesher)”――より深い意味は
「わたしはあなたをエデンの園から、世の創られた時から見ていた」ということなのです。ユダヤ教でいのちの木は“エツ・ハイーム(Ets Chayim)”と呼ばれ、いちじくの木に象徴 されます。とすると、イエスが言おうとしていたことは、「生まれつきのいのち、または 新しく与えられるいのち、どちらが良いですか。わたしはあなたをエデンの園から、世の はじまりから知っていました。わたしはあなたをいのちの木の下で見たのです」というこ とです――エツ・ハイーム、いちじくの木です。
アブラハムは樫の木の下にいました。“樫の木”はヘブライ語で“エロン(Elon)”といい、とても硬い木です。また強度のある材木であり、力のある木です。聖書の中で人が木の下に宿っているのを見たら、それはいつでもユダヤ人のミドラッシュを用いた象徴だと考えるようにしましょう。サウル王が殺される前には彼は柳の木の下にいました(1 サムエル
22 章 6 節)。エリシャが失意の内にいたとき彼はえにしだの木の下にいました(1 列王記
19 章 4 節)。アブラハムはというと彼はモレの樫の木の下にいました――アブラハムは神の知識による力の場所にいたのです。
“シェケム”は自分の重荷を下ろし、神を初めて知る場所です。そこにアブラハムは祭壇を作りいけにえを捧げました。神との関係が変わるとき、私たちはいつでも祭壇を作ることが求められています。ヘブライ語で祭壇は“ミツァベアク(mizbeach)”と呼ばれ、ただひとつの目的のために作られます。それはいけにえを捧げるためです。捧げることがなければ、何の進歩もありません。
シェケムからベテルへ
これまでのところは順調でした。彼はシェケムに来ました。それから次の場所へ移りました。次の滞在場所はベテルと呼ばれる地、ヘブライ語で“ベイト・エル(Beyth El)”――
“神の家”という場所です。人が主について知り始めると普通最初にすることは教会に行くことです。ベテルは西にあり、またアイと呼ばれる地がその東にありました。“アイ”はヘブライ語で“廃墟の山”という意味です。アブラハムはベテルにおいてもうひとつの祭壇を作り、東に背を向けました。東は彼が生まれた地であり、バベルの塔、バビロンが
あった方角です。自分の過去、東の地、生まれた地は廃墟の山となり、今彼は神の家に顔
を向けていたのです。これは大祭司がいけにえを捧げるときと同じでした。大祭司は東、バビロンに背を向け西に顔を向けました。そこでアブラハムはもうひとつの祭壇を作り、再びいけにえを捧げました。
教会に来るということは何かを失うということを意味します。私は献金袋に入れる物のこ とだけを言っているのではありません――自分の過去に背を向けるということがそれです。昔の友人はただの知り合いとなり、彼らと関わるのは証をするためだけとなるのです。自 分が持っていた昔の興味や関心などは、少しの間捨て去らなくてはならないかもしれませ ん。
私は伝統的な賛美歌以外どんな種類の音楽も聴くことができませんでした。なぜかという と、私は音楽に入り込んでいたからです。特にロックやクラシックに凝っていました。そ れに加えて私は薬物をしていたのです。それらの音楽は麻薬を吸っていたときに聴いてい たものでした。私は 2、3 年ほどその音楽を聴くことができませんでした。数年たって自分 の信仰が成長してからは何の影響も無くなり、私の目をそらせるようなことはしませんで したが、音楽はしばらくの間祭壇の上に置かれなくてはならなかったのです。それは私の 目をイエスからそらせるもとだったからです。信仰が成長してからは問題ではありません。今の私にとってはただの音楽です。成長してから音楽は何の問題でもなくなりましたが、 その時期の私にとってはひとつの誘惑でした。祭壇に置かなくてはならないのは皆同じも のではないでしょうが、何かを祭壇の上に置かなくてはならないことは確かです。私たち は過去に背を向けます。もちろん罪に背を向けることは明らかですが、私たちは何かを失 うのです。
そこまでは良かったのです。しかし、ベテルまで一度も達しない人がいることを知っているでしょうか。私はそのような人を“シェケムの住人”と呼んでいます。彼らは福音を理解し信仰の告白をしたかもしれませんが、そこまでなのです。そこから先に進まない人たちです。
私はロンドンにいる“シェケムの住人”を知っています。彼はイギリスのスピーカーズ・コーナーにいます。そこで私もイスラム教徒にやじられたりしながら日曜の午後に今でもときどき伝道しています。彼の名はロバートといって、とてもいい人です。いつも大きな看板を前と後ろに下げていて、イギリスではそれを“サンドイッチ・ボード”と呼んでいます。その板には「キリストが私たちの罪のために死なれた」と書かれており、彼はスピーカーズ・コーナーを歩き回っています。そこの伝道者たちはお互いのことをよく知っているので、私は彼に言いました、「ロバート、私はもう行かなければならないよ。教会で
午後の礼拝があるんだ」そう言うと彼は私の教会がどんな教会かと尋ねてきたので、説明
しました―その当時はロンドンのバプテスト派の教会に通っていました。「君はどんな教会に行ってるんだい?」と私が聞くと、ハイ・アングロ・カトリック教会だと言ったので、
「福音的な教会に行ったらどうなんだい?」と私は言いました。「そうだな、福音的な教会に一度行ったことがあるけど、皆すでに新生を経験している人ばかりなんだ、私が伝道すべき人はそこにはいないよ」このようなことを彼は真剣に言っていたのです。彼は福音を知っていましたが、彼の知っていることはそれだけという様子でした。彼は一度もベテルに行ったことがないのです。
アブラハムはベテルに行き、祭壇を作り自分の過去に背を向けました。しかし、何かが間違った方向に向かってしまったのです。
エジプトに下る
マタイ 13 章を見ると種はいくつかの違った土の上に落ちたとあります。悪魔は人を信仰からそらせ堕落させるために、肉の欲や若いときの情欲やそのようなものを使えないと分かったなら、他の方法で向かってきます。それは何らかの危機や不幸な出来事です。悪魔はあなたに自分の運命は自分で切り開かなければならないと感じさせます。つまり逆境の時には神があなたを捨て去ってしまったと感じさせるのです。そしてあなたは自分で決定を下し始めてしまうのです。幼い信者がこのように悪魔に説得されてしまうのは容易なことです。
人は最初救われたとき“はじめの愛”(黙示録 2 章 4 節)を持ち、自分はすぐマタイやマルコ、ルカ、ヨハネのようになれると感じ、出て行って奇跡を行えると思います。何でも可能だと思ってしまうこともよくあります。彼らははじめの愛を持ち、熱意に動かされていますが、彼らには経験も無ければ多くの知識もありません。自分が何でも知っていると考えていても、本当は何も知らないのです。しかし数ヶ月後に試練がやって来ると自分の知っていたことはとてもわずかであったと気付きます。救われたばかりの人ははじめの愛を持っています――それは彼らがいて持って当然のものであり、私たちが無くしがちなものです。しかし彼らは知恵や経験、知識を持ち合わせていません。そのため彼らは困難に陥るのです。
アブラハムはそこでどうしたのでしょうか?エジプトに下りました。エジプトは何の象徴でしたか?世の象徴です。
イザヤ 30 章を見てください。エジプトに下ることについてイザヤはどう語っているのでしょうか。ヒゼキヤ王は良い王でしたが、役に立たない助言を受けていました。彼はその戦略において危機に瀕していたのです。東側からはアッシリヤが侵略し、他方からはエジプトが来ていました。ヒゼキヤは二つの超大国に挟まれていたのです。そこで彼はエジプトに下ることを勧める助言を受け入れました。預言者イザヤはそのようなことを言う者たちに警告していました。危機の中で自分たちの知恵によってエジプトに行こうとすることに関してです。イザヤ 30 章 1 節には次のようにあります。
ああ。反逆の子ら。――主の御告げ――
彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず、
同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えるばかりだ。
注意してください。エキュメニズム(教会統一運動)に傾倒している人たちは神の霊によらず同盟を結んでいるのです。その人たちはエジプト、この世の宗教のもとに行ってしまいました。
彼らはエジプトに下って行こうとするが、わたしの指示をあおごうとしない。
パロの保護のもとに身を避け、エジプトの陰に隠れようとする。 ―2 節
彼らがエジプトに行くことではなく、主の指示をあおぐことなく行ったことが問題だったのです。世とどんな関わりを持つことがあっても、主の知恵と導きを受けてからでなければなりません。世の法律の制度と関わりを持つとしても、主の導きを受けなくてはなりません。世の金融制度、世の保険制度、学校制度と関わりを持つとしても――世と関わりを持つときはいつでも主に指示をあおぐ必要があります。私ならアスピリン(鎮痛剤)を飲むように勧めるなら、祈ること無しにすることはないでしょう。世と関わりを持つときはいつでも主に指示をあおぐ必要があるのです。しかしヒゼキヤはそうしませんでした。危機に陥ると肉の性質はそれ自身が強いと感じるものに引き寄せられます。それはこの世です。
しかし、パロの保護にたよることは、あなたがたの恥をもたらし、エジプトの陰に身を隠すことは、侮辱をもたらす。 ―3 節
誰であれ世に向かって行ってしまうなら、結局自分が侮辱を受ける状態になります。信仰を捨てた者はいつもそうなります。この上ない侮辱を受けることになるのです。アブラハムに起こったことを見てください。彼はとても悪い状態になり、実際に他の男に自分の妻
を性的に渡すまでになっていました。
同じままではいられない
イエスに会ったなら同じままであり続けることは出来ません。一旦主を知ったなら、その人はより良くなるかより悪くなるかのどちらかです。しかし、同じままであり続けることはありません。もし、人が世に戻ってしまったなら、その人の道徳水準は救われる前よりずいぶんと低いものとなります。
ただそうなるだけではなく、侮辱を受ける状態に陥ります。イザヤ 31 章 1 節には次のようにあります。
ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。
彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。
しかし主は、知恵ある方、わざわいをもたらし、みことばを取り消さない。 主は、悪を行なう者の家と、不法を行なう者を助ける者とを攻めたてられる。エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も、肉であって霊ではない。主が御手を伸ばすと、助ける者はつまずき、
助けられる者は倒れて、みな共に滅び果てる。
エジプトに助けを求めても無駄です!馬の力は肉であり霊ではありません。古い性質は絶えず肉に目を向けます。それは世が強いと考えるものに傾くのです。お金や政治権力、影響力、名声。世に関わろうとするなら、そして神が世のものを使うのなら、神の考える通りにそれがなされます。世が主導権を握ることはありません。世と関わりを持とうとする時はいつでも主のみこころが必要です。逆に肉はこの世のものに頼ろうとします。肉は世が強いと考えるものに傾くのです。
アブラハムは肉に頼っても助けにならないことを苦しみながら学びました。彼が進んで行った地域は古代にはシュルの荒野として知られていました。シュルの荒野は、簡単に言うと、西にはシナイ砂漠があり東にはネゲブがある地域です。それはとても長く暑い気候が続く“ミツライム”(エジプト)までの長い旅でした(ヘブライ語ではエジプトのことを“ミツライム”といいます)。後に彼はずっとベテルまで戻って来たとあります(創世記 13 章
1 節)。
初めの旅を再開すること
人は自分が落ちた所から始めなければならないことを知っているでしょうか。彼は本当な らその旅でより遠くへ行き、神が望んでいる場所にたどり着くことが出来たはずです。し かし、彼は自分の時間を無駄にしてしまったのです。信仰を捨ててしまう者は自分の時間、人生を無駄にしてしまいます。永遠に比べると 10 年や 20 年は大した長さではありません が、多くの人がこの世の中で過ごす80 年や90 年と比べると、10 年、20 年は無駄にするに はとても長い時間です。信仰を捨ててしまう者は自分の時間を無駄にします。特に若さを 無駄にしてしまいます。そしてそれは何の良いものを残しません。侮辱を受けるような状 態に行き着くのです。彼らに残された道はエジプトを出るか、そこで死んでしまうかのど ちらかです。それから自分が落ちた所から始めるのです。その失った時間は帰っては来ま せん。ベテルへ戻るのです。
アブラハムはその旅を再開し、最初に進むべき道に着きました。ベテルからより南へ進んで行き、ユダの山地を通り、サマリヤの山間部からそこまで来ました。ベテルからヘブロンへの旅は長く、非常に困難なものです。しかし、ずっとエジプトまで行きそこから戻って来ること程難しいものではありません。アブラハムはヘブロンに来ました。“ヘブロン”とはヘブライ語の“交わり”という言葉――“ヒート・ハ・ブルット(heet ha brut)”から由来しています。ヘブライ語で交わりという意味の“ヒート・ハ・ブルット”とは “組み合わされたレンガ”という意味を持っています。ペテロが1ペテロの手紙 2 章 5 節でこれを引き合いに出しています。私たちが神殿の石であり、教会は神殿です。私たちが“生ける石”なのです。
シュロの主日にイエスが東の門から神殿の丘に来られたとき、人々はハレル・ラバー
(Hallel Rabbah)を彼に向かって歌っていました。(詩篇 113 篇から 118 篇)――「ダビデの子にホサナ」最高議会(サンヘドリン)の人たちはイエスに彼らを黙らせるよう言いました。そうするとイエスは、『もしこの人たちが黙れば、石が叫びます』(ルカ 19 章 40節)と言われました。彼がユダヤ人のミドラッシュを用いて言おうとしていた事はこれです。「もし、ユダヤ人がわたしをメシアとして宣言しなければクリスチャンがそうする」ということです。バプテスマのヨハネは、神はアブラハムの子を石からでも起こすことが出来ると言いました(マタイ 3 章 9 節)これはアブラハムの子としてクリスチャンが起こるということです。
ヘブロンは交わりの場所です―石がかたく組み合わされているのです。
ある建物の中に入って牧師に話しかけたとしましょう。「とても素晴らしい教会ですね。
よく出来ています。しかし、多くのレンガが壁から抜け落ちていますよ。この部分に入る
レンガはどこにあるのですか?」彼はこう答えます。「そこにあります――床の真ん中に積み上げられているのです」床の真ん中に積み上げられているレンガに何の良い所があるでしょうか?レンガがその役割を果たすには壁にはめ込まれ、他のレンガと固定されるしかありません。教会に来るのはひとつのことです。しかし、交わりに入るのはまた別のことなのです。
ヘブロンへはとても長い、山々を通る困難な道です。ヘブロンへ着くとアブラハムはそこ で祭壇を作りました。交わりに入りたいと思うなら、何か犠牲を払わなくてはなりません。誰でも教会へ来て、賛美歌を歌い、十分の一を払い、ささげる物を持って行き――「こん にちは兄弟、お元気ですか?また来週会いましょう」と言うことは出来ます。それは誰で も出来るのです。
そうするのが悪いわけではありません。救われて間もない者はベテルに来ます。しかし、ベテルに留まるのは間違っています。あなたはヘブロンに来て、交わりに入らなくてはなりません。なぜならその交わりの場所においてアブラハムはもうひとつの樫の木、マムレの樫の木の下に宿ったからです。(これは現在の西岸地区キルアテ・アルバの近くです。そこでは争いが絶えません。またマクペラのほら穴といって族長たちが葬られた場所があります)ヘブライ語で“マムレ”とは“頑丈さ”や“活力”という意味であり、マムレの樫の木は“力の樫の木”です。彼がヘブロンに着き、マムレの樫の木の下に宿ってから、彼はやっと親類のロトを救い出すのに戦略的に有利な立場になりました。彼はロトを救うのにベテルに留まってはいられず、ロトがいた近くのヘブロンまで行かなくてはならなかったのです。
教会から交わりへ
私たちは自分の家族や隣人、友達、同郷の人が異教から――約束の地にいるカナン人から救われることを願います。ニューエイジやイスラム教、カルト、偽のキリスト教から救われてほしいのです。しかし、教会に行くだけではそれを成し遂げることは出来ません。
私は長年中東で宣教師をしていました―注意して聞いてください。この世に次のような教会はひとつとしてありません――私はギリシヤ語の“エクレーシア(eklesia)”という意味で言っているのではありません。“集まり”という意味で言っているのです――この世にモスクを相手にして勝ちを収められる教会はひとつもありません。聞こえたでしょうか?この世にモスクを相手にして勝ちを収められる教会はひとつもありません。もし、モスクを相手にするなら交わりとならなければなりません。イスラム教に挑戦するならあなたは
頑丈さを持ち、活力に溢れ、真の強さを持った場所にいなければならないのです。
この世にひとつとしてモルモン教やエホバの証人に挑戦して勝てる教会はありません―彼らの献身の度合いはすごいものだからです。彼らはだましごとに対して熱心です。それは多くのクリスチャンが真実に対して持つ熱心さよりも勝っています。どの教会もエホバの証人の会館や、モルモン教の神殿に挑むことは出来ません。どの教会であってもそれに受けて立つことは出来ません。しかし、交わりは勝つことが出来ます――教会には出来ません。
ベテルは無に帰する
あなたはベテルかヘブロンのどちらにいますか?ベテルに滞在しているなら問題があります。アモス 4 章 4 節には次のようにあります。
ベテルへ行って、そむけ。
ギルガルへ行って、ますますそむけ。
朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。感謝のささげ物として、種を入れたパンを焼き、
(種を入れたパンとは罪や間違った教えなど)
進んでささげるささげ物を布告し、ふれ知らせよ。
ベテルに行ってそむくとはどのようなことでしょうか?十分の一やささげ物を持って来るが、種を入れたパンを持ってくる人たちです。
イスラエルの子ら。あなたがたはそうすることを好んでいる。
――神である主の御告げ――
プリマス・ブレザレンよ、あなたがたはそうすることを好んでいる!ペンテコステ派よ、あなたがたはそうすることを好んでいる!長老派よ、あなたがたはそうすることを好んでいる!バプテスト派よ、あなたがたはそうすることを好んでいる!
「私は教会に通っています!そして十分の一も献金して…」それには霊的な傲慢さ、罪、間違った教えなどのパン種が入っています。「私も教会に通っているんですから大丈夫です!自分の奉仕をし、十分の一の献金もしているので問題は無いはずです」肉は宗教を愛
しています。古い性質はいつもルールを守り、律法の下に戻ることによって自分を正当化
しようとします。アモス 5 章 5 節を見ると、
ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバにおもむくな。
(これらの地名は全てヘブライ語で深い意味を持っています)
ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するからだ。
この箇所の意味することに気づいたでしょうか。“ベテルは無に帰する”のです。教会はあなたの期待はずれのものとなります。それが今すでに起こっていないのなら――遅かれ早かれ私は間違いなく保証します――教会はあなたを失望させるものとなるでしょう。そうなる理由は教会がちょうどあなたや私のような人たちでできているからです。教会はあなたを失望させます。教会は存在し続けることが出来ません。“ベテルは無に帰する”のです。交わりこそが存在し続けるものです。
この集会の中にルーマニアで共産主義者の下にいたクリスチャンが幾人かいます。教会はそこでは意味を成していませんでした。共産主義の警察がどんな教会でも一掃していたのです。交わりこそが存在し続けます。それは献身、共同体、家族といった意識を持つ人たちです。お互いのためならあえて危険を冒すような人たち、このようなことが迫害の下で生き続けるのです。迫害はイエスが戻って来る前に、私たちが民主主義だと思っている国にさえやって来るでしょう。“ベテルは無に帰する”のです。
教会の中に安全はありません。ヘブロンが安全なのです――そこに強さが宿ります。そこがマムレの樫の木が育つ場所です。
ベテルの住人
“ベテルの住人”とはどのようなものなのでしょう?彼らを見分けるには多くの方法があります。もちろんそのひとつは、日曜の朝に教会には来るが夕拝には来ない人たちです。仕事や病気の子どもがいたりするような妥当な理由は別です。しかし、そのような人たちはフットボールを録画して家に帰って見るより今見たいのです。これが“ベテルの住人”です。また、日曜に来て割り当てられた仕事をこなすが、週の中ごろの集会には来ない人たち。特にいつもそうである人たちです。病気の子どもや仕事上の責任などは妥当な理由ですが、そこに居たくないがために言い訳をする人たちがそうです。この人たちは問題を
抱えています。彼らの優先順位は間違っています。
確実に“ベテルの住人”を言い当てる方法があります。“ベテルの住人”の見分け方をお教えしましょう。それは救われて5 年、10 年、60 年もしくはそれ以上経っているが、自分が“目”であるのか“足”であるのか、または“手”であるのかを知らない人たちです。その人たちは自分の賜物が何であるのか、奉仕は何なのか、自分が教える賜物を持っているのか、伝道の賜物を持っているのか、助ける賜物を持っているのか――自分の賜物が何か分からないのです。彼らは自分が壁のどこに合うのかが分からないので、床の上のレンガのままでいるのです。教会には来ます。そして十分の一を献金し、賛美歌を歌い、言うのです。「また来週会いましょう」これが“ベテルの住人”です。
西洋世界のクリスチャンのほとんどが“ベテルの住人”です。西洋世界で私が訪れるほとんどの教会では、祈りを15%の人が85%行っています。祈祷会を呼び掛けて何人集まるかを見てください。15%の人が85%の奉仕を行っています。15%の人たちが85%のささげ物をしているのです。これは量の問題ではなく、能力についてその割合について言っているのです。15%の人が交わりに入っています。しかし他の人は教会に行っているのです。
“ベテルは無に帰”します。私はこのことに笑っていられません。しかし、ベテルは無に帰します。私は教会があなたを失望させると言っているのです。そして終わりの日には私たち全てを失望させるでしょう。
教会に来るだけでは何も得ることは出来ません。幼い信者ですか?教会に来てください。しかし、後に交わりに入りその祭壇を作らなくてはならないのです。交わりに入るには何かを犠牲にしなくてはなりません。それは時間やお金であったり、霊的な戦いがあるでしょう――代価が必要なのです。祭壇が無ければいけにえは捧げられません。そしてささげ物が無ければ進歩は無いのです。
私たちはみなこの地図のどこかにいる
アブラハムの旅の地図を見てみましょう。全ての人がこの地図の上にいます。外にいる保育園や教会学校の子どもたちでさえも――彼らは気付いてはいないでしょうが、カルデヤのウルにいるのです。両親の信仰を通して、彼らはすでに主によって救いの道に導かれています。神はすでに彼らを召しておられるのです。私たちは幼児に洗礼を授けることはしませんが、神はクリスチャンの子どもたちを世の子どもたちと違うように見ておられます。
あなたはハランにいて、何らかの危機に直面しているのかもしれません。まだ生まれ変わっていなかったり、イエスを受け入れていない人はこれを何かの理由があって読んでいることでしょう。それはあなた自身の理由ではなく、神の意思のためです。あなたの人生の目的は何であるか分からないでしょう。しかし、あなたがイエスに立ち返ると明らかになります。なぜならクリスチャンになることはとても簡単だからです。おそらく今読んでいることは難しいかもしれません、しかし、あなたが生まれたとき何も知らなかったように
――次第に学んでいきます。生まれ変わったときも同じことが起こります。進んでいくうちにより学んでいくのです。生まれることが簡単なら、生まれ変わることも簡単なのです。
私はここでアメリカの TV で見られるような、詐欺じみた説教者たちのうそや、くだらな いことを指して言っているのではありません。彼らが教えているのは生まれ変わることで はなく、巧妙なうそです。私は福音について語っています。福音は分かりやすいものです。もし、あなたに子どもがいるのなら、自分の子どもに抱くような愛、神はそのような愛を 創造しあなたをどんなに愛しているかを知らせようとされました。あなたが子どもを救う
ために進んで自分の命を犠牲にするように、イエスはあなたの罪のために十字架に向かい
ました。それが彼の行ったことです。私たちはみな神の愛に反抗し、神の権威を退けました。そして悪魔と呼ばれるこの世の神の下に自分の身を置きました。そのために人間の政治や経済政策はうまくいくことがなく、そのために私たちは環境を破壊し、このことのために結婚の関係は破綻し、私たちは良い人となりたくて良い事をしたいのに、悪いと分かっている事をしてしまうのです。それは私たちの性質が堕落しており、この世は邪悪な者の手の中にあるからです。
神にとって、ひとりの罪の無き人は全ての罪人より勝っています。このためイエスは全ての人のために死ぬことが出来ました。なぜなら、罪なきひとりの人はすべての罪人より価値があるからです。神は人となられて私たちの罪を取り去りました。私がしたすべての間違ったこと、あなたがしたすべての間違ったことは、神によってイエスの上に置かれたのです。そして神はイエスの義を取り、それを私たちに与えられました。また、イエスが死者から復活されたように、イエスはまた私たちを死者から復活させ永遠のいのちへと導きます。これが福音です。
あなたは罪から立ち返らなければなりません。神にそれを行うための力を求めると、あなたは与えられます。神は私をコカイン中毒から救ってくださいました。それは大学にいた時のことでひどい中毒でした。悪魔は私の人生を捕らえていましたが、イエスは悪魔よりもさらに力強い方で、コカインよりも強力な方でした。彼が私にされたことは誰にでもなされます。あなたのためにそれをされます。あなたが求めると神は罪から立ち返る力を与えてくれるでしょう。神はあなたの罪を取り、彼のいのちを与えられるのです。
あなたが神を知らなければハランにいます。人生の危機の中にいます。今にでもあなたは死からいのちへと移ることが出来ます。地獄に行かず、裁きにも会わず、今アブラハムの子どもとなれるのです。
あなたは教会に来ていてベテルにいるのかもしれません。悪魔も毎週教会に来ます。彼は非常に宗教心にあついのです。悪魔は宗教をもって人々を地獄に連れて行きます。彼は麻薬や薬物乱用、ギャンブルの中毒を合わせたものよりも宗教を使うのです。宗教は一種の麻薬です。
歴史の中で最も影響力を持っていた人は二人ともユダヤ人でした。カール・マルクスとイエス・キリストです。双方が認めることがあります。宗教は人類の歴史の中でなされた最大の詐欺であったということです。宗教はあなたに何の益ももたらしません。益となるのはイエス・キリストのみです。宗教は世界の問題の解決策ではありません。北アイルラン
ドを見てください――あれが宗教です。宗教は世界の問題の解決策ではなく、宗教こそが
世界の問題です。イエスが唯一の解決策なのです。
今あなたは間違った方向に進んでしまっているのかもしれません。この世の律法に従い、古い性質が好むもの、肉の欲、性的不品行、正しくない関係、薬物――それが何であっても、お金への愛であっても、間違った方向に向かってしまっているかもしれません。自分は神に見捨てられたと感じていることでしょう。神はそうされなかったのですが、そうされたようにあなたは感じ、横道にそれはじめ、自分の存在の意義を自分で握っていると考えエジプトに下ってしまったのかもしれません。この世に戻ってしまったのです。
そこでは何の希望もありません。あなたはただそこで侮辱を受ける状態に行き着くのみです。残された道はそこから出るか、そこで死ぬかのどちらかです。“うまくいった”背教者というものはありません。神学的に見て不可能なのです。あなたは人生を無駄にし、若さを無駄にしてしまっているのです――それ以外は何もありません。ベテルに戻り、主のもと神の家に戻り、あなたが落ちた所から始めなくてはなりません。
ベテルがほとんどの人のいる場所です。しかし、神は私たちがそこにいることを望んでいません。神はヘブロンにいることを望んでいるのです。それは私たちが床の上のレンガにならず、壁に固くはめ込まれた者となるためです。神はあなたがキリストのからだの中での位置を知ることを望んでおり、頑丈さと活力に溢れた場所に立って、暗やみの王たちから親類を救うことを望んでいます。これこそが神の望んでおられることです。
あなたはどこにいるのでしょうか?小さな子どもはカルデヤのウルにいます―これにはみなうなずくでしょう。しかし、あなたはハランにいてイエスをまだ受け入れずにいるでしょうか?そのような危機の中にいるのでしょうか?今日あなたの旅を始めることが出来ます。聖書は『あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。』(箴言27章1節)と言っています。今この時が約束の時です。今日こそが救いの日なのです。主を知らなければ私たちに連絡をください。主を知らないままでありつづけることがありませんように。
エジプトにいる人もいるでしょう。心から願います――神はあなたをとても愛しておられます。この人生は短すぎます。無駄にしないでください。何の喜びもない年月が近づいています。今この時は取り戻すことが出来ません。伝道者の書で「何の喜びもない」と言う年月が近づく前にと書かれています。創造者に立ち返ってください。
この中のほとんどの人、クリスチャンのほとんどが――少なくとも西洋では――教会にい
ることでしょう。クリスチャンの大半がベテルにいます。私はあなたの教会にひとつの希
望、ひとつの祈りがあります。これは私の望みであり、私の祈りです。教会のままであり続けることがありませんように。私の祈りはあなたの教会が交わりとなることです。
Book Of Ruth - Japanese
ルツ記
ジェイコブ・プラッシュ
ルツ記はユダヤ人のシナゴーグにおいて、ペンテコステの祭りに朗読されていました。その日は異邦人の教会の始まりの日でした。ルツ記は、イエスがペンテコステの日に異邦人の教会を起こし、キリストの花嫁としたように、富を持ち権力あるユダヤ人の男性が、異邦人の花嫁を取り彼女の地位を引き上げた話です。
『1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘム [“パンの家”という意味] の人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
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その人の名はエリメレク [わが神は王であるという意味] 。妻の名はナオミ。ふた
りの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、
-
ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。
-
ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた [モアブ人は出エジプトのとき、ユダヤ人に不当な扱いをしたので特に軽蔑されていました] 。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。
-
しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。
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そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。
-
そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。
-
そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、
-
あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
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ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」
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しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとす
るのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとで
もいうのですか。
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帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだ としても、
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それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」
ルツの忠実
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彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。
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ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」
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ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけない でください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
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あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
-
ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。
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それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか」と言った。
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ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。
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私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」
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こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。
[これが週の祭り(五旬節)にシナゴーグで朗読されていたもので、イスラエルにおいて大麦の収穫の時期でした]
ルツがボアズの畑で落穂を拾う
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ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった [ボアズとはヘブライ語で“彼の力のうちに”という意味で、それは神殿の中にあったひとつの柱の名前でもあります] 。
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モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで」と言った。3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
-
ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように」と答えた。
-
ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」
-
刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。
-
彼女は、『どうぞ、刈る人たちのあとについて、束の間で、落ち穂を拾い集めさせてください』と言い、ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」
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ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。
-
刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
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彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」
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ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
-
主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
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彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」
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食事のとき、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。
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彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。
-
それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」
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こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。
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彼女はそれを持って町に行き、しゅうとめにその拾い集めたのを見せ、また、先に十分食べてから残しておいたのを取り出して、彼女に与えた。
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しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという名の人の所で働きました」と言った。
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ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」 [近親者とは遠い親戚ということです]
-
モアブの女ルツは言った。「その方はまた、『私のところの刈り入れが全部終わるまで、私の若者たちのそばを離れてはいけない』と私におっしゃいました。」
-
ナオミは嫁のルツに言った。「娘よ。あの方のところの若い女たちといっしょに出かけるのは、けっこうなことです。ほかの畑でいじめられなくても済みます。」
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それで、彼女はボアズのところの若い女たちのそばを離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れの終わるまで、落ち穂を拾い集めた。こうして、彼女はしゅうとめと暮らした。
ボアズがルツを買い戻す
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しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。
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ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。
-
あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさ
い。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。
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あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてから入って行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」
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ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」
-
こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、7 ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。
-
夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。
-
彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」
-
すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。
-
さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。
-
ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。
-
今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」
-
こうして、彼女は朝まで彼の足のところに寝たが、だれかれの見分けがつかないうちに起き上がった。彼は、「打ち場にこの女の来たことが知られてはならない」と思ったので、
15「あなたの着ている外套を持って来て、それをしっかりつかんでいなさい」と言い、彼女がそれをしっかりつかむうちに、大麦六杯を量って、それを彼女に負わせた。こうして彼は町へ行った。
-
彼女がしゅうとめのところに行くと、しゅうとめは尋ねた。「娘よ。どうでしたか。」ルツは、その人が自分にしたことをみな、しゅうとめに告げて、
-
言った。「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」
-
しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていな
さい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょ
うから。」
ルツの結婚
-
一方、ボアズは門のところへ上って行って、そこにすわった。すると、ちょうど、ボアズが言ったあの買い戻しの権利のある親類の人が通りかかった。ボアズは、彼 にことばをかけた。「ああ、もしもし、こちらに立ち寄って、おすわりになってく ださい。」彼は立ち寄ってすわった。
-
それから、ボアズは、町の長老十人を招いて、「ここにおすわりください」と言ったので、彼らもすわった。
-
そこで、ボアズは、その買い戻しの権利のある親類の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。
-
私はそれをあなたの耳に入れ、ここにすわっている人々と私の民の長老たちとの前で、それを買いなさいと、言おうと思ったのです。もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。しかし、もしそれを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたをさしおいて、それを買い戻す人はいないのです。私はあなたの次なのですから。」すると彼は言った。「私が買い戻しましょう。」
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そこで、ボアズは言った。「あなたがナオミの手からその畑を買うときには、死んだ者の名をその相続地に起こすために、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買わなければなりません。」
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その買い戻しの権利のある親類の人は言った。「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。あなたが私に代わって買い戻してください。私は買い戻すことができませんから。」
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昔、イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、すべての取り引きを有 効にするために、一方が自分のはきものを脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける証明の方法であった。
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それで、この買い戻しの権利のある親類の人はボアズに、「あなたがお買いなさい」と言って、自分のはきものを脱いだ。
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そこでボアズは、長老たちとすべての民に言った。「あなたがたは、きょう、私がナオミの手から、エリメレクのすべてのもの、それからキルヨンとマフロンのすべてのものを買い取ったことの証人です。
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さらに、死んだ者の名をその相続地に起こすために、私はマフロンの妻であったモアブの女ルツを買って、私の妻としました。死んだ者の名を、その身内の者たち
の間から、また、その町の門から絶えさせないためです。きょう、あなたがたはそ
の証人です。」
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すると、門にいた人々と長老たちはみな、言った。「私たちは証人です。どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのよ うにされますように。あなたはエフラテで力ある働きをし、ベツレヘムで名をあげ なさい。
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また、主がこの若い女を通してあなたに授ける子孫によって、あなたの家が、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように。」
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こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。
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女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。
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その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」
ダビデの系図がここから始まる
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ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。
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近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。
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ペレツの家系は次のとおりである。ペレツの子はヘツロン、
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ヘツロンの子はラム、ラムの子はアミナダブ、
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アミナダブの子はナフション、ナフションの子はサルモン、
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サルモンの子はボアズ、ボアズの子はオベデ、
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オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデである。』(1 章 1 節-4 章 22 節)
イエスの系図はマタイ 1 章で始まったのではなく、ルツ 4 章から始まりました。
私の家族はユダヤ人と異邦人との混合です。妻と私はふたつの偽りの宗教を経験してきました。名ばかりのキリスト教(救いが新しく生まれることから来ると教えないもの)と、ラビ的ユダヤ教(自分たちのメシアを拒否したもの)です。
なぜ私たちなのでしょう?
ルツ記は神ご自身が自分に敵対していると感じた、年を取った女性の話です。彼女は自分
の土地からあるとき出て行かなければならず、夫が死に、彼女の息子たちも彼女を残して死にました。ナオミはすべて奪われて、つらい思いをし、見捨てられたと感じました。神の御手が自分の上にくだったとまで思ったのです。
これが私の妻の両親のそのままの姿です。彼らユダヤ人はホロコーストにおいて、クリスチャンと名乗る人々に家族が殺されました。
そのホロコーストの後に、あるユダヤ人作家がこう書きました。「150 万人のユダヤの子どもたちがオーブンの中にけり入れられた。神は私たちを嫌っているに違いない」
多くのユダヤ人が尋ねます、「なぜ私たちなのか?なぜホロコーストが起きたのか?なぜ宗教裁判が起きたのか?十字軍はなぜやってきたんだ?なぜいつも私たちなんだ?」
ユダヤ人は自分たちが特別な国民だと知っていますが、それがなぜかは分かっていません何かが特別なのです
ユダヤ人自体に特別なことは何もありません。ユダヤ人は何も独特ではありません。ユダヤ人も他の人と同じように救いを必要としている民族です。
しかし、ユダヤ人の神がまさに特別であり、ユダヤ人の契約は非常に特別なのです。ユダヤ人の本が特別であり、ユダヤ人のメシアが特別なのです。しかし、彼らがメシアを理解するまで、その他のことは分からないでしょう。
今日のユダヤ人はナオミの状況にあります。彼らは神に見捨てられ、呪われたと感じているのです。
ほぼ 2 千年以上ユダヤ人は、自分たちの土地から追い出されていました。彼らは状況が改善し始めたと聞き、絶望のうちからイスラエルに帰ったのです。彼らはナオミがそうであったように戻ってきました。彼らは見捨てれたことへの重荷、苦痛、苦悩、たましいの悩みを持って帰ってきました。ユダヤ人と神について話すと、宗教的な者でさえ、自分たちに対して神が敵対しているという感覚を明らかにするでしょう。
オルパ
そこにはふたりの異邦人の女がいました。すべての異邦人クリスチャンとその教会が、ル
ツかオルパの性格どちらかを持っています。
オルパは礼儀正しく親切に見えます。しかし、一旦自分の利益が危機にひんすると、自分の民とその神々のもとへ戻っていくのです。『その神のところへ』(ルツ 1 章 15 節)に注目してください。ニカイア公会議の後の教会、コンスタンティヌスがローマ帝国を“キリスト教化”してから、教会はユダヤ人のルーツを失ってしまいました。
パウロが警告していたことが起こってしまったのです。(ローマ 11 章 17 節-18 節)
『すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。
神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを、知らない のですか。彼はイスラエルを神に訴えてこう言いました。
「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らはいま私のいのちを取ろうとしています。」
ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」
それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。
もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。
では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。
こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」』(ローマ 11 章 1 節-8 節)
教会はユダヤ的なルーツを失ってしまいました。その後何が起こったでしょうか?異教がキリスト教に侵入してきたのです――ローマ・カトリック教や東方正教会、それらはユダヤ人のヘブライ的な信仰である新約聖書のキリスト教を曲解しました。
そのユダヤ的ルーツを失ってしまうやいなや、彼らは自分たちの神々に戻って行ったのです。
ルツ
しかしルツは違いました。『あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。』(ルツ 1 章
16 節)新約聖書も同じように語っています。
『そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。』(エペソ 2 章 12節-13 節)
あなたは近親者のように近い者とされました――ヘブライ的な“親族”の考え方はその人に近い人というものです。
ローマ 11 章は結合について語っており、置き換わることについてではありません。悔い改め、イエスを受け入れた異邦人のクリスチャンが、イエスを拒んだユダヤ人に取って代わったのです。しかし、その木は同じまま存在します。それはもうひとつの木ではなく、教会は“新しいイスラエル”ではないのです。
神の主権的な恵みによって、異邦人クリスチャンは霊的に接ぎ木され、信仰によるアブラハムの子孫となったのです。これがルツ記の示していることです。
レビレート婚
さらに詳しく見ていく場合、トーラーについてあることを理解しなければなりません。トーラー(律法)は高齢者のための規定を持っていました。
ルツ記がダビデの系図の始まりを記載していたことを思い出してください。しかしながら、マタイの系図とルカの系図を比べると不一致があることに気付きます。これらの不一致を 説明するには主にふたつの方法があります。そのひとつが“レビレート婚”です。
『兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。その夫の兄弟がその女のところに、入り、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。
そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。
しかし、もしその人が兄弟の、やもめになった妻をめとりたくない場合は、その兄
弟のやもめになった妻は、町の門の長老たちのところに行って言わなければならな
い。「私の夫の兄弟は、自分の兄弟のためにその名をイスラエルのうちに残そうとはせず、夫の兄弟としての義務を私に果たそうとしません。」
町の長老たちは彼を呼び寄せ、彼に告げなさい。もし、彼が、「私は彼女をめとりたくない」と言い張るなら、その兄弟のやもめになった妻は、長老たちの目の前で、
[少なくとも長老は 10 人(ミンヤン)が必要] 彼に近寄り、彼の足からくつを脱が
せ、彼の顔につばきして、彼に答えて言わなければならない。「兄弟の家を立てない男は、このようにされる。」彼の名は、イスラエルの中で、「くつを脱がされた者の家」と呼ばれる。』(申命記 25 章 5 節-10 節)
このことを説明しましょう。
系図の重要性
王はダビデの子孫でなくてはなりませんでした。祭司はレビの子孫でないといけませんでした。大祭司はアロンの子孫である必要があったのです。トーラーによるとヨシュアによって分配された部族の相続物は保たれなくてはなりませんでした。
したがって、律法による子どもは絶やしてはならなかったのです。そうしなければ、誰が大祭司になるべきかを知っている人はいたでしょうか?誰が王になるべきか、またその人の家族の遺産が何であるかをどうやって知ることができたでしょう。結局のところ、誰がメシアを知ることができるのかということになります。
血統は立証され、絶やしてはならなかったのです。その中には生物学的な血統と法的な血統がありました。新約聖書のひとつの系図は法的な血統を記しており、もう一方は生物学的、遺伝的な子孫についてです。これが系図の不一致を説明するひとつの方法です。他の方法もありますが、これが主なふたつの方法の中のひとつです。
膣外射精
古代中近東で唯一行われていた避妊の方法は膣外射精でした。今日、それについて死の宣告があったという聖書箇所を取り上げて(創世記 38 章 8 節-10 節)、結婚している人たちに避妊をしないようにと教えているクリスチャンがいます。しかし、それが唯一禁じられていた状況はレビレート婚の中だけなのです。それは兄弟のやもめをただのそばめ、性的な対象にしてしまわないようにと設計されたものです。兄弟のやもめと性的に交わり子孫を残すのは次のふたつの理由のためでした。
社会福祉の規定
第一の理由はそのやもめの経済的援助のためです。ヘブライ語で「父と母を敬え」という言葉は(これは謝礼金と関連しています)、彼らがあなたの両親だからというだけで、そのすべての言葉に同意しなければならないということではありません。
それはあなたにとって重い存在と受け取り、責任を持つという意味です。母親が子どもが小さな時期に世話をすべきなのと同じように、神の考えでは母親が年を取ったなら、その赤ん坊が母親に対して責任を持つべきなのです。子どもを持つということはひとつの高齢者への福利厚生です。レビレート婚の第一の理由は、兄弟のやもめが老齢になって援助を受けるためなのです。
家族の相続物
第二は相続物のためです。子どもは家族の相続物を保ち続けます。もし、自分の土地が借金のために他の者の手に渡ってしまったなら、ヨベルの年にはそれは家族に返されます。
パリサイ人たちは物を神にささげることによって――それはコルバンと呼ばれていました
(マルコ 7 章 11 節-13 節)――法的に両親の援助をすることを拒否するように教えていました。彼らはその教えのために神の戒めを無効にしたのです。イエスはそのために彼らを非難しました。
両親への責任はユダヤ人の心に織り込まれていました。それは新約聖書でも続いており、あなたが老齢になった両親の世話をしなければ、この世で長く生きることはできないと教えています(エペソ 6 章 2 節-3 節)。
買い戻す権利
ルツ記において、その中に出てくる人は実行しようとしませんでしたが、死んだ兄弟の名前が絶たれてしまわないように、兄弟の妻をめとり兄弟の代わりに子をもうけるべきでした。
これはイエスの象徴です。旧い契約において、神に忠実であったために死んだ者は、後に誰かが彼らを贖う(買い戻す)必要があったのです。誰がが死んでしまった兄弟のために子をもうけ、地を相続することは「買い戻す権利」と呼ばれていました。旧い契約のもと
で死んだユダヤ人は、その父祖たちから切り離されないように、契約の相続物を失ってし
まわないように、後に近親者が来てその人を買い戻す必要があったのです。このことはイエスさまを指し示しています。
旧約の時代にユダヤ人たちはどのようにして救われたのでしょうか?
私たちと同じ方法によってです。ヘブル人への手紙は、動物の血は罪を取り去ることはできないと言明しています。それらは、もし信仰と悔い改めが伴っていたなら、メシアが来て罪を取り去るまで、罪を覆うことしかできませんでした。旧い契約のもとでのユダヤ人たちは、彼らの後に来て、贖ってくれる人に依存していたのです。このことはすべてイエスさまを指し示しています。
落穂拾い
もうひとつの社会福祉の制度は落穂拾いでした。私たちはこのことを理解する必要があります。当時、狭い通路を目印として、畑はそれぞれ違う農業者や家族で区分されていました。ユダヤ人は畑の隅を収穫することが禁じられていました。
なぜでしょうか?社会福祉として、貧しい者ややもめ、みなしご、社会的な権利を持てないでいる人、また在留異国人 [その地を旅してまわっている者] は落穂拾いをする権利があったからです。
これがルツ記で記されてあることであり、ルツは次のように言う姑と帰ってきたのです。
『私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから』現在ユダヤ人がホロコーストや共産主義のもので起きたことの後に、自分たちの土地に帰ってきたなら、彼らは「神がこれらを私たちにしたのだ」と感じていることでしょう。
正統派ユダヤ人たちはレビ 26 章や申命記 28 章を見て、自分たちの経験はこれらの箇所に書かれた律法の呪いであることを認めるでしょう。彼らの身に起きたことはともかく神の御手によることなのです。すべてのユダヤ人がこれを認めるわけではありませんが、超正統派のユダヤ人たちは確実に認めます。
あなたを祝福する者をわたしは祝福する
ユダヤ人であるボアズが、異邦人のルツに言いました、
『刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あな
たのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。』(ルツ 2 章 9 節-11 節)
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろうと神は言われました。これはユダヤ人が特別だという意味ではなく、ユダヤ人の神、その父祖たちと結んだ契約が特別であるためです。神はその契約を重んじ、人の忠実さや不忠実の度合いによって左右されません。神の契約は神自身の忠実さを土台としているのです。
これはユダヤ人異邦人ともに、信じる者すべての父であるアブラハムに関しての記述で説明されています。
『さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。』(創世記 15 章 17 節)
この燃えているたいまつとは神のシェキナー(Shekinah)と呼ばれる火の柱、聖霊と同じものです。
神は忠実である
契約を結ぶというヘブライ語は「契約を切る」という言葉です。動物の死体は半分に切られました。契約を結ぶときには、当事者ふたりが半分に切った死体の間を通ったのです。
しかし、神がアブラハムと契約を結ぶとき、アブラハムではなく燃えているたいまつだけが通り過ぎました。
なぜなのでしょうか?なぜなら、神は初めから、自分の民は契約に対して忠実ではないということを分かっており、神ご自身は不忠実ではなかったからです。その契約がイスラエルや教会の不忠実に左右されず、神ご自身の忠実さによっていることを賛美しようではありませんか。
もしイスラエルが契約を破ったために神がその関係を終わらせたのなら、教会に対しても
同じようにしない理由がひとつでもあるでしょうか?ユダヤ人が間違ったことをしたならば、教会も同じ間違いをしたことは確かです。教会のしたこととは何でしょうか?イスラエルと同じことです。他の神々のもとにしたがって行きました。たとえば教会におけるニューエイジを見てください。
悪霊に子どもをささげる
イスラエルは捕囚以前に何を行っていたでしょうか?彼らの子どもを悪霊にささげていたのです。そうです。それが彼らのしていたことであり、そのときに裁きが下りました。神は「もうたくさんだ。偶像礼拝なら耐えられよう。不品行なら耐えられよう。社会にある不正にも耐えられよう。しかし、他の神々、悪霊に対して子どもをささげることは見ていられない」と言われました。
もし、医療的な理由でなされる妊娠中絶すべてを考慮したなら、それは妊娠中絶全体の 1パーセントにも満たないものでしょう。ということは、99 パーセントの妊娠中絶が治療とは関係ない理由で行われているのです。
それらは臨床的や医療的な理由で行われているのではありません。それらは社会的、または経済的な理由で行われているのであり、イエスさまが「マモン(Mammon)崇拝」と呼ばれたものです。間違えてはいけません。医療目的ではない妊娠中絶は、神学的にも霊的にも、一種の悪霊崇拝なのです。
もし、神が野生の枝を惜しまれないとしたら、あなたに対してもそうです。また、イスラエルとユダヤ人の忌みきらうべきことが裁かれたのなら、西洋のキリスト教世界もそうなることでしょう。
イスラエルの失敗から学ぶ
『これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。』(1 コリント 10 章 6
節)
イスラエルの失敗が記録されたのは、教会が同じ失敗を犯さないためでした。教会は彼らの失敗から学ぶべきなのです。しかし、私たちはそうしてきたのでしょうか?とんでもない!
私たちはイスラエルの持っていたもの、いやそれ以上のものを持っています。彼らには旧
約聖書しかありませんでしたが、私たちには新約聖書もあります。彼らはメシアの到来を期待するのみでしたが、教会はすでにメシアを知っています。旧約のもとでは、聖霊は特定の時期に特定の人、たとえば大祭司や王、預言者にしか与えられませんでしたが、今聖霊はすべて信じる者たちの中におられます。
それに加えて、私たちは学ぶべきイスラエルの実例を持っているにも関わらず、そこから学んではいません。もし、イスラエルが契約を破ったために神に捨てられたのなら、ましてや神は教会をどう扱うことでしょう。私たちの忠実さではなく、神の忠実さが契約の有効性を決めるという事実を賛美しましょう。そうでなければ、ユダヤ人がそうなるべきであったように、私たちも捨てられていたのです。神の裁きはずっと以前にアメリカ合衆国に下っていてもおかしくありませんでした。しかし、ふたつの要因がそれを阻止していました。
ひとつは塩が腐るのを遅らせたのです。アメリカ合衆国は他のどの西洋の国より、多くの福音的なクリスチャンと教会をいまだに抱えています。世界中の宣教や慈善活動の4分の
3の資金が北アメリカから使われている一方で、貧しい国へ行くフルタイムの宣教師は、全体の 5 分の 3 がアメリカから出ています。
もうひとつの理由はアメリカがユダヤ人を歴史上、どの国よりも親切に扱ってきたという ことです。そのようでなかったならば神の裁きはとうの昔に下っていたことでしょう。ア ムステルダムは先進国の中で最も邪悪な都市です。私は多くの都市で腐敗を見てきました。バンコクでは子どもたちが性的な奴隷として売られています。
アムステルダムはそれと同じくらい腐敗しているのです。もし、あなたがアムステスダムやホラントを歩いて通ったなら、道徳の廃退に目を疑うことでしょう。それは言い表すことのできないものであり、全くの恥辱であるのです。しかし、その国(オランダ)はホロコーストの際にユダヤ人を保護しました。アメリカが神の裁きに値するものであったことは明らかですが、彼らはユダヤ人を祝福したのです。『あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。』(創世記 12 章 3 節)
これは神の裁きがやって来ないという訳ではありません。裁きはただ神の恵みによって遅らされたということです。「どうして親切にしてくださるのですか」とルツは聞きました。なぜなら、神の民を祝福したからです。神はそのようなクリスチャンや教会、国家を祝福します。彼らのためではなく、神の御名のためです。ひいてはクリスチャンを祝福する救われていない人をも、神は祝福します。
二流のクリスチャン
「私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました」とボアズは言いました。彼らが食べるところで食べ、彼らが飲むものを飲みなさい、と。
ヘブライ語で「ひれ伏す」と「礼拝する」とは同じ言葉です。ローマ・カトリック教徒たちが像の前にひれ伏して祈るとき、それはヘブライ語での偶像礼拝なのです。
それゆえ、ローマ・カトリック教会は彼らのカテキズム(教義)から第二戒を長い間取り除いてきました。
『あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。』(申命記 5 章 8 節
-9 節)
私はガラリヤのカルメル山に住んでいたことがありました。カルメル山において、ファティマ(Fatima)や他の多くの場所のようにマリアの顕現がありました――悪霊の現れです。人々はマリア像を夏の別荘から、冬の別荘に運んで行きます。なぜなのでしょうか?マリアが寒いのを嫌うのだそうです!2 年に一回カトリック教徒たちは山からその像を運び、ハイファ(Haifa)の中央にある教会に置きます。彼らはそれに向かってひれ伏し、祈り、香を焚き、それに対して歌を歌います。
私には昔カリスマ的なカトリックの修道士であった友だちがいます。彼は私たちの集会に来て、手を振り、私たちのひとりのようになります。ハレルヤ!また、カトリック教徒たちが偶像を運んでいる間、彼は他の偶像礼拝者たちと一緒にいて、歌い、香を焚き、ひれ伏して偶像を礼拝するのです!
この偶像礼拝をあるユダヤ人とイスラム教徒が見たとき、彼らはこれがキリスト教だと思いました。新生したクリスチャン、メシアニック・ジューたちがその人たちにそれは違うと説明しなければならなかったのです。サタンがユダヤ人を地獄に落とすために、使う最初の手段は偽のキリスト教――ローマ・カトリック、東方正教会、偶像礼拝です。
美徳をそなえた女性
ホロコーストの期間、どの国がユダヤ人を保護したのでしょうか?福音的なプロテスタン
トの人口がとても多い国、デンマークやオランダです。どの国がユダヤ人を裏切ったのでしょうか?ローマ・カトリックや東方正教会の国々、ラトビア共和国、フランス、ルーマニアでした。今日イスラエルに行ってみると、若いボランティアがキブツ(kibbutzes)で働いています。彼らの中にはカナダや日本、アルゼンチン、オランダなどからの者もいます。
「どこから来たの?」「オランダです」と言うと、「今夜うちに食べに来ませんか?ホロコーストで私のおばあちゃんを助けてくれたのがオランダのクリスチャンだと知っているの」と言われるでしょう。
「どこから来たのですか?」
「デンマークからです」と言えば、ナチスがデンマークを占領しているとき、彼らはユダヤ人たちに黄色の星を付けるように命令しました。するとデンマークの王は、自身がクリスチャンだったのですが、出てきて黄色い星を自ら付け、イエス・キリストはユダヤ人だったと言いました。誰でもイエスを信じる者は、その国でユダヤ人と同じようにならなくてはいけなかったのです。デンマークにいるすべての人が黄色い星を付けなくてはなりませんでした。
美徳をそなえた女性。ユダヤ人はイスラエルの高校でそのように教えられています。
あなたがユダヤ人を愛するなら、偽りの教会から出て行きなさい。反ユダヤ主義の教会から出て行きなさい。ユダヤ人を嫌う教会から出て行きなさい。偶像礼拝をする教会から出て行きなさい。ローマ・カトリックや正教会、また福音的と呼ばれるユダヤ人を嫌う教会から出て行きなさい。
若い男たちのあとを追わなかった
『すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあ とからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。』(ルツ 3 章 10 節)
イザヤ書のしもべに関する第四の詩で、イエスさまについてはどう書かれているでしょうか?
『彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔を
そむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。』(イザヤ 53 章 2 節-3 節)
贖いへの鍵
『ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。』(ルツ 3 章 12 節)
私は一番目ではなく、彼が一番近い。彼がエリメレクから買い戻す権利――土地を買い、 相続物を受け、ルツをめとり、亡くなった兄弟のために子をもうける権利を持っています。この最初の男は――彼が誰であったとしても、どういう訳か彼の名前は記されておらず、 聖書の中でくつを脱がされた者と呼ばれているのみです。その人が言いました。「私に相 続物をください。私が引き受けましょう」
しかし、ボアズが彼に異邦人の女をもめとらないといけないと言うと(ルツ 4 章 5 節)彼は考えを変えました。『私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。』(ルツ 4 章 6 節)
彼は相続物は望みます。父祖たちの祝福も望みます。贖いの権利もほしいのです。祝福を望みます。しかし、彼は“シクサ”(shiksa=軽蔑的なイディッシュのスラングで“異邦人の女”という意味)とは関係を持ちたくありません。しかし、その“シクサ”が自分の約束を、祝福を、贖いを得る鍵なのです。
くつを脱がされた者は名前が記されていません。キリストのからだのもとに来て、自分の相続物を受けない者は名前が記されません。彼らの名前は消されてしまうのです。キリストのからだのもとに来る者だけが自分の相続物を受けるのです。その異邦人の女が鍵なのです。
自分の民へ穀物を持っていく
ボアズはルツに大麦六杯を与えました(ルツ 3 章 15 節)。するとルツは『「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」』(ルツ 3 章 17 節)と言いました。
イエスは異邦人の教会に何と言ったのでしょうか?「穀物を持って、わが民であるイスラエルに与えなさい」。ユダヤ人に福音を伝えること無しに、彼らを祝福したがっている組
織を警戒してください。
神は一世紀において異邦人に福音を伝えるためにユダヤ人を用いたように、この終わりの時代において、神は異邦人を用いてユダヤ人に福音を伝えるのです。『もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。』(ローマ 11 章 15 節)
間違えてはいけません。神はイエスが戻られる前に、もう一度ユダヤ人を通して教会を祝福されようとしています。初期のクリスチャンはユダヤ人たちでした。そして最後のクリスチャンもユダヤ人たちなのです。彼らに穀物を与えるのです。良い知らせを再び、その生誕の地に持って行くのです。
この男は買い戻しの権利を拒みました。そのため、彼らは申命記 25 章に規定されてある儀式を行ったのです。そして婚姻が成立し、次第に赤ん坊が生まれました。
イスラエルの家を建てた者
婚姻の宴において人々はボアズに言いました。『どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように。』(ルツ 4 章 11節)
ここでの象徴は創世記から来ています。ヤコブは花嫁のために、自分の民のもとからやって来ました。彼はラケルを望みましたが、最初にめとったのはラケルではなく、レアでした。彼がラケルと同じようにレアを愛せるようになってから、ラケルをめとりました。最初レアは多くの子をもうけ非常に多産な妻でした。しかし、その後にラケルがみごもったのです。
イスラエルは実り豊かなぶどうの木になるはずでした。イエスさまはイスラエルのために地上に来て、イスラエルと結婚をしたかったのですが、彼はそうすることができませんでした。結局、イエスさまは最初には望んではいなかった異邦人の教会という花嫁をめとったのです。
異邦人の教会をめとってから、イエスさまはイスラエルをめとります。はじめに、教会は多くの子どもを抱えていました。しかし最後には、イスラエルが実り豊かなぶどうの木となるのです。『イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように』
現代のイスラエルとユダヤ人の重要性を否定する人たちを信じないでください。イスラエ
ルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように、と書かれてあります。教会はユダヤ人と異邦人であり、ひとりの花嫁なのです。
イスラエルの買い戻す者
『女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。
その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」』(ルツ 4 章 14 節
-15 節)
ボアズとルツとの間に生まれた赤ん坊は、ベツレヘムから出た買い戻す者と呼ばれました。
「イスラエルでその名が伝えられるように」ベツレヘムから出た者とは誰でしょう。買い戻す(贖う)者とは誰でしょう。その名が伝えられているのは誰でしょうか。
ダビデの系図の根幹はユダヤ人と異邦人とのつながりによって始まりました。なぜなら、救いはそこからやって来て、ユダヤ人と異邦人どちらにも与えられるからです。
七人の息子にまさる
『その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。』(ルツ 4 章 15節)
買い戻す(贖う)者と呼ばれた赤ん坊を産んだ異邦人の女は、七人の息子にもまさると言われました。ある異邦人のクリスチャンは自分たちよりもユダヤ人に親切にします。しかしそれにもまして、この赤ん坊は「ベツレヘムから出た買い戻す者」と呼ばれ、ユダヤ人女性を元気づけ、彼女の老後をみとるのです。
回復を与える
『ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。』(ルツ 4 章 16 節-17 節)
その子はユダヤ人の子でした。そして、イエスの来られるダビデの系図がここから始まっ
たのです。
美徳を備えた女性は、ベツレヘムで生まれ、買い戻す者と呼ばれ、イスラエルの民に対して回復を与えると言われる“赤ん坊”を、その多くを失い、悲しみ、軽蔑され、つらい思いをし、神ご自身の手が自分にくだっていると感じていたユダヤ人の女に与えることができます。
しかし、このユダヤ人の女性は子を受取ったときにこう言いました。「ここにいる赤ん坊は本当に私の子です。この子は本当に私のメシアです。私の人生を回復させてくれる者なのです」この後、子どもが与えられたことによって彼女の悲しみや苦悩、苦痛、死別、捨て去られたという感情は消し去られました。
キリストの花嫁
これらの花嫁、聖書の中での良い女性はすべて、キリストの花嫁をそれぞれ違った側面から示しています。ルツがキリストの花嫁について教えていることは、贖い主(買い戻す者)をユダヤ人たちに返した者であるということです。
その花嫁とはあなたたちです。
『私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。』(ローマ 1 章 16 節)
Burning Bush - Japanese
モーセと燃える柴 “ヒネニ”
ジェイコブ・プラッシュ
『こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト 人が打っているのを見た。あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、 彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。次の日、また外に出てみ ると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに
「なぜ自分の仲間を打つのか」と言った。するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。』
『パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロ のところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。彼は井戸のかたわらにすわっていた。ミデヤンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちが父の羊の群れに水を飲ませるために 来て、水を汲み、水ぶねに満たしていたとき、羊飼いたちが来て、彼女たちを追い 払った。すると、モーセは立ち上がり、彼女たちを救い、その羊の群れに水を飲ま せた。彼女たちが父レウエルのところに帰ったとき、父は言った。「どうしてきょ うはこんなに早く帰って来たのか。」彼女たちは答えた。「ひとりのエジプト人が 私たちを羊飼いたちの手から救い出してくれました。そのうえその人は、私たちの ために水まで汲み、羊の群れに飲ませてくれました。」』
『父は娘たちに言った。「その人はどこにいるのか。どうしてその人を置いて来てしまったのか。食事をあげるためにその人を呼んで来なさい。」モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ」と言ったからである。』
『それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、 わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神 はみこころを留められた。』(出エジプト 2 章 11 節-25 節)
『モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその
群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。モーセは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。』
『主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」』
『モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行っ てイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」神は仰せられた。
「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました』と言えば、彼らは、『その名は何ですか』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。』(出エジプト 3 章 1 節-14 節)
キリストの象徴としてのモーセ
モーセと燃える柴の有名な話です。ここで最初に理解すべきことはモーセはキリストの象
徴であるということです。申命記 18 章 18 節には、メシアはモーセのような預言者であると書かれてあります。それは次のようなことです。邪悪な王がすべてのユダヤ人の赤子を殺してしまおうと決め、モーセは両親の信仰によってエジプトでしばらくの間守られ、後にエジプトを出て約束の地に戻りました。イエスもまた同じ運命に遭いました。邪悪な王がすべてのユダヤ人の男の子を殺してしまおうとし、イエスは両親の信仰によってしばらくの間守られ、その後にエジプトを出て約束の地に戻ったのです。このようにモーセはキリストの象徴として示されています。
しかし、ヘブライ語ではそこに言葉遊びが隠されています。“モーシェ”――“引き出す”という名は彼にふさわしいものです。彼は水から引き出されたので、ヘブライ語の本文は同じ言葉を使っているのです。モーセは私たちのために水から引き出されました。また彼の名前の特徴は出エジプト記の中で何度も繰り返されています。このようなことは翻訳では分かりにくかったり、ほとんど伝わりません。今、思い出してほしいのですが、ちょうどイエスのように、モーセがユダヤ人の兄弟たちを最初に救いに来たとき、彼は退けられました。モーセが受け入れられたのは二度目であって、エジプトにいるユダヤ人の苦悩と苦しみが耐えがたくなって絶望的になったときはじめて受け入れられました。これはユダヤ人にとっても同じです。(イエスは大患難またはヤコブの苦難の時と呼ばれるときに戻って来ると聖書にあります。それはユダヤ人にかつてないほど過酷な迫害が臨むときです。その後にユダヤ人がイエスを受け入れます…ゼカリヤ 12 章 10 節)。ユダヤ人はイエスを最初に来たとき受け入れませんでしたが、再臨においてイエスを受け入れます。初め彼らはモーセをエジプト人だと思っていました。それは後にヨセフをエジプト人だと思ったのと同じことでした。
ヨセフも自分の兄弟たちに最初には気付かれませんでした。彼らは二度目にヨセフに気付き、激しく泣いたのです。それはユダヤ人にしても同じことです――彼らはモーセを最初に自分たちの指導者だとは気付かずに、二度目に気付きました。ユダヤ人はモーセをエジプト人と見なしていて、イエスを異邦人だと考えていました。モーセも異邦人だと考え、エジプト人だと見ていました。同じようにイエスに対してユダヤ人は金髪で青い目の男性を想像することでしょう。彼らはモーセをエジプト人であると考えていました。またヨセフもエジプト人であり異邦人だと考えていました。ユダヤ人たちはイエスをほぼ異邦人のように見なしていました。これはもちろん真実ではなく、彼らは客観的にユダヤ人と知っていましたが、主観的にはイエスを異邦人と位置づけていたということです。その状況によってイエスは非ユダヤ人のように見えました。それはモーセやヨセフに関しても同じです。モーセはエジプト人のように見え、エジプト人のように話し――エジプト人の王子だったのでなおさら――エジプト人らしかったのです。彼らはモーセを自分たちの仲間では
ないと思っていました。
ここでモーセはキリストの象徴として描かれています。モーセに関して書かれてあることは、イエスと同じです。彼は自分の民を救おうとしたが退けられ、異邦人に受け入れました。覚えていますか。モーセが自分の民を救おうと立ち上がったとき、民はモーセを退けました。そこで彼はミデヤン人のところへ行き、ミデヤン人をかばったときに受け入れられたのです。その後にヘブル人はモーセに従い始めたのです。それはイエスも同じです。最初にユダヤ人は退けましたが、異邦人がイエスを受け入れ、その後にユダヤ人がイエスのもとに帰ります。モーセはメシアの象徴として描かれているのです。
旧約聖書でのキリストの現れ
ここでのもうひとつのテーマは定冠詞が付いた“主の使い”(出エジプト 3 章 2 節)に関してのものです。これは“ひとりの御使い”ではなく、“その御使い”という言葉で、私たちはこのテーマを“ナザレ人の誓い”と“士師記 1 章・2 章”のテープの中で取り扱っています。定冠詞が付いた主の使い、“ハ・マルアハ・アドナイ(Ha Mal’ach Adonai)”とはキリストの顕現、旧約聖書においてのメシアの現れです。それはひとりの御使いではありません。神ご自身です。神がモーセに柴の中から語られたとある箇所では、“主の使い”が神として柴の中からモーセに語ったとあります。ユダヤ教の中で主の使いはメタトロン
(Metatrone)と呼ばれ、王座の中央に宿る者と呼ばれます。この箇所でメタトロン――主の使いが出てきます。彼はモーセと話しており、神として認識されていました。
ヘブライ語で御使いを表す言葉は、ギリシア語の“アンゲロス(angelos)”と同じように“遣わされた者”を意味します。なので、メタトロン、主の使いは神の使者であり神ご自身であったのです。神が人になるという考えは一般的なユダヤ人にとっては不可解なものでしたが、ヤコブはメタトロン、主の使いであり神の現れである者と格闘しました。アダムは神の歩く音を聞いたとあります。それはイエスの顕現です。とはいえここで重要なのは、新約聖書でイエスが肉体をとられたことと、これは違ったものだということです。神は昔にも肉体をとって来られました。神はアダムと園の中を歩いていましたが、神はまた主の使いであったのです。よってこの箇所はキリストに関する箇所です。ここはメシアについて語っており、神の使者が来て自分の民の間に宿るということが書かれています。柴は燃えていたのに燃え尽きなかったという出来事も、詩篇の中で“イエスは朽ちることがない”と言われていることを表しています。『あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならない』
(使徒 2 章 27 節)イエスの死体は地のちりとはなりませんでした。
モーセは、真に神に仕えたいと願う人すべての良い例です。実際、彼は最も良い例と言え
るでしょう。モーセについて私たちが最初に分かることは、モーセはエジプトの王子であ
り、パロの孫、神の知恵によって教えられる以前にエジプトの知恵によって教えられてい た者だということです。モーセは世界で当時最も進んだ学問を学んだことでしょう。しか し、モーセが父祖たちの神と出会ったとき、エジプトが何にも値しないことに気付きまし た。まったく教育を受けていない人が真実の生きている神に出会うと、その人は他の何の 手段に頼るよりも賢くなります。モーセは神の知恵によって訓練される前にパロの知恵に よって訓練を受けました。当時エジプト人はパロを神格化していました。パロは彼らにと って神のような存在だったのです。聖書の中でエジプトとは、1 コリントの手紙で教えら れていますが、この世の象徴です。イエス以外に人が神として礼拝されているのを見たら、いつでもそれは来るべき反キリストを象徴するものです。パロは崇められ神として神格化 されていました。モーセもその中にいることも出来たでしょうが、ヘブル人への手紙を読 むと、「キリストのゆえに受けるそしりをこの世の宝にまさる大きな富」と思ったとあり ます(ヘブル 11 章 26 節)。モーセはエジプトの王子であり、その地位や権力、教育はエ ジプトが与える最高のものでした。しかし、モーセはキリストのゆえにそしりを受けるこ とを選んだのです。モーセはすでにメシアについて知っていました。彼は“その主の使い”と出会ったのです。
そして民のひとりを助けようとしましたが、退けられ、自分のいのちのためにそこから逃げました。モーセは荒野に逃げ、後に律法が授けられる場所――ホレブ山へと行き着いたのです。
ここでもモーセはイエスの象徴です。彼は異邦人の妻をめとりました――それは教会です。モーセは自分の民を救うために来たのに彼らに退けられました。そして荒野に行き異邦人 に受け入れられたのです。彼らはモーセをユダヤ人ではなく、エジプト人だと思っていま した。実際にユダヤ人だけがイエスを非ユダヤ人だと見ているだけでなく、いわゆるクリ スチャンたちもイエスを非ユダヤ人と考えているということは驚くべきことです。
荒野へ
退けられた結果として荒野へ追いやられるというパターンは、神が召された者によく起こることです。ここで私たちはダビデ王を思い出します。預言者サムエルはダビデに油を注ぎました。しかし、王座を引き継ぐ代わりにダビデは急いで町を離れ、アドラムの洞窟に逃げ後に荒野へと入りました。
後にタルソのラビであるサウロが登場します。彼はパリサイ人の中のパリサイ人であり、ラビになるためヒレルの学校で学び、その孫ラビ・ガマリエルを教師としました。モーセ
はエジプトが与える最高の教育を受けた一方で、パウロは最高のイェシバ(律法の学校)
で教育を受けていました。パウロは教養のあるローマ市民であり、ギリシア語に精通しており、ヘブライ語、アラム語、ラテン語が流暢に喋れたことでしょう。そして以前は福音の敵でした。しかし、パウロはダビデやモーセと同じように荒野で長年過ごしたのです。
モーセは四十日四十夜断食し、イエスも四十日四十夜断食し、ヨナはニネベが悔い改めるために四十日与えました。ノアが箱舟にいるときには四十日四十夜雨が降り、イスラエルの子らは荒野を四十年間さまよいました。それはいつでも四十です。
私は幼い信者であったとき、甘い考えを抱いていました。私は「主よ。私は科学を専攻し、週に数千ドル(数十万円)を稼いでいます。主よ、これらすべてをあなたに差し上げます」と言い、イスラエルに行き、イスラエルの地で終わりの日におけるユダヤ人への伝道者に なろうと考えていました。そこで私を待っていたのは、惨めで退屈な処方箋を書くだけの 仕事でした。なぜなら、それしか分からなかったからです。私は救われたときに、自分は もう薬を売る仕事はしないと思っていました(ジェイコブは救われる以前麻薬の運び屋で した)。私はそこで年を取った女性にイーデッィシュ語で薬が何個必要か聞いていました。それは彼らがヘブライ語を理解できず、私も当時はそうだったからです。私は何も無い場 所にいました。そこの窓から外を覗いてみると砂がありました。なぜそこに砂があったの でしょうか?なぜなら私は砂漠の中にいたからです。文字通りそこにはベドウィンとラク ダがいました。私がニューヨークを出たのはこんな荒野に来るためだったのですか?こん なことのために高い地位をあきらめたのですか?主はこのために私をここに導いたのです か?こんな荒野に。私は主に用いられるためにここに来たと思ったのに!そのとき主は
「あなたは全く間違っている、それは後にやってくることだ。私はあなたをこの場所で用いるためにイスラエルに導いたのではない。イスラエルを用いてあなたを試みるためにここに連れてきたのだ」と言っていたのです。
まず退けられるのです。私はニューヨークにいるユダヤ人からも同じ経験をしました。イスラエルにいるユダヤ人もイエスについての話を聞きたがりません。ニューヨークならたまに石を投げつけられるくらいですが、少なくともイスラエルのイェシバに通う学生からは手榴弾以上の物を投げつけられることもありました。私たちはハイファの通りで石を投げつけられました。実際に石を持った暴徒に追いかけられたのです。私はかつてニューヨークでジューズ・フォー・ジーザズの小冊子を配っていました。するとある老婆は私につばをかけ、ときには JDL(ユダヤ防衛連盟)が来て嫌がらせを受けることもありました。
私はキブツ(イスラエルの農場)にいてヘブライ語を習得しようとし、またそこでイスラエル人の小さなグループを相手に伝道的な聖書の学びをし始めました。しかし、そこで救
われたのは非常にわずかな人でした。「主よ、あなたは何のために私をここに連れて来た
のですか?以前は私が小切手を切り、奉仕と伝道のためにお金を送っていたのに今はいつでもお金が足りません。私はエジプトの王子だったのに今は無きに等しい者となっています。あなたが用いてくれると言ったと思ったのに」「いいえ、退けられ荒野に行くのが先です」と神は言われます。モーセはなぜ自分にそのようなことが起こったのか分かりませんでした。「あなたは私の父の神であるので、私は民のために立ち上がりました。そして正しいことをし、私の地位、権力、教育をあなたのために用いました。なのに、今はただ退けられ、荒野へとさまよい出ています」その荒野において、そのときのモーセには理解出来ないことが起こっていました。どのようにしてモーセはイスラエルの子らを 40 年間同じ
荒野の中を導くことができたのでしょうか。モーセはイスラエルの子ら、つまり 150 万人
の大人と在留していたエジプト人、子どもとを合わせた人たちを 40 年間も荒野で導くこと
ができたのです。そのようなことができたのはモーセがそこで 40 年間過ごしたからでした。荒野は死の場所であり、サソリ、コブラ、ハゲワシが頭の上に群れをなすような場所です。水もオアシスを見つけない限りありません。それは点在しています。どのようにして荒野 で生き延びるのでしょうか。そうです。それがモーセが学ばなければならないことだった のです。「モーセよ。私があなたに荒野で生き延びる知恵を与えた後に、荒野の中であな たがひとつの国を導くようになるのだ」と神は言われます。
もう気付いたでしょうか。私たちは救われたときにパロの領土から出てきました。エジプトから出はしましたが、私たちはまだ乳と蜜の流れる約束の地には至っていません。私たちはこの世から出てきました。しかし、1 コリント 10 章が告げるように、まだ天には至っていないのです。私たちは荒野に滞在しています。
モーセがそのようなことをなしえた理由は、彼がとても長い年月をその荒野で過ごしてい たからです。どの大学、神学校、聖書学校でも教えてくれないことがあります。世の中で 最も優れた神学の教育機関はあなたに聖書について教えることはできるでしょう。しかし、ただ荒野の中においてのみ、あなたは聖書の意味していることが分かるのです。聖書につ いて学ぶのは良いことです。聖書の学問的な知識は役に立ち、実用的です。私はギリシア 語やヘブライ語、文芸批評、聖書の歴史、考古学を学ぶことの重要性をさげすむことはし ません。聖書について知るのは良いことですが、それで十分ではありません。それは重要 ですが、最も大切なことではありません。聖書を学ぶことは必要不可欠ですが、最初にす るべきことは聖書が何について書いてあるかを学ぶことです。それは誰も教えることはで きません。それは神のみがあなたに教えることです。民をどうやって荒野の中で導けるの でしょうか。指導者になりたいのなら審査を受けさせるのです!(1テモテ 3 章 10 節)「こ の人はこの役職にふさわしいのでしょうか?健康の問題や奉仕の中での問題、財政の危機、この人はこれらをどうやって処理するのでしょう」この人がこれらのことを主の力と知恵
によって取り扱うことができたなら、やっとその後に神の器として整えられ、同じ荒野に
いる者を励ませるのです。その後になってから神はパロのもとに「行け」と言われます。
荒野を通った後に
私たちが荒野を通った後にだけ、学問的な教育は実際に使える価値を持ちます。私は、大学や聖書の学校に行き、その後から奉仕に入ろうとしているくだらない考えを持った人たちを何人も見てきました。そのように物事は運びません。この世の職業においてさえそうなりません。ボーイング社(アメリカの航空機メーカー)やマクドナルド・ダグラス社の請負人を考えてください。彼らは修士号や博士号を持った人たちを一番良いエンジニアの学校から採用します。彼らはロンドンのインペリアル大学やマサチューセッツ工科大学のようなところにおもむきます。そしてその大学の一番優秀な人を採用するでしょう。そして言います。「さあ今からあなたがエンジニアになるための訓練をしましょう」「いや私はあの大学を卒業したのですよ!」「いいえ。あなたは 5 年間私たちの下で働いてください。
5 年経つまではあなたは使い物にならないのです」と言うことでしょう。
あなたがアメリカから薬剤師の資格を持って卒業しても、実習生となったら次に研修医となることができます。イギリスでは研修医の補助となった後に研修医となれます。「でも私はすでに薬学の学校に通ったのですよ!」と言ってもそれでは通用しないのです。
あなたがロースクールを終えたら、論文を書いて受付に行ってください。弁護士補助員になったら、事務弁護士の補助、そして次に下級の事務弁護士になるのです。今から 5 年経ったらあなたは自分を弁護士と名乗れるでしょう。「私は学位を持っているのですよ!」と言う人もいることでしょう。
エンジニアの世界でもそうはいきません。薬学や法律学の分野でもそうです。ましてや奉仕においてそのようになるわけがありません。あなたが荒野を通ったその後にだけ、教育は役に立つのです。今パロのもとに行くのです。今あなたはそうするのにふさわしいのです。
あなたは砂漠の中にいると全く方向感覚を失います。すべてが同じように見えるのです。脱水症状のために蜃気楼のようなものを見るようになります。自分がどこに向かっているか分からなくなるのです!日の出や日没によって何らかの方向感覚を得るかもしれませんが、道に迷わないで荒野を通るのに一番最適なのは夜です。ベドウィンたちは星を頼りにします。荒野で生き延びるということは並外れた能力を必要とします。しかし、モーセは荒野で一国を養っていかなければならなかったのです。小さな事をし続ける日をさげすん
ではいけません。神があなたを召したとき、すべての人にそれぞれの奉仕が用意されてい
て、最初に私たちが期待すべきことは退けられることです。なぜなら私たちはキリストに似ることによってしか、主に仕える者となり得ないからです。キリストが最初に経験したのは退けられることでした。
『私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。』(イザヤ 53 章 1 節-2 節)
これがイザヤがメシアについて語ったことです。神があなたを用いることができる前に、あなたは退けられることを経験しなければならないのです。
神は人々を日常の中で非日常的なことのために整えておられます。あなたが荒野を出てから――それは後になって思い出せるだけなのですが――神がその荒野でしてくれたことを気付くのです。モーセが荒野にいたとき、彼が知らなかったことは自分を退けた民が絶望に陥り、モーセを受け入れる状態に至ったということです。モーセの奉仕の場所はまだ整えられていなかったのです。
同じような例
同じことがサムエルに王として油注がれた後のダビデの生涯にも言えることです。「ダビデよ。あなたはこれから王となります。サウルが追跡してきてあなたを殺そうとするでしょう」まず退けられます――イスラエルの見捨てられた者たちがダビデに連なりました。すべての者が負債を抱えていたり、負け犬たちであり、名も無い人たちでした。しかし、後に私たちはダビデの勇者たちについて書いてある箇所を読みます――彼らは軍隊の司令官やイスラエルの戦いにおいての大将たちでした。それらのイスラエル軍の大将たちとは誰であったのでしょうか?主の軍勢の司令官たちとは、ダビデの勇者たちとは誰だったのでしょうか?同じ負け犬たち、見捨てられた者たちです!そうです、アドラムの洞窟に来てダビデと合流した希望のない者たちです。神はそのような負け犬たちを集め、ダビデの勇者とされました。神は名も無き人たちを取り、荒野において主の軍勢の司令官とされました。最初に彼らはサウルを出し抜く方法を学びました。それからぺリシテ人の裏をかく方法を学んだのです。後に彼らはペリシテ人を征服しました。どこでそのようなことを学んだのでしょうか?ダビデが教えたのです。
ダビデはダビデの子と呼ばれたキリストの象徴です。ベン・ダヴィード・イェシュア(Ben
David Yeshua)である方、主ご自身、ダビデの子であった方が荒野についてのことを教え、他のどこにおいても教わることの出来ないもの――敵を出し抜く方法を教えるのです。し かし、そこは快適な場所ではありません。モーセのことを考えてみてください――「私は エジプトの王子で、富も、権力も、地位も、特権も持っており、教養のある者だったのに、今荒野にいます。神よ、あなたが私を召されたと言われました。このようなことのために 私は水から引き出されたのですか?」と思ったことでしょう。
タルソのラビ・サウロも同様です。「私は異邦人への使徒となるのに、かごに吊るされて城壁づたいにひそかに逃げなければならないのですか?」しかし、アラビヤにいるときにパウロに何かが起こりました。パウロは実際に 1 コリント 11 章において、最後の晩餐について書くことができました。それはほとんど不思議な方法によってです。彼は『私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです』と書きました。パウロは最後の晩餐の席にはいませんでした。その場所にいなかったのに、どのようにしてそれを主から受けることができたのでしょうか。一体どこから得たのでしょう?パウロは荒野にいるときにそれを受けたのです!砂漠でそれを受け取りました。パウロが 2 コリントの手紙で第三の天にまで引き上げられたという出来事は荒野であったことかもしれません。肉体によってか霊よってかを知らないと書いていますが、パウロの見たことは言葉にすることも出来なく、驚くべきもので、信じがたいことだったのです。それがタルソのラビ・サウロであり、ダビデ王も同じ、またモーセも同じでした。それなら真に神に仕えたいと思う者すべてがそうであるということです。
荒野に行くことの目的
しかし、多くの日が過ぎた後、思いがけないときに荒野の中のモーセにあることが起こり ました。ある時点で、ダビデは孤立していた状態から抜け出し、彼のいた荒野から帰ってきました。ある時点において、パウロはアラビヤから戻ってきました。ある時点において、神はあなたを荒野から呼び戻します。それは後に待ち受けていることのため、あなたが知 っておくべきすべてのことを学び終えたときです。この堕落した世においては、そのよう な必要なことを学ぶのに適した場所と方法は荒野の他には無いのです。
神があなたを荒野に留めているとき、ただ神はあなたを奉仕のために整えているだけではありません。神は奉仕をあなたのために整えているのです。状況は困難そのものでしょうが、今私たちは神が本当になされていることに気付きます。何も無いようなところで神は燃える柴の中からモーセに語りかけて言います。「これがしるしです。あなたが民を導いてくるとこの同じ山に来る。ここでわたしはあなたに契約、すなわち律法(トーラー)を与えよう」
つまり言い換えると、奉仕においてあなた自身が到達したことの無い場所に、決して誰も
導くことはできないということです。あなたがそこに到達し、生ける神と会うことがどのようなことであるかを知った後に、神はあなたを用いて誰かを導くのです。しかし、あなたがそこに自分自身で達しない限り、誰も導くことは出来ません。
モーセは燃える柴の中におられる神と出会ったときに 80 歳でした。世の与えるひとつの嘘は定年退職という考えです。クリスチャンにとって定年退職が唯一意味することは、もし健康が許すなら、今あなたはパートタイムではなくフルタイムで神に仕えられるということです。この世は人の一番の全盛期は中高年であると言います。しかし、神は老齢になったときであると言われます。世の言うことは正反対です。どういうわけか教会はこの世の歪んだ考え方を許容してしまっています。一方で神は違ったように見ておられます。神はすべての出来事を老齢のための準備であると考えています。神は世が考えるようには考えていません。残念ながら、教会は世の考え方に聞き入り、主の考え方よりもそちらを重要視しています。定年退職したならあなたのこの世でのキャリアは終わります。もう生計を立てるために奮闘し、子どもたちを大学に行かせることは済みました。男性ホルモンと女性ホルモンの生成も少なくなってきて、肉の欲はあなたに対して以前ほど大きくならないでしょう。世は若さ、中年が良いと言います。しかし、神は若さや中年が一番ではなく、それは老齢になるときの準備だと言われます。ヘブライ語で“長老”という言葉は年を重ねた者という意味です。世の考えがクリスチャンであるあなたの頭の中に忍び込んでこないようにしましょう。使徒ヨハネが黙示録を書いたのは彼が 90 代の頃であって、当時としては信じられないほどの老齢でした。
荒野にいたことの結果
神が荒野に導き入れた男の人や女の人は、その荒野から出てくるときには完全に違った人となっています。荒野に入っていく者は自分の強さを知っていますが、そこから出てくる者は自分の弱さを知っているのです。それからその人は神の力を知ります!神の力はいつも私たちの弱さによって栄光を受けます。神が荒野に導き入れる男の人や女の人はひとりの人です。神がその人を出されるとき、その人は人柄、考え方、振る舞い方において完全に違った人となっているのです。
荒野に入るとき、その人は自分の持つすべての能力について知っており、自信を持って入っていきます。そこから出てくるときには自分にどんな信頼も置かないようになっています。その後に神はその人の経歴を用います。私たちが自分の教育、賢さ、経歴、地位に頼らなくなったなら、そして、私たちが自分の至らなさを知った後に神はそれらを用いるこ
とが出来ます。私たちの強さは神の中になければならないのです。荒野に入っていく者は
自分の強さを知っていますが、そこから出てくる者は自分の弱さを知り、神の強さを実感するのです。
同じことが起こります。このパターンが明らかになってきたでしょうか。あなたは神に用いられたいのですか?最初に期待すべきことは退けられることです。あなたは自分の兄弟や姉妹、同じ民から退けられるでしょう。そのようなことはとても辛い経験です。イエスは兄弟であるヘブライ人に退けられ、モーセは兄弟であるヘブライ人に退けられ、ヨセフも同じ目に遭いました。ヨセフ、モーセ、イエス、パウロ、そしてあなたと私は自分の仲間から退けられます。すべての教育や経験、富、権力、地位、名声も荒野に行くとそこでは意味を成さないものになります。神が燃える柴からあなたに語りかけるまでは、それらは完全に意味の無いものなのです。神はあなたに確かに語りかけます。「私はどのようにして行きましょう」「なぜなら私があなたを遣わすのだ」「あなたは誰なのですか」「わたしはあるという者だ」(※1)モーセがエジプトの王子であるとき、彼は自分がどのような者であるかを知っていました。モーセが知る必要があったのは、神がどのような方であるかだったのです。
あなたは荒野で神と出会わない限り、神がどのような方かを知ることは出来ません。良い 時であれば誰でも霊的になれるのです。荒野においてあなたにあることが起こります。あ なたはそれが何かを知らないでしょう。はじめはそれに興味をそそられます。これに近づ いて見てみようというように。そのすぐ後にあなたは聖なる地に立っていると気付きます。その聖なる地で神はあなたを使って他の人を導かれます。聖なる地に彼らを導き上りなさ いと言われます。「主よ、このためにあなたはここまで導かれたのですか?」そうです。
「しかし、彼らは私を退けました」「彼らは整えられておらず、あなたもそうであったからだ。今彼らは整えられてあなたも準備が出来ている」「しかし、それをどのようにしてなしえましょう。私は話すこともできないし、そのことを成し遂げられません」「いいえ、あなたには可能だ。いつでもそれをできた。もし、あなたがそれをできないのなら、あなたはここにいるはずはない。わたしは見込みが無い者を荒野に導いて時間を浪費したりはしない。かつてはあなたは自分が能力を持っていると考えていたが、今あなたはわたしの強さの内においてのみそれが可能だと知っている。行ってそれをなしなさい。行くのです」燃える柴の中からモーセはイエスの声を聞き、“ヒネニ”と答えました。(“ヒネニ”とは「ここに私がおります。何をしましょうか」という意味)
私たちの中で神がその人生における召し、奉仕を与えられていない人は誰もいません。私はそれが何かを知りません。それはリーダーシップであるかもしれないし、宣教地においてのことや、伝道に関することかもしれません。もし、神があなたを何かに本当に召して
おられるなら、最初の段階は退けられることです。次は荒野、そして燃える柴となるでし
ょう。
また私は約束します。荒野から出てきた男の人や女の人は誰であれ、最初に入っていた人と全く違う人になるのです。†††
(※1)
それはテトラグラマトンでヤハウェと呼ばれ、YHWH とは昔ある方、今おられて後に来られる方、わたしはあるという方を示しています。また、ヨハネ 8 章シムハ・トーラーにおいて、人々はイエスに石を投げようとしました。なぜなら「アブラハムがいる前からわたしはいる(ギリシア語ではエゴ・アミ)」と言われたからです。イエスは自分自身を神と認識していました。
Christian Cult - Japanese
l イントロダクション
もちろん選ばれた者たちが騙されるなんてあり得ないという人たちがいます。 ですがそれ自体が嘘です。起こりもしないことをイエスさまが何度も警告する ことはありません。それはそうとして、イエスさまはクリスチャンを騙す人た ちに関して警告していました。モルモン教やエホバの証人に騙される人がいる なら、それは救われて間もない人か、物事を何も知らない人たちです。救われ て 3 年、4 年、5 年経った人たちはそのような人たちの犠牲にはなりません。
l 人から始まる カルトにも神学的な「カルト」と社会的な「カルト」があります。ですが、
この二つはどこかの時点で必然的に合流し、ひとつとなります。
あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私 はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。 キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけ られたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたの はパウロの名によるのでしょうか(1 コリント 1 章 12 節-13 節)
人々は「パウロにつく」、「ケパにつく」、「アポロにつく」と言っていました。
「私はキリストにつく」と言っていた人たちは「どんな指導者をも認めず、指
導者の必要性も感じない。イエスが私たちのリーダーだ。牧師の権威など認め ない」と考えていました。人々は「私はあの人につく、あの人につく」と言い、 人を教祖に祭り上げてしまいました。
カルトの行うことは、関心を人間に向けること、時には死人に向けることで す。今日のカルト――福音派のカルト――でも創始者が生きていた時より、死 んだ後のほうが人気のあるカルトが存在します。
アッセンブリーズ・オブ・ゴッドはウィリアム・ブランハム(William Branham ※1)が生きていた時にも彼の考えを退けました。E・W・ケニヨン
(E. W. Kenyon ※2)の考えはペンテコステ派主流にとっては忌むべきもので した。「神の子たちの現れ・後の雨運動」、「再建主義、神の国は今」などのよう
なものは、40年代から50年代のアッセンブリーズ・オブ・ゴッドを含め、ペン テコステ派主流によって一般的に退けられていました。カルトと見なされてい たのです。これらかつてはカルトや異端と見られていたものは、現代急激に台 頭してきており、今日でもブランハムを信奉する者たちがいます。
カルトのリーダーは死んだ人物であることもあります。それはエホバの証人 やモルモン教のようなカルトのことではなく、真実の福音を信じる人たちのカ ルトです。人がそのような団体の中で救われると問題が発生します。モルモン 教徒が救われても何ら問題はありません。ジョセフ・スミス(Joseph Smith) は偽預言者だと分かっているので、モルモン教全体も偽りの道に入っているこ とが分かります。エホバの証人が救われても何ら問題はありません。チャール ズ・テーゼ・ラッセル(Charles Taze Russell)も偽預言者だったので、ものみ の塔も終わっています。ですが「クリスチャンカルト」を通して人が救われる と大きな問題が発生します。クリスチャンカルトとは神学的には「教会」です が、社会的に「カルト」である団体です。
そのように神学的にだけ「教会」で、社会的にカルトである団体は次第に異 端的になってきます。背教的な教えに引き込まれていくのです。ですがそのよ うな団体も最初は真実の福音をもって始まりました。
このような団体を通して救われると、人は真に新生したために、指導者が霊 的、心理的な影響を強く持ち、指導者からコントロールされるようになります。
私は「神の子ら(The Children of God)」という団体を通して新生しました。
クリスチャンになって最初の 5 年間はそのような団体と関わっていました。も うひとつは「聖書を理解する教会(The Church of Bible Understanding)」と いうものでした。また別のクリスチャンカルトは「聖書は語る(The Bible Speaks 別名 Greater Grace)」というものでした。そのようなカルトがなぜそ れほど危険かというと、真実の福音を伝えているからです。エホバの証人やモ ルモン教を排除する方法でそれらは排除できません。大きな問題がそこにはあ
ります。その団体に属している人と、そのような団体を通して救われた人は束 縛の下にあります。霊的に、そして心理的にも縛られてしまうのです。
l カルトの第一のしるし パウロなど使徒たちがこのような精神に反対していたことに注目してくださ
い。パウロがあなたを救ったのでしょうか?救いをもたらしたのはイエスであ って、福音であり、教会ではありません。ローマ・カトリック教会は救いの道 具だと自称し、司祭によって執り行われた秘跡によって、人が救われると教え ています(エクス・オペレ・オペラート)。これらの団体はキリストを宣べ伝え ますが、キリストとその団体との区別はつけません。
パウロは後にガラテヤ人への手紙で「肉の行ない」(ガラテヤ 5 章 19 節)「党 派心(20 節)」と呼んだカルトの第一の性質を非難していました。
「党派心、分裂、分派」(ガラテヤ 5 章 20 節)カルトの第一のしるしはパウ ロが「党派心」と呼んだものです。党派心の罪は、特定の団体が自分たちだけ が聖書の真理を握っていると主張するところに発生します。党派心を生むもの のひとつにグノーシス主義があります。グノーシス(Gnosis)とは「神秘的知 識」を表すギリシア語から来ています(1 テモテ 6 章 20 節「霊知」)。
ローマ・カトリック教会内にあるグノーシス主義は「センサス・プレニア
(sensus plenior)」――聖書の「完全な意味」というものです。聖書にはより 豊かな意味があることは事実ですが、ローマ・カトリック教会の主張している ことは、教皇がペテロの後継者であるために、みことばの意味を間違いなく定 義でき、それを基礎に教理を作ることが出来るということなのです。
グノーシス主義においては、聖書の釈義が大事なのではなく、聖書について 語る指導者の言葉が重要視されています。
ジョン・ウィンバーの運動である「ヴィンヤードムーブメント」は初代教会 にも存在したクリスチャンのグノーシス主義に基づいています。例えば、ヴィ ンヤードや後の雨運動、カンザスシティーの預言者などの基本的な教えは、再 建主義であり、「ヨエルの軍隊」と呼ばれるものです。
「町を襲い、城壁の上を走る。 主の命令を行なう者は力強い」
これはいなごに譬えられています。歴史的な背景からこれはネブカデネザル の軍隊で、悔い改めないユダを裁くために神が用いた軍隊です。ですがこれは また黙示録に登場する反キリストの軍隊の象徴でもあります。ヨエル書に登場 したいなごは黙示録でも再び現れています。それゆえ、この軍隊が何であれ、 終わりの時代に登場する反キリストの軍隊であり、ヨエル書 2 章 20 節には「わ たしはこれを滅ぼす。その臭いは天にまで立ち上る。それを西の海に追いやろ う」とあります。ヴィンヤード運動はこれが自分たちだと教えています。神に 裁かれ、滅ぼされる軍隊に入りたいと思う人たちがもしいるなら、ヴィンヤー ド運動に入るべきです。神の子たちの現れや後の雨運動もしかりです。
彼らにとっては聖書が何を語っているかは問題ではありません。神秘的知識 が語ることだけが重要なのです。「神さまが私だけに見せてくださった」という ようにです。
コープランドとヘーゲンは共にケニヨンの教えに頼っています。イエスさま が十字架上で「完了した」(ヨハネ 19 章 30 節)、また「父よ。わが霊を御手に ゆだねます」(ルカ 23 章 46 節)と言ったにもかかわらず、ケニヨン信奉者たち は「十字架上ではイエスさまではなくサタンが勝利を得たという啓示を、私は 受けた。イエスさまは三日三晩地獄で拷問を受け、サタンとひとつの性質とな り、そのサタン付きのイエスさまは地獄で新生し、死人からよみがえった」と 主張します。このようなものはイエスと全くの別人物であり、買い取ってくだ さった主をも否定する偽りの福音です。
繁栄の説教者たちもそうです。「神は私に 啓示を与えて下さった」と言いま すが、これらはみなカルト的です。
それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわ ち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、という
ことです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされ たのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語っ
たのだからです(2 ペテロ 1 章 20 節-21 節)
この節の直後に「パレイサズーシン(pareisazousin)」――「偽りの傍に真 理を置く」というギリシア語が登場します。そのような人たちは聖書預言の解 釈などを自分の解釈次第であるかのようにみなしてしまっています。それゆえ 聖書が何を語っているかが大事なのではなく、その指導者がどう語っているか が重要視されているのです。
l 人の上に立とうとする者たち これらの二つの特徴(党派心とグノーシス主義)が重なれば、第三のものが
来るのも時間の問題です。
イエスさまはニコライ派の行いを憎みました(黙示録 2 章 6 節)。ニコライ
派がどのような人たちであったか歴史から知ることは出来ません。使徒 6 章に 列挙されている執事たちのうちの息子がニコライで、ニコライ派は彼に従って いたのではないかという推測がありますが、誰も分かりません。このような話 は伝承から来たものです。ですが私たちが知ることが出来るのは「ニコライ派」 のギリシア語における意味です。「ニコス(nikos)」は「抑圧」、「ラオディクー ス(laodikeus)」は「民」という意味です。彼らは自分たちを支配層に押し上げ たのです。
次のような主のことばが私にあった。「人の子よ。イスラエルの牧 者たちに向かって預言せよ。
(ヘブライ語で「羊飼い」と「牧師」とは同じ言葉です)
預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。 ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わ なければならないのではないか。あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛 を身にまとい、肥えた羊をほふるが、羊を養わない。弱った羊を強 めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たも のを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で 彼らを支配した。彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野
の獣のえじきとなり、散らされてしまった。(エゼキエル 34 章 1
節-5 節)
聖書的なリーダーシップは模範によるものであり、他者を支配するものでは ありません。イエスさまはこのことでパリサイ人を強く非難しましたが、これ が初代教会にも入り込んでしまっていました。
「党派心」のあるところには大抵の場合、「グノーシス主義」があります。人々 は「あの先生は私たちより聖書に精通しておられるから」と言います。
ある時、本当におかしなことを語る人がいて、完全に異端でした。ですがそ の人は聖書に関して非常に深い洞察力を持っていました。自分の知名度を気に している指導者たちに気をつけましょう。本当に賜物のある人が、自己崇拝す る人々を容認している時には警戒しましょう。人はそのような人に関して「私 たちは先生のしていることが理解できないが、先生は私たちよりも神に近いお 方だ。深い洞察力を持っておられる」と言います。深い洞察力を持っているの は事実かもしれませんが、聖書の語ることと正反対を行っているなら、「あなた がたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい」という状況と同 じです(ヨシュア 24 章 15 節)。ですがそのような時点になると、従っている人 たちはもうすでに強い束縛の下に置かれています。
次に来るものはニコライ派の行い、重いくびきを負わせることです。「我々に 異議を唱え、我々に挑戦するとは君は一体何様のつもりなんだ。君は反抗的な 霊を持っている」と指導者は語ります。
l カルト指導者の人格 法医学の精神科医も同じことを言うと思いますが、カルト指導者の人格は独
裁者の人格とほぼ同じものです。アドルフ・ヒトラーやジョセフ・スターリン を含む多くの独裁者たちに関して、法医学の精神科医による評価が下されまし た。精神科医の一団が 1940 年代のイギリスやアメリカ連合軍に対するアドル フ・ヒトラーやジョセフ・スターリンの人格評価を行った際、彼らはあること について意見が一致しました。それはヒトラーやスターリンは、スターリング ラードの戦い(1942・1943 年)やバルジの戦い(1944・1945 年)で戦う勇気 は持っておらず、強制収容所の人々に強制したことを自分たちが行うのは明ら かに耐えられなかっただろうということでした。
カルト指導者は独裁者のようなもので精神的に不安定です。カルト指導者は 人格的に精神不安定であり、より精神不安定な者たちを回りに集めることによ り、その人たちをコントロールし、彼らを通して人々のもとに行きます。カル ト指導者は、一緒に怒鳴りつけてくれる者無しには、ほとんど誰かと関わろう としません。カルト指導者は基本的に自分の言うことを繰り返すだけのオウム のような人物を送り出します。カルト指導者は精神不安定であり、その部下、 代理人もまた精神不安定で容易に操作されてしまう人たちです。
すべての人が同じ訳ではありませんが、ひとつのことは確実に言えます。あ る人が新生したなら、その人は霊的に変化し始めます。そして霊的に変化する と、心理的に変化してきます。神は人を内から外へと変えていきます。イエス にあって成長するにつれて、その人はキリストにあって安定していき、共にキ リストにある者たちと和合するようになります。クリスチャンのカルトではこ れが起こりません。クリスチャンのカルトとは神学的には「教会」ですが、社 会的に「カルト」である団体です。その人たちはキリストにあって安定するこ とがありません。彼らの安定は指導者との関係性に基づいてしまっています。 程度の差こそあれ、カルトに属する者はすべて同じです。
再建主義神学に陥っている大半の「ハウスチャーチ運動」は、どの程度カル ト化しているかで差があるだけです(1990 年代から始まったハウスチャーチ運 動は、新使徒改革を通してキリストが再臨する前に、この世に神の国を打ち建 てることを目指してきました。その中で悪名高いのがピーター・ワグナー、シ ンディー・ジェイコブス、リック・ジョイナー、ビル・ジョンソンです)。みな 同じ道をたどっています。そのようなハウスチャーチ運動とエホバの証人やデ イビッド・コレシュが違う点は、ただ彼らの方がより深く堕ちて行ってしまっ ているということだけです。神学的には「教会」であっても社会的に「カルト」 である教会は時間が経つと確実に異端の教えを持つようになります。ささいな 誤りではなく、根本的な誤りです。「神の子ら」もそれをし、「聖書を理解する 教会」もそれを行いました。時間が経つとそのようなものは教理的誤りに陥る のです。しかしそれはただの始まりに過ぎません。
このような人たちは精神的に不安定なので、自分たちが知らないことを知っ ている人を恐れます。
私たちは教育を崇拝すべきではありません。アポロとパウロは正式な学問が
ありましたが、ペテロとヨハネはそうではありませんでした。そうであっても ペテロとヨハネの持つ使徒の権威はパウロのものに劣ることはありませんでし た。しかしながらペテロは手紙の中で「これらのことは複雑だ。パウロがそれ
らを説明するほうが良い」と語っています(2 ペテロ 3 章 15 節-16 節参照)。
ある人の知性が十字架にかけられ、知性に頼らず、キリストに頼ることを学 べば、知性はとても良いしもべとなります。「知性」は良いしもべですが危険な 主人です。ですが「無知」は死をもたらす主人です。「知性」は良いしもべです が悪い主人です。「無知」は悪いしもべであるだけでなく、死をもたらす主人で す。
このような人たちが神学校や聖書学校、ギリシア語を読める人々を無意識の うちに貶めるのが見受けられるでしょう。彼らはその人々を恐れるでしょうか ら。彼らは自分の知らないことを知っている人々に出会うと、自分の団体の中 でその人々を貶め、卑下し、笑い者にせずにはいられないでしょう。彼らは原 語のギリシア語やヘブライ語を読め、神学校に行った人たちが自分たちにとっ て脅威であると知っています。それは独裁者たちと同じです。彼らは自分が持 っていない知識を持つ者を恐れるので、結果その人たちを貶めるのです。「そん なもの必要無い」と彼らは言います。そしてそれ自体は事実であることを言い ます。「大学には博士号を持ち、ギリシア語やヘブライ語が読める者が多くいる が、彼らは地獄へ向かっている。彼らは救われてもいない」彼らはその点を強 調しますが、コインの裏側を見ようとはしません。彼らは人をコントロールす るのに見合うことだけを強調します。
独裁者やカルト指導者たちを見ると、彼らは自分自身が精神不安定であるた めに、人々を同じく精神不安定にすることによってだけコントロールすること が出来ると分かります。
l 教理の誤りを越えて 最終的に彼らは教理の誤りに陥ります。ですが必然的にある時点からふたつ
の事柄――両方同時とはいかなくとも――が起こります。最初のものはエゼキ エル 34 章に記されたような金銭的不祥事です。「あなたたがは私腹を肥やすた めに羊をほふるが、彼らの生活を見てみなさい」(エゼキエル 34 章参照)
ひとつの例が、ネズミが出るような犯罪率が多いスラムに信徒たちが住む一
方で、5 機の飛行機を保有し、バハマで二人目の妻と休日を楽しんでいる指導者 です。ある人はニューヨークシティーの劣悪な地域に住み、一日 14 時間カーペ ットを掃除し、すべてのお金をそのカルトに寄付しています。その寄付の名目
はハイチに住む子供たちに与えるためだといわれています。もしかすると寄付 金の一部がそこに届いたかもしれませんが、確実にそのお金はその指導者と彼 の妻しか乗らない 5 機の飛行機のために使われたことでしょう。
金銭的不祥事が最初のものです。そこには大抵の場合、格差が見受けられま す。奉仕は仕える立場であるはずなのに、牧師たちは「先生」と呼ばれる栄誉 と、世俗社会では得られない金銭的な地位を得ようとしています。世界的に見 て、これらのことはペンテコステ派の牧師たちの中に見られ、神学的な理解は ないがしろにされ、お金や繁栄が強調されています。(このようなことは、仏教 カルト「幸福の科学」にも見られるものです。神道の神官でも家から霊を追い 払う振りをして、人を恐れさせ、お金を巻き上げています)
このような人たちの中に多くの場合、見受けられる二つ目のものは性的不祥 事――性的不品行です。それは明らかになるまで、ある期間は内密に行われま す。
短期的にカルトを見ると、これらが脱出するための警告です。そこにはある 形でグノーシス主義と関連した「党派心」の罪があります。そして他者が気付 いてこなかったとする教理の偏りがあり、支持者たちはそれに傾倒しなければ なりません。その時点で脱出しなかった場合はその次に金銭的不正があり、金 銭の搾取があります。非常に多くの場合、金銭の搾取を行うためにその人たち は什一献金などの聖書の教えを歪曲します。そしてそこには不品行――大抵の 場合性的なものがあり、異常な性的嗜好を持つ者までが時には存在します。
l どのようにして生じるのか 新約聖書から読み取れるサタンの最初のトリックは、4 世紀に教会を異教化
する以前、教会をユダヤ教化することでした。といってもこれは教会を「ユダ
ヤ化」することとは違います。教会は事実神学的にユダヤ的なものだからです。 イスラエルは本来の根です(ローマ 11 章)。聖書はヘレニズムの観点から理解 されるべきではなく、ユダヤ・キリスト教の観点から理解されるべきです。主 はみことばをご自分の民、文化を持つ国を通して啓示されたため、私たちはそ れを理解しなければなりません。聖書的キリスト教を理解するためには、聖書
的ユダヤ教をまず神学的に理解することが必要不可欠です。イエスさまは律法 を成就されました。サタンの最初の誘惑は人々を律法の下に置くことであり、 本来キリストを指し示すものとしての律法を違った形で用いることでした。
これは慣習とは違います。イスラエル系ユダヤ人の家族を持ち、ガラリヤで 生れた子供を持つ者として、私たちは文化のためと、未信のユダヤ人への証の ために過越の祭りを守っています。ドアにはメズザーもあり、家庭でヘブライ 語を話しています。ハヌカを祝えば、プリムも祝い、ユダヤの祭りの多くを祝 います。私たちは日曜に教会に行き、土曜日――安息日にはメシアニック系の 交わりに参加します。従ってサタンが教会をユダヤ教化したということは、自 分の文化の中でユダヤ人に福音を伝えようとして文化を守ることとは違います。 これは間違っていません。また第一コリント人への手紙 9 章でパウロが語って いるような、証のために文化を採用した人たちによるユダヤ人への伝道も同じ です。問題となってくるのは律法を守ることが、救いや聖化に必要不可欠だと 誰かが主張する時です。そのような人たちは「あなたたちは恵みによって救わ れたけれど…」と言います。
律法を守ることが救いに不可欠だと言われる時にはそれは「律法主義」に陥 っています。聖化のために不可欠だと言われる時、また救われた人があれやこ れをしなければならないと言われる時、それは「ノミアン主義(Nomianism)」 と呼ばれます(その言葉はギリシア語の「ノモス」から来ています)。
今日、二つの契約の下で生きようとしている二種類のグループに気をつけな ければなりません。ひとつはメシアニック運動の過激派です。これにはアーノ ルド・フルクテンバウム(Arnold Fruchtenbaum)のようなメシアニックの良 い教師や、新約聖書のユダヤ的背景の理解を助けている人たちなどは含まれて いません。またユダヤ人に伝道するためにユダヤ的文化の枠組みで礼拝してい る人たちもこれには含まれません。問題なのは、律法を守ることが義務だと教 える人たちです。
デイビッド・クリス(David Kriss)という人がメルボルンにいますが、彼は 危険な人物です。しかし彼だけが過激派メシアニックではありません。イング ランドでは最終的に刑務所に入れられたフィリップ・シャープ(Philip Sharp) という人がいます。彼はイスラエル人の妻と子供を捨て、集会で自分を王なる メシアとして崇めさせていました。彼は「メシアニック・ジューイッシュ・ラ ビ」でした。ある人たちは狂っています。クイーンズランドにはある種のハラ
ハー共同体がありますが、私はそこに近づくことさえもしたいと思いません。
再度強調しますが、これにはアーノルド・フルクテンバウムやアルト・カッ ツ(Art Katz)のような人は含まれていません。私は良い人たちのことを言っ ているのではなく、おかしな人たちのことを指摘しています。ですがメシアニ ック・ジューだけが隔ての壁を再建しようとしているのではありません。二つ の契約の下で生きようとする人たちが他にもいます。それはセブンスデイ・ア ドベンチストです。デイビッド・コレシュ(David Koresh 信者の集団自決を 引き起こしたカルト指導者)の信奉者たちの大半がセブンスデイ・アドベンチ ストでした。
二つの契約の下で生きるような、深刻で根本的な教理の誤りに陥ると、人は さらに深刻な誤りに陥りやすくなります。いったん根本的な教理の誤りに陥る と、自動的にその人はより深刻で、より危険な誤りに対して無防備になります。 ただそこにあるのは程度の違いだけです。
デイビッド・コレシュについて記された記録を読むと信じ難いものですが、 福音派のカルトでも不可解な事を人々に行わせた
Christmas is Coming - Japanese
クリスマスがやって来る
ジェイコブ・プラッシュ
はじめに
“クリスマス”をヘブライ語では“ハグ・ハ・ノロド(Hag Ha nolod)”といいます。文字通りには“誕生の祭り”という意味です。ローマ 14 章 4 節ではどんな宗教の祭りを祝うか
についてさばいてはいけないと書いてあり、似たような文脈でコロサイ 2 章 16 節から 18節では、誰もあなたをさばかせてはいけないと書いてあります。どの祭りを祝うかということは、個人の文化と背景の問題であり、自分と主の間で決めるべき事柄です。私は人がクリスマスを祝うかどうかということには関心がありません。それは私にとって大きな問題ではないからです。私が関心を持っているのはクリスマス、または降誕についての神学です。イエスさまがいつ生まれたかは誰も分かりません。しかし、イエスさまが生まれたことは私たちみなが知っています。
私の家族はイスラエル人でハヌカの祭りを祝います。ヨハネ 10 章において、イエスもハヌカの祭り――すなわち宮きよめの祭りを祝いました。反キリストの到来を理解するためにはアンティオコス・エピファネス(B.C.215-164 セレウコス朝シリアの王)とマカベア家の出来事を通して理解することが非常に重要です。私たちはハヌカのパーティーを開いて未信のユダヤ人たちを招きます。
私の家ではクリスマスは祝わずに、降誕を祝います。私たちは教会に行って、キャロルサービスに参加します。それだけです。私たちは奉仕や生活に困っている家庭のために何かしますが、それ以上のことは何もありません。私の家族にとってクリスマスは完全に教会の行事なのです。お祝いとして私たちはハヌカの祭りを祝います。
クリスマスと終わりの日
クリスマス、またはキリストの降誕が終わりの日とどう関係があるのでしょうか。これを聞いて驚くかもしれませんが、その答えはすべてに関してです。
キリストの初臨(最初の到来)を理解しなければ、再臨を理解することは決してできません。キリストの初臨に起こったことは、再臨において繰り返され、反復されるのです。イ
エスさまがお生まれになったとき、ローマ皇帝は以前オクタヴィアヌスと呼ばれていたカ
エサル・アウグストゥス(アウグスト)でした。アウグストゥスは史上初めて生存中に神聖化されたローマ皇帝です。したがってイエスが最初に来られた時に、ローマ帝国をローマ皇帝が統治しており、神として崇拝されていました。このローマ皇帝は人口調査を行い、民に番号を与え――実際に民に番号を付けたのではありませんが、当時知られていた全世界の人にそれぞれ番号を与えました。実はアウグストゥスによって人口調査は二度行われており、そのどちらも世界の金融支配を握るために実施されたのです。イエスさまが戻って来られる時にも同じことが起こります。その時にはローマ帝国が復活し、実質的には神聖化された人が政権を握るのです。この半分神のようにみなされた者が世界の経済を支配するために人々の数を数えます。イエスの初臨において起こったことは再臨において再び起こります。クリスマスはただ過去に起こった出来事ではありません。クリスマスは未来の出来事であり、預言的な事柄なのです。
ヨエル書や黙示録、オリーブ山の訓戒(マタイ 24 章など)ではキリストの再臨に先立って空や宇宙にしるしが現れると書いてあります。ユダヤ人は当時自分たちの土地にいながらも、ローマ皇帝の支配下にありました。ローマ皇帝はどのようにその地に支配を広げたのでしょうか。それは誘惑によってです――ローマの軍人であったポンペイウス(B.C.106-
48)はユダヤ人を誘惑し、神殿の至聖所に侵入しました。大祭司以外が、それも贖罪の日ではないときに至聖所に入るなら、その出来事は反キリストを何らかの形で表しています。ローマ帝国のポンペイウスのもとで起こった事は再び繰り返されます。今日、ヨーロッパや中東で起こっている出来事はその準備段階にあるのです。
ヨハナン・ハ・マトビル――バプテスマのヨハネ――はエリヤの霊と力をもって現れました。ヨハネはイエスの生まれる直前に生まれ、イエスが現れる直前に登場しました。預言者マラキはそのことをエリヤが現れるという言い方で予告し、イエスもその事実を認めました。
イエスが最初に来られたとき、イスラエルには多くのにせ預言者がいたので、イエスが戻られるときも、また多くのにせ預言者が現れるでしょう。イエスを信じるべきであった当時の信者たちが堕落してしまった一般的な状況は、今イエスを信じるべきである信者たちの堕落した状況と何ら変わるところがありません。
イエスの初臨は再臨がどのようになるかを示しています。クリスマスは大して重要ではありませんが、イエスさまの降誕はとても重要な事柄です。イエスさまが最初の到来においてどのように来られたかということを理解しなければ、二度目の到来について理解することはできません。もちろん両者には違いがありますが、一方が他方を象徴しています。
過去 20 年間をユダヤ人への伝道師として過ごした中で、私が考え続けていた疑問があります。イスラエルはメシアの到来に2千年という歳月をもって備えられ、神と契約を結んだ関係であり、聖書を持っていたのに、どうしてイエスさまが最初に来られたとき、数少ないユダヤ人しか整えられていなかったのか、という問題です。パウロは悪魔がユダヤ人の目を見えなくしたと書いています(ローマ 11 章 25 節)。イエスが来るまでにイスラエルには2千年間あり、神と契約を結んだ関係であり、聖書を持っていたのです。しかしそれにもかかわらず、残りの者たちだけがイエスの到来に整えられていました。同じことがイエスさまの戻って来られるときにもいえます。ただ今回はイスラエルだけにではなく、いわゆる教会にも同じことが起こるのです。
どのようなクリスチャンが終わりの時代にイエスを迎える準備が出来ているのでしょうか。その答えを知りたいのなら、イエスの最初の到来において、どのようなユダヤ人が準備を していたのかをよく調べる必要があります。イエスが戻って来る際に、どのようなクリス チャンが準備を出来ていないかを知りたいのなら、最初の到来においてどのようなユダヤ 人が準備をしていなかったのかを調べる必要があります。イエスの最初の到来は、再臨が どうなるかを示しています。私たちは最初の到来を理解しないかぎり、再臨を理解するこ とはできません。もっとも二度目にイエスさまは地上の母親から生まれた赤子としてやっ て来るのではありません。ふたつの到来に違いはありますが、本質的に最初の到来は再臨 を前もって示しています。
準備が出来ていなかった者たち
最初の到来において、どのようなユダヤ人が準備をしていたかを見る前に、どのようなユダヤ人が準備をしていなかったかを見てみましょう。そのようなユダヤ人のことを理解すると、どのようなクリスチャンが準備をしていないかが分かります。
マタイによる降誕の物語を読んでみましょう。マタイ 2 章 1 節から、
『イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。『ユダの地、ベ
ツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたし
の民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」』(マタイ 2 章 1 節
-6 節)
ここを読むと分かるのは、イエスさまが最初に来られたときに備えが出来ていたのが誰も予期しないような人であったということです。博士たち、または賢者たちはペルシャから来た者でした。彼らは古代メディア人とペルシャ人の間で儀式を執り行う者でした。どういうわけか古代ペルシャにはゾロアスター教と呼ばれ、何世紀にも亘って変化してきた宗教がありました。ゾロアスター教は一神教であり、この宗教は唯一の神がいること、また人は自分の罪に対して責任を負うことを信じていました。そして光の子らと闇の子らとの間に争いがあるということも信じていました。言い換えるなら、ゾロアスター教はエッセネ派とクリスチャンが信じていたものと同じようなことを信じていたのです。
バビロン捕囚の期間、ペルシャがダニエルの預言の成就としてバビロンを征服したとき、すでに一神教に傾倒していたペルシャの王たちの幾人かがユダヤ人の神を信じるようになりました。ペルシャには長い間ユダヤ人の影響が根強く残っていたのです。例を挙げると、エステル記やメディア人ダリヨス、またその誕生の 200 年前にイザヤによって名前が預言されていたクロスなどが存在しました。エズラ記やネヘミヤ記を読むとその場所で何が起こったかが分かります。ハスモン朝時代からイエスの時代にかけて、ペルシャ人はずっとユダヤ人を手厚く扱ってきました。実際、イランの“シャー(Shah=王)”が倒れるまでペルシャ――イラン――はイスラエルを大事にしてきました。私は確信を持って言えるのですが、ダニエルが三週間祈りと断食をもって対抗したペルシャの君(ダニエル 10 章 13 節、
20 節)は今日もシーア派イスラムという形で、イランのイスラム原理主義の中に存在して
います。現代的なクリスチャンの団体に属している人たちは、悪霊のことを“地域を支配する霊(territorial spirits)”と呼ぶのを好みますが、これは良い翻訳でも解釈でもありません。これはギリシア語で“アルケ(arche)”、またヘブライ語では“シェディーム(shedim)”といいます。この言葉の良い訳語は“支配者(principalities)”であり、国々の上にある悪霊の力のことです。今日、他のおかしなことに加えて、“結ぶことと解くこと”を行っている正気ではない人たちが大勢いますが、国々の上に“支配者”がいることは否定できません。ダニエル書はそれを明らかにしており、ゲラサ地方では悪霊たちがイエスに、その地から追い出されずに豚に入ることを熱心に請いました(ルカ 8 章 31 節-33 節)。この言葉を使うことをお望みなら、地域を支配する霊は存在しますが、これは良い解釈とはいえません。その霊は存在します。北アイルランドのベルファストではケルト系の戦いの神が壁画に記されていますが、そこはプロテスタント系とカトリック系がどちらも仲間を集めた場所でもあります。
そうです、東方からの賢者たちは時のしるしを見分ける方法を知っていました。残念なこ
とに、新生したクリスチャンであっても、今中東で起こっている出来事の大切さが分らない人たちがいます。その人たちの目はそのようなことに対して盲目で、あたかも聖書の中にゼカリヤ書が無いかのように考えています。その人たちはヨーロッパ経済共同体(EEC)で何が起こっているか――世界経済のグローバル化、環境破壊などのどんなしるしでも、賢者たちが悟っていたようには理解していません。
東方の博士たちはメシアをひと目見ようと足を運び、非ユダヤ人が、誰も期待していなかった人たちが東で星を見たためにやってきたのです。彼らがエルサレムに来たとき、ヘロデは彼らの話を聞き、戸惑い、エルサレム中の人も王と同様でした。エルサレムはここにメシアが来るとダビデによって語られた都市であり、そこに神殿がありました。神殿はユダヤ人のアイデンティティー、またメシアへの希望の中心でしたが、そこに住むほとんど誰も、メシアが来るのを望んではいませんでした。
多くの教会の中にも同じ態度を見受けられるでしょう。道路を車で走り、通り過ぎて行く教会を見て、イエスさまに本当に戻って来てほしいと願っている教会がいくつあるかを考えてみてください。エルサレム中の人が戸惑っていました。確かに彼らは儀式や典礼、祝祭や休日を守っていましたが、イエスさまが現れるときになると、すべての人が心穏やかではなかったのです。その中で特に戸惑っていたのが国や宗教の指導者たちでした。このことを考えてみてください。
さらに恐ろしいことに――指導者たちはみことばを知っていました。ヘロデはメシアがどこで生まれるのかを知ることを望み、民の祭司長たちや学者たちはミカ 5 章 2 節の記述から、メシアはベツレヘムで生まれるとヘロデに告げました。彼らは頭ではみことばを分かっていましたが、肝心の心にはみことばを蓄えていませんでした。イエスさまが現れたことは、彼らが望み、欲していたことと限りなく正反対だったのです。イエスさまが戻って来られるときには少しでも状況が違っていると、みなさんは思われるでしょうか。
サタンの罠 信仰を失うこと
今日、教会の中でサタンが付くほとんどの嘘は、ひとつの目的のためにあります。それは神の民の期待をこの人生とこの世に置かせることです。これが信仰を失うことの定義です。神の国は今、支配主義、勝利主義、カルヴァン的再建主義――これらのことは一体何をしようと試みているのでしょう。それは神の国を今建て上げ、この人生に望みを置くことです。繁栄の信仰、お金目当ての説教者たち――彼らは貪欲の罪を教えてそれを信仰と呼び、マモン(富の神)崇拝を教えて神の礼拝と呼んでいます――今どのようなことが起こって
いるのでしょうか。この人生に望みを置くことです。
後千年王国信奉者のジェラルド・コーツとリック・ジョイナーという人は、携挙(クリスチャンが空中に引き上げられること)が悪魔の嘘であり、幻想、神話であると言っています。この人たちは携挙をあざけって、『スタートレック』の「Beam me up, Scotty(瞬間移動させてくれという場面)」と同列に置くのです。彼らの目的は何なのでしょうか。それは教会に携挙のことを忘れさせ、この世に望みを置かせることです。エキュメニカル運動の目的は何だと思われるでしょうか。人間の兄弟愛を立て上げることです――これもまた世に望みを置くことです。イエスさまが最初に来られたときにエルサレム中が戸惑っていました。またイエスさまがお戻りになられるとき、エルサレム中が、いやエルサレムだけではなく、イスラエルが再び恐れ戸惑うのです。
イスラエルの国や宗教の指導者たちはみことばを知っていましたが、イエスを望んでいませんでした。2千年という年月を要して、神はイスラエルをイエスの到来のために備えておられました。イスラエルが国として、民族として存在する唯一の目的はイエスの到来のためでしたが、ごく少数の者しかイエスを待ち望んでおらず、彼が戻られるときも同じようになるのです。
準備が出来ていた者たち
一方で、イエスの到来に備えていたユダヤ人たちはどのような人だったのでしょうか。調べてみましょう。ルカの福音書1章を開いてください。
ルカ 1 章 46 節から 55 節には“マニフィカト(マリアの賛歌)”が記されていて、ギリシア
語でそれを読んだなら、七十人訳の士師記 5 章のデボラの歌にとても似ているものだということが分かります。御使いガブリエル――“神の力強い者”という意味の名の御使い―
―はやって来て彼女が女の中で最も偉大な女性であることを告げました。「女の中の祝福された方。全能の神はあなたの中に肉体をとって宿られる」彼女の名前はマリアではなく、モーセの姉と同じミリアムという名前でした。“ミリアム”という名のヘブライ語の語根は
“苦い”という言葉です。彼女は金髪で青い目をしていたのではなく、むしろ黒い髪をして、セム人の容貌をしていたでしょう。彼女はメジュゴリエやグアダルーペ、ファティマ、ルルドなどの地(マリアの顕現があると言われる場所)にはおもむいたことは一度もありません。彼女の名はミリアムで、ガブリエルからその重要な告知を受けたときはおそらくまだ十代半ばでした。女の中で最も偉大な女性は、自分がどのような者であるかと告げられたとき、それに対してどう答えたでしょうか。
『わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます』(46節-47 節)
女の中で最も偉大な女性は神をわが救い主と呼び、自分が罪から救い出されなくてはならないことを、はっきりと口にしました。女の中で最も偉大な女性が救い主を必要としていたのなら、私はどうなるのでしょうか。『義人はいない。ひとりもいない』(ローマ 3 章 10
節)『すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ』(ローマ 3 章 23節)ないのです。ギリシア語の“セオトコス(Theotokos)=神の母”という言葉は新約聖書には出てきません。彼女は、ご自身の民をその罪から救われる方メシアの母になると告げられ、それに対して『わが救い主なる神を喜びたたえます』という言葉をもって答えたのです。全能なる神が肉体をとって自分のうちに宿ると告げられた女性の発した言葉は、ただ自分も救われる必要があるということでした!
女の中で最も偉大な女性が救い主を必要としていると言うのなら、私は彼女を信じます。私は彼女が嘘を付いたとは思わず、もし嘘を付いたとしても、神はみことばの中に嘘を入れることはなかったでしょう。そうすると私は誰を信じるべきなのでしょうか。マリア自身か、マリアが母の胎から原罪を持っていなかったとする“無原罪懐胎”の嘘でしょうか。なぜこのようなものが出てきたかというと、このマリアのイメージは女神ミネルバやエペソのダイアナなどを偽ってキリスト教化したものであって、エゼキエルやエレミヤにある預言の通り、それらをマリアに当てはめた結果なのです。幼子と共にいるマドンナは、元来タンムズ(バビロンの神)崇拝から由来しており、それはエゼキエルが反対して立ち上がったものでした(エゼキエル 8 章 14 節)。エレミヤは天の女王を礼拝することについて警告していました(エレミヤ 7 章、44 章)。
ミリアムは救い主が必要だと言いました。神は人となって、私の罪を取りそれを御子であるメシアに負わせ、御子の義を取り私に与えてくださいました。なぜ神が私の代わりとなるために、人となる必要があったのでしょうか。
私がまだ幼いクリスチャンであった頃、「イエスさまは私の個人的な救い主」というきまり文句を使っていました。しかしながら、実際その意味を完全には理解していませんでした。私はただ救い主を個人的に受け入れたからだという意味だとしか思っていませんでした。しかし当時は半分の意味しか分かっていなかったのです。“個人的な救い主”という言葉が全体として伝えていることは、もし私だけが罪を犯した唯一の人間であったとしても、ただ私だけのためにイエスさまはミリアムから生まれ、十字架に行き、死者の中からよみがえらなければならなかったということなのです。私だけのためにです。なぜ神は私のために死ななければならなかったのでしょう。こんなコカイン中毒者のために。なぜ神が人と
なって私のために死ななければならなかったのでしょう。なぜイエスさまは死者からよみ
がえって私に永遠のいのちを与えなくてはならなかったのでしょう。ミリアムに関してなら理解しやすいことかもしれません。それでも彼女は救い主が必要であるということをはっきりと告げていたのです。
宗教的な人は救い主が必要だと思いません。儀式や何らかの祝いを行っているからです。悪魔は麻薬や性的不品行、ギャンブル、アルコール中毒をすべて合わせたものよりも、宗教を使って人々を地獄に落とします。ほぼ間違いなく言えることですが、人間の文明において最も影響力があった二人の人物はカール・マルクスとイエス・キリストでした。どちらもユダヤ人でしたが双方には大きな違いがあります。実際どちらも物事の捉え方に関して両端に位置しています。しかし両者が同意することがあります。宗教は人類に対して行われた最大の詐欺であったということです。福音は宗教ではありません。福音は神との関係性です!
「救い主が必要」そのようにマリアは言いました。マリアは十代の少女でありながら音楽番組に出ているブリトニー・スピアーズに夢中になったり、自分の虚栄心に左右されている者ではありませんでした。彼女の応答は、自分自身が救い主を必要としているということだったのです。このようなユダヤ人が最初の到来において備えをしていました。
私はミリアムのことが好きで、ミリアムを愛し、ミリアムを尊敬しています。ミリアムを素晴らしくて、最高で、他にはいないような人だと思い、彼女に会うのを待ち遠しく思っています。しかし名ばかりの教会のゆえに、金髪でふしだらな女となったマリアとは何の関係も持ちたくありません。
ゼカリヤとエリザベス
ミリアムには親類がいました。ルカ 1 章 5 節と 6 節ではそのことについて書かれてあります。
『ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。』(ルカ 1 章 5 節-6 節)
ここで思い出してほしいのがサンヘドリン、聖職者たちは堕落し――金儲けに走っていっていたということです。それは現代ベニー・ヒンやコープランド、ヘーゲンの行っているようなものでした。このような状況はイエスさまが最初に到来したときと同じです。しか
し聖職者たちの間で広まっていた腐敗や偽善にも関わらず、その中には個人的に正しい者
たちがいました。
アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの中で自分の教団に起こったことに心砕かれている牧師たちを私は知っています。イギリスでは、英国国教会に起こったことに対して心砕かれている聖公会の教区牧師たちを私は知っています。バプテスト派の中にもそのような人たちがいます。どんなに状況が悪くても、ゼカリヤのように正しく、献身的で、敬虔な人たちがいるでしょう。制度や聖職者たちがどんなに堕落したとしても、そのような人たちはついて行きはしません。その数は多くはないかもしれませんが、確実にそのような人たちがいます。それがイエスさまの最初の到来の時に準備が出来ていた者であり、イエスさまが再臨されるときもこのようなクリスチャンは備えが出来ているのです。
シメオン
さらに詳しく見てみましょう。ルカ 2 章 24 節では、マリアが山ばと一つがいをささげ物としたことが書かれています。繁栄の信仰を教える説教者のひとりは、イエスの家族が貧しくなく裕福だったと教えています。私の仲間が彼の集会でどうしてそう言えるかを公に質問しました。「もしそうだったなら、なぜマリアは貧しい人のささげ物を持って行ったのか」と。彼の応答は、質問をした人を外に案内するというものでした。間違った質問を聞いてしまったのです。
ルカ 2 章 25 節
『そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。』
サンヘドリンはイエスを望んではいませんでした。エルサレム中が困惑していましたが、シメオンはイエスさまを待ち望んでいました。26 節によると、それが彼の生きながらえている唯一の目的だったのです。
『また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。』(ルカ 2 章 26 節)
古い契約の下では、聖霊はただ特定の人物に特定の時期――大祭司、王、預言者と特定の他の個人たちにしか与えられませんでした。ある意味において彼らだけが聖霊を持ってい
たのです。ペンテコステの後に信じるすべての者に下るまではそのようでした。ペンテコ
ステの前には、御霊の賜物は今日のように多くは与えられていませんでした。
27 節
『彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。』
(両親は私が子どものときにこのために連れて行きましたが、今であったなら無理でしょう。これはもちろん割礼を受けさせることを意味しています。私の息子が生まれて八日になって割礼を受けさせた時、ラビが入ってくる際にヘブライ語の祈りを唱える必要がありました。そのラビはコットンの玉を取って、それをワインに浸し、赤ん坊の口に押し込みました。それは何のためにするのかと聞くと、ワインは痛みを和らげるためだと言っていました。そこで私は「もしこの子がナイフを見たら、ウイスキーをくれと言うだろうな」と言ったのです)さて、本題に戻りましょう。28 節から
『すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」』(ルカ 2 章 28 節-
32 節)
このシメオンという人は聖霊に満たされて、メシアを見るまでは死なないという約束を与えられていました。彼は年老い、髪の毛は少なくなり、歯は抜け、目は悪くなり、もうデートする相手を見つけることもできませんでしたが、イエスさまが現われるまでは死なないことを知っていました。彼は新約聖書で信仰の賜物と呼ばれるものを持っていたのです。
新約聖書は私たちみなに信仰の量りが与えられていると教えています。私たちは信仰を通して恵みによって救われ(エペソ 2 章 8 節)、信仰が無ければ神を喜ばせることはできず(ヘ
ブル 11 章 6 節)、信仰によってなされなかったことはすべて罪だと(ローマ 14 章 23 節)みことばによって伝えられています。しかしながらこれと違って、信仰の賜物はすべての人が与えられているものではありません。信仰の賜物とは聖霊に啓示された、聖書に特別に書かれていない事柄に関して完全に神に信頼する能力のことです。この賜物を持つ多くの人たちはとりなしをする人です。ヘブライ語とギリシア語はどちらも、祈りととりなしとの間に区別を設けています。その賜物を持つ人たちは祈りにおいて本当にとりなし――そうなればいいと思ったり、自分の心の愚かさを信頼するのではなく――信じて、知り、神が与えてくださった信仰によって約束に固くつくのです。本人にこう言えばおそらく否
定したかもしれませんが、イギリスにいたジョージ・ミュラー(1805-1898)は信仰の賜物を持っていたと思います。彼は路上にいた子どもたちを引き取り、次の日に天文学的な量のお金が必要であったにもかかわらず、祈ることによってまさに必要な時にお金を受けました。
考えてみてください。年老いた老人がイスラエルの慰められることを待ち望み、聖霊に満たされていたということを。シメオンはただイエスさまが来るのを望んでいました――彼が気にかけていたことはそれだけで、朝ベッドから起き上がるのもそれが唯一の目的だったのです。
アンナ
そこにはただ年老いた愛らしい男性がいただけではなく、年老いた愛らしい女性もいました。ルカ 2 章 36 節ではこう言われています。
『また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。』
(英ユ同祖論 [イギリスなどのヨーロッパの先祖がイスラエルの失われた十部族だったという教え] やアームストロング説を信じないでください。この人たちは自分の民族アイデンティティーを紀元 2 世紀や、3 世紀まで持ち込んでしまっています)
『この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。』(ルカ 2 章 36 節-38 節)
何年も何年も、この愛らしい老女がしていたことはただ神の家で、祈り、断食し、神に仕えるということでした。そして彼女はイスラエルの贖いを待ち望んでいるすべての人に向かって、イエスについて話さずにはいられませんでした。この世は若い女性が魅力的であると言います。神さまは違います。箴言を読んでみてください――神は霊的な意味において、年老いた女性を魅力的だと言っています。そこにはこの年老いた老女がいて、人生すべてを祈りと神への奉仕に傾け、彼女はついにイエスさまについて話し出したのです。このようなユダヤ人がイエスさまの最初の到来に備えが出来ていた者であり、イエスさまが戻ってこられるときも、まさしくこのようなクリスチャンは備えが出来ている者となります。
忠実な羊飼い 昔と今
それではルカ 2 章 8 節に戻って、羊飼いたちについて見てみましょう。
『さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』
(ルカ 2 章 8 節-11 節)
14 節をラテン語のウルガタ訳でたどってみると“Gloria in Excelsis Deo(グロリア・イン・エクセルシス・デオ)”となります――「いと高き所に、栄光が、神にあるように」
ヘブライ語において“羊飼い”と“牧師”は同じ言葉です。同じことがギリシア語にもいえます。羊の番をしていたのは羊飼いであり、雇い人(ヨハネ 10 章 12 節)ではありませんでした。時代の終わりには大きな霊的な暗やみが迫ってきます。
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『夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か』(イザヤ 21 章 11 節)
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『夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か』(マルコ 13 章 35 節)
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『主の日が夜中の盗人のように来る』(1テサロニケ 5 章 2 節)
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『遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます』(ヨハネ 9 章 4 節)
どんなに暗くなっても自分の群れを見守る忠実な牧師がいます。
私はかつてチャック・ミスラー(Chuck Missler)と集会を開き、そこでジンバブエという悲惨なことが起こっている国から来たイギリス生まれの牧師に会いました。彼はイギリスに何日か滞在していて、現地での状況がとても悪かったので、元気ですかと聞かれても祈りに感謝しますとしか答えられませんでした。彼はジンバブエでどんな悪質なことが起こったかを話し、ほとんどの白人と、それと共に教養のある黒人たちはそこを去ろうとしていると語っていました。私は彼に少し一緒に出かけないかと言ったのですが、次の日にジンバブエに戻るから無理だと言っていました。「私の羊たちがそこにいるから」と彼は語ったのです。そこにはエイズで死んでいく黒人たちを世話するために人生すべてをささげた白人男性がいたのです。その黒人たちは彼の羊たちです。アメリカにいればお金をたくさ
ん儲けられるのに、ジンバブエに彼と一緒に行き、そこに滞在している医者を私は知って
います。彼らはそこを去ろうとはしません。なぜでしょうか。確かにそこは暗い場所であり、ますます暗くなるような場所ですが、彼らは羊飼いなのです。シメオンのようなユダヤ人がイエスさまの最初の到来において備えが出来ていた者であり、イエスさまの再臨のときにもこのようなクリスチャンが備えをしています。
要約
どのような人が準備が出来ているのでしょうか。「ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった」。サンヘドリンは困惑していました。神学者たちは髪を引き抜いていました。彼らは準備が出来ていなかったのです――そのような人たちが備えをしていることはまれです。しかしゼカリヤのような個人的な聖職者たちや彼の妻、イエスの育ての父であるヨセフ――正しい人、また「私には救い主が必要だ」と言った十代の少女、羊たちの番をしていた羊飼いたち、人生すべてを祈りと神に仕えるためにささげ、イエスについて語っていた愛らしい老女、またイエスさまがやって来るのを待ち望み、聖霊に満たされていた老人――それぞれが違う物語を伝えています。彼らこそが、イエスさまの最初の到来の時に備えが出来ていたユダヤ人であり、私は約束しますが、同じような人たちがイエスさまの再臨の時に備えができているクリスチャンなのです。
あなたがたすべて、あなたの家族、私自身また私の家族に対しての私の祈りは、イエスさまの最初の到来に備えが出来ていたユダヤ人を見る時、イスラエルの神の恵みによって、私たちが再臨の時に備えができている忠実な者となることです。イエスさまにある私の親愛なる兄弟たち、間違えてはいけません。クリスマスはやって来るのです。
私がクリスマス・キャロルの中で最も好きな曲は「天には栄え(讃美歌 98 番)」です。その理由はこれです。この作曲はユダヤ人のフェリックス・メンデルスゾーンによってなされ、作詩は異邦人クリスチャンであったチャールズ・ウェスレーによってなされました。この曲は私が知っている中で最も素晴らしいユダヤ人と異邦人との合作です。私と一緒に歌いませんか?
天(あめ)には栄え 御神(みかみ)にあれや地(つち)には安き 人にあれやと
御使(みつか)い達の たたうる歌を
聞きて諸人(もろびと) 共に喜び
今ぞ生まれし 君をたたえよ†††
Curses and Christians - Japanese
呪いとクリスチャン
ジェイコブ・プラッシュ
初代教会は現代の私たちが失ってしまったあるものを持っていました。“私たち”と言うのは私のような人たちという意味です。御霊の賜物を信じる人たちのことです。
“教祖信仰”
現代の教会の中には無宗教の世界から、また偽りの宗教体制から来たものがあります。それは“教祖信仰”です。ヒンドゥー教祭司が言うことは何でも、信奉者や敬虔な信者は信じます。教祖様が言ったことは何でも信じてしまうということです。
ローマ・カトリック教徒は教皇の教えを信じます。正統派ユダヤ教徒はラビたちが言うことを何でも信じます。レッベ(現代のラビ)やツァディク(ハシド派指導者)が言うことなら、それが彼らにとっては神のことばなのです。イスラム教徒はイマーム(イスラム教指導者)に尋ねに行きます。イマームがアッラーのもとに直接行くので、信徒たちはイマームを通してアッラーのもとへ行くのです。
このような考え方はこの 30 年のうちに、特にこの 10 年間にまるで雪崩のようにキリストの体に押し寄せてきました。
ただ召された者や神から賜物を受けた者の言葉を、何も調べることなく、神のことばであると受け取る考え方がクリスチャンの中で大きくなってきました。その人が言ったから正しいのだという姿勢です。
タルソのラビ・サウロ
パウロは奇跡やしるし、不思議なことを行いました。彼は癒しを行い、パウロによって非 常に多くの人が回心しました。パウロは多くの教会を立て、新約聖書の半分を書きました。パウロはラビの中のラビであり、ヒレルの学校で学んだパリサイ人でした。パウロはラ ビ・ガマリエルの弟子だったのです。
想像してみてください、今の時代に有名なラビがイエスに人生を明け渡し、奇跡を行い始めたらどうなるでしょうか。人々はその人を教祖にして、その人が言うことは何でも正しいとするでしょう。
しかし、パウロは自分自身を教祖のようにすることはありませんでした。パウロはどのように言っていたでしょうか。
『しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福
音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです』(ガラテヤ 1 章 8 節)
パウロという人を偉大にしていたのは、いつも彼が本当の権威がイエスまた神のことばから来ていることを認識していたからです。パウロは与えられた権威に対して忠実な管理人でした。
今日、神に召され、しるしや癒しなどの賜物に恵まれ、神に用いられ、その人を通して多くの人が救われるような人がいますが、ある考え方が教会に忍び込んできて、そのような人たちが言うことは何でも真理となり、口をはさむ余地を無くしてしまうことが起こっています。私たちはそのような人たちを教祖にしてしまいます。ユダヤ教徒、カトリック教徒、ヒンドゥー教徒、モルモン教徒だけではなく、クリスチャンでも同じことをしています。それは特に、“復興主義運動”や“ハウスチャーチ運動”などで顕著です。
“党派心”
ギリシア語での“異端(英語での heresy)”という言葉は単に間違った教理のことをさすだけではありません。その本当の意味は教会を分離させようとしたがる者や、分派を起こす者のことです。
ガラテヤ人への手紙はそのような“党派心”の罪についてはっきりと語っています。党派心とは神の霊によらず同盟を結ぶもので、真理を自分たちだけで独占しようとするものです。そのようなものを作る人たちは自分のグループ以外の人を二流の信者やクリスチャンであると見なします。
真理の基礎となる唯一のものは聖書です。最も素晴らしい教会に行ってみても、そこにはいくらかの間違ったことや間違った人たちがいて、悪い教会でもそこにはいくらかの正しいことや正しい人たちがいるでしょう。黙示録にある7つの教会もそのようでした。
党派心または派閥を作る傾向は“肉の行い”です(ガラテヤ 5 章 19 節-21 節)。教派が存在することと、教派主義とはまた別のことであり、教派主義とは党派心の罪の別の言い方です。奉仕や伝道、貧しい人を支援するために教会がひとつになって働くための現実的な仕組みとして組織を作ることに、私は反対しているのではありません。しかし、人が派閥を作り、キリストの体から自分たちを切り離すならそれはまた違ったことです。
エキュメニズム
分裂にはふたつの種類があります。聖書は、本当の信者が明らかにされるために分裂はさ
けられないと言っています。当然、エキュメニズム(キリスト教統一運動)は神の霊によ
らない一致であり、偽りの一致です。
聖霊は真実の霊です。霊の一致を誤りの上に立てることはできません。救いが秘跡を通してやってくると教え、新生することの代わりに化体説を信じ、死者に祈ることを教える教会と一致することは目に余る背徳的な行為です。それは霊の一致ではありません。聖書を信じるクリスチャンはこの世の偽りの宗教制度とひとつになることはできません。
その一方で、クリスチャンが過度に分裂し合うことは完全に間違っています。私はここである種の単一的な組織が必要だと言っているのではなく、キリストの体には霊の一致があるべきであり、それは誰もが持つ神さまが与えてくださった恵みの経験と、イエスにある救い、また神のみことばの権威への献身に基づくべきだということです。
人は教理的な真理から拡大した、ひとつの教えにこだわり、それをある種の巨大な核心とし、その教えに基づいて教会を形成する傾向があります。しかしある真理をすべて他の真理の基礎としてしまうとき、それは偽りとなります。
これを説明しましょう。すべての真理の中で唯一の聖書的な基礎となるのはイエスです。 キリストは葬られ、キリストは死者からよみがえり、キリストはまた来られます。十字架、空になっていた墓、オリーブ山(ゼカリヤ 14 章 4 節)――この基礎となる真理の上に、す べて他の真理は築き上げられるべきです。すべて他の真理はイエスの真理を中心として基 礎を置かれなくてはならないのです。
聖霊が歪められる
聖霊についての真理はカトリックとプロテスタント両者によって抑圧されてから数世紀たち、カリスマ派やペンテコステ派は聖霊についての真理を取り、すべて他の真理の基礎としてしまいました。彼らは結局、非常に歪められ、非聖書的な聖霊のイメージを抱くようになってしまいました。
聖霊の働きは、アブラハムがイサクの妻をめとるためにしもべを遣わしたことによって象徴されています。子であるイサクはイエスに関連しています。アブラハムは御父に関連していて、しもべは聖霊です。御父は自分の民の中から、息子のために花嫁を備えるため、しもべを遣わしました。聖霊はいつでも人の目をイエスに向けさせるしもべです。
聖霊がイエスにまさって強調されるとき、人々は「聖霊様、来てください」と歌います。聖書の中で、聖霊に向かって祈りがなされたことは一度もありません。聖霊は唯一、三位一体の中で神の神格として礼拝されますが、直接祈りを向けられてはいません。
したがって、真理が偽りとなっているのです。イエスこそがすべての真理が築き上げられ るべき、中心的な真理であるのに、他の真理がイエスの代わりに置かれてしまっています。聖霊自体は真理なのですが、その教えは実質的に偽りのものとなっています。そしてこの 偽りの教えから、カリスマ派のあらゆる種類の行き過ぎた行為や、正気を失った教えが出
てきています。
悪魔を中心としたキリスト教
もうひとつの分裂は、呪いに関しての事柄です。聖書の中には呪いに関する事柄がありますが、人々はそれに取りつかれています。
私は以前、いろいろな奉仕の強調点がすべて“悪霊をクリスチャンから追い出す”ことや呪いを解くことに置かれている教会にいました。そこの人たちはイエスについて話すよりも、多くの時間を悪魔について話すことに費やしていました。
彼らが考えるにはすべての問題が呪いや悪霊と関連していました。この問題は、人々がイエスとの自分との関係について、個人的な責任を取りたくないことに大きく起因しています。そしてまたこれも教祖信仰です。
私たちは専門化された社会に暮らしています。法律の問題を抱えているなら、弁護士に電話をかけます。医学的な問題があるなら、医者に電話をかけます。金銭的な問題なら、銀行員に電話をかけます。それでは霊的な問題があったならどうするでしょうか、牧師に電話をするのです。
その人が専門家で、彼が権威者なのです。「お医者さん、どの薬を飲んだら良いですか?弁護士さん、どの法的行為を取るべきですか?」それと同じように、「牧師さん、どうしたらいいのでしょう」と人々は尋ねます。
神のことばに関する無知
私のように御霊の賜物を信じる人たちの中には、学識がある人が欠けています。私たちにはすぐれた才能を持つ教師が不足しているのです。その中のほとんどの牧師が教理に関して何も知りません。ごくわずかな人しか専門的な神学を知らず、ギリシア語やヘブライ語に自信を持っていません。
聖書は『わたしの民は知識がないので滅ぼされる』(ホセア 4 章 6 節)と言い、今日も人々は知識が無いことによって滅んでいます。
この理由のために私はデレク・プリンス(Derek Prince 1915-2003 イギリス人聖書学者)
に多大な尊敬の念を抱いています。デレク・プリンスはカリスマ派の牧師の中でも数少ない、聖書を本当に勉強した人で、労を惜しまず原語を調べ、語彙から解釈を導き出すことにおいてとても優秀でした。
彼はそのようなものを用いて、人々の実際的な必要に応えていました。私は彼と一度話しただけですが、私はいつでもデレク・プリンスと彼の奉仕を尊敬してきました。
私が思うに、デレク・プリンスの教える 90 パーセントの教えがとても良いものから、素晴らしいものです。良いものがあるのに、すべてを拒否してしまうのはとんでもない悲劇で
す。
ふたつの危険があります。ひとつは間違っているものを見つけるか、神から何かを間違っていると示され、そのことのために誰かの奉仕全体を拒否してしまうことです。福音自体に影響を及ぼす基礎的なこと、たとえばコープランドやケニヨン、ヘーゲンらが「イエスは霊的に死んだだけで、十字架の上ではすべてが終わっていない」というようなことがあれば別の話しです。しかし、基礎的なことに誤りが無い限り、誰かが言ったひとつやふたつの間違い、わずかな比率のことをもとに、誰かを退けることは極力避けるべきです。誰も完全ではありません。私も確実に完全ではありません。
偽りの教師を退ける
誰かの奉仕を完全に退けるには4つの基準があります。
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性的不品行:告白されず、継続的で、悔い改めることのない不品行――それはその人の奉仕を知り退けるひとつの要因です。
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福音:誰かが福音の代わりに他の方法で救いの道を設けるなら――たとえば救いが行い、律法、秘跡によるなど――そのような人たちは退けられるべきです。聖書はすべ
ての信者が祭司であると教えています。ローマ・カトリックや東方正教会、モルモン教などはすべて特別な祭司職を設け、新約聖書が教える新しい契約を否定しています。
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キリストの人格:イエスについて何を信じているでしょうか。イエスは道であり、真
理であり、いのちでしょうか。イエスについて何か正統的でないことを教えている場合、そのような教えと教えている人たちを退けてください。
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みことばの権威:みことばの権威を何か他の教理的な権威をもったものと置き換え、他の“啓示”に基づいているなら、それを退けてください。
性的不品行、みことばの権威とイエスの人格の拒否、また別の福音を信じているならすべてを退けてよいのです。
多くの者が教師になってはいけない
私は問題が自分たちにあると考えています。私たちはベレヤ人(使徒 17 章)の精神を失ってしまいました。私たちは多くの場合、ただその人が正しいように思えるため、その言ったことを受け入れてしまいます。
『多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです』(ヤコブ 3 章 1 節)
私は聖書を教えたくはありません。私はむしろ伝道者になって、この種のものを他の人に
任しておきたいのです。私がこのことをしている唯一の理由は、主に世界中の多くの人を通して、これが私の集中すべきことだと聖霊から示されたからです。私のしたいことを自分で決められるなら、私は外に行って救われていない人に伝道をしているでしょう。
神はみなさんより、私に大きな責任を問われることを知っています。
『からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい』(ルカ 11 章 34 節-35 節)
これは人体の構造に関してのミドラッシュで、人間の目は教師を表しています。
私の言うことをただそのまま受け取らないでください。私は自分の教えることに関して神さまに責任を負っているのです。
学問における問題
祝福と呪い、またはクリスチャンが呪いを受けるということを教えている人たちの第一の問題は、彼らが原語であるヘブライ語とギリシア語を調べず、その言葉が使われている文脈をよく考えない点にあります。
このことをするなら、クリスチャンがどのような点で呪いを受ける可能性があり、どのような点で呪いを受ける可能性がないかが分かります。
ヘブライ語とギリシア語には呪いに関するさまざまな言葉があり、いつも置き換えがきくというわけではありませんが、そのほとんどは特定の形で使われています。
聖書の学問を複雑にしているもののひとつは、新約がヘブライ的な概念を用い、それをギリシア語に翻訳していることです。私たちは古代の七十人訳を確認し、ラビたちがヘブライ語の単語をギリシア語に翻訳するときにどう考えていたかを理解する必要があります。時々、あることに関してギリシア語ではさまざまな言葉があるのに、ヘブライ語ではひとつの言葉しかない場合があります。ヘブライ語で“愛”を表す言葉は“アハバー(ahabah)”といいますが、ギリシア語では最低でも7つ以上“愛”に関する言葉があり、聖書の中では3つ、ひょっとすると4つあります(3つが記され、4つ目は記されることなしにほのめかされています)。
原語におけるさまざまな言葉を調べ、それらが使われている文脈を理解しようとするなら
ば多くの問題が浮上してきます。とはいえ人が、しかもクリスチャンがある点において呪いを受ける可能性があり、また同時にどう呪いを受ける可能性がないかをそこから学び取ることができます。
ヘブライ語を理解する
ヘブライ的・ユダヤ的思考におけるある単語や概念の意味することを知るのに最良の方法は、その言葉の反対を知ることです。もし“寒い”という言葉を知っているなら、その反対である“暑い”という言葉も理解できます。“左”という言葉を知っているなら、“右”が何を表すかは分かります。もし“凸”という言葉を知っていれば、“凹”という言葉が何かが分かります。
ヘブライ語はそのようなものであり、対句として構成されています。何かの言葉の対句を理解すれば、その言葉が意味していることを理解するのに助けになります。
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ケロラー(Kelolah)
最初の単語は“ケロラー”「のろいの言葉――誰かの悪や不幸を祈ること」です。これは祝福されることと反対の状態です。良い事が起こるときそれは“ベラカー(berachah)”祝福です。
イスラエルの農業周期は雨によって決まります。雨が降るとき、それがとても激しく鉄砲水を引き起こすようなものであっても、イスラエル人は雨が祝福だと言います。雨が降らないことは呪いと見なされているのです。
『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節)
聖書はイザヤ 44 章とエレミヤ書において生ける水について語っています。イエスさまはヨ
ハネ 7 章においてそれを引き合いに出されました。この雨、生ける水は聖霊が降り注がれることを象徴しています。
雨は収穫をもたらします。雨が無ければ穀物は実りません。それは今日でも同じです。雨が無ければ穀物がなく、そうすると収穫が無いのです。今、神のみことばを聞くことの飢きんがあります。たましいの収穫は潜在的にありますが、刈り入れられてはいません。作物は実っていないのです。
“ケロラー”という語の概念が聖書で主に強調していることは人に関してではなく、国々が呪いを受けたり、祝福を受けることに関してです。“ケロラー”は個人的なものというよりかは、集団における祝福や呪いに関係しています。
『わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、 一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、
雨の降らなかった他の畑はかわききった。』(アモス 4 章 7 節)
誠実な伝道者がアフリカで正直な福音を宣べ伝えたなら、文字通り何万人もの人々がたったひとつの伝道集会や、たったひとつの集会で自分の生活をイエスに明け渡すでしょう。
なぜでしょうか。それは聖霊がアフリカで降り注がれているからです。その同じ伝道者が同じ賜物、同じ油注ぎをもってイギリスやその他のヨーロッパの国々に行っても、実際比べても無きに等しいことしか起こらないでしょう。
賜物はそこにあります。油注ぎはそこにあります。ですが雨はとどめられています。その地は呪われて、“ケロラー”があるのです。
霊的な降り注ぎがないことの呪い
今日イギリスに見られるような霊的な欠乏――新異教信仰、教会が活気のない中流階級組織になり、道徳構造の根本的な破壊、家族観の崩壊、これらすべてのこと――はこの国が呪われていることによります。
イギリスは祝福されておらず、呪われています。1951 年には世界第三位の大きな経済を誇っていました。ドイツや日本などは言うまでもなく、イギリスはもはやイタリヤやフランスに対抗できないまでになっています。イギリスの経済的・政治的な減退は霊的な減退を反映しています。呪われてしまっているのです。
『もし、あなたがたがわたしに聞き従わ(ないなら)…あなたがたを憎む者があなたがたを踏みつける』(レビ 26 章 14 節-17 節)
2010 年には――私は自分の政治観と聖書観を区別するように心がけていますが――実際今
年、2010 年となり、イギリスの 80 パーセント以上、もしくは少なくとも 80 パーセントの法律が自分たちが選んだ国会によらず、厳密に言うとベルギー・ブリュッセルの官僚たちによって作成されています。
2010 年、イギリスの大半は自分たちが投票しなかった者たちによって支配され、経済、金融、商業規制などの領域、また外交や国防政策から始まって、法的、医療、法執行機関の領域においてますます自由の幅が狭くなっています。
この民主的なプロセスの停止はすでにイギリスとアメリカで行われており、遠くの話しで
はないのです。同じ方向に向かって動き出している呪いがイギリスとアメリカの上にはあります。
この呪いの兆候は、その国家に聖霊が降り注いでいないという現実なのです。そこには収穫はありません。
ビリー・グラハム伝道集会のような大きなイベント――よく運営され、財政的にも余裕のある集会――でさえ、国に関して言うまでもなく、教会を好転させることに何も貢献するところがありません。
しかしガーナやブラジル、韓国に行ってみると、そこでの教会の成長は信じられないほどのものです。なぜなのでしょうか。それはその国々に雨が降り注ぎ――聖霊が降り注がれているからです。
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メアイロー(Me’airoh)
次の単語は“メアイロー”、苦みという意味で――人の不幸を祈ることではなく、ののしること(憎む、嫌う、憎悪する)、憎しみを表現することです。この反対語は“愛”です。 神が旧約聖書と(部分的に)新約聖書を生み出すにあたって用いたヘブライ的な思考パターンと世界観を理解するためには、反対の原則を理解しなくてはなりません。何かを理解するためには、その反対を理解しなければならないのです。
この“メアイロー”の考え方は、人を愛さないことによって呪うということです。愛はこの種の呪いを断ち切ります。
クリスチャンがこの種の呪いの下に置かれる可能性はあるのでしょうか。あり得ます。イエスさまは言われました。
『もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。』(ヨハネ 15 章 18 節-19 節)
クリスチャンの女性で、未信者の夫から憎まれている人たちを私は知っています。救われたユダヤ人で家族から憎まれている人を私は知っています。そうです、クリスチャンはこの種の呪いの下に置かれることがあります。私たちは皆この種の呪いの下にいるのです。
『世全体は悪い者の支配下にあることを知っています』(1ヨハネ 5 章 19 節)
イエスさまは世が私たちを憎むと言われました。この意味において、クリスチャンは呪い
を受けることがあります。
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カラル(Kalal)
次の言葉は“カラル”です。
『ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいとなったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出 せ。』(ゼカリヤ 8 章 13 節)
この“カラル”という言葉は“カル(kal)”、軽いことを意味する言葉(重くないということ)から由来しています。ヘブライ語での“重い”は“コヴァイド(kovaid)”といい、この言葉は肝臓(人体や哺乳類の体の中で最も大きな臓器)を意味します。
ヘブライ語で“敬う”という言葉は“コヴァッド(kovad)”であり、これはこのコヴァイド=重いことから由来しています。ヘブライ語の反対の原則がここで適用できます。“呪う”ことの反対は“敬う”ことです。誰かや何かを敬う場合、その対象は重みを持っているのであり、あなたに対して“重い”存在となっているのです。
あなたの父と母を敬え
何かが軽蔑されるなら、それは呪いを受けています。それは自分にとって軽くしか考えないものとなっています。物事は軽いか、重いかのどちらかです。
「あなたの父と母を敬え」という戒めのヘブライ的な概念は実際、父と母を自分にとって重いものとして扱わなければならないことを意味しています。誰かがあなたにとって重い存在であるなら、その人は重要だということです。
政界の大物が新聞でコメントをしていても、その人を好まないのなら、それは自分にとって軽いものにしかすぎません。その人をそれほど尊敬していないからです。
聖書を読んでいるときに、聖霊が何かについての確信を与え、聖書の内容を明らかにしたのなら、それは自分にとって重い事柄となります。
軽い=“カラル”の反対は、重い=“コヴァイド”であり、そのコヴァイドは実際的な敬意と尊敬である“コヴァッド(kovad)”とつながっているのです。
この意味においてクリスチャンは呪いを受けることがあり、自分で他者を呪うことがありえます。私たちが神の新しい被造物と見なされずに、他者から軽く扱われるならそれは一種の呪いです。しかし私たちが他の信者や自分の両親を特別自分にとって重い存在として
いなければ、私たちが彼らを呪っているのです。
実際に行うことにおいて、重く扱うという概念は責任とつながっています。神の設計において、私たちは自分の両親が老齢になったときの福祉について責任があります。
私たちは他の老人や、高齢者、定年退職した人のことを気にかけているかもしれません。しかし、自分の両親こそ私たちにとって重いものとなるべきです。もし両親の金銭的な満足についておろそかにしているのなら、私たちは彼らを呪っています。
聖書の中で両親を呪うという考え――これは旧約聖書の中で死に値することであり、新約聖書でもとても深刻な罪ですが――は自分にとって彼らを重い存在と扱わず、軽い存在であるとすることです。
私の家族はアイルランド系カトリック教徒とユダヤ教徒の組み合わせです。もし母と同じ部屋にいて聖書に関して話し始めたなら、議論が始まるのに 5 分とかかりません。あの女性はひどく私を苛立たせます。そのような母がいるので妻が来たときには私の準備はばっちりでした。
私は母の考えがあまり好きではなく、特に仲がうまくいっているわけでもありません。しかしそれでも母は私にとって重い存在なのです。母のことを考えるときいつも私はこう祈ります「主イエスよ。私の母を救ってください。父のように死んで地獄には行かせないでください。お願いです、彼女は私にとって重い存在なのです」
母は金銭的に適度に潤っています。もしそうでなければ彼女の世話をするのは私の責任となっていたでしょう。
もし私が母の世話をしなければ、彼女を自分にとって重い存在とせずに軽く扱い、呪っていることになります。この意味においてクリスチャンは呪いを受ける可能性があります。
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ケレム(Cherem)
“ケレム”とは、何かが悪い運命に渡されているということです。
『彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる [エリヤの奉仕について語っています] 。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。』(マラキ 4 章 6 節)
のろいで地を打ち滅ぼすということは、地が破壊されるために引き渡すということであり、神の定めた計画のために何かを廃れるに任せるということです。
この世は堕落していて、“ケレム”の下、呪いの下にあります。
『私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。』(ローマ 8 章 22 節)
自然災害――森林火災、火山噴火、地震、飢きん、干ばつなど――これらのものはすべて
人の堕落の産物です。
神は人にすべての被造物の支配をゆだねました。人が堕落した時、被造物も人と共に堕落しました。地質、物理、気象においてもある変化が起きたでしょう。
私たちは呪われた世界に住んでいます。ただ堕落した世界ではなく、呪われた世界なのです。この意味においてクリスチャンは呪いを受けることがあります。
エジプトは神の民を去らせなかったために、神のさばきに引き渡されました。しかしそのさばき――過越の祭りで祝うもの――がエジプトの上に注がれたとき、神の民はエジプトの中で、エジプトを通して守られました。私たちは呪いの中、呪いを通っても守られますが、それでも未だに呪いの下にいるのです。これらすべての意味において、クリスチャンは呪いを受けることがあります。
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カタラ(Katara)
ヘブル人への手紙はユダヤ人クリスチャンに対して書かれたため、初代教会におけるユダヤ的な考えを理解する上で重要なものです。
『土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。』(ヘブル 6 章 7 節)
この 7 節で新約聖書がいかにイザヤ 44 章とアモス 4 章の教え、雨が祝福であるということを繰り返しているかを気付いたでしょうか。この箇所は日々の農耕、日々の気象を用いて聖霊が降り注がれることについて教えています。
『しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。』(ヘブル 6 章 8 節)
これが堕落した世で起こっていることです。新約聖書はこの概念を“カタラ”呪いという言葉で繰り返しています。同じように被造物は呪いの下にあり、この呪いは私たちがただ世にいるからという理由でクリスチャンの上にも降りかかります。
『だが、愛する人たち。私たちはこのように言いますが、あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いにつながることです。神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。』(ヘブ
ル 6 章 9 節-10 節)
被造物が呪われていて、私たちも呪いの影響下にあるにもかかわらず、神はそれを切り抜けさせ、呪いの中から私たちを救い出されます。しかしながら、この“カタラ”という言葉に先行する文脈を見てみましょう。
『一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで [このような人は救われた人です] しかも堕落してしまうならば [ギリシア語には現在形がなく、ただ現在進行形だけがあります――これは自分から戻れない状態まで堕落し続けてしまう人のことです] 、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。(土地は…そして雨と呪いについてこの箇所は語っています)』(ヘブル 6 章 4節-7 節)
すなわち、悔い改めない背教者は自分の身をもう一度呪いの下へ置いてしまいます
ただイエスにあって、私たちは呪いから救われているのであり、最終的に呪いから救い出 されるのです。イエスさまから離れてしまうと、あらゆる意味において自分を呪いの下に 再び戻してしまっています。後戻りし、作物を収穫する代わりにいばらを収穫するのです。この意味において背教したクリスチャンは呪いを受ける可能性があります。
『それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。』(マタイ 25 章 41 節)
同じ“カタラ”というギリシア語がここでも使われています。背教者は地獄の呪いの下へと自分の身を戻しているのです。
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カタル(Katal)
“カタル”というヘブライ語の単語がもうひとつあり、それは“悪を呼び下す”という意味です。クリスチャンは自分の身に悪を呼び下される可能性があります。
イエスさまの血は私たちを守りますが、このようなことから影響を受けないというのは非聖書的な教えです。
異教徒であったローマ皇帝は教会に呪いを呼び下し、迫害されたクリスチャンは殉教者として命を失いました。
私たちはこの意味において、確実に呪いを受けます。しかし神は言われます「あなたを祝
福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」。第二次世界大戦中、ナチスはユダヤ人の強制収容所の周りにひとつの壁を建てました。その壁を乗り越えて強制収容所から逃げ出そうとしたユダヤ人はみな機関銃で撃たれました。
数年経ち、ひとつの壁がかつて栄光に富んだ首都レイヒ、ベルリンに建ち、その壁を乗り越えようとするドイツ人はみな機関銃で撃たれました。これはほぼ 50 年間続き、その世代のドイツ人指導者が死ぬまで終わりませんでした。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」
デンマークやオランダのような国には信じ難いような度合いの性的不品行があります。デンマークのポルノ、オランダの薬物と性的な罪は悲惨なものです。神さまが今の時点までこのような国をさばいていないひとつの理由、おそらくその大きな理由は、ナチスがユダヤ人を出頭させ、黄色の星を身に付けなさいと命令したとき、デンマークやオランダの多くの人々が出てきて「イエスさまはユダヤ人だった、私もそうだ。この星を見なさい」と言ったからです。
福音派の人口が多いプロテスタントの国々では、人々はときには自分の命に代えてまでもユダヤ人を守りました。コリー・テン・ブームのような人のことを考えてみてください。
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アナセマティゾー(Anathematizo)
『しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。』(マルコ 14 章 71 節)
ギリシア語の“アナセマティゾー”とは怒りをもって悪い事を言うということです。クリスチャンはこの意味において呪いを受けるのでしょうか。当然ながら受ける可能性があります。
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カタナセマティゾー(Katanathematizo)
“アナセマティゾー”と近い関係にある言葉が“カタナセマティゾー”であり、“愛する者
(家族など)を裏切る”という意味です。
『兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。』(マタイ 10 章 21 節)
クリスチャンは互いに裏切り合うようになります。特に終わりの日においてそれは顕著です。イエスさまがそう言われました。そして、迫害の時にはこのように呪いを受けること
があります。
もはや律法の呪いの下にはいない
私たちはこれまで、信者が呪われると聖書が語っているすべてのケースについて見てきました。
『というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる」のです。』(ガラテヤ 3 章 10 節-12 節)
律法の主要な目的は、ユダヤ人たちに自分は律法を守れないと教えることであり、神の基 準に決して届かないということを知らしめるためでした。彼らに必要だったのは救いをも たらすメシアだったのです。私たちはただイエスの中にあって律法を守ることができます。それはイエスさまが律法を私たちのために成就されたからです。
律法の下に自分を引き戻す宗教に入ってしまうと、自分では決して実践することの出来ない基準を打ち立てることになります。
イエスは言われました。
『あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれていま す。』(ルカ 7 章 28 節)
なぜでしょうか。
バプテスマのヨハネは、良いわざによって成し遂げられる究極の義の基準を象徴していたからです。彼が究極の遵守者でした。行動の基準においてヨハネより優れていたり、より宗教的であった宗教者は誰もいません。バプテスマのヨハネは他には例をみない人物であり、母の胎にいたときから聖霊に満たされていました(ルカ 1 章 15 節)。
古代ユダヤの異端であったエビオン派(Ebionism)が間違ってイエスについて信じていたこと――イエスが独特な霊感を受けた者であったという教え――は実際バプテスマのヨハネに関して真実なことでした。イエス、またおそらくアダムを除いて、ヨハネはそれまで存在した中で最も特異な人物でした。
「しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています」これはなぜなのでしょう
か。
新生し、律法を成就されたイエスの義を持つ者は、自分の良いわざによって得られるどんな正しさよりも優ったものを持っているからです。
ヨハネは人が到達できる最高頂を象徴しています。しかしイエスの義はそれをはるかにしのぐのです。
宗教はキリスト教の反対である
ローマ・カトリック教徒のように律法の下にいる人たちを見てください――小さな老婆がバチカンの階段を関節炎の膝を使ってはい上がり、祈りとビーズをもって、煉獄(カトリックが死後天国に行く前に自分の罪を償うために行くと教える場所)から逃れられることを望んでいるのです。イエスさまはそのような罪悪感と抑圧から人々を自由にするために来られました。このような教えは人々を律法の呪いの下へと引き戻します。
モルモン教――アメリカ・ユタ州の人口の 70 パーセントがモルモン教徒です。ユタ州は他から抜きん出て最高の自殺率を記録しています。なぜでしょうか。モルモン教徒は律法の下にいるからです。罪悪感は、モルモン教の基準を達しないという無力さから来ます。イエスさまはそのようなものから人々を自由にするためやって来たのです。
正統派ユダヤ教徒――彼らの多くがノイローゼです。宗教は人をおかしくします。宗教というものは確実に一種の精神病です。罪深い人間がどのようにして完全で聖い神の基準に達することができるのでしょう。この理由で、神は人となり、私たちが決して出来ないことを行わなくてはならなかったのです。
宗教は福音を無力にします。宗教はキリスト教に根本的に反対するものです。宗教の中にいる人たちは律法の呪いの下にいます。それはユダヤ人でも異邦人でも問題ではないのですが、ここからはユダヤ人に目を向けてみましょう。
『というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる」のです。』(ガラテヤ 3 章 10 節-12 節)
わたしの選んだ者たち
「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、の
ろわれる」この箇所はユダヤ人についての具体的な意味がありますが、すべての堕落した
人間にも適用されます。レビ記 26 章や申命記 28 章の恐ろしい呪いを見てみてください。
『わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たち [異邦人たち] に、見つけられた。わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民 [異邦人たち] に向かって、「わたしはここだ、わたしはここだ」と言った。わたしは、反逆の民 [ユダヤ人] 、自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、一日中、わたしの手を差し伸べた。』(イザヤ 65 章 1 節-2 節)
『それゆえ、神である主はこう仰せられる。「見よ。わたしのしもべたちは食べる。しかし、あなたがたは飢える。見よ。わたしのしもべたちは飲む。しかし、あなた がたは渇く。見よ。わたしのしもべたちは喜ぶ。しかし、あなたがた [ユダヤ人] は恥を見る。見よ。わたしのしもべたちは心の楽しみによって喜び歌う。しかし、 あなたがたは心の痛みによって叫び、たましいの傷によって泣きわめく。あなたが たは自分の名を、わたしの選んだ者たちののろいとして残す。それで神である主は、あなたがたを殺される。ご自分のしもべたちを、ほかの名で [クリスチャンと] 呼 ばれるようにされる。』(イザヤ 65 章 13 節-15 節)
神はイスラエルとユダヤ人に関して終わりの時代の目的を持っていますが、彼らは今呪い の下にいます。救われていないユダヤ人たちは呪われています。彼らは呪いの下にいます。堕落した人間はすべて律法の呪いの下にいますが、ユダヤ人は律法を前もって持っていた のでなおさら呪いの下にいます。
ここで「律法」が何であるかを説明しましょう。律法は風船のようなものです。風船にヘリウムガスを入れなければ重力の法則によって風船はいつも地に落ちていきます。もしその中にヘリウムガスを入れたなら、それは空気より軽いため、重力の法則より浮力の法則がまさり、風船は浮き上がるようになります。
ヘリウムガスは聖霊のようなものです。ただ恵みの律法の下に来て、神の聖霊が自分の中に宿り、イエスさまの義を生み出してもらわない限り、神を喜ばせる生活はできません。風船に空気を入れてもそれを浮き上がらせることは決してできません。重力より強い法則を使うしかないのです。
そのより強い法則は恵みです。それは古い契約よりも強い新しい契約です。人類はすべて古い契約の呪いの下にいます。
ユダヤ人は律法を前もって持っていたので、結果的に責任をより求められます。さばきは最初にユダヤ人に来ます。
『…福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救い
を得させる神の力です。
患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。』(ローマ 1 章 16 節、2 章 9 節-10 節)
最初ユダヤ人にとって救いが手に届くところにあったために、福音を退けたことの結果は彼らに最初にやってきます――ホロコースト、スペインの異端尋問、十字軍、ユダヤ民族の極度の苦しみがそうです。
神は何と言われていたでしょうか。「わたしはあなたがたを敵の手に渡す」。これは反セム主義やユダヤ人の迫害を正当化することでは全くありません。むしろユダヤ人は神のみこころの中にあってだけ安全でいられるということです。いったんみこころから外れてしまうと、律法の呪いのために、彼らは自分たちを呪うことになってしまいます。
罪のための備えはない
救われていないユダヤ人たちは呪われています。実際律法の下にいて罪のための規定が無いため、彼らは二重に呪われています。
神殿にささげられたいけにえに関していうと、それが正式な祭司によってささげられ、適切な状況の下で、それに信仰と悔い改めが伴っていたなら、ユダヤ人たちはいけにえによる贖いを受けていました。
これら動物の血はメシアが来て、罪を取り去るまで、罪を覆っていました。
しかし現在、彼らのための備えはありません。神殿も無ければ大祭司職も無いからです。現在、存在していている唯一の神殿はキリストのからだです。新約聖書において7回、教会は幕屋であると書かれています。
私と私の家族は過越の祭りを子羊の肉をもって祝います。救われていないユダヤ人たちは、子羊の代わりに鶏肉を食べます。彼らには神殿、祭司職が無いからです。ユダヤ人信者は ひとつの神殿とひとりの祭司を持っています。新しい大祭司はイエスさまです。大祭司が 存在しているので、私たちは過越に子羊をもって参加できるのです。
すべての正統派のシナゴーグ(会堂)にヘブライ語で「イ・カボデ(栄光は去った)」と書かれているのは、神殿が破壊されたという事実を認めているからです。
現代のユダヤ人の宗教はモーセの宗教ではありません。ローマ・カトリックやリベラルなプロテスタント、ギリシア正教会、モルモン教、エホバの証人らが新約聖書のキリスト教ではないのと同じように、ラビ的ユダヤ教は全くもって旧約聖書のユダヤ教ではありません。ラビ的ユダヤ教は、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイによって創始された別の宗教です。
彼らはそうは認めないでしょうが、彼らの礼拝と祝祭がそれを証明しています。もしラビ
的ユダヤ教が同じ宗教ならば、どうしてトーラーが命じているように過越の食事をしないのでしょうか。
ただ一度だけで
ユダヤ人は呪われています。イエスさまだけがその呪いを断ち切ることが可能であり、実際そうなされました。ヘブル人への手紙の3箇所においてイエスさまは一度だけ死なれたとあります。
『また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。』(ヘブル 7 章 26 節-27 節)
『しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』
(ヘブル 9 章 11 節-12 節)
『このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。』(ヘブル 10 章 10 節)
偽りのキリスト教は何らかの形でイエスの十字架を否定します。ローマ・カトリック、エホバの証人、モルモン教、コープランドとヘーゲン――彼らはイエスが霊的に死んで、サタンのような存在になったと教えていますが――これらすべてのものは十字架を否定しています。
しかしイエスは完全ないけにえであり、一度で十分でした。イエスさまはご自分の民の生活から律法の呪いを永遠に取り去りました。キリスト・イエスのうちにある者にとってはすべてが新しいのです。しかし何かの事柄が新しいものではないと言い始めるとき、それはイエスさまが十字架の上でなされた働きの十全性を巧妙に否定するものとなってしまいます。
ラザロをほどく
イエスさまがラザロを墓から呼び出されるとき、弟子たちに「石をとりのけなさい」と言
われました。その後、ラザロに墓から出るように命じられました。
ラザロが出てきたとき、弟子たちに「ほどいてやりなさい」と言われました。
これはミドラッシュ的な伝道の描写です。墓とはこの堕落した世です。私たちが誰かに証しをするときに石はとりのけられます。私たちが行う唯一のことは、人々にイエスさまの声を聞かせることです。唯一、人の子だけが死んでいる者をいのちへと呼び起こします。もしイエスさまが「ラザロよ、出てきなさい」と名指しで言わなかったら、この世のすべての死者が目を覚ましただろうと言う人もいます。
石をとりのけることは伝道です。人々はただイエスさまの声が聞こえた場合にだけ墓から出てきます。聖霊によって確信を与えられ、御父に引き寄せられ、イエスさまの声を聞かないかぎり、人は救われることはありません。
人が墓から出てきたとき、イエスさまは私たちに向かって「ほどいてやりなさい」と言われます。私は祈りやカウンセリング、弟子訓練の必要性を否定しません。上記に記した場合以外にクリスチャンが呪われることがあるのを私は否定しません。しかしクリスチャンは、意図的に堕落し、自分自身を律法の下に引き戻さない限り、律法の呪いの下に来ることはありません
おばあちゃんが占い師だったから
私は昔よく占い師のもとへ行き、タロットカードを読んでもらっていました。私は初対面 の人に会い、その人の星座を言い当てることができ、多くの場合それは当たっていました。しかしそのようなことをしていた人物はもう死んだのです。魔術と関わっていたジェイコ ブ・プラッシュはもう死んでいます。
悪魔はいつもあなたに十字架を否定するようにけしかけます。悪魔は人々に次のようなことを言わせたいのです。「私の祖父が魔術師だったから、わたしのおばあちゃんが占い師だったから…。だから私は呪いの下にいて、人生のすべてのことがうまくいかないんです」悪魔は嘘を付く者です。イエスは「完了した」と言われました。イエスさまが十字架にかけられた時、私は彼と共に死に、あなたも彼と共に死んだのです。
私たちが毎日死ぬ必要があるのも事実です。自分の十字架を負い、イエスさまについていくのです。古い人はいつもそこにあります。私たちは同じ古い家に住んでいるのです。しかし霊に関しては、私たちは新しい人です。あの古い人は死んだのです。
悪魔はいつも、私たちに古い人の中で生きさせようとし、私たちが新しい人でないかのように思わせます。悪魔はいつも私たちを肉の中で生きさせようとするのです。
今あなたは新しい人
「私はこのことやあのことのために呪われている」と言い始めるなら、それは自分を律法
の下へ引き戻すことです。
あなたは呪われてはいません。キリスト・イエスにあって新しい人です。その呪いは十字架において砕かれました。悪魔が嘘を付き、異なったことを言うのを許しておいてはいけません。
色々なしがらみから自由にされることが必要でしょうか?もちろん。祈りが必要でしょうか?もちろん。カウンセリングは必要でしょうか?もちろんです。
しかしあの“呪いを打ち砕く”という現代の多くの教会で教えられているものは、全く十 字架のわざを信じず、自分を律法の呪いの下へと引き戻していることにすぎません。自分 の人生に告白していない罪があるなら、その罪を悔い改めてください。それが解決策です。しかし、あの“呪いを打ち砕く”というくだらないものは忘れてください。
信仰のゆえに迫害されて、人々が自分の上に悪を呼び下しているのなら、もちろん、あなたは呪いを受けています。私たちはみなその意味で呪われています。イエスさまは私たちをそこから切り抜けさせ――みこころとそれにかなった時に――そこから救い出してくださいます。
しかし、旧約聖書の呪いが自分の上にあると言うことは十字架の否定です
あなたは新しい人です。あなたは何かに縛られているかもしれません。心理的にも、感情的にもあなたを抑圧している何かがあるのかもしれません。祈りやカウンセリングが必要であるかもしれません。私はそれを否定しません。私たちの生活の中にサタンの要塞があるという考えを私は否定せず、それは実際、悪魔が利用できる古い性質の中の弱さであると私は考えています。それを要塞であるというよりも、弱さであると考えましょう。
インスタマチックな社会
私たちが新しい人のうちで生きれば生きるほど、より肉に打ち勝つようになります。しかし人々は即座の解決策を探します。言い換えると、肉は十字架を負いイエスについて行きたくはないのです。
私たちは“インスタマチック化された(何でも便利になった)”社会に住んでいます。自分の十字架を取り、イエスさまに対して恵みや、信仰の忍耐、祈りにおける聖い生活を送ることを望まず、人々は出て行って悪霊を追い出してほしいと考えます。
自分の問題に目を向けることをせず、こう言いましょう。「主よ。私はなぜこのような問題を抱えているのでしょうか。何を教えようとされているのでしょうか。このことを用いて私をどのようにイエスの御姿に似させてくださるのでしょう。この問題を使ってどのように私の人生に良いことを導き入れられるのでしょう。この苦しみを通してどのように私
を祝福されるのでしょうか」
私たちに悪いことが起こるのを神がお許しになる場合、それはただ終わりに私たちに良いものをもたらすためなのです。大抵の場合、神のなさっていることは後になって思い出してみないと分かりません。私たちは目に見えるところによって歩むのではなく、信仰によって歩みます(もちろんあなたがケネス・ヘーゲンに従っていなかったらの話ですが)。
福音を再文脈化する
福音を私たちの世界観のために再文脈化するのは完全に有効な手段です。パウロは言いました。『すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。』(1コリント 9 章 22 節)
私と私の家族は豚や甲殻類を食べません。それは私の証しとしてユダヤ人たちに対して悪いものとなるからです。私たちにとって食べないほうが良いので、そうはしません。
すべてのことが許されたことですが、すべてのことが益になるのではありません。それは私にとっては正しくないのですが、あなたにとってはどうぞと言うでしょう。何を気にすることがあるでしょうか。
この国(イギリス)では主の聖餐をぶどう酒で祝っても、グレープジュースで祝っても私はどちらでも満足します。あなたの教会がすることなら何でもしましょう。このことは問題ではないからです。
しかし、アルコール依存症があれほどの問題になっているアイルランドに行ったなら、私はどんな公の席でも、アルコールに触るのを見られたくはありません。それは私が主の聖餐をぶどう酒をもって祝うことに問題を感じているからではなく、その状況(文脈)としては私の証しのために良くないからです。私たちのインスタマチック化された社会では人々はすぐに手に入る喜びのために、福音を再解釈します。再文脈化は正しいものですが、再解釈や再定義は間違っています。
私たちは大量消費の世界に生きています。すべてが消費されることを目的とされています。広告業界は人々に常に消費するように促しています。繁栄の神学は西洋の大量消費観にし たがって再定義、再解釈された福音です。
私たちは高度技術の社会に住んでいます。「ハードウェアに合ったソフトウェアを買えば、あなたのパソコンは思うがまま」と考え、このため人々は正しい教会成長プログラムを手に入れさえすれば教会は成長すると考えてしまっています。
私は人が救われることに反対しているのではありません。私が言おうとしていることは
“正しいプログラム”を手に入れることはリバイバルをもたらさないということです。
私たちは物事をすぐに手に入れたがります。自分の十字架を背負い、イエスさまについて行くことは容易ではありません。あなたが何度呪いを打ち砕いたかは私は気にしません。
それはあなたの問題を解決しないからです。あなたがその下にいたことがある呪いはすべ
て十字架によって打ち砕かれました。呪いは自分が救われる前にしたことや、あなたの祖父がしたことと何の関わりもありません。
だれでもキリスト・イエスのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。悪魔は真理を否定させ、十字架を否定させたいのです。
私たちが日々死ぬことは事実です。イエスとひとつであると見なされることにより、彼の死と復活を通して私たちは自由を得ます。このことは呪いを打ち砕くことによってはやってきません。御霊の力のうちにあって、十字架につけられた、復活のいのちを生きることによってあなたは自由を見出します。
もしかしたら、あなたにとって十字架につけられた生活とは、人間関係や金銭的、健康的な問題で四苦八苦することを要求するかもしれません。それがあなたの十字架かもしれません。すべてのことが働いて益となります。神はご自身の方法と時を用いて、あなたにとって最善である手段を使って自由にされます。
その十字架は呪いですが、必要悪でもあります。十字架無しにはよみがえりはありえません。十字架を通してイエスさまはあなたを自由にされます。
クリスチャンはどのように呪いを受けるのでしょうか?
私たちクリスチャンは尊敬される代わりに軽くあしらわれます。私たちはその意味で呪われます。自分の国に悪が呼び下されるでしょう。それは西洋ヨーロッパ諸国でまさに起こっています。人々は私たちに関して悪く語り、怒りを持って私たちを呪うでしょう。
しかし私たちが律法の呪いの下に戻る唯一の方法は、私たちがそこに後戻りすることです。クリスチャンにとってそうして呪われる唯一の方法は、イエスを否定することにより、自 分をその下へ引き戻すことです。
この場合を除いて、悪魔は自分たちの問題を誤診させ、人々に聖書的な解決策を見つけないようにさせます。
だれでもキリスト・イエスのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。イエスの十字架は一度だけで十分です。あなたが呪いを受ける唯一の時は、十字架を投げ去るときです!
呪いの下にいるクリスチャンになりたいのなら十字架を投げ去りましょう
呪いから解放されたクリスチャンになりたいのなら自分の十字架を負い、イエスに従うのです
Daughters of Zion - Japanese
シオンの娘
ジェイコブ・プラッシュ
私たちがよく聞かれる質問のひとつに教会内での女性と女性の役割があります。今回はこのテーマをクリスチャンの観点から、またユダヤ的観点から考えてみます。このテーマをより立体的に見ていくために幾人かの『シオンの娘』たちを見ていくこととします。まず皆さんがすでにご存知の箇所から見ていきましょう。最初のものは第一コリントの手紙です。
『教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです』1 コリント 14 章 34 節-35 節
閉鎖的なブレザレンはこれを文字通りに取ります。といっても聖書を文字通りに解釈すべきではないと言っているのではありません。ですがこの箇所は閉鎖的なブレザレンが行っていることを本当に意味しているのでしょうか。教会内の女性はただ座って、何も話すことを許されていない、ある人は聖書がその通りのことを語っていると言います。ですが確信を持って言えるのは、私たちがこの箇所をより大きな文脈をもって見るとき、そのような意味ではないということです。とはいえ、今日の教会内の現状が良いと言っているのでもありません。パウロはここで一体何を言わんとしていたのでしょうか。大きな論議を引き起こすもうひとつの箇所は第一コリントの 11 章 3 節から 7 節です。
『しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリス トであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることにな ります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです』1 コリント 11 章 3 節-7 節
パウロは 9 節でもこう語ります
『また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです』1 コリント
11 章 9 節-10 節
いつもこの箇所について多くの手紙や、直接の質問を受けるので、この場を借りて一挙に答え
てしまうのが良いかと思われます。
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女の子孫(種)が蛇の頭を踏み砕く
もちろん、これは創世記 3 章 15 節からです
『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく』(創世記 3 章 15 節)
オーストラリア人のケビン・コナー(Kevin Conner)という人物は初期に良い本を書いていましたが、今彼は再建主義に入れ込んでいます。彼はこの箇所をもって、キリストの再臨無しに教会がサタンを支配することができると言います。しかしながらこの文脈において、エバは教会よりも先にイスラエルを象徴しています。置換神学は間違っており、この女はイスラエルです。教会はイスラエルに置き換わったものではなく、イスラエルに組み入れられたと聖書は語っています。この女はある面まで教会も含んでいますが、イスラエルの代わりとされているわけではありません。第二に、女の子孫がサタンの頭を踏み砕くのであって、女ではありません。これは大きな間違いです。
ローマ 16 章 20 節には
『平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます』(ローマ
16 章 20 節)
誰が女に勝利を与えたでしょうか。主です。女が踏み砕くのではありません。士師記に登場するヤエルがシセラの頭を天幕のくいで刺し通した時、シセラの頭は砕かれましたが、誰が彼女に勝利を与えたでしょうか。その出来事は主が遣わされた軍隊が来るまで起こりませんでした。これはまたゼカリヤ 12 章とも同じです。イエスさまが再臨されるとき、イエスさまが勝利を与えます。女性が夫の助け無しに勝利を得て、その勝利を贈り物として捧げるという考えはおかしなものです。教会はキ リストのなさったことにより最終的に勝利を得ます。キリストは勝利した教会のために来るのではなく、千年王国を打ち立てるために勝利する教会と共にやって来るのです。蛇の頭を踏み砕くのは女の子孫です。ここで違う点からこのテーマの性質を考えてみましょう。私は聖書の語る環境問題について大きな懸念を抱いています。黙示録には『地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時』とあり(黙示録
11 章 18 節)、創造の初めから地球を管理するように神に言われたのに、人間は地球を汚染します。
環境破壊は罪です。その一方で、環境保護運動の中にはニューエイジの強い影響が入り込んでいるのが分かります。その多くのものが東洋の『母なる地球』や、ローマ・カトリック教会の『母なる
何々』という考えから来ています。みなさんご存知でしょうか、熱心なローマ・カトリック教徒に「マリヤ
も罪を犯した」と言えば、彼らは自分たちの母親が馬鹿にされたように感じます。聖書の「すべての人は罪を犯した」という箇所や、マリヤが救い主を必要としていると語ったことを彼らは気にかけません。それが彼らの母なのです。忠実な花嫁はいつでも自分の夫の誉れを尊びます。しかしイゼベルのように不忠実な妻は自分に誉れをもたらすために夫を利用します。忠実な妻は夫を敬い、妻の誉れは夫から来ます。教会の誉れはイエスです。
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二人組で登場するシオンの娘たち
一、二の例外を除いて、聖書に登場する忠実な女性はいつも二人組で描かれています。ラケルとレアの例を見てみましょう。ヤコブは妻としてラケルを望みましたが、ラケルと同じ程レアを愛せるようになってからラケルをめとることができました。初めはレアが子宝に恵まれていましたが、後にラケルが多く産むようになりました。イエスはイスラエル、ユダヤ人、またいってみるならばシオンの娘たちのために来られましたが、最初に異邦人教会をめとられました。イエスさまがイスラエルと同じ程、異邦人教会を愛されるようになると、再臨においてイスラエルをめとられます。初めは異邦人教会が多くの霊的子孫を産んでいましたが、最後にはイスラエルが多く産むようになります。レアとラケルと同じです。ひとりはめとる必要があった者で、もうひとりは実際に望んでいた方の者です。そこには二人の女性がいました。
ルツとナオミももうひとつの例です。ひとりはユダヤ人で、もうひとりは異邦人でした。二人の女性はいつでもイスラエルと教会の象徴です。私たちは象徴を元に教理を作ることはしませんが、象徴は教理を例えをもって示し、的確に理解できるように私たちを導きます。さて、ルツ記の最後には何が書かれてあるでしょうか。
『しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています』(ルツ 3 章 1 節-2 節)
(ボアズという名は「彼の力にあって」という意味で、ボアズはイエスの象徴として打ち場にいました。ボアズはイエスのように手に箕をもって麦と殻を分けていました)
『あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてから入って行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」』(ルツ 3 章 3 節-4 節)
ここでユダヤ人女性が異邦人女性に男を手に入れる方法を教えました。救いはユダヤ人から来
ます。ユダヤ人は諸国にトーラーと教会をもたらし、イエスを『手に入れる』方法を教えました。またルツがルツ記 4 章 11 節から 14 節で夫を得た後、ベツレヘムで男の赤ん坊が生まれ、その名は
『ゴエル(goel)』――贖い主(買い戻す者)と呼ばれました。そして異邦人の女はその子をユダヤ人の女に与えました。第一世紀に神が福音を異邦人教会に伝えるためユダヤ人を用いられたように、最後の時代にはユダヤ人に福音をもたらすために異邦人教会を用いられます。疑う余地なく 85 パーセントのユダヤ人が異邦人信者によって救いに導かれています。そしてユダヤ人の救いに欠かせないのが、これまで見たこともないほどの数の異邦人信者たちの祈りです。ユダヤ人伝道のための 90 パーセントの資金が異邦人クリスチャンから来ているのでないかと私は思います。ナオミはどのような女性だったでしょう。彼女はイスラエルのように、その子を授かるまで苦い思いを抱いていました。その子は贖い主と呼ばれ、ダビデの町であるベツレヘムで生まれました。そしてルツによってそのユダヤ人女性の手に与えられました。16 節でナオミがその子を抱くと近所の女たちは「ナオミに男の子が生まれた」と言いました。その子はユダヤ人の子どもとなったのです。このようにひとりはユダヤ人、もうひとりの女性は異邦人です。これがシオンの娘たちです。そして 11 節にはこうあります。
『「私たちは証人です。どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように。』(ルツ記 4 章 11 節)
(ルツは教会の象徴であり、ルツ記は教会の誕生日、『シャブオート』――ペンテコステの時期にユダヤ人のシナゴーグで朗読される書です)
イスラエルの礎となったヤコブの十二人の息子たちは、旧約聖書での十二使徒のようなものです。黙示録に登場する 24 人の長老たちは、私が考え得る限り、十二人の族長(ヤコブの息子たち)と十二人の使徒たちです。イエスは彼らにイスラエルの部族を裁くことになると語られました。これを考えてみても、族長と使徒たちが二組になって登場しています。
モーセと関連する女性を見ていきましょう。メシアはモーセのような預言者です。彼の母を除いて、モーセの奉仕に密接に関係していた二人の女性がいます。それは姉のミリヤムと妻のチッポラです。ひとりはユダヤ人で、もうひとりは異邦人でした。そしてユダヤ人であったモーセの家族は異邦人との結婚を快く思いませんでした。現代、熱心な正統派で無い限り、ユダヤ人女性が異邦人男性と結婚することは受け入れられています。しかしユダヤ人男性が異邦人女性と結婚するなんてことがあったなら、もう大変です。チッポラは黒人女性で、クシュ人であり、何らかの人種差別があり、モーセの家族は黒人女性と結婚したことを快く思っていませんでした。モーセと関係していた二人の女性、ユダヤ人女性と異邦人女性がいましたが、ミリヤムは断ち切られ、その異邦人女性がモーセにとって重要な役割を果たすようになりました。
従ってレアとラケルがいました。レアは少なくとも異邦人教会を象徴しています。そしてユダヤ人
と異邦人であるミリヤムとチッポラ、またユダヤ人と異邦人であるナオミとルツ。士師記を見るとそこにはデボラとヤエルが登場します。ヘブライ語で『デボラ』とは『蜂』という意味で、蜂蜜を表すヘブライ語も『デバッシュ(d’vash)』です。そしてこのペアもユダヤ人女性であるデボラと、異邦人女性のヤエルです。イスラエルの勝利は互いに協力し合うユダヤ人女性と異邦人女性の手にかかっていました。シオンの娘たちは二人組で活躍します。そして二人の関係はいつも二つの契約の関係を示しています。
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旧約の子と新約の子
ここでルカを見てみましょう。二人組で登場するというパターンは新約にも見られます。
『エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。』(ルカ 1 章 41 節)
母の胎の中にあってもヨハナン・ハマトビル――バプテスマのヨハネは聖霊で満たされ、マリヤの胎内にいるイエスを喜びました。マリヤはその時妊娠したばかりでした。エリザベス――『エリシェバ
(Elishevah)』とは『わたしの神は誓われた』という意味で、おそらく妊娠 6 カ月でした。命が産道を過ぎてから始まるなんてことを誰にも言わせないようにしましょう。それは嘘です。命は胎内から始まっています。さて、なぜ二人の女性が顔を合わせたときにヨハネが胎内でおどったのでしょうか。その胎内の子どもたち二人が二つの契約の子だったからです。ヨハネは旧約の子であり、イエスは新約の子でした。古い契約はメシアを望んでおり、古い契約のために人々は罪定めされており、救い主を必要としていました。宗教は誰も救うことができません。律法は誰も救えません。それを示すためにモーセは約束の地に入ることができませんでした。ヨシュアが民を導き上らなければならなかったのです。律法は約束の地に導き入れるのに誰か他の人が必要であり、自分に不可能なことをしてくれる人がいることだけを教えています。神が定めた宗教はただひとつであり、それは聖書のユダヤ教です。それは今日見られるラビのユダヤ教ではありません。神が定められた唯一の宗教はガラテヤ人への手紙で言われている通り、『パイダゴーゴス(paidagogos)』――『養育係』だけであり、その養育係は救いの必要性を私たちに教えます。それが古い契約の主な役割でした。そのためにヨハネはイエスさまが来ると喜びました。パウロが言うように律法は無益だったからです。ルカ 16 章
16 節を見てみましょう。
『律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これに入ろうとしています』(ルカ 16 章 16 節)
ここの「無理にでも入る」というギリシア語は「アウテーン・ビアゼタイ(auten biazetai)」です。ギリシア語の知識が何も無いモーリス・セル― ロ(Morris Cerullo )やアンドリュー・シェアマン
(Andrew Sherman)という人たちはおかしなことに、この「アウテーン・ビアゼタイ」を、『力によって御国を勝ち取ることだ』と教え、この箇所を勝利主義神学(triumphalism)のために用いていますが、本来の意味はそうではありません。律法は私たちが罪深く、救われる必要があることを教えます。それは沈みゆく船で警報が鳴り響いているようなときに、救命ボートに人が無理にでも駆け込んでいくような状態のことです。律法はヨハネまで宣べ伝えられ、イエスからは御国が宣べ伝えられました。律法の子であるヨハネは恵みの子を見ました。
これまで話してきたようなパターンが『ブノット・ツィオン(b’not tsion)』――シオンの娘たちに見られるもので、彼らはいつもペアになって活躍します。一方は律法を予兆し、もう片方は恵み、しばしば一方はイスラエルを示し、片方は教会を表しています。また一方は旧約を象徴し、もう一方は新約を象徴しています。それではここからは聖書に見られるさらなるパターンを見ていきましょう。
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彼女の頭はいつも覆われている
旧約聖書、タナクにおいて神に用いられた女性はどのようなものであったでしょうか。彼女たちの頭はどうなっていたでしょう。神はエステルを用いられましたが、彼女の『頭』はモルデカイによって覆われていました。神はダビデの系図を始めるためにルツをも用いられ、彼女を通して後にベツレヘムでメシアが生まれましたが、彼女の『頭』はボアズによって覆われていました。神はデボラも用いイスラエルに勝利をもたらされましたが、彼女の『頭』はバラクによって覆われていました。
頭はいつも覆われています。ルツの夫はボアズ(彼の力によって)でした。彼女の強さは夫の中にあったのです。女性は男性が持ち合わせていない内側の強さを持っています。そう思われないなら出産の光景を見てください。ラグビー選手でもあれほど大変なことを経験したらもう試合に出られなくなるでしょう! ですが霊的な強さ、感情的な強さ、真理的な強さについていうと、妻は夫から、また女性は覆いとしての男性からそれらを引き出す必要があります。
このような理解をもって再び第一コリント 11 章 3 節から 16 節を見てみましょう。女性は御使いたちのために頭を覆わなければならないとあります。これはどのような意味なのでしょう。神が良きものとして設計されたものは何であれ、人の堕落により敵は悪のために用います。男性は鈍感で、私も鈍感です。男性は女性の敏感さに依存しています。夫婦が救われたとき、私が知っている中の
85 パーセントは奥さんが最初に救われています。夫婦が共に導きを祈るとき、85 パーセントの割合で奥さんが聖霊の声を聞き取ります。女性はより敏感であるために明確に、また迅速に聞き取ります。女性はいつでもより敏感でしたが、堕落のために男性は鈍感になりました。また一方で堕落のために女性は過度に敏感になってしまいました。そのため女性は聖霊の声を聞き取り易いのと
同時に、他の霊の声を聞き、騙されやすくなっています。女性は霊的な誘惑や欺きに対してもろく
出来ています。エデンの園で蛇はアダムの妻を通して彼を攻撃しました。サタンはイエスを攻撃できないので、今は教会を通してイエスを攻撃しようとしています。このことのために奉仕に携わっている男性が正しい妻を見つけることは重要なのです。妻は神に用いられるか、悪魔に用いられるかどちらからです。ジョン・ウェスレーの妻の場合は(主が彼女を取り去られるまで)彼の働きを妨げるために悪魔によって用いられていました。ここで第二コリントの手紙を見てみましょう。
『私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。』(2 コリント 11 章 1 節-3 節)
黙示録 11 章には竜と蛇が登場します。サタンには 2 つの攻撃形態があります。迫害者としての竜と、誘惑者としての蛇です。女性は蛇の攻撃に対して弱さを抱えています。蛇の攻撃は竜に食べられるのと同じほど危険なものです。毒があるからです。そのために男性の権威は支配ではなく、保護することに基づいています。夫はキリストが教会を愛されたように妻を愛することが求められています。キリストは自分を明け渡して、教会を愛しました。不従順という問題を抱える女性には、たいていの場合妻を愛さず、自分を明け渡していない夫がいます。夫がキリストのように明らかに自分を妻のために明け渡すとき、そこまでして反抗的である女性はそうはいません。女性は従順にならなければなりませんが、その従順は男性が勝ち取るものでもあります。妻は夫を上司のようにではなく、保護のための権威として見るべきです。それは神が女性の物質的な安全と共に、女性の霊的な安全に対する責任を男性に問われるからです。神は私の妻の安全に対する責任を私に問われます。妻はその責任を理解すべきです。一方で、男性はその責任をもって自分を妻に明け渡すべきです。これが理想的な形です。現実の世界では、堕落のために男女関係の上には呪いがあります。神は私たちを贖われましたが、同時に結婚生活における摩擦を通して、私たちをよりイエスに似せていきます。私たちは組み合わされたレンガ(ヘブライ語ではヒート・ハ・ブルット)のようであり、
『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる』のです(箴言 27 章 17 節)。神が定められ
た 2 人の交わりの中で最も密接なものがクリスチャン同士の結婚です。結婚は堕落以前に神が定めたものであり、人間の文化によって作られたものではありません。
第一コリント 11 章には男が頭にかぶり物をして祈るのは自分をはずかしめることだとあります。パウロはこの手紙をコリントの教会に書き送っており、そこにはいくらかのユダヤ人と多くの異邦人がいました。ここで扱われているのは中東のユダヤ文化ではなく、離散し、ヘレニズムの影響を受けたユダヤ文化です。そしてこれは異邦人クリスチャンの問題を扱っているものです。
ユダヤ人の男性はタリートと呼ばれる祈祷用ショールを持っています。聖書時代でさえ、大祭司
には衣装がありました。大祭司は『レハクリブ(lehakriv)』――『執り成し』に向かうときターバンを被っていました。ユダヤ人の男性が頭を覆って祈っていたのです。そうすると、男性が頭を覆って祈るのは不自然で自分をはずかしめることだとある人たちは言います。ですがこれは文化的な問題で す。一方、そこに含まれている原則は文化的なものではありません。私たちの文化では結婚指輪が結婚のシンボルとなっています。他の文化ではそれは女性が頭を覆うことです。お分かりでしょうか。長い髪はある文化では女性の誉れとみなされていますが、他の文化ではそうであるとは限りません。原則を反映する形の文化は相対的なものですが、原則自体はすべての文化、すべての時代に当てはまるものです。私はお風呂場にまで帽子を被っていく女性を知っています!ですがその人は とんでもなくお喋りで、彼女のご主人は犬の鎖につながれているような状態でした!その人は帽子は被っていましたが、本当に『頭』は覆われていたでしょうか。少なくとも彼女はそう思っていました。原則の表現の仕方は文化に縛られるものですが、原則自体はそうではありません。といっても、教会の伝統や慣習としてブレザレン教会のいくつかがしているように、女性が頭の覆いをしていることに私は何の問題も感じません。ペンテコステ派の一部もしていますし、私はそれを問題と感じていません。私の言いたいことは、それがパウロの伝えたいことではなかったということだけなのです。パ ウロの言いたかったことは、霊的誘惑に対する女性のもろさと、男性からの保護の必要性でした。男性は鈍感ですが、女性より信じやすくなく、騙されにくいものです。おかしな流行やおかしな教理に最初に飛びついてしまうのはたいてい女性です。それではさらに考えていきましょう。
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責任感を持たない男性
『同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。』1 テモテ 2 章 9 節-15
この箇所はいくつかのことを語っています。結婚生活で主人をコントロールしている厚かましい女性がいても、問題はその女性にあるのではなく、夫婦関係において権威を持たない夫にあります。女性牧師がいる教会の問題は女性ではありません。女性は本来堕落のために霊的に不安定であ り、男性からの強さを求めています。女性差別に聞こえたら申し訳ないのですが、これは本当です。教会がその強さと導き、安全性をキリストに求めるように、妻も導きと安全性、強さを自分の夫から得るべきです。また妻は夫の強さにも貢献できます。賢明な妻は白馬の王子様のような男性がいない
ことを分かっています。クリスチャンの中にもいません。それゆえ妻は「私は夫を理想の姿に近づけ
るために用いられる神の器だ。夫はまだその姿には達していないけれども、その姿に近づけるために神の器になる必要がある」と言うべきです。白馬の王子様はイエス様だけです。同じことが箴言
31 章の理想的な妻にも言えます。
ユダヤ人が結婚する時には、ヘブライ語で「モーセとイスラエルの律法にしたがってこの指輪をもって結婚します」、また「アニ・メクデシェット・ラク」――「私はあなたを聖なるものとします」と言います。夫は妻を聖なるものとし、神に対して清いものにするための神の器です。性行為でさえ聖なるものです。『寝床を汚してはいけません』(ヘブル 13 章 4 節)。ハシド派ユダヤ人は性行為が行われるときに、シェキナー――神の御霊が寝床の上を覆っていると言います。それはある意味で的を得ています。私たちはカバラー的に考えることはありませんが、その説明には真理があります。
女性エバが騙され、男性アダムは騙されませんでした。結婚関係において男性が家族の頭とならないならば、女性が押しつけがましくとも、それは女性の責任ではなく、男性の責任です。もしそれが女性のせいであったとしても少なくとも彼の責任であり、その責任を処理しなければ男性のせいとなります。私の夫婦関係や子供に何か悪いことが起きたなら、私のせいではないかもしれませんが、神の目から見ると私の責任です。それは夫婦や家族関係において私が神の権威となっているからです。女性がイゼベルのように厚かましいという男性の文句を聞くのは好きではありません。男が男らしくしていればそのような問題は起こりません。私が受け取る多くの手紙の中には、講壇上で女々しい男や、夫婦関係において女々しい男について語る女性たちからのものがあります。
「私の夫はなぜあの教えを間違っていると言わないのでしょう。私たちは 20 年間教会にいて、金儲
けの福音や、エキュメニズムが入って来ているのに、なぜ私の夫は反対しないのでしょうか」というような内容です。私はこのような手紙をいつも受け取ります。このような女性たちに何の悪い点もありません。
霊的に成熟した女性であれば、それはデボラに起こったことと同じです。「バラク、責任を取りたくなければ、それでいいでしょう。私が取ります。あなたは私の覆いとなり、私がそれを行います。しかし報酬はあなたではなく、私が取ることになります」神がそのような方法で女性を用いるときは、男性が任された仕事をしていないときです。例外はありますが、トロントの実情を見、信仰のことばやエキュメニズムの真の姿を知りながら立ち上がらない多くの教会指導者たちがいます。教会が間違いにおびき寄せられているのを見ても、何もしない牧師たちがいます。
『見よ。あなたの兵士は、あなたの中にいる女だ。あなたの国のもろもろの門は、敵のために広くあけ放たれ、火はあなたのかんぬきを焼き尽くす』(ナホム 3 章 13 節)
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原則と文化
第一テモテで他に何が語れているかを見てみましょう
『同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく』(1 テモテ 2 章 9 節)
ここでも私たちは原則と文化の違いを理解しなければなりません。雅歌にはメシアと花嫁、神とイスラエルのアレゴリーが描かれています。その中で花嫁は、このギリシア人女性が付けてはならないと言われている、まさにその飾りを多く身につけています。ペテロが第一ペテロの手紙の中でよりユダヤ人の指導者たちに書いたのに対し、半分ユダヤ人、半分異邦人であったテモテは主に異邦人で占められている教会を任されていました。ではペテロがどう書いているかを見てみましょう。
『同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです』(1 ペテロ 3 章
1 節-6 節)
パウロは「髪を編んだり、宝石を付けるな」と言っており、ペテロは「そのようなことだけをしてはならない」と言っています。ユダヤ文化の中で髪を編んだり、宝石をひとつふたつ付けることは何も悪いことではありませんでした。ペテロは主にユダヤ人に対して書き送っています。しかしギリシア文化の中ではそのようなことは、売春やみだらなことと関連しており、神殿娼婦が当時存在しました。本文は原則を強調しています。著者は「売春婦のような身なりをするな。不品行な身なりはするな」と語っています。女の人たちには売春婦のような格好をして教会に来てほしくはありません。ギリシア文化では髪を編んだり、宝石を付けることがそのまま売春婦や神殿娼婦と関連していました。そのような原則を著者は言っています。原則がどう表現されるかは文化次第です。この二つの箇所でみたように、同じ命令でも主にユダヤ人で占められた教会に対する強調点と、主に異邦人で占められた教会に対する強調点とは違います。そこには同じ原則が存在しますが、その表現方法はさまざまです。
人が「化粧をするな」というようなルールを作りだすと、それは(律法主義ではなく)ノミアン主義に陥っています。そのような人たちは救われるためにあれこれをしなさいと言っているのではなく、
イエスによって義とされるためにイエスへの信仰に加えて、このようなことをしなさいと言います。主
のことを思って化粧をしないという人がいても私は何ら問題がありません。女性は自然の美しさを持っています。女性は元から美しいものです。すべての女性は夫が魅力的に感じるものを与えられています。すべての女性がそうです。しかし先の聖書箇所のために女性は絶対、化粧も宝石も付けてはならないというのは誤解です。聖書箇所はひとつの原則に訴えかけているからです。私は人が水着を着ていないエイラットのビーチに行き、そこで日光浴をしている人たちにトラクトを配ることができます。彼らはスカンディナヴィアやドイツ、オランダなどから来たかわいい女の子たちで何も着ていません。私はそれでもセックスのことすら頭に上ることなくトラクトを配ることができます。しかし性欲をかき立てるような水着を着た人たちがいるテルアビブに行くと、私は気が狂いそうになります。耐えられないのです。その場所の女性たちは夫以外の者を性的に煽るためだけにそのような水着を着ています。私個人にとっては「着ても着なくてもいいが、誘惑しないでくれ」と思います。女性が挑発的に振る舞うのは正しくありません。私はカリスマ派の女性たちに関しても多くを見てきました。聖書の学びに行くと、自分の夫にしかしないような仕方で他の男性に腕を回す女性がいつもいます。クリスチャンの女性はそのように振る舞うべきではありません。クリスチャンなら過度にタイトな服や、性欲をかき立てる服を着るべきではありません。これが原則です。しかし実際にどの服装がそう見なされるかは時代と文化によります。パウロはその原則に訴えかけていました。この世的に見えてはいけません。けばけばしくなってはいけません。女性の真の美しさは内からのものです。それは雅歌のようなものです。最もセクシーな女性は真の美しさを持った女性です。体型がどうであれ関係ありません。敬虔な女性は何か内側から発し、夫を惹き付けるものを持っています。
『同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。そうすれば、彼女たちは、若い婦人たちに向かって、夫を愛し、子どもを愛し、慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。それは、神のことばがそしられるようなことのないためです。』テトス 2 章 3 節-5 節
「悪口を言わないように」とあります。男の人は女の人とは違う種類の罪に陥ります。激しい怒りは女性よりも、男性によく見られるものです。女性に関しては悪口が一般的なものです。女性はその種の罪に陥ります。年配の女性は若い女性にそうならないよう教えるべきです。パウロは女性が教えてはならないと言っていますが、女性は他の女性を教えるべきとも言っています。それが聖書の命じていることです。しかし男女混在する教会で女性が教師となろうとするとき問題が発生します。それでは再び第一コリント人への手紙を見てみましょう。
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女性が語ること
『教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うよう
に、服従しなさい。』(1 コリント 14 章 34 節)
これは律法です。しかしこれは正統派ユダヤ教徒たちが今日まで唱えているようなことではありません。彼らは「神よ、私が犬に生まれず、異邦人や女に生れなかったことを感謝します」と言っています。キリスト教は女性を解放した信仰です。キリスト教到来以前のヘレニズム世界の大半と、ユダヤ世界をご存知でしょうか。ペテロが男女お互いに仕え合うことや、女性もキリストにある共同相続人だと教えた時、当時の結婚観を全く打ち砕きました。当時にとってはとても進歩的な教えだったからです。それと同じように聖書は奴隷制に関しても否定的な見方をしています。それも進歩的な考えでした。ともあれパウロは女性に静かにしているよう望みました。そして次のように続けます。
『自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。もしそれを認めないなら、その人は認められません[ =その人を認めてはいけません ]。それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。』(1 コリント 14 章 37 節-40 節)
これは女性が教会で黙り、話してはいけないということでしょうか?いくつかのブレザレンや、ペンテコステ派、ホーリネスを強調する教会はその通りの意味だと言います。ですが私たちはパウロが話していることの全体像を見なければなりません。もちろんこの箇所の言いたいことは女性が完全に黙るということではあり得ません。それではどのような理由でそう言えるかを見て行きましょう。
『しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。』(1 コリント
11 章 5 節)
女性が黙っていなければいけないならば、どのように集会で声に出して祈ったり、預言したりすることができるでしょうか。女性がただ完全に黙り、何も言わないという意味ではないのは明らかです。それがあり得ないのはその直前の箇所で女性が祈り、預言もするとパウロが言っているからです。ではどのようにして祈り、預言をするのでしょうか。頭を覆ってです。女性が何かの奉仕をするとき、彼女の頭は覆われている必要があります。もしその女性がクリスチャンの夫を持たない場合や、独身である場合、頭覆いはクリスチャンの父親または年上の兄弟になります。女性がそのどちらも持っていない場合、頭覆いは教会の男性指導者になります。女性の頭覆いはいつでも保護のためです。女性はただ教会に来てじっと黙って座っているだけではありません。それはパウロが否定しているからです。ですが大切な原則は女性の頭が覆われなければならないということです。ではこれが何を意味するか考えてみましょう。女性は教会で完全に黙っていなければならないという人は使徒の書簡を手紙として読んでいません。包括的に見ずに、ただ一つの箇所だけを取り上げてし
まっています。
『兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。』(1 コリント 14 章 26 節)
パウロはここで御霊の賜物のことを話しています。人々は賜物を持って教会に来ます。主からの教えや言葉などです。パウロは女性が祈ったり、預言をすべきではないと教えていません。彼が教えていることは、女性は自分の夫を通してそのような奉仕をするということなのです。自分の妻が預言を語るなら、彼女だけが責任を負うのではなく、夫である自分も責任を負います。それは夫は妻の覆いだからです。自分の妻が奨励を語るなら、彼女だけが責任を負うのではなく、夫である自分も責任を負います。これがパウロの言わんとしていることです。女性は合同の集会にて自分の権威のみで話すべきではありません。一方で女性は他の女性を教えるべきです。女性の頭が覆われているなら、女性が証を分ち合ったり、預言を語り、声に出して祈り、励ましを与えることに対して、私自身何の問題も感じず、聖書から見て何の問題もありません。私は男女混合の会衆の上に女性が立つべきではないと考えます。ですが女性は他の女性の上に指導者として立つべきだとも考えます。女性の指導者としての賜物は、直接的に他の女性たちに対するものか、自分の夫の覆いのもとで機能すべきです。女性牧師は論外です!女性牧師は間違っており、非聖書的です。ですが、もうひとつの極端、女性の抑圧も間違っています。女性の頭覆いはいつも保護のためにあるためです。
女性はもろい特徴を持っています。ある時、私のことを何かのパワーのように語り、私に触りたがる女性がいました。その姉妹は「あなたが部屋に入って来たとき、御使いがあなたの前を歩くのを見ました」と言ったので、私は「それは良い天使か、悪い天使かどちらだったんだい」と冗談で聞き返すと、彼女はそれを真剣に考え始めていました。女性は感情的にもろく、おかしな事柄に陥りやすい性質を持っています。夫たちがいるのは、女性たちを問題から遠ざけるためでもあります。逆に男性が鈍感であるということは明白です。鈍感であるため敏感に物事を受け取る妻が夫たちには必要です。両者が互いを必要としています。それは男性、女性のどちらが優位かということではなく、役割の違いがあるということ、機能の問題です。それではさらにシオンの娘を幾人か見ていきましょ う。士師記 4 章 8 節から 24 節です。
『バラクは彼女に言った。「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」』(士師記 4 章 8節)
何て腰ぬけな態度でしょう!ですが私も腰ぬけです。これまで私は誰かに反対しなければなら
ない時が多く、妻に共に祈ってくれるよう頼みました。そして彼女が私の意見が間違っていると言う
なら非常に信憑性があります。私が「(誰々のことを)放っておけない、反対する」と言うと、「その人に反対するなら、返り討ちに遭わないことを確めてからにしてくださいね」と妻のパビアは言います。女性は男性の強さでもあります。女性に対する男性の強さとは違いますが、間違えてはいけないのが女性は確実に男性の強さとなることです。
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独身の賜物を持つ人
まず独身の賜物を持たない男性は彼女や妻がいないと、「自分に何か悪いところがあるんじゃないか」と考えます。これは女性も同じです。特に出産適齢期が過ぎてしまうと女性はいらいらしてきます。人はロンドン・バイブルカレッジのことをもじってロンドン・『ブライダル』カレッジと呼びます。女性寮のシャワールームには爪を立てて引きずった跡が必ずあると人は言います。また若い女性が年上の女性より早く結婚したりすると、年上の女性のはらわたは煮えくりかえります。同じことが違った形で男性にも起こります。人がひとりでいるのは良くありません。独身の賜物を持っていれば大丈夫ですが、独身の人は不完全です。独身の賜物が無く、共にいてくれる女性がいない男性は不安感を抱いています。男性も女性も独身であれば完全さを欠いています。それでは多くの誤解がある独身の賜物について見てみましょう。独身の賜物を持つ男性、または女性にはたいてい次の三つのものがあります。次の三つがどれもなければ、独身の賜物を持っているか疑うのに十分な根拠があります。
第一に、男性または女性が独身の賜物を持っているなら、独身であり続けても、男性らしさや、女性らしさに影響はありません。独身の賜物を持っていない男性が長い間自分のシャツにアイロンをかけすぎていると、物腰が柔らかくなり、次第に女性のように文章を書くようになってしまいます。これは女性が薪割りを長い間しすぎて、筋肉隆々になるのと同じです。独身の賜物を持っていれば、男性が独身であっても男らしさが損なわれることはありません。また女性が独身であっても女性らしさを損なうことはありません。その女性はレディーであり、性別をしっかりと持ち、女性らしい魅力があり、他の女性が持っているすべてのものを持ち続けます。これらのものが女性や男性に欠けているなら、その人は独身の賜物を持っていない可能性が限りなく高いです。
第二に、誰かが独身の賜物を持っているなら、大抵の場合に妻や夫が助けではなく、妨げとなるような特別な奉仕に召されているということが言えます。イランに聖書を密輸する奉仕をしているなら、安全に戻って来れるか分からないため、妻や子供が家で待っていたらどうでしょうか?独身の賜物を持つ人は特別な奉仕に召されているために、その賜物を頂きます。パウロのことを考えてみてください。何度も難破するような旅をしているのに、家で家族が待っていては気が気ではありません。
第三に、独身の賜物を持つ人は性的なことに関し平安を持っています。彼らは性的なことで頭
が一杯ではなく、更年期に入ることや子供を持てなくても心配しません。そのような人たちは自分たちの両親が持っていたような家庭生活を持っていなくても気にしません。そのようなことを気に掛けている人は独身の賜物を持っていません。
平安を持てず、特別な奉仕に召されておらず、年を重ねて男性らしさや女性らしさに影響が出るなら、その人は特別な独身の賜物を持ってはいません。ですが、大半の国の大半の教会では、男性ひとりに対して女性がふたりいる状況です。女性は男性より救われやすいものです。このために女性は男性よりも大いに祝福を受けています。独身の賜物を持っているなら失わないようにしましょう。神の創造の時から、結婚は男性と女性の自然な形です。ですが堕落のために迫りくる欲求が他にあります。独身の賜物を持っているならば結婚によって台無しにしないようにしましょう。反対に独身の賜物を持っていないならば、他の人に押し付けられないようにしましょう。親しいクリスチャンの友人で、結婚が叶わなかった人が言いました。「私はひとりだけれども寂しいとは全く思わない」。それでは士師記 4 章を再び見てみましょう。
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デボラとバラクの戦い
『バラクは彼女に言った。「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」そこでデボラは言った。「私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に売り渡されるからです。」こうして、デボラは立ってバラクといっしょにケデシュへ行った。』
(男性が責任感を持たない時、何が起こるかがここで分かります)
『バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに呼び集め、一万人を引き連れて上った。デボラも彼といっしょに上った。ケニ人ヘベルは、モーセの義兄弟ホバブの子孫のカインから離れて、ケデシュの近くのツァアナニムの樫の木のそばで天幕を張っていた。』
(樫の木はいつも強さと関連しています)
『一方シセラは、アビノアムの子バラクがタボル山に登った、と知らされたので、シセラは鉄の戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、ハロシェテ・ハゴイムからキション川に呼び集めた。』
(ハロシェテ・ハゴイムは異邦人の鉄または銅という意味)
『そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラを渡
される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」それで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼について行った。主がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したので、シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げた。バラ クは戦車と陣営をハロシェテ・ハゴイムに追いつめた。こうして、シセラの陣営の者はみな剣の刃に倒れ、残された者はひとりもいなかった。しかし、シセラは徒歩でケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げて来た。ハツォルの王ヤビンとケニ人ヘベルの家とは親しかったからである。ヤエルはシセラを迎えに出て来て、彼に言った。「お立ち寄りください、ご主人さま。私のところにお立ち寄りください。ご心配には及びません。」シセラが彼女の天幕に入ったので、ヤエルは彼に毛布を掛けた。シセラはヤエルに言った。「どうか、水を少し飲ませてください。のどが渇いているから。」ヤエルは乳の皮袋をあけて、彼に飲ませ、また彼をおおった。シセラはまた彼女に言った。「天幕の入口に立っていてください。もしだれかが来て、『ここにだれかいないか』とあなたに尋ねたら、『いない』と言ってください。」だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の鉄のくいを取ると、手に槌を持ってそっと彼のところへ近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に刺し通した。彼は疲れていたので、熟睡していた。こうして彼は死んだ。ちょうどその時、バラクがシセラを追って来たので、ヤエルは彼を迎えに出て、言った。「さあ、あなたの捜している人をお見せしましょう。」彼がヤエルのところに来ると、そこに、シセラは倒れて死んでおり、そのこめかみには鉄のくいが刺さっていた。こ うして神はその日、イスラエル人の前でカナンの王ヤビンを服従させた。それから、イスラエル人の勢力がますますカナンの王ヤビンを圧するようになり、ついにカナンの王ヤビンを断ち滅ぼした。』(士師記 4 章 8 節-24 節)
以上が事の流れです。先にも見ましたが、男性が権威を持たず、神が女性を用いられる時、神はそれでも女性の覆いを取り去りはしません。バラクは腰ぬけであったかもしれませんが、神はそれでも頭覆い無しでデボラを用いることはありませんでした。彼女がその功績を認められたにせよです。今日も、男性が腰ぬけであるために、神が女性を用いる時、神は権威の順序を破ることはありません。
14 節ではデボラが全軍を励ましました。ですが気を付けてください。女性は正しい助言をすることと、間違った助言をすることのふたつに長けています。時にはひとりの女の人が反対のことを行います。サラを考えてみてください。サラがアブラハムにイシュマエルを作らせました。私の妻でも非常に正しい時もあれば、全く間違っている時もあります。神は確実に妻を通して語られますが、他の女性と同じくいつも感情がひとつの要素となっています。その箇所ではデボラから正しい激励が出ました。
21 節ではヤエルがシセラを殺しました。彼女はただバラクが軍隊とやって来た後にシセラに勝
ちました。ゼカリヤ 12 章には教会の勝利が書かれてあり、イエスさまは教会と共に来られます。主がご自身の軍隊と来られるまで勝利はありません。再建主義や神の国は今という教えはくだらないものです。さてここで 6 節、7 節を見てみましょう。
『あるとき、デボラは使いを送って、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に言った。「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』」』
(士師記 4 章 6 節-7 節)
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すべてはハル・メギドで起こる
これがどこで起こったかというと、タボル山のふもとです。聖書はそこをメギドと呼んでいます。今日もその場所におもむけば遠くにタボル山が見えます。ですが、この戦いが実際に起こった場所、清算の場所はメギドです。ヘブライ語では『ハル・メギド』と言い、『メギドの丘』という意味です。『ハル・メギド』という語は間違って『アルマゲドン』と後に訳されました。それはそうとして、メギドで起こったことは、終わりの日に起ろうとしていることを私たちに教えています。聖書の中で、地理的に同じ場所で起こったことには意味があります。ルツが贖い主と呼ばれるようになった赤子をベツレヘムで生んだのには訳があります。それはイエスさまがベツレヘムで生まれたからです。
それでは黙示録を見てみましょう。
『こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。』(黙示録 16
章 16 節)
これを士師記と見比べてみると、同じ話しです。
『王たちはやって来て、戦った。そのとき、カナンの王たちは、メギドの流れのそばのタナクで戦って、銀の分捕り品を得なかった。天からは、星が下って戦った。その軌道を離れて、シセラと戦った。』(士師記 5 章 19 節-20 節)
また黙示録を見ると、
『さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、』(黙示録 12 章 7 節)
天で起っていることと、地上で起こっていることには関連性があります。ハル・メギドで起こってい
たことは天で起っていたことの写しでした。星々は天使の象徴であり、クリスチャンの象徴です。黙示録で、イエスさまは御手の中に星を持っており、それは御使いたちのことですが、アブラハムの子孫たちは天の星のようになるとも聖書は語っています。ここで士師記 5 章、デボラの歌を見てみましょう。
『農民は絶えた。イスラエルに絶えた。私、デボラが立ち、イスラエルに母として立つまでは。』(士師記 5 章 7 節)
デボラはイスラエルの母のような人物となっています。
『目ざめよ、目ざめよ。デボラ。目ざめよ、目ざめよ。歌声をあげよ。起きよ。バラク。とりこを捕らえて行け。アビノアムの子よ。』(士師記 5 章 12 節)
デボラは勝利の歌を歌いました。24 節では、『女の中で最も祝福されたのはヤエル』とあります。女の中で最も祝福された者…もうみなさん、お気づきでしょうか。敵の頭は砕かれ、マリヤが女の中で祝福された者でした。創世記には女の種が蛇の頭を砕くとあります。ここで象徴が厳密に重なり 合うわけではありませんが、二人の女性には関連があります。この二人が「女の中で祝福された」者と呼ばれました。デボラの歌、そしてマリヤに関してはルカ 1 章 42,48 節にそうあります。もうひとり
は、出エジプト 15 章 20 節から 21 節で歌を歌うモーセの姉ミリヤムです。ミリヤムという名は、イエスの母であるマリヤと同じです。
『アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。ミリヤムは人々に応えて歌った。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」』(出エジプト 15章 20 節-21 節)
勝利と贖いをもたらしたイエスの母、ミリヤムに起こったことは、もうひとりのミリヤムにも起こりました。彼女は同じこと、勝利と贖いを語りました。そしてヤエルも勝利と贖いをもたらしました。彼らこそがシオンの娘たちです。ヤエルとデボラの歌はマリヤの前兆となっています。ミリヤムの歌もマリヤを象徴しています。これらの女性は神に従う女性を様々な側面から象徴しています。
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最終的なシオンの娘
最終的なシオンの娘は箴言 31 章に描かれています。私たちはこの箇所を一般的に妻に当て
はめますが、ミドラッシュ的にはもうひとつ深いことを語っています。
『しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない [夫はイエスであり、花嫁は教会です] 。彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。彼女は商人の舟のように、遠い所から食糧 [霊的な食糧] を運んで来る。彼女は夜明け前に起き、家の者に食事を整え、召使いの女たちに用事を言いつける。彼女は [宣教の『畑』を見るように] 畑をよく調べて、それを手に入れ、自分がかせいで、ぶどう畑を作り、腰に帯を強く引き締め、勇ましく腕をふるう。彼女は収入がよいのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。』
夜になってもともしびが消えなかった人は他に誰がいるでしょうか。マタイ 25 章の賢い乙女と愚かな乙女です。この箇所が妻について語りつつも、同時に教会について語っていることをお気づきになったでしょうか。患難にあっても彼女のともしびには油があります。
『彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。
[これが忠実な教会です]
彼女は家の者のために雪を恐れない。家の者はみな、あわせの着物を着ているからだ。
[別訳:『緋の着物を着ている』=イザヤ 1 章 18 節に関連]
彼女は自分のための敷き物を作り、彼女の着物は亜麻布と紫色の撚り糸でできている [霊的に] 。夫は町囲みのうちで人々によく知られ、土地の長老たちとともに座に着く。彼女は亜麻布の着物を作って、売り、帯を作って、商人に渡す。彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。
[教会は知恵を求めるべきです]
彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。
[彼女はなまぬるい教会ではありません]
その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。』(箴言 31 章 20 節-31節)
これがイエスさまが求めている汚れの無い花嫁です。もちろんこの箇所は理想的なクリスチャンの妻、また理想的なユダヤ人の妻にも当てはまります。しかしこの箇所は真実のシオンの娘について語っています。教会の性質は男性的ではなく、女性的です。ある面で男性のほうがイエスさまに
共感することができます。それはイエスさまが男性だからです。女性は夫を通してイエスさまを見な
い限り、ある意味で見ることができません。女性は、男性としてのイエスさまに共感できないため、夫たちを通してイエスの愛を見なければなりません。反対に男性がイエスさまを恋人としてみるなら、それはおかしな状態です。それゆえ女性がどのように夫に愛されたいと思っているか、またどのように夫を敬いたいかを見て、男性はイエスさまをどう敬うかを知る必要があります。妻を通して神が見たいと思われているものに夫はなるべきです。同じように妻も自分の夫を通して、神が何を望んでいるかを見るべきです。これは夫と妻がどちらが優れているかという問題ではなく、補い合う関係、役割の問題なのです。
このようなテーマを話す際に、私はいつも警告を付け加えています。もしみなさんが、女性であり独身、または未亡人ならば、どんな状況下であってもイエスを個人的な夫、恋人と見なしてはいけません。イエスさまはいつも集合的な花嫁の夫であり、個人的な花嫁の夫ではありません。女性が感情的に混乱に陥り、イエスを個人的な恋人と見なしてしまったために、悪霊の抑圧を受けるようにまでなった例を私は知っています。修道女が自分のことをキリストの花嫁と言い、最終的な誓いをした後、指輪をはめ、結婚式を行うのはローマ・カトリックの考えです。これは完全に偽りで、非聖書的です。ローマ・カトリック神秘家のアビラの聖テレサという人は、雅歌を性的な読み物として読み、イエスとの情事を空想していました。これは完全に間違っています。イエスの花嫁はいつも集合的なものであり、決して個人的なものではありません。
教会は箴言 31 章の花嫁にならなくてはなりません。そのような妻のために尽くさない男性はひとりとしていません。そのような女性は存在するでしょうか?キリストが戻って来られる時、主が箴言
31 章の女性以外のものを受け入れることはありません。
神の祝福がありますように。
Day Of The Lord - Japanese
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Elijah, the man who could make it rain - Japanese
エリヤ 雨を降らせることのできる者
ジェイコブ・プラッシュ
『義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。』(ヤコブ 5 章 16 節-18 節)
エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨を降らせることのできる者でした。この箇所を通して、聖霊が私たちに伝えようとしていることは、もし彼ができるのなら、私たちもできるということです。私たちも雨を降らせることができます。しかし、それはどのような意味なのでしょうか?
雨は聖霊が注がれることの象徴
聖書の象徴の中で、様々な種類の液体は聖霊の異なった側面を表しています。
新しいぶどう酒は、聖霊を賛美の面において象徴している液体です。もうひとつの液体は、油であり、それは聖霊が注がれることについて語っています。一方、聖書の中の生ける水 はいつでも、聖霊が降り注がれることを表しています。雨は降り注ぎ、地下水となり、湧 き水となるのです。
イエスは次のような形で説明されました。『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。』(ヨハネ 7 章 38節-39 節)イエスは、生ける水とは聖霊が流れ出ることだとはっきりと語りました。『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節)
再び、神はかわいた地に水(雨)を注がれると言われています。そして、それは神が御霊を注がれるという意味だと言っているのです。雨とはその象徴です。
一つの町には雨を、他の町には雨を降らせない
『わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、 一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。』(アモス 4 章 7 節)
例えばなぜラインハルト・ボンケ(Reinhard Bonnke)がアフリカで説教するとひとつの集 会で、何万人もの人が救われるのに、彼がドイツやイギリス、オーストラリアに行っても、大したことは起こらないのでしょうか。その答えはこのアモス 4 章 7 節にあります。神は 一つの町には雨を降らせ、他の町には降らせないのです。そして、雨が降らなかった町に 収穫は来ません。
御霊の注ぎに関して、神は恵みをみこころのままに与えます。ブラジル、韓国、インドネシア、フィリピン、アフリカの多くの地に雨は降り注いでいます。しかし、500 年間聖書を持っていた西洋のプロテスタントの国々は、今はかわききっています。神はその恵みを裕福な国から、貧しい国へと移されました。
白人によるプロテスタント系キリスト教は、数において、道徳面において、財政面において、神学的にも、霊的にも世界中で減退しています。
カトリック教国や黒色人種の国、オリーブ色の肌をした民族の国々、黄色人種の国で教会は増えつつあります。イギリス国教会は大幅に減退しています。それに対して、アフリカの聖公会(英国国教会)の多くの主教たちは大胆な福音伝道者です(デズモンド・ツツ
(Desmond Tutu)主教は聖公会の中での目立った例外的存在です)。アフリカの聖公会はナイジェリアにおいて、イスラム教徒からひどく迫害を受けています。アジア全域にわたって、聖公会はとても生き生きとしています。しかし、本国イギリスの聖公会は生命力の無い教会です。昔オーストラリアのサンシャイン・リバイバル(Sunshine Revival)、カリフォルニアのアズサ・ストリートのリバイバル(Azusa Street Revival)、スミス・ウィグルスワース(Smith Wigglesworth)に導かれたイギリスでのサンダーランド・リバイバル
(Sunderland Revivals)、それらの場所で注がれた火は、今エクアドルやチリ、フィリピン、インドネシア、ケニアのような場所で注がれているのです。神は一つの町には雨を降らせ、雨の降らない他の町はかわききるのです。今日、教会成長のための秘訣のようなものを教えている人々がいます。しかしそのようなものは無意味であり、何も変えることは出来ません。神の主権による恵みという要素が欠けているのです。御霊が注がれなければなりません。
神のことばは無駄に帰ってくることがありません。ここにひとりあそこにひとりというよ
うにある人々は救われますが、大量の収穫を得るのに雨が無ければ、穀物は実らないのです!しかし、エリヤは雨を降らせることのできる者でした。そして、私たちと同じような人であったのです。言い換えると、彼ができるのなら、私たちもできるということです。
父たちのため、また彼の御名のため
私は確信を持って言えるのですが、イエスが戻られる前に、神は西洋のプロテスタント民主主義にもう一度悔い改める機会を与えたいと願っておられます。それは私たちのためではなく、彼の御名のためです。私たちがそれを受けるに値するからではありません。私たちの教会は大きな規模で堕落しているのでふさわしくないのですが、それは私たちの父たちのためなのです。
ローマ 11 章で言われているように、神はイエスが再臨するこの世の終わりにおいて、ユダヤ人にもう一つのチャンスを与えようとされています。なぜなのでしょうか?それは、神がイスラエルを見るとき、ただイスラエルの罪、自分たちのメシアを拒否し続けていることだけではなく、神の目からは、エレミヤがまだ牢獄に閉じ込められ、イザヤがマナセ王によってのこぎりで半分に切られ、ゼカリヤが神殿で殺され、バプテスマのヨハネの首がはねられたときのように見えているからです。そして、神は言われます。「彼らの父たちのために、わたしはこの国にもうひとつのチャンスを与えよう」。
イギリスに対してもそうです。神がイギリスを見られるとき、ただ今日の状態だけを見てはおられません。この名ばかりのキリスト教国では、カンタベリー大聖堂でヒンドゥー教の神々が礼拝され、一方、主教たちは復活と処女懐胎を否定しているのです。
神が現代のイギリスを見られるとき、過去、現在、未来のすべてを見られます。その目は、ジョン・バニヤンがベッドフォードの牢獄の壁に 12 年間つながれ「天路歴程」を書いてい るのを見、国教会によって扇動された暴徒に石を投げられていたジョン・ウェスレーを見、また、私たちが英語で聖書を読めるようにと努力したティンデールがローマ教会によって 生きたまま焼かれるのを見ています。その他にも、神はチャールズ・ハッドン・スポルジ ョンを見ています。またリドリー(Ridley)やラティマー(Latimer)、フーパー(Hooper)などのイギリスの殉教者たちを見ています。そのため、神は言われるのです。「彼らの父 たちのため、そして私の御名のため。私はこの国にもう一度チャンスを与えよう」
これはアメリカに関しても同様に真実です。神の目は未だにジョナサン・エドワーズや
D・L・ムーディー、ハリー・アイロンサイド(Harry Ironside)を見ています。神は忠実なクリスチャンを見ておられます。神は今日あるような、繁栄だけを約束する説教者、拝金主義者たちや異端者たちだけを見てはおられないのです。
神はこれらの西洋プロテスタントの国々にもう一度、悔い改める機会を与えたいのです。しかし、彼らがその機会を得るためには、雨が降らなくてはなりません。
まず初めに、私たちが干ばつの中にいるという事実を認めなくてはなりません。そして、この干ばつが終わるまで、この世のすべての試みは教会に悔い改めとリバイバルをもたらすことはありません。雨が必要なのです。雨が無ければ穀物は実りません。雨が無ければ収穫は来ません。エリヤは私たちのような人でしたが、雨を降らせることのできる者でした。そして、今日、神は私たちのような雨を降らせることのできる男女を探しておられます。
『ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕え ているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」それから、彼に次のような主のことばが あった。「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身 を隠せ。そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであな たを養うように命じた。」
それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。すると、彼に次のような主のことばがあった。「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」
彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私
の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」
エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」
彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。これらのことがあって後、この家の主婦の息子が病気になった。その子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。彼女はエリヤに言った。「神の人よ。あなたはいったい私にどうしようとなさるのですか。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」
彼は彼女に、「あなたの息子を私によこしなさい」と言って、その子を彼女のふところから受け取り、彼が泊まっていた屋上の部屋にかかえて上がり、その子を自分の寝台の上に横たえた。彼は主に祈って言った。「私の神、主よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、主に祈って言った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。そこで、エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に降りて来て、その子の母親に渡した。そして、エリヤは言った。「ご覧、あなたの息子は生きている。」その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」
それから、かなりたって、三年目に、次のような主のことばがエリヤにあった。
「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。そのころ、サマリヤではききんがひどかった。』(1列王記
17 章 1 節-18 章 2 節)
『アハブがエリヤを見るや、アハブは彼に言った。「これはおまえか。イスラエルを煩わすもの。」』(1列王記 18 章 17 節)
『そこでエリヤは彼らに命じた。「バアルの預言者たちを捕らえよ。ひとりものが
すな。」彼らがバアルの預言者たちを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連
れて下り、そこで彼らを殺した。それから、エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから。」そこで、アハブは飲み食いするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者 は上って、見て来て、「何もありません」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」七度目に彼は、
「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイズレエルへ行った。主の手がエリヤの上に下ったので、彼は腰をからげてイズレエルの入口までアハブの前を走って行った。』(1 列王記 18 章 40 節-46 節)
雨はとても激しく降り注ぎました。
重要な背景情報
三年半の間雨が降らなかったということは、ダニエル書と黙示録に言及されている三年半の期間の象徴です。世の終わりに御霊は注がれなくなります。これは終末に起こることの予型であり、預言者マラキが予告したように、エリヤの霊が何らかのかたちで戻ってくるときに起こることです(マラキ 4 章 5 節)。
同様に、エリヤが異邦人の女とその息子を助けたことは、神が何らかの方法を用いて、エリヤの霊を使って、異邦人の教会を世の終わりに守られることを示しています。
エリヤとエリシャ、それにバプテスマのヨハネはみな同じ霊を持っていました。主はモーセに向かって、『あなたの上にある霊のいくらかを取って彼らの上に置こう。』(民数記 11
章 17 節)と言われました。
同じ地理的な場所で起こった複数の出来事は、多くの場合、霊的または神学的につながりがあることを意味しています。エリヤの奉仕はエリコの平原で終わりました。そこで、エリシャは彼の(権威を意味するものである)上着を取り、またバプテスマのヨハネの奉仕はその同じ場所で行われました。邪悪な女であるイゼベルは、黙示録に出てくるイゼベルのように、偽りの宗教の霊の象徴です。彼女は王や政治的な権威を自分が操ることのできるようにしました。彼女は、アハブに代わって、彼の欲しがっていたナボテのぶどう畑を
奪いました(1列王記 21 章)。聖書の中で、ぶどう畑はイスラエル、ひいては教会について語っています。邪悪な女は王のためにぶどう畑を取り上げようとしました。このことによって、エリヤは彼女との争いに巻き込まれ、彼女はエリヤを滅ぼすために王を説得しました。これはヘロデヤの話(マタイ 14 章 3 節-12 節)と全く同じことであり、邪悪な女が“エリヤ”(バプテスマのヨハネ)に対して王を敵対させたのです。
聖書の中での全ての邪悪な女は何らかのかたちで、黙示録に出てくる邪悪な女の特徴を示しています。エリヤとの争いは終わりの時代において繰り返されようとしているのです。
なぜ雨が止まったのか?
神がどのようにしてエリヤを用い、雨を降らせる者へと変えたかを学ぶにあたって、最初に考えるべきことは、なぜ雨が止まったのかということです。雨は神の民の罪のために止まりました。西洋プロテスタント諸国(他の日本のような国々)に聖霊が降り注がれないのは、罪のため、エリヤの時代のイスラエルと同じような罪があるためです。
妊娠中絶は、旧約のイスラエルとユダにおいて、子どもたちが悪霊に捧げられていたのと同じことです。他の神々に対しての礼拝――バアルの祭司たちは外国人ではなく、ユダヤ人でした。今日でも同じことです。西洋プロテスタント世界のいたる所で、イスラム、ニューエイジ、ヒンドゥー教など、他の神々を拝むということが劇的に増加しています。ニューエイジは多くの福音派やペンテコステ派の教会に浸透しています。人々はキリスト教と異教を混ぜ合わせ――ローマ・カトリックはそこから生まれたのですが――今日もそのようなことが多くのペンテコステ派の教会で起こっています。
物質主義――教会はなまぬるく、物質主義的であり、おかしな教理で満たされています。人の考える“信仰”は聖書的でなくなり、クリスチャンであるように見せかけ、お金を拝んでいます。貪欲がキリスト教に変装しているのです。
これらのことのために雨は止まりました。何よりもまず、西洋文明の減退の責任はこの世にあるのではなく、私たちにあります。雨を止めたのは神の民の罪なのです。私たちの社会に蔓延する――薬物、中絶、離婚、暴力、犯罪などのすべては、教会の失敗を証言しています。
神の民は妥協してしまい、その結果、最終的にイスラエルの中はバアルの祭司であふれたのです。これがエリヤの時代に起こったことであり、今日起こっていることです。私たちの国々には雨は降っていません。それは神の民の罪のためです。
ケリテ
神がエリヤに最初に言われたことは、ヨルダン川の東にあるケリテ川に行き、そこでカラスにパンを与えられるということでした(1列王 17 章 3 節)。
ケリテはヨルダンの向こう側にあります。神がエリヤにこの地を去ってケリテに行けと言われたとき、エリヤに彼の国民性や文化的アイデンティティー、故郷の快適さを捨てろと言われたのです。それに加えて、カラスがパンを運んで来ました。カラスは「コシェル
(kosher)=律法にかなったもの」ではなく、“汚れている”鳥でした。神はエリヤが思いつきもしないような方法で、彼を養おうとされたのです。
今日の西洋では干ばつがとても厳しいので、雨を降らせる人々はケリテに行くことをよしとしければならないのです
それはときには、妥協してしまった伝統的な教派を教会が離れることを意味しているかもしれません。ときには、妥協し、誤りに陥り、悔い改めることを拒んでいる教会を、クリスチャンが離れるということを意味するでしょう。そして確かにそれが意味していることは、私たちが考えもしないような方法・場所で必要を満たしてくださる神に信頼するということです。たとえそれが、カラスのような、私たちが全く聖いと思わないものを通してであってもです。エリヤは神を第一優先にし、自分の土地を第二にすることを心に決めなければなりませんでした(これは日本において特に真実です。日本人の人と争わないという伝統のために、ほとんどのクリスチャンは福音を伝えるとき大胆に社会の罪を明らかにしません。また教会の中の罪も公に非難しません。日本社会での主な罪である性的不品行、教会の中での学歴についての誇り、それらが罪であると詳しく指摘されるのを最近いつ聞いたでしょうか。日本のクリスチャンが雨を降らせたいのなら、このような罪に対して公に立ち上がって反対する必要があります)。今日ある大抵の問題は、人々が彼らの土地―
―文化やアイデンティティー、教派、それに教派に対しての忠誠心――を神のことばへの
服従の前に置いてしまうことにあります。
しかし、雨を降らせるような人々は、ケリテに行き神を信頼することを恐れてはならないのです
ツァレファテ
夜明けの直前が一番暗いものです。物事は良くなる前にもっと悪くなります。ケリテ川は
次第にかわいていくのです。
9 節を見ると、エリヤはツァレファテと呼ばれる場所に、行かなければならなかったとあります。ツァレファテという言葉は、「焼く」または「火できよめる」という意味のヘブライ語の語幹から来ています。私たちのような者を用いて、雨を降らせる者へと変えるには、神はその者たちを火できよめなければならないのです。
これからはとても困難な期間になるでしょう。ただ試練や試み、干ばつ、迫害だけではなく、それらが合わさったものとなるのです。そして、それはツェレファテのやもめのように、自分が助けようとしていた者が裏切られたと考えてしまう段階まで達するでしょう。
しかし、いくら状況が悪くなり、暗いものとなり、干ばつが激しくなっても、私はふたつのことを約束することが出来ます。きよめられたいと願う者のかめの粉は尽きず、つぼの油はなくなることはありません。物事は打開されるまでは悪くなるものです。しかし、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならないのです。あなたは、何があっても、神のことばと聖霊の油注ぎに欠けることはありません。他の者たちが飢饉で死んでいく中、あなたの穀物と油は尽きないのです。
古い皮袋は破れる
『彼女はエリヤに言った。「神の人よ。あなたはいったい私にどうしようとなさるのですか。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」』(1列王記 17 章 18 節)
彼女の息子は死に、そのためにエリヤを非難しました。あなたが助けようとしたまさにその人が困難に会い、あなたを非難するようになります。状況はとても長い間悪いものとなって、私たちが愛しているものは復活する前に、死ななければならなくなるのです。
西洋世界の大半の教会は、復活する前に死ななければなりません。新しいぶどう酒は古い皮袋には合いません。これがカリスマ派運動にある問題のひとつです。彼らは古い皮袋に新しいぶどう酒を蓄えようとしているのです。ある教会を改善するためには古い皮袋を取り替えなければなりません。私たちの愛しているほとんどのものは復活する前に死ななければならないのです。
イスラエルを煩わす者
『これはおまえか。イスラエルを煩わすもの』(1列王記 18 章 17 節)教会を煩わすものはあなたですか?バプテスト連合を煩わすものはあなたですか?アッセンブリーズ・オブ・ゴッドを煩わすものはあなたですか?
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エキュメニズム(キリスト教統一運動)や、「神の国はいまここに(Kingdom Now)」、
「繁栄の信仰(Faith Prosperity)」、「名を挙げて要求すること(Name It and Claim It)」などに対して、立ち上がって反対している者!
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目的に導かれたキリスト教に立ち上がって反対している者!
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お客様向けの教会(傷付けないように罪を指摘しない教会)に立ち上がって反対している者!
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イスラエルを煩わす者!
エリヤはこれらのことを言われたのであって、もし、雨を降らせたいなら、あなたもこれらのことを言われるのです。
次に彼らはカルメル山に行きます。そこでイゼベルと対立が起こります。それは偽りの宗教の霊との争いであり、ローマ・カトリック、エキュメニズム、イスラム、同性愛、不品行、教会内にあるキリスト教のふりをした心理学、中絶やニューエイジなどに対しての争いです。そこには対立があり、その対立の中で勝利を得るのは、ツァレファテにおいてきよめられた者です。
私たちが今日“カリスマ派的な礼拝”と呼ぶものの大半は、騒がしく、わめき散らし、狂乱状態になり、熱狂しているものであって、カルメル山にいたエリヤよりも、バアルの祭司たちによく似ています。注目すべきなのは、彼らはそれがうまくいくと思い、答えが得られると考えていたということです。
※編集者注
(ジェイコブはここで、トロント(カナダ)やペンサコーラ(アメリカ)などの賛美礼拝において一般的に見られた動物のまねや体が震えること、自制を欠くことなどを語っています。この現象は世界中に広がり、西洋のカリスマ派教会において顕著になりました。これらのものは“トロント・ブレッシング”といって、世界中で人気を得ているテレビを使った礼拝の中で、ロドニー・ハワード・ブラウン、ケネス・コープランド、ベニー・ヒンなどが勧めた“笑いのリバイバル”というものから由来しています。最近ではそれはフロリダ・レイクランドのリバイバルで暴力という形をもって現われました。その“リバイバル”の指導者であったトッド・ベントリーは“御霊によって”人々を実際足で蹴りました。それが世界中の主要なカリスマ派の指導者たちによって支持されていたにも関わらず、ト
ッド・ベントリーは結局、姦淫と離婚の不祥事に陥り、リバイバルは突然終焉を迎えたの
です)
今日、エキュメニズムや“神の国は今ここに”という教理、再建主義に陥っている兄弟たちは非聖書的で間違った危険な教理、偽りと起こるはずのない預言を信じています。しかし、そこに対立は生じ、人々はだれが真実の預言者であるかを理解します。
雨雲
それは小さなことから始まります。最初は何も起こらないかのように見えます。「どこにあるのですか?」と言いたくなるようなものです。
バアルの祭司たちはみな大言壮語を言い、横柄であり、声を大きく上げ、偽りの者たちでした。しかし、神はそのような方法では働かれません。小さなことから始めるのです。人の手のひらほどの小さな雲が海から上ってきました。いつもそのように始まります。しかしそれはすぐ大きくなり、雨雲は空を覆いつくすほどになります。稲妻が光り、神の霊は注がれます。そして、どしゃぶりの激しい大雨となるのです。
自分の責任
西洋のキリスト教の衰退を止めるのに簡単な方法はありません。あまりにも長い間ひどいものだったからです。私たちは自分たちのリーダーたちに裏切られてきました。この世のすべての計画、ごまかし、策略はたましいの収穫をもたらすことはありません。雨が必要なのです。しかしそれは止まってしまいました。
どうしてなのでしょうか?社会の罪の影響も部分的にはありますが、主に教会の罪が原因です。そして、教会に悔い改めが起こらない限り、世の悔い改めも起こりはしません。
なぜ、雨は止まってしまったのでしょうか?それは第一に、ポルノや売春業者、売春婦、 麻薬密売人、同性愛者、妊娠中絶をする人たちの責任ではありません。それは第一に、私 の責任です。なぜなら、私は真理を知っていて、そのメッセージは違いを生み出すことが できるからです。それは私たちの責任です。西洋の教会はラオデキヤであるからです(黙 示録 3 章 17 節)。私たちがイエスよりも自分の生活、この世に頼みを置いているためです。雨が止まったのは私の罪のためであり、あなたの罪のためです
雨を降らせる者たち
雨を降らせることのできる者たちは、ケリテに行くことを恐れない――文化や団体に縛ら
れない者です。それらの者は、古い皮袋に新しいぶどう酒を入れようとしません。彼らは神が言われたことを行い、自らの考えに頼らず、与えてくださる神に信頼するのです。
それらの者はきよめられることを恐れずに、ツァレファテに向かいます。そして、自分の愛していたものが死ななければならないことを理解し、またそれらは清くよみがえらされることを知っています。それは困難なことです。しかし、どんなに困難であろうとそれを行う者のかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならないということは確かです。
そして、きよめられた者はカルメルに行き、イゼベルの前――フリーメーソンや同性愛、ローマ・カトリック、イスラムなどの偽りの宗教の前に立ちます。彼らは、バアルの預言者の前――福音の奉仕者と自ら名乗りながら、偽りの教えに妥協している者たちの前に立ちます。
そこでは対立が生じるのです。そして、イスラエルを煩わす者が勝利を得ます。
Ezekiel 8 9 - Japanese
エゼキエル 8 章 9 章
ジェイムズ・ジェイコブ・プラッシュ
エゼキエルとはヘブライ語で、「神の力によって」という意味です。彼の奉仕はまさに、ただ神の力によって実行されたものでした。預言者たちの名前は大抵の場合、神が定めたその人の奉仕の特徴を描き、表現しています。
エゼキエルは、初めイザヤによって預言され、後にエレミヤが預言したバビロン捕囚の到来の直後に登場しました。それは最終的にエゼキエルの時代に始まったのです。民が悔い改めなければ来ると言われていた、その裁きが実際に始まっていたのです。それははっきりと神の裁きとして始まったのですが、人々はそれを神の裁きではないと否定していました。すべてのことが行き詰っていましたが、人々は勝利が来ると主張し続けていたのです。これは今日の状態に似ています。『勢いのある教会(The Unstoppable Church)』(より正確に今の状態を言い表すなら“勢いのあるモスク”ですが)というような本があったりします。彼らの体は実際には重病にかかっているのに、自分の体に対して嘘を付いているようなものなのです。人々は単純に、事実に目を向けたがりません。イザヤやエレミヤが最初から現実に起こると予告していたことを、認めたがらないのです。
エゼキエルは神の裁きは継続し、ますます悪くなると予告しました。その理由は民の罪が継続し、さらに悪くなっていたからです。彼らは神の裁きが来ているのを見ても、悔い改めることをしなかったのです。また、このことは黙示録の中でもほのめかされています。神の裁きが頻繁になり、激しくなってきても、人は心をかたくなにし、神を呪い、罪にとどまったとあります。エゼキエルの時代にもそうであり、終わりの時代にもそうなるのです。エゼキエルは黙示録と深い関連があり、同じことを示しています。
エゼキエル 9 章 4 節『主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」』裁きが始まる前に、神の家、神の町の中で行われている忌みきうべきものを見る人たちがいます。また、神は言われます。「本当に私のものである者たちにしるしをつけよ。間違っていることを見て、何が間違っているかを理解し、嘆いている者にしるしをつけよ。裁きが来る前にしるしをつけるのだ。」
『また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上っ
て来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫ん
で言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」』(黙示録 7 章 2 節-3 節)黙示録 13 章に至っては、獣のしるしに関して書かれており、主の与えられるしるしと獣のしるしは、互いに排他的であるということが分かります。
歴史と考古学によって、エゼキエルで言われているしるしはヘブライ語の「トブ(tov)」という文字であったことが知られています。今日、ヘブライ語のトブという文字は H
に足が付いたような形に書かれます。しかし、捕囚以前のイスラエルでは傾いた十字のように書かれていて、おそらくその原型は直立の十字でした。したがって、エゼキエルの時代の神のしるしは実際に十字架のしるしだったのです。
黙示録 9 章 4 節『そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。』もう一度、神の裁きが来る前に彼の民にはしるしがつけられます。教会は患難に入りますが、その最も酷い状況からは救い出されるのです。しかしながら、その中のある時期は耐え忍び、主にしるしをつけられ、何らかのかたちで守られるのです。終末に登場する 14 万 4 千人の奉仕者たちは、確実に主のしるしを持っています。イスラエルの子孫たちはエジプトにおいて裁きの大半を経験しました。出エジプトで記されている同じ裁きがこの世の終わりに再現されます。そして、それは黙示録で起こることの主な予型なのです。暗闇や水を打つことなどがそうです。ヘブライ人たちはある部分は経験しましたが、最も酷い中からは救い出されました。それと同じことが世の終わりにも起こります。神はご自分の民にしるしをつけるのです。
主のしるしという考えは、もちろん黙示録から始まったことではなく、エゼキエルですらなく、トーラーからであり、出エジプトで言及されています。出エジプト 13 章 9 節『これをあなたの手の上のしるしとし、またあなたの額の上の記念としなさい。それは主のおしえがあなたの口にあるためであり、主が力強い御手で、あなたをエジプトから連れ出されたからである。』
エゼキエルに戻ってみましょう。裁きがやって来る前に、忌みきらうべきものとその悪とを見て、嘆く者たちは―その心が真実に神のものとなっている者たちは―十字架のしるしが付けられました。また黙示録では、忌みきらうべきものを見て、嘆く者たちに十字架のしるしがつけられるのです。
エゼキエルの時代にその裁きは始まっていました。捕囚が開始されていたにもかかわらず、
民は「ああ、ただ私たちは一時的に痛手を負っているだけだ。長続きはしない。」と言って
いましたが、実際は、ネブカドネザルはユダヤを 4 回に分けて侵攻し、その度に結果はひどいものとなっていたのです。それはあたかも悪の波が次々と来るように、先にあったものより悪くなるのです。そのように神の裁きは来ます。しかし、神の民はしるしがつけられます。彼らは真実に神のものなのです。
エゼキエルの幻は主に神殿周辺に関してでした。エゼキエル 47 章は千年王国の幻であり、ヘブライ語で「シムカ・ベイト・ハ・ショイバー(Simchat beit Ha Shoyivah)」と呼ばれる神殿の丘で水を注ぎ出す儀式を背景にしています。それはハ・スコット(Ha Succoth)と呼ばれる仮庵祭が祝われていたときでした。ヨハネ 7 章もこのことを示唆していて、その意味はいつも千年王国についてでした。
私はニューエイジ“クリスチャン”であるパトリック・ディクソン(Patrick Dixon)が意識の変化した状態について話しているのを聞きました。彼が言うには、聖書の中でいつも神の臨在が現れるとき、人々は理性を失い、普段とは違った意識に入ると言っていました。これはトロント・ブレッシング(Toronto Blessing)などを受け入れることが出来るという彼の弁護なのです。その例として、彼はペテロがイエスの山で姿が変わったことを取り上げ、彼は幕屋を作りたいという愚かで、おかしなことを考えたと言っています。ディクソンはそれをばかげたことと考えているのです。私は彼に次のことを示し、それは何もばかげたことではないと指摘しました。つまりペテロはその変貌が、ユダヤ人の祭りである仮庵祭のメシアによる成就だと考えていたのです。モーセとエリヤがメシアと共にその姿が変えられたので、何もばかげたことではなく、ペテロはそれが千年王国の到来だと考えたのです。明らかにディクソンはこのことを一度も考えたことがないようでした。その文脈において、ペテロの行為は全く理性的なものだったのです。彼は私に「どうしてそう言えるのか?あなたはそこにいたのか?ペテロと話したことがあるのか?」という質問をもって答えてきました。私はそれに対して、「私は第二神殿期の仮庵祭のメシア的な象徴がどのようであったかを知っている」と言いました。これに対してはディクソンも返す言葉が無かったようでした。このように現代はどうしても、さまざまな毒が大きな釜に入っているような状態なのです。
エゼキエルの神殿:「神殿の象徴(The Typology of the Temple)」のテープでは、ギリシヤ語とヘブライ語において少なくとも七箇所で“神殿”に関する単語、ナオス(naos)、オイコス
(oikos)、ヒエロン(hieron)、べト・ミシュカン(beth mishkan)、ベト・ミグダシュ(beth
migdash)、ハ・ヘカル(Ha Hekal)、これらが色々な箇所で教会の象徴として用いられていることを詳しく教えています。そして例えば、1ペテロ 2 章 5 節では『あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。』とあり、コリント人への手紙では教会は神殿
と呼ばれており、エペソ人への手紙の 2 章・4 章では神殿は教会の象徴です。また、使徒の働きではダビデの幕屋を建て直すことが語られていて、それはアモス書の『その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。』(9 章 11 節)という箇所の引用です。新約聖書は少なくとも、これは部分的に異邦人の教会において成就されたと明らかにしています。また、反キリストについてのテープでは、荒らす憎むべき者に関して語っており、ダニエル書で語られた至聖所である聖なる場所に、彼が立つことについてです。このことは歴史の中のいくつかの時点で部分的に成就されました。その最も顕著な例がアンティオコス・エピファネス (Antiochus Epiphanes) によって成就されたときです。またこのことも「ハヌカー
(Hanukah)」のテープに収録されています。
エルサレムに神殿が再建され、憎むべきものがそこに建てられるとしても、それが物理的な神殿に関して起こることですが、それはただ霊的に起ころうとしていることの反映でしかないのです。イエスが十字架上で死んだとき、神殿の幕は上から下に裂けました。このことは罪深い人間と聖い神との隔たりが、もはや無くなったことを示しています。物理的な奇跡はその物理的な神殿で起こりました。しかし、それは一番大切なことではありません。一番大切なことはその奇跡が象徴していることです。私たちの大祭司であるイェシュアが罪のためにささげられたために、人間はもはや神から離れてはいないのです。したがって、荒らす憎むべき者についてもその通りです。憎むべきものが何らかの形で神殿に建て上げられるとしても―私はそれが実際に起こることを確信していますが―それはただ単に霊的に起こることの前兆なのです。反キリストは神の家で礼拝されたがります。このことは反キリストについてのテープで扱われています。そこではアラム語での荒らす憎むべき者について説明しています。
エゼキエルは主の家で忌みきらうべきことを見ました。もう一度、8 章 1 節から始まる 2
章を読んでみましょう:
『第六年の第六の月の五日、私が自分の家にすわっていて、ユダの長老たちも私の前にすわっていたとき、神である主の御手が私の上に下った。私が見ると、火のように見える姿があった。その腰と見える所から下のほうは火で、その腰から上のほうは青銅の輝きのように輝いて見えた。すると、その方は手の形をしたものを伸ばし、私の髪のふさをつかんだ。すると、霊が私を地と天との間に持ち上げ、神々しい幻のうちに私をエルサレムへ携え行き、ねたみを引き起こすねたみの偶像のある、北に面する内庭の門の入口に連れて行った。なんと、そこには、私がかつて谷間で見た姿と同じようなイスラエルの神の栄光があった。その方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、目を上げて北のほうを見よ。」(災いはいつも北からやって来ます)そこで、私が目を上げて北のほうを見ると、北のほうの祭壇の門の入口にねたみの偶像があった。』(8 章 1 節-5 節)
“人の子”とは終末的な称号であり、他のすべての預言者たちと同じく、イエスを何らか
の形で示しています。イエスは終わりの時代に関して神の子とは一度も呼ばれませんでした。彼の再臨について語られているとき、それはいつも人の子がやって来ると書かれています。
『この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。イスラエルの家は、わたしの聖所から遠く離れようとして、ここで大きな忌みきらうべきことをしているではないか。あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」』(8 章 6 節)
またここにおいても、荒らす憎むべき者が示唆されています。
『それから、この方は私を庭の入口に連れて行った。私が見ると、壁に一つの穴があった。この方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、壁に穴をあけて通り抜けよ。」私が壁に穴をあけて通り抜けると、一つの入口があった。この方は私に仰せられた。「入って行き、彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきことを見よ。」私が入って行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。また、イスラエルの家の七十人の長老が、その前に立っており、その中にはシャファンの子ヤアザヌヤも立っていて――彼は名前をも明らかにします!――、彼らはみなその手に香炉を持ち、その香の濃い雲が立ち上っていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは、イスラエルの家の長老たちがおのおの、暗い所、その石像の部屋で行なっていることを見たか。彼らは、『主は私たちを見ておられない。主はこの国を見捨てられた』と言っている。」さらに、私に仰せられた。「あなたはなおまた、彼らが行なっている大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」ついでこの方は私を、主の宮の北の門の入口へ連れて行った。するとそこには、女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。これを見たであろうが、あなたはなおまた、これよりも大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」そして、この方は私を主の宮の内庭に連れて行った。』(8 章 7 節-16 節)
旧約聖書の中では、神の宮を進んで行くにつれてさらに聖い場所に至ります。
『すると、主の宮の本堂の入口の玄関と祭壇との間に二十五人ばかりの人がおり、彼らは主の宮の本堂に背を向け、顔を東のほうに向けて、東のほうの太陽を拝んでいた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているような忌みきらうべきことをするのは、ささいなことだろうか。彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている。見よ。彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしている。だから、わたしも憤って事を行なう。わたしは惜しまず、あわれまない。彼らがわたしの耳に大声で叫んでも、わたしは彼らの言うこと
を聞かない。」この方は私の耳に大声で叫んで仰せられた。「この町を罰する者たちよ。
おのおの破壊する武器を手に持って近づいて来い。」見ると、六人の男が、おのおの打ちこわす武器を手に持って、北に面する上の門を通ってやって来た。もうひとりの人が亜麻布の衣を着、腰には書記の筆入れをつけて、彼らの中にいた。彼らは入って来て、青銅の祭壇のそばに立った。』―青銅の祭壇は十字架の象徴です―『そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。』(エゼキエル 8 章 16 節-
9 章 5 節)
神はご自分の民に害を及ぼすことを許しませんでした。また、彼はご自分の者にはしるしをつけ、残りの者は打てと命じました。黙示録では、木々に害を加えないように命じられています。―『野の木々もみな、手を打ち鳴らす。』(イザヤ 55 章 1 節-2 節)―木々は神の民を象徴しています。これがエゼキエルでも起こったことなのです。
神はエゼキエルを取り、忌みきらうべきことを次々に見せました。それはますます悪くなるばかりでした。彼が最初に見た忌みきらうべきことに注目してみましょう:ねたみの偶像、主の家での偶像礼拝です。ヘブライ語での「礼拝する」という言葉は「ヒシャタクヴァー(hishtakvya)」といい、不定詞では「ヒスタカヴォート(Histachavot)」すなわち「ひれ伏す」ということです。誰でも像や彫られた偶像の前にひれ伏し、拝むならそれは偶像礼拝です。ハイ・カトリックやローマ・カトリック、これらのものは偶像礼拝です。
この話は次のように始まりました。神はエゼキエルを天と地の間に持ち上げて、「見よ。今あなたは天から、わたしが見るように見ている。彼らがわたしの家、わが聖所、会見の場所でしていることを見たか。」と言いました。エゼキエルはそれを見て、驚きました。しかし、神はエゼキエルに「これがわたしの家、わが聖所での偶像礼拝である。しかし、人の子よ、あなたはさらに忌みきらうべきものを見ることとなる。」と言われます。その後神は神殿の中へとさらに奥へと彼を導かれます。そこでは、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていたのです。ここでの
「忌むべき」とはヘブライ語で「シェケツィム(shektzim)」というもので、異邦人女性を軽蔑した言い方の「シクセー(shikseh)」という言葉はこれから来ています。黙示録において、サタンにはふたつの攻撃する形態があると、私が言っているのを聞いたことがあるでしょうか。蛇と竜です。竜は迫害者としてのサタンです。また、蛇とは欺くものとしてのサタンです。これらのはうものも「シェケツィム」と呼ばれ、それは「ねばねばした爬虫類」
という意味です。それらは古代中近東で行われていたヘビ崇拝などから来た悪魔の象徴で
すが、インドの西部に至るまでヘビ崇拝が行われています。荒らす忌むべき者はそこから取られたものです。主の家の中にいる悪霊:この時点でただの偶像礼拝が、明らかな悪霊崇拝になっていくのです。
しかし、神はそれからエゼキエルに言われます。「あなたはさらに悪いものを見ることになる。わたしの家でさらに忌みきらうべきものを見るのだ、人の子よ!」そして神は宗教指導者たち―レビ人やコヘニム(cohenim)などの“牧者たち”―をあちらこちらで名指しで呼びます。また彼はシャファンの子ヤアザヌヤが彼らの内に立っていたと書いています。そこにいるべきではない人々、いるはずのない人々が香を持ってそこにいるのです。香は聖徒の祈りを象徴しています。しかし、それらの祈りは本当の神にはささげられていないのです。彼らは真実の神を礼拝していません。パウロは1テモテ・2テモテにおいて、ヨハネは3ヨハネにおいて、信者たちを過ちに引き込もうとする指導者たちの名前を公に挙げました。使徒と預言者たちはためらうことなく、そのような者たちの名を明らかにしたのです。
このエゼキエルの箇所において、偶像礼拝が行われており、明らかな悪魔崇拝があり、また神の指導者たちが民をそこに引き込んでいました。神は主の家でそのように指導者たちが悪事に加担することは、何にも増してひどく忌みきらうべきことであると宣言しています。
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』その次に神がエゼキエルに見せられたのはタンムズ礼拝でした。タンムズは乳飲み子の神であり、彼の母であるマドンナに抱きかかえられていました。ローマ・カトリックのマドンナと子どもという考えは、タンムズ礼拝をカトリック化したものです。そうでしかありません。エレミヤ 44 章では、女たちが天の女王のためにパン菓子を焼いている光景に出くわします。これはカトリックのマリア崇拝と同じものです。タンムズに関して言うと、イエスは無力な幼児として描かれ、一方でその母は力のある独立した大人として表現されています。このような考えのもと、マリアが私たちの共通の贖い主であり、共通の仲介者であり、共通の救い主であるとカトリックは主張しているのです。彼女は今まで存在した女性の中で最も偉大であることは事実です。しかし、彼女自身、救い主が必要であると言いました。
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』そう神はエゼキエルに言いました。
『人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。』まず、それはねたみの偶像であり、
次に悪霊でした。その次に指導者たちが手をつけたものとは―より知識があるべき者たち
が民を迷わせます―タンムズ礼拝でした。この次には何が来るのでしょうか?
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』神はエゼキエルを玄関と祭壇の間にある内庭に連れて行きました。そこで彼が見たものは公然と太陽を拝む者たちでした―公然と他の神々に祈っていたのです。これらのバビロンの宗教は単なる礼拝以上のもの、不品行などをも含んでいます。不品行と偶像礼拝は共に起こります。古代ギリシヤではそれは神殿娼婦でしたが、その起源はギリシヤ以前にさかのぼります。礼拝の中での性の堕落です。サタン崇拝にかかわりを持つすべての成人式は、何らかの性的な儀式を含んでいます。ロザラム(Rotherham)にいる、私の知っているクリスチャン女性の娘は、サタン的なカルトに参加していました。そこで大祭司がサタンと関わり持たせるため、彼女を“結婚”させたのです。儀式のすべてが性的で汚らわしいことで満ちていました。この女性は当然のことながらとても動揺していました。
状況はますます悪化していきます。民はそれを無視していましたが、イザヤやエレミヤが来ると、初めから警告していた神の裁きが実現していたのです。彼らは来るべき裁きを否定し、罪にとどまっていました。その一方で、指導者たちはそこに立ち、「もはや主はこれらのことを、本当には気遣っておられない。すべてはゲームなのだ。ただこれは私たちの仕事なのだから。」と言います。聖職者の中の多くのフルタイムの奉仕者たちが―彼らの中には福音派もいますが―奉仕がただの職業にすぎなくなっているのです。奉仕は仕事になっていて、召命でもなく、情熱をもってするものでもなく、神が天職として与えたものではなくなっているのです。ただ彼らの義務になってしまっています。
最終的に神は言われます、「真実にわたしのものである者たちにしるしをつけよ」。もはや望みはなくなりました。神はそのようなことを見て嘆いている者以外、あわれむことも惜しむこともなくなるのです。神はエゼキエルを天にまで上げて「わたしの聖所を見よ」そう言われると、彼は衝撃を受けました。また、神は「またそこにはあなたが見たものを見、ひどく驚いた者たちがいて、彼らはわたしの家で忌みきらうべきことが行われているのを見て嘆いているのだ。その偶像礼拝、不品行、また彼らの指導者たち自身が民を引き込んでいるのを嘆いている。これらの者たちにはしるしがつけられる。しかし、わが裁きは下ろうとしている。さらにあなたは忌みきらうべきことを見ることになるだろう」と言われ、
「人の子よ。あなたは彼らが行っていることを見たか。忌みきらうべきことをさらに見る
ことになる」と主は言われます。
白魔術を行う者が歴史上初めて、イギリスの大学で多神教のチャプレンになりました。「スーザン・ラドーン(Susan Ladourne)がリーズ大学で、オカルトを信じた生徒をカウンセリ
ングするために職務を引き継いだ。29 歳の魔術師は、魔術や多神教の儀式や礼拝をもって、生徒を指導する。」 しかし、これよりもさらに忌みきらうべきことを、私たちは見ます。一体どのようなものなのでしょうか?祭司たち―知識を持ち合わせているはずの者―が不品行に身をまかせ、魔術を受け入れているのです。いいですか、国教会のチャプレンであるサイモン・ロビンソン牧師(Rev. Simon Robinson)は魔術師にも果たすべき役割があるとしてそれを受け入れ、次のように言いました「私たちはすでにさまざまな宗教からチャプレンを採用している」。祭司たちは忌みきらうべきことや偶像礼拝が行われている中、香を持ち立っていました。彼らは「大丈夫、神は見てはいない」と言うのです。これがまさにエゼキエル書において起こっていたことです。「神は見てはいない」とコヘニムは言い、同じ事をレビ人も言いました。また、これはイギリス国教会の聖職者が今日言っていることなのです。
「あなたはなおまた、わたしの家で大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」と主は言われます。ヨークシャー・イブニング・ポスト(Yorkshire Evening Post)によると「一緒に住むことはもはや罪ではない―イギリス国教会は家族の価値観について姿勢を一変した」そうなのです。私は罪の中に生きていました。イエスが私の心の中に入ってきたとき、私はニューヨークに住んでいて、向かいの通りにいた、とても魅力的なアメリカ系イタリア人の女性と暮らしていました。そのとき、私は残りの薬物を取り、窓から 20 階下に投げ捨てました(それをガーナへ行く大使が拾って、自分のものにしたと思います)。そしてジューズ・フォー・ジーザス(Jews for Jesus)の当時リーダーだったサム・メードラー(Sam Madler)が私に言いました。「あなたは結婚するか、そこから出ていくかしなければならない。たとえ、あなたたちが一緒に寝ていないとしても、罪があるように見え、あなたの証を台無しにすることになる。」そこで私は彼女をキリストに導きました。よい証と信仰を保とうとして私は唯一の選択肢を選びました。つまり彼女に出ていくように告げたのです。
ここで言いたいのは、私がしていたことが間違っていると言われて、クリスチャンとしてそのままやっていけなかったということです。『結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。』(ヘブル 13 章 4 節)―もう彼女とはベッドを共にしないとしても、それは罪のように見えると言われたのです。証をし続けてきた私の隣人たちは、彼女と寝ていないということを信じはしなかったでしょう。しかし現在、イギリス国教会は一緒に住むことはもはや罪ではないと言っているのです。私は福音主義カリスマ派であると聞いていた、ジョージ・カーレイ(George Carey)大監督の、公式のイギリスの住所であるランバート官邸に電話をかけました。私は電話をし、かけ返してくれるようメッセージを残しました。彼らは私が何を望んでいるのか知りたがっていたので、『結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。』という新約聖書の箇所があるのに、どうやって結婚せずに寝床を聖く保てるのかと大監督に聞きました。それからという
もの返事は一切来ていません。
「あなたはなおまた、わたしの家で大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」と主は言われます。ギリシヤ語の「デモノイ(demonoi)」とヘブライ語の「シェディム(shedim)」は、
1 コリントと申命記で使われていて、他の神々や悪霊たちのことを述べています。旧約と新約はどちらもそれを告げています。エゼキエルははうものや悪霊などのシェディムが、神の聖所、主の家で崇められているのを見ました。カンタベリー大聖堂に行き、自分自身の目で異教徒の間でなされている礼拝を見てください。アンセルム・チャペル(Anselm
Chapel)に行き、仏教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、シーク教徒などの礼拝で溢れていて、“クリスチャン”たちがそれを受け入れているのを見てください。『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』
Ezekiel's Scroll
エゼキエル 8 章 9 章
ジェイムズ・ジェイコブ・プラッシュ
エゼキエルとはヘブライ語で、「神の力によって」という意味です。彼の奉仕はまさに、ただ神の力によって実行されたものでした。預言者たちの名前は大抵の場合、神が定めたその人の奉仕の特徴を描き、表現しています。
エゼキエルは、初めイザヤによって預言され、後にエレミヤが預言したバビロン捕囚の到来の直後に登場しました。それは最終的にエゼキエルの時代に始まったのです。民が悔い改めなければ来ると言われていた、その裁きが実際に始まっていたのです。それははっきりと神の裁きとして始まったのですが、人々はそれを神の裁きではないと否定していました。すべてのことが行き詰っていましたが、人々は勝利が来ると主張し続けていたのです。これは今日の状態に似ています。『勢いのある教会(The Unstoppable Church)』(より正確に今の状態を言い表すなら“勢いのあるモスク”ですが)というような本があったりします。彼らの体は実際には重病にかかっているのに、自分の体に対して嘘を付いているようなものなのです。人々は単純に、事実に目を向けたがりません。イザヤやエレミヤが最初から現実に起こると予告していたことを、認めたがらないのです。
エゼキエルは神の裁きは継続し、ますます悪くなると予告しました。その理由は民の罪が継続し、さらに悪くなっていたからです。彼らは神の裁きが来ているのを見ても、悔い改めることをしなかったのです。また、このことは黙示録の中でもほのめかされています。神の裁きが頻繁になり、激しくなってきても、人は心をかたくなにし、神を呪い、罪にとどまったとあります。エゼキエルの時代にもそうであり、終わりの時代にもそうなるのです。エゼキエルは黙示録と深い関連があり、同じことを示しています。
エゼキエル 9 章 4 節『主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」』裁きが始まる前に、神の家、神の町の中で行われている忌みきうべきものを見る人たちがいます。また、神は言われます。「本当に私のものである者たちにしるしをつけよ。間違っていることを見て、何が間違っているかを理解し、嘆いている者にしるしをつけよ。裁きが来る前にしるしをつけるのだ。」
『また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上っ
て来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫ん
で言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」』(黙示録 7 章 2 節-3 節)黙示録 13 章に至っては、獣のしるしに関して書かれており、主の与えられるしるしと獣のしるしは、互いに排他的であるということが分かります。
歴史と考古学によって、エゼキエルで言われているしるしはヘブライ語の「トブ(tov)」という文字であったことが知られています。今日、ヘブライ語のトブという文字は H
に足が付いたような形に書かれます。しかし、捕囚以前のイスラエルでは傾いた十字のように書かれていて、おそらくその原型は直立の十字でした。したがって、エゼキエルの時代の神のしるしは実際に十字架のしるしだったのです。
黙示録 9 章 4 節『そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。』もう一度、神の裁きが来る前に彼の民にはしるしがつけられます。教会は患難に入りますが、その最も酷い状況からは救い出されるのです。しかしながら、その中のある時期は耐え忍び、主にしるしをつけられ、何らかのかたちで守られるのです。終末に登場する 14 万 4 千人の奉仕者たちは、確実に主のしるしを持っています。イスラエルの子孫たちはエジプトにおいて裁きの大半を経験しました。出エジプトで記されている同じ裁きがこの世の終わりに再現されます。そして、それは黙示録で起こることの主な予型なのです。暗闇や水を打つことなどがそうです。ヘブライ人たちはある部分は経験しましたが、最も酷い中からは救い出されました。それと同じことが世の終わりにも起こります。神はご自分の民にしるしをつけるのです。
主のしるしという考えは、もちろん黙示録から始まったことではなく、エゼキエルですらなく、トーラーからであり、出エジプトで言及されています。出エジプト 13 章 9 節『これをあなたの手の上のしるしとし、またあなたの額の上の記念としなさい。それは主のおしえがあなたの口にあるためであり、主が力強い御手で、あなたをエジプトから連れ出されたからである。』
エゼキエルに戻ってみましょう。裁きがやって来る前に、忌みきらうべきものとその悪とを見て、嘆く者たちは―その心が真実に神のものとなっている者たちは―十字架のしるしが付けられました。また黙示録では、忌みきらうべきものを見て、嘆く者たちに十字架のしるしがつけられるのです。
エゼキエルの時代にその裁きは始まっていました。捕囚が開始されていたにもかかわらず、
民は「ああ、ただ私たちは一時的に痛手を負っているだけだ。長続きはしない。」と言って
いましたが、実際は、ネブカドネザルはユダヤを 4 回に分けて侵攻し、その度に結果はひどいものとなっていたのです。それはあたかも悪の波が次々と来るように、先にあったものより悪くなるのです。そのように神の裁きは来ます。しかし、神の民はしるしがつけられます。彼らは真実に神のものなのです。
エゼキエルの幻は主に神殿周辺に関してでした。エゼキエル 47 章は千年王国の幻であり、ヘブライ語で「シムカ・ベイト・ハ・ショイバー(Simchat beit Ha Shoyivah)」と呼ばれる神殿の丘で水を注ぎ出す儀式を背景にしています。それはハ・スコット(Ha Succoth)と呼ばれる仮庵祭が祝われていたときでした。ヨハネ 7 章もこのことを示唆していて、その意味はいつも千年王国についてでした。
私はニューエイジ“クリスチャン”であるパトリック・ディクソン(Patrick Dixon)が意識の変化した状態について話しているのを聞きました。彼が言うには、聖書の中でいつも神の臨在が現れるとき、人々は理性を失い、普段とは違った意識に入ると言っていました。これはトロント・ブレッシング(Toronto Blessing)などを受け入れることが出来るという彼の弁護なのです。その例として、彼はペテロがイエスの山で姿が変わったことを取り上げ、彼は幕屋を作りたいという愚かで、おかしなことを考えたと言っています。ディクソンはそれをばかげたことと考えているのです。私は彼に次のことを示し、それは何もばかげたことではないと指摘しました。つまりペテロはその変貌が、ユダヤ人の祭りである仮庵祭のメシアによる成就だと考えていたのです。モーセとエリヤがメシアと共にその姿が変えられたので、何もばかげたことではなく、ペテロはそれが千年王国の到来だと考えたのです。明らかにディクソンはこのことを一度も考えたことがないようでした。その文脈において、ペテロの行為は全く理性的なものだったのです。彼は私に「どうしてそう言えるのか?あなたはそこにいたのか?ペテロと話したことがあるのか?」という質問をもって答えてきました。私はそれに対して、「私は第二神殿期の仮庵祭のメシア的な象徴がどのようであったかを知っている」と言いました。これに対してはディクソンも返す言葉が無かったようでした。このように現代はどうしても、さまざまな毒が大きな釜に入っているような状態なのです。
エゼキエルの神殿:「神殿の象徴(The Typology of the Temple)」のテープでは、ギリシヤ語とヘブライ語において少なくとも七箇所で“神殿”に関する単語、ナオス(naos)、オイコス
(oikos)、ヒエロン(hieron)、べト・ミシュカン(beth mishkan)、ベト・ミグダシュ(beth
migdash)、ハ・ヘカル(Ha Hekal)、これらが色々な箇所で教会の象徴として用いられていることを詳しく教えています。そして例えば、1ペテロ 2 章 5 節では『あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。』とあり、コリント人への手紙では教会は神殿
と呼ばれており、エペソ人への手紙の 2 章・4 章では神殿は教会の象徴です。また、使徒の働きではダビデの幕屋を建て直すことが語られていて、それはアモス書の『その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。』(9 章 11 節)という箇所の引用です。新約聖書は少なくとも、これは部分的に異邦人の教会において成就されたと明らかにしています。また、反キリストについてのテープでは、荒らす憎むべき者に関して語っており、ダニエル書で語られた至聖所である聖なる場所に、彼が立つことについてです。このことは歴史の中のいくつかの時点で部分的に成就されました。その最も顕著な例がアンティオコス・エピファネス (Antiochus Epiphanes) によって成就されたときです。またこのことも「ハヌカー
(Hanukah)」のテープに収録されています。
エルサレムに神殿が再建され、憎むべきものがそこに建てられるとしても、それが物理的な神殿に関して起こることですが、それはただ霊的に起ころうとしていることの反映でしかないのです。イエスが十字架上で死んだとき、神殿の幕は上から下に裂けました。このことは罪深い人間と聖い神との隔たりが、もはや無くなったことを示しています。物理的な奇跡はその物理的な神殿で起こりました。しかし、それは一番大切なことではありません。一番大切なことはその奇跡が象徴していることです。私たちの大祭司であるイェシュアが罪のためにささげられたために、人間はもはや神から離れてはいないのです。したがって、荒らす憎むべき者についてもその通りです。憎むべきものが何らかの形で神殿に建て上げられるとしても―私はそれが実際に起こることを確信していますが―それはただ単に霊的に起こることの前兆なのです。反キリストは神の家で礼拝されたがります。このことは反キリストについてのテープで扱われています。そこではアラム語での荒らす憎むべき者について説明しています。
エゼキエルは主の家で忌みきらうべきことを見ました。もう一度、8 章 1 節から始まる 2
章を読んでみましょう:
『第六年の第六の月の五日、私が自分の家にすわっていて、ユダの長老たちも私の前にすわっていたとき、神である主の御手が私の上に下った。私が見ると、火のように見える姿があった。その腰と見える所から下のほうは火で、その腰から上のほうは青銅の輝きのように輝いて見えた。すると、その方は手の形をしたものを伸ばし、私の髪のふさをつかんだ。すると、霊が私を地と天との間に持ち上げ、神々しい幻のうちに私をエルサレムへ携え行き、ねたみを引き起こすねたみの偶像のある、北に面する内庭の門の入口に連れて行った。なんと、そこには、私がかつて谷間で見た姿と同じようなイスラエルの神の栄光があった。その方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、目を上げて北のほうを見よ。」(災いはいつも北からやって来ます)そこで、私が目を上げて北のほうを見ると、北のほうの祭壇の門の入口にねたみの偶像があった。』(8 章 1 節-5 節)
“人の子”とは終末的な称号であり、他のすべての預言者たちと同じく、イエスを何らか
の形で示しています。イエスは終わりの時代に関して神の子とは一度も呼ばれませんでした。彼の再臨について語られているとき、それはいつも人の子がやって来ると書かれています。
『この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。イスラエルの家は、わたしの聖所から遠く離れようとして、ここで大きな忌みきらうべきことをしているではないか。あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」』(8 章 6 節)
またここにおいても、荒らす憎むべき者が示唆されています。
『それから、この方は私を庭の入口に連れて行った。私が見ると、壁に一つの穴があった。この方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、壁に穴をあけて通り抜けよ。」私が壁に穴をあけて通り抜けると、一つの入口があった。この方は私に仰せられた。「入って行き、彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきことを見よ。」私が入って行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。また、イスラエルの家の七十人の長老が、その前に立っており、その中にはシャファンの子ヤアザヌヤも立っていて――彼は名前をも明らかにします!――、彼らはみなその手に香炉を持ち、その香の濃い雲が立ち上っていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは、イスラエルの家の長老たちがおのおの、暗い所、その石像の部屋で行なっていることを見たか。彼らは、『主は私たちを見ておられない。主はこの国を見捨てられた』と言っている。」さらに、私に仰せられた。「あなたはなおまた、彼らが行なっている大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」ついでこの方は私を、主の宮の北の門の入口へ連れて行った。するとそこには、女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。これを見たであろうが、あなたはなおまた、これよりも大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」そして、この方は私を主の宮の内庭に連れて行った。』(8 章 7 節-16 節)
旧約聖書の中では、神の宮を進んで行くにつれてさらに聖い場所に至ります。
『すると、主の宮の本堂の入口の玄関と祭壇との間に二十五人ばかりの人がおり、彼らは主の宮の本堂に背を向け、顔を東のほうに向けて、東のほうの太陽を拝んでいた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているような忌みきらうべきことをするのは、ささいなことだろうか。彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている。見よ。彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしている。だから、わたしも憤って事を行なう。わたしは惜しまず、あわれまない。彼らがわたしの耳に大声で叫んでも、わたしは彼らの言うこと
を聞かない。」この方は私の耳に大声で叫んで仰せられた。「この町を罰する者たちよ。
おのおの破壊する武器を手に持って近づいて来い。」見ると、六人の男が、おのおの打ちこわす武器を手に持って、北に面する上の門を通ってやって来た。もうひとりの人が亜麻布の衣を着、腰には書記の筆入れをつけて、彼らの中にいた。彼らは入って来て、青銅の祭壇のそばに立った。』―青銅の祭壇は十字架の象徴です―『そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。』(エゼキエル 8 章 16 節-
9 章 5 節)
神はご自分の民に害を及ぼすことを許しませんでした。また、彼はご自分の者にはしるしをつけ、残りの者は打てと命じました。黙示録では、木々に害を加えないように命じられています。―『野の木々もみな、手を打ち鳴らす。』(イザヤ 55 章 1 節-2 節)―木々は神の民を象徴しています。これがエゼキエルでも起こったことなのです。
神はエゼキエルを取り、忌みきらうべきことを次々に見せました。それはますます悪くなるばかりでした。彼が最初に見た忌みきらうべきことに注目してみましょう:ねたみの偶像、主の家での偶像礼拝です。ヘブライ語での「礼拝する」という言葉は「ヒシャタクヴァー(hishtakvya)」といい、不定詞では「ヒスタカヴォート(Histachavot)」すなわち「ひれ伏す」ということです。誰でも像や彫られた偶像の前にひれ伏し、拝むならそれは偶像礼拝です。ハイ・カトリックやローマ・カトリック、これらのものは偶像礼拝です。
この話は次のように始まりました。神はエゼキエルを天と地の間に持ち上げて、「見よ。今あなたは天から、わたしが見るように見ている。彼らがわたしの家、わが聖所、会見の場所でしていることを見たか。」と言いました。エゼキエルはそれを見て、驚きました。しかし、神はエゼキエルに「これがわたしの家、わが聖所での偶像礼拝である。しかし、人の子よ、あなたはさらに忌みきらうべきものを見ることとなる。」と言われます。その後神は神殿の中へとさらに奥へと彼を導かれます。そこでは、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていたのです。ここでの
「忌むべき」とはヘブライ語で「シェケツィム(shektzim)」というもので、異邦人女性を軽蔑した言い方の「シクセー(shikseh)」という言葉はこれから来ています。黙示録において、サタンにはふたつの攻撃する形態があると、私が言っているのを聞いたことがあるでしょうか。蛇と竜です。竜は迫害者としてのサタンです。また、蛇とは欺くものとしてのサタンです。これらのはうものも「シェケツィム」と呼ばれ、それは「ねばねばした爬虫類」
という意味です。それらは古代中近東で行われていたヘビ崇拝などから来た悪魔の象徴で
すが、インドの西部に至るまでヘビ崇拝が行われています。荒らす忌むべき者はそこから取られたものです。主の家の中にいる悪霊:この時点でただの偶像礼拝が、明らかな悪霊崇拝になっていくのです。
しかし、神はそれからエゼキエルに言われます。「あなたはさらに悪いものを見ることになる。わたしの家でさらに忌みきらうべきものを見るのだ、人の子よ!」そして神は宗教指導者たち―レビ人やコヘニム(cohenim)などの“牧者たち”―をあちらこちらで名指しで呼びます。また彼はシャファンの子ヤアザヌヤが彼らの内に立っていたと書いています。そこにいるべきではない人々、いるはずのない人々が香を持ってそこにいるのです。香は聖徒の祈りを象徴しています。しかし、それらの祈りは本当の神にはささげられていないのです。彼らは真実の神を礼拝していません。パウロは1テモテ・2テモテにおいて、ヨハネは3ヨハネにおいて、信者たちを過ちに引き込もうとする指導者たちの名前を公に挙げました。使徒と預言者たちはためらうことなく、そのような者たちの名を明らかにしたのです。
このエゼキエルの箇所において、偶像礼拝が行われており、明らかな悪魔崇拝があり、また神の指導者たちが民をそこに引き込んでいました。神は主の家でそのように指導者たちが悪事に加担することは、何にも増してひどく忌みきらうべきことであると宣言しています。
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』その次に神がエゼキエルに見せられたのはタンムズ礼拝でした。タンムズは乳飲み子の神であり、彼の母であるマドンナに抱きかかえられていました。ローマ・カトリックのマドンナと子どもという考えは、タンムズ礼拝をカトリック化したものです。そうでしかありません。エレミヤ 44 章では、女たちが天の女王のためにパン菓子を焼いている光景に出くわします。これはカトリックのマリア崇拝と同じものです。タンムズに関して言うと、イエスは無力な幼児として描かれ、一方でその母は力のある独立した大人として表現されています。このような考えのもと、マリアが私たちの共通の贖い主であり、共通の仲介者であり、共通の救い主であるとカトリックは主張しているのです。彼女は今まで存在した女性の中で最も偉大であることは事実です。しかし、彼女自身、救い主が必要であると言いました。
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』そう神はエゼキエルに言いました。
『人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。』まず、それはねたみの偶像であり、
次に悪霊でした。その次に指導者たちが手をつけたものとは―より知識があるべき者たち
が民を迷わせます―タンムズ礼拝でした。この次には何が来るのでしょうか?
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』神はエゼキエルを玄関と祭壇の間にある内庭に連れて行きました。そこで彼が見たものは公然と太陽を拝む者たちでした―公然と他の神々に祈っていたのです。これらのバビロンの宗教は単なる礼拝以上のもの、不品行などをも含んでいます。不品行と偶像礼拝は共に起こります。古代ギリシヤではそれは神殿娼婦でしたが、その起源はギリシヤ以前にさかのぼります。礼拝の中での性の堕落です。サタン崇拝にかかわりを持つすべての成人式は、何らかの性的な儀式を含んでいます。ロザラム(Rotherham)にいる、私の知っているクリスチャン女性の娘は、サタン的なカルトに参加していました。そこで大祭司がサタンと関わり持たせるため、彼女を“結婚”させたのです。儀式のすべてが性的で汚らわしいことで満ちていました。この女性は当然のことながらとても動揺していました。
状況はますます悪化していきます。民はそれを無視していましたが、イザヤやエレミヤが来ると、初めから警告していた神の裁きが実現していたのです。彼らは来るべき裁きを否定し、罪にとどまっていました。その一方で、指導者たちはそこに立ち、「もはや主はこれらのことを、本当には気遣っておられない。すべてはゲームなのだ。ただこれは私たちの仕事なのだから。」と言います。聖職者の中の多くのフルタイムの奉仕者たちが―彼らの中には福音派もいますが―奉仕がただの職業にすぎなくなっているのです。奉仕は仕事になっていて、召命でもなく、情熱をもってするものでもなく、神が天職として与えたものではなくなっているのです。ただ彼らの義務になってしまっています。
最終的に神は言われます、「真実にわたしのものである者たちにしるしをつけよ」。もはや望みはなくなりました。神はそのようなことを見て嘆いている者以外、あわれむことも惜しむこともなくなるのです。神はエゼキエルを天にまで上げて「わたしの聖所を見よ」そう言われると、彼は衝撃を受けました。また、神は「またそこにはあなたが見たものを見、ひどく驚いた者たちがいて、彼らはわたしの家で忌みきらうべきことが行われているのを見て嘆いているのだ。その偶像礼拝、不品行、また彼らの指導者たち自身が民を引き込んでいるのを嘆いている。これらの者たちにはしるしがつけられる。しかし、わが裁きは下ろうとしている。さらにあなたは忌みきらうべきことを見ることになるだろう」と言われ、
「人の子よ。あなたは彼らが行っていることを見たか。忌みきらうべきことをさらに見る
ことになる」と主は言われます。
白魔術を行う者が歴史上初めて、イギリスの大学で多神教のチャプレンになりました。「スーザン・ラドーン(Susan Ladourne)がリーズ大学で、オカルトを信じた生徒をカウンセリ
ングするために職務を引き継いだ。29 歳の魔術師は、魔術や多神教の儀式や礼拝をもって、生徒を指導する。」 しかし、これよりもさらに忌みきらうべきことを、私たちは見ます。一体どのようなものなのでしょうか?祭司たち―知識を持ち合わせているはずの者―が不品行に身をまかせ、魔術を受け入れているのです。いいですか、国教会のチャプレンであるサイモン・ロビンソン牧師(Rev. Simon Robinson)は魔術師にも果たすべき役割があるとしてそれを受け入れ、次のように言いました「私たちはすでにさまざまな宗教からチャプレンを採用している」。祭司たちは忌みきらうべきことや偶像礼拝が行われている中、香を持ち立っていました。彼らは「大丈夫、神は見てはいない」と言うのです。これがまさにエゼキエル書において起こっていたことです。「神は見てはいない」とコヘニムは言い、同じ事をレビ人も言いました。また、これはイギリス国教会の聖職者が今日言っていることなのです。
「あなたはなおまた、わたしの家で大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」と主は言われます。ヨークシャー・イブニング・ポスト(Yorkshire Evening Post)によると「一緒に住むことはもはや罪ではない―イギリス国教会は家族の価値観について姿勢を一変した」そうなのです。私は罪の中に生きていました。イエスが私の心の中に入ってきたとき、私はニューヨークに住んでいて、向かいの通りにいた、とても魅力的なアメリカ系イタリア人の女性と暮らしていました。そのとき、私は残りの薬物を取り、窓から 20 階下に投げ捨てました(それをガーナへ行く大使が拾って、自分のものにしたと思います)。そしてジューズ・フォー・ジーザス(Jews for Jesus)の当時リーダーだったサム・メードラー(Sam Madler)が私に言いました。「あなたは結婚するか、そこから出ていくかしなければならない。たとえ、あなたたちが一緒に寝ていないとしても、罪があるように見え、あなたの証を台無しにすることになる。」そこで私は彼女をキリストに導きました。よい証と信仰を保とうとして私は唯一の選択肢を選びました。つまり彼女に出ていくように告げたのです。
ここで言いたいのは、私がしていたことが間違っていると言われて、クリスチャンとしてそのままやっていけなかったということです。『結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。』(ヘブル 13 章 4 節)―もう彼女とはベッドを共にしないとしても、それは罪のように見えると言われたのです。証をし続けてきた私の隣人たちは、彼女と寝ていないということを信じはしなかったでしょう。しかし現在、イギリス国教会は一緒に住むことはもはや罪ではないと言っているのです。私は福音主義カリスマ派であると聞いていた、ジョージ・カーレイ(George Carey)大監督の、公式のイギリスの住所であるランバート官邸に電話をかけました。私は電話をし、かけ返してくれるようメッセージを残しました。彼らは私が何を望んでいるのか知りたがっていたので、『結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。』という新約聖書の箇所があるのに、どうやって結婚せずに寝床を聖く保てるのかと大監督に聞きました。それからという
もの返事は一切来ていません。
「あなたはなおまた、わたしの家で大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」と主は言われます。ギリシヤ語の「デモノイ(demonoi)」とヘブライ語の「シェディム(shedim)」は、
1 コリントと申命記で使われていて、他の神々や悪霊たちのことを述べています。旧約と新約はどちらもそれを告げています。エゼキエルははうものや悪霊などのシェディムが、神の聖所、主の家で崇められているのを見ました。カンタベリー大聖堂に行き、自分自身の目で異教徒の間でなされている礼拝を見てください。アンセルム・チャペル(Anselm
Chapel)に行き、仏教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、シーク教徒などの礼拝で溢れていて、“クリスチャン”たちがそれを受け入れているのを見てください。『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』
The Future History of the Church - Part 1 - Japanese
未来の教会史1
ジェイコブ・プラッシュ
だれもが未来を知りたいと思っています。このために人は占い師やオカルトなど、さまざまなところに行き未来がどうなるかを知ろうとします。しかしながら、イエスさまは私たちに未来を告げました。
私は信者になる前、よくまじない師のところに行き、タロットカードを読んでもらっていました。そのまじない師はカードを読むのが得意で、彼女はある日、私がイエスを信じるようになることをカードをもって言い当てました。その人はカードを見て「これが起こったときに戻ってきて、私を火あぶりにしないでおくれ。これは確かだが、戻ってきて火あぶりにだけはしないでおくれ」と言い始めました。彼女のまじないはかなり正確でした。オカルトは未来を予測することにおいて、とても正確であることがあり得ます。しかしながら申命記 18 章を読むと、“かなり正確”でもそれは十分ではないということが分かります。預言者は毎回、寸分違わず正しくなければならないのです。現代には多くの人が自分は預言者だと主張し、自分中心の預言の奉仕を立ち上げますが、彼らは起こりもしない奇妙な予測を立てます。それが起こったとき、人々はにせ預言者を弁護して言います、「この人はだいたいは正しいじゃないか」。それはそうかもしれませんが、ニュージャージーでタロットカードを読んでいたまじない師もだいたい正しかったのです。申命記 18 章は非常に明快です。主の御名によって語ったことが実現しなければその人はにせ預言者なのです(申命記 18 章 20 節-23 節)。主の御名によって語るのはとても危険なことです。その“預言”が神からのものでなければ語らずに、口を閉じておいたほうが良いのです。聖霊を消すことをしてはいけませんが、その言葉が本当に聖霊からのものであれば実現せずにいることはありません。
私は本当の預言者を目撃する機会がありました。イスラエルのカルメル山にある一室に 40人くらいの人と、(当時の呼び名でいう)ソビエト連邦から来た男性がいました。当時はイスラエルとソ連の間に外交関係や直通の飛行機もなく、その人はヨーロッパを経由して来ることしかできませんでした。その人はテル・アビブに降り立ち、誰かがベン・グリオン空港に迎えに行き、ガラリヤまで連れてきました。その人は英語で話し始め、預言や予告をし始めたのです。彼が話しているのを聞いたとき、私はこの男が本当の預言者か、またはにせ預言者であるだけでなく、頭がおかしいに違いないと思いました。この紳士は一冊の本を書き、その中で赤の広場(モスクワの都心部にある広場)で主の聖餐式をすること
について語っていました。その人が言うには、赤の広場で立ち上がった後、神は聖餐式の
杯をモスクワ川に投げ込むように言われ、ソ連政府が教会を迫害しユダヤ人にイスラエルへ移住することを禁止したために、神はエジプトにしたのと同じことをソ連にも行うと予告していたというのです。その人たちは「わたしの民を行かせよ」また「わたしの福音を宣べ伝えさせよ」、さもなければ神はあなたの帝国を滅ぼすと宣言していました。「私たちはあなたの地にのろいを宣言する――神はあなたの地をのろわれる」その後まもなくチェルノブイリ原発事故があり、ソ連が経験した中で最悪の収穫期を迎えました。そのクリスチャンたちはまた「神はソ連の戦争兵器を破壊される」と言いました。その直後、ソ連はアフガニスタンから引き上げ、ワルシャワ条約機構(ソ連を盟主とした東ヨーロッパの軍事同盟)が解体しました。次にその信者たちは、レーニンが永久的にミイラ化され展示されてある墓に向かって、「これは死をもたらす霊だ。神はレーニン崇拝を崩壊させる」と言いました。当時、ソ連にはレーニンの像や胸像だけを製造する工場が 11 ほどありました。その後、夜のニュースで、その工場がひとつ残らず閉鎖され、レーニンの像の首が切り落とされているのを私たちは見ました。その後、その信者たちはクレムリン宮殿の方を向き、言ったのです「神はあなたの帝国を滅ぼされる。ソ連は崩壊し、誰も信じることができないほど神は迅速に裁きを下される。『わたしの民を行かせよ。そしてわたしの福音を宣べ伝えさせよ』」
このようなことを 1984 年や 85 年に言うことは不可解なことで、全く考えられないことでした。神から本当にそのことを聞いたのでなければ、ただ気が狂っているだけでした。しかし、そう語ることが突飛であったにもかかわらず、語られた言葉はみな現実となったのです。私はそれからその兄弟に会うことも、彼の本を読んだこともありませんが、私はその人が言ったことと自分の目の前で起きたことを知っています。
そういった出来事の後、私は聖書学校に通うためにイギリスに行き、カリフォルニアのカンザスシティーから来た人たちに会いました。彼らは自分たちをカンザスシティーの預言者・ヴィンヤードと名乗っていました。その人たちは何万人もの聴衆の前に立ち、1990 年
10 月に大きなリバイバルが起き、偉大な“後の雨”がやってくると予告しました。その“大きなリバイバル”から数年たち、イングランドには教会よりも多くのモスクが建造され続けています。
教会への侵入
申命記 18 章にはにせ預言者は“ネヴィー・シェカル(nebi shekar)”であると書かれてあります。にせ預言者たちはもはや石打ちの刑に処せられることはありませんが、偽りの預言をするという罪は同じくらい深刻なものです。エレミヤ 5 章と 28 章はにせ預言者がどのよ
うなものであるかを明らかにしていて、イエスも終わりの日ににせ預言者たちが現れると
語られました。新生したクリスチャンが犯してしまう大きな間違いのひとつは次のことです。マタイ 24 章やルカ 21 章のオリーブ山での教えを読むとき、イエスさまがにせ教師やにせ預言者が現れると4回言われたのを見て、私たちのほとんどは機械的に「これはエホバの証人や統一教会、モルモン教(末日聖徒キリスト教会)、クリシュナ教団、クリスチャン・サイエンスなどのことだ」と言ってしまうことです。確かにこのような人たちがにせ預言者、にせ教師であることに疑問の余地はなく、過去 100 年間でのカルトの急増自体が終わりの日のしるしであり、私たちが生きている時代を象徴しているものですが、マタイ
24 章、ルカ 21 章、使徒 20 章、マタイ 7 章をその文脈にそって読むと、これらのカルトはイエスや使徒たちが警告していたにせ預言者、にせ教師とは違っていたことが分かります。イエスや使徒たちが警告していたのは、選ばれた者を欺こうとする者たちです。
未信者はすでに悪魔に欺かれています。悪魔は2種類の人たちを欺こうと躍起になっているのです。それは国としてのイスラエルと聖書に信頼する教会です。国としてのイスラエルは霊的な暗闇の中にいます。エルサレムを含む多くの場所、ロンドンのスタンフォード・ヒルやブルックリンのクラウン・ハイツにはイスラエル人の看板が立ててあり、そこには
「私たちは今こそメシアを待望する」と書かれてあります。イエスはヨハネの福音書で、民はメシアを受け入れないが自分の名によって来る者を信じると二重の予告をされました
(ヨハネ 5 章 43 節)。これはシモン・バル・コクバの時代の初代教会において成就されましたが、明かにこれは自分のことをユダヤ人にメシアだと信じさせる反キリストの象徴でもあります。ユダヤ人は反キリストの到来のために手はずを整えられているのです。
したがって悪魔はこの世とユダヤ人を騙してしまいました。今悪魔はどのような人を欺こうとしているのでしょうか。あなたと私です。マタイ 7 章、使徒 20 章、マタイ 24 章、ル
カ 21 章を読んでみてください。これらの箇所で警告されているにせ教師やにせ預言者とは、教会内に入り込んできて選ばれた者を騙そうとする者たちのことです。
私はモルモン教やエホバの証人などのカルトの問題を懸念しています。それは新生したクリスチャンが、偽りに対してカルトが持つ熱意と同じほどの熱意を持っていれば、多くの人がそのようなものに入ることがなく、むしろ救われるからです。聖書を信じる教会が何もしない一方で、カルト団体が偽りのために熱心であるという状況は、ラオデキヤの教会の特徴です。西洋の教会はラオデキヤのようになってしまいました。しかしながら、クリスチャンでモルモン教徒やエホバの証人に騙される人は限られています。騙されるような人は信じて間もないときに羊のようにさらわれたか、最初から弱く、やっかいな信者なのでしょう。これらのカルトを、未信者に警告する責任を私たちは持っていますが、第一に心配すべきにせ預言者ではありません。私たちが気を配らなくてはならないのは、教会に
忍び込んでくる者たちです。霊的な欺きは終わりの日に増加します。
ユダヤ的観点からの聖書解釈
“カル・バ・ホメル (kol ve homer) ”といってユダヤ的観点から導き出された聖書の原則があります。これを日本語で表わすと「軽いものから重いものへ(軽から重へ)」という意味です。これはラビ・ヒレルのミドロットの最初の原則で、ヒレルとはラビ・ガマリエルの祖父であった人物です。ラビ・ガマリエル(使徒 5 章 34 節)は使徒パウロがラビになった
ときの教師でした。ラビ・ヒレルは 7 つのミドロット、つまり聖書を解釈する原則を考案しました。新約聖書はこの原則を繰り返し用いています。“カル・バ・ホメル”つまり“軽いものから重いものへ”という原則はこのうちの最初のものです。これを用いている箇所がへブル 10 章 25 節です。
『ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。』(へブル 10 章 25 節)
さして重要ではない(軽い)状況において真実なことは、重要な(重い)状況において特に真実になります。この箇所では交わりの問題が取り上げられています。交わりはいつであっても重要ですが、終わりの日において特別に重要なものとなるのです。私たちが共に立ちあがることができなければ、迫害が来たときにひとりで立つことはできません。
終わりの日に関して“軽いものから重いものへ”という原則が使われているもうひとつの例は、にせ預言者とにせ教師についての箇所です。彼らはいつの時代にも存在します――これが“軽い”です。しかし終わりの日に彼らの数は増えます――これが“重い”です。常に真実であることは終わりの日に特に真実になり、教会にとって常に危険なものは終わりの日に特に危険となります。
イエスの時代のユダヤ人は私たちがしている方法で聖書を解釈しませんでした。イエスはラビであって、他のラビと同じ方法で教えました。イエスはミドラッシュを用いていたのです。イエスはまた“マシャル・ニムシャル形式”というものも使いました。マシャルとは日常の生活、また自然などを描写したもので、ニムシャルとはその背後にある霊的な意味です。箴言はヘブライ語で“ミシュレー”と呼ばれ、マシャルの本という意味です。例を挙げると、箴言 11 章 22 節には『美しいが、たしなみのない女は』というのがニムシャルで『金の輪が豚の鼻にあるようだ』とありこれがマシャルです。たとえは単にマシャルを延長したものなのです。
西洋の寓喩と予型の考え方は基本的に西洋風に作り直されたものなのです。私たちはユダ
ヤ人の聖書の考え方を理解する必要があります。それはダニエル 12 章 9 節にこう書かれているからです。
『このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ』(ダニエル 12
章 9 節)
人が黙示録について本を書き、黙示録の内容をすべて解明したというときは気を付けてください。ダニエル書ではっきりと言われているのは、これらのことは終わりの時まで封じられているということです。何か新しい真理や、新しい啓示が与えられるのではありません。聖霊は終わりの日に聖書の奥深い内容について、神の民に理解を与えます。私たちに何か新しい教理や、新しい真理、新しい啓示が与えられるのではなく、聖書の中にすでに書かれてあることに関して、より深くより明らかな理解が与えられるのです。リベラル(自由主義神学者)がしていることは、聖書をその“シツ・イム・レベン (Sitz im leben) ”=“文化的背景”から切り離して解釈することです。福音主義者たちも同じことをしています。なぜならギリシア的な解釈法また釈義を使い、ユダヤ的な本を理解しようとしているからです。この問題について話すべきことがたくさんありますが、終わりの日に注目して、最も重要な点をみなさんに知ってもらいたいと思います。
聖書の預言は実際どのように成就するのか
西洋プロテスタントがとる預言解釈の方法は、“ 過去主義 (Preterism)” 、“ 歴史主義
(Historicism)”、“激励主義 (Poemicism)”、“未来主義(Futurism)”この4つのうちのひとつです。
リベラルは“過去主義”に傾倒しています。彼らは「神はいない、いたとしても未来は知らない。もし知っていたとしてもイザヤに未来を告げることは確実にない」と言います。それゆえ、クロス王に関することがその 200 年前にイザヤによって預言されると、リベラルの頭の中では自動的に、それが起こった後にイザヤが書いたか、イザヤ書がイザヤではない誰かに捕囚の後に書かれたと考えるのです。こうした考え方の基盤は、イザヤはクロス王のことを 200 年前に知っていた可能性はないというものです。神学用語でいうならこれは
“バチカン補間法 (ex-Vaticana interpolation)”というものです。リベラルは未来に関しての超自然的な知識を信じることができないので、過去主義を容認しています。
第二のものは“歴史主義”であり、これは神の国がもう到来したと信じる人たちが好むもので
す。改革者たちもまたこの考え方にひどく傾倒していました。歴史主義は「新約聖書の終
末に関する預言は、初代教会の時代に完全に成就した」と信じるものです。初代教会はローマをバビロンと認識していました。ペテロは最初に書いた書簡を閉じる際、『バビロンにいる、…婦人がよろしくと言っています。』(1ペテロ 5 章 13 節)と書きました。バビロンにおいてニムロデが始めた偽りの宗教は、小アジアに行き渡り(特にペルガモの町へ)、そこからギリシア・ローマ文化へ浸透しました。そこからローマ・カトリックやフリーメーソンなどの宗教が発生しました。しかしながらそのルーツはすべて、この世の偽りの宗教と腐敗した政治制度が組み合わさったバビロンに行き着きます。
バビロン人は第一神殿を“ティシャーベ・アブ(Tisha' b'Av)”、ヘブライ暦でのおおよそ 8
月 9 日に破壊しました。ほぼ同じような状況で、ローマ帝国の軍隊は第二神殿を同じ日付に破壊しました。その日も”ティシャーベ・アブ”でした。このため初代の信者たちはローマをバビロンであると認識し始めたのです。どちらも同じ偽りの宗教でした。
このことを説明するために私がよく使う例は“スコットランドヤード”です。スコットランドヤードという名は、ロンドンでホワイトホール(通りの名前)とビクトリア・エンバンクメント(テムズ川の近くにあるもの)の間にあった小さな通りの名前で、元々ロンドン警視庁の本部があった場所です。現在の警視庁はシャーロック・ホームズの時代と違い、ビクトリア駅から 800 メートル離れた場所に位置しています。しかしそれがもうホワイトホールのそばの小さな通りに位置していないにもかかわらず、本部はいまだに“スコットランドヤード”と呼ばれています。言い換えれば、施設の名前が本来の場所の名前を取ってしまったのです。バビロンに関しても同じことがいえます。このため黙示録に書かれてあるように、初代教会が7つの丘の上にいる女を見たとき、カピトリーナという名を冠していましたが、その女がひとつの町を表しているということから、彼らにとってローマはバビロンだったのです(黙示録 17 章 9 節)。
それゆえ皇帝ネロの統治下にローマが火に包まれたとき、それはイザヤとエレミヤによって預言されていたバビロンの崩壊の成就だったのです。このように初代の信者たちは考えていました。またベスビオ火山が噴火したとき(ポンペイが灰に埋もれ)、火山灰が電離圏と成層圏の上部に滞留し、ローマ帝国全体に太陽と月の光が届かなくなりました。これは実際に起こった出来事です。このようなことが最後に起こったのは 1960 年代のアイスラン
ドだったと思います。次におよそ紀元 70 年頃、神殿が破壊され、ローマ人たちは神殿の丘に異教の像を建て、その場で礼拝しました。当時のクリスチャンたちはそれが”荒らす憎むべき者”――ハシキューツィム・ハメショメム――であると考えていました。こうしてこれらの預言は成就したのです。これが歴史主義という考え方です。
プロテスタントの改革者たちは歴史主義に傾倒していました。なぜなら中世の教皇の権威
が拡大することを防いだのは、ローマ帝国、帝政ローマであったと主張していたからです。コンスタンティヌス帝が首都をコンスタンティノープルに移し、西ゴート族が移住してきてからローマ教会は繁栄しました。『彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがある』(2 テサロニケ 2 章 6 節)とあるように、改革者たちはローマ帝国がローマ教皇の権威を制限しており、後になってその制限は取り去られたと解釈しました。このために神の国はもう到来したという人たちは、“終わりの日”はただ紀元 70 年に至るまでの出来事を指すと言い、多くの場合、黙示録の記述に未来のことが書かれているとは考えません。
預言解釈の第三の手法は“激励主義”です。激励主義とは「黙示録は迫害の時代に生きているクリスチャンを励ますためだけに与えられたものであり、迫害されているクリスチャンに与えられるべき栄光と、迫害する者への裁きを思い起こさせることによって、勇気を与えようとして書かれたものである」というものです。これは的を射ています。黙示録はこれを読む者は幸いであるという言葉とともに始まり、黙示文学はどれも迫害下にある教会を励ますものです。部分的にその目的は正しいのですが、それが唯一の目的ではありません。
預言を解釈する第四の手法は“未来主義”であり、これはこのような出来事が終わりの日に起こるというものです。
どの方法が正しいのか?
プロテスタントの解釈を使う西洋の異邦人的な思考によると(ここではふれませんが、多くの理由によりこれはギリシア的な起源を持ちます)、この4つの手法のうちどれが正しいものであると考えます。問題はどれを支持するかということになります。あなたは過去主義、歴史主義、激励主義または未来主義のどれを支持するでしょうか。紀元1世紀のユダヤ人なら、イエスがそうであったように、これら4つすべてを同時に支持することでしょう。
マタイ 24 章 15 節から 33 節で、イエスはダニエルによって語られた“荒らす憎むべきもの”
が現れるのを見たなら、終わりが近いと言われました。ここで問題になるのが、マタイ 24
章やルカ 21 章のオリーブ山の訓戒で語られた、荒らす憎むべきものはイエスが語られる以
前に出現していたということです。イエスはヨハネ 10 章で“ハヌカ”、宮きよめの祭りを祝っておられました。イエスはアンティオコス・エピファネス(B.C.215-164 セレウコス朝シリアの王)が神殿に偶像を建て、神殿内で豚をほふり、その神殿をマカベア家が再び聖めたことなどすべてを知っていました。ダニエルによって預言された荒らす憎むべきもの
は旧約新約間の時代にすでに登場していましたが、イエスはその預言を指し、それがもう
一度起こると言われました。イエスは過去主義を用いたのです。イエスは過去の出来事を指し、それを未来形で話されました。
次に歴史主義です。もう一度、イエスがオリーブ山で預言された荒らす憎むべきものについて見ていきましょう。ヨセフスを読み、ローマ人がどのように神殿を破壊し、神殿の丘に異教の象徴を建て、礼拝したかを読むと、それが荒らす憎むべきものであったことが分かります。その後、2世紀にハドリアヌス帝はアエリア・カピトリーナという町を作り、神殿の丘にジュピター(ローマ神話の神)の神殿を建造しました。それがもうひとつの荒らす憎むべきものでした。コンスタンティヌスの甥であった背教者ユリアヌスは、ローマ帝国を再び異教化しようと試み、神殿を建て、神殿の丘で多くの不審火が起こりました。これがもうひとつの荒らす憎むべきものです。現在の神殿の丘では、オマール・モスク、岩のドームがあります。その外面にはコーランのスラーからの引用が刻まれています。それは「神には子がない」という意味です。これもまたもうひとつの荒らす憎むべきものです。
しかし来るべき荒らす憎むべきものが未だに存在します。すでに現れたものすべては、来るべきものを象徴しています。大事な点はこれです。西洋的な預言の考え方は預言が予告と成就とでなっているというものです。しかしヘブライ的な預言の考え方は、預言を反復するパターンと見なします。ひとつの最終的な成就と共に複数の成就があると、ヘブライ的な預言は考えられています。そしてそれぞれ複数の成就は、最終的な成就の予型であり、最終的な成就がどのようになるかを教えているのです。
もうひとつの例を挙げましょう。マタイがイエス降誕の記述を書いたとき、ホセア 11 章 1節から『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と引用しました。問題になるのがそのホセア 11 章を読んでみると、ホセアはモーセの指導のもとエジプトを出たイスラエルの民のこと、出エジプトに関して語っているということです。しかしマタイは一見したところ、その文脈を全く無視し、イエスに当てはめているように見えます。しかしながら、本当の問題はマタイが文脈を無視したということではなく、西洋の教会がユダヤ人の本を取り、自分たちで文脈を読みとる方法を作ってしまったことにあります。マタイはミドラッシュを用いて考え、預言をパターンだと見なしていました。これを説明しましょう。
ミドラッシュ
それはアブラハムから始まります。創世記において、神はパロをさばき、アブラハムはその子孫と共にエジプトを出ました。アブラハムは原型であり、すべて信じる者の父です。
後になって出エジプト記において、神はパロをさばき――邪悪な王をさばき――再びアブ
ラハムの子孫はエジプトを出ました。このようにパターンは始まります。イスラエルに起こったことは最初アブラハムに起こったことの繰り返しなのです。アブラハムがパロから富を得たように、イスラエル人は出エジプト記においてエジプト人から富をはぎ取りました。
次に、イエスがエジプトから出た後、また邪悪な王――今回はヘロデ――がさばかれました。ミドラッシュ的にイスラエルはイエスを隠喩として表しています。聖書の中で「イスラエルはわが栄光、イスラエルはわが長子」という箇所を見つけたなら、それはミドラッシュ的にメシアをほのめかしています。これはラビでさえも知っています。それゆえ、イスラエルの現れであるイエスもエジプトを出たのです。
教会がキリストの体であるのと同じように、ある意味においてイスラエルもキリストの体です。そして 1 コリント 10 章に書いてあるように、私たちもエジプトを出ます!エジプトはこの世の象徴、またパロはこの世の神である悪魔の象徴です。またモーセが山に昇り、民の代わりに血で契約を結んだように、イエスも同じことをしました。モーセがイスラエルの子らをエジプトから導き出し、水の中を通して、約束の地に導いたように、イエスは私たちをこの世から導き出し、バプテスマを通して、天へと導かれます。一方が他方の象徴となっています。私たちはみな出エジプトの経験を持っています。
しかし出エジプトの最終的な意味は、教会の復活と携挙です。出エジプト記で行われたのと同じさばきが黙示録でも繰り返されます。またモーセとアロンのしるしをパロの呪法師たちが真似たのと同じように、反キリストとにせ預言者はイエスとその証人たちの奇跡を真似ることができるでしょう。黙示録ではなぜモーセの歌(“主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに”)が歌われているのでしょうか(出エジプト 15 章 1 節、黙示録 15 章 3 節)。出エジプト記が示しているのは、パロの敗北は悪魔の敗北の予型であるということです。またなぜイスラエル人は自分たちの所有物に先立ってヨセフの遺骸を運んだのでしょうか。それは 1 テサロニケ 4 章
16 節から 17 節に書いてあるように「キリストにある死者が、まず初めによみがえる」から
です。そして私たちも共にエジプトから出ます。
もう一度いいます。ヘブライ的な預言の考え方は反復されるパターンです。それはひとつの予告ではなく、最終的な成就をともなったパターンです。これがヘブライ的な終末に関する預言の概念です。終わりの日に関して書かれてある聖書の教えを本当に理解するためには、まず西洋的、異邦人的、ギリシア的な考え方をやめて、初代教会のやり方に倣って聖書について考え始めなくなくてはなりません。黙示録 2 章・3 章にでてくるエペソの教会
には他の教会にはない燭台が出てきたことを思い出してください(2 章 5 節)。
『あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。』(詩篇 119 篇 105 節)
マタイでのたとえ話に出てくるおとめたちは、夜を照らすためにともしびの中に油が必要でした(マタイ 25 章 1 節-13 節)。この話には後で戻ってきます。
終りの日には聖書の理解と忠実さはとても重要なものとなります。マタイ 25 章の賢いおとめはともしびに油があったために、夜でも見ることができたのを覚えているでしょうか。これは聖書を理解するための聖霊の照明です。ラオデキヤの教会は目が見えるようになるため、目に塗る目薬を必要としていました(黙示録 3 章 18 節)。終わりの日には、みことばの理解は忠実さと密接に関係してくるでしょう。ダニエル書には悪者はひとりも悟ることがないと書かれています(ダニエル 12 章 10 節)。ところで純粋な心を持ち、空っぽの頭をしている人に知恵を与えるのは神にとってたやすいことです。しかしながら、頭でっかちで知性を誇っている人に純粋な心を与えるのは容易ではありません。霊とまことが必要です。神は私たちにどちらも持っていてほしいのです。単純な人は教養のある人より救われやすい傾向があります。しかし救われた後には、単純だった人はそのままでいることはよくありません。
神の時間の枠組み
さて、これらのことを頭に入れながら、マタイ 10 章を見てみましょう。1 節から、
『イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。』
“イスカリオテ・ユダ”という名がどのような意味か知っているでしょうか。“郊外居住者ユダ”という意味です。5 節から続きます、
『イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。
病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い
出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。
いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。』(マタイ
10 章 1 節-24 節)
イエスが弟子たちを二人ずつで遣わされたとき、彼らはイエスの名のために総督たちや王たちの前に連れて行かれたでしょうか。いいえ。マタイ 10 章において裁判の中で聖霊が言うべきことを教えてくださったでしょうか。いいえ。兄弟が兄弟を死に渡し、親は子を死に渡したでしょうか。いいえ。イエスが弟子たちを二人ずつで遣わされたとき、イエスの名のためにすべての国々に嫌われたでしょうか。いいえ。そのときはどれも起こりませんでした。イエスは弟子たちを訓練しておられました。その前はバプテスマのヨハネが彼らを訓練したのです。今イエスは彼らを最初の予行演習に出して、「これらのことが起こる」
と言われたのに何も実現しませんでした。何が起きていたかというと、16 節でイエスは時間枠を完全に変えて話していたのです。
今日、再建主義者といって、イエス・キリストのために全世界を征服し、再臨の前に神の国を建て上げようと主張する人たちがいます。その人たちはこれらの預言が初代教会で成就し、自分たちが勝ち誇る教会になるべきであるなどと言います。これは完全にくだらないことです。神の国は今存在していますが、まだ来ていません。2種類の用語があります。ひとつは“開始された終末論(inaugural eschatology)”というもので、もうひとつは“実現された終末論(over-realized eschatology)”です。
“開始された終末論”とは神の国はもう挿入されていて、サタンの力は覆されており、サタンが勝利を収める可能性はないが、最終的な勝利はキリストの再臨までやって来ないというものです。ダニエル 7 章 21 節を見てみましょう。
『私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。』(ダニエル 7 章 21節-22 節)
この箇所はマカベア家の話を再現しています。したがって、再建主義者たちはこの箇所はマカベア家や初代教会において成就され、私たちの時代が神の国なのだと主張します。これが“実現された終末論”であり、全くの誤りの教理です。将来に背教が起こり、迫害があり、反キリストが登場するのです。教会は勝利を得ます、しかしその勝利はイエスの再臨にかかっているのです。
十字架の問題
マタイ 10 章に書かれてあるもうひとつのことは、私たちが総督や王の前に連れて行かれ、イエス・キリストの名のために迫害を受けること、またしもべはその主人にまさることはないということです。
私の友人に、救われる以前 20 年間もクリスチャン・サイエンスに関わっていた人がいます。
E・W・ケニオンは、クリスチャン・サイエンスの創始者メアリー・ベイカー・エディ(1821
-1910)から影響を受けたと認めています。ケニオンの「私の体は嘘を付いている」という一連の考えは、クリスチャン・サイエンスから出てきたものであって、クリスチャン・サイエンスは医学を信頼していません。ケネス・コープランドやケネス・へーゲンらの教
えの多くはケニヨンから譲り受けたものであり、そのケニオンは自分の教えを確かにクリ
スチャン・サイエンスから得ました。
カルトや、キリストの福音を歪めた教えはすべて、例外なしに何らかの形でイエスの十字架を否定します。エホバの証人は十字架のことを十字架と呼ぶことさえ好まず、“苦しみの杭”と呼びます。そしてエホバの証人たちは救いが彼らの組織を通して、また組織への個人の献身を通してもたらされると主張しています。
これはローマ・カトリックとも同じことです。イエスは十字架上で「完了した」と言われました。しかしローマ・カトリックはミサがカルバリの丘でささげられたのと同じいけにえであり、繰り返しささげられるものだと主張します。ローマ・カトリックはイエスの十字架を根本的に否定しています。偽りの宗教です。カトリックの中には本当の信者がいるかもしれませんが、本当の信者ならそこから出てくる必要があります。そのような教えを信じ、参加しながらも神のみこころのうちにいることはできません。
また“イエスは霊的に死んだ”と主張するお金目当ての説教者たちがいます。ケネス・コープランド、ケネス・ヘーゲン、E・W・ケニオンら、またその支持者たちは、イエスが勝利を得たのは十字架上ではなく、地獄に行きサタンとひとつの存在になったときであると主張しています。このようなことを彼らは教えていて、十字架を根本的に否定しています。その結果としてどのようなことが起こってしまうのでしょうか?『しもべはその主人にまさりません』(マタイ 10 章 24 節)と書かれてあるように、イエスの十字架がその奉仕において見下されているために、十字架に付けられた生活は自分たちにとって重要ではなくなってしまいます。その代わりに「あなたが金持ちになることを神さまは望んでいる。決して病気にはかからない。神さまはあなたにあれやこれを所有してほしい」ということが教えられているのです。十字架はその方程式から取り除かれています。
そうです、この世にあるすべての歪められたキリスト教は、何らかの形でイエスの十字架を否定します。それと反対にパウロは「十字架を誇りとする」と書いています。昔書かれた賛美歌の中でも――直訳では「私は荒削りの古い十字架にしがみつく、そしてかの日に冠と交換する」(新聖歌 108 番)とあるように、私たちはその日に冠を与えられます。この世にいるときではありません。“神の国は今ここに”という教えはこれを否定し、今こそ冠を受けるときだと主張します。聖書が語っているのは神の国は今ありますが、まだ来ていないということです。しかし“神の国は今ここに”の支持者たちは今こそが神の国だと言うのです。
現在から未来へと切り替える
根本的な問題に戻りましょう。マタイ 10 章でイエスは使徒たちを遣わし、これらのことが
起こると言って警告しましたが何も起こりませんでした。マタイ 24 章を見てみましょう。
イエスは 1 節から 4 節まで神殿について語っています。イエスはダニエル 9 章の預言について語っており、メシアは第二神殿が崩壊する前に来て、死ななければならないということを説明していました。その後、イエスは使徒たちの生涯で起こる出来事や、神殿の崩壊について語りました。イエスはここでもマタイ 10 章でしていたのと同じこと―会話の真ん
中で時間枠を切り替えていたのです。マタイ 24 章も同じで―紀元 70 年についてのことを話していたと思えば、すぐに時間枠を切り替え、この世の終わりについて語っていたのです。これはもちろん、マタイ 25 章の預言を含んでいます。
同じことが使徒 2 章、聖霊が降り注ぎペテロがそのことについて説明しているときに見ら
れます。ペテロは使徒 2 章 15 節でヨエル 2 章を引用しています。
『今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
すると、彼らは預言する。』
ペンテコステの日に預言は語られたでしょうか?語られませんでした。 19 節から
『また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。』(使徒 2 章 15 節-20 節)
天と地に不思議なわざが示され、血や火や煙がペンテコステの日にあったでしょうか?ありませんでした。太陽はやみとなり、月は血に変わったでしょうか?これも起こりませんでした。太陽は御子であるイエスの象徴であることを思い出してください。イザヤにこうあります、
『起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。』(イザヤ 60 章 1 節)
四福音書すべてにおいて、イエスがよみがえったのは日の出のときであったと記してあり
ます。太陽(sun)が昇ることは、御子(Son)が復活することの隠喩です。これに対して月は自ら光を放ってはいません。月はただ太陽から受けた光を反射します。これは教会がそのうちに何の光も持っていないが、イエスの光を反射することと同じです。私は聖書に書いてあるような天体現象が起こることを否定しているのではありません。私が言おうとしているのは、それが起こるときには、より深い事柄をただ反映しているにすぎないということです。地上にある教会にはイエスの光がもはや届かなくなり、教会は血で染まる――つまり迫害されます。私は文字通りの天体現象が起こらないと言っているのではありません。ただこのたとえの意味を理解しなければならないと言っているのです。21 節、
『しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』(使徒 2 章 21 節)
これはペテロの“カリグマ”と呼ばれていて、ギリシア語では文字通り“これはそのようになる”と書かれています。
そうです、マタイ 10 章でイエスが使徒を二人組で遣わし、彼らに対して起こると言われた
ことは実現しませんでした。マタイ 24 章においても、イエスは教会に対して起こることを告げましたが、当時の教会では完全に成就せず、ただ部分的に成就しただけでした。また使徒 2 章でペテロはこれから起ころうとしていることを告げましたが、どれも実現しませんでした。
では違った点からマタイ 10 章を見てみましょう。これらのことは誰に対して実現するのでしょうか。イエスは二人ずつ使徒を遣わし、彼らが総督や王に引き渡され、迫害されて、聖霊が言うべきことを教えてくれること、また家族にも裏切られるが、最後まで耐え忍ぶ者は救われることを語りました。これらのことはマタイ 10 章の使徒たちには起こりませんでした。しかしこれは誰に対して実現したでしょうか。これらのことはすべてイエスに対して実現しました。イエスの生涯の終りに起こったことは、私たちの教会の終りの日に起こります。私たちは統治者や王の前に連れて行かれ、人々は互いに裏切り合うが、最後まで耐え忍ぶ者が救われるのです。これらのことがイエスに起こったように、私たちにも同じように起こります。
再現され始める
一方でまた違った事柄があります。使徒の働きのはじめのほうで、これらのことは使徒たちに起こりました。使徒 4 章 18 節から 23 節を見てみましょう。
『そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはなら
ない、と命じた。ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。』(使徒 4 章 18 節-23 節)
ここで使徒たちが総督や王たちの前に引き渡され、会堂で非難され、聖霊によって誰も反論することのできない言葉を語りました。そして使徒 4 章 25 節から 26 節において彼らは
詩篇 2 篇から続けて引用しました。
『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』(使徒 4章 25 節-26 節)
聖書は終わりの日における、この世から教会への迫害を多くの箇所で騒ぎ立つ海として表現しています。
詩篇 2 篇はイエスに対して起こりました。異邦人たちは立ち、主と油注がれた者に対して反抗したのです。今度は使徒の働きでそれが教会に対して行われています。このようなパターンは増加していきます。使徒 5 章 19 節から 25 節を見てみましょう。
『ところが、夜、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出し、「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい」と言った。彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間たちは集まって来て、議会とイスラエル人のすべての長老を召集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を獄舎にやった。ところが役人たちが行ってみると、牢の中には彼らがいなかったので、引き返してこう報告した。「獄舎は完全にしまっており、番人たちが戸口に立っていましたが、あけてみると、中にはだれもおりませんでした。」宮の守衛長や祭司長たちは、このことばを聞いて、いったいこれはどうなって行くのかと、使徒たちのことで当惑した。そこへ、ある人がやって来て、「大変です。あなたがたが牢に入れた人たちが、宮の中に立って、人々を教えています」と告げた。』
(使徒 5 章 19 節-25 節)
この内容は非常に分かりやすいものです。マタイ 27 章 65 節を見てみましょう。
『ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。』(マタイ 27 章 65 節-66 節)
マタイ 28 章 11 節から 14 節まではイエスが復活された後のことを書いています。
『女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」』(マタイ 28 章 11 節-14 節)
こう見てみると分かるのが、イエスが墓から御使いによって導き出されたように、使徒たちも御使いによって牢から連れ出されたのです。また祭司長たちが使徒 5 章 26 節で人々を
恐れていたことは、ルカ 22 章 2 節と同じことなのです。
もう一度繰り返しますが、マタイ 10 章においてイエスは使徒たちを二人ずつお遣わしになり、起こると言われたことは彼らにはその時起こりませんでした。しかしそれはまずイエスの身に起こったのであって、その後使徒たちや初代教会に起こり始めました。そこから分かるのがイエスに起こったことと、初代教会に起こったことは、また繰り返されるのであって、私たちに対しても起こることなのです。しかしどうしてそう言えるのでしょうか。またマタイ 10 章 17 節から見てみましょう。
『人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。』(マタイ 10 章 17 節-22a 節)
これらのことはマタイ 10 章では起こりませんでした。またルカ 21 章 12 節を見てみましょう。
『しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。』(ルカ 21 章 12 節)
ここで「これらすべてのことの前に」と書かれてあることに注目しましょう。教会は終わりが到来する前に迫害を受けるのです。13 節からつづけて読むと、
『それはあなたがたのあかしをする機会となります。それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、わたしの名のために、みなの者に憎まれます。しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。』(ルカ 21 章 12 節-19 節)
再び次の節から紀元 70 年のことへと時間枠は移ります。マタイ 10 章で予告されたことはその時成就しませんでしたがそれはイエスに対して起こり、また使徒たちと初代教会とに対して起こり、再び終わりの日にある教会に対して起ころうとしているのです。イエスは同じ言葉を使っています。私が意図的にルカの箇所を読んだのは、その考え方をしているのはマタイだけではないということを示すためでした。聖霊はルカの福音書にも同じことを啓示したのです。
しかし、これからこのミドラッシュはさらに目立つようになります。私たちが使徒の働きを読むとき理解しなければならないことは、それはただ1世紀の教会史を読んでいるのではなく、終わりの時代の教会史を読んでいるということなのです。
最初はキリストに、次はパウロに
ヨハネ 19 章 4 節から 6 節において、ラビたちはイエスに冤罪を着せ、ローマの権威に引き渡しました。この箇所においてポンテオ・ピラトはイエスを裁こうとする意思はありませんでした。これが始まりです。パウロの奉仕とその生涯の終わりの期間は、イエスの生涯の終わりに起こったことを繰り返しています。パウロにはラビたちによってあらぬ罪の訴
えがローマ人支配者に出されていましたが、使徒 18 章 12 節から 18 節においてローマ総督もパウロを裁こうとする意思はありませんでした。イエスに対して起こったことはパウロに対しても起こったのです。
マルコ 14 章 12 節から 15 節では、逮捕される時に先立って、イエスは弟子たちと過越の時
期に上の部屋で会い、パンを割きました。使徒 20 章 6 節から 8 節でパウロは彼の弟子たちと上の部屋で会い、捕われの身になる前にパンを割きました。
ヨハネ 10 章 15 節とマルコ 10 章 32 節から 34 節で、イエスはご自分の死を神のみこころ
だと受け入れ、付き従っている者に自分の死を予告しました。使徒 20 章 24 節から 25 節では、パウロは全く同じことをしました。
ヨハネ 11 章 8 節では、イエスの弟子たちは命の危険が迫っていることを思って、イエスに
ユダヤに行かないよう説得しようとしました。使徒 21 章 11 節から 13 節では、パウロの弟子たちもパウロの命を助けるために、エルサレムに下って行かないように説得を試みました。
マタイ 7 章 15 節や 24 章 11 節、マルコ 13 章 6 節、ルカ 21 章 18 節などはイエスが去った
後現れて羊を襲う狼についての警告であり、イエスはその警告を弟子たちとの 3 年間の関
係が終わるときに与えられました。使徒 20 章 29 節から 30 節でパウロは、3 年目の終わりに弟子たちの中に起こるにせ預言者について警告を与えました。
マルコ 15 章 12 節から 15 節やヨハネ 19 章 15 節、ルカ 23 章 21 節、マタイ 27 章 21 節か
ら 23 節などは、ラビたちに扇動された群衆がイエスの死を求めて叫んだことを記していま
すが、使徒 21 章 36 節と 22 章 22 節では、ラビたちに扇動された後、群集がパウロの死を求めていました。
マタイ 26 章 59 節から 61 節ではラビたちがイエスに対して偽証をつかもうとしていたことを記してあり、イエスは律法と神殿に逆らうことを教えたとしてあらぬ罪を着せられました。使徒 21 章 28 節ではパウロにも同じことが起こったと記されています――ラビたちはパウロが律法と神殿に逆らうことを教えていると彼に罪を着せました。
ルカ 23 章 8 節ではイエスがローマ市民政府の興味を引き、好奇心を起こさせたように、使
徒 22 章 30 節ではパウロもローマ市民政府の興味を引き、好奇心を起こさせました。このことが終わりの日にも起こるのです。政府は、私たちが他の人と何が違うのかを不思議に思い、初代教会に対してそうであったようにクリスチャンを好奇の目で見つめます。
ヨハネ 19 章とマタイ 27 章において、ローマ政府はイエスを釈放しようとしました。しかしイエスを釈放できないと分かると、無罪だと知っていながら、問題すべてをラビの権威へ委ねました。使徒 22 章 30 節と 18 章 15 節で同じことがパウロにも起きました。
マタイ 27 章 24 節ではローマ政府がイエスの件で暴動が起こるのを懸念して、仲裁するこ
とを余儀なくされました。使徒 23 章 10 節と 21 章 34 節から 36 節では、ローマ政府がパウロに関して暴動が起きるのを防ぐため、仲裁に入らなければならなかったことが記されています。
マタイ 26 章 4 節でラビたちがイエスを殺す策略を立てていたとき、ローマ総督はカイザリヤからエルサレムに下ってきました。同じような状況下でローマの地方総督はパウロの裁判を行うためにカイザリヤからエルサレムに下ってきました。使徒 23 章 12 節、21 節。
イエスはユダヤ人の兄弟によって異邦人と総督の手に渡されました。これはルカ 18 章 32
節、ルカ 23 章 1 節、マタイ 27 章 2 節に見られる具体的な預言に関する成就でした。パウロも具体的な預言の成就として、同じ境遇を味わいました。
ヨハネ 18 章 22 節でイエスは大祭司への話し方のために平手で打たれました。使徒 23 章 2
節ではパウロも同じ理由で打たれそうになりました。
マタイ 23 章 27 節でイエスは宗教的な偽善者のことを「白く塗った墓」と呼び、ペサハ(過
越)の時期に白塗りにされる墓のことをほのめかしていました。使徒 23 章 3 節でパウロは大祭司に向かって「白く塗った壁」と言いました。
イエスはルカ 20 章 26 節から 40 節で、パリサイ人とサドカイ人が一緒に向かってきたとき
に、復活の話題を使って彼らを巧みに操りました。使徒 23 章 9 節でパウロも同じ戦略を使いました。
“ユダヤ人が2人いれば、3つの意見が出てくる”という冗談を聞いたことがあるでしょうか。それは“ピルプル (pilpul )”として知られるものから来た言い回しです。“ピルプル”とはラビ たちの議論法で、どんな意見や立場でも正当化したり、批判するために使われ、他のラビ たちに関して注解をしているラビの権威をいくらでも引用するものです。これは議論のた めの議論であり、イエスはピルプルと関わりを持ちませんでした。山上の説教が終わった ときに、群衆はイエスが律法学者やパリサイ人のようではなく、権威のある者のように教 えられるのに驚いたとある箇所は、イエスが“ピルプル”と関わりを持たなかったという意味
です。イエスは率直に「こうである」とだけ言われ、当時のラビや現代のリベラルたちが
しているような神学論争やあらさがしはしませんでした。しかしひとつだけ例外があります。イエスはこれをパリサイ人とサドカイ人の間で論争を引き起こすために用いました。パウロも同じように、パリサイ人とサドカイ人の間に内輪もめを起こさせる目的以外にはピルプルを用いませんでした。
もう一度確認します。マタイ 10 章はイエスが語られたときには成就しませんでしたが、最初イエスに対して実現し、次に使徒たち、また非常にはっきりとパウロに対して起こりました――私がここに載せた以上に関連した箇所はあります。またマタイ 24 章とルカ 21 章を読むとそれが私たちにも起こることであると分かります。イエスに対して起こったことは初代教会に起こり、そのふたつの例が共に私たちに対して起こることが何かを教えているのです。ユダヤ的な預言は反復されるパターンです。複数の成就があり、それぞれの成就が最終的な成就に関することを示しています。私たちの結末を知りたいのなら、イエスの結末を見てください。終わりの時代の教会に何が起こるかを知りたいのなら、1 世紀の教会に起こったことを見るのです。
ヘブライ暦の象徴
そうです、私たちが使徒の働きを読むとき、それはただ過去の歴史を読んでいるだけではなく、未来の歴史をも読んでいるのです。初代教会は、春の雨と関連して、力強い聖霊の降り注ぎを経験しました。ヘブライ語の“マイム・ハイーム”つまり“生きた水”は聖霊の呼び名でもあります。雨が注がれることは聖霊が降り注ぐことの象徴です。イスラエルには春の雨と秋の雨(後の雨と前の雨)があります。初代教会に力強い聖霊の降り注ぎがあったように、終わりの日の教会にも力強い聖霊の降り注ぎがあります。これが初代教会に豊富な賜物が与えられ、終わりの日にもそれが復活することのひとつの理由です。そしてこれはイスラエルの雨期と関係があります。現在、再び大量のユダヤ人が救われているのもこのためなのです。収穫が来ています。
イエスはイスラエルの春の例祭を最初の到来において成就しました。過越の祭りはほふられる過越の子羊として、初穂の祭りは復活の初穂として、ペンテコステはイエスが聖霊を使徒たちに与えたときに成就されました。これらが春の例祭であり、春の雨が降り収穫を備えるときなのです。長く暑い夏は異邦人教会の時代と関連があり、その後イエスは再臨において秋の例祭を成就されます。秋に2度目の雨季が始まり、もうひとつの収穫期が来ます。使徒 2 章で引用されたヨエル 2 章は、はっきりと初代教会に見られたものが終わりの日に繰り返されると語っています。
このことは“賜物終結論 (Cessationism)”(御霊の賜物が初代教会で終わったとする説)の誤りに対する最も力強い論拠のひとつです。これを信じる人が間違って考えている、御霊の賜物は使徒とともに終わり、もう見られることはないという教えは、その対極にある“カリスマニア”と同じくらい極端なものです。真実はその中間にあります。御霊の賜物は初代教会に見られ、終わりの日の教会にも御霊の注ぎはあり、再び同じことが見られるのです。
聖霊の降り注ぎはしるしと不思議がその後に続きました。使徒 2 章 16 節から 21 節は、終わりの日の聖霊の降り注ぎもまたしるしと不思議がそれに続くと予告しています。しかし残念なことに、聖霊の降り注ぎとその結果であるしるしと不思議の後には、間違った教理や経験主義の神学、肉欲、霊的な賜物の誤用が続いていました――1 コリントを読んでみてください。今日ではどのようなことが起こっているでしょうか。御霊の賜物の後には、経験主義の神学や肉欲、性的不品行、与え主と賜物を置き換える人々、おかしな教理が続いています。初代教会が抱えていたのとそっくり同じ問題があります。
モーセの律法がクリスチャンとどのように関連しているかということが、使徒 15 章とガラ
テヤ 5 章において、初期ユダヤ人信者の間での対立的な問題となりました。また再び、メ
シアニック・ジューの間でその問題が起きています。過去 15 年間のうちに何万人ものユダヤ人が救われていて、初代教会の時代にあったのと同じ問題を私たちは今抱えています。
福音の動向
初代教会の時代に知られていた世界はローマ帝国や地中海を越えませんでした。しかし使徒 17 章 6 節を読むと、福音が当時の世界をひっくりかえしたことが分かります。マタイ 24
章 14 節では終りの日に神がもう一度地を震わせると主張されています。福音が地の果てまで宣べ伝えられることにより、神はもう一度地を震わせるのです。
韓国のように仏教徒が多数を占める国が、ひと世代のうちにキリストに立ち返ったことを私たちは目撃しています。地球上で最もイスラム教徒が多い国であったインドネシアでは、毎年 100 万から 200 万人ものイスラム教徒がムハンマドに背を向けて、キリストに自分たちの命をゆだねています。福音とキリスト教が西洋世界では衰える一方、発展途上国では急速に拡大しています。また福音はプロテスタント系の国々では衰え、ローマ・カトリック系の国々で爆発的に広がっています。そして異邦人が自分たちに与えられた真理と恵みを拒むにつれて、ユダヤ人が戻ってきているのです。
初代教会において、使徒 1 章 8 節で見られるように、神はユダヤ人を用いて異邦人に福音
を届けました。おそらく黙示録 7 章、また確実にローマ 11 章で『彼らの受け入れられるこ
とは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう』とあることを取り違えてはいけま
せん。神はユダヤ人を通して教会に恵みを与えようとされています。神はユダヤ人を用いて異邦人に福音を伝えようともされているのです。ちょうど1世紀にユダヤ人を用いて異邦人に福音を届けたように、終わりには神は異邦人を用いて福音をユダヤ人のところへ戻されます。それがなされると、神はユダヤ人信者を用いて教会を祝福されます。
反ユダヤ主義の復興
使徒 19 章 33 節、34 節を見ると、初代教会の時代には反ユダヤ主義が勃興していたことが分かります。終わりの日には、私たちは再び反ユダヤ主義が勃興するのを見るでしょう。聖書の中で神に選ばれた者と呼ばれている2種類の人たちは、ユダヤ人と新生したクリスチャンです。このことはすべて創世記 3 章で、神が蛇に向かって、蛇と女の間、蛇の子孫と女の子孫との間に敵意を置くと言われたときにさかのぼります。反ユダヤ主義と教会への迫害はコインの裏と表のような関係です。そのふたつを区別することはできますが、引き離すことはできません。
イスラム教徒はどの人たちを最も嫌っているでしょうか。ユダヤ人と新生したクリスチャンです。鉄のカーテンの背後にいた共産主義者たちはどのような人たちを一番迫害したでしょうか。ユダヤ人とクリスチャンです。ローマ・カトリック教会が何世紀にもわたって十字軍や異端審問、大虐殺などで迫害したのはどのような人たちだったでしょうか。ユダヤ人と新生したクリスチャンです。ロシア正教会が一番迫害したのはどのような人たちだったでしょうか。これもユダヤ人と新生したクリスチャンです。
すべては初代教会にさかのぼります。ローマ政府は教会と敵対した後に、ユダヤ人に牙をむきました。それが紀元 70 年に、また紀元 120 年から 132 年のバル・コホバの反乱で起こったことであり、確実に終わりの日に反キリストがなすことでもあります。反キリストは私たち教会に敵対し、次にユダヤ人に向かっていくでしょう。反ユダヤ主義は広まり、今でさえ、ある再建主義者たちによってそれは教会の中に入り込んで来ています。
マルティン・ルターは、間違いなく神の人でした。しかし彼が行きついた末路はひどく衝撃的なものでした。ルターは、農民の背を刺して殺し、ユダヤ人は囲いの中に集められて、ナイフの刃を突き付けてキリストを告白させなければならないと言い、ドイツ人は自分たちがクリスチャンであることを証明するために、ユダヤ人を殺さなければ非難されるべきだと主張しました。このようなことが現代の教会に再び忍び込んできているのです。
ユダヤ人を滅ぼそうとした腐敗した政治家たちは、いつもそれを神学的に正当化するため
クリュソストモスやルターのような人たちから引用してきました。現代も同じ状況が起こ
っています。私たちの時代に出版されたいくつかの本を読んでみてください。たとえば
『Whose Promised Land?』(約束の地は誰のものか)や『Blood Brother』(血を流した兄弟)などはイスラエルに対してひどい偏見を抱いています。人々はイスラエルに対しての憎しみを正当化し、神がユダヤ人のために抱いている終りの時代の目的を否定する奉仕者たちを見出そうとして、彼らは成功しているのです。しかし神がこの世を贖う計画は最終的にはイスラエルの贖いにかかっています。預言によると神がこの世を救われる計画はイスラエルの救いの計画と密接な関わりがあるのです。イスラエルは神の日時計です。これはユダヤ人の地位が高いとか、すぐれているとかいう意味ではありません。それでもなおイスラエルが神の日時計であることに変わりはないのです。
ローマの復興
ダニエル 7 章 19 節と 20 節、黙示録 17 章 9 節――ローマは初代教会の時代の世界を支配し ていました。私は確信を持って言えるのですが、ダニエル書の第4の獣はローマ帝国が再 編されたものになるでしょう。まだローマは終焉に至っていません。欧州評議会はローマ 条約によって創設されました。私たちが覚えておかなければならないことは、ローマ皇帝 はローマのパンテオン神殿のかしらであったということです。ローマ皇帝に向かってひざ まずいている限り、人はどのような神でも信奉することができました。ヘブライ語で“礼拝 する”と“ひざまずく”という言葉は同じ単語――“ヒスタカボート (Histachavot)”といいます。ローマ・カトリック教徒がマリア像の前でひざまずくとき、それは偶像礼拝の行為なので す。
皇帝を筆頭としてパンテオン神殿に入ってきたすべての神は、皇帝を全宗教と政治の霊的な指導者と認めている限り、人々はどのような神でも拝むことを許されました。皇帝は“ポンティフィカス・マキシマス (Pontificus Maximus)”すなわち“ポンティフ(Pontiff)”と呼ばれていました。コンスタンティヌス帝が首都をコンスタンティノープルに移してから、教皇はポンティフの名を名乗りました。教皇とポンティフは結局同じものになり――異教に物を贈る神がいたので、ポンティフはそれを聖ニコラウスと呼ぶことを決め、異教に愛の神がいたために、それを聖ウァレンティヌス(バレンタイン)と名付けました。アルテミスやミネルヴァなどすべて他の女神はマリアになりました。実質的にローマ・カトリックは同じ偽りの宗教のままなのです。これが終わりの日に再び起こることです。(ポンティフとは実際、橋渡しという意味です。この場合はさまざまな文化と宗教の仲介者となるということ)
ローマ人たちには公認宗教(religio licita)と非公認宗教(religio illicita)がありました。
公認された宗教はポンティフを指導者として認めている限り、許されていました。皇帝に
ひざまずくことを拒んだ非公認の宗教、最終的にこの分類に入る唯一の宗教は私たちの宗教です。ポンティフはキリスト教を非難しました。教皇ヨハネ・パウロ2世は、チベットの仏教徒たちから神として崇拝されているダライ・ラマと会見しました。教皇はゾロアスター教の祭司、まじない師、イスラム教のイマーム、正統派のラビ、カンタベリー大主教などとも会見し、すべての宗教を尊敬していると言い、神として崇拝されているダライ・ラマを“偉大な霊的指導者”として認めました!これが反キリストです。教皇はこの人たちにただ自分をポンティフとして認めるように要求しただけでした。
しかしながら、ポンティフであるヨハネ・パウロ2世が認めなかった宗教がひとつだけあります。7年前にボリビアで、また今から1年も昔ではないサントドミンゴ(ドミニカ共和国の首都)でこの教皇は新生したクリスチャンを“貪欲な狼たち”と呼びました。彼の中にも公認宗教と非公認宗教があります。私たちの宗教を除いてすべての宗教は彼にとって好都合なのです。これがポンティフが2千年前にしていたことであり、今も彼がしていることなのです。
ギリシア語での反キリストという言葉を見ると、それはただ“キリストに対して”という意味だけではなく、“キリストの代わりに”という意味を持っています。教皇のラテン語での称号は“ヴィカリアス・クリストス (Vicarius Christus)”、キリストの代理人というものです。“キリストの代理人”をギリシア語に訳すと“アンティクリストス (antichristos)”つまり反キリストとなります。
これが初代教会において起こっていたことであり、現在にも共通していることです。教皇ヨハネ・パウロ2世はひとつに統合されたヨーロッパにひとつの教会を望んでいると言いました。教皇は同盟を結んだヨーロッパがひとつしか共通に持っているものがないことをとてもよく知っています。それはローマ・カトリックです。聖公会は消え失せて、ローマのもとに下って行きつつあります。カンタベリー大主教であるジョージ・ケアリーは『The Meeting of Waters』(融合)という本を書き、聖公会が教皇の権威のもとに入ることを促しています。ヨーロッパ全域で、違った言語、違った文化、違った遺産を受け継いでいる人たちをひとつにできるのはローマ・カトリックであると教皇は知っています。彼はひとつのヨーロッパにひとつの教会ができることを望んでいるのです。言い換えると、16 世紀また宗教改革以前にあったものに戻ろうとしているのです。ポンティフは初代信者たちに向かってきました。そして今のポンティフが自分のしたいことを行うのなら――今その通りにしていますが――再び私たちに敵対するのです。救われたカトリック信者はバビロンから脱出する必要があります。
初代教会の時代には、多神教のローマは世界中の偽りの宗教の神殿となっていました。ロ
ーマが関わっているインターフェイス会談を見ると、確信を持って私が言えるのがローマその会談は何らかの形で世界の偽りの宗教が集まったもの、そして最後には政治体制と組み合わさったものとなるでしょう。偽りの宗教は信者を迫害しました。使徒 19 章 23 節-
29 節ではアルテミス礼拝に基づく具体例が示されていています。現代では世界中にマリア
礼拝で同じことがあります。マリア自身は救い主が必要だと言ったにも関わらず(ルカ 1
章 47 節)、ローマ・カトリックはそれを否定し、彼女を拝んでいます。
マリアは今までに存在した女性の中で最も偉大な人でした。ヘブライ語で“神の力強い者”
という名前の意味を持つ御使いガブリエルはマリアに言いました。
『あなたはどの女よりも祝福された方です』(ルカ 1 章 28 節)最も偉大な女性は自分自身についてどう語ったでしょうか。
『わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。』(ルカ 1 章 46 節-47 節)
マリアは「私には救い主が必要だ」と言いました。しかしながらローマはこれを否定し、マリアが胎の中から原罪を持っていなかったと主張します。このようなことはローマの中で頻繁に見られるようになります。
The Future History of the Church - Part 3 - Japanese
未来の教会史3
ジェイコブ・プラッシュ
エリヤ 昔と今
これについては説明できることがたくさんありますが、次のように説明しましょう。私たちはまずエリヤについて理解しなければなりません。
アハブ王はぶどう畑を欲しがりました――反キリストはダニエル書で麗しい地に入りました――しかし、アハブは簡単にはそのぶどう畑を取り上げられませんでした。そこで女王イザベルは彼のためにぶどう畑を我が物としようとしました。このことにより、エリヤフー・ハナヴィー(Eliyahu HaNabi)、つまり預言者エリヤとの争いに入ったのです。終わりの日に反キリストはそのぶどう畑を欲しがり、偽りの宗教体制を用いてそれを奪い取ります。このためにアハブはエリヤとの争いに陥ったのです。エリヤ、エリシャ、サムエル、またバプテスマのヨハネはすべてつながりがあります。ミドラッシュ的に、教会が思い付きもしない方法でそれらはつながりを持ちます。教会はギリシア的思考でユダヤ的な本を読んでしまっています。聖書中のどこでも、同じ地理的な場所で起こったことはミドラッシュ的につながりがあります。バプテスマのヨハネの奉仕はどこで行われたでしょうか?エリコの平原です。ここはエリヤの奉仕が終わり、エリシャの奉仕が始まったのと同じ場所です。サムエルは最後のさばきつかさでしたが、最初の預言者でした。バプテスマのヨハネは旧約における最後の人物でしたが、新約における最初の人物でした。使徒たちがユダの代わりを探しているとき、彼らは最初からイエスと共にいた者ではなく、ヨハネの奉仕の頃から共にいた者を探していました(使徒 1 章 21 節-22 節)。ヨハネは重要人物であり、過渡期にいた人物です。新約の時代はヨハネから始まりました。イエスからではありません。
バプテスマのヨハネとサムエルは誕生の際、同じような状況に置かれていました。人が奇跡的な状況で誕生するなら、そこには必ずミドラッシュ的なつながりがあります。エリヤとエリシャ、ヨハネは同じ霊を持っていました。そのように、邪悪な女が王をエリヤに敵対させました。同じことがヘロデヤとヘロデとに起こりました。邪悪な女が王をバプテスマのヨハネに敵対させたのです。これはパターンです。同じことが繰り返し、繰り返し起こります。両者に起こったことはエリヤに対して起こったことであり、それが終わりにも再びやって来ます。これについては語ることがたくさんありますが、とても複雑なもので
す。
アモス 8 章 11 節を見てみましょう
『見よ。その日が来る。――神である主の御告げ――その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。』
物質的なことが霊的なことを反映していることを思い出してください。神殿の幕が裂かれた時、物質的な出来事は霊的な出来事を反映していました。イエスは終わりの日に飢饉がやって来ると言われましたが(マタイ 24 章 7 節)、物質的な飢きんはただ霊的な飢きんの写しにすぎません。バプテスマのヨハネがエリヤの霊をもってやって来たとき、イスラエルには 4 百年間預言者がおらず、彼は飢きんの中にいる神の民を養い、メシアの到来に民を備えたのです。
終わりの時代には飢きんがやって来ます。しかしなんらかの形で神の民はエリヤの霊にあって、養われ、メシアの到来に備えられます。エリヤが雨を止めた方法は、この世で聖霊の降り注ぎが無くなり、聖霊が取り去られることと同じです。しかしエリヤは異邦人の女を超自然的に養いました。彼女は教会の象徴であり、シェバの女王など聖書に登場する多くの異邦人の女と同じです。シェバの女王はソロモンの知恵を聞くためにやって来たとイエスが言われたのを覚えているでしょうか(マタイ 12 章 42 節)。
神の民はその飢きんの時代に養われます。ユダヤのカレンダーには雨が降り注ぐ時期と、収穫期があります。ユダヤ人が黙示録 10 章と 11 章を読んだなら、それをヨシュア記のミドラッシュだと呼ぶことでしょう。そこには同じ数字のパターンがあるからです。黙示録では七つの封印があり、七つ目の封印から七つのラッパが出てきます。数の集合です。それらのラッパは角笛を吹き鳴らす祭りと関連していて、それは最後のラッパ、またヨム・キプールに吹かれるラッパと関連しています――今これに立ち入ることはできませんが、これらのものはすべて一致します。ともあれ、七つある中の七つ目に七の集合があります。そしてその後に黙示録には天に半時間ばかり静けさがあったとあります。(私にとって、この節は聖書の中で最も複雑な箇所です――人の時間の数え方をどのように永遠に適用できるでしょうか。私はこの節を理解できていません)その次にゼカリヤ書で語られているふたりの証人が登場します。最後のラッパが吹き鳴らされると、『この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった』と本文は語っています。
ここでエリコの占領時に起こったことを見ていきましょう。彼らは町の周りを七度回り、
七日間そうしました。しかし七日目になると彼らは町の周りを七度回らなければなりませ
んでした。そうです。黙示録に書かれている同じ数のパターンがそこで登場します。ヨシュア記でエリコに遣わされたふたりの密偵は、裁きが下される前に異邦人の女、ラハブを救い出しに行きました。このふたりは黙示録に出てくるふたりの証人を予め示していたのです。黙示録はミドラッシュを用いてヨシュア記の記述を再現しています。ですが私の知る限り、このような解説をどの注解書にも見つけることはできません。なぜならギリシア的思考を持っている人たちがそれらすべてを書いているからです。
モーセは出エジプトに備えてイスラエルの子らを養いました。ヨセフは飢きんの期間その全世界を養いましたが、モーセはエジプトを去るようにとイスラエルを養ったのです。これはもちろん、復活・携挙の象徴です。最初の過越では暗やみがあり、ユダヤ人たちだけが過越の食事を食べるために家の中に灯りがありました。イエスがご自分の最期に直面されたとき、ご自分の弟子たちに起こることのために彼らを養いました。使徒 20 章ではパウロが彼の最期を覚悟してそこを去る前、上の部屋に行き、パンを裂き、弟子たちを養いました。使徒 20 章にはその部屋には多くのともしびがあったと書かれてあります。目は体の
ともしびです。聖書にはもし目が健全なら、体もまた健全だと書かれてあります(マタイ 6
章 22 節)。ゼパニヤ 1 章にはユダヤ人が過越の際に行う“ベディカット・ハメツ(Bedichat
Chametz)”が暗に示されてありますが、その時期にはそれぞれの家にパン種が無いか、住んでいる人たちが探し回ります。
『その時、わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し、…と心の中で言っている者どもを罰する。』(ゼパニヤ 1 章 12 節)
パン種は聖書の中で罪の象徴です(1 コリント 5 章 6 節-8 節)。ユダヤ人は過越の食事を食べる前に、家の中からすべてのパン種を除き去ってしまわなくてはいけませんでした。それは私たちが主の食卓にあずかる前に人生の中からパン種を除き去るべきであるのと同じことです。もう一度言いますが、昔のブレザレンは主の聖餐について、他のクリスチャンよりも多くのユダヤ的理解を有していました。
『わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し』
終わりの日のイエスが戻って来られる前、正しい教えによってシオンからパン種が除き去られます。
『からだのあかりは目です。』(マタイ 6 章 22 節)
イザヤ書から引用されたエペソ 6 章の武具のことを考えてみてください。それはナホム書
とイザヤ 52 章で語られています
『良い知らせを伝える者の足は、山々の上にあって、なんと美しいことよ。』(イザヤ 52 章 7 節)
エペソ 6 章は次のように忠告しています
『足には平和の福音の備えをはきなさい。』(エペソ 6 章 15 節)
教会はひとつの体です。その足は伝道者です。一方、からだの明かりは目です。これは教師について語っていて、教師とは見て、光(理解)を与える者です。なんらかの形で、エリヤの奉仕は終わりの日において教師のともしびに油を入れることになるでしょう。イエスは使徒たちを養いその後にパンを裂き、5 千人を養い、人々を 50 人に分けて養いました。
50 とは聖霊の数、ペンテコステです。エリヤはオバデヤを通して預言者の子らを 50 人ずつに分けて養いました。その食物はひとつの源から来ましたが、裂かれ、多くの集団に与えられました。私はこれを完全には理解しきっていませんが、これはパターンであり、どのようにしてか再びそのように繰り返されます。
エリヤは終わりの日に他の教師たちを養うようになります――エリヤが誰であれ、皆さんがどう理解しているか分かりませんが。その“エリヤ”がひとりの人物であれ、ひとつの運動であれ、ふたりの人であれ、他のものであったとしても私はここで深入りはしません。私は一旦確実に理解したこと、またどのような意味で、どのような機能があるか聖霊が完全に示してくれたことしか教えません。ヤコブは『多くの者が教師になってはいけません。』(ヤコブ 3 章 1 節)と語りました。神はあなたがた教師でない人たちよりも、私に多くの責任を追及されます。それゆえ、神が私に見せてくださったと確信を持つまで、私は何事も教理的に教えることはしません。
ダニエル 11 章に登場するマカベア家はこの点でエリヤに似ています
『民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。』(ダニエル 11 章 33 節)
箴言の中で、邪悪な女が両刃の剣のような真理を持ち(箴言 5 章 4 節)、油よりもなめらかだと言われています。これが欺きの本質です。もし人が神の知恵に欠けているなら、欺きに対して無防備になります。私たちが両刃の剣よりもするどいものを持っているため、彼らも似たものを持っています。私たちが注ぎの油を持つがゆえに、彼らも油よりなめらか
なものを持ちます。それらが良いわけではありません。しかし偽造されるのです。ダイヤ
モンドに関しても、もしその人が専門的な鑑定能力を持っていなければ、本物と偽造された物の違いを言い当てることはできません。磨かれたガラスや価値の無いものから出来た偽のダイヤでもとてもよく本物に見え、宝石商しか偽物だと分からない場合があります。複製品でもとても優れた品質の偽のダイヤなどは、専門家でさえ最初は見極めるのが難しく、あらゆる種類の焼灼(しょうしゃく)検査を行わなければなりません。同じように、今日のクリスチャンたちが明らかに間違ったものにはまり込んでいるなら――マタイ 24 章は終わりの日についての箇所ではないと言っているリック・ゴドウィン(Rick Godwin)らに騙されているなら――説得力のある嘘に直面した時にどうなるのでしょう?乾いた地で立つことができないなら、ヨルダンの密林においてどうやって持ち堪えられるでしょう?
(エレミヤ 12 章 5 節)また人々が「名を挙げて要求しなさい」などのくだらないものに騙されているなら、本当の欺きが来たときにどうなってしまうのでしょうか?
終わりの日の教会は、数多くのことのために分裂が起こることになります。そのひとつの要素は妥協する教会と、妥協しない教会の分裂です。もうひとつ教会を分裂させることになるものは、イスラエルへの神の役割とその召しです。三つ目は、聖書の権威と、聖書を解釈する方法です。他の事柄もあるでしょうが、この三つの問題のために教会が分裂することになります。エリヤに対して起こったことはこの患難について教えています。
ノアの日のように
終わりの日を示すもうひとつの聖書箇所は『ちょうどノアの日のようだ』(マタイ 24 章 37節)と言われた箇所です。ペテロの手紙では、ノアの直面した問題がひとつの観点から書かれています。ノアは義なる教師で人々に警告をしましたが、もう手遅れになるまで人々は聞き従いませんでした。これがノアの未信者に向けたメッセージです。それは第二ペテロ 3 章 9 節から 10 節にあります。
『主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。』
これを皆さんがどう解釈するか分かりませんが、アインシュタインとオッペンハイマーが発見するまで、誰も原子が分裂する際に爆発的なエネルギーを得るという意味での亜原子
粒子のことを知りませんでした。素粒子物理学などが知られるずっと以前、原子が分裂す
ると誰も考えもしなかった昔から、このガラリヤ出身の漁師は原子を分裂させることが可能であると語っただけではなく、それによって全世界を崩壊させるだけの爆発的なエネルギーを得ることが可能だと書いたのです。これがギリシア語においてまさにこの箇所で語られていることです。
ここでペテロは未信者に向けてのノアの日の警告を語っています。彼らはもう手遅れになるまで聞こうとせず、救われていない人たちは手遅れになるまで私たちの言うことを聞こうとしません。船は教会の象徴です。ノアの箱舟はその寸法によっても何らかのことを意味しています。とはいえ、これは未信者への警告です。彼らが耳を傾けなかったのは、自分たちの罪や不品行で満たされていたからであり、ただ残りの者たちだけが守られるのです。
しかしながら、イエスはマタイ 24 章でノアの日のようになるともう一つの側面から警告されました。
『人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。』(マタイ 24 章 37 節-
39 節)
飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりすることです!未信者は不品行について警告を受ける必要がありましたが、クリスチャンは一時的なものに夢中になることについて警告を受けなければなりません。
飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりすることに何ら悪い点はありません。しかしながら、終わりの日におけるクリスチャンに対しての危険性は、それらがクリスチャン生活の最大の関心事となり、信者がそれに熱中してしまうということです。次のことを覚えておくのはとても重要です。この世にあるもののために私たちは存在しているのではないということです。結婚したり、レストランに行ったりすることに本質的に悪いことはありませんが、それらのものがある人の生活の中心になってしまうと、その人は問題を抱えています。そのような人はイエスの再臨に準備ができていないのです。
それだけではなく、奉仕が偶像となってしまう危険性もあります。神の国を建てる代わりに自分たちの帝国を築いてしまうのです。
『畑にいる者は…』
――宣教の畑にいる者は――
『…着物を取りに戻ってはいけません。』(マタイ 24 章 18 節)
イエスは『あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』と言われました(マタイ 4 章
19 節)。
考えてみてください。弟子たちは夜通し漁をしていましたが、イエスから網を投げる場所を教えてもらうまで何も獲れませんでした(ヨハネ 21 章 3 節-6 節)。漁をすることは伝道の象徴であり、そのように物事は起こります。イエスが彼らの漁を導かれた時、彼らは他の船を呼んで、助けに来てもらわなくてはなりませんでした。イエスさまが私たちの伝道を導かれるとき、同じ奇跡が起こります。ひとつの教会でリバイバルが起こると、それは他の教会にも広がります。
ヨハネ 21 章で漁をしている時、ペテロは主が待っているということを知り、非常に変わったことをしました。たいていの場合、泳ごうとしたなら、シャツを脱いで水に飛び込むでしょう。しかしペテロは自分の上着を着ました。なぜなら彼の上着はイザヤ書や黙示録にあるように救いの衣の象徴だったからです。ヨハネ 21 章 7 節で、「主です」という声があってから彼はすぐさま船から飛び込みました。その時、ペテロは漁をしていたのであって、象徴的に自分の奉仕に精を出していました。しかしイエスが来られるとすぐさま自分の奉仕を忘れました。イエスさまが来たからです。終わりの日には奉仕でさえ偶像になってしまう危険が真にあります。イエスさまがいつも第一優先でなければなりません。私はもっと多くのクリスチャンがこれを考えてくれることを望みます。私自身もよくこれを考える必要があります。
どれくらいの時間が残されているか?
アメリカのバスケットボールを考えてみてください。そこにはほぼ超人的な能力でバスケットボールをこなすアフリカ系アメリカ人選手がいます――彼らの能力は驚くべきものです。彼らにとっては試合の時間があと 2 時間残されていようと、30 秒であろうと関係がありません。試合にたった 10 秒しか残されていないとしても彼らはものすごいエネルギーや活力、集中をもってこなします。彼らはその時間で勝負を変えられると考えているからです。試合に 1 時間残っていたとしても同じことでしょう。しかし試合終了のブザーが鳴る
と同時に、激しいプレーは終わります。私たちもそうであるべきです。私たちも今行って
いることに完全に集中すべきです。イエスさまが戻って来るまでにあと 3 日であろうと、
300 年であろうと関係がありません。私たちは彼らと同じように、変わらない集中力、活力、激しさをもってこの試合をこなすべきです。しかし最後のブザーが鳴るとそれで終わります。これが私たちのあるべき姿です。
いつも真夜中の鐘は鳴ろうとしています。ヨハネはその手紙で今が終わりの時だと言いました。ギリシア語で示されているのは時間が凍りついたというものです(1 ヨハネ 2 章 18節)。イスラエルは諸国民に対しての神の日時計です。なぜ初代のクリスチャンたちは終わりの日だと言ったのでしょうか?これを説明しましょう。
ある日、ハロルドがテレビでラグビーを見ていると、スーザンが言いました。「いつ晩御飯にしたい?」その時、6 時 10 分前だったので「ええっと、あと 10 分たったらにするよ。
ラグビーの試合がもう 6 時で終わるんだ」そう言われたのでスーザンは晩御飯を電子レンジに入れて、ボタンを押しました。すると突然、6 時 10 分前にラグビーのグラウンドで負傷者が出て、レフリーは時間を止めました。医療班が出てきて医者無しにはこの選手を動かせないと言いました。そして医者が来ると、ある決まった運び方をしなければならないから救急車が必要だと言いました。その負傷者についてどうすることも出来ず、ゲームの残り時間は後回しにされました。ですが、試合にあと何分残っていたのでしょう?10 分です。10 分前に試合には 10 分残っていましたが、その時点から試合は前に進んでいません。試合の残り時間はいつも 10 分ですが、その負傷した選手が動かされるといつでも時計は再びスタートします。この時が異邦人の時です。これがイスラエルが神の日時計であるという意味です。
ネブカドネザルは聖書の中で多くのことを象徴しています。彼は聖書の中でとても興味深 く、複雑な人物です。黙示録に登場する七つの教会は、第一世紀の小アジアに文字通り存 在していた七つの教会です。またそれらはいつの時代でも存在する教会の七つの種類、特 に黙示録 4 章までの終わりの時代に存在する教会のことです。一方で、私が確信している のが、それらが教会史の中の重複する期間に関連しているということです。それらギリシ ア語の教会名はそれぞれ意味を持っています。“エペソ”は“継続しない”、“スミルナ”は“没薬”、
“ペルガモ”は“離婚した”、“テアテラ”は“継続するいけにえ”などです(私たちはこのテーマについての詳細な一連の説教を提供しています)。とはいえ、その七つの期間は黙示録 4 章、幻の主要な部分に至るまでに起こっています。ネブカドネザルは切り倒され、彼の周りに鉄の鎖がかけられました。聖書には彼が再び繁栄しないように鉄の鎖がかけられたとありますが、その七つの期間の終わりに鉄の鎖は取り去られ、彼は再び繁栄しました。これは同じことです。私の考える限りでは教会の時代はダニエルの 69 週と 70 週との間に起こり
ました。どのようにかしてルカ 21 章 24 節またローマ 11 章に言われているように異邦人の
時は終わりを迎え、その後に時計は動き始めます。試合にはいつも 10 分残されているのです。時間は凍りつきました。
従って、いつもこの時が“終わりの日”なのです。ノアの日に関して考えると、私たちは未信者に対して不品行を警告する必要がありますが、自分たちに関してはこの人生に執着してはいけないことを警告されなければなりません。ノアの日について理解するために私たちはノアの物語に戻って、それを読んでいく必要があります。
ネフィリム 昔と今
クリスチャンになったばかりの頃、私はドラッグ文化から救い出されたヒッピーでした。私たちはイエスが次の週にでも戻って来られると思っていたので、一日に 8 時間伝道していました。他に何のすることがあったでしょう。その中で他の惑星に住む神々や、UFO を信じている人たちと多く会いました。
ジミー・カーターがアメリカの大統領になったとき、彼は「ビューローレポート(The Bureau
Report)」と呼ばれる文書を機密解除しました。それはアメリカ空軍、NASA、中央情報局によってまとめられたものでした。すべてが機密解除されたわけではありませんが、カーター元大統領は大部分を機密解除しました。彼らは宇宙生物学から地球外生命体の証拠を発見しませんでしたが、多くの人々が超心理学を用いて、地球外のように見える現象を引き起こしていました。これらのことを現実にするカルト信奉者たちさえいました。同じような調査がイギリスでもなされました。ビューローレポートはとても恐ろしい文書です。地球外生命を信じることに科学的な根拠はありませんが、オカルトの中ではきちんと記録された根拠があります。イスラエル人でスプーン曲げを披露しているユリ・ゲラーは、他の惑星の人々が自分をメシアになるよう説得しようとしていると言いました。
堕落した者であるネフィリムは創世記において特異な存在です。彼らはノアの洪水を生き抜いたと思われます。ユダヤ人がカナンの地に来たときに遭遇したネフィリムと、そのネフィリムが同じであったかどうかは、神学者の中でも意見が分かれるところです。誰も核心を握ってはいません。ある人は同じであると言い、またある人は違うと言います。もしそれが同じならば、彼らが何らかの方法で大洪水を生き抜いたということです。ともあれ、彼らは“堕落した者”であり、聖書は彼らが人間の女性と性的に交わったと書いています。
さて、今日流行している“解放のミニストリー”の大半は聖書的な根拠を持たない、ゴーストバスターズ的な無意味なものです。私は真剣に疑っているのですが、これらの人たち大半
が実際に本当の悪霊につかれている人を前にするとそれを対処できるのでしょうか――これは冗談ではありません。私は、悪霊と性的関係を持っていた黒魔術師から悪霊をかつて追い出したことがあります。
アメリカのテレビで、イギリスにいる魔女のことが放送されていて、彼女は救われた時の証をしていて、悪霊と性的な交わりを持っていたことを話していました。他の人も目撃したようです。この種の行為はノアの日にも存在し、終わりの日にも再び現れます。なんらかの形で、ノアの日のように半分悪魔の人間――事実上の怪物ですが――が再び地上に現れるようになります。私たちはオカルト行為の増加、特にこの種の悪魔崇拝を目撃するようになります。それは人が悪霊たちと関係を持つ段階まで至るのです。このようなことはすでに見られるようなっていますが、将来に増加の一途をたどります。
人は完全に堕落しています。私は大学で科学を専攻したので、科学自体を否定することはありません。しかし、人が堕落しているという事実はそこにあります。したがって、科学自体を否定する気はないのですが、堕落した人の手に科学が渡るとき何が起こるかを私は知っています。遺伝子工学を用いて残虐な行為がなされることは想像に難くありません。人は次第にDNA をクローンし、スターリンを再創造したり、スターリンの家系全体を復元したりすることができるようになります。私が大学で生物学を学んでいたときにはサイエンス・フィクションに思われていたことが今この時代に実現しています。もはや空想ではないのです。
私は次のことを確信しています――これは教理的に語っているのではなく、私の意見ですが
――この世は、UFO や地球外生命体などのものが関係する大きな霊的惑わしのために備えられています。それらは例えばデヴィッド・ボウイのアルバムやスピルバーグの映画で見られるものです。聖書は“堕落した者たち”について語っています。天から堕ちた者たち、ネフィリムです。この宇宙は洗浄される必要があります。このような地球外の現象は、現在進行している霊的惑わしの大きな部分を占めると確信しています。私は遺伝子工学の発達を危惧しています――学問の発達自体ではなく、この種の技術が堕落した人の手に渡ることです。それが、“サイエントロジー”やこれらの種類の団体が実際行っているようなカルトと組み合わされれば、行く末は恐ろしいものとなります。なんらかの形でノアの日には悪霊たちの肉体的な現われがありました。これはイエスの再臨の前の終わりの日において、なんらかの方法で再び起こることになります。これ以上推測することはしませんが私は物事が進んで行っている方向が分かります。このような世界に対して私たちは子どもを備えなければならないのです。これを考えてみてください。キリスト教系の学校など信じられないでしょう。
ロトの時代 昔と今
スミルナ、エリヤの時代、ノアの時代のそれぞれは、ソドムの罪と同様になんらかの形で患難について教えています。使徒ヤコブが殉教の死を遂げた後、イエスの従兄弟であったシメオンの指導の下、信者たちはエルサレムからペラと呼ばれる場所、ペトラではなく、ペラへと逃れました。信者たちは教会の携挙が紀元 70 年に起こると考えていたのです。ローマ人たちを通り抜け、救い出された時――ヨセフスがこれを記していますが――彼らはイエスがその時到来すると思っていました。これが携挙の主要な予型です。これは終わりに起こることを教えています。周りを囲まれ、神の民が救い出され、破滅が来るというこの考えは非常に重要なものです。これが紀元前 720 年のサマリアの陥落で起こったことであ
り、またエルサレムの崩壊、紀元 70 年にローマの元で二度目にエルサレムが陥落した時に
起こったことです。これは神の民が救い出され、裁きがやって来るということです。
なんらかの形で、ロトの家族を救い出した二人の天使は、エリコでラハブを救い出した二 人の斥候、また黙示録での二人の証人と関連があります。彼らは皆なんらかの方法で同じ ことを教えています。ロトの娘たちはソドムの崩壊をこの世の終わりのように考えていま した。ロトの妻が振り返り、ソドムに未練を持っていたことはイエスが警告していたこと に似ています――その時が来れば振り返ってはいけません。この世に執着してはいけません。ロトは信仰の弱い信者を象徴しており、彼のためにとりなしの祈りをしていたアブラハム はイエスを象徴しています。塩は腐敗を防ぎます。一旦、塩が腐敗を防がなくなり、光が 差さなくなると、神は真にご自分のものである民のために介入され、裁きが下ります。
終わりの日において、本当の信者でさえも多くの問題を抱えるようになります。ロトがその分かりやすい例で、多くの点で信仰の弱い信者を表しています。ある時点まで彼はあのような邪悪な場所で快適に暮らしていました。
イザヤ書 28 章は旧約聖書の中で、終わりの日に関して最も重要な箇所のひとつです。そこでは終わりの時代のメッセージが語られていて、『この啓示を悟らせることは全く恐ろしい』(イザヤ 28 章 19 節)と言われています。聖書の深い意味が明らかにされるとき、そこには“恐ろしさ”があるのです。ハバククが未来を見たとき、それがとても恐ろしかったので、神に将来を変えてくれるよう願いました。しかしそうはできないと神は言いました(ハバクク 2 章 1 節)。何かとてつもなく恐ろしいことが起こりますが、神は真にご自分のものである民のために介入されます。
ロトの義理の息子たちのことを思い出してください。警告されたとき、彼らはロトの言葉を真剣には受け取りませんでした。それゆえ彼らは救い出されなかったのです。ロトは逃
げ、彼の娘たち、彼の妻も逃げました。彼の妻は救い出されましたが振り返ってしまいま
した。イエスは熱心な信者たち――イエスの再臨を望み、この世に執着していない者のために戻って来られます。このような人たちが再びソドムから救い出されるのです。
取り返しのつかなくなる時
赤ん坊は神の愛の究極のしるしです。未信者の人でもこれを理解できます。夫婦に初めての赤ん坊ができたとして――起こってはほしくないことですが――その赤ん坊の体調が思わしくなく、死に直面しているとき、赤ん坊が引き替えに生きられるのなら、両親は自分のいのちさえ惜しくないと思うでしょう。神は、ご自身がどれだけ私たちを愛しているかを教えようとして、そのような愛を創造されました。イエスは私たちが生きるためにご自分のいのちをささげました。赤ん坊は両親をひどくイライラさせるかもしれません――夜泣きをしたり、色々なことをするでしょう――ですが、それでも親は「これが私の赤ん坊だ。この子のために死ぬこともできる」と言うのです。神はご自身がどれくらい私たちを愛しているかを教えようとしてこの愛を創造されました。
イスラエルが取り返しのつかなくなった時は、悪霊たちやモレク、他の神々に自分たちの子どもを犠牲にした時です。現代の社会では中絶がなされる理由として医療的なもの――子宮外妊娠や膣がん、など――すべてを除いたとしても、西洋諸国でなされている中絶のほんのわずかの割合にしかなりません。大半の中絶が非医療的な理由でなされています。言い換えると、社会的または経済的な理由なのです。イエスさまはこれを「マモン(富の神)崇拝」と呼びました。注意してください。医療目的ではない中絶は神学的に、また霊的に悪霊崇拝とつながっています。神はイスラエルをそのために裁かれ、またアメリカとイギリスに対してもこのために裁きを行われます。人がこの神の愛の究極のしるしを悪霊にささげるなら、それが神の忍耐の限界となります。これにはまた戻ってきましょう。
ソドムの罪は同じようなものでした。私たちは人間の性についての神学を理解する必要があります。聖書は、キリストが教会のかしらであるように、夫は妻のかしらだと語っています(エペソ 5 章 23 節)。クリスチャン生活でのセックスは、イエスがご自身の花嫁のところに入り、実り豊かにすることの反映です。これは結婚における性的な愛が、性欲をかき立てるものでないとか、楽しいものではないと言いたいのではなく――それは聖なるものであるということです。創世記では神が共に下ってきて、創造者としての愛をもって、被造物を生み出しました。複数である神は共に下ってきて――ヘブライ語は“エハッド”――“複数からなる一”であり――被造物を創りました。神は私たちを神の御姿に似せて創造されました。したがって、神の愛にあって男性と女性が子を産むとき、
私たちは神の創造を再現しているのです。神は被造物を生み出した方であり、私たちは
神の御姿に似せて造られたので、私たちも子を産むように造られています。神が意図した人の性は神格の中の関係、また教会とキリストの関係にさかのぼる深い霊的な重要性を持っています。サタンの明確なしるしは、いつも神と反対のことを試みるということです。神の設計した性的な関係は喜びを受け合い、与え合う関係であり、異性愛のものです。現代世界にはびこる最も大きな二種類の性的倒錯は、疑う余地もなく同性愛とサディズム/マゾヒズムです。神の反対を行うという原則のために、これらのものはどちらも明確なサタンの特徴を有しています。異性愛の代わりに、性はねじ曲げられ同性愛になっています。喜びを与え合い、受け合う代わりに、セックスは痛みを与え、受け合うものとなっています。私は結婚したカップルが積極的なセックスを楽しむのが悪いと言っているのではありません。私は性の倒錯を憂慮しているのです。
ポップシンガーのマドンナがタイムズ紙かニューズウィークマガジンで昔取材を受けていました。私はそれを読んでいました。彼女はセックスについてのビデオを出していて、内容の大半がサディズムとマゾヒズムでした。彼女がこれについて聞かれ、なぜそこに性的魅力を見出すのかと尋ねられると、彼女は自分がローマ・カトリックの家庭で育ったために、厳しい男性の権威に辱められ、罰せられるのが好きだと答えたのです。皆さんがローマ・カトリックをご存じなら、彼女はある点で的を射ています。ローマ・カトリックは十字架の否定を通して、人々の上に罪悪感を植え付けます。十字架が罪悪感を取り去るものであるために、その十字架を取り去り、ミサの教理と共になるとローマ・カトリック教徒たちは深い罪悪感の問題を抱えるのです。多くの場合、ローマ・カトリック教徒が救われると、この罪悪感のコンプレックスから抜け出すには多くの時間がかかります。
私たちの社会には同性愛とサディズム/マゾヒズム両方が増え広がっています。最近ロンドンでは、レズビアンの女校長がいる学校が、ロメオとジュリエットを授業の一環で子どもたちに見に行かせるのを拒否しました。それはロメオとジュリエットが「あからさまな異性愛」だったからです。これはソドムの終わりの日を描いています。またイギリスとアメリカの終わりの日も描き出しています。裁きは神の家から始まり、それには“キリスト教系”諸国も含まれています。例を挙げると、ハリウッドやマリブで起こっている地震や山火事、地滑りなどの増加があります。神はイスラエルをこれらのために裁き、西洋諸国もそのために裁かれます。私たちはイスラエルよりひどいことを行ってきたので、イスラエルより罪深いのです。
偽預言者 昔と今
さらに、聖書は「バビロンは倒れた」と語っています(イザヤ 21 章 9 節、エレミヤ 51 章
8 節、51 章 44 節、51 章 49 節、黙示録 14 章 8 節、18 章 2 節)。聖書はエレミヤとイザヤからこのテーマを取り、黙示録で用いています。またそれは神殿が崩壊するというダニエル書のテーマと共にです――マタイ 24 章を見てください。エレミヤやダニエル、イザヤたちはバビロン捕囚に至る前に現われた預言者たちでした。この期間――捕囚に至るまでと捕囚時――にイスラエルに起こったことは、この世の終わりに起こることの象徴です。このために黙示録とマタイ 24 章はこれらのテーマを繰り返し、イスラエルと教会に対して様々な方法で適用しているのです。
エレミヤ 5 章 30 節から 31 節を見てみましょう
『恐怖と、戦慄が、この国のうちにある。預言者は偽りの預言をし、祭司は自分かってに治め、わたしの民はそれを愛している。その末には、あなたがたは、どうするつもりだ。』
預言者たちは偽って預言をし、指導者たちは自分の権威で人を導き、それを神の民は愛していました。現代のひとつの例は、ジョン・ウィンバーとポール・ケインが主の御名によって偽って預言した後に、それを信じた同じ人たちが再び彼らを見にバスに乗って行っていた事実です。エレミヤは彼らの国に下る神の裁きを警告していました。同じ 5 章の 27 節を見てください。
『彼らの家は欺きでいっぱいだ。だから、彼らは偉い者となって富む』
彼らはラオデキヤのように、物質的に富んでいるために神から祝福され、神の好意を得ていると考え、裁きがすぐそこに迫っていると認めたくはありませんでした。それがラオデキヤの教会です。エレミヤは真実を語っていました――「神の裁きが来る。悔い改めなければならない」ですが彼らは「いいえ、私たちは富んでいて、神は私たちに金持ちになってほしいんだ」と言います。エレミヤは裁きを警告していたのに、人々は否定していました。私たちは同じことを現代の「繁栄の信仰」を教える説教者たちや再建主義者たちのうちに見ます。「預言者は偽りの預言をし、…わたしの民はそれを愛している」気付いてほしいのが、彼らのことを「わたしの民」でないとは言っていないということです。
エレミヤ 28 章を見てください。ハナヌヤはカンザスシティーのにせ預言者たちのように、起こりもしない大それた予測を立てました。15 節ではこう言われています
『そこで預言者エレミヤは、預言者ハナヌヤに言った。』
――彼が預言者でなかったとは言われていません――
『「ハナヌヤ。聞きなさい。主はあなたを遣わされなかった。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。それゆえ、主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたを地の面から追い出す。ことし、あなたは死ぬ。主への反逆をそそのかしたからだ。』」』(エレミヤ 28 章 15 節-16 節)
ウィンバーよ、あなたは神の民を偽りに拠り頼ませた。ボブ・ジョーンズよ、あなたは神の民を偽りに拠り頼ませた。ポール・ケインよ、あなたは神の民を偽りに拠り頼ませた。彼らは実際そうしたのです。これは事実であり――彼らのビデオや本を読むと、彼らが同じことを行ったことを確かめられます。これが当時起こったことであり、イエスはご自身の再臨の前にこのようなことが起こると言い、現在まさに同じことが起こっています。このような人たちはグノーシス主義であり、エキュメニズム的です。「ローマ・カトリック教徒のまま死者に祈ってもよろしいですよ。神はそれを忌むべきことだと呼んでいますが、何ら問題はありません」と彼らは教えます。バビロン捕囚に至るまで、また捕囚時に起こったことは終わりの日の教会に起こることの主要な象徴です。またソドムとゴモラ、アハブとイゼベルに対峙したエリヤの生涯、スミルナの教会の時代、ノアの日、イスラエルとサマリアの終わりの日々にも同じことが言えます。そして、バビロン捕囚以前に神の裁きを引き起こしたのは子どもを悪霊にささげる行為であり、医療目的でない中絶は神の裁きを西洋にもたらす要因になると私は確信を持っています。
同じように、イスラエルの社会がバビロン捕囚以前に秩序を無くし、神の差し迫った裁きの特徴があらゆるところに現われたとき、人々は「私たちは富んでいる。神は私たちに金持ちになってほしい。私たちは勝利を得る。王様の子どもたちだ。エレミヤ、あんたは偽預言者だ」と言っていました。これは今日も同じです。神の来るべき裁きの特徴があらゆるところに現われ、社会は秩序を無くしています。しかし、人は神が私たちを富ませようとしているだとか、私たちは王様の子どもだ、勝ち誇る教会だと吹聴して回っています。そうです。これがイエスがマタイ 24 章で繰り返し警告していたこと、教会を欺く偽預言者のことです。
リック・ジョイナーは『収穫(The Harvest)』という本を書き、共産主義の繁栄を実際に予測し、それが発展途上国全体を飲み込み、アメリカの一部にまで広がり、西洋の主要な他の場所にも及ぶと語りました。しかしながら、それとまさに正反対のことが起こりました。それでも人々はこの男や彼と似たような人たちが真実の預言者であるかのように従っていくのです。「預言者は偽りの預言をし…わたしの民はそれを愛している」
用語が再定義される時
列王記や歴代誌、またエレミヤやイザヤ――捕囚に至るまでの過程を読むとき、私たちは終わりの時代について読んでいます。箴言 5 章 10 節を覚えているでしょうか、
『そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。』(箴言 5 章 10 節)
ヒゼキヤ王は自分の富をバビロンの王に見せてしまいました(2 列王記20 章 12 節-18 節)。終わりの日には、バビロン、偽りの宗教制度の繁栄が起こります。彼らは主の宮の宝を欲しがります。福音派たちがエキュメニカルになるとき――ジョン・ウィンバーやジョージ・ケアリーなど――彼らは私たちの宝をバビロンの王に見せ、バビロンの王はそれを奪い取るようになります。バビロン捕囚以前に起きたこと、またそれを引き起こしたこと――子どもをささげること、バビロンの王に私たちの宝を見せること、真実の預言者に聞き従わず偽預言者たちに従っていくこと、神が私たちを富ませたいと思っていると考え自分たちが富んでいるため大丈夫だと思うようになること――これらと同じことが終わりの日に先立って起こるようになります。
このグノーシス主義すべて、またその他の誤りはどれもエリート主義、簡単に言うと、霊的な高慢に基づいています。これに注意してください。私は最近、ロジャー・フォスター
(Roger Foster イギリスで始まった信者の行進運動の創始者のひとり)から手紙を受け取りました。私が彼に対して霊魂消滅説が間違っていると言ったことが気に入らなかったようです。彼は永遠の地獄は無いと主張していたので、私は地獄に関して「永遠に」続くと使われているギリシア語を見せ、その同じ言葉が神の栄光またイエスの大祭司職、私たちの救いに関して使われていることを示しました。それゆえ、もし地獄での苦しみが永遠のものでなければ、神の栄光も、イエスの大祭司職も、私たちの救いも永遠のものでなくなるのです。未信者の人たちに悔い改めてイエスの元に来なければ、死んだ時に存在は消えてしまうと言ったなら、彼らは「だから何なんだ?おれたちもそう信じているじゃないか」と言われるでしょう。残念ながらこれがマーチ・フォー・ジーザス(March for Jesus)の背後にある神学なのです。それがグラハム・ケンドリック(Graham Kendrick)とロジャー・フォスターの信じていることです。人々はそれに気付いていません。私はクリスチャンが共に立ちあがってイエスの御名を宣言し、福音を宣べ伝えることに賛成です。ですが支配主義神学では空に向かって宣言することが伝道と置き換えられています。グラハム・ケンドリックはとても才能に恵まれたミュージシャンであり、讃美歌作者です。おそらくチャールズ・ウェスレー以来の逸材だと人々は言います。しかしながら、彼の曲のすべてにはこの支配主義――「私たちは宣言する、私たちは公表する、勝利を収めている」などの
考えが含まれています。本当の問題は次のものです。グノーシス主義を対処するとき、そ
の支持者たちは私たちと同じ用語をいつも用いていますが、その用語に違う意味を持たせているということなのです。これを説明しましょう。
ローマ・カトリックの神学者とプロテスタントの神学者が神学フォーラムでエキュメニカルの対話をしたとしましょう。プロテスタント側は「私たちは恵みによって救われた」と言い、イエズス会側は同意して「そうです、私たちは恵みによって救われました」と言うでしょう。どちらも意見を同じくし、宗教改革が間違いであったかのようです。しかしながら、“恵み”を意味するヘブライ語は“ケセッド(chesed)”であり、それは契約の中にある神の慈しみです。ギリシア語では“カリス(charis)”であり、“賜物”を意味します。英語の意味は“受けるに値しない好意”であり、ラテン語の“グラジア(grazia)”から来ました。したがって私たちが“恵み”のことを話すとき、このようなことを私たちは考えるのです。しかしながら、ローマ・カトリック教徒にとって恵みとは、祭司による秘蹟によって得られる何かこの世のものではない物質なのです。それゆえ、両者とも「私たちは恵みによって救われた」と同意することができますが、“恵み”という言葉によって、二つの全く違ったことを意味しているのです。
ニューエイジ運動に関わっている人に証をする時、あなたは「私は光を見た」と言うかもしれません。そう言うのは、ヨハネ 1 章に書いてあるこの世に来た真実の光のことを考えているからです。ですが彼らも答えてこう言うでしょう。「私も光を見ました」。ただ彼らは「宇宙意識を悟ること」について語っているのです。どちらの人もそれぞれの証をするときに、光を見たと言うことはできますが、どちらも“光”という言葉の定義によって二つの違うことを意味しているのです。
同様に再建主義者たちが“勝利”や“御国”、“征服”、“支配”、“宣言”などの言葉を使うとき、彼らは私たちが使っているのと違う意味を持たせています。このような人たちはちょうどローマ・カトリック教徒や、ニューエイジ信奉者のように、聖書的な用語を非聖書的な方法で用いるのです。実際ローマ・カトリック、再建主義、グノーシス主義はすべて同じ場所から発生しました。それはアレキサンドリアです。それらはみなアレキサンドリア神学に根を下ろしています。
神殿 昔と今
私たちは神殿についての考えをここで話す必要があります。イエスはこの世の終わりについて話す際、マタイ 24 章で紀元 70 年の神殿崩壊について話し始めました。イエスは『こ
の神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう』(ヨハネ 2 章 19 節)と言
われました。彼はそこでご自分の体について話しておられたのです。
人は神の御姿に似せて造られています。私たちは神殿のようです。コリント人への手紙でパウロは「あなたがたは聖霊の宮であることを知らないのですか」と言いました。神殿は箱の中に箱があり、またその中に箱があるというものです。外庭があり、そして聖所、またコデシュ・コデシーム(Qodesh Qodeshim)すなわち至聖所があります。外庭は私たちの物質的な体と関連しています。聖所は私たちの思考や感情、知性を象徴しています。私たちのたましいです。至聖所は私たちの内に神の霊が宿るところに関連しています。これを理解するとクリスチャンから悪霊を追い出すといわれる多くの混乱状態が分かり、それを撲滅できます。しかし、クリスチャンであっても悪霊の影響下に置かれる可能性はあり、圧迫されることや、体や、時にはたましいまで侵入されることがあるでしょう。しかし悪霊に“憑かれる”ということは、内なる人の中に悪霊が入ることを指しており、その場所はクリスチャンにとって神の霊が宿る所なのです。これはあり得ません。イエスに従っているクリスチャンが悪霊に憑かれることはあり得ません。ギリシア語の“エクバロー(ekballo)”という言葉は“投げ出す”という非常に強い意味を持つ言葉です。私たちはそこから“バリスティック(弾道学)”という言葉を得ています。そのギリシア語は聖書中のどこにおいてもクリスチャンとの関わりで使われることは一度もありません。
イエスはご自分の体のことを神殿と呼ばれました。覚えているでしょうか。イエスの最期の日々に起こったことは初代教会にも起こり、そして使徒たちの終わりの日々にも起こったということを。これらのことは終わりの日の教会に何が起こるかということを共に教えています。再びヨハネ 2 章 19 節を見てみると、イエスは言われました
『この神殿をこわしてみなさい。わたしは、…それを建てよう』
物質的な神殿はイエスの体の象徴でした。ヘブライ語でホセアのことは“ ホシェア
(Hoshea)”と呼ばれます。この“シェ(sh)”の音はヘブライ語の構造のためにイエスとのつながりを示しています。ヘブライ語は語根に基づいています。あるふたつの違った言葉でも同じ語根があれば、ふたつの言葉はたいてい互いに何らかの神学的つながりを持っています。ミドラッシュでは同じ語根、ショーレーシュを持つ言葉はその解釈において、たいてい確立したミドラッシュ的なつながりがあります。ホセアのその“シェ”という語根は
“救い”を意味しています。イエスの名前はイェシュアでした。イザヤの名前はイシャヤフーであり、ヨシュアの名前はイェホシュアでした。その“シェ”の音があればいつでも救いと関連した意味があり、その“シェ”の音を持った人物はすべてイエスについて何らかの方法で教えています。
ホセア 6 章 2 節を見てみましょう
『主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。』
ここで分かることがあります。イエスに起こることは私たちにも起こるのです。新約聖書は七箇所で教会が“神殿”または“幕屋”だと言っています。聖霊はレンガを接着させるセメントのようなものです。第一ペテロ 2 章 5 節には
『あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、』
とあります。教会は聖なる宮、神殿であり、私たちがそれを構成する石です。ヘブライ語で“交わり”は“ヒートハブルット(hitchabrut)”といいます。ペテロの書簡はユダヤ人に対して書かれ、彼の奉仕はガラテヤの手紙で言われているように、主にユダヤ人に対してでした。それゆえ彼はとてもユダヤ的な視点から手紙を書きました。ユダヤ的な“交わり”の考え方は“ヒートハブルット”、つまり“組み合わされたレンガ”なのです。教会に来るということはひとつのことですが、交わりに入るのは別のことです。誰でもその建物に入ることはできますが、壁の中のレンガとなることは全く違ったことです。私たちの壁にひとつのレンガが欠けていたなら、その建物には何か問題があります。もしあるクリスチャンが教会に組み合わされていなければ、何か教会に問題があるのです。彼や彼女は組み合わされるべきです。私たちはその石だからです。
ミドラッシュ的にシュロの主日には何が起こったでしょうか?ルカ 19 章 37 節から 40 節に
は次のようにあります。イエスさまが神殿の丘に来たとき、人々は詩編 118 編からのハレル・ラバーを歌っていました――「ダビデの子にホサナ!」そこでパリサイ人は驚いて、静まらせるように言いました。しかしイエスは『もしこの人たちが黙れば、石が叫びます』と言い、神殿のヘロデによって据えられた石を指し示しました。言い換えると、「ユダヤ人がわたしをメシアだと宣言しなければ、クリスチャンが宣言する」ということなのです。パリサイ人とユダヤ人指導者たちは、自分たちがアブラハムの子孫だということで特別だと考えていました。しかし荒野にいるバプテスマのヨハネのもとに行くと、ヨハネは『神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになる』(ルカ 3 章 8
節)と言ったのです。何らかの形で、イエスの体に起こったことは紀元 70 年の神殿の崩壊
の際に繰り返されました。使徒 15 章ではダビデの幕屋が教会として建て直されるとアモスから引用されています。これは私たちにも起こることです。神殿は再び崩壊しますが、栄光のうちによみがえります。
初代教会は神殿のすぐ外にあるソロモンの廊で会合していました。神が古い神殿を壊そう
としているまさにその時に、すぐ隣に新しい神殿を造り始めていたのです。新しい神殿の準備が出来ると古い神殿は取り壊されました。これは私たちも同じことです。神は新しい神殿、新しい幕屋を建てようとされています。
エルサレムにあるその古い神殿は崩壊して、紀元 70 年の帝政ローマの侵入と共にその場所に荒らす憎むべきものが据えられました。それは神の宮に対する政治的支配を象徴していました。エラストゥス主義(Erastianism)、または国家的教会に注意してください。その考えは全くもって危険なものです。イエスが『カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい』(マタイ 22 章 21 節)と言われたとき、三つの問題を扱っておられました。最初の問題は、旧約のユダヤ教の中でも、ある種の国家と教会の分離があったということです。王はダビデの子孫でなければならず、大祭司はアロンの子孫である必要がありました。これはマカベア家時代の後、ハスモン王朝時代のヨハネ・ヒルカヌスの治世(紀元前 134-104)に複雑になってしまいました。この背景からイエスはこのことを扱っていました。
二つの契約間のつながり
二つ目の問題は二つの契約の間にある区別でした。エレミヤ 31 章に言われているように、新しい契約は古いものとは違ったものとなります。
『わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、…彼ら(先祖たち)と結んだ契約のようではない。』(エレミヤ 31 章 31 節-32 節)
彼らは国家的教会を持っていました。エレミヤの時代の民は国家的な契約に属しているため、自分たちは神と正しい関係にあると考えていました。エレミヤは「新しい契約はもはやそのようではなくなる。神はあなたの心にご自分の律法を記される。個人の応答に基づくものとなる」と語りました。バプテスマのヨハネも同じことを語りました。イエスは来て、その国家と教会の関係を取り除きました。神殿は崩壊したのです。
後にパウロはローマ 2 章で「それはもう終わった。新しい契約は古いものとは違ったものになる」と書きました。しかしイエスが取り除くとエレミヤが語ったまさにそのこと、バプテスマのヨハネが予告したまさにそのこと、イエスが死をもって取り除いたまさにそのこと、またイエスによって取り除かれたとパウロが確信していたことをコンスタンティヌス帝は元に戻しました。その後、宗教改革者たちは聖書に戻ることをせず、元に戻してし
まいました。カトリック系国家教会の代わりに、今度はプロテスタント系国家教会が出来
たのです。真の意味で教会を聖書に立ち返らせるために必要なことは、初めに国家と教会の非聖書的な婚姻関係を崩すことでした。第二のことはアウグスティヌスの「目に見える教会と目に見えない教会(The Visible and Invisible Church)」という偽りの教理を取り除くことでした。なぜならそれは教会が信者と未信者で構成されると教えていたからです。このような人たちはこれを取り除くことに失敗したので、本質的に古い契約の元に戻ってしまいました。
覚えておいてほしいのが、サタンは教会を異教化する前にユダヤ教化したということです。ローマ・カトリック主義とプロテスタント主義はどちらもユダヤ教化されています。彼らはエラストゥス主義、国家的宗教に戻り、どちらも数世紀にわたって相容れない信者たちを迫害しました。反キリストは最終的にそのように教会と国家を結婚させます。これがイエスさまが三つ目に警告していたことです。国家宗教は完全に非聖書的なものです。事実、本当の終末論が暗示していることを理解するなら、それは忌むべきものです。イギリスはジェームズ王(キングジェームズ)のような同性愛の王をいただき、今はニューエイジの国王が王座につこうとしています。その王たちすべてが本来キリストに冠せられるべき
――“教会のかしら”という称号を付けています。
使徒の働きを読むとき、それはただ単に過去の歴史を読んでいるのではありません。私たちは未来の歴史をも読んでいます。エレミヤやイザヤ、バビロン捕囚時の王たち、また捕囚に至るまでのことを読むとき、私たちは過去の歴史と共に未来の歴史をも読んでいるのです。同じことがダニエル書やダニエルが予告したマカベア家の歴史、ソドムとゴモラ、ノアの日についても言えます。イザヤ書には神は『終わりの事を初めから告げ』ているとあるのです(イザヤ 46 章 10 節)。
船の象徴
今、最終的な描写を見ます。再び言いますが、これは象徴です。私はこれを教理の基礎としているのではなく、真理を説明するものとして用いています。マルコ 4 章と 6 章では船が波に飲まれそうになる記事を読みます。これは患難の中にある教会の象徴です。地はイスラエルと関連していて、海は国々と関連しています――「なぜ国々は騒ぎ立つのか」などの箇所です。とはいえ、最終的な船は使徒 27 章に見られるものです。そこでパウロはマタ
イ 24 章 45 節で時に従って食べ物を与える忠実なしもべのように、また世界中を養ったヨセフのように、出エジプトに備えるためイスラエルの子らを養ったモーセのように振る舞っています。この象徴を見てみましょう。使徒 27 章 1 節から
『さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人
の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。』(使徒 27 章 1 節)
思い出してください。パウロはカイザルの前に立たなければなりませんでした。カイザルは反キリストの象徴です。2 節、3 節
『私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。』(使徒 27 章 2 節-3 節)
(つながりが理解できるなら)ダニエル書にあるように彼らは「小さな助け」を受けました(ダニエル 11 章 34 節)。そして 4 節、
『そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。』(使徒 27 章
4 節)
ギリシア語での“風”は“ニューマ(pneuma)”であり、ヘブライ語では“ルアハ(ruach)”です。どちらも“霊”と同じ言葉です。
風には良いものと悪いものがあります。最も悪い風は北東からの風です。地中海に北東からの風が吹くとき、それはガリラヤのカルメル山脈を通り、ガリラヤ湖に吹き下ろし、荒々しい波を引き起こします。カルメル山脈の峡谷はピストン効果を生み出し、ガリラヤ湖に激しい波を作り出します。これがパウロの乗った船が遭遇した風です。ユダヤ人のカレンダーを見てみるなら(それは農耕用のものですが)、雨が降る時期と風がどの方向に吹くかが分かります。歴史の中で大きな影響を持つ霊的な力があったように、風にも向かい風と良い風があります。しかしながら最後にはその霊的な力はこの上なく敵対するようになります。5 節を続けて読みましょう、
『そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、「皆さん。この航
海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失
が及ぶと、私は考えます」と言った。しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。』(使徒 27 章 5 節-13)
パウロは自分たちが困難に突き進んでいることを知っていました。彼はそれをどう避けるかを警告しましたが、大多数は本当に何が起こるかを知っている人に聞き従おうとしませんでした。そして風向きが変わり、状況が良くなったとみえると「ほら、あんなやつに従わなくてよかったじゃないか」という態度を示したのです。
再建主義者たちは鉄のカーテンが崩壊した時、「ほら、ハル・リンゼイはおかしいといったじゃないか。ロシアはイスラエルに侵略なんかしない」と言いました。しかしロシアにおける反ユダヤ主義は当時から高まる一方で、旧ソ連に属していた 4 つのイスラム教国がありますが、少なくともそのひとつが核兵器を備え、イスラム原理主義が隆盛を極めています。これは同じことです。『人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります』(1 テサロニケ 5 章 3 節)
米ブッシュ元大統領は“新世界秩序(New World Order)”について語りました。数週間後、彼と英メージャー元首相はペルシア湾岸諸国に数万もの軍隊を投入して、それは第二次世界大戦以来の大きな戦争となったのです。次に彼らはサダム・フセインが新世界秩序の脅威になると考え、彼を取り除こうとしました。しかし彼はまだそこにいます。そして次にユーゴスラビア、中東と続きました。世界のどこにも長く続く平和は無く、特に世界のその特定の地域に平和は存在しません。これはダビデの子、平和の君がユダヤ人とアラブ人に認識されるまで続きます。中東には偽りの平和があります。私はそれがゼカリヤの預言した偽りの平和であるかは確信が無いのですが、もしそうでないとしても、確かにその前触れとなるものでしょう。物事は改善していくように見えます。しかし思い出してください。これはまるで陣痛のようなものです。少しの間痛みはましになるかもしれませんが、子宮収縮は次第に強さを増し、前回よりも激しさを増します。
世のものを取り除く
使徒 27 章 14 節で次に起こることを見てください
『ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそ
れに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。』
教会はその進む方向と目的地を自分の力ではコントロールできませんでした
『しかしクラウダという小さな島の陰に入ったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。』
彼らは方向を制御することを諦め、ただ船が浮くことだけに気を遣っていました
『私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、』(使徒 27 章 14 節-18 節)
初代信者たちはこの世のものを捨て去らなければなりませんでした。終わりの日において、私たちは注意深くしていなければ、自分の持っているものに所有されるようになります。私たちに必要な態度は、私たちが持つものすべてはイエスに属しているというものです。もし私がお金持ちであっても、現実には一文無しですが、それは私のものではありません。私はただイエスに属するものの管理人だからです。反対に、もし私が何も持っていず、4 年間も無職だとしても、実際私は富んでいます。なぜなら私はキリストとの共同相続人だからです。これ以外の態度は非聖書的で、不健全であり、私たちを問題に突き当らせるものです。彼らは船を救うために積荷を投げ捨て始めました。ブラジルにいるとても貧しいクリスチャンたちを私は知っています。彼らは自分たちの家や車を売って教会を建てます。西洋のクリスチャンはそのような自分たちの積荷を捨て、自分たちの教会を救うためにこの世のものをはぎ取ることを良しとするでしょうか?そのような人は多くはいないでしょう。
さらに 19 節から見てみると
『三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。』(使徒 27 章 19 節)
太陽も星も光を放ちませんでした。イエスはアブラハムに彼の子孫は天の星のようになると言われました。星が光を放たないとき――アブラハムの子孫たちがその光を隠すとき――
イエスの栄光は不明瞭になります。イザヤ 13 章 10 節から 11 節には次のようにあります
『天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。わたしは、その悪のために世を罰し、その罪のために悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。』(イザヤ 13 章 10 節-11 節)
これが使徒 27 章で起こったことです。船は暴風に翻弄されていました。何が起ころうとしているかを知っている人たちは大多数によって無視され、その大多数は真理を知りたがりませんでした。
カリスマ派運動に何がこれから起こるかを知りたいなら、イザヤ 24 章 7 節を読んでください
『新しいぶどう酒は嘆き悲しみ、ぶどうの木はしおれ、心楽しむ者はみな、ため息をつく。陽気なタンバリンの音は終わり、はしゃぐ者の騒ぎもやみ、陽気な立琴の音も終わる。』(イザヤ 24 章 7 節-8 節)
これがカリスマ派運動の終焉です。みことばの真理に基づいている限り、喜びと礼拝には活躍の場があります。一旦自分たちの教理を経験に基づかせてしまったり、聖書以外の基礎を持ってしまうと何も喜ぶことは無くなります。その先には滅びしか期待すべきものがありません。しかしながら、イエスさまは私たちを保とうとされています。
危機における正しい声
使徒 27 章の 21 節から続けると
『だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。』(使徒 27 章 21 節)
もし人々が真理を語っている教師に聞き従い、聖書の方法で群れを導いている牧師に従う知恵を持っていたなら、教会に起こっている大半のことは理論上、避けることができたものです。しかし人々は耳をくすぐる者たちに従っていきます。現代、アメリカにいる有名な再建主義者たちや繁栄の説教者たちは大きな教会を持っています。なぜ彼らの教会が大きいかを知っているでしょうか?人々がそこで救われているからではありません――人々はそのような教会で救われたのではないのです。ペンテコステ派教会についていえば、彼
らはデイビッド・ウィルカーソンやニッキー・クルーズ(Nicky Cruz)などの伝統的なペンテコステ派の教会で救われています。再建主義者たちや繁栄の説教者らが大きな教会を持っている理由は、繁栄の福音や神の国は今という神学をもって耳をくすぐられたい人々を他の教会から引き込んでいるからです。もし、人々が神のことばに従い、その警告に注意していたなら、理論的には教会に来る大半の破滅や裁きを逃れることができたでしょう。
22 節を読むと
『しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』』(使徒 27 章 22 節-24 節)
私が確信していることは、イエスの戻って来られる前に悪霊による活動が増えるだけでなく、天使による活動も増えるということです。25 節から
『ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。』(使徒 27 章 25 節)
パウロの自信と落ち着きとを見てください。ただのいんちきと聖霊が語られた時の油注ぎとの違いは聖霊の声を聞いていたなら分かります。26 節から
『私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。』(使徒 27 章 26 節-29 節)
14 という数字は興味深いものです。ユダヤ人の系図は 14 という数字、7 の二倍を重要だと見なしています。彼らは自分たちの意図する議論にとって重要な神学的意味を持つ先祖だけを系図に載せました。例えばイエスの系図では、イエスがメシアだと示そうとするマタイの神学的理論に従って神学的重要性のある人だけが、14 人ごとに載せられています。14とは次の出来事に移行する中間状態といえます。良い例は何といってもマタイ 1 章 17 節です
『それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移
住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。』(マタイ 1 章 17
節)
これが聖書で頻繁に用いられている 14 という数字のひとつの例です。このパターンはパロ
の幻にも登場します。パロは 7 年間の幻を二度見ます。その収穫と飢きんも終末論に関係しています。
(この聖書の数字学に関してより多くの事柄がありますが、学ぼうとしている量に時間が追いつきません)
試みの時の一致
続けて読んでいきましょう。使徒 27 章の 30 節から
『ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、』(使徒 27 章 30 節)
終わりの日には多くの者が堕落します。背教者について考えてみましょう。ユダの手紙の中では教会の中にいる背教者について書かれています。教会の中には外にいるのと同じくらい多くの背教者がいます。箴言では心の堕落している者は自分の道に甘んじると書いてあります(箴言 14 章 14 節)。背教者たちは離れようとするとき何かを企てます。彼らは教会に来なくなり、交わりに入らず、祈祷会にも来なくなります。そして次々に言い訳を考えるのです。彼らは人を操り、悪巧みを企むようになります。彼らが本当にしていることは、船の“オーナー”から離れ去ってしまったために、船から降りようとすることです。31節から
『パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません」と言った。』(使徒 27 章 31 節)
交わりはいつでも重要なものです。第一ペテロの手紙のように、ヘブル人への手紙はとてもユダヤ的な書であり、ユダヤ的な交わりの概念を引き合いに出しています。
『ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。』(ヘブル 10 章 25 節)
もし極めて重要な場所から多くのレンガが外れたならば、その建物の屋根は落ちてしまい
ます。クリスチャンは一緒になって立つか、ひとりになって立つことができなくなるかのどちらかです。
このことを限定させてください。一致には御霊の一致と人の一致があります。聖霊は真理の霊です。何か嘘の上に聖霊の一致を築くことは出来ません。エキュメニカル運動やインターフェイス運動はこれを試みていますが、嘘の上に一致を建てています。しかしながら、真の御霊の一致はただ真理の上に築かれるものです。エキュメニズムは欺きの上に一致を建てており、彼らはある種の“霊の一致”を持っていますが、問題はどの霊であるかということです。人々が“聖霊の一致”と呼ぶ多くのものは実際、組織的な運営のために神のことばの真理を妥協した人の手による一致です。
養われ、救われる
使徒 27 章 32 節から
『そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。』
(使徒 27 章 32 節-33 節)
3 年半の期間、エリヤは異邦人の女を養いました。パウロは、モーセやヨセフ、エリヤ、バプテスマのヨハネのように――良い忠実なしもべのように――暗やみと飢きんの時に神の民を養いました。終わりの時に同じことが起こります。良い忠実なしもべは神の民を養うのです。34 節から
『ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」』(使徒 27 章 34 節)
このような状況で立ち上がるには、本当に神の人でなければなりません。すべての人がもう終わりだと思うとき、神の力と油注ぎをもって「いやまだ望みがある。イエスは私たちを愛し、ここから救い出そうとしておられる」と言うことが必要とされます。迫害が来たときに最初に裏切り合い、堕落してしまう者はユダの手紙に描かれているような者です。困難な時が来たとき、繁栄の説教者や彼らに付き従うものは最初に自分の信仰を失います。彼らは十字架に付けられた生活や困難に準備が出来ていないので、困難がやって来るとき
それをどう扱って良いか分からないのです。
35 節から
『こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。』(使徒 27 章 35 節-38 節)
『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。』
(伝道者 11 章 1 節)その患難の期間に何らかの形で、御国の福音は荒れ狂う海に宣べ伝えられます。御国の福音は福音とある形で違ったものです。それは同じ福音であり、良い知らせであることに変わりはありませんがその性質において違ったものです。御国の福音はマタイの福音のようなものです。イエスはマタイの福音書で天国について語るよりも、三倍多く地獄のことを語られました。バプテスマのヨハネは御国の福音を宣べ伝え、神がご自身の裁きを下されることを警告しました。使徒 27 章では彼らは自分たちが食べた後に、残りのパンを水に投げました。39 節から
『夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。しかし百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、その計画を押さえ、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。』(使徒 27 章 39 節-44 節)
ここで船は壊れましたが、その中にいる人々は救われました。ここから私たちが学ぶべきことは、もし私たちが共に立つことが出来ないなら、その時が来たときにひとりで立つことは無理だということです。使徒 28 章 1 節から
『こうして救われてから、私たちは、ここがマルタ [蜂蜜の意] と呼ばれる島であることを知った。島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して
来て、彼の手に取りついた。島の人々は、この生き物 [原語では therion=獣] がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合った。しかし、パウロは、その生き物 [=獣] を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。』(使徒 28 章 1 節-5 節)
黙示録では悪魔である古い蛇は燃える火の中に投げ込まれたとあります(黙示録 19 章 20
節)。これはサタンへの裁きを象徴しています。
ユダヤ的なミドラッシュは一般の教会と違った聖書の読み方をします。それは教会が全体として、根を忘れるというローマ 11 章でパウロが警告した間違いを犯してしまったからです。私たちがその根を見られないのは地面の下にあるからです。しかしながら、もし根がなければ木自体も存在せず、根が枯れていれば木も枯れているのです。終わりの日においてユダヤ人を通して神は教会を祝福されます。私たちはより多くのユダヤ人がイエスに信仰を持つのを見るようになり、神によって自分たちのルーツに目を向けさせられ、聖書の正確な教え方を指し示されます。小さな光があれば普段は十分ですが、より暗くなったときには強い光が必要です。これらのことは終わりの時代まで封じられています。今私たちが終わりの日にいるというしるしのひとつは、聖霊がそれらの封印を解いていることなのです。
船は壊れますが、それに乗っている者は救われます。石は投げ倒されますが、よみがえります。サタンは裁かれるのです。これが将来起こります。次第に使徒 27 章で船に乗っていた人々は、大多数が聞き従わなかったにも関わらず、パウロが初めから真理を語っていたことを気付きました。彼らは身をもって彼が正しいということを知りました。ソドムの民はロトとふたりの御使いの言葉をあざけりましたが、身をもって彼らが正しいことを知りました。ノアの日の人々はノアをおかしいと思っていましたが、彼らも余裕が無くなってから彼が正しいと知りました。
多くの者を悟らせる
ダニエル 11 章では民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせるとあります(ダニエル
11 章 33 節)。もし私が何をしてもよいのなら、私は決して聖書を教えることはしなかったでしょう。私はむしろ伝道をしたいのです――私は人々が救われるのを見たいので、そのためにこのことをすぐに譲りたいほどです。私が教えている唯一の理由は充分な数の人がこれが神の望んでいることだと私に語り、彼らが正しいと私は思っているからです。もし終わりの日に備えるために神の民を養うことが私の召しならば、私はそれをしましょう。
賢いおとめと愚かなおとめがいましたが、愚かなおとめはともしびの中に油を持っておら
ず、賢いおとめたちが正しかったと分かると、それを買おうとしました。しかしながら、マタイ 25 章で見られるように、その時はもう過ぎていたのです。夜が来た時にすでにともしびの中に油を用意しておく必要があります。私が見たいと願っていることは皆さんがともしびの中に油を備えられることです。なぜならそれが必要になるからです。私は皆さんが自分の倉庫に穀物を貯えていることを望みます。それが必要になるからです。
しかし、この穀物を貯え、ともしびの油を買う時、事実に直面し、預言が目の前で成就していることを見ているこの時、私たちはノアの日やエレミヤの日、ソドムの日、エルサレムの終わりの日と同じ状況を抱えています。過去起こったことは今にも起こります。事実それはすでに現在起こっています。
分裂がキリストのからだに来ようとしています。そして少なくとも三つのことがそれを引き起こします。もう一度言います。妥協する者と妥協しない者たちです。多くの福音派たちが妥協してしまっています。バプテスト派やペンテコステ派、カリスマ派の中での分裂はすでに来ています。第二にイスラエルとその預言の中での役割です。この問題に関する教会の分裂も来ようとしており、実際すでに来ています。第三に分裂は神のことばの権威と神のことばが解釈される方法に関してやって来ます。これが現在起こっていることです。
誰も間違えないようにしてください――イエスは来ます。穀物を得、油を買う時は今です。そうするなら、あなたは賢いおとめとなります。もしそうしないなら、愚かなおとめとなります。イエスはそれを今得てほしいのです。彼はここにおられて、あなたにそれを渡そうとされています。どうぞ、それを受け取ってください。†††
The Future History of the Church - Part 2 - Japanese
未来の教会史2
ジェイコブ・プラッシュ
ローマ 昔と今
宗教改革の時期に起こったことは、現在ローマ・カトリック系の国々、特に南アメリカで起こっている途方もないリバイバルに比べると比較的穏やかなものでした。サンチアゴやチリでは毎週2万人もの人がローマ・カトリック教会を去り、ペンテコステ派になっています。グアテマラではこの 10 年間で人口の 10%がローマ・カトリック教会を去り、ペンテコステ派になっています。フィリピンとて同じです。アメリカでは、回心したローマ・カトリック教徒の数は驚くべきものです。アイルランドでは、今プロテスタントよりも多くのローマ・カトリック教徒が救われています。イタリヤでは1千を超えるアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの教会がありますが、小さなものはなく、実際すべての教会が新しいものです。宗教改革があった国々ではアッセンブリーズ・オブ・ゴッドが教派として衰退している一方、カトリック系の国々では躍進しています。私たちはマリアの問題が扇動的なものとなるのを確実に見るでしょう。『偉大なのはエペソ人のアルテミス(ダイアナ)だ』
――使徒 19 章 23 節-34 節
昔のローマ皇帝は崇拝されており、神の民はその崇拝行為を拒んだため殺されました。第二テサロニケ 2 章と、黙示録 13 章はそのことを語っています。ローマでの皇帝崇拝は反キリスト崇拝を前兆するものです。教皇の指輪に口づけをすることや、その他の同じような習慣は皇帝崇拝から由来しています。同じように、終わりの日において反キリスト、その皇帝は同じ有様で崇拝されることを要求します。それを拒否する者たちはその行為のゆえに迫害を受けるのです。
聖書は使徒 5 章 37 節や降誕物語などで、ローマ皇帝が人口調査を行ったことを記しています。聖書中で人口調査がどのように用いられているかを理解したなら、ダビデがイスラエルで人口調査をしたことが(1歴代誌 21 章)、なぜバテシェバとの姦淫の罪より悪かったのかが理解できます。ローマ皇帝たちは人口調査を用いて人口を数え、世界の金融的支配権を得ようとしました。これが反キリストも行うことです。初代教会の時代に行われ、これが終わりにおいても再び行われます。最も悪い皇帝たちは教会に対し大量殺りくを行い、その後にユダヤ人に敵対しました。それは紀元 62 年のネロにおいて始まり、68 年から 70年にはその潮流がユダヤ人に向かうようになり、第二世紀にはディオクレティアヌスやマ
ルクス・アウレリウス、セプティマス・セベリトゥスが教会に敵対し、その後ハドリアヌ
スが紀元 120 年から 132 年までユダヤ人たちに敵対しました。
初代の信者たちは今にも起ころうとしている終末論を信じていました。彼らはイエスが自分たちの生きている間に戻ってくると信じていました。私たちもそのようなことが起こるのを見るでしょう。当時の世界における政治的出来事の全般的な風潮は具体的な終末預言を成就していました。神殿の崩壊や、ローマの炎上に伴う出来事などです――これらの出来事は預言を成就しました。ですが、もう一度言いますが、ユダヤ的な預言はパターンであって、これら同じ預言が将来に再び成就を見るようになるのです。私が言おうとしていることはこれです。使徒の働きを読むとき、私たちはただ初代教会の歴史を読んでいるだけではなく、終わりの時代の教会史をも読んでいるということなのです。イエスに起こったことは使徒に起こり、パウロに起こり、また初代のクリスチャンたちにも起こりました。すべてこれらのことは私たちに起こることを教えています。イエスの最期の日々に起こったことは、再び終わりの時代のキリストの体にも起こります。初代教会におこったことは、終わりの時代の教会にも起こります。使徒の働きは再び繰り返されるのです。ヨハネの福音書の 48 パーセントはイエスの生涯の最後の週を扱っています。受難物語です。四福音書は少なくともその三分の一を、地上でのイエスの生涯最期の日々に起こったことにページを割いています。このように読めば、新約聖書は私たちに関しても同じようにしており、終わりの時代に起こることについてかなりの部分を割いています。イエスさまは裏切られ、十字架にかけられ、そして勝ちを得て復活しました。私たちも同じように裏切られ、十字架にかけられ、勝ちを得て復活します。
欺き 昔と今
初代教会に対してサタンが謀った欺きは、終わりの時代の教会に対してサタンが用いる欺きと同じようなものであると気付くことは重要です。悪魔が初期にキリスト教に持ち込んだ同じ異端の教え、偽りの教理、欺きは終わりの時代において返り咲きます。
初代教会において“低いキリスト論”を信じていた人たち――イエスが神だと信じていなかった人たち――は“アリウス主義者”と呼ばれていました。今日のそれはエホバの証人です。このふたつは本質的に同じです。
初代教会において安息日遵守主義者や食事規定遵守主義者、ノミアン主義者たちは“ユダヤ教化主義者”と呼ばれました(ガラテヤ人への手紙を呼んでください)。今日のそれはセブンスデー・アドベンチストです。
初代教会において超ディスペンセーション主義者たち――ディスペンセーション主義を用いて旧約と新約の間に奇妙な極端さを見出だし、過激で途方もない区分を設ける人たち――は“マルキオン主義者”と呼ばれていました。今日のそれは排他的、またはクローズド(閉鎖的な)・ブラザレンです。
初代教会において御父はイエスで、御子もイエス、御霊もイエスだと主張していた人たちは“サバリアン主義者”また“パトリッパッション主義者”と呼ばれていました。今日のそれは唯一イエスだけだと信じるペンテコステ教会、またユナイテッド・ペンテコステ教会です。日の下に新しいものは一つありません。
しかしながら、これらの嘘やその他のものの中で疑いようもなく、最も危険なのがモンタヌス主義者とグノーシス主義者たちで、両者は互いに関係を持っていました。モンタヌス主義者はすでに成就した終末論を信奉していました。彼らは御国が今だと信じていたのです。彼らは多くのおかしな予測や預言をし、自分たちの首都にリバイバルが来るとか、現在のトルコであるフルギアにイエスがひとりでやって来るなどと教えていました。彼らはあらゆる形の狂気じみた予測をしましたが、人々を誘い込んだ方法はというと、しるしと不思議に過度な強調を置くことによりました。「使徒たちはこれらのことを行い、聖書はそれを教えているんだから、私たちも出来るはずだ」というのが彼らの考えでした。ニケア公会議以前の教会教父であるエイレナイオス(130 頃-202)は、彼らに関して正しい点を擁護しながらも、このような人たちについて批判的に書きました。彼はしるしと不思議、また御霊の賜物が聖書的であると確かに語りました。しかしこの特定のグループは、人々に別の奇妙なことを信じさせるためにそれを用いたのです。このようなことは今日でも同じです。
初代教会において、教会教父のテルトゥリアヌス(160-220)のような――おかしな間違いに引き込まれることを誰も想像しえなかった人が――おかしな間違いに引き込まれました。今日も同じで、私が想像し得なかったような人が、勝利主義や再建主義、支配主義などの同じような“神の国は今”という考えに巻き込まれています。これは同じ方法でなされ、しるしと不思議などに強調点が置かれています。
初代教会の中のこれらの人たちは実現しない非常識な予測を立て、人々を混乱状態に導きました。教会史中のどの転換期においても、この同じ「神の国は今」という神学は表面化しました。モンタヌス主義者たちはローマ帝国が衰退した時に明るみに出始めたのです。
ルネッサンスの時代、この時代はヨーロッパの歴史において非常に重要な転換期だったのですが、モンタヌス主義の教えを信じる信者たちはフィオーレのヨアキム(Joachim of
Fiore 1135-1202 )の信奉者たちと呼ばれました。当時の神の国は今という神学の指導者であったこの男は、今日のヴィンヤード運動のものと似通った信条を持っており、(現代に生きていたなら)ヴィンヤード運動の雑誌に投稿できるような者でした。私たちは彼らのうちに同じ考えを見つけることができます。例えば、三つの時代があると考えられていました。それは父の時代、子の時代、霊の時代といい、父の時代とは旧約聖書のイスラエルの時代で、子の時代とは教会時代で、霊の時代とは後の雨であるとし、自分たちの運動と重ね合わせていました。彼らは自分たちが新しい修道会に属しており、それが他の修道会に対して優勢になると信じていました。これは今日のジョン・ウィンバーに率いられたヴィンヤード運動の中にも見出すことのできる同じ信条です。
宗教改革の期間、ズウィカウ(Zwickau)の預言者たちと呼ばれる人たちが存在しました。さて、もしあなたがブラザレンやペンテコステ派、バプテスト派なら、自分をプロテスタントであると決して考えないでください。もしあなたが宗教改革の時代前後に生きていたなら、プロテスタント教徒からは“アナバプスト”と呼ばれ、カトリック教徒が手を下そうとするのと同じくらい早く彼らに殺されたことでしょう。ツヴィングリは「ならば、お前たちは洗礼をもう一度受けたいのか?」と言い、チューリッヒで氷に穴を開け、信者の洗礼を信じていた者たちを溺死させたのです。ルターやカルヴァン、ツヴィングリなどの信奉者たちはアナバプテストたちを殺しました。聖公会、ルター派、長老派、改革派ならプロテスタント教徒です。ですが、非国教徒である人は全員プロテスタントである訳ではありません。
アナバプテストたちはほとんどの点において、宗教改革者たちよりも聖書に近い者たちでした。プロテスタントたちは福音を再発見したと宣伝して回りましたが、真実の福音を一度も失わなかった人たちが事実存在していたのです。ルターやカルヴァン、ツヴィングリのはるか以前、ヨーロッパ大陸にはヤン・フスやボヘミアのブラザレン、イングランドにはジョン・ウィクリフの信奉者たち、また数世紀にわたってワルドー派が存在しました――これらの者たちはすべて聖書を信じるクリスチャンです。いつの時代でも基本的な真理を理解し、そこから教会が大きく遠ざかっていると知っている者たちが存在しました。
しかしながら宗教改革の時代にあることが起こりました。封建主義は終焉を迎え、資本主義が始まったのです。また神聖ローマ帝国――神聖でもローマでもありませんが――の衰退が起こり、帝国は国民国家に取って代わられることとなりました。人々は「私はイギリス人だ」「ドイツ人だ」、「スコットランド人だ」と言い始めたのです。それゆえ、教皇はクリスチャンたちを滅ぼし、暗黒時代を通してやってきたように福音の宣教を鎮圧するだけの政治的影響力を失っていきました。加えて、グーテンベルクが印刷機を発明したのです。その頃にはもう、修道士が写生していたラテン語版聖書であるウルガタ聖書ではなく、ル
ターが訳したドイツ語聖書や、ティンデールの英語聖書などが普及し、聖書はグーテンベ
ルクの発明によって大量生産が可能になりました。したがって聖書は行き渡り、識字率が上昇し、教皇は政治的に福音の伝播を止める力を失いました。このゆえに、宗教改革が起こったのです。ルターやカルヴァン、ツヴィングリのような人が行ったことはただ、彼ら以前の人たちがいつも言っていたこと、政治的また社会的な環境が整わなければ生きて伝えられないという時代を免れただけなのです。宗教改革者たちが正しい福音を再発見したというのは歴史のひとつの曲解です。
オランダの近く、ドイツのミュンスターを首都とするアナバプテストたちがいました。彼らはズウィカウの預言者たちと呼ばれ、狂気じみた予測や、預言、習慣を行い、御霊の賜物の過度の乱用などを行っていた“預言者たち”に従い、完全な混乱状態へと陥りました。今日、私たちも同じものを経験しています。ただそれはズウィカウの預言者たちではなく、カンザス・シティーの預言者たちですが。ポール・ケインがジョン・ウィンバーと共に公に偽りの予告をした後、これら偽りの預言を目にしていた同じ人たちはまた、主の御名によって偽って預言するこの男の何度も続くパフォーマンスを見に行きました。国教会主教のデイビッド・ピッチャーという人は、『ある者は雷が鳴ったと言った(Some Said it
Thundered)』という本を書き、すべての国教会福音派に向けてこの男に従うよう勧めました。彼らはその通りについて行き、その頃からポール・ケインは、誰にも分からないような数千万人の国民を殺したサダム・フセインという男の元に行き、アメリカとイギリスが
「彼に対して行ったことについて」代表して謝罪し、罪を悔いるようなことをしたのです。
ミドラッシュの適切な使用
神の国は今という神学はいつも歴史の重要な時期に現われました――日の下に新しいものは一つありません。これに関連して、本当に正気ではないものがグノーシス主義です。
アレキサンドリアはユダヤ・キリスト教世界が東洋と接触した場所でした。そこでゾロアスター教の祭司、ユダヤ教ラビ、仏教僧、キリスト教徒たちが思想を交換するために集まりました。キリスト教時代の始まりにおいても、フィロン(Philo)と呼ばれる者のヘレニズム(ギリシア)的な思想がすでにユダヤ教に浸透し始めていました。その思想はアレキサンドリアにいたクリスチャンたち、特にオリゲネス(Origen)――考えようによってはアレキサンドリアのクレメンス(Clement of Alexandria)もですが――確実にオリゲネスによって受け入れられました。これを説明しましょう。
ユダヤ人が聖書を扱った方法であるミドラッシュでは教理を例証し、明らかにするために象徴や予型、寓喩を用いますが、決してそれらの上に教理を据えはしません。最後の晩餐
の象徴としての過越の祭りを例に挙げてみましょう。ユダヤ的な過越の祭り、また過越と
しての最後の晩餐、過越のセデル(儀式的な晩餐)の象徴を理解したなら、他の方法では達しえないくらい深いレベルまで主の晩餐を理解することができます。寓喩や予型、象徴の目的は、教理をより深いレベルまで明らかにすることであり、それを教理の基礎とするのでは決してないのです。
とても簡潔に説明しましょう。紀元 1 世紀にユダヤ人クリスチャンがヨハネの福音書を読んだなら、ヨハネ 1、2、3 章がもちろん、創世記 1、2、3 章のミドラッシュであると言ったことでしょう。そして創世記が創造について語っている一方で、ヨハネ 1、2、3 章が新しい創造について語っていると言ったことでしょう。それゆえ創世記 1、2、3 章とヨハネ 1、
2、3 章はミドラッシュ的な並行箇所なのです。
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神は創世記の創造において歩き、ヨハネの福音書の新しい創造においても地上を歩いていました。創世記の創造では霊が水の上を動いて被造物を生み出し、ヨハネの福音書においても御霊が水の上を動いて新しい創造をもたらしました
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神は創世記の創造において、暗やみと光を分けるためにやって来られ、ヨハネの福音書の新しい創造においても再びそれをなされました
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創世記の創造において、そこには小さな光と大きな光が登場します。新しい創造では“ヨハナン・ハマトビル(Johannan Hamadvil)”――バプテスマのヨハネ(小さな光)と、“イェシュア・ハマシア(Yeshua HaMashiach)”、メシアなるイエス(大きな光)がいます
ミドラッシュ的に、いちじくの木はエデンの園にあったいのちの木の象徴(隠喩)です。そのいのちの木はエデンの園に登場し、ヨハネの福音書においても登場します。従ってミドラッシュ的にみると、イエスさまがナタナエルを「いちじくの木の下で」見た時、ユダヤ的な象徴によってイエスさまはただ「私は文字通りのいちじくの木の下であなたを見た」と言っていただけではなく、もちろんそれも事実ですが、ミドラッシュ的に「私はあなたを創造の時から見ていた。この世の始まりの時からあなたを知っていた」と言っていたのです。これは真実を明らかにしています。聖書は他の箇所で『神は、あらかじめ知っておられる』(ローマ 8 章 29 節)と直接的に語っています。私はカルヴァン主義者ではありませんが、その中には真実があります。ミドラッシュは真理を明らかにするものであって、真理の基礎となるべきものではないのです。
同様に、イエスさまが最後の晩餐で『この杯は、わたしの血による新しい契約です』(1コリント 11 章 25 節)と言われた時に、それは贖いの教理を明らかにする過越の晩餐であって、それが贖いの教理の基礎とはなっていないのです。これがユダヤ的解釈法が寓喩を用
いる方法です。改革者たちが行ったように寓喩を退けてしまうことは完全に間違っていま
す。なぜなら、そうしてしまうと、聖書の中にあるより深い事柄が決して理解できないからです。しかし一方で寓喩の上に教理を据えてしまうことも同じように間違っており、危険なことです。
グノーシス主義
グノーシス主義者たちが行ったことはこれです。彼らは聖書の中の予型や象徴に関して主観的で神秘的な洞察力があると主張し、ギリシア語で霊的な啓示を指すこの“グノーシス”の理解をもって、聖書のそのままの意味を再解釈すると言っていたのです。彼らは自分たちが特別な知識を持っていると主張し、それを他の人が理解できなければ、その人は霊的な欺きの下にあるか、反抗心に陥っているとみなされました。
ローマ・カトリックはグノーシス主義を基礎としています。教皇は間違って自分がペテロの後継者だと主張しています。聖書解釈を正しいものとするためには、まず教会論を正さなければなりません。言い換えれば、彼らは教会の教導権である教皇のみが聖書を解釈できると言っているのです。それゆえ、ルカの福音書 1 章 47 節のそのままの意味が、マリアは救い主が必要だと言ったということであっても、カトリックは答えて「そうです。ですがあなたはグノーシスを持っていないのでしょう。教皇はそれを持っています。なぜなら彼がペテロの後継者だからです。そして彼はマリアが罪無しにみごもられたので、救い主を必要としないと言いました」と主張するのです。
ハシド派(敬虔派)ユダヤ教も同じことです。彼らのラビは“レッベ”と呼ばれ、ユダヤ教のベシュク(Besch)であった、バアル・シェム・トブ(Bal Shem Tov 1698-1760)という者の子孫たちです。彼はユダヤ教グノーシス主義者で幽体離脱などのことに入り込んでいました。ハシド派ユダヤ教徒たちは、誰のレッベがベシュクの真の子孫であるか、誰が本当にベシュクの霊を持っているかということで争い合っています。それはヒンドゥー教から来た輪廻転生のひとつの形です。従って、ハシド派ユダヤ教徒たちにとって神への道はふたつあります。トーラーとレッベ、すなわち義なる者です。レッベはトーラーを通して神に到達します。他の者はそのレッベを通して神のもとに行くのです。トーラーが何を語っているかは重要ではなく、トーラーについてレッベが何と言うかが重要なのです。
同様にカトリックに関しても、新約聖書が何を言っているかが重要ではなく、教皇がそれについてどう語っているかが問題なのです。スーフィズムを信じるイスラム教徒にとってそれはスーフィーであり、シーア派イスラム教徒にとってはイマームです。コーランについてイマームがどう語っているかが大切なのです。ゾロアスター教徒たちにとってそれは
祭司です。ヒンドゥー教徒にとってはブラフマン祭司であり、カースト制度の最高位に位
置するいわば教祖です。彼がヴィシュヌとクリシュナのもとへ行くので、他の人は彼を通して行くのです。シャーマニズムに関してはシャーマンです。チベット仏教徒にとって必要不可欠な人物はダライ・ラマです。これらすべてはグノーシス主義に従います。
従って、これらグノーシス主義の形式にとって本質的な問題になるのが「あなたの教祖は誰ですか。あなたの教皇は。あなたのイマームは。あなたのレッベは。あなたのスーフィーは。あなたのラーマやあなたの祭司、あなたのシャーマンは誰ですか?」ということなのです。再建主義において、これに相当する質問は「あなたの使徒は誰ですか。あなたの預言者は誰ですか?」です。
現代のグノーシス主義
ヨエル 2 章は再建主義の神の子たちの現われ(Manchild/ Manifest Sons of God)の教えの基礎となっています。それではジョン・ウィンバーのヨエル 2 章に関する講解を見てみましょう。ユダヤ的な預言がパターンであったことを思い出してください。それゆえこの箇所は何らかの形で終わりの日に関するものです。しかしながら、この箇所の歴史的文脈はネブカデネザルの侵略について語っています。ヨエル 2 章には
『シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。…
…数多く強い民。このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。これからのがれるものは一つもない。』(ヨエル 2 章 1 節-3 節)
ジョン・ウィンバー、ポール・ケイン、デイビッド・ピッチャーズ、ジェラルド・コーツら、“ハウスチャーチ”の中で彼らに従う人たちは、勝ち誇る教会がこのようになると語っています。ですがより詳しく見ていきましょう。
『その有様は馬のようで、軍馬のように、駆け巡る。
それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじのぼる。』(ヨエル 2 章 4 節、7節)
そしてここからこの軍隊はいなごに例えられています(25 節)。再建主義者たちは、勝ち誇る教会がこの食い荒らすいなごになり、すべてを支配すると語っています。しかしここで
20 節を読んでみましょう。
『わたしは北から来るものを、あなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやり、その前衛を東の海に、その後衛を西の海に追いやる。その悪臭が立ち上り、その腐ったにおいが立ち上る。主が大いなることをしたからだ。』(ヨエル書 2
章 20 節)
この軍隊が邪悪であるために神は滅ぼし、裁かれます。それを裁き、滅ぼす方法はネブカデネザルの軍隊に対して行われたのと同じ方法です。これが聖書解釈、また文法的、歴史的、また他のあらゆる見方から分かる文脈です。ですがジョン・ウィンバーはやって来てグノーシスを主張して言います。「いいえ、そういう意味ではありません――これは勝ち誇る教会です」。もしこれが分からないなら、あなたは霊的な欺きに陥っていると烙印を押されるでしょう。またそれに賛成しなければ反キリストの霊を持っていると言って非難されるのです。
この種のことで罪があるもうひとりの人はアンドリュー・シェアマン(Andrew Shearman)という人です。彼は実際グノーシス主義的というよりかは聖書に自分の考えを読み込んでいるのですが。彼はひとつの箇所を取り上げて、福音はヨハネまで宣べ伝えられ、それから人は御国に激しく攻めるように入っていると言っています。彼はその箇所を曲解します
(マタイ 11 章 12 節)。原文のギリシア語の文脈において、ここの“激しく攻めるように”という言葉は“押し入る”という意味です。それは次のような状況に比べられるでしょう。ウェールズのホーリーヘッド(北西端の町)からダブリンに向かうアイルランド海を横断する船に乗っているとして、あなたが救命胴衣を着け、救命ボートに乗り込んだなら、他の乗客はあなたをおかしい人だと思うでしょう。このようなフェリーボートにはパブや、ディスコ、カジノまであります。そのように人が楽しんでいるのに、救命胴衣を着け、救命ボートに乗ったあなたが「航海に快適性と喜びをもたらしてくれる」と言って、それを付け、他の人にも入ってくるように勧めたなら、頭がおかしいんじゃないかと言われることでしょう。ですが突然警笛が鳴り響き、その船が沈み、絶望的な状況にいると分かれば、人は自分の命を救うために救命ボートに押し入り、救命胴衣を着けようとするのです。
律法と預言者はヨハネまでであり、ガラテヤ人への手紙で律法は私たちの養育係と呼ばれています。なぜならそれは私たちが罪定めされており、救いが必要だということを教えるためにあったからです(ガラテヤ 3 章 24 節)。これが本文の意味するところですが、シェアマンは「いいえ、これは勝ち誇る教会のことです。私たちが力強い者たちでその征服を行うのです」と言っています。このようなものは無意味であり、本文が意味するところに近くもありません。本来の文脈においてその本文を読み、そのような愚かな結論に至る人
は誰もいません。ですが、これがこの人の教えることなのです。そしてもしあなたが理解
しなければ、あなたが“霊的な欺きの下にある”と言われるのです。そうです。これも聖書が何を言っているかが重要なのではなく、グノーシスを持った人が何を主張するかが重要なのです。
2種類のグノーシス主義
これが今日のグノーシス主義者たちが行っていることであり、初代教会の中にいたグノーシス主義者たちもまさに行っていたことなのです。初代教会の時代には2種類のグノーシス主義がありました。完全な異教の形をしたものと、バジリ(Basiili)やヴァレンティヌス(Valentinus)のような人々の指導の元に教会に侵入して来た形です。これは現代にも適用できます。2種類のグノーシス主義の形があります。完全な異教の形はニューエイジ運動です。グノーシス主義こそが本当にニューエイジ運動を形作っているものです。それはオカルトの外観などを備えているかもしれませんが、その核心はグノーシス的です。現代の教会に入り込んできているこの種のグノーシス主義は再建主義(Restorationism)です。多くの人気がある教えの中で「可視化のテクニック」などすべてを再建主義者たちは取り込んでいて――ジョイス・ハジェット(Joyce Hugeet)の著書のようなもの――はニューエイジの考え方であり、完全に聖書とは異質のものです。祈りのためのブリージング・エクササイズ(呼吸法)を用いることは、彼女が説明するようにヨガから来ています。彼女はまたイグナチオ・デ・ロヨラの習慣がクリスチャンの祈りの模範として用いられるべきだと主張しています。イグナチオ・デ・ロヨラとはイエズス会の創始者であり、イエズス会は反宗教改革の運動の中にあって福音の拡大を防ぐために作られた修道会です。彼の命令はおそらく 50 万人のクリスチャンを死に至らせ、拷問し、虐殺したことに責任があります。そのような人物です。それでも、彼のシャーマン主義的な習慣は今日の教会の中でクリスチャンの祈りの模範として支持されているのです!このようなものが教会の中に忍び込んでいるニューエイジの考えです。(これは現代、リック・ウォレンとイマージング・チャーチによって広められています)このような欺きに初代教会は直面していました。同じものが戻ってきたのです。
あるものを“アリウス主義”やエホバの証人と呼ぼうと関係ありません。それは同じものです。エホバの証人運動の創始者であるチャールズ・テーゼ・ラッセルと弁護士のラザフォード はグノーシスを持っていると主張していました。彼らに同意しなければ、欺きの下にいる ということになります。ローマ・カトリック=グノーシス主義、シーア派イスラム=グノ ーシス主義、スーフィズム・イスラム=グノーシス主義、ゾロアスター教=グノーシス主 義、ヒンドゥー教=グノーシス主義、シャーマニズム=グノーシス主義です。
重いくびきを置くことやそれと似たような習慣によって人々にもたらされた損害をただ見
てください。この再建主義はあらゆる種類の誤ったものと自然にくっつくものであり、そのひとつが重いくびきを負わせることです。私たちはこのことを別の教えにおいてより深く説明しています。私がここで言っているのはこのようなものが初代教会における欺きであり、また再びこのようなものが現在の欺きとなっているということです。そのグノーシスを持っていると主張する人は自然と重いくびきを負わせるようになります。他にどのような選択肢があるでしょう?しかしながら、イエスさまは天におられる方だけが私たちの教師であると言われました(マタイ 23 章 8 節-10 節)。
神は新しいことをされます。4 人の子供を持つ夫婦が 5 人目を持とうと決めたなら(がんばってください)、神は新しいことをなされます。しかし、5 人目は 4 人が生まれたのと同じ方法で生まれるのです。神が新しいことをされるとき、いつもなされているのと同じ特徴を持ってなされます。グノーシス主義者が言うのは、神は終わりの時代に新しいことをなされるから、すべてが破棄され得るということです。それは真実ですが、神さまがこれまでずっとなさってきた特徴から外れることは決してありません。
妊娠中絶に悪い点はたくさんありますが、私を最も悩ましているひとつの点は、赤ん坊を養子しようとして待っている夫婦たちのリストです。そのリストは 3 マイルにも及んでいるのに、他の人たちは子どもを殺しているのです。望まれていない赤ん坊というものは存在しません。人は赤ん坊を切に望んでいると、障害児であろうが、どんな子どもでも養子にします。しかし他の人たちは子どもを殺しているのです。
夫婦が本当に愛し合っていて、その愛を赤ん坊と分かち合いたいと思っているなら、母親は決して次のようには言いません。「私はお産に耐えられない。私はつわりや陣痛に耐えられない。だから赤ん坊を産むのはやめておきましょう。惨めになるだけだわ」しかし子どもを持ちたいと思っている母親の考えていることは、ただ子どもが乗ったベビーカーを押すことや、公園のブランコに連れて行くこと、動物園に連れて行ってシマウマやお猿さんを見せに行くことだけでしょう。つわりや陣痛はそのような人の頭の中にはありません。そのようなものはただ子どもを持つために経験しなければならないことなのです。
私は女性に生まれなかったことを嬉しく思います。私は子どもが生まれる場所に立ち合い、陣痛の強度と頻度を測るモニターに目を向けていました。そのモニターに変化がある度に私は妻に言っていました。「これが最後の陣痛だよ、これだ!嘘なんて付いてないよ、ベイビー」そう言いながら、嘘を付いていました。英ウィギンのラグビー選手なんて比較になりません。女性はこの世で一番強い生き物です!もしあのラグビー選手たちが子どもを産んだなら、その年は試合に出場できないことでしょう。ランボーさえ無理でしょう。もし
ランボーが妊娠したなら、普通に産むより帝王切開を選ぶことでしょう!
増大する地震
陣痛と地震――特に陣痛は――イエスが来られる直前の教会に何が起こるかを描く、聖書が一般に用いる表現です。陣痛の特徴を考えてみてください。子宮の収縮はより頻繁になり、より激しくなる一方で、時に少しの間弱まります。陣痛は赤ん坊が生まれる直前に頂点を迎えます。同じことが終わりの日にも適用できます。圧力はより激しくなっていきますが、少しの間弱まるでしょう。ですが元に戻り、出産がなされるまでこのパターンは続くのです。これが黙示録の語っていることです。またこれが確実にエレミヤの語っていることです。エレミヤは「産みの苦しみ」について頻繁に触れています。彼は預言者であって、自分の時代、またイエスの初臨について、そして終わりの日について、また時にはほとんど同時にそれらを預言しました。聖書の中で、陣痛について触れられているとき、聖霊は終わりの日の教会に起こることを明らかにしようとされているのです。
第一テサロニケ 5 章はもうひとつの例です。
『人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。』(1 テサロニケ 5 章 3 節)
エレミヤ書を読んでください。陣痛のテーマが登場する時、それは終末的に重要性を持っています。さらに、産科学で登場することは何でも地震学と類似性があります。大地震を引き起こすプレートの大変動が起こる直前は、数多くの小地震が先に起こります。小さな揺れは、最終的な地震が起こるまでより頻繁に、そしてより集中して起こるようになります。アメリカと日本では、地震を予測するため揺れのパターンを識別しようと、天文学的な量のお金が使われています。彼らが確実に理解していることは地震が陣痛と同じ原則をもって起こるということです。地震もまた終わりの日に起こることを私たちに教えています。
地震は増加し、陣痛もひどくなります。その後に赤ん坊は生まれるのです。いったん赤ん坊が取り出されると、産科医や助産婦がその子を母親に手渡します。そのころには陣痛と出産のすべての痛み、苦痛、ごたごたはすぐに忘れてしまっています。大切なのはただ赤ん坊であり、赤ん坊がすべてに勝るのです。女の人の陣痛が 4 週間続いていたとしても(ジョーク)、赤ん坊が生まれるやいなやそんなことは忘れてしまいます。
イエスさまが戻って来られるときも同じようになります。彼が現われるやいなや、すべて
の痛みや苦痛は忘れ去られてしまうのです。私たちもイエスの到来について思いを巡らすべきです。私たちは、とても恐ろしい陣痛を考えるより、子どもの誕生を楽しみに待っている母親のように、イエスの到来に先立つ患難をじっくり考える必要はありません。一方、私たちは終わりの日に患難が来るということを認識しなければなりません。出産過程を逃れることは出来ないと分かっている母親のようにです。
過去と現在の例
マカベア家とアンティオコス・エピファネスに起こったことは、何らかの形で終わりの日にイスラエルと教会にも再び起こります。ダニエル書に書いてあることも再び起こります。マカベア家の時代に起こったことは次のようなことでした。多くのユダヤ人がセレウコス朝に妥協し、ヘレニズムと異教の礼拝(ヘブライ語ではアボダ・ザラー)を許し、それらが神の都、また最終的には神の宮まで達するようになりました。あれほど多くのユダヤ人が妥協することを良しとしなければ、状況はそれほど悪くならなかったでしょう。マカベア家がそれにどう立ちあがったか、また他の者たちが彼らにどう加わったかという事実は反キリストが現われる時に何が起こるかを教えています。アンティオコス・エピファネスはある日突然現れて、神殿で豚をほふり、ゼウスの像を建て、自分を崇拝させたのではありません。そのように将来の荒らす忌むべきものも現われません。そのような状況に至るまで、物事が積み上げられていったのです。ユダヤ人は妥協に妥協を重ね、もはや止められない状況にまである日達してしまったのです。
同じことが今起こっています。英国国教会は幼児洗礼のために赤ん坊に水をたらすことに同意しない者を奉仕者として任命しませんが、イエス・キリストの復活を否定するような者を主教に任命する教会です。そしてそれを福音派も含めた三分の二の主教たちが認めています。カンタベリー大聖堂はインターフェイス礼拝を行う場所となっています。ギリシア語の“ダイモニオン(daimonion)”、ヘブライ語での“シェディーム(shedim)”――他の神々は、申命記や第一コリントで聖書がはっきり語っているように悪魔です(申命記 32 章
17 節、1 コリント 10 章 20 節)。ヒンドゥー教の礼拝がカンタベリー大聖堂で行われています。2 千人の国教会主教たちが取りやめるよう嘆願書に署名をしましたが、福音派の大主教は「すべての宗教を尊敬している」と答えました。これが神の宮の中にある荒らす忌むべきものです。人々はもう取り返しのつかなくなるまで、譲歩に譲歩を重ね、妥協し続けてしまいます。
同じように、反キリストはたった一晩で教会の中で崇拝されるようにはなりません。そのようにはなりません。それはマカベア家の時代と同じ方法で起こり、もはや止められない
状況に至るまで神の民が妥協を繰り返してしまうのです。ダニエル 11 章 33 節から 35 節はこう語っています。
『民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。』
(私たちはこのテーマをクリスマス/ハヌカの説教で取り扱っています)マカベア家に対して起こったことは終わりの日に再び起こります。ダニエル書は繰り返されます。イエスははっきりと、荒らす憎むべきものが建てられたなら、贖いが近づいたと知りなさいと言われました(ルカ 21 章 28 節)。イエスはそうはっきりと語りました。ダニエル書を読むとき、また外典のマカベア書を読むとき、そこで何が起こったかを見てください。そうするとき、あなたは教会に再び起ころうとしている重大なことを読んでいるのです。荒らす憎むべきものは確実にやって来ます。
物質的なことは、より深い霊的なことを反映する
ギリシア語には“教会”や“神殿”を表すさまざまな言葉、“オイコス(oikos)”、“ナオス(naos)”、
“ヒエロン(hieron)”があります。ヘブライ語では“ハ・ヘカル(ha hechal)”、“ベイト・ミシュカン(beit mishkan)”、“ベイト・ミグダシュ(beit migdash)”などです。少なくとも 7 回、新約聖書は教会を神殿と呼んでいます。イエスが亡くなられた時、神殿の幕は天井から床まで裂けました。物質的に見える出来事が確かに神殿で起こったのです。しかしながら、重要なのは神殿の幕が裂けたことではありません。何が問題だったかというとそれが実際に意味していた事柄です。イエスが私たちの罪の代価を支払ったために、罪深い人間はもはや聖い神から離されていないということです(私たちはこのテーマを『神殿の象徴』という説教で扱っています)。昔のブレザレンは神殿の象徴を強調していました。そして多くの根本的な側面において彼らが象徴を強調していたために、昔のブレザレンはそれまでの異邦人教会よりも、初代教会のように聖書をユダヤ的な書物として解釈しようとしたおそらく最も原点に近い教会なのではないでしょうか。彼らは十分な点まで達さなかったかもしれません。多くのことがあったかもしれませんが、ユダヤ的な書物をユダヤ的なものとして読むという点において、彼らは異邦人の教会より近かったと言えるでしょう。
とはいえ、イエスが亡くなられた時、神殿の幕が裂けました。物質的な出来事がより深い霊的なことを反映していたのです。神殿が再建されるなら――私は再建されないと言うのではありませんが。エルサレムでは極秘と言われている多くの発掘が行われています。みながそれを知っていますが――そしてこの像がその中に建てられるなら、それは単により深い
霊的な現実の反映でしかないのです。間違えてはいけません。その反キリストはいわゆる
教会の中で崇拝されるようになり、マカベア家に起こったのと同じ方法でそれが起こります。神の民の継続的な妥協が取り返しのつかない点まで行ってしまいます。
現代の英国国教会を例として見てみましょう。彼らは女性司祭の問題に取り組んでいますが、新約聖書はとてもはっきりとクリスチャンすべてが祭司だと語っています。あなたが祭司でなければ、クリスチャンでもないのです。問題自体が聖書的ではないのに、この女性司祭の叙任という問題を巡って人々は反対して出て行っています。復活やイエスの処女懐胎を主教が否定しているときに、また同性愛が認められているときに、誰か反対して出て行ったのを見たことがあるでしょうか?悪霊がカンタベリー大聖堂で崇拝されているのに反対して誰か出て行ったのを見たことがあるでしょうか?誰もそうはしません。人々は非聖書的なもののために出て行ってしまうのです。そしてその出て行く先はどこなのでしょう?ローマです。それは誰かが英のブライトン(イギリスの一番良いビーチですが、ヨーロッパと比べるとつまらない場所)に休暇を取りに行って、「この場所は汚いな。ブラックプール(さらにつまらないビーチ)に行こう」と言うようなものです。
悪を引き止める
2 テサロニケ 2 章を見てください
『さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。』(2 テサロニケ 2 章 1 節-4 節)
イザヤ書やエゼキエル書で、サタンはバビロンの王のように神として崇拝されることを欲していることが分かります
『私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。不法の秘密はすでに働いて
います。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めて
いるのです。』(2 テサロニケ 2 章 5 節-7 節)
悪を引き止めているものは三つあります。ひとつは人の政府で、神がその目的のために定めたものです。新約聖書は、権威ある者のために祈りなさいとクリスチャンに語っています。初代のクリスチャンたちは皇帝たちのためにまで祈りました。なぜなら、皇帝が神の御霊によって影響を受けないなら、違った霊の影響を受けることを彼らは知っていたからです。私は政治家をあまり好きではありませんが、もちろん彼らのために祈ります。なぜならもし私が祈らないなら彼らは他の影響の下に置かれ、それは私たちに悪をもたらすと知っているからです。反キリストが現われるとき、人の政府は彼の手に渡されます。
このようなことが初代教会でいかに起こったかを理解するために、私たちはカリグラ(治世:紀元 37 年-41 年)などの教会を迫害した皇帝たちを見る必要があります。もうひとつの例は、政府がその手に渡ったときの中世の教皇権です。大患難を他にはない独特なものとしているのは次のことによります。神は歴史を動かす神です。しかし、何らかの方法によって、反キリストは時を変えようとすると聖書は語ります(ダニエル 7 章 25 節)。イエ
スの奉仕と同じ 3 年半という短い期間、歴史の支配権は限られた範囲でサタンの手に渡さ
れます。クリスチャンは、よく歴史の最後の 7 年間が大患難だと間違えて語ってしまっています。聖書はこの期間をダニエルの七十週目、また“ハテクファ・ハ・ツォラト・ヤコーブ(HaTekufa ha Tsorat Yakov)”“ヤコブの苦難の時”と呼んでいます。その期間の後半部分だけが、大患難であると証明することができます。その以前にも患難はありますが、後半部分がよりひどいものとなるのです。教会は大患難を通らないと言うのはひとつのことです。しかし、教会が最後の七年間に入らないという訳ではありません。またその 7 年間が始まった後に取り去られない訳でもありません。
起こってはほしくないことですが、あなたや私が今夜道端で死ぬなら――イエスさまは私たちのためにやって来られます。私たちはいつもイエスさまがいつ来られても良いような人生を生きるべきです。なぜならそうすることが出来るからです。イエスさまが今夜戻って来ようと、今から百万年後に戻って来ようと私たちとの歩みには何ら影響がありません。なぜならどのみち彼はいつでも私たちの元に来られるからです。しかし復活と携挙は、反キリストの素性が忠実な者に明らかにされるまで起こることはありません。「不法の人…が現われなければ…」
したがって、悪を引き止めている最初のもの、人の政府は反キリストの手に渡されます。悪を引き止めている第二のものは、福音を宣べ伝える教会です。
夜に関する隠喩を理解しましょう
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イエスは『だれも働くことのできない夜が来ます』と言いました(ヨハネ 9 章 4
節)
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イエスは『夜中の盗人のように』やって来ます(1 テサロニケ 5 章 2 節)
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イエスが来るのは『夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か』(マルコ 13 章
35 節)
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『夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か』(イザヤ 21 章 11 節)
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十人のおとめは、夜に見ることができるためともしびの中に油を必要としていました(マタイ 25 章 1 節)
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使徒たちは夜に捕えられ、イエスもそうでした(ルカ 22 章 54 節)。これには意味があります
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雅歌の中で花婿は花嫁のもとに夜にやって来ました(雅歌 3 章 1 節-5 節)
マタイ 25 章の賢いおとめと愚かなおとめのたとえは、過越の時期、雅歌がシナゴーグで読まれている同じ時に語られました。雅歌の中での登場人物、花嫁、花婿、合唱している天の万軍がどれであるかはヘブライ語本文の性によって明らかです。この物語は第 3 章と第 5章の花嫁の二つの夢を中心としています。3 章で彼女は花婿が来るのに備えが出来ていました。5 章では準備が出来ていなかったのです。イエスが戻られる時、それは教会にとって最高の夢、もしくはひどい悪夢となります。ユダヤ教の中で過越の月、ニサンの月は贖いの月です。この時期に雅歌がシナゴーグで朗読されており、それが過越においてイエスがマタイ 25 章で説教していたことなのです。賢いおとめと愚かなおとめのたとえは、まさにその週にシナゴーグで朗読されていたことを繰り返したものでした。
夜は聖書の中で最も頻繁に用いられる大患難の隠喩です。イエスが裏切られた時、それは夜でした。覚えているでしょうか。イエスの最後の日々は私たちの終わりの日々のようです。その夜がやって来ます。聖霊は、ヨハネ 16 章 8 節で言われているように、この世に罪を認めさせています。何らかの形で聖霊は悪を引き止め、教会に一致をもたらし、福音を宣べ伝える力を私たちに与えています。神の霊は『永久には人のうちにとどまらない』のです(創世記 6 章 3 節)。一方イエスは『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを
捨てない』と言われました(ヘブル 6 章 3 節)。神の霊はご自分の民の心から離れることは決してありません。聖霊は私たちから取り去られませんが、この世からは取り去られます。黙示録で(ディスペンセーション主義者でなくても)、神は旧約聖書で振る舞われたような状態に戻られています。恵みがある意味で、かつてそうであったように終わるのです。
御霊が内に宿ることと、御霊が降り注がれることの間には区別があります。御霊はヨハネ
20 章 22 節において弟子たちの内に宿られました。イエスは彼らに息を吹きかけて言われま
した、「聖霊を受けなさい」。その時聖霊が彼らの内に宿りました。しかし聖霊は教会に対
してペンテコステの日まで降り注がれず、福音を宣べ伝える力を彼らに与えはしませんでした。聖霊はまたヨハネ 16 章で言われているように世にその誤りを認めさせます。それは終わります。言い換えると、神の霊は神の民だけに備えられるものとなるのです。神は私たちからご自分の霊を決して取り去りませんが、もはや聖霊は世に誤りを認めさせることがなくなり、もはや今行われているようには、世に対して教会が真理を伝える奉仕に力を与えることはなくなります。恵みは終わりに近づき、あわれみはご自身のものである民に限られます。それは神がこの大患難の期間にその焦点をイスラエルとユダヤ人に定められるとしてもです。しかしながら、これは教会が大患難の始まりに取り去られると言いたいのではありません。非常に多くの人が、教会が携挙によって取り去られることと、聖霊が取り去られることを同一視してしまっています。それは間違っています――内に宿られる御霊と降り注がれる御霊があります。
そこには隔たりがあるのです。イエスさまの昇天とペンテコステの日の間には間隔がありました。御霊はその時期にも神の民の内に宿っていましたが、まだ降り注がれておらず、世にその誤りを認めさせることもありませんでした。逆のことが終わりの日に起こります。イエスは天に昇られて、聖霊が降り注がれるように遣わされました。終わりの時には、聖霊が去り、もはや降り注がれなくなり、イエスさまが遣わされます。すなわち、聖霊が取り去られるときと、教会が取り去られるときには隔たりがあるのです。神は私たちからご自分の霊を取り去りませんが、この世からは取り去られます。その期間が大患難です。サタンはもはや引き止められず、教会はそこから救い出されます――私たちは最悪の部分を経験することはないのです。それはヨブ書に言われています
『神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、七つ目のわざわいはあなたに触れない。』(ヨブ 5 章 19 節)
私が大きな確信を持っているのが、教会が取り去られるのは黙示録の第六の封印と第七の封印の間であるということです。
この期間について教えている箇所は聖書の中にいくつかあります。その最初のものは、イエスが使徒たちに息を吹きかけられたときと、ペンテコステの日までの期間です。キリストはよみがえられ、勝利を得られ、神の霊が神の民の内に宿っていました。しかし教会は世と対峙する力を与えられておらず、またこの世の悪を引き止め、この世に誤りを認めさせる聖霊も与えられていませんでした。これが終わりに再び起こることです。神の霊は私たちと共にだけおられるようになります。
私たちは黙示録 2 章に登場するスミルナの教会を理解する必要があります。“スミルナ”はギリシア語の“没薬”から来た名称で、埋葬のとき死体に塗るために使われました。ローマ政府が私たちの宗教を除く、すべての宗教を合法の宗教――レリギオ・リシタ(religio licita)
――と宣言したことは、再び終わりにも起こります。反キリストと同盟を結ぶ政府はすべて他の宗教をレリギオ・リシタとしますが、私たちには敵対してきます。スミルナの教会に起こったことは、終わりの日の教会が経験することについて教えるもう一つの例です。
霊的な欺き
三つ目のものはより複雑です。私たちはエリヤのことを理解しなければなりません。それが文脈の中でひとりの人であれ、何か他のものであれ、そのような問題は今扱うことはできません――私たちはこれに特化した説教を用意しています。しかし、ヤコブの手紙でエリヤは雨を三年半の間止めたとあります。その雨は後半の三年半に止まる聖霊の降り注ぎを象徴しています。ユダヤ人の太陰暦では 1260 日です。ふた時とひと時、それに半時です。エリヤはその期間の間、異邦人の女性を養いました。(これは異邦人教会の象徴です)
ここで第一列王記に書いてある物語を見てみましょう。イゼベルです(これについては『反キリスト』の説教で詳細に扱っています)。聖書には良い女と、悪い女がいます。聖書の中で“良い女”を見つけたなら、それはいつでも神の女性、イスラエルまたは教会について何らかの形で教えています。雅歌でのシュラム人の女、エバ、ラケル、レベカ、サラ、マリア、デボラ、ヤエル、エステルなど――聖書の中の良い女性はすべて何らかの観点からキリストの花嫁について教えています。一方、聖書中の悪い女性は偽りの宗教の霊、サタンの花嫁について教えています。サタンの花嫁は黙示録でイゼベルとして擬人化されています。確実に列王記の女王アタリヤはもうひとつの例です。彼女の行いはネロの母親にそっくりでした。ネロの母親が彼に悪い影響を与え、それが原因のひとつでネロを教会に敵対させた状況は、列王記で女王アタリヤが自分の息子に影響を与えたのと同じものです。聖書中の邪悪な女性のすべては最終的に現われる邪悪な女性について教えています。偽りの宗教の霊です。
箴言を見てみましょう。ミドラッシュ的に読んでいきます。これは箴言の教えは文字通りの淫婦などに関して書いていないと言いたいのではありません。文字通りのことを書いています。しかしミドラッシュにおいて、“ペシェット(peshet)”と“ペシェル(pesher)”には違いがあります。ペシェットとは文字通りの売春行為、また偶像礼拝であり、霊的な欺きはそのペシェルです。これはもちろん、文字通りの売春や姦淫、不品行に関してです。ですがこの女性、この女性たちの特徴は偽りの宗教の霊を描き出しています。とても簡潔に箴言 31 章を見てみましょう。10 節から 31 節にはソロモンの理想的な女性像が描かれて
います。彼女は宣教地に行くように畑に行きます(16 節)。彼女は自分の夫に食事をもてなし、畑をよく調べてそれを買います。また彼女は夫を喜ばせます。18 節では自分の収入がよいのを味わい、彼女のともしびは夜になっても消えることがありません。気付いたでしょうか?これが良い女の人です(これらすべての特徴は教会を象徴しています)。ここで悪い女の人の幾人かを見ていきましょう。
悪い女の子のほうが面白いと誰が言ったのでしょうか?彼女たちは面白くはなく、死をもたらします。箴言 5 章を見てみましょう
『わが子よ。私の知恵に心を留め、』
――注意してください。神の知恵が無い人々は偽りの宗教によって欺かれます――
『これは、分別を守り、あなたのくちびるが知識を保つためだ。他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。』
――油は人に注ぐために用いられる物です。悪魔は油注ぎを真似るのに非常に長けています。どのようにしてそれを行うのでしょう?口先が上手いことと、人当たりの良さです。アメ リカで嘘を宣伝する人たちはとてもじょう舌です。そのような人たちは油注ぎをいんちき と取り代え、人々はその違いに気付かないのです。
『しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、』
給料日の酔っぱらった可哀そうな船乗りを例として挙げてみましょう。パブでのラストオーダーからの帰り、売春婦を見つけ、彼女について行くと、たった 2 週間後にエイズにかかったと分かるようなものです。このような種類の隠喩を聖書はここで使っています。
『しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。』
――これを見てください!悪魔は神の真理を真似出来るのです。(しかし神のことばは両刃の剣よりもするどいとあります)思い出してください。旧約聖書で悪魔は『明けの明星』(イザヤ 14 章 12 節)と呼ばれており、イエスも『輝く明けの明星』(黙示録 22 章 16 節)と呼ばれています。(このテーマには『反キリスト』の説教で立ち入っています)
『その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。子どもらよ。今、私に聞
け。私の言うことばから離れるな。あなたの道を彼女から遠ざけ、その家の門に近
づくな。そうでないと、あなたの尊厳を他人に渡し、あなたの年を残忍な者に渡すだろう。そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。』(箴言 5 章 1 節-10 節)
誰が邪悪な女性に自分の力を明け渡したでしょうか?サムソンです。デリラはその邪悪な女性の象徴です。彼女は神の人を誘惑し、彼の力を諦めさせました。彼女がサムソンを崩壊に導いた方法、しかし神が勝利のうちに彼に力を与えられた方法は終わりの時代についてのことを教えています。本当にイエスを愛し、信仰において、神との歩みにおいて誠実な男の人がいるかもしれませんが、意地の悪い女性にくびったけになっている人がいます。これは人に対して起こることです。しかし、これはまた教会に対しても起こること、霊的な欺きです。
私たちはここで偶像礼拝と姦淫の関係を理解する必要があります。イスラエルの夫はヤハウェであるべきでした。ヘブライ語での“夫”は“バアル”といい、“主人”と同じ言葉です。荒らす忌むべきものはアラム語で“シクーツ・ハ・メショメム(shikutz ha meshomem)”と呼ばれています。シクーツという言葉はヘブライ語の“シケッツ”、“ネバネバした爬虫類”または“忌むべきもの”から来ています。サタンは黙示録でふたつの攻撃形態を備えています。蛇と竜です。竜は迫害者であり、蛇は欺く者です。エバがエデンの園で蛇に騙されたやり方は、サタンが教会を騙そうとする同じやり方です。
女性は一般的に男性より霊的な欺きに弱くあります。それは、彼女たちがより敏感で、男性より容易に神さまは女性に語りかけることができるからです。そして神が善のために意図したものは何でも、サタンはねじ曲げて、悪のために用います。神は女性に頭を覆うように教えました。文字通りに覆うのではありませんが、エバが霊的な欺きに弱かったために、女性は保護という観点において男性の権威の下にいる必要があります。その文化では頭にスカーフを巻くことを意味しましたが、原則はどの文化においても真実です。私は、いつも頭を覆っている女性を知っていますが、その人は今まで見たことがないほど口を挟む女性でした。もし彼女の夫が口を開こうものなら、叩かれていました。その女性の頭は結局覆われていなかったのです。
姦淫=偶像礼拝
シケッツという言葉は聖書の中で多く登場します。残念ながら、それはたいてい「あなたの忌むべきもの」と訳されています。「ああ、シオンの娘よ。あなたは淫婦になってしまった。あなたはわたしの聖所を忌むべきもので汚した」その言葉はシケツィームです。これ
は欺く者であるサタンと関係があり、ほとんどいつも言って良いくらいバアル崇拝と結び
付けられています。バアルはもちろん、ヘブライ語の“夫”という意味の言葉です。荒らす忌むべきものは旧約聖書のバビロンの王に見られるように、サタンの神になろうとする欲望を明らかにするでしょう。彼は霊的な欺きによって神の女性を奪おうと試みます。それが荒らす忌むべきものの意味するところです。サタンは霊的な欺きを用いて神の女性を奪おうとします。姦淫と偶像礼拝は相性が良いのです。偶像礼拝は霊的な姦淫と同じです。このためにイスラエルが偶像礼拝の罪に陥ったとき、神は「ああ、シオンの娘よ。あなたは淫婦になってしまった。他の愛人のもとに行ってしまった」と語っているのです。不貞という言葉は偶像礼拝を表現するために使われています。
箴言 7 章
『わが子よ。私のことばを守り、私の命令をあなたのうちにたくわえよ。私の命令を守って、生きよ。私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。それをあなたの指に結び、あなたの心の板に書きしるせ。知恵に向かって、「あなたは私の姉妹だ」と言い、悟りを「身内の者」と呼べ。』
終わりの日には、みことばの理解と忠実さは密接に関連するようになります。なぜでしょうか。それは理解を持っていない者が欺きに対して無防備になるからです。
『それは、あなたを他人の妻から守り、ことばのなめらかな見知らぬ女から守るためだ。私が私の家の窓の格子窓から見おろして、わきまえのない者たちを見ていると、若者のうちに、思慮に欠けたひとりの若い者のいるのを認めた。彼は女の家への曲がりかどに近い通りを過ぎ行き、女の家のほうに歩いて行った。それは、たそがれの、日の沈むころ、夜がふける、暗やみのころだった。』
これはいつであると書いていますか?たそがれ時、夜がふけるころです。カル・バ・ホメルを思い出してください。いつも真実なことが、終わりの日には特に真実となります。霊的な欺きはいつもそこら中にありますが、イエスが戻って来られるときに増大するようになります。
『すると、遊女の装いをした心にたくらみのある女が彼を迎えた。この女は騒がしくて、御しにくく、その足は自分の家にとどまらず、あるときは通りに、あるときは市場にあり、あるいは、あちこちの町かどに立って待ち伏せる。この女は彼をつかまえて口づけし、臆面もなく彼に言う。「和解のいけにえをささげて、きょう、私の誓願を果たしました。それで私はあなたに会いに出て来たのです。あなたを捜し
て、やっとあなたを見つけました。私は長いすに敷き物を敷き、あや織りのエジプ
トの亜麻布を敷き、』
エジプトは何の象徴でしたか?この世です
『没薬…で、私の床をにおわせました。』
そこは良い香りがしますが、死の床です。死体に化粧をすると良く見えるかもしれませんが、それでもなお死体の上の化粧なのです
『さあ、私たちは朝になるまで、愛に酔いつぶれ、愛撫し合って楽しみましょう。』ここで 19 節と 20 節を読んでみましょう
『夫は家にいません。遠くへ旅に出ていますから。金の袋を持って出ました。満月になるまでは帰って来ません」と。』(箴言 7 章 1 節-20 節)
このように彼女はこの男を騙します。気付いたでしょうか。彼女は夫が家にいないことを知っていました。彼女はイエスが長い旅に出て、“満月”に戻って来ることを知っていました。また満月とはどのようなものでしょう?それは月が太陽からの光を最大限に反射しているときです。人は聖書をある時点で理解しなければなりません。暗やみがあっても、そこには太陽の一筋の光があります。しかし、ともしびに油を備えていない人にとって、その時油を買いに行くのは時が既に遅すぎます。私たちは今、油を買うべきなのです。†††
Hannukah - Japanese
エゼキエル 8 章 9 章
ジェイムズ・ジェイコブ・プラッシュ
エゼキエルとはヘブライ語で、「神の力によって」という意味です。彼の奉仕はまさに、ただ神の力によって実行されたものでした。預言者たちの名前は大抵の場合、神が定めたその人の奉仕の特徴を描き、表現しています。
エゼキエルは、初めイザヤによって預言され、後にエレミヤが預言したバビロン捕囚の到来の直後に登場しました。それは最終的にエゼキエルの時代に始まったのです。民が悔い改めなければ来ると言われていた、その裁きが実際に始まっていたのです。それははっきりと神の裁きとして始まったのですが、人々はそれを神の裁きではないと否定していました。すべてのことが行き詰っていましたが、人々は勝利が来ると主張し続けていたのです。これは今日の状態に似ています。『勢いのある教会(The Unstoppable Church)』(より正確に今の状態を言い表すなら“勢いのあるモスク”ですが)というような本があったりします。彼らの体は実際には重病にかかっているのに、自分の体に対して嘘を付いているようなものなのです。人々は単純に、事実に目を向けたがりません。イザヤやエレミヤが最初から現実に起こると予告していたことを、認めたがらないのです。
エゼキエルは神の裁きは継続し、ますます悪くなると予告しました。その理由は民の罪が継続し、さらに悪くなっていたからです。彼らは神の裁きが来ているのを見ても、悔い改めることをしなかったのです。また、このことは黙示録の中でもほのめかされています。神の裁きが頻繁になり、激しくなってきても、人は心をかたくなにし、神を呪い、罪にとどまったとあります。エゼキエルの時代にもそうであり、終わりの時代にもそうなるのです。エゼキエルは黙示録と深い関連があり、同じことを示しています。
エゼキエル 9 章 4 節『主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」』裁きが始まる前に、神の家、神の町の中で行われている忌みきうべきものを見る人たちがいます。また、神は言われます。「本当に私のものである者たちにしるしをつけよ。間違っていることを見て、何が間違っているかを理解し、嘆いている者にしるしをつけよ。裁きが来る前にしるしをつけるのだ。」
『また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上っ
て来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫ん
で言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」』(黙示録 7 章 2 節-3 節)黙示録 13 章に至っては、獣のしるしに関して書かれており、主の与えられるしるしと獣のしるしは、互いに排他的であるということが分かります。
歴史と考古学によって、エゼキエルで言われているしるしはヘブライ語の「トブ(tov)」という文字であったことが知られています。今日、ヘブライ語のトブという文字は H
に足が付いたような形に書かれます。しかし、捕囚以前のイスラエルでは傾いた十字のように書かれていて、おそらくその原型は直立の十字でした。したがって、エゼキエルの時代の神のしるしは実際に十字架のしるしだったのです。
黙示録 9 章 4 節『そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。』もう一度、神の裁きが来る前に彼の民にはしるしがつけられます。教会は患難に入りますが、その最も酷い状況からは救い出されるのです。しかしながら、その中のある時期は耐え忍び、主にしるしをつけられ、何らかのかたちで守られるのです。終末に登場する 14 万 4 千人の奉仕者たちは、確実に主のしるしを持っています。イスラエルの子孫たちはエジプトにおいて裁きの大半を経験しました。出エジプトで記されている同じ裁きがこの世の終わりに再現されます。そして、それは黙示録で起こることの主な予型なのです。暗闇や水を打つことなどがそうです。ヘブライ人たちはある部分は経験しましたが、最も酷い中からは救い出されました。それと同じことが世の終わりにも起こります。神はご自分の民にしるしをつけるのです。
主のしるしという考えは、もちろん黙示録から始まったことではなく、エゼキエルですらなく、トーラーからであり、出エジプトで言及されています。出エジプト 13 章 9 節『これをあなたの手の上のしるしとし、またあなたの額の上の記念としなさい。それは主のおしえがあなたの口にあるためであり、主が力強い御手で、あなたをエジプトから連れ出されたからである。』
エゼキエルに戻ってみましょう。裁きがやって来る前に、忌みきらうべきものとその悪とを見て、嘆く者たちは―その心が真実に神のものとなっている者たちは―十字架のしるしが付けられました。また黙示録では、忌みきらうべきものを見て、嘆く者たちに十字架のしるしがつけられるのです。
エゼキエルの時代にその裁きは始まっていました。捕囚が開始されていたにもかかわらず、
民は「ああ、ただ私たちは一時的に痛手を負っているだけだ。長続きはしない。」と言って
いましたが、実際は、ネブカドネザルはユダヤを 4 回に分けて侵攻し、その度に結果はひどいものとなっていたのです。それはあたかも悪の波が次々と来るように、先にあったものより悪くなるのです。そのように神の裁きは来ます。しかし、神の民はしるしがつけられます。彼らは真実に神のものなのです。
エゼキエルの幻は主に神殿周辺に関してでした。エゼキエル 47 章は千年王国の幻であり、ヘブライ語で「シムカ・ベイト・ハ・ショイバー(Simchat beit Ha Shoyivah)」と呼ばれる神殿の丘で水を注ぎ出す儀式を背景にしています。それはハ・スコット(Ha Succoth)と呼ばれる仮庵祭が祝われていたときでした。ヨハネ 7 章もこのことを示唆していて、その意味はいつも千年王国についてでした。
私はニューエイジ“クリスチャン”であるパトリック・ディクソン(Patrick Dixon)が意識の変化した状態について話しているのを聞きました。彼が言うには、聖書の中でいつも神の臨在が現れるとき、人々は理性を失い、普段とは違った意識に入ると言っていました。これはトロント・ブレッシング(Toronto Blessing)などを受け入れることが出来るという彼の弁護なのです。その例として、彼はペテロがイエスの山で姿が変わったことを取り上げ、彼は幕屋を作りたいという愚かで、おかしなことを考えたと言っています。ディクソンはそれをばかげたことと考えているのです。私は彼に次のことを示し、それは何もばかげたことではないと指摘しました。つまりペテロはその変貌が、ユダヤ人の祭りである仮庵祭のメシアによる成就だと考えていたのです。モーセとエリヤがメシアと共にその姿が変えられたので、何もばかげたことではなく、ペテロはそれが千年王国の到来だと考えたのです。明らかにディクソンはこのことを一度も考えたことがないようでした。その文脈において、ペテロの行為は全く理性的なものだったのです。彼は私に「どうしてそう言えるのか?あなたはそこにいたのか?ペテロと話したことがあるのか?」という質問をもって答えてきました。私はそれに対して、「私は第二神殿期の仮庵祭のメシア的な象徴がどのようであったかを知っている」と言いました。これに対してはディクソンも返す言葉が無かったようでした。このように現代はどうしても、さまざまな毒が大きな釜に入っているような状態なのです。
エゼキエルの神殿:「神殿の象徴(The Typology of the Temple)」のテープでは、ギリシヤ語とヘブライ語において少なくとも七箇所で“神殿”に関する単語、ナオス(naos)、オイコス
(oikos)、ヒエロン(hieron)、べト・ミシュカン(beth mishkan)、ベト・ミグダシュ(beth
migdash)、ハ・ヘカル(Ha Hekal)、これらが色々な箇所で教会の象徴として用いられていることを詳しく教えています。そして例えば、1ペテロ 2 章 5 節では『あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。』とあり、コリント人への手紙では教会は神殿
と呼ばれており、エペソ人への手紙の 2 章・4 章では神殿は教会の象徴です。また、使徒の働きではダビデの幕屋を建て直すことが語られていて、それはアモス書の『その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。』(9 章 11 節)という箇所の引用です。新約聖書は少なくとも、これは部分的に異邦人の教会において成就されたと明らかにしています。また、反キリストについてのテープでは、荒らす憎むべき者に関して語っており、ダニエル書で語られた至聖所である聖なる場所に、彼が立つことについてです。このことは歴史の中のいくつかの時点で部分的に成就されました。その最も顕著な例がアンティオコス・エピファネス (Antiochus Epiphanes) によって成就されたときです。またこのことも「ハヌカー
(Hanukah)」のテープに収録されています。
エルサレムに神殿が再建され、憎むべきものがそこに建てられるとしても、それが物理的な神殿に関して起こることですが、それはただ霊的に起ころうとしていることの反映でしかないのです。イエスが十字架上で死んだとき、神殿の幕は上から下に裂けました。このことは罪深い人間と聖い神との隔たりが、もはや無くなったことを示しています。物理的な奇跡はその物理的な神殿で起こりました。しかし、それは一番大切なことではありません。一番大切なことはその奇跡が象徴していることです。私たちの大祭司であるイェシュアが罪のためにささげられたために、人間はもはや神から離れてはいないのです。したがって、荒らす憎むべき者についてもその通りです。憎むべきものが何らかの形で神殿に建て上げられるとしても―私はそれが実際に起こることを確信していますが―それはただ単に霊的に起こることの前兆なのです。反キリストは神の家で礼拝されたがります。このことは反キリストについてのテープで扱われています。そこではアラム語での荒らす憎むべき者について説明しています。
エゼキエルは主の家で忌みきらうべきことを見ました。もう一度、8 章 1 節から始まる 2
章を読んでみましょう:
『第六年の第六の月の五日、私が自分の家にすわっていて、ユダの長老たちも私の前にすわっていたとき、神である主の御手が私の上に下った。私が見ると、火のように見える姿があった。その腰と見える所から下のほうは火で、その腰から上のほうは青銅の輝きのように輝いて見えた。すると、その方は手の形をしたものを伸ばし、私の髪のふさをつかんだ。すると、霊が私を地と天との間に持ち上げ、神々しい幻のうちに私をエルサレムへ携え行き、ねたみを引き起こすねたみの偶像のある、北に面する内庭の門の入口に連れて行った。なんと、そこには、私がかつて谷間で見た姿と同じようなイスラエルの神の栄光があった。その方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、目を上げて北のほうを見よ。」(災いはいつも北からやって来ます)そこで、私が目を上げて北のほうを見ると、北のほうの祭壇の門の入口にねたみの偶像があった。』(8 章 1 節-5 節)
“人の子”とは終末的な称号であり、他のすべての預言者たちと同じく、イエスを何らか
の形で示しています。イエスは終わりの時代に関して神の子とは一度も呼ばれませんでした。彼の再臨について語られているとき、それはいつも人の子がやって来ると書かれています。
『この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。イスラエルの家は、わたしの聖所から遠く離れようとして、ここで大きな忌みきらうべきことをしているではないか。あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」』(8 章 6 節)
またここにおいても、荒らす憎むべき者が示唆されています。
『それから、この方は私を庭の入口に連れて行った。私が見ると、壁に一つの穴があった。この方は私に仰せられた。「人の子よ。さあ、壁に穴をあけて通り抜けよ。」私が壁に穴をあけて通り抜けると、一つの入口があった。この方は私に仰せられた。「入って行き、彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきことを見よ。」私が入って行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。また、イスラエルの家の七十人の長老が、その前に立っており、その中にはシャファンの子ヤアザヌヤも立っていて――彼は名前をも明らかにします!――、彼らはみなその手に香炉を持ち、その香の濃い雲が立ち上っていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたは、イスラエルの家の長老たちがおのおの、暗い所、その石像の部屋で行なっていることを見たか。彼らは、『主は私たちを見ておられない。主はこの国を見捨てられた』と言っている。」さらに、私に仰せられた。「あなたはなおまた、彼らが行なっている大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」ついでこの方は私を、主の宮の北の門の入口へ連れて行った。するとそこには、女たちがタンムズのために泣きながらすわっていた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。これを見たであろうが、あなたはなおまた、これよりも大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」そして、この方は私を主の宮の内庭に連れて行った。』(8 章 7 節-16 節)
旧約聖書の中では、神の宮を進んで行くにつれてさらに聖い場所に至ります。
『すると、主の宮の本堂の入口の玄関と祭壇との間に二十五人ばかりの人がおり、彼らは主の宮の本堂に背を向け、顔を東のほうに向けて、東のほうの太陽を拝んでいた。この方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているような忌みきらうべきことをするのは、ささいなことだろうか。彼らはこの地を暴虐で満たし、わたしの怒りをいっそう駆り立てている。見よ。彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしている。だから、わたしも憤って事を行なう。わたしは惜しまず、あわれまない。彼らがわたしの耳に大声で叫んでも、わたしは彼らの言うこと
を聞かない。」この方は私の耳に大声で叫んで仰せられた。「この町を罰する者たちよ。
おのおの破壊する武器を手に持って近づいて来い。」見ると、六人の男が、おのおの打ちこわす武器を手に持って、北に面する上の門を通ってやって来た。もうひとりの人が亜麻布の衣を着、腰には書記の筆入れをつけて、彼らの中にいた。彼らは入って来て、青銅の祭壇のそばに立った。』―青銅の祭壇は十字架の象徴です―『そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。』(エゼキエル 8 章 16 節-
9 章 5 節)
神はご自分の民に害を及ぼすことを許しませんでした。また、彼はご自分の者にはしるしをつけ、残りの者は打てと命じました。黙示録では、木々に害を加えないように命じられています。―『野の木々もみな、手を打ち鳴らす。』(イザヤ 55 章 1 節-2 節)―木々は神の民を象徴しています。これがエゼキエルでも起こったことなのです。
神はエゼキエルを取り、忌みきらうべきことを次々に見せました。それはますます悪くなるばかりでした。彼が最初に見た忌みきらうべきことに注目してみましょう:ねたみの偶像、主の家での偶像礼拝です。ヘブライ語での「礼拝する」という言葉は「ヒシャタクヴァー(hishtakvya)」といい、不定詞では「ヒスタカヴォート(Histachavot)」すなわち「ひれ伏す」ということです。誰でも像や彫られた偶像の前にひれ伏し、拝むならそれは偶像礼拝です。ハイ・カトリックやローマ・カトリック、これらのものは偶像礼拝です。
この話は次のように始まりました。神はエゼキエルを天と地の間に持ち上げて、「見よ。今あなたは天から、わたしが見るように見ている。彼らがわたしの家、わが聖所、会見の場所でしていることを見たか。」と言いました。エゼキエルはそれを見て、驚きました。しかし、神はエゼキエルに「これがわたしの家、わが聖所での偶像礼拝である。しかし、人の子よ、あなたはさらに忌みきらうべきものを見ることとなる。」と言われます。その後神は神殿の中へとさらに奥へと彼を導かれます。そこでは、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていたのです。ここでの
「忌むべき」とはヘブライ語で「シェケツィム(shektzim)」というもので、異邦人女性を軽蔑した言い方の「シクセー(shikseh)」という言葉はこれから来ています。黙示録において、サタンにはふたつの攻撃する形態があると、私が言っているのを聞いたことがあるでしょうか。蛇と竜です。竜は迫害者としてのサタンです。また、蛇とは欺くものとしてのサタンです。これらのはうものも「シェケツィム」と呼ばれ、それは「ねばねばした爬虫類」
という意味です。それらは古代中近東で行われていたヘビ崇拝などから来た悪魔の象徴で
すが、インドの西部に至るまでヘビ崇拝が行われています。荒らす忌むべき者はそこから取られたものです。主の家の中にいる悪霊:この時点でただの偶像礼拝が、明らかな悪霊崇拝になっていくのです。
しかし、神はそれからエゼキエルに言われます。「あなたはさらに悪いものを見ることになる。わたしの家でさらに忌みきらうべきものを見るのだ、人の子よ!」そして神は宗教指導者たち―レビ人やコヘニム(cohenim)などの“牧者たち”―をあちらこちらで名指しで呼びます。また彼はシャファンの子ヤアザヌヤが彼らの内に立っていたと書いています。そこにいるべきではない人々、いるはずのない人々が香を持ってそこにいるのです。香は聖徒の祈りを象徴しています。しかし、それらの祈りは本当の神にはささげられていないのです。彼らは真実の神を礼拝していません。パウロは1テモテ・2テモテにおいて、ヨハネは3ヨハネにおいて、信者たちを過ちに引き込もうとする指導者たちの名前を公に挙げました。使徒と預言者たちはためらうことなく、そのような者たちの名を明らかにしたのです。
このエゼキエルの箇所において、偶像礼拝が行われており、明らかな悪魔崇拝があり、また神の指導者たちが民をそこに引き込んでいました。神は主の家でそのように指導者たちが悪事に加担することは、何にも増してひどく忌みきらうべきことであると宣言しています。
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』その次に神がエゼキエルに見せられたのはタンムズ礼拝でした。タンムズは乳飲み子の神であり、彼の母であるマドンナに抱きかかえられていました。ローマ・カトリックのマドンナと子どもという考えは、タンムズ礼拝をカトリック化したものです。そうでしかありません。エレミヤ 44 章では、女たちが天の女王のためにパン菓子を焼いている光景に出くわします。これはカトリックのマリア崇拝と同じものです。タンムズに関して言うと、イエスは無力な幼児として描かれ、一方でその母は力のある独立した大人として表現されています。このような考えのもと、マリアが私たちの共通の贖い主であり、共通の仲介者であり、共通の救い主であるとカトリックは主張しているのです。彼女は今まで存在した女性の中で最も偉大であることは事実です。しかし、彼女自身、救い主が必要であると言いました。
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』そう神はエゼキエルに言いました。
『人の子よ。あなたは彼らのしていることが見えるか。』まず、それはねたみの偶像であり、
次に悪霊でした。その次に指導者たちが手をつけたものとは―より知識があるべき者たち
が民を迷わせます―タンムズ礼拝でした。この次には何が来るのでしょうか?
『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』神はエゼキエルを玄関と祭壇の間にある内庭に連れて行きました。そこで彼が見たものは公然と太陽を拝む者たちでした―公然と他の神々に祈っていたのです。これらのバビロンの宗教は単なる礼拝以上のもの、不品行などをも含んでいます。不品行と偶像礼拝は共に起こります。古代ギリシヤではそれは神殿娼婦でしたが、その起源はギリシヤ以前にさかのぼります。礼拝の中での性の堕落です。サタン崇拝にかかわりを持つすべての成人式は、何らかの性的な儀式を含んでいます。ロザラム(Rotherham)にいる、私の知っているクリスチャン女性の娘は、サタン的なカルトに参加していました。そこで大祭司がサタンと関わり持たせるため、彼女を“結婚”させたのです。儀式のすべてが性的で汚らわしいことで満ちていました。この女性は当然のことながらとても動揺していました。
状況はますます悪化していきます。民はそれを無視していましたが、イザヤやエレミヤが来ると、初めから警告していた神の裁きが実現していたのです。彼らは来るべき裁きを否定し、罪にとどまっていました。その一方で、指導者たちはそこに立ち、「もはや主はこれらのことを、本当には気遣っておられない。すべてはゲームなのだ。ただこれは私たちの仕事なのだから。」と言います。聖職者の中の多くのフルタイムの奉仕者たちが―彼らの中には福音派もいますが―奉仕がただの職業にすぎなくなっているのです。奉仕は仕事になっていて、召命でもなく、情熱をもってするものでもなく、神が天職として与えたものではなくなっているのです。ただ彼らの義務になってしまっています。
最終的に神は言われます、「真実にわたしのものである者たちにしるしをつけよ」。もはや望みはなくなりました。神はそのようなことを見て嘆いている者以外、あわれむことも惜しむこともなくなるのです。神はエゼキエルを天にまで上げて「わたしの聖所を見よ」そう言われると、彼は衝撃を受けました。また、神は「またそこにはあなたが見たものを見、ひどく驚いた者たちがいて、彼らはわたしの家で忌みきらうべきことが行われているのを見て嘆いているのだ。その偶像礼拝、不品行、また彼らの指導者たち自身が民を引き込んでいるのを嘆いている。これらの者たちにはしるしがつけられる。しかし、わが裁きは下ろうとしている。さらにあなたは忌みきらうべきことを見ることになるだろう」と言われ、
「人の子よ。あなたは彼らが行っていることを見たか。忌みきらうべきことをさらに見る
ことになる」と主は言われます。
白魔術を行う者が歴史上初めて、イギリスの大学で多神教のチャプレンになりました。「スーザン・ラドーン(Susan Ladourne)がリーズ大学で、オカルトを信じた生徒をカウンセリ
ングするために職務を引き継いだ。29 歳の魔術師は、魔術や多神教の儀式や礼拝をもって、生徒を指導する。」 しかし、これよりもさらに忌みきらうべきことを、私たちは見ます。一体どのようなものなのでしょうか?祭司たち―知識を持ち合わせているはずの者―が不品行に身をまかせ、魔術を受け入れているのです。いいですか、国教会のチャプレンであるサイモン・ロビンソン牧師(Rev. Simon Robinson)は魔術師にも果たすべき役割があるとしてそれを受け入れ、次のように言いました「私たちはすでにさまざまな宗教からチャプレンを採用している」。祭司たちは忌みきらうべきことや偶像礼拝が行われている中、香を持ち立っていました。彼らは「大丈夫、神は見てはいない」と言うのです。これがまさにエゼキエル書において起こっていたことです。「神は見てはいない」とコヘニムは言い、同じ事をレビ人も言いました。また、これはイギリス国教会の聖職者が今日言っていることなのです。
「あなたはなおまた、わたしの家で大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」と主は言われます。ヨークシャー・イブニング・ポスト(Yorkshire Evening Post)によると「一緒に住むことはもはや罪ではない―イギリス国教会は家族の価値観について姿勢を一変した」そうなのです。私は罪の中に生きていました。イエスが私の心の中に入ってきたとき、私はニューヨークに住んでいて、向かいの通りにいた、とても魅力的なアメリカ系イタリア人の女性と暮らしていました。そのとき、私は残りの薬物を取り、窓から 20 階下に投げ捨てました(それをガーナへ行く大使が拾って、自分のものにしたと思います)。そしてジューズ・フォー・ジーザス(Jews for Jesus)の当時リーダーだったサム・メードラー(Sam Madler)が私に言いました。「あなたは結婚するか、そこから出ていくかしなければならない。たとえ、あなたたちが一緒に寝ていないとしても、罪があるように見え、あなたの証を台無しにすることになる。」そこで私は彼女をキリストに導きました。よい証と信仰を保とうとして私は唯一の選択肢を選びました。つまり彼女に出ていくように告げたのです。
ここで言いたいのは、私がしていたことが間違っていると言われて、クリスチャンとしてそのままやっていけなかったということです。『結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。』(ヘブル 13 章 4 節)―もう彼女とはベッドを共にしないとしても、それは罪のように見えると言われたのです。証をし続けてきた私の隣人たちは、彼女と寝ていないということを信じはしなかったでしょう。しかし現在、イギリス国教会は一緒に住むことはもはや罪ではないと言っているのです。私は福音主義カリスマ派であると聞いていた、ジョージ・カーレイ(George Carey)大監督の、公式のイギリスの住所であるランバート官邸に電話をかけました。私は電話をし、かけ返してくれるようメッセージを残しました。彼らは私が何を望んでいるのか知りたがっていたので、『結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。』という新約聖書の箇所があるのに、どうやって結婚せずに寝床を聖く保てるのかと大監督に聞きました。それからという
もの返事は一切来ていません。
「あなたはなおまた、わたしの家で大きな忌みきらうべきことを見るだろう。」と主は言われます。ギリシヤ語の「デモノイ(demonoi)」とヘブライ語の「シェディム(shedim)」は、
1 コリントと申命記で使われていて、他の神々や悪霊たちのことを述べています。旧約と新約はどちらもそれを告げています。エゼキエルははうものや悪霊などのシェディムが、神の聖所、主の家で崇められているのを見ました。カンタベリー大聖堂に行き、自分自身の目で異教徒の間でなされている礼拝を見てください。アンセルム・チャペル(Anselm
Chapel)に行き、仏教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、シーク教徒などの礼拝で溢れていて、“クリスチャン”たちがそれを受け入れているのを見てください。『あなたはなおまた、大きな忌みきらうべきことを見るだろう。』
Midrash Garden 1 - Japanese
ミドラッシュ 園の中のイエス(1)
ジェイコブ・プラッシュ
モリエルミニストリーズに詳しくない人もいると思いますので、私たちがしているひとつのことを説明したいと思います。ユダヤ人信者たちを通して主が一世紀の教会を建て上げました。聖書はまずヘブライ人の文化に与えられました。私たちは初期のユダヤ人信者が読んだように、聖書を読むことを目標としています。何百年にもわたって、そのことをしようとした人たちはいました。特にプリマス・ブラザレンがそうです。私たちはこの終わりの日において、一世紀の教会がしたような聖書の解釈法を理解することは重要だと考えています。
(もうすでにご存知の方はすみません。しかし、この教えに耳が慣れていない人や、信仰に入ったばかりの人のために繰り返したいと思います。)
一世紀のユダヤ人信者が、ヨハネの福音書の最初の4章を読んだなら、創世記と似てい ると言ったことでしょう。ヨハネの福音書での「新しい創造」は、創世記の創造に対して ミドラッシュ(象徴・パターン)によって、それを深く探求しているものであると言うで しょう。ヨハネの福音書の中の「新しい創造」は、創世記の中の創造と関係があります。 創世記では神さまが地上を歩いていたとあり、人はエデンの園でそれを聞いたとあります。これはイエスのことを語っています。神学的な用語では、それはキリストの顕現と呼ばれ るもので、旧約聖書でのイエスの現れです。ヨハネの第一章ではことばは人となったとあ り、もう一度、神さまが地上を歩いているのです。
創世記で記されている、小さな光と大きな光とは、月と太陽のことです。ヨハネの福音書では、また小さな光である――バプテスマのヨハネが登場します。ヘブライ語の名前はヨハナン・ハ・マトビル(Yochanan Ha Matbil)と言います。そして大きな光はメシアであるイエス、ヘブライ語ではイェシュア・ハ・マシアハ(Yeshua Ha Machiach)です。
創世記では、神の霊が水の上を動いて被造物を生み出しました。ヨハネ3章では、水と霊によって生まれた者について書いてあります。また、御霊は水の上を動いて、今度は
「新しい創造」を生み出すのです。創世記の創造の三日目では、神さまは水に関する奇跡を起こされました。ヨハネ2章1節では、「三日目に」カナでの婚礼において、神さまはもう一度奇跡を起こされました。今回は「新しい創造」です。神さまは人に対しての最初
の計画を、アダムとエバの結婚のつながりによって始められました。イエスも、公の奉仕
をカナの婚礼において開始し、神さまの第二の計画も、結婚のつながりによって始まりました。ヨハネの福音書での「新しい創造」は、創世記の創造と多くの類似点があります。ミドラッシュ(象徴・パターン)的な考えをしているのです。
これのような聖書の箇所は無数に存在します。ユダヤ教の中でいのちの木といえば、ヘブライ語でエツ・ハイーム(ets hayyim)というのですが、いちじくの木に象徴されます。いちじくの木はエゼキエル47章と黙示録に登場しますが、最初のものは創世記の創造において登場します。ヨハネ 1 章でナタニエルがイエスに、どうして自分のことを知っているのかと尋ねたとき、イエスは答えました。『わたしは、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。』こう言ってイエスがナタニエルに示したかったのは、ただ彼が文字通り、いちじくの木の下にいたのを見たということではなく(それも含まれていますが)、イエスはミドラッシュ、またはユダヤ的な象徴を用いて、「わたしはあなたを世界のはじまり、創造のとき、園にいたときに見た」と本当は言っているのです。
創世記とヨハネの福音書は、「創造」と「新しい創造」です。聖書はパン屋の釜から出されたばかりの、一かたまりのパンと比べることができます。スライスされる前は、どちらの端も同じように見えます。同じように、主は初めから終わりまで告げています。これを切り開いてみると、ヨハネの福音書に当たります。多くの保守的プロテスタントはその同じヨハネが、黙示録を書いたと信じています。このような理解をもって見てみると、はじめは「創造」、次には「新しい創造」、そして「再創造」があるのが分かります。創世記を黙示録と比較して見てみるなら、似たようなものを発見します。もう一度、黙示録では、初め創世記で見たいのちの木を見ます。創世記49章ではヤコブの、イスラエルの十二部族に対しての預言があります。見てください、黙示録7、14章では再び十二部族が出てきます。
黙示録は「竜と蛇は投げ落とされた」とあります。私は間隙説で主張されているように、
恐竜が数百万年も古いと思っていません。蛇はかつて四足歩行または、二足歩行でした。それは歩いていたのです。
メキシコから中国まで、すべての文明で竜の物語が残っているのは興味深いことです。私は何度も、オーストラリアのシドニーにあるトランガ動物園に行きました。そこはとても素晴らしいものです!長さ2.7または3メートル、高さ90センチ、幅60センチから90センチ、そしてあなたをも食べることの出来るトカゲを、あなたはどのように呼びますか?それはコモド・ドラゴンです。恐竜という言葉の意味は単に「大きく、恐ろしいトカゲ」というものです。私はそれをこの時代に見ました。
話を戻すと、黙示録で登場する竜は迫害者としてのサタンです。蛇とは欺く者としての
サタンです。イエスはアベルが最初の殉教者であるとマタイ23章で言いました。『あなたの弟の血が叫んでいる』神は創世記の中でカインに言いました。黙示録ではどうでしょうか?祭壇の下にいる殉教者の血が叫んでいます。
そして、創世記でヨセフは女と星の幻を見たと言われています。再び黙示録では、12章で星をまとった女が現れます。類似点はこのように次から次へと続きます。そうです、それは一かたまりのパンのようなのです。スライスされる前は、どちらの端も同じように見えます。それを切ってみると、そこにパターンを見出します。「創造」、「新しい創造」、
「再創造」です。
この背景を考慮した上で、創世記3章を開いてください。創世記をヘブライ語ではベレシート(Bereshit)と呼びます。「はじめに」という意味です。5節『あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。』私たちはここで、ヨハネの書簡で警告されているように、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢を発見します。黙示録とヨハネの福音書の著者であるヨハネは、この三つの書簡の著者でもあります。彼の著作を通して、創世記に対してのミドラッシュを見ることが出来ます。肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢はもうひとつの例です。
総括的にいうと、神さまの中ではふたりの人しかいません。最初のアダムと最後のアダムです。あなたが肉体的に生まれたとき、アダムから生まれました。あなたが生まれ変わったとき、最後のアダムから生まれました。それはイエスです。
第二のアダムであるイエスは、ある面においてアダムのようにならなくてはいけませんでした。アダムとイエスは、神さまによって、生殖の媒体無しに造られ、罪の無い状態で創造されました。しかし最初のアダムは罪に陥りました。イエスさまが私たちの罪を彼自身で負うために、十字架に行く前に、彼は最初のアダムがした反対のことをしなければなりませんでした。なので、マルコ1章では、イエスに対する試みを描くとき、アダムがそうであったように野の獣が彼とともにいたとあるのです。アダムの特徴を持ったイエスがここでは描かれています。そこにサタンが来て、アダムとエバが陥ったのと同じ三つの誘惑を与えました。肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢です。最初のアダムが陥ったものに第二のアダムは陥りませんでした。イエスは十字架に向かう前に、最初のアダムが圧倒されたものを乗り越えねばならなかったのです。そして、その後にようやく十字架に向かう
ことが出来ました。そこで『悪魔はしばらくの間イエスから離れた』とあるのです。最初
に、サタンはイエスに、最初のアダムが陥ったのと同じ罪に、陥らせようとするしかなかったのです。そして次に、イエスは私たちの罪を取り去ることが出来ました。彼はアダムのしたことと、正反対のことを行うまで、私たちの代わりに十字架に行くことが出来なかったのです。最初のアダムが陥ったことを乗り越えるまでです。
ここで、「知る」という言葉に注目してみたいと思います。ヘブライ語ではラ・ダオート(la daot)、ギリシア語ではグノスコ(gnosko)と言います。アダムとエバが地を支配しろと言われる前から、蛇はそこにいました。彼らは悪が存在するということをどんな時でも知っているべきだったし、それが何かを客観的に知るべきでした。しかし、彼らはそれを自分自身で知るべきではありませんでした。それが存在することは知っておくべきでしたが、経験的に知ってはいけなかったのです。私たちはエデンの園にいのちの木があったことを知っています。善悪の知識の木もそこにありました。アダムとエバは二つの選択肢を持っていました。いのちの木、あるいは善悪の知識の木です。彼らは自ら神になること、持つべきではない知識を持つことを選びました。悪の存在を知るべきでしたが、それを自分自身で知るべきではなかったのです。これを理解するために色々な知識があるということを知らなければなりません。聖書から二つの例を見てみましょう。
最初の例は、贖いの日の大祭司に見ることが出来ます。大祭司だけが至聖所に入ることが出来ました。さらに一年に一回の贖いの日であるヨム・キプール(Yom Kippur)だけにです。しかしヘブル人は誰でもレビ記を読めば、至聖所の中に何があるかを知ることが出来ました。備品、備えのパン、契約の箱などの記述を読めるのです。その意味では、そこに何があるかを知ることが出来たでしょう。しかし、大祭司のみが、その中に入ることがどのようなものかを、知ることが出来たのです。なぜなら、そのために任命されていたからです。彼はそのために聖なるものとされ、区別されていたのです。区別されるとはヘブライ語ではメ・クデシュ(me kudesh)といいます。ヘブライ語の「知る」と、「区別する」という意味である「聖別する」という言葉はラ・ダオート(La daot)レ・ヒート・コデシュ(Le Heet kodesh)というように聖書ではしばしば一緒に使われます。誰でも至聖所の中に何があるかを知ることが出来ましたが、そのために聖められた人だけが、至聖所の中に入ることがどのようなものかを、知ることが出来たのです。
他の箇所では、この二つの言葉は、結婚に関して、お互いに関連をもって使われています。誰でもグレイの生体構造(という本)を買って、女性の体を見ることが出来ます。図表、チャート、卵巣組織の写真、卵管、子宮組織など、どんな女性の組織も見ることが出来ます。全てがその本にあります。誰でも女性の体がどのように成り立っているかを知ることが出来ます。ヘブライ語で「結婚する」とは「聖なるものとする」「聖別する」ことを
意味します。ユダヤ人の結婚式ではメ・クデシュ(Me kudesh)または、「この指輪をもって結婚します」と言います。それは文字通り「聖別する」ということです。モーセとイスラエルの律法によってあなたを自分のために区別するという意味です。つまり「結婚する」と「聖別する」という言葉は同じなのです。ヘブライ語で「結婚を完了させる」とは
「知る」という言葉です。
誰でも、女性の体の中がどのようであるかを知ることが出来ます。しかし、そのために 聖よめられた人だけが、その中に入ることがどのようなものかを、知るべきなのです。同 じように、誰でも、至聖所の中がどのようであるかを、知ることが出来ますが、大祭司を 除いては誰も、その中に入るということがどのようであるかを、知ることが出来ないので す。ギリシア語のグノスコ(gnosko)とも同じです。アダムとエバは悪と悪魔の存在をど んな時でも知っておくべきでした。彼らは、堕落する以前であっても、地の上のものは支 配されなければならないことを知っておくべきでした。それを客観的に知るべきであって、経験的には知るべきではありませんでした。知るべきでしたが、同時に知るべきではなか ったのです。
『このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。』聖書の中で裸は単に、マウイ、ハワイやイスラエルのエラトにあるようなビーチの裸を意味していません。そのような場所の東洋宗教の人たちは、裸で泳ぎ、人が考えもしないような所に竜や花、その他の多くのものを入れ墨しています。彼らは野蛮人がするようにビーチを裸で走っています。しかし、これは最初に話していたことではありません。アダムとエバはそうです、文字通り裸でした。しかしそれ以上のことを示しています。黙示録のラオデキアの教会を思い出してください。『あなたは、みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。』イザヤが語ったように、裸であることは救いの衣を着ていないことを象徴しています。
アダムとエバは、今、救われる必要があると知りました。罪を犯したからです。それゆ え、罪悪感を持った彼らは、いちじくの葉をつづり合わせました。創世記と黙示録で読ん だことを思い出してください。黙示録において、いちじくの葉は諸国の民をいやしたとあ ります。なので、聖書的にいちじくの葉は善い行いの象徴なのです。アダムとエバがいち じくの葉をつづり合わせたように、堕落した人間はいつでも、罪のない神さまに向かって、善い行いで自分を正当化しようとするのです。
地上の全ての宗教は福音と正反対です。神さま――イエスは――園でアダムとエバがいちじくの葉を覆いにしているのを見て、いちじくの葉を認めず、罪を取り去るためには血
の注ぎがなければならないと言われました。宗教は人が善い行いによって神さまに近づこ
うとするものですが、福音は神さまが人に近づこうとするものです。そうです、それがどんな形であろうと、宗教は福音と正反対なのです。たとえそれが、戸別訪問するエホバの証人やモルモン教であっても、ミツボヴォート(mitzvot=善行)を守ろうとする正統派ユダヤ教であっても、勤行を行うカトリック教徒であっても、ハイジのイスラム教徒でも違いはありません。全ての宗教が、いちじくの葉をつづり合わせることによっての、神さまの前での正当化という、役に立たない試みを基礎としているのです。しかしながら、そこには救いの確信はありません。対して、聖書は『私たちの義はみな、不潔な着物のようです』とはっきり告げています。マザー・テレサの義は不潔な着物のようであると私が言っているのでしょうか?いいえ、私ではなく神さまです。
クリスチャンは救われるために善い行いをするわけではありません。本当のクリスチャンはむしろ、救われたので善い行いをします。私たちの義ではなく、私たちを通してのキリストの義です。これは人の手による宗教とは全く違います。私たちは自分の救いを得るために善い行いをするのではなく、救われたからそうするのです。このことによって、なぜイエスさまがいちじくの木をのろったかが分かります。葉はありましたが、実はありませんでした。同じように、イスラエルは律法主義に基づく、行いによる義を持っていましたが、御霊の実を持っていなかったのです。
私たちが理解しておかなければならないことは、葉はとても重要だということです。中東では日光がとても厳しいので、葉が無くては実を保つことが出来ません。特にいちじくの木についていえば、実は葉の下に育ちます。しかし、イエスさまがその木をのろったとき、いちじくのなる季節ではなかったと書いてあります。この話から私たちが気付かなくてはいけない警告は、『人の子は、思いがけない時に来る』ということです。私たちはいつでも準備を整えていなければなりません。そうです、葉が無くては実は保てません。ヤコブが『行ないのない信仰は、死んでいる』と言ったようにです。葉に悪いところはないのですが、しかし、それを食べることは出来ません。葉は必要ですが、最も優れた葉でさえも、実が無いことを補うことは出来ないのです。私たちは人を、その行いによって知るのではなく、その実によって知るべきです。注目すべきなのは、行いは実があることの証拠だということです。なぜなら、葉は大抵、実が出来るときに現れるからです。しかし、葉が多いということは必ずしも実があることを保証しません。
アダムとエバはいちじくの葉をつづり合わせました。今日、全ての宗教がしているようにです。多くの福音的ではない「教会」が自分たちはクリスチャンであると思っています。もし、「どうやって天国に行くのですか?」と尋ねたなら、彼らは、善い行いが悪い行いよりも上回っていることによってです、というようなことを言うでしょう。裸であること
を隠すために彼らは何をしているのでしょうか?いちじくの葉をつづり合わせているので
す。彼らはミサで何をしているのでしょうか?いちじくの葉をつづり合わすことです。モスクでは何が行われているのでしょうか?また寺や神社ではどうなのでしょうか?いちじくの葉をつづり合わせています。それが救いを得るために役に立たないにもかかわらず、全ての宗教がしているのは、いちじくの葉をつづり合わせることです。救いのためには、血による贖いが必要です。
この話にはまだ続きがあります。『そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。』ヘブライ語での「そよ風」は「すずしい」という意味もあるルアハ
(ruach)と言う言葉です。ヘブライ語での「そよ風」は一方で、「霊」という言葉でもあ ります。それはギリシア語ではニューマ(pneuma)といい、ヘブライ語ではルアハ(ruach)です。なので、ヘブライ語の本文では、聖霊の存在が暗示されています。『それで人とそ の妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びか け、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」』私たちはこの「園の木」について 語られているときに、終わりの日に関することを思い出します。イエスさまはいちじくの 木のたとえを見て、学べとは言われませんでした。ルカを見ると、彼は『いちじくの木や、すべての木を見なさい。』または、「他の木を見て学びなさい」と言われました。これは 今日の主題ではないのでただ示すだけにしますが、この箇所にはほとんどのクリスチャン が分かる、いちじくの木のたとえ以上のものがあるのです。実は、いちじくの木や他の木 のたとえは士師記9章に見出されます。続けましょう。
園の中では登場人物が紹介されています。何よりもまず、肉体を持つイエスとして現れ た神がいます。欺く者としてのサタン。そして裸の男です。今までのところ、登場人物は 神さま、サタン、裸の男の三人です。読み進めてみると、『彼は答えた。「私は園で、あ なたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」すると、仰せにな った。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならな い、と命じておいた木から食べたのか。」』あたかも、神さまは知らなかったかのようです。もちろん知っていましたが、アダムに挑んだのです。『人は言った。「あなたが私のそば に置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」』神さまは その全知によって、誰が最初に食べたかを知っていたにもかかわらず、エバのもとには行 かず、アダムのもとに行きました。あってはならないことですが、私の結婚生活や家庭、 またはあなたの結婚生活や家庭に問題が起こるなら、男性の皆さん、それは私たちの過ち ではないかもしれません。しかし、神さまによると私たちの問題なのです。男性は結婚の 関係の中で、神さまの権威なのです。
聖書の中で、男性が女性に霊的な権威を持たせたときには、いつも災難が起こりました。
アブラハムとサラ、アハブとイゼベルがその二つの例です。これはそのままエデンの園に
逆行してしまうことであり、それ自体、サタンの古いやりかたなのです。今日、なぜリーダーシップがこの過ちに陥ってしまっているのでしょうか?それはすぐ分かります。続けましょう。
人は12節で言いました。『あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。』そして神である主は女に言いました。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は言いました。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」神である主は蛇に言いました。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」――復活によってです。『女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので…』ここで注目すべきなのは、のろいはまず、サタン、次に女、最後に男に宣告されたということです。最初はサタン、次に女、最後に男。裁きは罪の順番に応じて与えられました。
堕落によって、男は鈍感になりました。また女も堕落によって、ひどく敏感になりまし た。夫と妻が救われた多くの場合、大抵、妻が先に救われます。必ずしもそうであるわけ ではありませんが、少なくともおそらく75%の割合で妻が先に救われています。もし、 夫が先に救われるなら、これも75%の割合で妻が次第に救われます。――状況は人それ ぞれです。しかし、妻が最初に救われた場合、より困難な状況になることが多いのです。 クリスチャンの女性は長い間、信じようとしない夫を深く悲しみます。なぜ女性が救われ やすいのでしょうか?それはより敏感だからです。夫と妻が導きについて一緒に祈ってい るとき、多くの場合、妻が最初に、明らかに主からの声を聞きます。それは堕落のために、男性は女性の敏感さに頼っているからです。一方で、女性のほうが聖霊の声を聞きやすい のですが、また、偽りの霊の声を聞いて、霊的な誘惑にかられ、偽りに陥りやすいのです。女性は男性よりも霊的な誘惑に対して弱いのです。それゆえ、ちょうど男性が女性の敏感 さに頼っているように、女性は男性の保護に依存しています。クリスチャンの結婚での服 従は互いにすべきことですが、それは違った方法によってです。平等ですが違う役割を持 って、そして、責任は男性が持つものです。女性は霊的な誘惑に対して弱いのですが、男 性には少しも聞こうとしない弱さがあります。この堕落した世界ではそのようになってい るのです。堕落の以前にもそのような傾向はあったかもしれませんが、堕落によって今の
ようになりました。
それは園で起こりました。次に神さまは御使いを遣わして言いました。「ここから出て行け、もう入ってはいけない」4章に入ると、御使いは「出て行け」と言います。この園で人は堕落し、この園で、神さまは男と女にのろいを宣告しました。そしてこの園において、天使は「ここに入ってはならない」と言いました。ここで人はその神さまの前で裸でした。
しかし、この園において、救いの約束がありました。『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く』ご存知の通り、エバはイスラエル を象徴しており、さらには教会を象徴しています。教会はキリストの花嫁であり、イスラ エルは神さまのおとめです。
反ユダヤ主義と信仰のある教会への迫害は、頭と尾のようなものです。同じコインの裏表ともいえます。私たちはそれを区別しますが、離して考えることは出来ません。神さまのこの世に対しての救いの計画は、イスラエルとユダヤ人、信仰のある教会への預言的な計画次第です。聖書では2種類の人、ユダヤ人と信仰のある教会がアブラハムの子と呼ばれています。イエスの再臨は、イスラエルとユダヤ人、そして信仰のある教会に対しての預言の計画いかんに関わっているのです。
このために、ユダヤ人と信仰のある教会には共通の敵がいます。イスラム教徒がなぜ、イスラエルとアメリカを嫌うと思うでしょうか?それは純粋に政治的なものでしょうか?違います。そこには霊的な理由があります。歴史の中で今、アメリカは福音的なキリスト教の中心地となっています。それはイギリスが百年、2百年前にそうであり、宗教改革のときにドイツやスイスがそうであったようにです。
『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く』まず、多神教であったローマ帝国を見てみると、ネロの統治の下に教会に敵対しました。数年後、彼らはティトスの下にユダヤ人に敵対しました。現代ではソヴィエト連邦の下の共産党は、誰を一番迫害したでしょうか?ユダヤ人と新生したクリスチャンです!宗教裁判、大虐殺、殺戮の時代を通して、ローマカトリック教会は、誰を一番迫害したでしょうか?ユダヤ人と新生したクリスチャンです。アラファトを支持した人たちは何と言っていますか?CNNでは報道されないこととは何でしょうか?イスラム教系のアラブの推進派は毎日欠かさず言っています。「まず、土曜日のやつら。次に日曜日のやつらだ。聖戦!聖戦!」言い換えると、まず、ユダヤ人を殺して、次にクリスチャンだということです。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置
くとある通りです。
全ては園の中で起こりました。この観点でミドラッシュを見てみましょう。
ヨハネ18章1節、『イエスはこれらのことを話し終えられると、弟子たちとともに、ケデロンの川筋の向こう側に出て行かれた。そこに園があって、イエスは弟子たちといっしょに、そこに入られた。』四つの福音書の中で、唯一、ゲツセマネを園と認識しているのはヨハネだけです。この場合もやはり、ヨハネは創世記に対するミドラッシュを考えています。ケデロンとは西の神殿の丘、東のオリーブ山やハル・ゼイティム(Har Zeitim)の間にある、狭い谷です。ゲツセマネとはヘブライ語のシェメン(Shemen)すなわち「油」から来た名前です。私たちがシェメン・ゼィオート(Shemen ziot)と呼ぶオリーブ油は、ゲツセマネから運ばれ、儀式上今も使われています。彼らはオリーブ山に育ったオリーブを収穫し、ゲツセマネで搾ります。(実は今日も、オリーブ山には果樹園があり、専門家が言うには、樹齢二千年の木々があって、依然として成長し続けているとのことです。イエスの時代にもそれは存在したでしょう。オリーブの木は地震や汚染などの、環境的な災害に会わなければ極めて長生きするそうです)イエスが向かったのもゲツセマネの園でした。そこで始まったのです。神さまにとっては罪のあるすべての人よりも、罪の無いひとりの人のほうが、価値があります。そのために、ひとりの人が、すべてのひとのために死ぬことが出来たのです。
その園において、神さまは彼自身が私たちの罪を取り去りました。そして、わが子であるイエスに罪を負わせたのです。それは私たちが彼の義を着るためでした。
その場所で神さまはイエスに、私たちの罪を負わせることを始められました。
神さまの混ぜ物なしの怒りが十字架上で彼に注がれました。『ところで、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスがたびたび弟子たちとそこで会合されたからである。そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか」と彼らに言われた。彼らは、「ナザレ人イエスを」と答えた。』イエスの本当の名前はラビ・イェシュア・バルヨセフ・ミ・ネツェレツ(Rabbi Yeshua BarYosef mi Netzeret)でした。彼らはイエス・キリストがどのような人かを知りませんでしたが、ラビ・イェシュア(Rabbi Yeshua)なら知っていました。死人を生き返らせ、ツァラトを癒し、水の上を歩いた、その人だということを。
『イエスが彼らに、「それはわたしです」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そし
て地に倒れた。』たとえそれが敵であっても、すべてのひざはひざまずきます。
聖書の中で御霊によって倒される出来事があった時、それは一生に一度の人生を変える出来事だったことを思い出してください。人が堕落しているときに何が起こるかは問題ではありません。その人が立ち直ったときに人生がどのように違うかが重要なのです。しかし現代では、多くのクリスチャンたちが毎週教会の礼拝でこの経験を作り出そうとしています!倒れるために列に並んでいるのはどのような人たちでしょうか。先週、倒れるために列に並んでいた同じ人たちです。そのような人たちはスリル感のために倒れようとします。何においてもそうですが、悪い、姦淫の時代はこのようなしるしを求めます。
聖書において、御霊によって倒れることが神からの祝福であるとき、当の人は前方に倒れます。後方に倒れるのは唯一、呪いと裁きの時だけです。キリストを捕えに来た人たちがそうでした。
こう言うとおかしく聞こえるかもしれませんが、人々が祈るために教会の前方に出ていくと、定められた“キャッチャー(倒れる人を支える人)”が後に続きます。その人たちは後ろに立って、ただ彼らが倒れてくるのを待っているのです!倒れることが要求されています。もっと言えば、倒れないといけないというプレッシャーがあるのです。彼らが行う祈りは体を揺らすもので、そのためにバランスを崩して倒れます。目を閉じ、感情的になったクリスチャンはそれが神の力だと思い、倒れてしまいます。しかし、彼らは間違った方向に倒れています。私は個人的にこのようなことを何度も目撃してきました。
人々はこの体験が神からのものであると主張します。もしかすればそうであるかもしれませんが、もし神からのものであったなら、それは神が怒っておられるというしるしです。私はこれが悪霊による欺きと組み合わさった、催眠誘導であると確信しています。たとえそれが神からのものであったとしても、裁きでしかないのです。
だれを捜すのか。イエスは、それはわたしだと言いました。ギリシア語で「それはわたしだ」とはエゴ・エイミ(ego eimi)と言います。ギリシア語で同じ言葉は、ヨハネ9章でイエスが「アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです」と言った箇所、ここもエゴ・エイミです。人々は石を投げつけようとしました。なぜならご自分を神さまと等しくしていたからです。
登場人物に戻って考えてみましょう。エデンの園での神は、人としてのイエスです。ゲ
ツセマネの園での神も、人としてのイエスです。しかし、エデンの園にいた、欺く者とし
てのサタンは今もいます。ヨハネの福音書で、弟子たちがイエスと共にゲツセマネに行く 前、ユダに何が起こりましたか?その箇所は単に、サタンが彼のうちに入ったとあります。個人的にサタンにとり付かれるのは、反キリストまたはにせ預言者か、ユダのふたりだけ です。『彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったの です。』聖書の中でユダを見る時はいつでも、聖霊は反キリストについて何かを教えてい ます。ユダも反キリストも、どちらもお金に執着します。どちらも兄弟をだまします。
「主よ。まさか私のことではないでしょう」――彼らは、イエスが、裏切り者が誰であるかを明らかにするまでは、分からなかったのです。同じように、イエスが明らかにされるまでは、人々は誰が反キリストかを知ることは出来ません。
もしあなたが繁栄信仰の福音(神さまは私たちがお金持ちになることを望んでおられるなど)や、エキュメニカル運動(福音的な教会と、ローマ・カトリックのような福音的でない教会がつながりを持つこと)を見抜けないなら、反キリストが到来したときにはどうなってしまうでしょうか。
ユダはどうやって人々を信用させたのでしょうか?彼はマザー・テレサの手法を使って信用させました。いちじくの葉です。「なぜこれを売って、貧しい人に施さなかったのか?」彼は人に取り入るため、貧しい人に哀れみを抱いているように見せかけました。良い人であると思わせるためです。しかし、彼はただ、誘惑し、カモフラージュし、人を操るために貧困の苦しい状況を使ったにすぎません。マザー・テレサは亡くなる前に、救いの確信が無いと言っていました。彼女がノーベル賞をもらった時に、彼女はインドの人をクリスチャンに回心させるためではなく、より良いヒンドゥー教徒、より良いイスラム教徒にするためであったと明らかにしました(注…詳細は引用のページをご覧ください)。それは彼女の福音です。彼女は彼らの体を洗い、威厳を持ってきれいな場所で死ねるようにし、父、子、聖霊の御名によって、彼らを地獄に送ったのです。
Midrash Garden 2 - Japanese
ミドラッシュ 園の中のイエス(2)
ジェイコブ・プラッシュ
反キリストも同じことをします。彼は貧しい人を気遣っているように装い、素晴らしい人道主義者だと思わせるのです。もし、あなたがマザー・テレサ――偉大な神の聖徒――についての、真実を言おうとするなら、ほとんどのクリスチャンが怒り出すでしょう。あなたはただ、引用するだけであるかもしれないのですが、彼らにとっては非の打ちどころのない人なのです。しかし反キリストと比べたら、マザー・テレサでさえイゼベルほど悪そうに見えることでしょう。
もう一度、ゲツセマネでは、欺く者としてのサタンがいます。その他にだれがいるのでしょうか?共観福音書をさっと見てみましょう。マルコ14章51節、『ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。』彼らがイエスを捕らえようとした時、裸で逃げた男がいます。彼は迫害の時に信仰を失ってしまう人々の象徴です。彼らは自分のいのちを救うために、救いの衣を着ずに逃げ去ってしまうのです。またそのとき、大ぜいの人がつまずきます。
迫害に関して問題なのは、迫害される必要の無い者が初めに、最も酷く受けるということです。しかし、他の人はそれが来たときには、背教してしまいます。
イエスが『人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。』(マタイ 24:10)と言ったことを思い出してください。明日にでもつまずき、あなたを裏切るクリスチャンとは、今日ベニー・ヒン(Benny Hinn)、コープランド (Copeland)やヘーゲン (Hagen)に聞き従っている者です。
また、登場人物に目を向けると、園には、神さま、サタン、裸の男がいます。『「だれを捜すのか。」と彼らに言われた。「それはわたしです。」』そしてもう一度、『「だれを捜すのか。」「ナザレ人イエスを。」「それはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう。」』三回、イエスは「それはわたしだ」と言いました。『もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。』これは「集団共有」です。「集団共有(corporate
solidarity)」という言葉は神学用語で、多くの人のためにひとりの人が代表するときに用いられます。ヨハネの福音書ではこの集団共有が多く見られます。
それでは集団共有の例をふたつ示しましょう。バラバ(Bar Abbas)とはアラム語で「父
の子」という意味です。彼は今日のテロリストと同じような者でした。私はイギリスに住
んでいるので、IRA(アイルランド共和国軍)や UVF(民兵組織)がいる北アイルランドに頻繁に行きます。彼らはプロテスタントやカトリックのテロリストです。基本的には彼らは、政治的な宗教の名によって、組織的な犯罪のようなものを行っているギャングなのです。プロテスタントとカトリックの双方が行っています。彼らは基本的にはギャングであり、最も凶悪な種類の宗教的な偽善者なのです。バラバによく似ています。
「だれを望むのか?」ピラトは言いました。「このテロリストか、それともラビ・イェシュアか?」あなたがたはこの人殺しを望むか、それとも、少女にいのちを与えたラビを望むのか?目の見えない者の目を開き、足なえを歩かせ、耳の聞えない者の耳を開き、人々に愛、平安や真理を教えたこの者を?
「バラバだ」と彼らは言いました。バラバは私たちすべての状況です。正しくない者た ちのために正しい者が苦しんだのです。バラバ(Bar Abbas)は“父の子”という意味です。 私たちが御父の子どもとなるために、イエスは私たちの代わりに十字架に向かったのです。四福音書のすべてが法律の手続きをする法廷の中に、福音を位置しています。イエスは私 たちの身代わりに裁判にかけられました。バラバのためにです。四福音書すべてが、法廷 の中に福音を位置しています。御父を正しい裁判官として知らないかぎり、彼を愛の神と して知ることは出来ません。
今日、多くのクリスチャンがキリスト教を本来の“法律的な”背景から引き離そうとしています。“エマージング・チャーチ”の中にいる人たちは、キリストが私たちの罪の代価を支払ったということや、そのような用語には無縁です。その人たちは福音を贖いというより、ひとつの霊的探究として扱おうとしています。
もうひとつの集団共有は使徒のひとりに見出されます。私たちは英語においても、
「Doubting Thomas(疑い深い人)」という表現を持っています。トマスだけが疑ったのではありませんが、彼は「釘の跡を見なければ信じません」と言いました。ゼカリヤ12章
10節では、イエスが再臨した時、ユダヤ人が『自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ 見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。』とあります。これが不信仰なイスラエルが信じる時です。 彼らは釘の跡を見るからです。トマスは集団共有の一例です。彼は同胞のユダヤ人を表わ しています。
もうひとつの集団共有はこれです。「だれを捜すのか。」「イエスを」「それはわたしだ。この人たちを去らせなさい。」この人たちとは誰のことでしょうか?ペテロ、ヤコブやヨ
ハネは、あなたや私を表わしています。「だれを捜すのか」「イエスを」「それはわたしだ。
この人たちを去らせなさい」「それなら、ジェイコブ・プラッシュはどうなのですか?彼はコカインを売り、それで大学生活を支えていたじゃないですか?」「彼を去らせなさい。わたしを捜しているのでしょう。わたしを連れて行きなさい」「でも、彼はパトカーに火炎瓶を投げたような、キャンパスの過激派だったじゃありませんか?」「はい、わたしは彼がどのようであったか、何をしたかを知っています。わたしは彼をいちじくの木の下で見ました。彼を去らせなさい。」「同性愛者はどうなのですか?」「去らせなさい。わたしを捜しているのでしょう。わたしを連れて行きなさい。」「売春業者はどうなのですか?」「去らせなさい。わたしを捜しているのでしょう。」「売春婦はどうなのですか?」「去らせなさい。わたしを捜しているのでしょう。その人たちを去らせなさい」「去らせなさいだって?彼らは犯罪者じゃないですか!」「わたしは彼らを知っています。しかし、わたしを捜しているのでしょう。その人たちを去らせなさい。わたしを連れて行きなさい。そして、その人たちを去らせなさい」「あなたは誰ですか?」「わたしはあるという者だ。これが私の作った計画だ。わたしが園を歩いている者である。わたしがルールを定めた。そのルールによってすべてを行っているのだ。この人たちを去らせなさい。わたしを連れて行きなさい」
これが福音です。彼らは言った通りにしました。すべてが園で起こったのです。
園を続けて見てみましょう。ヨハネ19章を開いてください。もう一度、39節は園の場面です。『前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。』聖書の中で、没薬の使い方はひとつ、埋葬のために死体に塗ることです。イエスが誕生した時、黄金が贈られました。彼が王になるためです。乳香が贈られました。なぜなら、彼は祭司になられるからです。没薬も贈られました。なぜなら、彼が死ぬからです。スミルナにある教会にイエスが言ったことを思い出してください。「サタンはあなたがたを十日の間、牢に入れ、何人かを殺すでしょう」スミルナ(Smurna)とはギリシア語で没薬(smurna)から派生した名前です。
『そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料と いっしょに亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、 まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。』創世記、またゲツセマネと同じく、 そこは園でなければなりませんでした。『イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日がユダヤ人の備え日 であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。』イエスは園の中に葬 られました。前日の土曜日、彼らはハ・シュル・ハシュリム(Ha Shir Hashirim)を読ん でいました。今日までシナゴーグ(会堂)では、そのハ・マヅォート(Ha Matzot)の土曜 日、過越しの週、雅歌(ソロモンの歌)として知られているメギラ(Megilla)が読まれま
す。雅歌4章6節を開いてください。多くの場合、福音書の出来事とイエスのいろいろな
話は、その週シナゴーグで朗読されていた箇所と直接関係があります。(例‥マタイ21章・25章、ヨハネ8章)
『そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、私は没薬の山、乳香の丘に行こう。』花婿は埋葬のために油塗られています。花嫁のために死ぬため、受け入れられる供え物をささげるためです。ソロモンのシュラムの女との恋愛は、キリストの教会との恋愛の比喩です。彼は埋葬のため、彼の花嫁のために死ぬため、油塗られているのです。これがシナゴーグで読まれていた箇所です。
雅歌の5章を見てみると、『私の妹、花嫁よ。私は、私の庭(園)に入り、没薬と香料を集め』とあります。別の言い方をするならば、「庭(園)に入って来なさい。庭に入ってきなさい」と言っているのです。これがその土曜日に、シナゴーグで読まれていた箇所です。
その次の日は、週の初めの日、日曜日でした。ヘブライ語ではヨム・リション( yom
Rishon)といいます。その日はユダヤのカレンダーでは、特別なヨム・リションでした。ヘブライ人の初穂の祭りだったのです。
1コリント15章20節を開いてください。ここは復活の章です。何と書いてあるでしょうか。『しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。』そうです、眠っているのです。『彼は、おまえの頭を踏み砕き、 [おまえは、ただ彼のかかとにかみつくだけだ。] 』眠っているのなら、いつか目を覚まします。いつも指摘してきたように、聖書では信者の「死」は死ではなく、眠りだと教えられています。ラザロは眠っていたとあります。少女もそうです。「タリタ クミ(Talitha Tekumi)」彼女は眠っていたのです。パウロは「眠った兄弟たちについて、深く悲しんではならない」と言っています。救われていない人たちは死にますが、信者は眠りにつくのです。これについては言うべきことがたくさんあります。聖書が、信者の「死」を眠りと表現するのには二つの理由があります。もちろん、一つ目は復活のためです。再び目を覚ますからです。眠りにおちた時、次に気付くのは自分が起きた時です。眠った信者たちはやがて復活の時に気付くのです。しかし、眠りにおちた時にはある事が起きます。意識が違う領域に入ってしまいます。そこでは起きている間に意味を成さないことが意味を成します。夢を見ている時には、死んだ人が生き返って、話しをすることもあるでしょう。夢の中では、過去の出来事を今、未来の出来事を今、見ることが出来ます。過去、現在、未来が同じなのです。出来事の起こった順序はあるのですが、時間という概念はありません。ギリシア語ではクロノス(chronos)と カイロス(cairos)という時間を表す言葉が、二つあります。永遠で
はクロノスはあるのですが、カイロスはありません。言い換えれば、永遠では時計が動く
ことはなく、もはや時計すら無いのです。年代順配列(chronology)であるクロノスはありますが、そこに時間は無いのです。
夢の中では、過去の出来事がもう一度起こったりします。ジョージ・ワシントンがデラウェアを渡っているのも見ることが出来るでしょう。何でも見ることが出来ます。将来起ころうとしていることも見れます。カリフォルニアへの旅行のようなものも見れるでしょう。未だ見たことが無いことも見ます。黙示録のように、死んだ人が生きているのを見るかもしれません。子羊は世のもといが置かれる前から、ほふられていました。彼は座についている24人の長老を見ました。彼は未だ起こっていない未来の出来事を、そこでその時、見ていたのです。眠りにおちると夢を見ます。生理学者は、私たちすべてが夢を見ていることを知っています。脳造影図や脳のアルファ波などによってです。皆が夢を見ているのです。
あなたの意識は違う領域に入り、そこは起きている間には意味を成さないことが意味を 持ちます。死んでしまったときはそのような状態です。そこで出てくる問題は、私たちの たましいは眠りにおちるのでしょうか?それとも主のもとに行くのでしょうか?というこ とです。私たちに関していえば、墓の中にいるのです。永遠に関していうと、それはすで に起こっています。エペソ人への手紙にあるように、私たちは天上において、キリストと 共に座についているのです。永遠に対して時間を適用することは出来ません。その点から カルヴァン主義は間違えています。永遠の保障とはあるのでしょうか?はい。永遠の中な ので、それはすでに起こりました。しかし、聖書の中で永遠の保障とは、一度救われたら、ずっと救われているということではありません。私たちにとっては、それは変わりえるも のです。永遠の保障はありますが、それはカルヴァン主義者の考えているようなものでは ありません。彼らはそのことに関して全て混同しているのです。
彼らは眠りにおちました。キリストは眠った者の初穂です。これはヘブライ人の初穂の祭りの、メシアによる成就です。その初穂の祭りである日曜日、ヨム・リションには何があったのでしょうか?それは過越の週の日曜日でもあります。その日曜日に、シナゴーグでは雅歌(ソロモンの歌)が、今日まで読まれています。日曜日のまだ暗く、夜明け前に、神殿から遣わされた大祭司が、ケデロンの谷へと降りて行きます。彼はケデロンの谷で、オリーブ山の後ろから射し込んでくる、最初の光を暗闇の中、待ちます。彼がその太陽の光を見ると、ケデロンの谷から生え出た最初の穀物を、儀式的に収穫します。それが初穂と呼ばれる物です。
すべての福音書には、イエスは日の出の時に復活したとあります。私がしばしば示して
きたように、太陽(sun)が昇るということは、御子(Son)がよみがえるということの、聖書文献学上の比喩です。旧約のイザヤ書でさえも、起き上がれそうすれば照らされると書かれています。しかし、よみがえった主の栄光は太陽よりも輝かしいものです。すべての福音書は、復活はまだうす暗いころ、日の出のちょうどその時だと書いています。その年、その日、その時に大祭司は初穂を収穫し、神殿に持って行きました。イエスはその復活の初穂としてよみがえられました。
それは園の中のことでした。では、園で何が起こったかを見ていきましょう。人は園において堕落し、園においてのろいを受けました。しかし、園において、神さまはわたしたちの罪を取り去り、そのために捕らえられました。また園において、彼は十字架にかけられ、そのつけられた場所には園がありました。彼は園において、私たちの代わりに十字架にかけられました。しかし、また他のことが園の中で起こりました。
ヨハネ20章1節、週の初めの日、ヨム・リションであるヘブライ人の初穂の祭りの時、ガリラヤのマグドル(その場所に塔があったという意味)出身の、マグダラのマリヤがま だ暗いうちに墓に来ました。大祭司がまだ暗いうちに、園に行かなければならなかったの と同じように。彼女は墓から石が転がしてあるのに気付いて、シモン・ペテロとイエスが 愛されたもうひとりの弟子とのところに来て、言いました。「だれかが墓から主を取って 行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」そうです、悪い知らせ は女に最初にやって来たので、良い知らせは女に最初に来なければならなかったのです。 なぜであるか分かりますか?男ではありません。女でなくてはならなかったのです。のろ いは最初に女に来たので、良い知らせが最初に、女に来なくてはなりませんでした。悪い 知らせが最初だったので、良い知らせも最初だったのです。
『そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。』これはその文化で特徴的なことです。古代中近東において聖書の時代、大工は何かを建築する依頼を受けた時や仕上げる時、着物を吊り下げます。そして、一日の終わりにそれで汗を拭き取るのです。しかし、一日の終わりに仕事が終わると、着物やタオルをたたんで、そこに残します。
『そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解して
いなかったのである。それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。しかし、マ
リヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。』また、このふたりの御使いは、契約の箱の上のふたつのケルビムと関連しています。『彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」』彼女は、それを園の管理人だと思っていました。その前の日の雅歌の中で、園の管理人は何と言っていたでしょうか?「愛する人よ、私の庭(園)に入りなさい」です。創世記では、御使いは「ここを出ていけ」と言いました。「園から出ていけ、もう入ってはならない」しかし、イエスが園において私たちの罪を取り去って、死者の中から復活されたので、今、御使いは「入ってきなさい。彼はよみがえったのですから。入ってきなさい。」と言うのです。
女性はより敏感です。女性は最初に理解します。しかし、男性は少し頭が鈍いところがあります。話を続けると、彼女は使徒たちに伝えようとしました。『彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で(本当はアラム語のヘブライ方言ですが)、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」』ヨハネの福音書では以前に、イエスは御父をわたしの父と呼び、それは個人的な所有格でした。しかし、いったん彼が私たちの罪を取り去り、死者の中からよみがえったので、今、神は私たちの父なのです。
マグダラのマリヤは使徒たちに知らせに行きました。――女性は最初に理解します。私 はこの問題について確信しています。夫と妻が救われる十中八つの場合に、妻が最初に救 われます。マグダラのマリヤは使徒たちに知らせに行きました。『「私は主にお目にかかり ました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。その日、すなわち週の初めの日の夕方(ユダヤ人は一日を日没から日没までと考える)のことであ った。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、 彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。(シャローム アレヘム shalom alechem)」』これは人々がユダヤ人であったことを、示しているのではありません。
彼らは皆ユダヤ人で、イエスもユダヤ人でした。皆がユダヤ人でした。マリヤもユダヤ人
でしたし、使徒たちもユダヤ人でした。これは、ギリシア語でユダヤの人を意味するユデイオイ(yudeioi)の翻訳の問題です。そのユダヤ人とはエルサレム周辺の宗教組織やそれを支配していた人々のことです。皆がユダヤ人だったので、ユダヤ民族を指していたのではありません。エルサレム周辺の宗教組織、サンヘドリンやそれを支配していた人々のことです。イエスは平安があなたがたにあるようにと言いました。
サミュエル・ジョンソン博士は皮肉的に、実際その通りですが、その辞書で平和を「二つの戦争の間の、準備と欺きの期間である」と定義しています。私たちは平和を、ギリシア語の女の子の名前、イレネ(Irene)、争いの無いことであると考えがちです。それはこの世が与える平和です。神さまの平和はシャローム(shalom)です。最終的には、その平和は争いの無いことを含んでいます。再臨の時、国々は剣をかまに打ち直します。最終的には、シャロームは争いの無いことを含んでいるのです。しかし、争いの無いことはシャロームではありません。シャロームはヘブライ語のレシャレム(leshalem)という言葉の不定詞から来ています。レシャレムとは「払う」ということです。これは聖書の中のヘブライ語のレ・マロット(le malot)と同義語です。それは「満たす」という意味です。これは現代ヘブライ語ではなく、聖書のヘブライ語です。「満たす」ということです。そして、
「成就する」という意味もあります。シャロームという言葉はレ・シャレムから来ました。
それは「払う(pay)」「満たす(fill)」「成就する(fulfill)」という意味です。私たちはシャ ロームを持っています。なぜなら、イエスが私たちの罪の代価を払い、私たちを御霊で満 たし、律法(トーラー)を成就したからです。シャロームを持っているのです。なぜなら、 メシアがレシャレムを行いにきました。つまり私たちの罪の代価を払い、私たちを御霊で 満たし、律法を成就したのです。なので、人生で大きな争いに巻き込まれていても、シャ ロームを持つことが出来るのです。または、完全に静かな状況にいても、それを欠いてい るかもしれないのです。イェシュアは『わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。』と言いました。『わた しの平安』それが彼の言ったことです。
しかし、明らかな疑問が残ります。園において、私たちはそれを台無しにしたのです。園で自分自身にのろいを招きました。けれども、園において、神さまが贖いを約束してくださいました。あなたが信じるか信じないかは問題ではありません。人は一度死ぬことが定められており、その後は裁きなのです。今日私が言っていることを信じなくても、あなたが信じる時が来ることを知っています。しかし、それでは遅すぎるのです。大事なのはこのことが真実か嘘かということです。私はこれが真実であることを保障しましょう。あなたはいつか信じるのです。しかし、それではもう手遅れです。今が定められた時です。今日が救いの日なのですから。
アダムとエバと同じように、あなたは聖い完全な神さまの前に、裸で立っています。そ
して、世にあるすべてのいちじくの葉は、十分ではありません。どんなに多くのいちじくの葉も、あなたを神さまの怒りから救うことは出来ません。もしかしたら、あなたは善い行いや、社会から善い人と呼ばれることに、頼っているかもしれませんが、あなたがどんなに善くても、天国に行くのに十分ではありません。どんなに善くても、地獄に行かないでいることは出来ません。しかし、あなたがどんなに悪くても、神さまが愛さず、あなたを救いたくなくなるようなことはありません。
私は有利だったと言えるでしょう。私はプロテスタントの文化の中で育ちもしなかった し、新生したクリスチャンがどのようなものかも知りませんでした。17才になったころ、私はヘロインに浸っていました。なので、誰かに自分が罪人だということを、特に教えて もらう必要はありませんでした。すでに分かっていたからです。悪魔は麻薬、不品行、ギ ャンブルやそれらをまとめた罪を用いるよりも、宗教を用いて人々を地獄に送ります。い ちじくの葉です。いちじくの葉は地獄の住民を増やすのです。そのように、あなたは裸で 造り主の前に立っており、いちじくの葉をつづり合わせているかもしれません。宗教に頼 っているのです。血が注がれることがなければ、罪の赦しはありません。
しかし、あなたの代わりに園に入って来た人がいます。ちょうど、裁判官、検事や弁護人のいる裁判を考えてみてください。裁判官、検事も弁護人もあなたに賛成しているか、反対しているかのどちらかです。裁判官があなたの弁護人だということを想像してみてください。もし、裁判官があなたの弁護人なら、検事がサタンだとしても負けることはありません。反対に、裁判官が弁護人でなく、検事なら、あなたは勝てません。しかし、あなたは勝てます。どのようにしてでしょうか?彼があなたの罪を取り去ってくださることによってです。園において、彼はすでにそれを取り去りました。あなたはそのことを受け入れるだけです。これが福音です。彼がすでに罪を取り去ったので、あなたは受け入れるだけなのです。
いちじくの葉に何の良いこともありません。秘跡、勤行や宗教などに良い点はありませ ん。それはいちじくの葉なのです。私は善い行いに反対しているわけではありません。私 たちは善い行いをします。それは救われたからであって、救われるためにではありません。それは園で起こりました。選択はあなたのものです。彼はあなたの罪を取り去りました。 罪から立ち返って、神に赦しを乞うことも出来るのです。神さまがあなたの人生に入って くださるように、新しいいのちを与えてくださるように願ってください。神さまはあなた をバラバのようにします。あの人はこれをした、この人はあれをしたと言うかもしれませ んが、しかし、今、御父の子がいます。「わたしを連れて行きなさい。」彼はあなたをい
ちじくの木の下で見たのです。彼は使徒に言ったことをあなたにも言いたいのです。彼は
言いました。「平安があなたがたにあるように。」シャローム・アレヘム。シャロームがほしいですか?何も問題はありません。それを持つことが出来ます。なぜなら、それは払われた(レシャレム)からです。園において、罪の代価は払われたのです。あなたを御霊で満たし、あなたが守ることの出来ない神の律法を成就したのです。これがイエスがマグダラのマリヤ、ペテロ、ヤコブやヨハネに伝えたことです。そして、これが私にも告げられたことです。もし、あなたが新しく生まれていなければ、今日、イエスがあなたに伝えたいことです。シャローム・アレヘム。
ジェイコブ・プラッシュ
Kashrut and Famine - Japanese
カシュルートと飢饉
ジェイコブ・プラッシュ
ヘブライ人の食事規定の律法は申命記 14 章と、レビ記 11 章に見受けられます。そのうち
レビ記 11 章はより包括的なものです。
『それから、主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。
すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなた がたには汚れたものである。それから、岩だぬき。これも反芻するが、そのひづめ が分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。 [反芻し、ひづめが分 かれていないといけないということ] また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひ づめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。それに、豚。これ は、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものであ る。
水の中にいるすべてのもののうちで、次のものをあなたがたは食べてもよい。すなわち、海でも川でも、水の中にいるもので、ひれとうろこを持つものはすべて、食べてもよい。しかし、海でも川でも、すべて水に群生するもの、またすべて水の中にいる生き物のうち、ひれやうろこのないもの [言い換えると甲殻類など] はすべて、あなたがたには忌むべきものである。これらはさらにあなたがたには忌むべきものとなるから、それらの肉を少しでも食べてはならない。またそれらの死体を忌むべきものとしなければならない。水の中にいるもので、ひれやうろこのないものはすべて、あなたがたには忌むべきものである [“忌むべきもの”という言葉がこの章全体で繰り返されています] 。
また、鳥のうちで次のものを忌むべきものとしなければならない。これらは忌むべ
きもので、食べてはならない。すなわち、はげわし、はげたか、黒はげたか、とび、はやぶさの類、烏の類全部、だちょう、よたか、かもめ、たかの類、ふくろう、う、
みみずく、白ふくろう、ペリカン、野がん、こうのとり、さぎの類、やつがしら、
こうもりなどである。
羽があって群生し四つ足で歩き回るものは、あなたがたには忌むべきものである。しかし羽があって群生し四つ足で歩き回るもののうちで、その足のほかにはね足を持ち、それで地上を跳びはねるものは、食べてもよい。それらのうち、あなたがたが食べてもよいものは次のとおりである。いなごの類、毛のないいなごの類、こおろぎの類、ばったの類である。このほかの、羽があって群生し四つ足のあるものはみな、あなたがたには忌むべきものである。
次のことによっても、あなたがたは汚れたものとなる。すなわち、これらのものの 死体に触れる者はみな、夕方まで汚れる。また、これらのどの死体を運ぶ者もみな、その衣服を洗わなければならない。
その人は夕方まで汚れる。ひづめが分かれてはいるが、それが完全に割れていない か、あるいは反芻しない動物、これらすべてはあなたがたには、汚れたものである。これらに触れる者はみな汚れる。また、四つ足で歩き回るすべての生き物のうちで、足の裏のふくらみで歩くものはみな、あなたがたには、汚れたものである。その死 体に触れる者はみな、夕方まで汚れる。これらの死体を運ぶ者は、その衣服を洗わ なければならない。その人は夕方まで汚れる。これらは、あなたがたには、汚れた ものである。
コシェル - イーデッィシュ語。ユダヤ教の儀式律法によ
って“きよい”とされる食べ物を表す言葉
カシュルート - “きよい”または“汚れている”といった食べ物を定めている律法全体を表す言葉
地に群生するもののうち、次のものはあなたがたにとって汚れている。すなわち、もぐら、とびねずみ、大とかげの類、やもり、わに、とかげ、すなとかげ、カメレオンである。すべて群生するもののうちで、これらはあなたがたには、汚れたものである。これらのものが死んだとき、それに触れる者はみな、夕方まで汚れる。また、それらのうちのあるものが死んだとき、何かの上に落ちたなら、それがどんなものでも、みな汚れる。木の器、あるいは衣服、あるいは皮、あるいは袋など、仕事のために作られた器はみな、水の中に入れなければならない。それは夕方まで汚れているが、そうして後きよくなる。また、それらのうちの一つが、どのような土の器の中に落ちても、その中にあるものはすべて汚れる。その器は砕かなければならない。また食べる物で、それにそのような水がかかっていれば、それはみな汚れる。また飲む物で、このような器の中にあるものはみな汚れる。さらに、どんなも
のでも、その上にこれらの死体の一つが落ちたものは汚れる。それがかまどであれ、
炉であれ、それを粉々に割らなければならない。それは汚れており、あなたがたには汚れたものとなる。
しかし、泉、あるいは水のたまっている水ためはきよい。ただし、それらの死体に触れるものは汚れる。また、もしそれらのどの死体が、蒔こうとしている種の上に落ちても、それはきよい。しかし、種の上に水がかけられていて、その上に、それらの死体のあるものが落ちたときは、それはあなたがたには汚れたものである。
あなたがたが食用として飼っている動物の一つが死んだとき、その死体に触れる者は夕方まで汚れる。その死体のいくらかでも食べる者は、その衣服を洗わなければならない。その人は夕方まで汚れる。また、その死体を運ぶ者も、その衣服を洗わなければならない。その人は夕方まで汚れる。
また、地に群生するものはみな忌むべきもので、食べてはならない。地に群生する もののうち、腹ではうもの、また四つ足で歩くもの、あるいは多くの足のあるもの、これらのどれもあなたがたは食べてはならない。それらは忌むべきものである。あ なたがたは群生するどんなものによっても、自分自身を忌むべきものとしてはなら ない。 [あなたがそれを食べると、あなた自身も忌むべきものとなってしまうとい うことに注目してください] またそれによって、身を汚し、それによって汚れたも のとなってはならない。
わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。地をはういかなる群生するものによっても、自分自身を汚してはならない。わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」
以上が動物と鳥、また水の中をうごめくすべての生き物と、地に群生するすべての生き物についてのおしえであり、それで、汚れたものときよいもの、食べてよい生き物と食べてはならない生き物とが区別される。』(レビ記 11 章 1 節-47 節)
食べ物が無いことは飢饉
新約旧約間の時代にはマカベア家という人たちが登場しましたが、イスラエルには預言者がいませんでした。マラキの時代からバプテスマのヨハネまで預言者はひとりも出なかったのです。バプテスマのヨハネはエリヤの霊をもって、飢饉の中にある神の民を養いました。
同じことがイエスの再臨される前にも起こります。みことばを聞くことのききんがやってくるのです。
『見よ。その日が来る。――神である主の御告げ――その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。』(アモス 8 章 11 節)
エリヤが異邦人の女とその息子を養ったことは、終わりの日においてなされるエリヤの奉仕の予型でもあります。
公衆衛生
この食物規定の律法は興味深いものです。イエスは
『口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。』(マタイ 15 章 11 節)
と言われました。なので、この律法は明らかに公衆衛生に関すること以上の意味を持っていたことが分かります。しかしこのことから考えてみましょう。
古代の中近東において、砂漠で保存がきかないという環境のために動物たちは腐った肉を食べていました。そのことにより動物が何らかの病気を持っている可能性が高かったのです。特に旋毛中病やボツリヌス中毒のような病気が、特定の食物を食べることによって感染する危険がありました。豚肉や貝類など―きちんと冷凍・保存され、適切に調理されなければ、そのような環境で食べることは人を死に至らせる可能性があったのです。
このようなことを考えると、レビ記 11 章に書かれている食物を食べないことのもっともな理由が医学的にも存在していたことが分かります。
飢饉の中にいる人は何でも食べる
しかし飢饉の中では、人類学者たちが言うのですが、最も文明化された社会に住んでいる人でさえも食べる物を選ばないのです。
例えば船が難破してしまったときの生存者の事例があります。そこでは共食いの習慣に逆戻りし、自分の友達の肉体を食べ始め、さらには自分の家族の肉まで食べるようになってしまいました。
47 節に注目してください。この箇所では“コシェル”と“コシェルでない”もの、きよいものと汚れたもの、食べてよいものと食べてはならないものとの区別を付けるようにと言われています。
“コシェルでない”ものはすべて忌むべきものであり、
ひどく不快に感じるべきものです
この章では繰り返し、“コシェルでない”ものは忌むべきものであり、忌まわしいものだと語っています。それらを食べようと考えただけで不快に感じるべきなのです。これらのもの―ねずみ、蛇、こうもり、ゴキブリなどは、あなたにとって忌むべきものであって、嫌気がさすべきものなのです。
こういうものを食べる自分の姿を想像してみただけで、気持ち悪くなることでしょう。
しかし、飢饉の中で人は空腹に耐えられなくなると見境なしに物を食べます。互いの肉をむさぼって食べることさえするのです。
神は肉体をとられた
『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。…ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。…』(ヨハネ 1 章 1 節、14 節)
ギリシア語で“住む”という言葉は“カタスケノー(kataskenoo)”といいます。これはヘブライ語の“幕屋を張る”という動詞のギリシア語の翻訳です。
幕屋をヘブライ語では“ミシュカン(mishkan)”といいます(ここからシェキナーという言葉が来ています)。“ミシュカン”とは神の宿る場所を示しています。ヨハネは古代イスラエルにおいて臨在を示されていた神―幕屋に宿っておられたシェキナーが、今肉体をとられたと書いているのです。
神が人となられた
古代ギリシア人は二元論を信じていました。彼らは“ロゴス”について理解し、それが神の創造の仲介者であり、救いの仲介者であることを知っていました。しかし彼らの神のイメージは超越した存在というものでした。
彼らに「神は人となられて、ことばは人となった」と言ったとたんに、ギリシア人はその考えをどう捉えてよいものか分からなかったことでしょう。
ギリシア人は物質的なものはすべて悪であり、霊的なものはすべて善であると信じていました。物質的なものはすべて階級の低い神の支配下にあると考えていたからです。
このような考えがいかに聖書の真実を歪めてしまうかを考えてみてください。
聖書は物質的なものはすべて悪であるとは言っていません。むしろ聖書は物質的なものは堕落しており、一時的にサタンの支配下にあると教えているのです。
サタンはいつでも真理を曲げようとして嘘を付きます。
二元論
ギリシア人の中には二つの集団がありました。ストア派とエピクロス派です。
ストア派は物質的なものをすべて否定して、禁欲的な生活を送り、肉体の苦行に重きを置いていました。
一方エピクロス派は欲望に身を任せた生活を送っていました。彼らは霊的な領域だけが大切であると考えていたのです。
どちらの集団も物質の世界と霊の世界には分裂があると教えていました。
神が人となられたというヨハネの教えは、この二元論的なギリシア人の考えとは正反対だったのです。
二元論には多くの形態があります。クリスチャン・サイエンスは二元論的です。彼らは何 を教えているのでしょう。「私の体は嘘を付いている。体のいうことは気にしなくていい。物質的なことではなく、霊的なことだけが大切なのだ。死は幻想で、年を取ることも幻想 である」
クリスチャン・サイエンスの創始者であるメアリー・ベーカー・エディは、最初に老齢という幻想の犠牲者となり、次に病気の幻想に陥り―最後には死という幻想に飲み込まれました!
E・W・ケニオンやケネス・ヘーゲン、ケネス・コープランドなどは、クリスチャン・サイエンスから学んだ二元論を同じく教えています。
聖書は、私たちはこの世の中にいるように召されているが、この世のものとはなってはいけないと言っています(ヨハネ 15 章 18 節-19 節・16 章 33 節、ローマ 12 章 2 節、ガラ
テヤ 6 章 14 節、コロサイ 2 章 20 節、ヤコブ 4 章 4 節、1 ヨハネ 2 章 15 節、17 節)
私たちは“不自然”となるようには召されていません。しかし、“超自然”になるように召されています。
何が“不自然”であるかを説明しましょう。「霊的な男の人や女の人に苦しみを与えることを神が欲しておられるなら、それを喜ぶべきだと」いうものはクリスチャンの持つべき教えではありません。
そのようなことは自然ではなく、不自然です。また宗教的なマゾヒズムです。イエスの例を考えてみましょう。イエスは『父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください』と言い、苦しみを受けることを望みはしませんでした。しかしイエスは『わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください』(ルカ 22 章 42 節)と言われたのです。
主のみこころであったとしても、霊的な信者は喜んで苦しみを受けるということは不自然
です。しかし「主よ、すべてのことが益となります。もし、主がこれを最適なことであるとされるのなら、苦しみを耐えるための恵みをください」と言うことは超自然です。
私たちは自然であるように召されています。また超自然であるようにも召されています。
しかし、不自然になるようには召されていません。
初代教会はこの極端な二元主義やグノーシス主義、またそれに付随するものに反対しており、現代の私たちも“ハイパー・フェイス”を教える教師たちの中に同じものを見つけることができます。
ことばは人となった
『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。』(ヨハネ 1 章 14 節)
ヒエロニムス(A.D.340-420)が“人”という言葉をラテン語のウルガタ聖書で訳したとき、彼は“コープス(corpus=体)”という言葉を使わずに、“肉”を意味する“カルナム(carnum)”と訳しました。この箇所のギリシア語は“サルクス(sarx)”であり、文字通りには“肉となった”という意味なのです。
ギリシア語で肉“サルクス(sarx)”は肉体と同じ言葉です。
ヘブライ語で肉とは“バサール(basar)”であり、肉体と同じ言葉です。 ラテン語でも肉とは“カルナム(carnum)”であり、肉体と同じ言葉です。
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉(sarx)です。」』(ヨハネ 6 章 47 節-51 節)
「ことばは“サルクス”になった」という箇所と同じように、今度は「私が与えようとするパンはわたしの“サルクス”―肉―」だとイエスは言われました。
『すると、ユダヤ人たちは、「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか」と言って互いに議論し合った。』(ヨハネ 6 章 52 節)
ミドラッシュによって教育されていたサンヘドリンの人たちは、イエスが何について話しているのかを理解していて当然でした。
『イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。
わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わ
たしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを 遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによ って生きるのです。これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食 べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」』
(ヨハネ 6 章 53 節-58 節)
イエスはご自身のことを天から下って来たパンと言われました。荒野で降っていたマナは予型であり、イエスがその対型です。
私たちは聖書の本文を文脈にそって読まなければなりません。同様に聖書全体の文脈(背景)も踏まえて読む必要があるのです。
ラビたちは過越の祭りで使われるマッツァーというパンが、ほふられる子羊の肉に関連していると言います。そのパンは子羊の肉と関係があるために、しま模様が入れられ刺し通されなくてはならなかったと言われます。
『しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷(むち打ちの場合はしま模様の傷)によって、私たちはいやされた。』(イザヤ 53 章 5 節)
イエスがご自身の体を“パン”と語られたときには、ラビたちと同じ観点でそう言っておられました。過越の祭りが出エジプト記から来ていることを考えると、イエスの言われたことはその祭りと関係しており、マナが降り始めたときと関連していることは確かです。
これはカトリックのミサと何の関係もない
ローマ・カトリック教会は主の聖餐を永遠のいのちへ至る鍵であると言うでしょう。しかしそれはばかげたことです。彼らのカテキズム(公教要理)の中では、洗礼と懺悔(ざんげ)の秘蹟によって罪が赦されると教えています。その中に聖体(イエスご自身とされるパン)をいただくことは含まれていません。ということはカトリックは彼らの教理に対して矛盾しているのです。(ローマ・カトリックの教理はモルモン教の教理と同様に、いつも教理自体が矛盾をかかえています)
ヨハネ 6 章 47 節から 58 節が、主の聖餐のことを語っているなら(カトリック教会はこの箇所と主の晩餐を同じように見なしているため、聖餐が永遠のいのちへ至る鍵だと教えています)、主の聖餐が行われた最後の晩餐について語っているはずです。最後の晩餐は、エルサレムにおいて過越の祭りの時期に行われたものです。しかし、この箇所(ヨハネ 6 章
25 節-65 節)はそれが過越の祭りの時期ではなく、またエルサレムでのことではないということを明らかにしています。
従ってこの箇所が最初に意味することは、最後の晩餐についてでも、主の聖餐についてでもありません。
ここで話されていた内容というのは「荒野で下ったパン」―それがイエスの予型であり、イエスはそれが自分の体だと言っていたのです。
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。』(ヨハネ 6 章 47 節)
“食べる”ことと信じることは同じです。どうしてそう言えるのでしょうか。ことばは人となり、ことば(ロゴス)は“サルクス(肉)”となったとあるからです。「サルクスを食べなさい。ことばを信じなさい」私たちは聖書本文を文脈にそって読まなければなりません。この箇所は“化体説”(奇跡的に聖餐のパンが実際イエスの肉体となり、ぶどう酒が血となるという教え)と何の関係もなく、そのようなことは共食いであり、最後の晩餐とは確実に関係がありません。
イエスは『わたしを覚えて、これを行ないなさい』(1 コリント 11 章 24 節-25 節)と言われました。彼はヘブライ人の“記念のささげ物”という概念を用いていたのです。ローマ・カトリックのミサはカルバリの丘でささげられたいけにえとは 同じものではありません。主の聖餐をユダヤ人的な過越の祭りであると理解したなら、それはユダヤ人の“ヅィカロン(zikharon)”であることが分かります(「記念として」参照…出エジプト 12 章 14 節・13
章 9 節・17 章 14 節・28 章 29 節、レビ記 23 章 24 節など)。
最後の晩餐をそのユダヤ人的な背景から切り離して考えたときにだけ、ミサでのパンがカルバリの丘でささげられたものと同じだと言えるのです。しかし、イエスはそのことをユダヤ人の間で言われたのであって、それが同じだと言うことはできません。晩餐(聖餐)は記念として行われるものなのです。『わたしを覚えて、これを行ないなさい』それはイエスがなされたことの記念であり、過越の食事がエジプトから救われたことを記念するためであったのと同じことです。
食べる者は信じる
ことばは人となりました。「わたしの肉を食べなさい」これはどういう意味なのでしょうか?それは「わたしのことばを食べなさい」という意味です。イエスのことばを自分の中に取り入れるのです。
これは新しい教えではなく、預言者たちも同じことを教えていました。後に使徒たちも同じことを教えています。
『私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。』(エレミヤ 15 章 16 節)自分の中にみことばを取り入れ、信じるということです。それがイエスがわたしの肉を食べる者は信じると言ったことの意味なのです。
『人の子よ。わたしがあなたに語ることを聞け。反逆の家のようにあなたは逆らってはならない。あなたの口を大きく開いて、わたしがあなたに与えるものを食べよ。」そこで私が見ると、なんと、私のほうに手が伸ばされていて、その中に一つの巻き物があった。それが私の前で広げられると、その表にも裏にも字が書いてあって、哀歌と、嘆きと、悲しみとがそれに書いてあった。
その方は私に仰せられた。「人の子よ。あなたの前にあるものを食べよ。この巻き物を食べ、行って、イスラエルの家に告げよ。」そこで、私が口をあけると、その方は私にその巻き物を食べさせ、そして仰せられた。
「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻き物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」そこで、私はそれを食べた。すると、それは私の口の中で蜜のように甘かった。』(エゼキエル 2 章 8 節-3 章 3 節)
エゼキエルはその巻き物を食べました。彼は神のことばを食べたのです。
『それで、私は御使いのところに行って、「その小さな巻き物を下さい。」と言った。すると、彼は言った。「それを取って食べなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。』(黙示録 10 章 9 節-10 節)
みことばを食べる。その考え方は旧約聖書にあり、新約聖書の中にもあります。イエスは何も新しいことを教えていたのではなく、彼以前の預言者たちが言っていたこと、そして後に使徒たちが教えることを語っていました。「ことばは人となった。わたしのことばを食べなさい」信じることは“食べる”ことです。ローマ・カトリックの聖ベルナルドも同じことを言っています。
ことばは人となりました。神の本質であられた方がそのことばとなられたのです。
体は食べる物で出来ている
代謝的に体はあなたが食べる物で出来ています。イエスの本質である―ことば、教理、教えはイエスご自身です。
何かを食べるとそれがあなたの一部となります。それゆえ、霊的に食べるものはあなたを
形作っているのです。
地上にいる動物でユダヤ人が食べることを許されたもの(コシェル)はイエスご自身の象徴です。
子羊(羊)はコシェルでした。
『「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。』(ヨハネ 1 章 29 節)やぎもコシェルです。
『アザゼルのためのくじが当たったやぎは、主の前に生きたままで立たせておかなければならない。これは、それによって贖いをするために、アザゼルとして荒野に放つためである。』(レビ記 16 章 10 節)
雄牛もコシェルでした。
『それから、彼はイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。』(出エジプト 24 章 5節)
これらすべての動物が何らかの形でイエスを象徴しています。コシェルであるものを食べ、みことばを食べるのです。
誰か“コシェルでない人”がいるならその人から離れてください。なぜならあなたが彼らのことばを食べ始めるなら、病気になってしまうからです。健康によく、きよいものを食べてください。
しかし、人が空腹に耐えられなくなると―そして飢饉があるなら、人々はどんなものでも食べ、互いに食べあうようになります。
私たちはユダヤ人的な“肉を食べる”という考えを理解しなければなりません。
『この方 [メルキゼデク] について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。』(ヘブル 5 章 11 節)
著者はここで象徴とミドラッシュとについて語っています。メルキゼデク(創世記 14 章 18
節-20 節、詩篇 110 篇 4 節)はキリストの現れ(キリストが降誕以前に肉体をとったひとつの姿)であり、旧約聖書におけるイエスの象徴です。
著者は「私は象徴とミドラッシュを教えたいが、あなたがたはそれを理解することができなくなった」と言っているのです。
離乳食
『あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、
神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがた
は堅い食物 [肉] ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。』(ヘブル 5 章 12 節-14 節)
またここでは「私は肉を与えたい。メルキゼデクについての象徴を教えたいがそれは出来ない。まず離乳食のようなものから教えなくてはならない。もう肉はこれ以上与えられない。乳しか与えられない」と言っているのです。
初歩に戻る
『 [ギリシア語の原文ではここに章のくぎりはありません] ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。神がお許しになるならば、私たちはそうすべきです。』(ヘブル 6 章 1 節-3 節)
現代私たちはみなこれと同じ状況にいます。私たちは初歩に戻り基礎的なことを教えなくてはなりません。人々は悔い改めや洗礼、永遠のさばきなどの基礎的な教理を見失っています。そして地獄のようなものは無いとまで言い始めているのです。
現在、教会は全体的に見て肉ではなく、乳を必要としています。この点において、乳は大 きな進歩だといえるでしょう。ヒンドゥー教徒たちは牛の尿を実際に飲むことがあります。彼らはそれが聖なるものだと思い込んでいるからです。また、霊的に同じものを飲んでい るカリスマ派の人たちがいるのを私は知っています。この場合、乳は大きな進歩だといえ るのです。
このようなことは嫌気がさすでしょうか。これは嫌気がさすべきものなのです。「これらはあなたがたにとって忌むべきものである」と書いてあるように、そのようなことを考えるのは、気分を害すべきことなのです。
わきまえの無い者は何でも食べる
『しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。』(ヘブル 5 章 14 節)
こう書かれているのは、みことばをどう適用するかを知っている人たちのことです。みこ
とばを見分ける知識を持ち、みことばを適用できる人たちのことです。人がみことばを実際の生活に適用するための知識を持っていなければ、物事を見分けることはできません。そして良い物と悪い物を見分けなければ、あなたはコシェルであろうとなかろうと、何でも食べてしまうのです。
『さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。…』(1 コリント 3 章 1節-3 節)
赤ちゃんがはまだ立つことができなくて、ハイハイを覚えだした頃を考えてみてください。ビー玉であれ、クレヨンであれ、エンピツの先端であれ―何であるかに関わらず、赤ちゃ んの頭の中では、それはお菓子であり、あめちゃんと同じなのです。
母親は子どもの口に入りそうな物なら何でも手の届かないところに置くでしょう。なぜなら、赤ちゃんは食べ物を見分けることができなくて、何でも食べてしまうからです。
これは正しい教理と義の教えによって訓練されていないクリスチャンにも言えることではないでしょうか。その人たちは何でも食べてしまうからです(空腹に耐えられなくなったときはなおさらです)。
乳を飲むことは大きな進歩になるでしょう。パウロは「彼らが乳を飲むようになったら、ステーキを食べに連れ出せるのに」と不満を漏らしているのです。
反芻する
反芻しない動物と、ひづめが分かれていない動物はコシェルではありません。
『ここのユダヤ人 [ベレヤの人たち] は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。』(使徒 17 章 11 節)
ベレヤの人たちは反芻していました。
反芻とは食べた物を吐き出すことではありません。それは食べた物をもう一度口まで持ってきて、そしゃくした後、飲み込み代謝に取り入れるということです。
現代の多くのクリスチャンたちはどのように反芻するかを忘れてしまいました。「ジェイ
コブ・プラッシュやデレク・プリンスがそう言うのだから正しいに違いない!」とんでもない!
パウロは彼の言ったことでさえ正しいかどうかを判断すべきだと言いました(ガラテヤ 1
章 8 節)。
イエスも『しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。』(マタイ 23 章 8 節)と言われました。
反芻してください。食べた物についてもう一度考え、祈り、みことばを調べた後で、もしそれが正しければ飲み込むのです。そうでなければ吐き出してください。
狼
『にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。』(マタイ 7 章 15 節)
狼はクリスチャンのまねをすることができます。彼らは羊のように見えますが、本当はに
せ預言者です。彼らの肉(その教え、教理)はコシェルではありません。食べてはいけないのです。それはあなたにとって忌むべきものです。
蛇
『おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。』(マタイ 23 章 33 節)
サタンは欺くものです。蛇は女、エバ―イスラエルと教会の象徴を誘惑しました。偽りの
教えをもってくる宗教指導者たちは蛇のような特徴を持っています。
イエスは彼らに悔い改めなければ地獄に行くと言われました。(イエスが言われた言葉はギリシア語の仮定法をもって記されています。これは英語では大して重要ではありませんが、ギリシア語においては重要であり、彼が言おうとしていたことは「あなたがたが地獄を免れる可能性はある。しかし地獄以外の場所に行く可能性は極めて低い」ということでした)
偽りの教えを持つ教師たちは蛇のように、正しい教えと間違った教えの間を左右に体をくねらせながらはっていきます。彼らはだます者であり、欺く者です。にせの教師は蛇の特徴を持っています。
そのようなものを食べてはいけません。霊的な誘惑に引き込もうとする人たちから身を引いてください。自分が蛇を食べている姿を想像できるでしょうか?まむしを食べますか?
そんなことはしないでしょう。それなら、まむしや彼らの教えから離れましょう。
蛇を食べることは気持ち悪いことではないでしょうか。この世での繁栄だけを約束する教師たちの教えを食べることも同じように、気持ちが悪くなるべきものなのです。
この世での繁栄だけを約束する教師たちが書いた本を、誰かが座って読んでいるのを見るとき、それはねずみをかじっているようなものなのです!同じようなことをしてしまっています。
それはあなたにとって忌むべきものであり、忌みきらうべことなのです。
これら不潔で害虫だらけの動物を食べようと考えることが、あなたを気持ち悪くさせることであり、偽りの教えに対しても、同じように気持ち悪く感じるべきことなのです。
はげたか
『死体のある所には、はげたかが集まります。』(マタイ 24 章 28 節)
はげたかは“からだ”を攻撃してきて、死体に群がります。食べてはいけません!はげたかは忌むべきものです。
あなたもそのように、死にかけている人たちを襲っている人たちを見ることがあるでしょう。その人たちは問題がある教会に入ってきて、奇跡を行う者だと自称し、教会を建て直すと宣言します。しかし、彼らのすることといえば、手や足を奪い去ることであり、それによって他の場所で自分のしたいことを実行しようとするのです。はげたかはコシェルではありません。それはあなたにとって忌むべきものです。
豚
『こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。』(マルコ 5 章 1 節-4 節)
超人的な力と超人的な知性は、しばしば悪霊につかれた人に見られる二つの特徴です。
聖書に記されている悪霊につかれた人たちのほとんどが―自分の身を火の中に投げたり、墓場に住み着くような理性を失った行いをします。もし、そのような正気でない行いが伴っていなければ、悪霊につかれているという可能性はほとんど除外することができます。
『それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言
った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。
神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われたからである。それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。』(マルコ 5 章 5 節-9 節)
信じられるでしょうか。オーストラリアで『エヴァンゲル』という雑誌の記事を書いた、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの代表は、悪霊につかれた男の名が(悪霊の名ではなく)
“レギオン”であると書いていました。
この“代表”は他の奉仕者を訓練すべき人ではないのでしょうか。彼らはどんなものでも食べてしまっています!
『そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。彼らはイエスに願って言った。「私たち を豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、 険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。』(マルコ 5 章
10 節-13 節)
豚はコシェルではありません。ガラリヤには異邦人(非ユダヤ人)と、おそらく律法を厳格に守っていないユダヤ人がいて豚を飼っていました。
ここに書かれていることを理解するために、私たちはミドラッシュを理解する必要があります。
『聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。』(マタイ 7 章 6 節)
豚とはどのような人たちでしょうか?それは福音をあざけり、拒む人たちです。その人たちには何が起こるのでしょうか?
『それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。』(マタイ 25 章 41 節)
『そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、に
せ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。』(黙示録 20 章 10 節)
マルコ 5 章において、ガラリヤ湖は炎の海の象徴となっています。黙示録では、福音をあざけり受け入れない者は悪魔と同じ所に行くと言われています。
甲殻類
魚介類を見てみましょう。ある海洋生物学者が私を南アフリカのケープタウンにある素晴らしい水族館へ連れて行ってくれました。そこにあったのは実際の南アフリカの大陸棚を再現した水槽でした。彼らはそこにサメなどの動物を入れ、ガラスで出来た通路を通るとサメが頭の上を泳いでいくのを見れるようにしていました。その水族館は本当に素晴らしいものでした。その人は私を案内してくれて、私は甲殻類を見ていました。甲殻類は海底にいる腐食動物であり、ごみを食べています。甲殻類はコシェルではありません。それを食べることは禁じられています。甲殻類は海底のごみを食べています――体は食べるものによって出来ていて――ごみを食べているとごみと同じようになってしまいます。
『イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」』(マタイ 4 章 19 節)
使徒たちはイエスが網を投げるように言われてから、網を投げ魚を獲りました。私たちは何度も何度も福音を証するかもしれませんが、イエスがどこに網を投げるべきかを言われるまで、大漁の魚を獲ることはありません。
それは個人的な福音伝道をやめるよう勧めているのではありません。しかし、私たちが伝道のプログラムや伝道集会を企画するときに、聖霊によって導かれていなければ、多くの魚を獲ることはできないのです。
甲殻類とはどのようなものなのでしょうか?
黙示録は“地”と“海”について語っています(黙示録 5 章 13 節、7 章 1・2・3 節、10 章
2・5・6・8 節、12 章 12 節、14 章 7 節)。
黙示録には二匹の獣が出てきて、ひとつは“海”から(黙示録 13 章 1 節)、もうひとつは
“地”から(黙示録 13 章 11 節)出てきたとあります。
地とはイスラエルのことで、海とは国々を表しています。『なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。』(詩篇 2 章 1 節)
貝は海深くにいて閉じており、網の中に入りません。貝は福音に対して心が閉じて、ごみ
でいっぱいになっている人のことを表しています。あなたが正しい物を食べていないなら、悪い物を食べているのです。甲殻類はごみを食べるので、彼ら自身もごみと同じになって
しまいます。そのような人は世のきまりの中に深く浸かっており、救われることがないの
です。福音に対して心を開いていません。これも食べてはならないものです。
種
もし、これらの汚れた動物が植えられる前の種の上に落ちたなら、その種(またそこからできる実)は食べることが出来ました。
『また、もしそれらのどの死体が、蒔こうとしている種の上に落ちても、それはきよい。』(レビ 11 章 37 節)
これはなぜなのでしょうか?
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。』(ヨハネ 12 章 24 節)
『愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。』(1 コリント
15 章 36 節)
これは植物の異化作用と呼ばれるものです。種の内部には胚(芽)があります。種は地に落ちて死に、そこから新しい性質が生まれてくるのです。
これは私たちにとっても真実です。古い性質はキリストに植え付けられました。私たちはバプテスマによって彼とともに死に、彼とともに埋葬され、彼とともに復活するのです。最後に現される私たちの栄光を受けた体は、初めにあったものとは違ったものになるでしょう。
種が行うことと、古い性質が犯したこととは関係がありません。あなたが同性愛者や娼婦、麻薬の密売人、アルコール依存者、犯罪人であったとしても、古い性質が行ったことは今 何の関係もなく、それが地に落ちて死ねば、食物はきよいのです。
カメレオン
カメレオンもコシェルではありません。カメレオンとはどのような生き物なのでしょうか?ヘブライ語で“カメレオン”という言葉は“偽善者”という言葉と同じです。食べてはいけません!偽善者に注意しましょう。
牛にくつこをかけてはならない
『モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」と
書いてあります。いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。それとも、もっぱら私たちのために、こう言っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書いてあるのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。』(1 コリント
9 章 9 節-10 節)
ここでパウロが語っているのは、その奉仕に見合った金銭的な援助を受けるべき、誠実な説教者のことです。神のことばを宣べ伝え、教えることに心を砕き、正確に教えている者だけがそのためにお金を受ける特権を持っています。
『穀物をこなしている雄牛に、くつこを掛けてはいけない』雄牛はきよい動物です。その 教えに従うことができます。あなたは雄牛を食べることができるのです。しかし、豚、蛇、狼は食べてはいけません。
鳩
鳩はコシェルであり―イエスの象徴です。それは神がアブラハムにささげよと命じた 5 つ
の動物の中のひとつです(創世記 15 章 9 節)。
モーセの律法の中で、鳩は“湧き水の上で”ほふられなくてはなりませんでした(レビ記
14 章 5 節)。それは「みことばにより、水の洗いをもってきよめる」ことの象徴です(エ
ペソ 5 章 26 節)。
動物に耳を傾ける
きよい動物と汚れた動物がいました。動物学的にレビ記に記されているすべての動物が、実際にどのようなものであったかを知ることは出来ません。
あるものは絶滅し、またあるものは中近東固有の動物でなくなったのかもしれません。しかし、私たちが知ることができる動物―聖書の中に並行箇所を見つけられる動物は、私たちに霊的な食べ物に関してのことを教えています。
人は空腹に耐えられなくなると何でも食べます―それがねずみ、こうもり、とかげ、“神の国は今ここに”、エキュメニズム(世界教会統一主義)、“名を挙げて要求しなさい”というものや繁栄の信仰などであっても何でも食べてしまいます。「あなたにとってそれは忌むべきものである」聖書は繰り返しあなたに言い続けています。「あなたにとってそれは忌まわしいものである」
これらの霊的に汚れている食べ物はあなたを気持ち悪くさせるべきものです。それを考えただけでうんざりするので、頭の中から除き去らなければなりません。
ベニー・ヒンの教えを飲み込むことは、ねずみを食べるようなものです―それはあなたの
気持ちを悪くさせます。
「あなたにとってそれは忌むべきものである」モルモン書―それはあなたにとって忌むべきものです。ものみの塔―これもあなたにとって忌むべきものです。それは気持ち悪くさせるものだからです。それから離れてください。そのような教えを食べるなら、あなたもまた気持ちの悪いものとなり、神の目から汚れているものになってしまうのです。
かまの中の毒
『エリシャがギルガルに帰って来たとき、この地にききんがあった。預言者のとも がらが彼の前にすわっていたので、彼は若い者に命じた。「大きなかまを火にかけ、預言者のともがらのために、煮物を作りなさい。」』(2 列王記 4 章 38 節)
その地にききんがありました。食べる物が無くなっても、人は何かを食べなくてはなりません。
『彼らのひとりが食用の草を摘みに野に出て行くと、野生のつる草を見つけたので、そのつるから野生のうりを前掛けにいっぱい取って、帰って来た。そして、彼は煮 物のかまの中にそれを切り込んだ。彼らはそれが何であるか知らなかったからであ る。』(2 列王記 4 章 39 節)
人は空腹に耐えられなくなると、どんなものでも食べます。
『彼らはみなに食べさせようとして、これをよそった。みながその煮物を口にするや、叫んで言った。「神の人よ。かまの中に毒(原語では死という言葉です)が入っています。」彼らは食べることができなかった。』(2 列王記 4 章 40 節)
かまの中には死が入っていました。コシェルでない食物、腐った豚の肉や甲殻類を食べると旋毛中病やボツリヌス中毒にかかってポックリ逝ってしまう。その中には死があったのです。
そこでエリシャは何をしたのでしょうか?
『エリシャは言った。「では、麦粉 [穀物] を持って来なさい。」彼はそれをかまに投げ入れて言った。「これをよそって、この人たちに食べさせなさい。」その時にはもう、かまの中には悪い物はなくなっていた。』(2 列王記 4 章 41 節)
穀物(麦粉)をその中に入れたのです。穀物を食べる人は他の食べ物にあたらなくなりま
した。それによって偽りの教えや偽りの教理に影響を受けることはありません。彼らはエキュメニズムや“神の国は今ここに”、“名を挙げて要求しなさい”などのものにだまされないのです。
穀物が毒を除き去り、毒を吸収します。穀物がそれを無害の状態にします。真実の教えは偽りの教えを無効にします。
神がきよめたものを…
「それはあなたにとって忌むべきものである」ねずみ、蛇、害虫、それらは忌むべきものです。偽りの教えとそれを教える者、それは忌むべきものです。それらのメッセージを聞くことや、彼らの集まりに行ったり、彼らの本を読んだりすることは、ねずみをかじっているようなものなのです。あなたにとって忌むべきものです。しかし、人は空腹が耐えられなくなると何でも食べてしまいます!
この教えは何もうわごとを語っているのではありません。ペテロに起こったことを見てください。
『その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをす るために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。すると彼は非常に空腹を覚え、 食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢 ごこちになった。見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅を つるされて地上に降りて来た。その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。』(使徒 10 章 9 節-12 節)
ここで書かれているのはレビ記 11 章と申命記 14 章で出てくる動物です。それらの食べ物はコシェルではなく、ペテロにとって忌むべきものでした。
『そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえた。しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」』(使徒 10 章 13 節-14 節)
言い換えるとペテロは「私はコシェルでないものを食べません」と言っていたのです。
『すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げ
られた。』(使徒 10 章 15 節-16 節)
『 [ペテロは] 彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。』(使徒 10 章 28 節)
ここでの問題はその人自身と彼らの信仰であり、人種ではありませんでした。問題の本質はその人の信じていることにあったのです。
ペテロの時代のローマ人は他の神々を礼拝していました。彼らはジュピターやローマのパンテオン神殿にある神々を崇拝していたのです。
犬
『するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」』(マルコ 7 章 27 節)
犬とはどのようなものなのでしょうか?
『犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。』(詩篇 22 章 16 節)
“犬”とは異教徒たちのことを軽蔑的に呼ぶユダヤ人の言葉でした。『子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです』
イエスは人種差別をしてこう言ったのではありません。彼はその異邦人の少女を、ユダヤ人の少女と同じくらい愛していました。しかし、イエスが言っていたのは「女の人、あなたの宗教は人間が食べるものではない。わたしは“犬”にパンを与えることはしません。人間になりなさい」ということだったのです。
使徒の働き 10 章でのペテロの幻で、コシェルでない動物は何を表していたのでしょうか?それは異教徒や異邦人、不信者など“犬”を表していたのです。それがペテロの見たコシェルではない動物でした。
「ペテロよ、これを食べ、飲み込むのです」
「えっ、ちょっと待ってください。えっ、ちょっと待って…近くにコシェルの食堂があるのに。私はそれを触ることもできません!」
「ペテロよ、これを食べなさい!」
神はきよくない人たちをきよくします。
神はその異邦人たちを救い、彼らを食べられるものとしました。彼らの信仰が正しくされたので、もう彼らは消化されるものとなっていたのです。
神はどんな人でもきよくすることができます。それがたとえねずみやゴキブリを食べてしまっていたクリスチャンであっても、神は彼らをきよめます。その人が悔い改めたなら、彼らでさえきよくすることが出来るのです。
インドが飢えてもいいのですか?
私がまだ幼い頃ニューヨークにいたとき、インドに一年に必要とされるだけの雨量が不足し、インドは飢饉に陥りました。世界で第二に人口が多い国が大規模な飢餓に瀕していたのです。
そこで大きなキャンペーン活動がなされていました。「インドが飢えてもいいのですか?」というものです。世界の小麦生産国である―アルゼンチンやアメリカ、カナダ、オーストラリアなどが大量の小麦を援助していました。そして世界中の人たちが資金をそのために集めていました。
「インドが飢えてもいいのですか?」というキャンペーンは大きなもので、ビルの看板にも、新聞にも掲載され、テレビや雑誌で大きく取り上げられていました。「インドが飢えてもいいのですか?」と。
アメリカの中西部に住む農家たちは―多くの人が信者でしたが―自分たちの小麦の十分の一を、インドやさまざまなキリスト教の救済機関に送っていました。
当時、私には忘れられないことがありました。あるアメリカの雑誌が全ページをそのことについて書いていて、トップ記事の上の方を見ると、「インドが飢えてもいいのですか?」と書いてあり、同じページの下には「そうなって当然じゃないか」と書いてありました。 そしてそこには二人のヒンドゥー教徒の男の子たち、骨と皮ばかりになって、文字通り今にも飢えで死んでしまいそうな子たちの写真がありました。骨は体から浮き上がって見えていました。
その男の子たちは大きな穀物の入った袋を持ち、それには「合衆国緊急支援用小麦―非売品―アメリカ国民からインド国民への贈り物」と書かれてありました。
しかし、その男の子たちが袋を持っている間に、牛がその小麦を食べていたのです!
正義は国を高める
偽りの宗教はいつも飢饉と死をもたらします。そのような飢饉が起こっている国を見てく
ださい―ラテン・アメリカやアフリカ、アジアなど、異教やカトリック・偶像礼拝が広く行われている国々です。
私はクリスチャンが苦しみを受けることは無いと言っているのではありません。しかし、飢饉は偽りの宗教を反映しています―彼らは空腹になり、飢えのために死に至ろうとしながらも、食べる物が目の前にあるのです。
聖書は『この地にききんを送る。…実に、主のことばを聞くことのききんである。』(アモス 8 章 11 節)と書いています。飢饉はもうすでにあります。しかし、それはひどくなりつつあるのです。
ではサウジアラビアやイランなどのように聖書が手に入らなかったり、信者の集会が違法になってしまうような迫害が来たらどうなってしまうのでしょうか。
それがイギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどの国にやって来たら、そこにいる信者たちはどうなってしまうことでしょう。
食べる物は至る所にありますが、人々は食べようとしません。それなら食べ物が無くなってしまったときにどうするのでしょうか。どのような人たちが最初にいのちを失ってしまうのでしょう。
食べ物が目の前にあるのに、食べようとしない人たちが最初にいのちを落とします。
インドでヒンドゥー教徒の男の子たちが飢えていたのは、悲惨なことです。しかし本当に悲惨なのは、彼らが飢えていたことではなく、目の前に食べ物がありながら飢えていたということです。
今日の教会の中で起こっている飢饉において、人々は手当たり次第に物を食べています―文字通りどんなものをも食べています。それがいくら狂ったものでも、吐き気を覚えるようなものでも、どんなに毒が入っていても食べてしまっています。これは悲劇です。
しかし、それにもまして悲しむべきことは、貯蔵庫にまだ大量の穀物が残っていることなのです!
ジェイコブ・プラッシュ
Mezuzot Part 1 - Japanese
メズザー(門柱)1
士師記 14 章を読みましょう。
『サムソンはティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘でティムナにいるひとりの女を見た。彼は帰ったとき、父と母に告げて言った。「私はティムナで、ある女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、あの女をめとって、私の妻にしてください。」すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」』(1 節-3 節)
罪はとても簡単にまつわり付くものです。サムソンは不信者の女に弱かったのです。ここでの問題はその女の人種ではありません。中央アフリカのイスラム系民族を除いて女性が割礼を受けることはないのですが、問題なのは彼女の信仰だったのです。その当時、ユダヤ人が非ユダヤ人と結婚するということは、今日、信者が不信者と結婚することと等しいものでした。ですから、言い換えると、大切なのはその女の信仰だったのです。
サムソンは不信仰の女に魅かれる傾向を持っていました。15 章においては、その傾向のために大きなトラブルに陥ります。神は摂理と言われるような目的にしたがって、彼との関係の中で働かれていたのですが、サムソンはトラブルに巻き込まれていました。15 章 18節では、
『そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主に呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。』
とあり、サムソンのこの女との関係は次第に彼を苦境に陥らせ、最初は彼女の父親と、次にはペリシテ人と争いを引き起こしました。これが彼の記録されている、不信仰の女との最初の闘いでした。
私たちはサムソンに関して他の『ナザレ人の誓い』という説教を提供していて、そこでは髪の毛に関しての象徴も含み、ミドラッシュを扱っています。また、箴言 5 章に出てくる邪悪な女のことも扱っており、それは遊女に自分の力を明け渡すことについて語っていま
す。これは「ペシェル(pesher)=深い霊的な意味」です。さて、それでは今から士師記
16 章の「ペシェット(peshet)=本文の直接的、明らかな意味」を見てみましょう。
『サムソンは、ガザへ行ったとき、そこでひとりの遊女を見つけ、彼女のところに入った。』(1 節)
彼はもう一度行いました。彼はまた不信仰の女を見つけたのです。罪はとても簡単に付きまとうものです『…彼女のところに入った』これはヘブライ語では“ボー・ラー(bow l'ah)”といいます。他の説教から知っているかもしれませんが、ひとりの人が他の人に入ると、三人目の人が創造されます。私たちは神のかたちに造られ、「セオポモーフィック
(theopomorphic)」的な男性、また女性です。私たちの中の神のかたちがあるというこの特徴のために、姦淫と不品行は神の目からとても深刻なものなのです。これらの性的な罪は、私たちの中の神のかたちを、汚し、歪めるものなのです。イギリスにある私の家の門柱には「メズザー(mezuzah)」と呼ばれて、ヘブライ語の“シェム(shem)”という文字が書かれてある小さな箱があります。シェムはヘブライ人の信仰告白の最初の文字でもあります。福音書の中で、人々がイエスに最も大切な戒めは何かと聞いたとき、イエスは、
「シェマ イスラエルアドナイ エロヘヌ
アドナイ エハッド、バルク ハ・シェム
(Shema Israel Adonai Elohenu Adonai ekhad baruch Ha Shem
=イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。)」
また
『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』(マルコ 12 章 29 節-30 節)
と言いました。“エハッド(ekhad)”という言葉は複合体のひとつという意味です。ひとりの神という言葉は、アダムとエバが一体(エハッド)になると言われたときに使われたのと同じ言葉です。神のかたちとその似姿は再び創造されるのです。
私の門柱にある小さな箱はメズザーといいます。しかし、メズザーは実際には古代ヘブライ人の文化での門柱それ自体であり、そこに付ける小さな箱は門柱にちなんで名付けられました。出エジプト記において、人々はヒソプを過越しの子羊の血に浸し、それをメズザーである門柱の上に、十字の形に血を塗りました。この話にまた戻ってきたいと思いま
す。
夫は妻と結ばれて、ふたりはエハッドになる。“結ばれて”と訳されたヘブライ語は「ダバック(daveq)」というものです。ユダヤ教で神と結ばれるということは「ダバクート
(devequt)」と呼ばれます。「パヨート(payoot)=巻き上げたもみあげの毛」をした正統派ユダヤ人を見るなら、彼らがある身振りをしているのを見るでしょう。それは彼らにとって神と結びつくことを示しているのです。彼らは“ズンズミム(zumzumim)”と呼ばれる「聖なるひらめき」というものを受取ろうとしています。現代ヘブライ語では、「ダバック」という言葉はのりに対して使われ、ヘブライ語でセロテープとは「ナー・ダバック(nyr daveq)」文字通り「貼り付くひも」という意味です。しかしながら、聖書の中でその言葉によって伝えられている概念は、のりというよりかはむしろ、強力な瞬間接着剤のようなものです。のりと瞬間接着剤の違いとは何でしょうか?のりは貼り付きますが、接着剤は固着します。接着剤は高分子化合物を形成します。高分子化とは、ただその時貼り付いているだけではなく、分子レベルで固く付着しているということです。そこには高分子化によって、同じ原子価になっているのです。これと同じように、サムソンはこの不信仰の女と結びついたのです。
続きを読んでみましょう
『このとき、「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはサムソンを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。そして、
「明け方まで待ち、彼を殺そう」と言いながら、一晩中、鳴りをひそめていた。しかしサムソンは真夜中まで寝て、真夜中に起き上がり、町の門のとびらと、二本の門柱(メズゾート)をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩にかついで、ヘブロンに面する山の頂へ運んで行った。』
ここでの柱は鉄(ヘブライ語では「バルゼル=(barzel)」)で作られていました。サムソンが十字架のように負っていた重荷は、木と鉄で作られていました。
彼の弱さがきっかけとなって、このような困難に陥ったのは最初ではありません。パウロはこれを「まつわりつく罪」と呼びました。広告業界のおかげで、人間の性は春のファッションから歯磨き粉まで、あらゆる物を売るための手段となっています。そして私は 87 歳から下の年齢で性的な誘惑に苦しんでいない人を知りません。この世とサタンは一緒になって、広告業界を使い、MTV から雑誌の広告まですべての物によって人間の性を動物的なレベルまで堕落させているのです。
サムソンの状況を考えると、私たちは彼の弱さが何であったかが分かります。あなたや私
にとって、それは性的なものでないかもしれませんが、すべての人が何らかの弱点を持っています。また、ただあなたと私がそれを持っていることだけでなく、敵もそれらについて熟知しているのです。大学生のとき、私の生活の中心はコカインやセックス、マリファナ、ロックンロール、クラシック音楽などでした。また、マルクス主義者であると公言しながら、コカインはお金がかかるのに気付き、その堕落した状態を維持するために高度な教育を受け、良い仕事に就くことが自分には必要だと思っていました。何てひどい偽善者だったのでしょうか!まだ信仰が未熟なときに、自分の弱さが何であって自分に対しての敵の最大の武器は何であるかを聞かれていたなら、私はコカインや大麻だと答えたことでしょう。しかし、後になってから考えると、薬物乱用ほど神が私に完全な救いを与えてくださったことを知りません。マリファナは言うまでもなく、私はタバコを吸っている人がいる同じ部屋にさえいることが出来なくなりました。また、このような物やマリファナを吸っている人たちがいるパーティーに行き、そこで誘惑を受けなかっただけではなく、その人たちに、私を中毒から救ってくださった神の力、また神がより優れたものをくださったことを証しすることが出来ました。薬物の乱用に関して、私はそれが堕落に引き込むものだと思っていたのですが、神は私に完全な勝利を与えてくれたのです。他の人はそれに苦しんでいるかもしれませんが、私は今何の問題も抱えていません。それは私の弱さではありません。私の弱さとは次のようなものです。
イングランドでは車がとても多いものです。ある日、私は自宅から百人ほどの教会に講演 をしに向かっている途中だったのですが、前方にヨーロッパのナンバープレートの、18 か ら 22 くらいの車輪が付いたトラックが、何マイルにもわたって交通を麻痺させていました。
そのトラックを何とか追い越したとき(そのとき 40 分も遅刻していたのですが)、その運転手は片手に携帯電話を持ち、もう一方の手にタバコを持っていました。それを見ると私は彼を銃で撃ちたくなりました。私の憤りはそれ自体正しいものであったかもしれませんが、その人を葬り去りたいというのはまた違ったことなのです。
私の弱さとは強烈な怒りです。聖なる怒りと怒り心頭になることは大きく違います。イス ラエルが金の子牛を造りそれを拝んでいたとき、モーセが十戒の書かれた石の板を取って、山からそれを投げ捨てたのは聖なる怒りです。イスラエルが律法を破ったことを悟らせた のです。私がそのトラックの運転手を銃で撃ってしまいたいと思ったのは、聖なる怒りで はありません。また、発する言葉が正しくても、それは自動的に正しい怒り、聖なる怒り であるということはありません。私はこのことを『ツァドクの息子たち』というテープで 語っています。これが私の個人的な弱さなのです。
またもうひとつ他の弱さの例を挙げましょう。救われた信者であっても、その人にとって
アルコールがただの飲料ではなく、薬物になっている人を知っています。夕食と共にワイ
ンをたしなむことや、ランチとビールを一緒にすることは彼らにとって不可能なのです。このような信者はいかなる種類のアルコール飲料であれ、個人的な弱さのために、少しも近寄ってはならないのです。
保険会社は医学について何も知らないかもしれませんが、確実にお金のことについては熟知しています。それゆえ、彼らは統計について精通しているのです。あなたが保険契約の用紙に記入するとき、最初に見る質問は、あなたがタバコを吸うかどうかというものでしょう。タバコを禁煙すると、自動的にリスクの低いカテゴリーに入れられます。反対に、タバコを吸い始めるやいなや、統計的にリスクの高いカテゴリーに入れられるのです。また、一分間タバコを吸うと、その人の寿命から一分差し引かれると言われています。言い換えると、タバコ一本であってもあなたの寿命を縮めているのです。ですが、救われた信者であってもタバコがその弱さとなっている人たちを知っています。彼らは一日、二日はタバコ無しに過ごすかもしれませんが、相変わらずその習慣に戻ってきてしまうのです。クリスチャンの中には、このことを問題にするのをあざける人もいますが、教会の外を歩いているときに、たまたまタバコに火を灯しているのを見かけられると、その人の証は無くなってしまうのです。「そうなんだ、イエスさまが私の人生を変えてくれたんだよ。ところで、ライター持ってる?」
「あなたの隣人のものをほしがってはならない」(出エジプト 20 章 17 節)――それなら、クリスチャンはなぜギャンブルが出来るのでしょうか?私は正直言って分かりません。それらのものは現代の技術によって促進されています。代用物による罪、かつてもそうだっ たのですが、それが罪深さを軽減するように考えられています。例えば、外出して浮気を し、配偶者を裏切ることがなくても、今夜何千人もの新生したクリスチャンがチャットル ームで、ネットによる代用物で浮気をしていることは明らかです。インターネットでそれ をし、実際に外出して行うことはないのですが、どういうわけか、それはまだマシである と考えているのです。しかし、神は自分の妻や夫以外に少しでも情欲を抱くなら、あなた は姦淫したと言われます。このような罪深いチャットを行っている者が何千といるのです。私はこのようなことをしたために、深刻な苦しみに陥ったクリスチャンの女性を具体的に 知っています。
「まつわりつく罪」それはあなたにとって性的なことであるかもしれないし、そうでないかもしれません。また、薬物の乱用かもしれませんし、そうでないかもしれません。暴力や激しい気性かもしれません。それが何であっても、すべてのクリスチャンは、継続的に陥る何かしらのことを抱えています。私が会った最も敬虔な人々でさえ、明らかな弱さを抱えていました。聖書を見ると、ノアやアブラハムなどの族長たちも、老齢になってもそ
の人格には欠点があったことが分かります。パウロが「まつわりつく罪」と呼んだような
罪は、彼らのいのちが尽きて死に至るまで神が取り除こうとされていることが分かります。パウロがまつわりつく罪とギリシア語で書いたとき、彼は過去形を使わず、『私はその罪 人のかしらです。』(1テモテ 1 章 15 節)――と書き、彼自身信者であっても現在形を使 いました。
サムソンのまつわりつく罪は不信仰の女に対する情欲でした。さきに士師記 15 章では、そ
の罪が彼を困難に陥らせましたが、神はそこから救われたことを見ました。しかし 16 章において、彼は再び行いました。罪に屈すれば屈するほど、ますます深みにはまり、状況はさらに危険なものとなります。今回彼は目のあたりまで、泥沼にはまってしまったようです。彼を陥れようとする者たちによって囲まれていました。
悪魔は官能的な快楽に興味はありません。また、罪とつかの間のかかわりを持つ快楽にも 興味はありません。『悪魔の手紙』を読んだことがあるなら、その点においてC・S・ルイ スは大いに的を得ています。その本では年上の悪魔が若い悪魔に対して、クリスチャンに どうやって罪を犯させるかをアドバイスをしていて、快楽について慎重であるようにと警 告を与えています。なぜなら、それは彼らの敵である神によって造られたものだからです。そして、年上の悪魔は獲物を誘惑するために、快楽を堕落させるなら慎重にしなければな らないと指摘します。そうです、悪魔にとってつかの間の快楽という罪はエサにしかすぎ ないのです。サタンはどのようなものであれ、誰かが快楽を楽しむことを望んでいません。彼の望みはただ人々が地獄に行くことです。永遠のこちら側、また人の頭では神の愛を完 全に理解することはできず、また、サタンの邪悪さを完全に理解する事はできないので す。
もう一度、士師記 16 章のサムソンが窮地に陥った箇所に戻りましょう。そこで彼は包囲されていたことに気付きます。彼は何をすべきなのでしょうか?言い換えると、あなたや私が、自分が行った同じ愚かなことのゆえに、窮地に陥った場合何をすべきなのでしょうか?サムソンの敵はいつ彼を奇襲しようとしていたでしょうか?真夜中ではなく、夜明けでした。サムソンは安らかに寝ていましたが、真夜中にとび起きました。もし、彼が夜明けまで待っていたなら、敵は襲いかかっていたことでしょう。
これを私たち自身の生活に適用するなら、あなたが再び窮地に陥り、困難の中にいると気付いたなら、その時は以前よりも状況が悪いのですから、すぐさま正常な状態に戻すのを遅らせてはいけません。ただちにそうするのです!ちゅうちょすることは自分自身を標的にすることです。敵はあなたを、そして私を食い尽くそうと待ち受けています――悪霊は実在するのです。サムソンは床からとび起きなければならないにも関わらず、すぐさまそ
の状況を修正しました。あなたが自分自身を、罪の中で快適にしてしまうその瞬間、その
身を危険な立場に置いていることになるのです。
このようにサムソンはとび上がりました。しかしながら、彼は囲まれたままでした。彼は このわなからどうやって逃れたのでしょうか?また、私たちが手をつけてしまったものか ら、逃れるためにどのようにしたら良いのでしょうか?サムソンはイエス・キリストの十 字架、木と鉄でできたメズザーをつかみました。困難に陥るには何万もの道がありますが、そこから抜け出すにはひとつの道しかありません。サムソンは十字架を取り、肩にかけ、 それを持って出て行きました。ただちに正常に戻すこと―すぐに十字架を取るのです。
ここに熱烈な説教者がいます。しかし、この熱烈な説教者について一言語らせてください。かつて私が結婚する以前、まだ奉仕や神学校に入ってない頃、まだイスラエルにも行って いないとき(私はニューヨークにいました)、私はまだ幼い信者であったのですが、マン ハッタンの東側に住んでいて、少し年上の魅力的な女性に出会いました。私はその人の誘 いに間違った仕方で乗ってしまったのです。彼女に証をする代わりに、彼女の気のある素 振りに反応してしまいました。いつの間にか、私は彼女とタクシーの中にいました。その 後間もなく、気が付くと彼女とバスタブの中にいました。そしてついに、私は彼女とベッ ドの中にいたのです。私はイエスを知る以前に行っていたような道を歩み、当然のなりゆ きに身を任せる寸前にまでなっていたのです。直前になって、自分は一体何ていうことを しているんだと自問し、どうやってこの状況から逃れるかを考えるようになりました。私 の肉はそのままを望んでいました。しかし、私は「主なるイエスよ、私のしたことを見て ください!私は愚か者ですが、主よ、この状態からどうにか抜け出させてください」と言 い、祈りました。私がそのとき何を彼女に言ったか覚えていませんが、彼女をひどくいら だたせたことでしょう。私が何を言ったかを具体的には思い出せませんが、彼女が言った 言葉は忘れることができません。彼女は部屋中を走り回って、私に向かって叫び「出て行 け、出て行け!」と言いました。私の古い性質は罪を欲していましたが、新しい性質はた だそこから逃れたかったのです。少しでも遅らせることは命とりになります。脱出するに はただひとつの道しかありません。肉を十字架につけるのです。
神はサムソンに対してと同じように私にも恵み深い方でした。サムソンはメズザーを―鉄と木でできた物――持ち上げ、山に上りました。その後何が起こったのでしょうか?読みすすめてみましょう。
『その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリラといった。』(16 章 4 節)
案の定、サムソンは同じことをくり返したのです!彼は出て行って、違う女を見つけたの
です!サムソンがこのようなことを実際何度したかは分かりません。しかし、少なくとも聖書に記されている回数、彼はそうしたことでしょう。最初のときは、困難に陥った様子を見ました。二度目は、窮地に陥りました。今回彼はどうなるのでしょうか?
あなたにとってのまつわりつく罪は、性的なものではないかもしれませんが、サムソンにとってまさにそれが弱さでした。しかし疑う余地の無いことは、あなたもそれをひとつは持っており、私もそうであるということです。あなたはそれが何かを知っており、神はご存知であり、言うまでもなく敵もそれを知っています。あなたが相変わらず陥り続ける、愚かで、ばかで、頭足らずのことがあるはずです。ではサムソンはどうしたのでしょうか?
『すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」』(16 章 5 節)
救われていない人はただひとつのことを気にします。それはお金です。その値段が良ければ未信者はどんなことでもたいがい行います。今、デリラはサムソンをくどくために、お金を約束されました。事態は変化していました。敵はその戦略を変えてきたのです。今までは、サムソンに対しての彼らの試みは、機会を狙っているだけでした。しかし今、彼らは手はずを整え、わなにかけようとしているのです。伝道者の書で言われているように、不義の結果はすぐには現れないので、人々はそれから逃れることができると誤って考えているのです。聖書は罪について注目すべきことを述べています。というのは、聖書は罪を擬人化しており、それが私たちを欺くことができると言うのです。欺くことができるのはサタンだけではなく、見分けることに失敗すると他の人が私たちを欺くだけではなく、私たちが自分自身を欺くだけでなく、罪そのものも私たちを欺くのです。そのまつわりつく罪は、あなたがそれを持ちながら、うまくやっていけると思わせるのです。
サムソンの敵の戦略は今はもう変わりました。なぜなら、彼らは偶然の出来事を通して彼を陥れることはできないと気付いたからです。相対的に言って、あなたが何か悪いことを行って、自分自身に困難を招くことは良いことです。一旦、自分がうまくやってのけて罪の結果を刈り取ることが無ければ、そのときあなたは――ただそのことを知らないだけで
――本当の困難に陥っているのです。
これは人が初めてタバコを買い、吸ってみようとするときに非常によく似ています。体は
ニコチンとタールを吸ったことの反応で、あることを訴えかけようと激しくせきをするの
ですが、代謝的に慣れてしまうとせきが止まり、真実と全く正反対にも、そのことが大丈 夫であるかのように思ってしまうのです。実際にはその人は統計的に、呼吸器疾患、循環 器疾患、またあらゆる種類のガンの候補者となっています。タバコは発がん性物質を含ん でいるのですが、一旦せきがとまってしまうと、問題や危険が過ぎ去ってしまったかのよ うに簡単に考えてしまうのです。喫煙者はせきをしているほうが良いのです。少なくとも、タバコが良い物でないことが分かるのですから。
6 節から続けましょう
『そこで、デリラはサムソンに言った。「あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。」サムソンは彼女に言った。「もし彼らが、まだ干されていない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」そこで、ペリシテ人の領主たちは、干されていない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。彼女は、奥の部屋に待ち伏せしている者をおいていた。そこで彼女は、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます」と言った。しかし、サムソンはちょうど麻くずの糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力のもとは知られなかった。デリラはサムソンに言った。「まあ、あなたは私をだまして、うそをつきました。さあ、今度は、どうしたらあなたを縛れるか、教えてください。」』(16 章 6 節-10 節)
サムソンは火遊びをしていたのです。彼は一晩 10 万円で売春婦と床をともにし、隣の部屋では売春宿の主人が弾丸を込めた銃を持っていたような状況だったのです。そこで彼はゲームをしていました。同じように、罪に対して態度が軽薄であり、それをうまくやってのけると考えたのです。それはゲームのようなものになります。ロシアン・ルーレットも同じようなゲームです。銃弾を銃身に入れ、それを回転させます。共にそれを遊んでいる人だけがどのシリンダーに銃弾があるかを知っています。カチ…カチ…カチ…と音がし、遅かれ早かれ、おそらく意外にも早く“バン”という音と共に終わりが来るのです。
11 節『すると、サムソンは彼女に言った。「もし、彼らが仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます」と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンはその綱を糸のように腕から切り落とした。』
戦略は二度目にほんの少し変化しただけだということに注目してください。
『デリラはまた、サムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして、うそをつきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」』
ここでデリラはサムソンを殺そうとしていたのですが、彼を不品行のために責めていました。これは法王が小児愛者の宗教の指導者でありがら、子どもたちの人生を破壊している性的に異常な聖職者を保護している一方で、イラクに爆弾を落とすのは道徳的ではないと言うようなものです。彼は自分の教会が堕落の汚水を垂れ流しているのに、他の人にどのようにして道徳的になるべきかを教えたがっているのです。
『…どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」サムソンは彼女に言った。「もしあなたが機の縦糸といっしょに私の髪の毛七ふさを織り込み、機のおさで突き刺しておけば、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」』
ここで何が起こっているのでしょうか?少しずつサムソンはわなにかかってきているのです。今彼はデリラに彼の力の秘密がその髪と関係していると明かしました。危険が増してきたのです。私たちの人生で、罪を何度かうまくやってのけたとき、私たちは自信を持ち不注意になります。そして彼がしたように危険を引き寄せてしまうのです。それはカジノや競馬場に行くようなものです。勝算がどんなときでもあるのなら、彼らは何も仕事をしていないはずです。
ここで起こっていることを理解しましょう。彼はなぜ神との関係における自分の秘密を、 不信仰の女に明らかにし始めたのでしょうか?彼女は近所の女でもなく、魔性の女であり、おまけに“シクセー(shikseh)”(訳注…異邦人女性の軽蔑した言い方)でした。サムソン はイスラエルの中ですてきな女性を見つけることができなかったのでしょうか?彼は聖な る結婚関係以外で持ち出してはならない秘密を共有し始めました。なぜなのでしょうか? それは結合したこと「ダバック」のゆえです。誰かと寝てしまうと、接着剤で覆われるこ とを避けることはできません。
私は幼い信者のころ、ニューヨークで国連の向かいに住んでいました。私はそこでひとりの魅力的なイタリア人女性と同棲していて、彼女は料理も他のこともうまくできる人でした。その関係はふたつのことによって支えられていました。ひとつはフェットゥチーネ・アルフレード(パスタ)であり、ふたつ目は皆さんの想像に任せます。イエスに従い始めたころ、当時ジューズ・フォー・ジーザス(Jews for Jesus)のリーダーが私に、結婚するか出て行いくかのどちらかにしなければならないと言いました。なので、私は彼女に出て
行くよう言いました。そして、残ってた薬物を取り、ご存知の通り、窓から投げ捨てまし
た。それは 20 階下の1番通りに落ちました。私がいつも指摘してきたように、そのときポーランドの大使が外交官としての特権を持っていたことは良かったことです。でなければ彼は留置所で愚痴をこぼすことになっていたでしょう。私はその女性を主に導きました。今私は世界中にあるどんな教会でも行くことができ、それらの教会にいる女性は信仰にあっての姉妹であり、それ以上でもそれ以下でもありません。しかし、そのイタリア人の女性に会うなら、私はそこにあってはならないものがあるような気にいつもなるのです。もしあなたが、離婚の苦しみに耐えた人と話すなら、彼らはそれが取り返しのつかない損害を与えたと語ってくれることでしょう。
Mezuzot Part 2 - Japanesee
メズザー(門柱)2
のりは洗い流せます。しかし、瞬間接着剤は削り取ることはできますが、洗剤や溶剤では落ちません。高分子化合物は表皮の上部を角質化して結合します。言い換えると、それがはがれるとき、接していた自分の一部は共に取れ、そこにあるはずがないしるしを残すのです。そのような結合は結婚を保つうえで、神さまが用いたものです。しかし、結婚関係以外において、それは良いものではありません。神はその罪を赦されるのでしょうか?もちろん。ではよみがえりやイエスが戻ってきたときにそれは問題となるのでしょうか?そんなことはありません。しかし、現在そのしるしは残ったままなのです。この結合には相互の弱さがあります。それはサムソンを感情的にし、デリラから霊的に影響を受け易くしたものなのです。
続けて見てみましょう。サムソンは愚かにも、彼の力の源がその髪の毛と関係するということをデリラに教えてしまいました。彼は主に関しての事柄を、主を信じていない者と共有してしまったのです。
『彼が深く眠っているとき、デリラは彼の髪の毛七ふさを取って、機の縦糸といっしょに織り込み、それを機のおさで突き刺し、彼に言った。「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」すると、サムソンは眠りからさめて、機のおさと機の縦糸を引き抜いた。』(士師記 16 章 14 節)
彼は自分が引き起こした悲運のどん底にいかに近づいているかを知らずに、もう一度うまくやってのけれるのだと思っていました。
15 節『あなたの心は私を離れているのに、―次に注目してください―どうして、あなたは『おまえを愛する』と言えるのでしょう。』
「あなたは私を愛してない!もし愛してるなら殺させてくれるでしょう。あなたは本当には愛してない。愛してるなら、あなたを襲いお金をいただくのに!」サムソンはどんなに愚かになったのでしょうか!彼が能なしのようにふるまったわけが分かります。この男は本当に狂っていました。そして、私も狂っていて、あなたも狂っているのです。罪は簡単にまつわりつきます。
この状況を理解しましょう。これは旧い契約のもとで起こりました。今、聖霊はすべて信
じる者のうちにあるのですが、当時はそうではありませんでした。旧い契約のもとでは、
ある特定の時期、ある特定の目的で、大祭司や預言者、王、族長、さばきつかさのような 人たちにしか聖霊は与えられませんでした。サムソンはそのとき、地上で唯一聖霊を与え られていた人であったかもしれません。彼はイエスの象徴として奇跡的に母の胎に宿りま した。また、主の使いが両親に現れ、その子の誕生を告げ、キリストが十字架を運びその 上に死んだように、サムソンも柱を運び柱をつかんで死にました。このように、旧約聖書 の中のすべての象徴が何らかのかたちでそうあるように、サムソンはキリストの象徴でし た。彼はその生まれる前から神に召されていた者であり、神が力を与えた者でした。彼は 神の御名のためにその御手が置かれている者であり、それは神の民の救いのためでもあり ました―サムソンはイスラエルのさばきつかさであったのです!神に召され、力づけられ、油注がれ、神によって雄々しく用いられました。しかし彼は絶えずその同じ愚かな罪にま いもどって行ったのです。
同じように、あなたは福音を証し、人々をイエスに導き、人の上に手を置けばその人が癒されるのを経験するかもしれません。神は御手をあなたの上にのべ、御霊に満たし、あなたを真に用いることができるのです。しかし、いまだあなたは同じ古い事柄に陥ることも可能なのです。サムソンはそうであり、私もそうであり、あなたもです―私たちすべてがそうです。神がこのジェイコブ・プラッシュのような者をなぜ忍耐しておられるかなんてことを聞かないでください―私も分かりません。幸いにも、私は神ではありません。なぜならもし私が神なら、ジェイコブ・プラッシュはどうなっているか分かりません。神が神であり、私が私であることに感謝しましょう。もし、私が神なら私はここにはいないからです。
次にサムソンがデリラに言ったことは罪が持つ欺く力と、結婚関係の中のみで保たれるべきそのようなつながりが生む弱さを示しています。16 節を見てみましょう、
『こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。』
彼はなぜこのような口うるさい女を我慢していたのでしょうか。そのような関係にある男は誰でもおかしくなるものです。箴言は、争い好きな女と一緒に住むことは雨漏りしている場所で寝ようとすることだと表現しています。サムソンは彼のイスラエルのさばきつかさという地位のために、彼の望むどんな妻でもめとることができました。しかし、サムソンはデリラと固く結びついて、
『それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭に
は、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジ
ル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」デリラは、サムソンが自分の心をみな明かしたことがわかったので、人をやって、ペリシテ人の領主たちを呼んで言った。「今度は上って来てください。サムソンは彼の心をみな私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来た。そのとき、彼らはその手に銀を持って上って来た。』(士師 16 章 17 節-18 節)
そこで、サムソンは全くのでたらめを信じたのです。彼は真実を告げました。
『彼女は自分のひざの上でサムソンを眠らせ、ひとりの人を呼んで、彼の髪の毛七ふさをそり落とさせ、彼を苦しめ始めた。彼の力は彼を去っていた。』(19 節)
ここでペリシテ人が彼を苦しめる前に、デリラが先にそうしたことに注意してください。誰もが自分の罪のために最初に裁かれるのではありません。罪への裁きが最初に起こることではないからです。いやむしろ、最初に起こることは罪による裁きなのです。罪自体があなたに敵対します。その後にその刈り取りが来るのです。
『彼女が、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます」と言ったとき、サムソンは眠りからさめて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう」と言った。彼は主が自分から去られたことを知らなかった。』(20 節)
彼の力は無くなり、神を去らせたのにサムソンはそれを知りませんでした。私たちの罪は聖霊を悲しませます。聖霊は望ましくない場所には留まりません。聖霊が立ち去るのではなく、私たちの悪い生活が彼を立ち去らせると言ったほうが正しいでしょう。多くの人が私に聞くよく質問は、どの時点で聖霊は悔い改めない背教者のもとを離れるのかということです。この質問には答えることができません。その人自身にも分からないし、知ることもできないのです。「サウルもまた、預言者のひとりなのか」―サウルは主が去られたときに気付かなかったように、サムソンも同じでした。しかし、その後に何が起こるかを私たちは知っています。
21 節『そこで、ペリシテ人は彼をつかまえて、その目をえぐり出し、彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせをかけて、彼をつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。』
神の霊が去られたときに何が起こったのでしょうか?見ることができなくなり、力を失い
ます。それは霊的にも盲目になり、自分の十字架を負うための力を失うということです。
この時点ではもはや何もできません。なぜなら、もう手遅れなほどに行き過ぎてしまったからです。
神の霊はサムソンを去りました。盲目になり力を失いました。それが彼に起こったことであって、もし私たちも注意深くしていなければ、同じ事が私たちにも起こりえるのです。これは誰も免れることはできません。
続けて見てみると、22 節『しかし、サムソンの頭の毛はそり落とされてから、また伸び始めた。』ローマ 11 章 29 節には『神の賜物と召命とは変わることがありません。』とあります。神は一度与えられたものを取り去られはしません。私たちが“頭の毛”を失うことは一瞬ですが、伸びるには時間がかかるのです。それを一晩で失ってしまうかもしれませんが、取り戻すのは容易ではありません。信仰を失ってしまった背教者は、その分ゆっくりとしか回復しないのです。そのような者は盲目になり、力を失い、信仰の破船に遭ってしまったのです。
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節『さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえをさ さげて楽しもうと集まり(ダゴンとは魚の姿をした古代ペリシテ人の神です。ロー マ・カトリックの主教が被っている長い帽子は元々ダゴン礼拝に起源があります)、そして言った。「私たちの神は、私たちの敵サムソンを、私たちの手に渡してくだ さった。」』
古代中近東の考えでは、実際の敵との戦いは、単純に霊の戦いの延長線上にありました。それはダニエル書や黙示録ではっきりと確認できることです。また、他の説教でもそのことを説明しています。それゆえサムソンを捕らえたことは、ペリシテ人の頭の中では、ただ彼に力が勝ったということだけではなく、彼らの神がサムソンの神よりも強いということを意味していたのです。しかし、神は御名の栄光を現わさずにいることはありません―ご自身の栄光を他の誰にも渡しはしないのです。
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節『民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「私たちの神は、私たちの敵を、この国を荒らし、私たち大ぜいを殺した者を、私たちの手に渡してくださった。」』
しばしば、神はその御名のために、ご自分の民が不信仰であっても祝福を与えます。私たちはそのことを見落としがちです。
『彼らは、心が陽気になったとき、「サムソンを呼んで来い。私たちのために見せ
ものにしよう」』
神に背く者はいつもはずかしめを受ける状態になります。イザヤ 30 章で『しかし、パロの保護にたよることは、あなたがたの恥をもたらし、エジプトの陰に身を隠すことは、侮辱をもたらす。』(イザヤ 30 章 3 節)と書かれてある通りです。
『サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で戯れた。彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき』(16 章 25 節)
ここでの“柱”という言葉はその町の柱を示しているようです。ペリシテ人はある間違いを犯しました。サムソンは十字架のもとに行く事ができなかったが、十字架を彼のもとに持ってきてしまったのです。
『サムソンは自分の手を堅く握っている若者に言った。「私の手を放して、この宮をささえている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」宮は、男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、サムソンが演技するのを見ていた。サムソンは主に呼ばわって言った。
「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」そして、サムソンは、宮をささえている二本の中柱を、一本は右の手に、一本は左の手にかかえ、それに寄りかかった。そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。』
ここでもサムソンはキリストの象徴です。完全に敗北したと思われたときに、その広げた腕はかつてない勝利をもたらしたのです。どうしようもないと思われたときに、犠牲を払いながらも相手を倒しました。
31 節『そこで、彼の身内の者や父の家族の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルとの間にある父マノアの墓に彼を運んで行って葬った。サム ソンは二十年間、イスラエルをさばいた。』
サムソンは 60 年間イスラエルをさばいていても不思議ではありませんでした。しかし、たっ た の 20 年間であったのです。私は 無条件の “ 一度救われたら滅びな い
(once-saved-always-saved)”という教えを信じません。カルヴァン主義はキリスト教を歪めてしまいました。また、私は神が人々を失うために救うといったことも信じません。新約聖書で語られている“あなたを守ることのできる方”を知るためには、カルヴァン主義の間違った解釈とその真実を崩壊させた考えは必要ではないのです。「神の賜物と召しとは悔い改めなしにやって来る」と初期の時代に引用されました。
このことを理解するために、新約聖書の並行記事を見る必要があります。私たちは旧約聖書をイエスの現れである新約聖書に照らして解釈します。
1コリント 5 章『あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。』
―異邦人とは異教徒のことです。たいていギリシア語の学者たちは父の妻とは、その男の義母であったのではないかと考えます。いずれにしても、信者である人がその義母と近親相姦的な関係を持っていたなんて!パウロは「あなたがたの間に」と言っていることに注意してください。パウロはこのことをとんでもないことであり、醜く、道徳的に嫌悪感を持つほどで、異邦人でもしないことだと言っているのです。異邦人ですら、そんなことをする道徳観を持ち合わせていないのです。パウロは続けて
『それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行ないをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。』
と言います。不品行に対して断固とした態度を取る者を、見かけだけ正しく、妥協しており、半分堕落した現代風の教会は高慢だと言います。それに対して神は、正しくないこと許す者が高慢だと言われるのです。
レイ・マッコーリー(南アフリカのペンテコステ派の説教者)は既婚者だった女性と結婚するために信者の妻と離婚しました。しかし、そのことに対して立ち上がって間違っていると言う者は、神の定める義の基準を守るために非難されるでしょう。教会内の不品行に対して立ち上がったのに、高慢だと言われるなら、あなたは不品行に対して何も言わない者を神のことばから高慢だと言えるでしょう。神は明らかな悪に立ち向かわない者を高慢だと言います。
パウロは 3 節で
『私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと
同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主{イエス}の日に救われるためです。』(1コリント 5 章 3 節-5 節)
これは誰でも自分の判断でできるものではありません。またつなぐことと解くことに似ています(マタイ 18 章 18 節参照)。どちらも動詞が現在進行形で表されるギリシア語本文を見ると、その言おうとしていることはさらに理解できます。天でつながれているものだけを地上でつなぐことができ、天で解かれているものだけを地上で解くことができるのです。(このことは特定の場所を支配していると言われているような悪霊とは何の関係もありません)同じように、上で読んだ1コリント 5 章に基づいて、パウロはこの人をサタンに渡すように導かれたのです。
ここで注目してほしいことはパウロは宗教改革者のようではなかったということです。彼はカルバン主義者ではありませんでした。パウロはカルバン主義者が言うように、この男は信仰を失い父の妻と寝たのだから、最初から救われていなかったという証拠ではないかとは言わなかったのです。またパウロは無条件に滅びないという考え(一度救われたら永遠に救われるというもの)を支持することは何も言いませんでした。この男がそのような堕落した状態にいながら、救いの確信を持っていられるとはほのめかしもしなかったし、そう考える余地さえ残さなかったのです。むしろ、この男が地獄に落ちる恐れがあるとはっきりと宣言しているのです。
もう一度言いますが、主は誰かを失うために救うことはしません。パウロが言っていることはこれです。もし、この男がこの長い間、習慣的に肉のために種を蒔き、悔い改めないなら敵は彼をほしいままにするということです。そのような状態なら、私たちは彼をサタンに渡し、いのちは失うが終わりに神を恐れ、悔い改めさせるようにするのです。多くの親が自分の子どもは大学に行くまではとても良い子で、信仰心のある子どもであったと言います。しかしその後に男の子は彼女と同棲し始め、女の子なら彼氏と同棲し、悔い改めることをしなくなるのです。(私の子どもたちはちょうどその年頃で、神がその罪から守ってくださるように祈っています)しかし、ある日そのわがままな子どもは家に帰って来て、ドアをノックして言います、「お母さん、お父さん。僕 HIV 陽性なんだ。一緒に祈ってくれない?」「僕カポジ肉腫にかかったんだ。もう余命は長くないって診断されて…。一緒に祈ってくれない?」これほどひどいことはありません!しかし、地獄で火に投げ込まれるよりはましなのです。
私は子どもが妻のお腹にいるときからその救いのために祈っていました。誰もが自分の子
どもを言い表せないほど愛しているように、私も愛していたので、メシアであるイェシュア(イエス)から永遠に離されているよりかは、生まれる前に死ぬほうが良いと実際に神に祈りました。
いのちは失うが、たましいは救われるのです。サムソンはもっと長い間、数十年実りある奉仕をするはずでした。罪は人を殺すことができます。ここで誤解してほしくはないのですが、すべての病気が何らかの個人的な罪の結果であると言っているのではありません。病気は人類の堕落の結果として引き起こされるという意味において、罪の結果です。しかし詩篇 32 篇やヤコブの手紙が言うように、罪は病気の原因となり得ます。現に1コリント
11 章では、主の食卓で心に秘めた罪があるとその飲み食いが私たちをさばくことになるとパウロは書いています。この箇所では主の食卓に対して罪を犯した信者は“死んだ”ではなく“眠った”と書かれているので、彼らがそのために地獄に行ったのではないことが分かります。信者は眠りにつき、未信者は死にます。同様に、父と母の世話をしなければ長生きできないことを新約聖書は明らかにしています。罪は実際に殺すことができるのです。1コリント 5 章やサムソンの生涯でもそれが分かります。私たちや子どもたちに起こってはならないことなのですが、地獄の炎の中で苦しむよりかは良いことなのです。神は失うために救いはしません。
サムソンは敬虔な妻をめとり、より長い期間イスラエルをさばくはずでした。神が備えら れていた恵みをすべて、サムソンは失ってしまったのです。彼はその召し、目、力、恵み、地上でのいのちまでも失ってしまったのです。何という悲劇なのでしょうか。しかし、ヘ ブル 11 章はサムソンのたましいは最後に確かに救われたと明らかにしています。サムソン はまつわりつく罪に倒れされました。それでもなお、神の恵みは勝ち誇るのです。
私が思うに聖書の中で最も難解で、痛ましい本はエレミヤが書いた哀歌です。その終わることのない頑なさや悔い改めることのない罪、国や首都、国民、子どもたちによる神への反抗に対しての報いが詳しく書かれています。聖書の中でも最も痛ましく、重苦しい書のちょうど真ん中にはこう書いてあります。『私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。』―哀歌 3 章 22 節-26 節を読んでください。
あなたは最悪の試練の真っ只中にいるかもしれません。しかし、主の確固たる愛は尽きることがありません。
あなたはクリスチャンであってもイエス・キリストを十分愛せていないかもしれません。
しかし、イエスさまがあなたを愛するのを止めることはできません。
確かにサムソンに起こったことは悲劇であり、1コリント 5 章に出てくる名も無き人に起こったことも悲劇、今日私たちに起こることも悲劇ではあるでしょう。あってはならないことなのですが、まとわりつく罪のために起こることがあり、実際に起こっています。今あなたが罪の中にいるのなら、もたもたせずに今そこから出なさい。罪は後にはあなたに歯向かうことが分かっているでしょう。その泥沼に陥るには方法はいくらでもあり、崩壊に向かうことは容易なのです。しかし、ひとつしか出てくる方法はありません。それはイエス・キリストの十字架です。
ジェイムズ・ジェイコブ・プラッシュ
Midrash - Japanese
ミドラッシュ
ジェイコブ・プラッシュ
新約聖書の著者が旧約聖書を扱った方法
ミドラッシュとは、イエスやパウロの時代の古代のラビが用いた聖書解釈の方法です。改革者たちが 16 世紀の人間主義から拝借した、西洋の聖書の解釈、つまり文法的・史実的な解釈を含んでいますが、ミドラッシュはそれを単に第一歩と見なします。
聖書の様々な文書のジャンル-物語、知恵文学、ヘブライ的な詩や黙示文学-を扱うときに、それぞれを考慮に入れて理解するため関係性を探求します。そのアプローチの方法は書かれた順序に従うというよりかは、テーマに注目した読み方です。(※最初に必要な第一歩は、書かれた順序に従って読むことです。例えばそれはヨハネの福音書を章ごとに学んでいく方法です。テーマに注目した読み方は、ヨハネ 10 章の「わたしは良い牧者です」
という箇所によって、詩篇 23 篇「主は私の羊飼い」やエレミヤ 23 章「牧者たちについてこう仰せられる」のような箇所を理解するということです)
最も明らかなミドラッシュの指針は、ラビ・ヒレル(Hilell) による七つの基準(七つのミドロット)です。ヒレルは「ヒレルのパリサイ派神学校」の創設者で、そこでパウロがラビとしてガマリエル(使徒 5 章 34 節) に教えられました。ガマリエルはヒレルの孫にあたります。
ミドラッシュは教理を例証し、教理を明らかにするために、たとえ話や象徴を大いに用います。しかし、象徴は決して教理の基礎となりません。それは聖書の本文にある複数の層のようになったより深い意味を見出しますが、象徴的な解釈をする、フィロン(Philo
20B.C.-50A.D.) やオリゲネス(Origen 185-254 A.D.) と関係のある、グノーシス主義やアレキサンドリア学派のようなものとは基本的に違っています。ヘレニズムの哲学観や神学観よりも、むしろヘブライ的なものを反映させます。
ミドラッシュは預言を、反復し、繰り返す、歴史的なパターンであると解釈します(預言が複数の成就を持っているということ)。そして、最終的な成就は、贖いの中心である終末と関連しています。ユダヤ教の中の古典的なミドラッシュの文献は、「創世記のミドラッシュ・ラッバ(Midrash Rabba)」ともう一つは「哀歌のラッバ」です。
ミドラッシュはある形式に従います。ひとつは、マシャル・ニムシャル
(Mashal/Nimshal)形式です。それは箴言に見られ、物質的なものが霊的なものを象徴するというものです。新約における比喩的なミドラッシュの説明は、例えば、ユダの手紙やガラテヤ人への手紙の 4 章 24 節から 31 節に見られます。ミドラッシュが、新約聖書が旧約聖書を扱う方法を明らかにしているのです。
もうひとつの形式はパラシヨット(parashiyot)です。これは注解が節の後に続いているものです。聖書を解釈するミドラッシュに加えて、説教のミドラッシュもあります。これらは福音書の中でイエスによってしばしば用いられた、イェランメデヌ・ラベヌ
(yelammedenu rabbenu)形式に従います。この二種類のミドラッシュはどちらもハガダー的なものです。広範囲に及ぶ、ミドラッシュ的な文献であるハラカーもありますが、新約を学ぶ上で、これはそれほど重要ではありません。
もし、ユダヤ教、ヘブライ語や神学の教育を受けていない人であれば、ミドラッシュを解説するよりは実際に適用することのほうが簡単です。モリエル・ミニストリーズではいろいろなテープやビデオを提供しています。それらの中で、みことばを読み解くときに、ミドラッシュ的な解釈を実際に用いて論証しています。そのひとつはヨハネ4章のミドラッシュ的な解釈である、『井戸のそばの女』です。これはローマ・カトリックに関して解説しているものです。
新約が旧約を引用している方法を見るなら、使徒たちが西洋プロテスタントの解釈や、 解説の方法を用いなかったことは明らかです。イエスはラビでした。パウロもラビでした。彼らはミドラッシュと呼ばれる手法にしたがって、他のラビも用いた方法で聖書を解釈し たのです。
ところが初代教会で問題が起こりました。そのユダヤ的なルーツから遠ざかってしまったのです。そして、多くの異邦人がクリスチャンになるにしたがって、パウロが警告していたこと(ローマ 11 章)が起こってしまいました。人々はそのルーツを失ってしまったのです。
世界観の変化がある時はいつでも、神学にも変化が起こります。その変化の肯定的な扱 い方は「再文脈化」と呼ばれるもので、否定的な扱い方は「再定義」と呼ばれます。ウィ クリフ聖書の翻訳者がイザヤ 1 章 18 節を、赤道直下のアフリカの部族のために訳したとき、福音を「再文脈化」しました。『たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のよ うに白くなる。』雪を一度も見たことが無い人たちのために、彼らはこの箇所を、「ココ ナッツのように白くなる」と訳したのです。これが「再文脈化」、同じ真理を誰かの言語、
文化や世界観の背景に合わせることです。再定義に対して、これは完全に有効です。メッ
セージに何の害も与えません。
「再定義」は聖書が何を意味しているかを、再び説明する代わりに、聖書の意味していることを変えてしまいます。これは間違っています。そして、これが初代教会で起こったことなのです。コンスタンティヌス大帝(272-337 A.D.) がキリスト教を国家の宗教に変えてから、人々は福音をますます、極端な方法で「再定義」し始めました。初代教会の教父たちの中には、トーラー(旧約聖書)がユダヤ世界にイエスの到来の道備えをしたように、ギリシアの神智学で最高のものだったプラトンやソクラテスの唯神論の考えは、ギリシア世界に対しての道備えであったと信じる人もいました。この点までは、もっともな意見だと言えるでしょう。
ギリシア(ヘレニズム)的な考え方があれば、ヘブライ的な考え方もあります。パウロは両方使いました。パウロがユダヤ人と話すとき、ヘブライ的な考え方を用いました。しかし、アテネのアレオパゴスで福音を伝えているときには(使徒 17 章 22 節-31 節)、ギリシア的な考え方を用いました。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を要求します。もし、聖書的に使われるならばどちらも有効なのです。
問題は人々がユダヤ的な信仰を、ヘレニズム化しようとするときに起こりました。ギリシア人のために福音を再文脈化する代わりに、ギリシア的な表現をもって、再定義してしまったのです。これは特に、オリゲネスの時代のアレキサンドリアで起こりました。しかし、それが大きな問題となったのはコンスタンティヌスと、ヒッポのアウグスティヌス
(354-430 A.D.) の教え、また彼に影響を与えたカルタゴのキプリアヌス(Cyprian 200?
-258 A.D.) やアンブロシウス(Ambrose 339?-397 A.D.) がやって来た後です。
ギリシア人はプラトンやソクラテスの教えから、人は神の御姿に似せて造られたというような真理を多く知っていました。しかし、ユダヤ・クリスチャンの背景や聖書とつながりを持っていない人でも、本能によって誰でも、ただひとりの神がおられることや、人が罪深いということは知り得ます。(ローマ 1 章 18 節-20 節)
私たちは聖書と一致する点まで、ギリシアの神智学と同意します。しかし、人々がギリ シア的な世界観の理解をもって、福音を再解釈し、再定義し始めるなら、それは問題です。ギリシア人は二元論、すなわち、すべて物質的なものは悪で、すべての霊的なものは善で あると信じていました。『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことば は神であった。』(ヨハネ 1 章 1 節)この言葉を読むとき、意見の一致はするでしょう。し
かし、ギリシア人は『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。』(ヨハネ1章 14
節)という主張に賛成することは出来なかったのです。ギリシア人はただそれが物質的であるというだけで、物質的なものは悪だと信じていたのです。聖書は霊的なものと物質的なものは、お互いの調和によって働くべきだと教えています。そこに何の矛盾や争いがあるわけではありません。確かに肉は堕落していますが、物質的な要素自体に悪いことは何もないのです。
アウグスティヌスが現れたときに、彼はキリスト教を再文脈化するのではなく、ギリシアのプラトン的な宗教として再定義してしまったのです。アウグスティヌスは次のようなことを言いました。「結婚について唯一価値のあることは、独身者になる者を産むことだ」結婚の関係が最初の罪であったと教える、マニ教がこの考えをギリシア世界に持ち込んだのです。そういうわけで、今日まで、ローマ・カトリックは性を扱うことが出来ず、多くの制限や悩みがあり、夫婦間の営みについてさえも、ためらいがあるのです。
人々はユダヤ的なミドラッシュの方法を用いずに、ギリシアの方法を用いて聖書を再解釈し始めました。ミドラッシュは型やたとえ話(象徴)を用います。それは教理を例証し、教理を明らかにするためです。たとえば、イエスは「過越の子羊」です。ユダヤ人の過越の象徴は贖いの教理を完璧に例証しています。しかし、決して、贖いの教理が象徴に基づいているわけではないのです。象徴は教理を例証し、その教理自体は、みことばの中のどこにおいてもはっきりと主張されています。ギリシア的な考えのグノーシス主義の世界では、反対のことが起こります。グノーシス主義は象徴に対して、自分たちが神秘的な洞察力(グノーシス 訳注…1テモテ 6 章 20 章)を持っていると主張し、そのグノーシスの理解を持って、本文の明らかな意味を解釈するのです。古代のユダヤの方法と違って、グノーシス主義にとって、象徴が教理の基礎なのです。
このような手法は初め、フィロンによって影響された人たちを通して、教会に忍び込ん できました。彼の教えはだんだんとローマ・カトリックに入り、アウグスティヌスが「も し、神がパウロを回心させるために暴力を使ったのなら、教会も人々を回心させるのに暴 力を使うことが出来る」と言うまでに至らしめたのです。その結果として十字軍やスペイ ンの宗教裁判などがあります。再文脈化の代わりに、彼らはみことばを再定義したのです。彼らはユダヤ的な本を、ギリシア的な本であるかのように読みました。これが誤りだった のです。
東はオリゲネス、西はアウグスティヌスから端を発したこの教えは、何世紀にも渡って、徐々に悪化の一途をたどりました。それはスコラ学と呼ばれるものと合わさって、中世に さらに悪化しました。アリストテレスの考えはイスラムに吸収され、後に十字軍がヨーロッパの中世ローマ・カトリックに持ち帰ったのです。モーセ・マイモニデス(Moses
Maimonides 1135-1204) はユダヤ教をアリストテレスの宗教に書き換え、トマス・アクィナス(1225-1274)もキリスト教をアリストテレスの宗教として、書き換えました。
宗教改革者が現れると、彼らは中世ローマ・カトリックの間違いを正そうとしました。残念なことに、宗教改革者たちは力強い性格の持ち主でしたが、思想家としては力強くなかったのです。宗教改革は人間主義と呼ばれるものから生まれました。(注:最初の人間主義者は無神論者ではなく、クリスチャンでした)人間主義者の中で名高いのは、トマス・ア・ケンピス(1380-1471)、ジョン・コレット(John Colet 1467-1519)やルフェーヴル・デタープル(Jacques Lefevre 1450?-1536)などです。しかし、その中で最大なのはロッテルダムのエラスムス(1467?-1536)でした。ルター、カルヴァンやツヴィングリなどはほとんど彼から意見を得たような人たちです。エラスムスと他の人間主義者たちは、中世ローマ・カトリックの行っていたみことばの悪用を防ぐために、聖書をその文字通りの意味で学び、教えようとしました。彼らは聖書を文学や歴史として読むことを強調し、今日のプロテスタント教会で使われるような、文法的・史実的な解釈のシステムを構築したのです。
改革者たちの問題は、そこまでしか行かなかったということです。彼らは中世ローマ・カトリックに異議を唱えるために、その文法的・史実的なシステムを適用するルールを作って、そのルールは現在まで神学校でも教えられているのです。そのようなルールのひとつはこれです。「聖書箇所の適用は多く存在するが、解釈はひとつしかない」全くくだらないことです!複数の解釈が存在するとタルムードは教えています。イエスは誰に賛成するでしょうか?改革者でしょうか?それとも他のラビでしょうか?
『イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。』(マタイ 12 章 39 節)「ヨナのしるし」とは何だったのでしょうか?ひとつの箇所でイエスは『ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。』(マタイ 12 章 40 節)と言っています。しかし同時に、ニネベの住民がヨナの説教によって悔い改めたことであると言いました。(ルカ 11 章 32 節)ユダヤ人が悔い改めなかったのに、異邦人は悔い改めました。これもまた預言者ヨナのしるしでしょう。イエスは、何がしるしかということに関して、共に有効なふたつの解釈を与えたのです。従って、プロテスタントの解釈がひとつだけで、あとは適用という原則はイエスの教えと違うものです。
もうひとつの聖書解釈学のルールは、聖書の簡単な言葉遣いが意味をなしているなら、 他の意味を探してはいけないというものです。文字通りにとって、そこで終わりなのです。
これもまた全くくだらない考えです!
一世紀や二世紀のユダヤ人クリスチャンがヨハネの福音書、1 章、2 章、3 章を読むと、
「新しい創造」の物語だと言ったことでしょう。創世記では神が地の上を歩いているのを見、ヨハネの福音書の「新しい創造」の中では、再び神が歩いているのを見るのです。創世記では、水の上を御霊が動いて被造物を生み出しました。ヨハネの福音書では、水の上を御霊が動いて新しい被造物を生み出すのです(ヨハネ3章5節『人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません』)。創世記の創造では、小さい光と大きい光がありました。ヨハネの福音書の新しい創造では、小さな光であるバプテスマのヨハネがいて、大きな光であるイエスがいます。いちじくの木は、ミドラッシュ的に、ユダヤ人の象徴では、創世記の園、エゼキエル 47 章や黙示録にあるいのちの木を表わしています。なので、イエスがナタニエルに『あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。』
(ヨハネ 1 章 48 節)と言ったとき、ただ単にナタニエルを、文字通りのいちじくの木の下
で見たということではなく、(それも含まれていますが)イエスは彼を園から、創造のときから、世の初めから見ていたということを言っているのです。
人間主義者たちがしていたように、文学や歴史として読むことによっては、聖書を部分的にしか理解出来ません。人間主義者たちはローマ・カトリックが基礎を置いていた、中世のスコラ学やグノーシス主義に反応していたのです。とはいえ、彼らの手法は人々がみことばの深みを理解するのを妨げたのです。文法的・史実的な方法によって、彼らは信仰義認やみことばの権威などの真理を発見したのですが、それが理解したことのすべてでした。その範囲を越えることは出来なかったのです。マルティン・ルターはローマ人への手紙を聖書の中で中心になる本だと言いました。そして、黙示録を完全に退けました。しかし、黙示録は終わりの時代のための本なのです。ルターも、その本をプロテスタントの考えでは理解出来ないと認めました。
何が問題なのでしょうか?黙示録が悪いのでしょうか?それともプロテスタントの考えが間違っているのでしょうか?よく注意してください。ダニエル(ダニエル 12 章 4 節)と
ヨハネ(黙示録 10 章 4 節)は終わりのときまで「このことを封じておけ」と書きました。神の時が満ちるとき、これらの本の解釈は忠実な者に明らかにされるのです。誰かが図や表を書いて、黙示録が示しているすべてのこと、すべての終末の計画を理解したと言うときは、用心してください。それは適切なときまで封じられているからです。神はみこころに合う方法とその時にそれを明らかにされます。しかもそれを段階的になされます。その第一歩は聖書をギリシア的な本としてではなく、ユダヤ的な本として読むことです。
書簡(手紙)は他の聖書の注解書です。それらは他の聖書箇所の実際的な意味について
教えています。書簡を文法的・史実的な方法を用いて、文学や歴史として読むことは構わ
ないことです。しかし、聖書にはさまざまな種類の文学があり、神さまがさまざまな理由のために、違った文学のジャンルをそこに置いたのです。詩篇(ヘブライ的な詩)や黙示録(黙示文学)、福音書(物語)、箴言(知恵文学)です。
あなたは詩を読むように手紙を読まないでしょう。ふるさとにいるナツ子おばあちゃんからの手紙を、ナルニア戦記(C・S・ルイス著)を読むようには読まないでしょう。あなたが書簡を読むとき、使徒たちは他の聖書箇所を、文法的・史実的な方法で解釈していなかったことが分かるでしょう。ヘブル人への手紙は、レビ人の祭司制度や神殿の象徴に関しての注解書です。ガラテヤ人への手紙 4 章 24 節を読み進めてみると、ふたりの女の話があり、それは律法の目的に対してのミドラッシュです。ユダの手紙はミドラッシュ的な文献です。使徒たちはみことばを、プロテスタントの文法的・史実的な方法をもって扱わなかったのです。
聖書にはさまざまな種類の預言があります。終わりの時代を理解するために、重要な二種類の預言は、メシアに関する預言と、これに関連した終末的な預言です。聖書の預言を理解するにあたって、これはとても重要です。なぜなら、16 世紀の人間主義に基づいた西洋の考えによると、預言は予告と成就で成り立っていると言うからです。古代のユダヤ人にとって預言は、予告されて成就するというものではありません。むしろ、彼らにとって預言とは、繰り返すパターンだったのです。預言が複数の成就を持つということです。そして、それぞれの成就、それぞれのサイクルは最終的な成就について教えているのです。例を挙げると、飢饉のとき、アブラハムはエジプトに下りました。(創世記 12 章 10 節-
20 節)神はパロを裁き、アブラハムとその子孫はエジプトの富を携えて、エジプトを出、
そして約束の地に入りました。アブラハムの子孫も同じ経験を繰り返しました。すなわち、飢饉でエジプトに下り(創世記 42 章)、神は邪悪な王であるパロを再び裁き、アブラハム の子孫はエジプトの富を携えて、エジプトを出、そして約束の地に入ったのです。
アブラハムに起こったことはその子孫にも起こります。そして、イエスにも同じことが 起こりました。『彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言っ た。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」そこで、ヨセフ は立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこ にいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出し た」と言われた事が成就するためであった。』(マタイ 2 章 13 節-15 節)
マタイは、邪悪な王ヘロデが死んで、イエスがエジプトから出てきたとき、ホセアの預
言が成就したと言いました。『イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子を
エジプトから呼び出した。』(ホセア 11 章 1 節)とてもはっきりと、ホセア 11 章はモーセに関して起きたこと、出エジプトのことを語っているのです。文法的・史実的な文脈において、メシアのことではなく、出エジプトのことを語っています。しかし、マタイはすべての可能な文脈から一節を取って、イエスに合わせてゆがめているように見えます。果たしてマタイが間違っているのでしょうか?それとも、プロテスタントの聖書の解釈の仕方に問題があるのでしょうか?
マタイにも、新約聖書にも何も問題はありません。プロテスタントの考え方に問題があるのです。ユダヤ的な預言の考えは、予告ではなく、パターンです。アブラハムがエジプトを出て、パロは裁かれました。彼の子孫もエジプトを出て、邪悪な王が裁かれました。そして、また別の邪悪な王が裁かれ、メシアがエジプトを出ました。預言には複数の成就があるのです。ミドラッシュ的には、「イスラエル」がメシアであるイェシュア(イエス)を暗に示しています。「イスラエルはわたしの栄光、わたしの長子」というような箇所を見つけたなら、ミドラッシュ的な隠喩なのです。
1コリント 10 章ではもうひとつのことがあります。パウロが言うには世の象徴である、エジプトから私たちは出てきました。エジプト人に神格化され、神として崇められていたパロは、悪魔、この世の神の象徴です。モーセが山に行って、血で契約をし、人々に振りかけたのと同じことをイエスはしました。モーセは四十日間断食しました。イエスもそうです。イエスこそ申命記 18 章 18 節に予告されたモーセのような預言者です。モーセがイスラエルの子らを、水を通してエジプトから連れ出し、約束の地へ導いたように、イエスも私たちをバプテスマを通してこの世から連れ出し、天に導くのです。これはパターンです。
そして、馬と乗り手は海に投げ出されました(出エジプト 15 章 1 節)。私たちは黙示録
の 15 章 3 節で、――馬と乗り手が海に投げ出されたことについてである――モーセの歌を歌います。なぜでしょうか?パロと彼の戦車が紅海に投げ出されたように、白い馬に乗った反キリストと彼の軍隊は燃える海に投げ出されます。それはパターンだからです。「エジプトから出ること」の最終的な意味は復活と教会の携挙です。出エジプト記でなされた裁きは黙示録で再現されます。なので、パロの魔術師たちがモーセとアロンの奇跡を真似ることが出来たように、反キリストとにせ預言者はイエスとその証人たちの奇跡を真似るでしょう。彼らはエジプトを出るときに、ヨセフの骨を携え上りました(出エジプト 13 章
19 節)。なぜでしょうか?なぜなら、キリストにある死者が初めに上げられるからです(1
テサロニケ 4 章 16 節)。パターンなのです。
新約聖書を生み出したユダヤ的な考え方は預言を、予告ではなく、パターンであると見
なします。未来に起ころうとすることを理解するには、過去にあったことを見る必要があります。複数の成就があり、その一連の成就は、最終的な成就に関することを教えているのです。
黙示録を理解するためには、プロテスタントの神学校で教えられているような、限定された聖書の解釈法によっては無理なのです。ミドラッシュはたとえて言うなら、二次方程式や、とても複雑な二階微分方程式、13 や 14 の手順を経て解ける方程式のようなものなのです。ある人は最初の文法的・史実的な解釈の段階を経て、方程式は解けたと考えるかもしれません。彼らのしていることに何も問題は無いのですが、彼らのしていない多くのことが問題なのです。方程式は解けていません。文法的・史実的な解釈に何も問題はありません。それは必要な最初の段階であり、必要な準備であって、書簡を読むには最適なのです。しかし、それだけなのです。
これらのことを理解するには古代の知恵が必要です。『思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。』(黙示録 13 章 8 節)16 世紀の知恵ではなく、紀元 1 世紀の知恵が必要なのです。
One Messiah - Two Comings - Japanese
ひとりのメシア ふたつの到来
ジェイコブ・プラッシュ
『彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』(使徒 1 章 4 節-8 節)
復興主義
現代、広く教えられている偽りの“復興主義”を理解することから始めてみましょう。
「主よ。今こそ国を再興してくださるのですか。」今日私たちは復興主義運動と呼ばれるものをよく耳にしています。
「国を再興する」という言葉は新約聖書でただ一度使われており、それは教会が勝ち誇ることではなくて、イスラエルに関して使われています。
復興主義運動はかつて存在しなかった、三つのものを回復させようと取り組みます。
彼らがしようとしている第一のことは、“ 支配主義(Dominionism)” や“ 勝利主義
(Triumphalism)”と呼ばれる、一種の終末論を回復させようとすることです。それはイエスが再臨し王国を建て上げる前に、教会が世を征服するといった間違った考えです。
教会は最終的には勝利を得ますが、それはキリストの再臨にかかっているのです。
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいますと書かれて
あります。(ローマ 16 章 20 節)
ダニエルは終わりの時代に起こる迫害を詳しくはっきりと語っています。
『私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さ ばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。』(ダニエル 7 章 21 節-22 節)
“神の国はいまここに”という教理はキリスト教世界で大きな人気を得ています。特に西洋で受け入れられています。それはキリストの再臨の前に、聖徒たちが国を受け継ぐと間違って主張していますが、聖書は明らかにキリストの再臨の後、聖徒たちが国を受け継ぐと教えています。
これらの間違った信念は教会の歴史の中で何度も現れてきました。たいていは歴史の転換期に現れるのです。
ローマ帝国の衰退期にはそれはモンタヌス主義と呼ばれていました。モンタヌス主義は現代の復興主義運動に見られるような混乱を示していて、“しるしや不思議”を強調し、その教理を理解していない人たちを集めていました。予測や預言が次々にはずれました。
ルネッサンスの時期にはそれはミュンスター・アナバプテスト(Munster Anabaptist)と呼ばれる団体であり、彼らはヅィカウ(Zwickow)の預言者たち―今日のカリスマ派や福音派の中にいて人気があるにせ預言者たちと同じような者たち―に従い、でたらめで無責任な予測をしましたが、それは成就しませんでした。(注‥初期のアナバプテストではありません)
預言の権威
ふたつ目は、聖書的ではない預言の権威を回復しようとすることです。聖書的な預言の権威とは、預言者は語ったことについて責任を持つということです。
ヴィンヤード派(Vineyard)から来た人が、実際に次のようなことを私に言ったことがあります。新約聖書は「預言することも一部分」(1 コリント 13 章 9 節)だと言っているので、ジョン・ウィンバー(John Wimber)の仲間や、ポール・ケイン(Paul Cain)などは部分的に
正しくて、部分的に間違っているが、それでもなお聖書的な預言者であると。このような
考えは間違っており、ひどく危険なものです!そのような人はだまされています。
(注‥これら有名な教師たちは公に大胆なにせ預言をし、90 年代のイギリスに大リバイバルが来ると言いました)
使徒的権威
三つ目に、彼らは聖書的ではない使徒の権威を復活させようとしています。新約聖書の中の使徒の権威とはもっぱら教理に関してのことです。
十二使徒という意味において、使徒の権威は今も教会に存在しているのでしょうか?存在しています。それは聖霊によって使徒たちとパウロの書簡の中に保たれています。
教会を立てる意味において、他の種類の使徒は存在することは確かですが、新約聖書を見ると使徒の権威は複数形で書かれています。
『聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。』(使徒 13 章 2 節)
イエスは使徒たちをふたりずつお遣わしになりました。なので、聖書的な権威とはいつも複数なのです。
復興主義におけるハウス・チャーチ運動の使徒的権威のかたちとは、ピラミッド型であり、そこにおいて使徒たちは組織のトップとなっています。彼らが“使徒的権威”と呼ぶものは 結局重いくびきを負わせているのです。
加えて、聖書の中の使徒の権威はいつも責任があるものです。
パウロとバルナバはいつも、彼らを送り出したアンティオケに戻ってくる責任がありました。
そのほかに、聖書の中の使徒的権威は使徒 15 章に見られるように、互いに仕えあうものであり、決して個人のワンマンショーとはなりません。
彼らが今日、復興主義運動において“使徒的権威”と呼ぶものはくびきを重くすることであり、グノーシス主義に基づいています。これらの人は「グノーシス」(訳注…1 テモテ 6 章
20 節「霊知」)つまり個人的な啓示を持っていると主張し、それを理解できなければあなたは欺かれていると言うのです。
真の復興
それでもなお、真実の復興は存在し、イスラエルの復興に関係しています。
置換神学―これは教会がイスラエルに置き換わったという考えであり、イスラエルとユダヤ人の預言的・終末論的な目的をすべて無視していて、全く非聖書的な教えです。
ローマ人への手紙 11 章では、イスラエルがはっきりと“根”であることを語られています。その根があなたを支えているのです。あなたが根を支えているのではないのです。根とは地下に生えるものです。それを見ることができないというだけで、そこに存在しないわけではありません。もし、木が根を持たなかったら、その木は枯れてしまうのです。
もし、イスラエルが永遠に捨てられたのであったなら、教会も共に捨てられていたでしょう。もし、神がイスラエルをその罪と不信仰のゆえに退けたのなら、教会に関してもそれを退けるに十分な理由があるのです。もしかしたら、イスラエル以上にあるかもしれません。
イスラエルの罪は教会の歴史においてとても容易に再現されました。子どもを悪霊にささげることに関しても、膨大な数の治療とは関係のない妊娠中絶が西洋世界、キリスト教民主主義の中で行われているのです。
ローマ 11 章が教えていることは、悔い改めイエスを受け入れた異邦人クリスチャンたちが、そうしなかったユダヤ人と取って代わったということです。それは自分たちのメシアを退 けたユダヤ人の代わりに、異邦人クリスチャンがつぎ合わされたということです。しかし、その根はイスラエルのままなのです。
地下にあるものは旧約のイスラエルです。しかし地上にあるものは新約の教会です。教会は旧約のイスラエルに霊的につながったものであって、置き換わったものではありません。
イスラエルの復興
その根はいまでもユダヤ人です。そしてもとの枝はユダヤ人であり、最初のクリスチャン
たちもユダヤ人でした。新約聖書の著者もユダヤ人であり、最後のクリスチャンもユダヤ
人となるでしょう(黙示録 7 章・14 章)。
イエスはオリーブ山での説教によって、国としてのイスラエルの復興を語っていました。エルサレムは、異邦人のときが満ちるまで異邦人によって踏み荒らされるのです(ルカ 21
章 24 節)。
イエスはパウロがローマ 11 章 25 節で用いたのと同じ言葉を使いましたが、イエスは国としてのイスラエルについて語っていました。
ローマ 11 章において異邦人のときは救済論的に扱われていますが、ルカ 21 章のオリーブ山の説教では終末論的に扱われています。
異邦人のときが終わることの最終的な意味は、ダニエルの預言と密接に関係しています。神の世に対する贖いの計画は、イスラエルの救い、預言的にいってイスラエルの復興の計画いかんに関わっているのです。
イスラエルの復興は国としての側面も含まれていますが、ローマ 11 章 15 節で見られる救済論的なもののほうが重要です。『もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。』
神の計画
新約聖書は復興について語っています。しかし、それは今日あるようなおかしな勝利主義運動のようなものではなく、神はイスラエルの復興という計画を通して、国々を祝福しようとされているのです。
ヘブライ語の“異邦人”という言葉と、“国々”という言葉は同じ「ゴイ(goy)」というものです。神は終わりの時代にあって、ユダヤ人を通して教会を祝福しようとされています。
主はこれらの中近東での出来事をもって、キリストの再臨の証拠とされています。このことはイエスが与えた兆候のひとつです。
イエスが備え、私たちがだまされないようにと与えられたしるしを、今日、キリストのからだの中にいる多くの偽教師たちが、しるしではないと信者たちに教えています。
なぜユダヤ人がイエスを退けるのか
ユダヤ人がイエスをメシアとして信じない主な理由はふたつあります。ひとつは、ローマ・カトリック教会や東方正教会によってなされた、キリスト教の反ユダヤ主義の悲しい歴史。また、残念ながらマルティン・ルターの著作から発想を得たヒトラーによる『我が闘争』です。
ルターはすべてのユダヤ人が囲いに集められ、ナイフを突き付けてでもキリストを告白させるべきだと教えました。またルターは、「私たちドイツ人は、自分たちがクリスチャンであると証明するために、ユダヤ人を殺さなければ非難されるべきだ」と言いました。
次に多くのユダヤ人がイエスをメシアとして受け入れない理由は、イエスが世界平和をもたらさなかったためです。イエスはイスラエルの敵を征服せず、エルサレムにメシアの王国を建て上げず、国々に正義をもたらさず、世界に繁栄と平穏を与えなかったというのです。
もし、イエスがメシアであるなら、ダビデの性格に象徴されるメシアによる統治はどこにあるのでしょうか?
終わりまで戦いがある
その答えはダニエル 9 章に見出されます。メシアは第二神殿が破壊される前にやって来て、死ななければならなかったのです。
メシアは最初の到来において、世界に平和をもたらすことがその目的ではなく、問題の根源である罪を解決することを目的としていました。メシアが世界的な平和をもたらすのは再臨、二度目の到来においてです。
『その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。』(ダニエル 9 章 26 節)
ユダヤ教によると(ミドラッシュ・ベレシート ワーソー版 243 ページより the midrash Bereshith on page 243 of the Warsaw edition)メシアは A.D.33 年には死ななければならないと書かれています。私たちはタルムード的な書物でも、メシアは第二神殿が破壊される前に来て、死ななければならないということを確認できます。
サンヘドリンの者たちが嘆きながら、「なんていうことだ!メシアはどこにおられるの
か?彼は今来ていなければならなかったのに」と言っていたということを書物によって知っています。
ラビ・レオポルド・コーヘン
とても高齢であった超正統派のラビ、レオポルド・コーヘン(Leopold Cohen)はダニエル 9
章の意味を探ろうとしました。
コーヘンは古代の賢者と呼ばれるラビが書いたふたつの書物を発見しました。ひとつは、メシアはすでに到来していたはずであるというものと、もうひとつは、ダニエル 9 章を読む者は誰でも呪われるというものでした。
そこで、ラビ・レオポルド・コーヘンは彼がなしえる最善のことをしました。バプテスト派の奉仕者になったのです。
反ユダヤ的クリスチャン
反ユダヤ的なクリスチャンの問題を扱うことは、比較的簡単です。
「クリスチャンたちが私の祖父母たちを殺しておいて、イエスがメシアだと信じることがどうしてできるのでしょうか?」
この問題を扱う方法は、ユダヤ人に本当のイエスを伝えることです―イエスはユダヤ人であり、ナザレのラビ・イェシュア・ベン・ヨセフなのです。そして、ユダヤ人たち自身もモーセの名によって自分の預言者たちを殺したことを指摘してください。
エレミヤを牢獄に入れ、イザヤを半分に切り、ゼカリヤを殺したのはモーセの名によってなされたことなのです。
ユダヤ人がモーセの名によってそのようなことをしたために、モーセを退けるでしょうか?
最近ある正統派のユダヤ人がヘブロンにあるモスクに押し入って、50 人ものイスラム教徒を殺したからといって、モーセを退けるでしょうか?人々がモーセの名によって殺人を犯したために、モーセを非難すべきでしょうか?
なので、イエスの名を語って、人々が何世紀も行ってきたことのためにイエスを非難はで
きないのです。
私はモーセが言ったことに基づいて、モーセとトーラー(律法)を受け入れなければなりません。また、イエスが何を言い、何を行ったかに基づいて、イエスと新約聖書を受け入れるか退けるかを選択しなければならないのです。
すべての預言を成就する
メシアがなぜ世界平和をもたらさなかったかということは別の問題です。イエスがメシアであるためには、旧約聖書のメシアに関する預言をすべて成就しなければなりませんでした。
旧約聖書には二種類のメシアに関する預言があります。ひとつは“苦しみを受けるしもべ”についての預言であり(イザヤのしもべの歌や、ダビデの詩篇に見られるようなもの)、もうひとつは“ダビデ的なメシア”であり、ダビデのように神の敵を支配し、王国を建て上げ、エルサレムで治め、世界平和をもたらすような、勝利を重ねる支配者なる王というものです。
もし、イエスがユダヤ人のメシアでなければ、教会のキリストではありません。“キリスト”“メシア”“油注がれた者”は同じことを意味しています。
イエスは旧約聖書における預言をすべては成就しませんでした。イエスは“ダビデの子”に関する預言を霊的な意味において成就はしましたが、歴史的な意味においてはまだ成就していません。イエスがメシアであるためには、すべての預言を成就しなければならないのです。
“苦しみを受けるしもべ”なるメシアは「ハマシア・ベン・ヨセフ(HaMashiach Ben Yosef)
=ヨセフの子であるメシア」と呼ばれ、“支配する王”なるメシアは「ハマシア・ベン・ダヴィード(HaMashiach Ben David)=ダビデの子であるメシア」と呼ばれます。
シュロの主日
このことはシュロの主日(Palm Sunday)のユダヤ的な背景が分かると納得することができます。過越の祭りは「ハレル・ラバー(Hallel Rabah)=詩篇 113 篇から 118 篇」と呼ばれる
歌を歌う三つの大きな祭りのひとつです。
ハレル・ラバーにおいて最も盛り上がる部分は、『ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』(詩篇118 篇25 節・26 節・29 節)という箇所です。
ユダヤ人は過越の祭りにおいて、手を振りながらこれを歌う習慣がありました。また、彼らは仮庵の祭りにおいてもそれを歌い、今度は手にシュロの枝を持って歌う習慣があったのです。
シュロの主日に、ユダヤ人は過越の祭りを仮庵の祭りのように祝い始めてしまいました。仮庵の祭りはユダヤ人の暦の象徴によって、千年王国と関連していました。(また過越の祭りはメシアがほふられる子羊であることを教えています)。
(ヨハネ 7 章 2 節で見られる)仮庵の祭りはエゼキエル 47 章の背景を映し出しています。そしてそれはユダヤ人の頭の中ではダビデの王国と関連しています。
イエスがモーセとエリヤと共にいて姿が変わったとき、このためにペテロは三つの仮庵、幕屋を作ろうと言ったのです。「メシアがここにいる。さあ王国を建て上げよう!」とペテロは言っていました。
シュロの主日にイエスが来られたとき、ユダヤ人は、マカベア家がギリシア人を除いたように、ローマ人を除いてメシアの王国を建て上げてくれる者を待ち望んでいました。なので、彼らはあたかもそれが仮庵の祭りであるかのように、過越の祭りを祝ったのです。
イエスの最初の到来において、イエスはユダヤ人の暦の春の三つの祭日を成就しました。過越の祭り、初穂の祭り(これは復活について)、そして週の祭り(これはペンテコステについて)です。
イエスは再臨において、秋の三つの祭日を成就します。ラッパが吹き鳴らされる祭り、贖いの日、そして最終的に仮庵の祭りです。
すべての預言を成就する
イエスの時代のユダヤ人は、過越の子羊として来られる、苦しみを受けるしもべなるメシ
アを知りたがりませんでした。彼らは支配する王を望んでおり、千年王国を建て上げる者
を求めていたのです。
“苦しみを受けるしもべ”なるメシアは「ハマシア・ベン・ヨセフ(HaMashiach Ben Yosef)」と呼ばれ、“支配する王”なるメシアは「ハマシア・ベン・ダヴィード(HaMashiach Ben
David)」と呼ばれます。
ナザレのイエスがメシアであるためにはすべての預言を成就しなければならないのです。
しかし、イエスは明らかにすべての預言を成就しませんでした。イエスはただ苦しみを受けるしもべ、ヨセフの子であるメシアの部分を成就したのです。
言い換えると、ひとりのメシアがふたつの到来をするのです。最初の到来において、イエスは苦しみを受けるしもべ、ヨセフの子として来ました。再臨において、イエスは王国を建て上げる支配する王、ダビデの子としてやって来るのです。
偽りの教理:無千年王国説・後千年王国説
無千年王国説(地上に千年王国が来ないという説)と後千年王国説(千年王国の後に再臨があるとの説)は、キリスト教がローマで国教とされたときに、コンスタンティヌスとアウグスティヌスの間違いに従ったローマ・カトリック教会が発案したものです。無千年王国説と後千年王国説は全く聖書的ではありません。
元来ユダヤ人による新約聖書の観点から考えると、前千年王国説(千年王国の前に再臨があるという説)の立場しか論証できません。
もし、千年王国が無いのならイエスはメシアではありません。また、もしイエスがユダヤ人のメシアでなければ、教会のキリストではありません。イエスは旧約聖書のすべての預言を成就しなければなりませんが、今のところ、ヨセフの子としての預言だけを成就したのです。
王国を再興する
『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。』という質問によって使徒たちが本当に聞きたかったことは、「私たちはあなたがヨセフの子だということを知っています。しかし、いつあなたはダビデの子になられるのですか?いつダビデのよ
うに王国を再興してくださるのですか?」ということです。
バプテスマのヨハネでさえ、このことを理解できませんでした。
『すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか」と言わせた。』(ルカ 7 章 19 節)
使徒たちでさえも、復活の後、オリーブ山でイエスが天に昇るとき、ひとりのメシアがふたつの到来をすることを理解できずにいました。
最初の到来において、主イエスはヨセフの子なるメシアとして来られました。再臨において、イエスは王国を完全に建て上げる支配者である王、ダビデの子メシアとして来られるのです。
ヨセフの子としてのイエスを見てみましょう。
父親の最愛の子
『イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。』(創世記 37 章 3 節)ヨセフは父親の最愛の子でした。
『また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」』(マタイ 3 章 17 節)
ヨセフの子なるメシアは、御父の最愛の子であったのです。
交わりと奉仕
『また言った。「さあ、行って兄さんたちや、羊の群れが無事であるかを見て、そのことを私に知らせに帰って来ておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いにやった。それで彼はシェケムに行った。』(創世記 37 章 14 節)
ヨセフはヘブライ語で“交わりの場所”という意味のヘブロンに住んでいました。ヨセフは父と共に交わりの場所に住み、兄弟たちの羊の群れを探しに父によって遣わされました。
『あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうち
にも見られるものです。キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ、』(ピリピ 2 章 5 節-7 節)
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネ 3
章 16 節)
イエスは御父と交わりの場所に住んでおり、兄弟たちの群れを探しに御父によって遣わされました。
兄弟たちの罪
『ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。』(創世記 37 章 2 節)ヨセフは父に兄弟たちの罪を証言し、兄弟たちはヨセフを嫌いました。
『もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。』(ヨハネ 15 章 18 節-
19 節)
『 [世が] わたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです』(ヨハネ 7 章 7 節)
イエスは兄弟たちの罪を証言したので、彼らはイエスを嫌いました。
さらに嫌われる
『あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。』(創世記 37 章 5 節)
ヨセフは自分の受けるであろう高い地位を告げました。
兄弟たちは自分たちの罪が証言されヨセフを嫌っていましたが、今回はヨセフを完全にさ
げすむようになりました。
『そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。』(マタイ 24 章 30 節)
『律法学者、祭司長たちは、イエスが自分たちをさしてこのたとえを話されたと気づいたので、この際イエスに手をかけて捕らえようとしたが、やはり民衆を恐れた。』(ルカ
20 章 19 節)
イエスは自分が受けるであろう、栄光ある地位を兄弟に明らかにしたことによって、兄弟たちに嫌われました。
その支配することが予告される
『ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」』(創世記 37 章 6 節-7 節)
『今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。』(マタイ 26 章 64 節)
ヨセフは自分がいつの日か支配をするようになることの予告を受けましたが、イエスもそうでした。
捨てられ、渡される
『彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。』(創世記 37 章 18 節)
『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』(ルカ 19 章 14 節)
『しかし、彼らは叫び続けて、「十字架だ。十字架につけろ」と言った。』(ルカ 23 章
21 節)
ヨセフもイエスも捨てられ、死に渡されました。
気が狂っていると言われる
『彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。』(創世記 37 章 19 節)
『イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。』(マルコ 3 章 21 節)
ヨセフは兄弟たちから夢見る者となじられ、ヨセフの子メシアであるイエスは人々から気が狂ったと言われました。
銀で売り渡される
『すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。』(創世記 37 章 26 節-28 節)
ユダはヨセフを裏切り、銀二十枚で売り渡しました。
『そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。』(マタイ 26 章 14 節-15 節)
ユダはヨセフを銀二十枚で裏切ったのです。
同じ名前のユダはヨセフの子を裏切り、イエスを(以前よりも高い値段)銀貨三十枚によって裏切りました。
しもべの心
『それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理さ
せ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。』(創世記 39 章 4 節)
ヨセフはすべてのことをしもべとして行いました。
ルカ 22 章 25 節-27 節やピリピ 2 章 7 節を読むと、イエスがなされたすべてのことはしもべとして行ったことが分かります。
すべてが祝福される
『主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。』(創世記 39 章 5 節)
主はヨセフが行うすべてのことにおいて祝福されました。
『もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。』(イザヤ 53 章 10 節)
神はヨセフの子の行うすべてが祝福されるようにします。
誘惑される
『これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ」と言った。しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」』(創世記 39 章 7 節-9 節)
ヨセフは極限まで誘惑されましたが、耐え忍び罪を犯しませんでした。
『さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。』(マタイ 4 章 1 節・10 節-11 節)
ヨセフは極限まで誘惑されましたが耐え忍びました。ヨセフの子なるメシアも極限まで誘
惑されましたが耐え忍びました。
偽りの告発を受ける
『彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、彼女は、その家の者どもを呼び寄せ、彼らにこう言った。「ご覧。主人は私たちをもてあそぶためにヘブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとして入って来たので、私は大声をあげたのです。私が声をあげて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに自分の上着を残し、逃げて外へ出て行きました。」』(創世記 39 章 13 節-15 節)
ヨセフは偽りの告発を受けました。
『さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる』と言いました。」
そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。
「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。』(マタイ 26 章 59 節-65 節)
ヨセフは偽りの告発を受け、ヨセフの子なるメシアも偽りの告発を受けました。
生と死を予告する
『さて、監獄に監禁されているエジプト王の献酌官と調理官とは、ふたりとも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはおのおの意味があった。 ヨセフは彼(献酌官)に言っ
た。「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日のことです。三日のうちに、パロ
はあなたを呼び出し、あなたをもとの地位に戻すでしょう。あなたは、パロの献酌官であったときの以前の規定に従って、パロの杯をその手にささげましょう。
ヨセフは(調理官に)答えて言った。「その解き明かしはこうです。三つのかごは三日のことです。三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたを木につるし、鳥があなたの肉をむしり取って食うでしょう。」』(創世記 40 章 5 節・12-13 節・18-19 節)
ヨセフは罪を犯したひとりには生きると予告し、もうひとりには死ぬと予告しました。
『十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」』(ルカ 23 章 39 節-43 節)
イエスはふたりの犯罪人と共に告発され、イエスが予告したように、ひとりは生き、もうひとりは死にました。
約束された救い
『ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日のことです。三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたをもとの地位に戻すでしょう。あなたは、パロの献酌官であったときの以前の規定に従って、パロの杯をその手にささげましょう。』(創世記 40 章 12 節-13 節)
ヨセフは有罪と宣告された人に救いを約束しました。
『そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなた
はきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」』(ルカ 23 章 42 節-43 節)
ヨセフの子であるイェシュアは有罪と宣告された人に救いを約束しました。その同じヨセフの子は今この瞬間も、そのような人が悔い改め、赦しを求めて従うと、その人に救いを約束します。
ヨセフはユダヤ人の兄弟たちに裏切られ、異邦人の手に渡されましたが、神はその出来事を通してすべてのイスラエル人が、そしてすべての世界が救いを受けるようにされたのです。
なので、同じくヨセフの子なるメシアも、ユダヤ人の兄弟たちに裏切られ、異邦人の手に渡されましたが、その出来事を通してイスラエルと全世界に救いをもたらしました。
助けた者に忘れられる
『ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。』(創世記 40 章 23 節)
『そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」』
(ルカ 17 章 17 節-18 節)
ヨセフは助けた者に忘れられ、ヨセフの子も救い出した者に忘れられました。
栄誉を受ける
『そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。
パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、 あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」』
(創世記 41 章 14 節・39 節-40 節)
ヨセフは死の場所である牢獄から出され、王によって栄光の位に上げられました。
『また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えら
れる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえら せ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高 く置かれました。』(エペソ 1 章 18 節-21 節)
ヨセフは罪を宣告された立場から、一日のうちに栄光の位に上げられました。そして主イエス、ヨセフの子なるメシアも非難を受ける立場から、一日のうちに栄光の位へ引き上げられました。
不思議な助言者
『パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。』(創世記 41 章 39 節)
ヨセフは自分が偉大な助言者であることを明らかにしました。イザヤ 9 章 6 節において『その名は「不思議な助言者」と呼ばれる。』と書いてあります。
非常に高められる
『パロはなおヨセフに言った。「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」』
(創世記 41 章 41 節)
ヨセフは栄光と誉れある地位に上げられ、新しい名を与えられました。
『それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。』(ピリピ 2 章 9 節)
イエスは栄光と誉れある地位に上げられ、新しい名を与えられました。
異邦人の花嫁をめとる
『パロはヨセフにツァフェナテ・パネアハという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラ
の娘アセナテを彼の妻にした。こうしてヨセフはエジプトの地に知れ渡った。』(創世記
41 章 45 節)
地位が高められた後、ヨセフは異邦人の花嫁をめとりました。
『なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。』(エペソ 5 章 23 節)
イエスは栄光を受けた後、象徴的に異邦人の花嫁である―異邦人の教会をめとりました。
このためにルツ記―異邦人の花嫁をめとったユダヤ人男性の物語―は、私たちが“教会の誕生日”と呼ぶペンテコステの時期にシナゴーグにおいて読まれています。
そして、どちらの場合も花嫁はその栄光にあずかる者となっています。
およそ三十歳のころ
『――ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった』(創世記
41 章 46 節)
ヨセフはその働きを始めたとき、三十歳でした。
『教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。』(ルカ 3 章 23 節)
“彼の言われることをしなさい”
『やがて、エジプト全土が飢えると、その民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」』(創世記 41
章 55 節)
『母は手伝いの人たちに言った。「あの方(イエス)が言われることを、何でもしてあげてください。」』(ヨハネ 2 章 5 節)
ヨセフについて、「彼の言うとおりにせよ」と言われ、ヨセフの子についても「あの方が言われることを、何でもしてあげてください」と言われました。
すべてのひざがひざまずく
『パロはなおヨセフに言った。「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」そこで、パロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。
そして、自分の第二の車に彼を乗せた。そこで人々は彼の前で「ひざまずけ」と叫んだ。こうして彼にエジプト全土を支配させた。パロはヨセフに言った。「私はパロだ。しかし、あなたの許しなくしては、エジプト中で、だれも手足を上げることもできない。」』
(創世記 41 章 42 節-44 節)
ヨセフの地位が高められたとき、すべてのひざはひざまずき、ヨセフにすべての権威と栄光が与えられました。
『それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。』(ピリピ 2 章 9 節-11 節)
『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』(マタイ 28 章 18 節)
すべてのひざがヨセフの子の前にかがみ、すべての権威と栄光が与えられました。
いのちのパン
『やがて、エジプト全土が飢えると、その民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」ききんは全世界に及んだ。ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。』(創世記 41 章 55 節-57 節)
『イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』(ヨハネ 6 章 35 節)
『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私
たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。』(使徒 4 章 12 節)
全世界がヨセフから穀物(パン)を得なければならず、救われるために他の方法はありませんでした。そして、私たちが救われるためにヨセフの子以外の道はありません。
自分を人に任せない
『彼らはヨセフの指図によって、年長者は年長の座に、年下の者は年下の座にすわらされたので、この人たちは互いに驚き合った。』(創世記 43 章 33 節)
なぜでしょうか?ヨセフは兄弟たちの罪深い過去を知っていたからです。
『しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。』(ヨハネ 2 章 24 節-25 節)
メシアであるイエスはヨセフのようであり、兄弟たちの罪深い過去を知っていました。
最初には気付かれない
創世記を読んでいくと、ヨセフの兄弟たちは最初のとき彼に気付かなかったことが分かります。彼らは二度目に気付いたのです。
『ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、
「みなを、私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。』(創世記 45 章 1
節-4 節)
ヨセフの兄弟たちはヨセフを最初は気付かず、二度目に気付きました。
『わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。』(ゼカリヤ 12
章 10 節)
ヨセフの子なるメシアは最初の到来においては兄弟たちに認識されませんでしたが、再臨において、ユダヤ人は自分たちが裏切った人が今や、高められ自分たちを救う方だと気付くのです。
十字架に付け殺した人が、贖い主であり王である方なのです。ヨセフの子はダビデの子でもあります。
苦しみを受けるしもべは支配する王でもある
ヨセフは兄弟たちが悔い改めたとき、彼らを許しました。そして、イエスの兄弟であるユダヤ人が悔い改めるとき、イエスは彼らをお赦しになります。
初めは、ヨセフは異邦人であるエジプト人を用いて兄弟たちにパンを与えましたが、その時が来ると、異邦人は外に出されて、ヨセフは兄弟たちに自分を明かしました。
今この時点では、ヨセフの子は異邦人であるクリスチャンを用いて、食物―いのちのパンを兄弟たちに与えていますが、時が来て大患難に入ると、ヨセフの子は彼自身を兄弟たちに個人的に明らかにします。
すべての権威を王に
ヨセフは地位を高められた後、事態を好転させ、すべての者をパロの手の中に救いました。
(創世記 47 章 20 節)
『それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。』(1 コリント 15 章 24 節)
ヨセフはすべての支配、地位と権威を王の手にゆだねました。
ヨセフの子なるメシアは、すべての権威と支配を王の手にゆだねました。
救い主
『すると彼らは言った。「あなたさまは私たちを生かしてくださいました。私たちは、あなたのお恵みをいただいてパロの奴隷となりましょう。」』(創世記 47 章 25 節)
ヨセフは民から救い主として認識されていました。
『というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。』(テトス 2 章 11 節-14 節)
ヨセフの子なるメシア、主イエス・キリストは人類すべての救い主として認識されています。
悟られない
ヨセフがエジプトの高官として着飾ったとき(創世記 41 章 42 節)、ヘブライ人の兄弟た
ちは全く気付きませんでした(創世記 42 章 8 節)。
紀元 1 世紀の後イエスは異邦人の王とされました。イエスがユダヤ人の王として来たことは忘れ去られ、ヘブライ人の兄弟たちには全く認識されませんでした。
ひとりのメシア ふたつの到来
ヨセフは高められたとき、新しい名を受けました(創世記 41 章 45 節)。異邦人たちは本来ラビ・イェシュア・ベン・ヨセフであったお方をイエス―ギリシア語の名で呼んでいます。
ひとりのメシア ふたつの到来
ユダヤ人たちは最初ヨセフに気付きませんでしたが二度目に気付きました。そしてユダヤ
人はヨセフの子を再臨において認識し、自分たちが裏切り十字架に付けた人がほんとうは救いをもたらす方であったことを悟るのです。
ひとりのメシア ふたつの到来
イエスはダビデの子として戻って来ます。すべての目がイエスを見ます。ユダヤ人たちは自分たちが突き刺した者、イエスを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣きます。
イエスを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように泣く者は、彼の民に用意されたものと同じ祝福と約束を受け継ぎます。
ヨセフの子なるメシアは、ダビデの子なるメシアとして戻って来ます。そしてイスラエルに王国を再興します。
ジェイコブ・プラッシュ
The Parable of the Wedding Feast - Japanese
結婚披露宴のたとえ
ジェイコブ・プラッシュ
『イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、』
――良い人でも悪い人でも集めたということは興味深いことです
『宴会場は客でいっぱいになった。ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『{友よ。}あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」』(マタイ 22 章 1 節-14 節)
この御国のたとえを理解するために、まずイエスの時代のユダヤ的な結婚の伝統を理解する必要があります。ユダヤ教においてイエスの時代は“第二神殿期”と呼ばれます。イエスの時代の結婚には三つの段階がありました。聖書本文に対する歴史的・文化的背景を見ることは、ドイツ語で“シツ・イム・レベン(Sitz im Leben)”と呼ばれることを見ることです。これは当時の状況での生活環境を見るという意味です。これをしない限り、私たちはイエスさまの語られていたことを理解することはできません。ユダヤ人の結婚は三つの段階から成っていました。
婚約・婚礼・成立
この三つの段階すべてが、結婚を有効にするために重要なものでした。結婚が有効なものとなるためにこの三つすべてが完成されなくてはならなかったのです。
このことは、マリアが永久に処女であったとするローマ・カトリックの教理的帰結と真っ向から反対します。ヨセフとマリアが性的に成立していない結婚生活を送っていたとすると、ユダヤ法によれば法的に結婚していないことになります。もしそうであるならば実質的にイエスが非嫡出子(正式な結婚をしていない関係で生まれた子ども)として育ったと言っていることになります。これはイエスとその地上での両親をいかに侮辱することでしょうか。しかしそれがローマ・カトリック教会の教えなのです。しかしながら、それは新約聖書の教えではありません。
婚約
婚約は現代の婚約とは異なっていました。私たちが婚約と呼ぶものと違い、古代ユダヤ人の婚約は法律的に拘束力があるものでした。これに最も近いものはここアメリカのいくつかの州――ほんとうに数は少ないですが――に見られるもので、ある人が正当な理由無しに婚約を破棄すると、民事裁判において契約破棄で訴えられるというものです。しかしこの婚約はそれをはるかにしのいでいました。婚約とはそのカップルがすでに法的に結婚したというものでした。それは私たちが考えるような単なる誓約ではなく、その人が法的に結婚したということを意味していたのです。婚約は契約上のものであり、法的な事柄でした。
古代中近東からの慣習を引き継いだ同じような契約は、“宗主権(suzerainty)”と呼ばれるものです。“宗主権”の慣習の中では、交わりの食事において印が押される契約があり、何らかの血を流すことによって契約が成立します。このために最後の晩餐においてイエスは
『これは、わたしの契約の血です』と言われたのです(マタイ 26 章 28 節、マルコ 14 章
24 節、ルカ 22 章 20 節)。イエスは古代中近東の“宗主権”の儀式に従っていました。彼は文字通り契約を“切る(ヘブライ語で契約を成立させること)”と言ったことでしょう。このように婚約が最初の段階であり、(私たちの婚約とは全く違い)これによって法律的な目的のために法的に結婚したのです。実際、当時作成されていた契約書は“ケトゥバー
(ketubah)”と呼ばれていました。
しかしその後、花婿はおよそ一年の間、花嫁から身を遠ざけました。このような結婚は大
抵、過越の祭りのあたりの春の時期に行われました。いつもそうであるとはいえませんが、
大抵がそうでした。その時期が一年で最も一般的な婚約の時期でした。花婿はおよそ一年の間身を遠ざけ、自分の父の家の離れを造ることになっていたのです。花婿は自分が戻る正確な日にちを知りませんでしたが、およそ一年で戻れるということを知っていました。父親が仕事の出来を調べて、「今行って来なさい」と彼に言ったことでしょう。父親はその時を知っていましたが、息子は知らなかったのです。息子は自分が戻れる正確な日を知りませんでしたが、およそ一年の期間だと知っていました。花婿が正確な日にちを知らないため、花嫁もそれを知りませんでした。花嫁はただ二つのことだけを知っていました。戻るのがおよそ一年であること。そして二つ目は、花婿が戻るのが夜になるということです。花婿はきまって夜に来ました。花嫁は眠りに入り、花婿が今夜戻って来るか、明日の夜になるかを知りませんでした。これが雅歌の背景です。花婿が戻って来るのは今夜でしょうか?
夜は、聖書の中で大患難とその近づきに関する最もよく用いられる比喩です。世の終わりには暗やみが襲ってきます。このため聖書は
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『夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か。』(イザヤ 21 章 11 節)
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『主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても』(ルカ 12 章 38 節)
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『主の日が夜中の盗人のように来る』(1テサロニケ 5 章 2 節、黙示録 16 章 15 節)
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『わざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます』(ヨハネ 9 章 4 節)
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雅歌においても、花婿は花嫁に会いに夜にやって来ます(雅歌 5 章 2 節)
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マタイ 25 章においても、花婿は夜にやって来ます(マタイ 25 章 6 節)
このように語っているのです。
イエスさまが来られる直前の世の終わりはとても暗くなります。この世は大患難を経験しますが、イエスさまはそこからご自分の花嫁を救い出されます。
婚礼
花婿は一年間身を遠ざけ、一年のうちに婚礼のために戻ってきます。婚礼は儀式であり、証人たちの前で“ケトゥバー”が読み上げられる式典でした。そのようなものが婚礼です。従って、最初に婚約がなされ、その一年後に婚礼が持たれたのです。
古代ユダヤ人にとっての婚礼は、私たちが慣れ親しんでいるものと同じではありませんで
した。婚礼は数日間続く宴会でした。婚礼の過程のある時点で、花嫁と花婿は結婚を成立
させたことでしょう。これが第三の段階、言うまでもなく――肉体的なものであり、性的なことを指します。
結婚がユダヤ法によって有効となるために、この三つの段階すべてが必要でした。婚約と婚礼、そして性的な成立です。一方、この三つが契約という観点において、それぞれ役割を持ちます。婚約は契約が開始されるときであり、婚礼は招集されるとき――証人たちが結婚の結合に招かれるときです。(これらは雅歌のソロモンとシュラムの女との恋愛に登場する証人たちと関連していて、天の万軍(1列王記 22 章 19 節)を反映しています)
成立
“成立(Consummation)”とはとても訳しにくい言葉です。より良い言葉を望むなら、“結合”と訳したらよいでしょうか。しかしこれはヘブライ語の“アハドゥート(achdut)”―
―“複数からなるひとつ”を訳そうとする私の最善の努力にすぎません。イエスが最も大切な戒めが何かを尋ねられたとき、『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である』(マルコ 12 章 29 節)――「シェマー イスラエル アドナイ エロヘイヌ アドナイ エハッド(echad)」と言われました(申命記 6 章 4 節より)。アハドゥートの由来の元であるこの“エハッド”という言葉は、アダムとエバが一体になるときに使われたのと同じ言葉です(創世記 2 章 24 節)。結婚を成立させるときに使われるヘブライ語の慣用
句は「そして彼は彼女のところに入った」というものです(創世記 29 章 30 節)。ひとりの人がもうひとりの中に入り、第三の人が生み出されます。そこではひとりが三人であり、また三人がひとりになっています。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて』(創世記 1 章 26 節)このように、結婚を成立させる行為と三人目が生み出されることは、神の位格の永遠の一致、また複合体の一致を反映すべきものなのです。(これが、神さまが離婚を憎まれるひとつの理由でもあります。クリスチャンの結婚が永遠に続くことは神の位格における永遠の結合を証明すべきものです。私たちは神の御姿に似せて造られています)これが“アハドゥート”です。
まとめると、結婚には契約が開始される婚約があり、それは契約であり、法的なものでした。そして一年後、招集が行われる場所で婚礼が開かれます。これは証人たちが“ケトゥバー(結婚契約書)”を読み上げる儀式、式典でした。そして第三に肉体的・性的である―
―成立は神の御姿が再現され、反映されるときでした。
終末的な意味
これらは終末論的に非常に重要なものです。“婚約”はキリストの初臨(最初の到来)です。
“婚礼”――小羊の婚宴は再臨です。“成立”は花嫁が下って来て、夫のために着飾っている黙示録の箇所と関連しています(黙示録 21 章 2 節)。この箇所は神の民が天で持つことになる永遠の神との親密性について語っています。
このように“婚約”はイエスの初臨と関連しており、“婚礼”はイエスの再臨、“成立”は永遠と関連しています。それは黙示録で書かれている主がご自分の花嫁と持たれる親密性に関連しているのです。このすべての段階がイエスの時代のユダヤ人の結婚を形作っていたものでした。これを理解しない限り、イエスさまがそのたとえの中で私たちに語られていることを正確に理解することは出来ません。
ご自分の“兵隊”を出す
最初に読むと、イエスさまは紀元1世紀のこと、招かれていたのに来ようとしなかった者たちについて語っていたのは明らかです。
『この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』(ヨハネ 1 章 11 節-12 節)
大半のユダヤ人が自分たちのメシアを退けました。イエスの初臨においてただ忠実な残りの者だけがイエスを受け入れ、イエスさまは恵みを他の人々に向けられました。
使徒たちとユダヤ人信者らはラビたちに迫害されたので、神はご自分の兵隊を出したと書かれてあるのです。そしてイエスさまとダニエルが予告した勢力である、ローマ人が都を破壊しました(ダニエル 9 章 26-27 節、11 章 31 節、マタイ 24 章 15 節)。ローマ人はち
ょうどイエスさまとダニエルが預言したように、エルサレムを紀元 70 年に滅ぼしました。神殿は破壊されたのです。
これらのことは部分的に1世紀に実現しました。しかし、「ご自分の兵隊を出された」ということを私たちはどのように捉えたら良いのでしょうか。
“ご自分の兵隊”は天使ではありません。“ご自分の兵隊”は人間です。しかしその兵隊が良い人たちであるという意味ではありません。反対にこの“ご自分の兵隊”は全く違ったものを意味します。士師記やイスラエルの歴史全体をさかのぼって見ると、私たちはそこに同じパターンを見出します。神の民が契約を破り、不信仰に陥り、――偶像礼拝や不品
行に陥り、悔い改めず、神が悔い改めを知らせるために遣わした預言者たちを迫害し始め
たとき――神は神の民より悪い人物や国を用いて、彼らを攻められるということです。神さまは完全に異教徒である者でも用いられます。それがときにはペリシテ人、アマレク人であり、後にはアッシリア人を用いて紀元前 721 年に十部族を捕囚にしました。神は紀元
前 585 年にバビロン人を用いましたが、それに先だってアッシリア人を用いていました。
紀元 70 年にはローマ人です。神の“兵隊”は自分の民より悪い者なのです。神は彼らより悪い者たちを用いられます。ペリシテ人、アッシリア人、バビロン人、ローマ人であっても――神さまはいつもそうなされます。一方、ヨエル書で語られていることを見ていきましょう。
『いなご、ばった [他の訳では「群がるいなご、忍び寄るいなご」…NKJV,NASBなど] 、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。』(ヨエル 2 章 25 節)
ヨエルによると、四種類のいなごが存在します。群がるいなご、忍び寄るいなご、食い荒らすいなご、かみつくいなごです。ヨエルはダニエルが獣や猛獣を用いたように、昆虫を用いて表現しました。ヨエルは政治的組織についての象徴や比喩のためにいなごを用いました。ネブカドネザルの支配下にあったバビロン人は四度侵略し、バビロン人が行ったことは、群がり、忍び寄り、食い荒らし、かみつくいなごのようなことでした。計四度の侵略がありました。
一旦民が悔い改めると、神はバビロンを滅ぼされます。ヨエル、イザヤ、エレミヤはみな
「倒れた。バビロンは倒れた!」と語っています(イザヤ 21 章 9 節、エレミヤ 51 章 8 節、
黙示録 14 章 8 節)。バビロンが登場する前であっても、神はバビロンの崩壊を語っていました。言い換えるならば民が悔い改めず、契約を破り、預言者を迫害するとき、神はペリシテ人やアッシリア人、バビロン人、ローマ人でさえ用いられるということです。しかし神が、一旦その者たちを自分の民の懲らしめの道具として用いると、その異教徒たちを滅ぼしてしまわれるのです。彼らの最期は定められています。彼らは自分たちが行っていることに非常に得意になっていますが、最期は定められているのです。神はただ、一時の間、ご自分の民を取り扱う目的で特別に彼らを立たせるにすぎません。神は未信者のことに関心があるのではなく、ご自分の民に関心があるのです。
これがヨエルの軍隊でした。王はご自分の軍隊を遣わすのです。王は民よりも悪い者たちを用います。ユダヤ人たちは神がバビロン人を用いると信じることが出来なかったでしょう。(これがエレミヤ書に書かれていることです)ユダヤ人たちはバビロン人のような異教徒を神が用いられると信じられませんでした。同じように、紀元前 70 年に神がエルサレム
を滅ぼすためにローマ人を用いるなんてことは考えられませんでした。そのようなことが
起こるとは思いもよらなかったのです。「我々は彼らほど悪くはない。彼らは契約の民ではないのだから」
しかし神は言われます。「こうなるのは当然ではないか。彼らはただ――野蛮人――そのままであるだけだ。あなたがたは聖なる民であるはずではないか」
神はより邪悪な者たちを用いられます。一旦預言者たちが迫害されると神はより邪悪な者を立てられます。
これは前 721 年サマリアにおいてアッシリア人に関して起きたことであり、前 585 年エルサレムでバビロン人に関して起きたことです。ユダヤ人がエレミヤなどを迫害し、バビロン人はエルサレムにある第一神殿を滅ぼしました。彼らは神殿を 8 月、およそ 8 月 9 日の
“ティシャー・ベ・アブ(Tisha’ b’Av)”と呼ばれる日に破壊しました。ローマ人たちは第二神殿を紀元 70 年の同じ日――5 世紀後のまた同じ日に第二神殿を破壊しました。一旦、エレミヤが退けられると、バビロン人は第一神殿を破壊しました。一旦、イエスが退けられるとローマ人はその年の同じ日“ティシャー・ベ・アブ”に第二神殿を破壊したのです。この日にラビたちは神殿の崩壊を嘆き、哀歌を朗読します。
バベルの塔(創世記 11 章)をもって始まった神秘宗教――バビロン帝国において絶頂期で
あったものは――特に“ペルガモ(黙示録 2 章 12 節-17 節)”という都市を通ってギリシア・ローマ世界に入りました。従って、イエスの時代にはバビロンはその本拠地をローマの中に見出していたのです。それゆえペテロは手紙の中で『バビロンにいる…婦人がよろしくと言っています』(1ペテロ 5 章 13 節)と書いたのです。ペテロは実際ローマからその手紙を書いていましたが、バビロンからの同じ神秘宗教がそこに来ていたのです。初期のキリスト教徒たちはローマをバビロンと同一視していました。
彼らは同じ日に神殿を破壊しました。言い換えると、前 585 年に起こったことは、再び紀
元 70 年の同じ日に起こったということなのです。神の民が悔い改めようとしないならば、神は彼らよりも悪い者たちを用いられます。そしてこれが1世紀に起こったことであり、ユダヤ人のほとんどが自分たちのメシアを退け、使徒たちを迫害したので神がご自分の兵隊を出され、ローマ人はその都市を崩壊させたのです。
婚礼は間近
『だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』(マタイ 22 章 9
節)
神は異邦人の国々の上に恵みを施されます。それが 1 世紀に起こったことですが、このたとえが第一に語っていることはそれについてではありません。それはこのたとえが部分的に語っていることにすぎません。なぜならその結婚披露宴は間近に迫っているからです。結婚披露宴はこの世の終わりに行われます。これはただイエスさまの最初の到来についてだけではなく、それは繰り返され――再臨においても再び実現することです。婚礼は間近に迫っています。来るべきものは婚約ではなく、婚礼――結婚披露宴であり、祝宴です。「ご返事お願いします」と結婚式の招待が送られてきています。しかし人々は来ようとしませんでした。そこで王は他のしもべたちを遣わし言わせました、『さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました…』第二のしもべたちは単に「どうぞよろしければ」というものへの応答を得るために出て行ったのではありません。彼らは切迫感を持っていました。「婚礼は間近に迫っている――花婿が来ようとしている」これが私たち、またマタイが『御国の福音』(マタイ 4 章 23 節、9 章 35 節、24 章 14 節)と呼んでいるものです。
御国の福音
福音は福音です。神は私たちの罪を取り去りご自身の義を与えるために人となり、永遠の命を与えるために私たちを死者からよみがえらせました。福音は福音です。しかし福音にはさまざまな側面があり、それが宣べ伝えられるときにさまざまな性質を持っています。エペソ 6 章とイザヤ 52 章では“平和の福音”(イザヤ 52 章 7 節、エペソ 6 章 15 節)と書
かれていて、至るところで“救いの福音”(ローマ 1 章 16 節、エペソ 1 章 13 節)と呼ばれています。しかしここでは“御国の福音”と呼ばれていますがそれはどのような意味なのでしょうか?
マタイ 24 章、オリーブ山の訓戒を見てみましょう。弟子たちはイエスに世の終わりとイエスが戻られるときのしるしは何かと尋ね、イエスさまはいろいろなしるしを予告され、その後にこう言われました、
『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて…』(マタイ 24 章 14 節)
“御国の福音”とは、“御国”のテーマが何度も繰り返されているマタイの福音書で見られるものです。この御国というテーマは他の福音書におけるよりも、マタイで多く登場しています。マタイの“御国の福音”の中でイエスさまは、天について話すよりも3倍多く地獄について話されました。
バプテスマのヨハネは“御国の福音”を宣べ伝えました。『「悔い改めなさい。天の御国が
近づいたから。」』(マタイ 3 章 2 節)
終わりの日に宣べ伝えられるべき、この“御国の福音”とは一体どのようなものなのでしょうか。「花婿がやって来る」それは私たちの伝道において、終わりの時代の預言を用いる時であるということです。
1970 年代に書かれたある本があり(悲惨にもその本の著者は今五度目の結婚に至っていますが――私はもう彼と一緒に教壇に立つことはありません)、その本は『地球最後の日(The Late, Great Planet Earth)』という名の本でした。その本を通して本当に多くの人が救われました。
この本は終わりの時代の預言を単純化し過ぎた本ですが、多くの人がこの本を通して救われました。著者は人を救うために終わりの時代の預言を用いました。終わりの日において私たちが専念すべき伝道の方法は救いの道を知らせるために、イエスの到来――終わりの時代の預言を用いることです。
最初に遣わされたしもべたちは「婚礼に招かれていますよ」と言いました。しかし、婚礼が間近に迫り次に遣わされたしもべたちは、「花婿がやって来る!すべてが整いました!婚礼の祝宴が迫っています!」という切迫感をもって遣わされました。
私が 1970 年代初期に救われたとき、すべての人がイエスの再臨について話していました。
すべての人です!今私たちはキリストの再臨に 40 年近づきましたが、終末論に関する関心は極度に少なくなっています。終わりの日に関しても誰も興味を持っていません。40 年キリストの再臨に近づいたというのに、40 年前より今のほうがイエスの再臨に興味を失っています。この現状自体が一種の欺きです。西洋世界の“キリストのからだ”において悪魔が付くほとんどすべての嘘は、この人生とこの世に注目させるように設計されています。告白の力、御国の繁栄の福音、神の国は今などや、社会的福音、世界 P.E.A.C.E.プランなど――このようなものはすべて、私たちの望みをキリストの再臨に置かせず、この世を信頼させるように設計されています。
しかしイエスさまは「これらのことが起こるのを見たなら」と言われましたが――今私たちはこのことを目撃しているのです!かつてローマ帝国だった国々は非民主主義のヨーロッパに再編され、エキュメニカル運動(世界連合の偽りの宗教であるローマの下に集まること)があり、黙示録に『地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時』(黙示録 11 章 17 節)とある
ように環境破壊が起こっていて、聖書中で世界情勢の中心であった国々が再び世界情勢の
中心に返り咲いています。これらのことはすべてイエスの再臨を指し示すことです。現代のこの状況のようになったことはかつて一度もありませんでした。ユダヤ人たちは約2千年間あの地に存在しませんでしたが、今イエスさまの言われた通りにそこにいます。そして彼らは再びキリストの元に立ち返りつつあります。これらのことはかつては実現しませんでしたが、終わりの日に実現することだと聖書が告げているのです。
人々はなぜナンシー・レーガン(米レーガン元大統領の夫人)のようなことをするのでしょうか?彼女は占星術師のもとへ足しげく通い、自分の夫が大統領である時期にどう国を動かすかを告げていました。なぜ人々はナンシー・レーガンのように占星術師のもとへ行くのでしょうか?なぜ人は星占いやタロットカードを読んだりするのでしょうか?なぜでしょう。それは彼らが未来を知りたいからです。未信者は未来についての好奇心を持っています。ですが私たちは未来を知っています。私たちは教会が最終的にどうなるかを知っており、世界の国々がどうなるか、中東情勢がどうなるか、この地球がどうなるかを知っています。私たちは未来を知っているのです。そして、イエスの再臨に近づけば近づくほど、私たちはより明らかに――少なくとも忠実なクリスチャンはより明らかにそのことを理解します。
私たちは人々の必要とするものを知っています!人に福音を伝えるために終わりの時代の預言を用いるべきなのです。「ほら、今中東で起こっていることを知っているかい?イラクで何が起こっているかを。それは聖書の中のバビロンなんだ。今アメリカ軍がそこにいるだろう。イエスさまの言ったことを見てごらん。『異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます』(ルカ 21 章 24 節)ゼカリヤ書ではすべての国々が終わりの日
にイスラエルに対して向かってくると書いてあるんだ(ゼカリヤ 12 章 3 節)。ほらここに!」
中国の天安門広場で8千人の学生が殺されるのを世界の 20 億人が目撃しました。ですが、国連は中国に対してひとつの決議も通過させませんでした。イスラム教徒はスーダンとダルフールで 11 年間のうちに 330 万人のキリスト教徒を殺害しましたが、彼らに対して何の決議もひとつの不買運動さえも国連からはなされませんでした。しかし国連の半分以上の不買運動がイスラエルに対してのものです。D・ジェームズ・ケネディー(米長老派のテレビ伝道者)のようなクリスチャンたちでさえも、イスラエルに敵対するように同胞に教えています。彼らはアラブ系キリスト教徒を迫害するイスラム教国に敵対せずに、アラブ系キリスト教徒の権利を保護しているイスラエルに敵対しろと言っているのです。このようなことが教会の中で教えられています。これらのことは預言の成就です。
未信者に世界情勢を見てもらいましょう。イラクに関心が無い人はいるでしょうか?中東
はどうでしょう?環境問題はどうでしょう?世界経済のグローバル化はどうでしょうか?
私たちはこのようなことを伝道のために使うのです。(日本の若者でさえも北朝鮮や中国の核兵器入手を知っていますが、それも「主の日」を示す事柄です)
切迫感
第二のグループはその呼び掛けの強調点が違っていました。それは同じ婚礼で、同じ招きですが、切迫感をもって伝えられました。預言が成就しているのを見る時、私たちがすべきことはイエスさまが言われた通りにそれが近いと告げることです。さて、イエスさまが何かをしなさいと言われたなら、サタンはクリスチャンにそれをしてほしくないことは確かです。イエスさまが何かをしなさいと言われるとサタンは反対に「それをするな」と言うのです。
この国(アメリカ)にはバプテスト派の素晴らしい説教者たちがいます。次の人を好きであろうとなかろうと――私はこの人が完全と言っているのではなく、ただ神の人だと言っているのですが――ジョン・マッカーサー(米のマスターズ神学校校長)なら、現代の中東情勢が預言を成就していると言ってくれるでしょう。彼は知っています。
バプテスト派の中でもジョン・パイパー(米ミネソタ州の牧師)のような人たちは「いいえ、それは違います」と言うでしょう。
このような人は欺かれています。中東での出来事はキリストの再臨のしるしです。ですが、サタンはそれがキリストの再臨のしるしであると誰にも気付いてほしくありません。クリスチャンたちにそれをしるしだと分からせたくないのです。サタンはクリスチャンたちに花婿の到来に備えてほしくはありません。そして確かに言えることは、福音を効果的に伝えることを彼は良しと思っていないのです。
私をとても恐れさせているものがあります。“ハイライト&削除・カット&ペースト”という新しい聖書解釈、新しい解釈のやり方です。エホバの証人でもこのような尊大な行為はしないのに、『人生を導く5つの目的』を著したリック・ウォレンは実際にこれを教えています。
これは驚くべきことです。シリア人がレバノンのキリスト教指導者ピエール・ジュマイエル(Pierre Gemayel レバノン首相)を暗殺した時でさえ、リック・ウォレンはシリアに向かい、イスラエルにミサイルを撃ち込み、クリスチャンたちを殺害しているヒズボラを援助する政治体制を賛美し、シリア人は非常に素晴らしいと語りました。これがウォレン
氏です。そして彼は戻って来て、自分を非難する者は政治的な福音を望んでいる者だと語
りました。ですが、彼はシリア人にイエスの救いを宣べ伝えずに、ただそこにいた時に政治を宣べ伝えていただけなのです。これは信じ難いことです。
一方彼は――これは出版され、彼のウェブサイトに載せてありますが――終わりの時代の預言から遠ざかるように教え、それが脇へ反らせるものだと言っています。終わりの時代の預言は彼にとって、“脇へ反らせるもの”なのです。そして彼の証拠箇所は使徒 1 章 6 節です。彼が言ったことを私はそのまま引用しますが、「あなたの来られる時や世の終わりにはどんな前兆があるのでしょうと聞かれた時、彼は言われた。『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。わたしの証人となります』」このようなものです。
それではこの箇所が本当に語っていることを見てみましょう。使徒の働きには
『そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。
「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。』(使徒 1 章 6 節-7 節)
弟子たちはリック・ウォレンが誤って引用しているようにイエスに対して「あなたの来られる時や世の終わりにはどんな前兆があるのですが」とは聞きませんでした。彼らは『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか』と聞いたのです。
彼らはユダヤ人で、使徒たちはユダヤ人でした。したがって彼らは単に「いつイスラエルのために王国を再建してくださるのですか」とイエスに聞いていたのです。
メシアはダビデの家、ダビデの王座を再建する必要がありました(アモス 9 章 11 節、使徒
15 章 15 節-18 節)。彼らは「旧約聖書の預言の残りをいつ成就されるのですか。ダビデ王の家系をいつ再興されるのですか」と聞いていました。
彼らは千年王国がいつ来るのかと尋ねていました。千年王国は不可欠のものです。イエスさまは最初の到来において旧約聖書の預言をすべて成就はしませんでした。まだダビデの家に対してなされた約束を成就しなければなりません。もし千年王国が無ければ、イエス
はメシアではありえません。彼はそれについての預言を成就していないからです。彼は残
りの預言も成就しなければなりません。
ひとりのメシア ふたつの到来
ユダヤ教ではメシアのふたつのイメージがあります。“ヨセフの子なるメシア”と“ダビデの子なるメシア”――“ハマシアハ・ベン・ヨセフ”と“ハマシアハ・ベン・ダヴィード”です。ラビたちは創世記に出てくるヨセフとダビデ王のどちらもがメシアの象徴だと語っています。そしてあるラビたちは、ふたりの異なるメシアがいると言います。ひとりはヨセフの性質を持つ者であり、もうひとりはダビデの性質を持つ者です。
創世記に登場するヨセフは、自分のユダヤ人の兄弟たちに裏切られ、異邦人の手へと渡されました。神はその裏切りを好転させ、全イスラエル、全世界が救われる道とされました。
その同じヨセフはふたりの犯罪人と共に判決を受けました。ヨセフが預言した通りに、ひとりは生き、ひとりは死にました。イエスはふたりの犯罪にと共に判決を受け、彼が預言したように、ひとりは生き、ひとりは死にました。
ヨセフは罪の宣告を受ける場所から、栄誉を受ける場所へ 1 日の間に移されました。イエ
スもまた罪の宣告を受ける場所から、栄誉を受ける場所へ 1 日の間に移されました。
ヨセフに向かって全てのひざはかがまなければなりませんでした。イエスに向かっても全てのひざはかがみます。
栄誉を受けた時に、ヨセフは異邦人の花嫁をめとりました。栄誉を受けるにあたって、ヨセフの子であるイエスも、言うなれば教会である異邦人の花嫁をめとりました。
ヨセフの兄弟たちはヨセフが穴の中にいないことを証明するために、彼の長服を持ち帰りました。弟子たちも、イエスさまが墓の中にいないことを証明するため埋葬布を取りました。
ヨセフは兄弟の“イェフダ”――“ユダ”によって銀貨 20 枚で裏切られました。イエスも
また“イェフダ”――“ユダ”によって銀貨 30 枚で裏切られました。
ユダヤ人であるヨセフの兄弟たちは最初ヨセフに会った時に気付かず、二度目に彼に会った時に気付き、激しく泣きました。同じようにゼカリヤ 12 章ではユダヤ人であるイエスの
兄弟たちが最初の到来では彼に気付かず、二度目の到来で気付き、激しく泣くとあります。
これが“ヨセフの子なるメシア”、ユダヤ教における“苦しみを受けるしもべ”です。しかしこの次には、ダビデの性質を持ち、神の支配と征服をもたらす“ダビデの子なるメシア”が現われます。使徒 1 章 6 節で使徒たちが尋ねていたのは『私たちはあなたが“ヨセフの子”であることを知っています。ですがいつ“ダビデの子”になられるのですか?いつ“征服する王”になられるのですか?』ということでした。イエスがメシアであるためには、旧約聖書の預言全てを成就する必要がありました。“ヨセフの子”の預言と“ダビデの子”の預言です。
最初の到来において、イエスは“苦しみを受けるしもべ”として、“ヨセフの子”を成就しました。再臨において彼は千年王国を建て上げ、ダビデへの約束を確立させます。もし千年王国が存在しなければ、イエスはメシアではありません。もし“イェシュア”がメシアでなければ、彼はキリストでもありません。無千年王国説や後千年王国説などのくだらないものは忘れてください。それらは初期のローマ・カトリックが作り上げたものです。それはコンスタンティヌス大帝の後に力を得ました。コンスタンティヌス大帝がローマ帝国を間違った方法でキリスト教化した後、ローマ帝国は千年王国を霊的なものとして片づけてしまわなくてはなりませんでした。一方、初期のクリスチャンたちは千年王国を信じていたのです。イエスは残りの預言を成就しなければなりません。
従って、彼らが使徒 1 章 6 節で尋ねていたのは「国を再興してくださるのはこの時ですか?」ということなのです。御国が教会のために再興されることは決してありません――ただイスラエルのためです。イエスの御国はこの世のものではないのです(ヨハネ 18 章 39 節)。イエスはただイスラエルのために国を再興されます。これが彼らの尋ねていたことなのです。
カット&ペースト神学
それではリック・ウォレンの行ったことをみんなでやってみましょう。使徒 1 章がパソコ
ンのスクリーン上にあると想像してください。マウスを動かして、第 6 節をハイライトし
て、削除してください。そして次にマタイ 24 章 3 節から 4 節に移ると
『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。』(マタイ 24 章 3 節
-4 節)
イエスさまの口から出た第一声は、欺きに注意しなさいということであり、注意をすべき事柄を多く挙げていきました。その第 3 節をハイライトして、使徒 1 章 6 節の上にカット
&ペーストしてください。実際、リック・ウォレンが行っていたことはマタイ 24 章から第
3 節を取り、使徒 1 章 6 節と置き換えていたということなのです。そして、そうした後、終わりの時代の預言を学ぶな、それから離れなさい、脇道へ反らせるものだからと教えているのです。エホバの証人でさえ、神のことばに関してそのような離れ技をする大胆さは持ち合わせていないのに、リック・ウォレンはそのようなことを行っているのです!
私を恐れさせることは、いかに多くの牧師がこのくだらないものを教え、リック・ウォレンとその世界的な P. E. A.C.E.プランに耳を傾けているかということです。平和ですって?平和の君が戻って来られるまで平和というものは存在しません。私たちは戦争や、戦争のうわさを聞くようになります(マタイ 24 章 6 節)。これは私たちが平和のために働くべきではないと言っているのではありません。しかし、世界的な平和を教会がもたらすと考えるのはどうしたものでしょう?それは聖書の教えることではありません。加えて、神のピースプランは福音です。『足には平和の福音の備えをはきなさい』(エペソ 6 章 15 節)。
イザヤは『良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え』る者の足はと語っています(イザヤ 52 章 7 節)。
リック・ウォレンの P. E. A.C.E.プランには伝道(evangelism)は含まれていません。頭文字の中にふたつの“E”があるにも関わらずです。彼は自分自身のピースプランを持ち、それがどういうわけかキリスト教的なものだと考えられています。この種の欺きこそが終わりの時代において、私たちが注意するように言われているものなのです。にせキリストは『できれば選民をも惑わそうと』するのです(マタイ 24 章 24 節)。
イエスは「御国の福音を宣べ伝えなさい」と言われました(マタイ 24 章 14 節参照)。終わりの時代の預言を用いましょう。花婿が来つつあることを人々に知らせましょう。子羊の結婚披露宴の招待状がここにあります。時間は迫っていて、もういくばくもなくイエスは来ようとしています。これが私たちが取るべき伝道の方法です。しかし、これがイエスさまの言われた伝道の方法であるがために、サタンは教会の中にメッセンジャーを使わし、違ったメッセージを持って欺こうとします。私たちはパーパス・ドリブンを信じるか、新約聖書を信じるかどちらかであり、両方ともを信じることはできません。イエスさまに同意するか、リック・ウォレンに同意するかどちらかなのです。ですが、両方に同意することはできません。
それぞれの道へ出て行ってしまった
イエスさまは私たちに何を語っておられるのでしょうか?彼はしもべたちを遣わし、披露宴が近いことを告げました。
『ところが、彼らは気にもかけず…』(マタイ 22 章 5 節)
イエスさまが戻って来られる前に私たちが目撃することになるのは、増大する無関心です。イエスとペテロはどちらも、ノアの時代を用いて終わりの日々がどうなるかを説明しました。イエスさまはクリスチャンに警告をされ、ペテロは未信者に警告をしました。私たちが裁きは近いと未信者に伝えれば、『何事も創造の初めからのままではないか』(2 ペテロ 3
章 4 節)と言い返されるようになるとペテロは語っています。
終わりの時代はノアの時代と同じようになります。ノアは福音を力の限り伝えました。終わりには彼を除くたった 7 人が救われ、皆が彼と家族関係にありました(2 ペテロ 2 章 5節)。人々は手遅れになるまで信じず、ノアが箱舟に入るまで信じませんでした。終わりの時代はそのようになります。福音へのさらなる無関心を私たちは見るようになり、その無関心はこうなります…
『ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、』(マタイ 22 章 5 節)
人々が神のことばから逸れてしまうと、彼らはそれぞれの道へ行くようになります。聖書的な福音を宣べ伝える代わりに、“求道者を傷付けない(seeker sensitive)”福音を好むようになります。聖書的な宣教の考えを持つ代わりに、心理学やマーケティングの方法に走るようになります。
ここで理解してほしいのが、ユダヤ人にとってこれがどのような意味を持っていたかです。
『私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。』(イザヤ 53 章 6 節)
先のマタイの箇所はイザヤ 53 章 6 節からそのまま取られたものでしょう(日本語訳では微妙に違って訳されています)。人々はおのおの、自分かってな道に向かって行きます。人々は純粋に“主観的な”――“自分にとって都合の良い”それぞれの宗教の考えを作りだし、
発展させていきます。
ある名ばかりのバイブルスタディー・グループでは、みことばが説き明かされる代わりにある箇所を読み、それについて話し合います。「私にとってこれはこのような意味だ。このように私の心に語りかけられた」。誰かの心に語りかけることはあるでしょうが、最初にする必要があることは客観的な意味をはっきりさせることです。「神からに違いない。私は祝福を感じます!」とある人たちは言います。
私はカナダのトロントで人々が床に転がりながら動物の真似をし、「自分を押さえられない!神さまからのものに違いない、押さえようがないんだ!」と言っている光景を見ました。ですが、御霊の実は自制(1 コリント 9 章 25 節、ガラテヤ 5 章 22 節-23 節)――ギリシア語での“エンクラテイア(egkrateia)”とあります(これは聖書で二度言われています)。彼らが自分でコントロール出来なかったという事実に基づいて考えると、神さまからのものではあり得ないことが分かります。人が自分を制御していないなら、神はその人を制御していません。御霊の実は自制であり、自制が欠けていることではありません。そのような人たちはおかしくなっています!しかし、彼らは自分かってな道に行ってしまったのです。彼らは自分なりに何が霊的であって、神に受け入れられるものかを決めてしまいました。彼らは自分たちの宗教を作ったのです。
金銭目的の説教者はこのようなことを行うのに長けています。新約聖書はほんのわずかしかお金について語らず、語られているとすればその大半がお金への警告です。その説教者たちは他の何事よりもお金について語ります。彼らも自分かってな道へ行ってしまったのです。
一時的な関心を持つこと
第三に
『ある者は畑に、』(マタイ 22 章 5 節)
農耕は神が定められた最初の生活手段です。農業よりも自然な仕事があるでしょうか。人は本来顔に汗を流して働くべきものではありませんでしたが、働くことは定められていました。神はアダムを園に置き、世話をするようにされました。これを考えてみてください。この世で最も卓越した二つの職業、大抵給料が高く、大学院生にとって最も就くのが難しい仕事が法律と医療関係です。この二つが一番給料が高く、一番名誉があり、一番就くのに難しい職業です。しかしこの二つの職業が存在するのは人の堕落の直接的な結果のためなのです。人が罪を犯さなければ私たちには法律家はいらないし、医者の必要もなかった
のです。また歯医者や、葬儀屋、看守、警察などの多くのものが不必要でした。一方、罪
を犯さなかったとしても、農家は必要だったことでしょう。
農業には何も悪いところはありません。しかしながら、ペテロはノアの時代を用いて救われていない人たちがどうなるか、イエスはオリーブ山の訓戒の中でクリスチャンたちがどうなるかを説明しました。彼らは『人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました』(マタイ 24 章 37 節-39 節)。
飲むことや食べること、まためとることやとつぐこと自体に何も悪い点はありません。問題なのは、人々が一時的な関心に夢中になるということなのです。
米カリフォルニアにある「パーパス・ドリブン」の教会がありました。そこでの説教が―
―私は紛れもない真実を話しているのですが――「ガレージをどうやって掃除するか」でした。それが説教だったのです。
フロリダにいる母を訪ねる時、母がユダヤ人の高齢者居住地区にいたので私はある大きな
“求道者向けの”教会へ何度も行きました。私はその教会にはもう長い間行っていません。クリスマスの時期に母を訪ねていたとき、私はキリスト教系のラジオ局をつけました。そこではJ・ヴェルノン・マクギーやエイドリアン・ロジャースのなつかしい説教や、あるものはクリスマスキャロルで、とても素晴らしいものでした。その後にこのメガチャーチの牧師が登場したのです。彼のクリスマスの説教は「クリスマスツリーを飾る時にどうやってイライラしないか」でした。これが福音派の教会なのです!
終わりの日には大きな危険が潜んでいます――人々が一時的なものだけに注目するようになるのです。それ自体では間違っていないもの、またそれ自体では正しいもの――確実に自然なもの――が人々の注目するものとなります。聖書的に私たちが行うすべてのこと―
―結婚、キャリア、職業、ビジネス――これらすべてのことはキリストにあって私たちの神との永遠の関係に照らし合わせて、評価し、定義されるべきものです。私たちがなすすべてのことは、永遠にどう影響を及ぼすかという観点において考えられなくてはなりません。私たちが一時的なもの、結婚やキャリア、ビジネス、家族などを永遠の観点から見ているなら、それは良いものとなるでしょう。しかし私たちの注目が良いものであるが一時的なもの――自然なもの――に向かってしまうとそれは障害となるのです。
『ある者は畑に、』しかしその次には
『別の者は商売に出て行き、』(マタイ 22 章 5 節)
私たちが第二テモテ 3 章で言われているのは、終わりの日には困難な時代がやって来て、人は自分を愛する者となり――またこれは心理学――金を愛する者となるということです
(2 テモテ 3 章 1 節-2 節)。そしてこれはこの世だけではありません。それはマモン(富の神)を崇拝し、繁栄だけを宣べ伝えている説教者たちが神の民を堕落させていることなのです。彼らは実際、貪欲の罪を“信仰”と呼んでいます。彼らはマモン崇拝を行いながら、それを“キリスト教”と呼んでしまっています。彼らは“信仰”への信仰を教え、それをイエス・キリストにある信仰のように見せかけています。これが現代の教会の状況なら、この世から何を期待することができるでしょうか?
無関心が迫害に変わる
そして 6 節には
『そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。』(マタイ 22 章 6 節)
彼らの態度は無関心で始まったかもしれませんが、それは迫害へと変わりました。
そうです、カリフォルニアの学校はイスラムを教え、それを「文化の啓もう」と呼びながら、キリスト教を教えることを違法としているのです。合衆国最高裁判所判事であったサンドラ・デイ・オコナーはアラバマの裁判所から十戒を取り除く決定を下しました。70 パーセントの人が十戒があることを望んでいたにも関わらずレーガン時代の共和党主義者だったその人は「取り除け」と言ったのです。この国(アメリカ)の大半の人が世界の始まりに関してインテリジェント・デザイン(知性による設計)を信じているにも関わらず、ペンシルバニアでジョージ・ブッシュ大統領に任命されたまた別の共和党系判事は、誰もインテリジェント・デザインを教えてはならないと最近言いました。
私は民主党主義でも共和党主義でもありません。私はどちらが選ばれてもそのために祈りますが、私にとって彼らはソロモンの王座の後継者たちのようなものです。ヤロブアムとレハブアム。どちらの“ブアム”がお望みでしょうか?(ブアムという言葉が英語では“bum”
=怠け者と同じように聞こえます)私はどちらが選挙で選ばれるかに関心はありません。彼らは役に立ちません。それが共和党員であっても、民主党員であっても当てにはなりません。私は彼らのために祈ります。私は役に立たない人たちのために祈りますが、彼らが役に立つだなんてことは言わないでください。国家はそれにふさわしい指導者を選びます。私たちが社会全体として神に背を向けたために、不道徳な指導者たちを招くのです。
しかし、これらのことに反対して立ち上がる者は迫害を受けます。私たちが同性愛に反対
して語るなら、“差別発言”というレッテルを貼られるでしょう。離婚に反対して語ってもそれは“差別発言”となるのです。政治家たちは次第に法的に迫害をし始めます。スウェーデンやカナダ、イギリスではすでにそれが起きており――彼らはそれをここでもしようとします。
政治家たちのために祈ってください。しかし彼らに信頼してはいけません。建国の父たちの信じていたようなことは忘れてください。それは過去の歴史です。今日の政治家の神はお金です。イエスが言われるには、迫害は「わたしの名のためにすべての国の人々に憎まれる」(マタイ 24 章 9 節)ということです。
ロージー・オドネル(アメリカの有名なコメディアン)はキリスト教根本主義者がイスラム教根本主義者と変わらないくらい危険だと言いました。私は彼女を中東に連れて行って、現状を見せてあげたいと思います。一度私は目の前で 17 人が粉々に吹き飛ばされる光景を見ました。彼女を中東に連れて行ったら私はこう言うでしょう。「バスに乗ってみなさい。バスに乗るのと、バプテスト派の教会に行くのとどちらが安全なんだい、ロージー?」しかし人々は彼女のほうに耳を傾けるでしょう。人々は聖書に耳を傾けません。
王が怒る
迫害はやって来ます。しかし迫害が来たときに何が起こるのでしょうか。7 節にはどう書いてあるでしょう
『王は怒って…』(マタイ 22 章 7 節)
王はただ「不機嫌になった」とか、「動揺した」とは書かれてあらず、王が「怒った」と書かれています。生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。神は怒っています。
以前にも話したと思いますが、アブラハムには二種類の子孫がいます。人類学的な子孫と、神学的な子孫です。それは誕生による子孫と、第二の誕生による子孫です。
『あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。』(創世記 12 章 3 節 a)
驚くべきことです。ユダヤ人または真実の教会を迫害したどんな文明も神の怒りの下に置かれてきました。
私はインドネシアで聖書を教えています。インドネシアではここ数年で3千もの教会がイ
スラム教徒により焼き打ちに遭いました。東ティモールでは、イスラム教徒は少なくとも
12 万人のクリスチャンを殺しました。誰も気にしません。大半の人がその事実さえも知りません。しかしインドネシアでも最悪な場所が“シャリーア”――イスラム法――が強制されている“バンダ・アチェ”と呼ばれる場所です。
私はバンダ・アチェで講演をし、インドネシアの神学校で話をし、そこで若いインドネシア人伝道者たちや講演者たちを奉仕のために訓練しています。彼らはイスラム教徒の村々に行き、そこで新しい教会を建て、福音を宣べ伝え、迫害と殉教の可能性を知りながらそれに直面しています。彼らはまだ 18 歳や 19 歳、20 歳などです。彼らの態度は、当然ながら「イエスは私のために死んでくれた。イエスのために死ねるのなら光栄だ」というものです。彼らはアメリカのお金儲けの説教者たちのようではありません。「苦しまなくていい。あなたは王の子どもだから!口に出して、つかみ取りなさい!」インドネシアにいるその人たちはクリスチャン、本当のクリスチャンです。
アメリカでも“本当の”クリスチャンがいることを私は認めます。テネシーでも“本当の”クリスチャンがいます。しかし真実のキリスト教に会える唯一の場所は教会が迫害されている場所だけです。テネシーでも、イングランドでも、オーストラリアでも本当のクリスチャンを紹介することができます。しかし本当のキリスト教を見たいなら、私と共にインドネシアに来てください。ケニアに来てください。そこで本当のキリスト教を見ることができます。そこには大きな違いがあるのです。
バンダ・アチェではイスラム教徒たちはクリスチャンをひどく迫害します。ですが CNN は気にしません。ABC も気にかけません。BBC ならそれを称賛するかもしれません。誰も気にかけていないのです。
「どうぞムハマド、クリスチャンたちを好きなだけ迫害してもいいですよ」ですがそういう人たちは水泳を真剣に習ったほうがいいでしょう。
津波の被害者にもたらされた 90 パーセント以上の支援がキリスト教国から来ました。石油
から来る収益が前年の 2 倍であったにも関わらずサウジアラビア人と湾岸アラブ人たちは
つまらないものしか与えませんでした。しかし 90 パーセント、それ以上の支援がキリスト
教国から来たにも関わらず、実際被害者の 95 パーセントがイスラム教徒でした。それはパキスタンで起こった地震と同じように、神の裁きです。
多くの教会や教派にいる人たちは、プロテスタントの改革者たちが福音を再発見したと間
違って考えてしまっています。ルター、カルヴァン、ツヴィングリなどです。これは真実
ではありません。そこには昔から真理を一度も失ったことのない人々がいたのです。イングランドではそれは“ロラード派”と呼ばれるジョン・ウィクリフの信奉者たちでした。中央ヨーロッパでは“ボヘミア兄弟団”と呼ばれるヤン・フスの信奉者たち。ヨーロッパ西部では“ワルドー派”と呼ばれる者たちでした。そういう人たちはいつでも存在したのです。新生したクリスチャンが絶えてしまったときはかつて一度もありません。それはただ神聖ローマ帝国の時代(神聖でもローマでもありませんが)、教皇がいつも福音の拡大を防ぐ手段を持っていただけのことです。真実の信者たちは激しく迫害されました。ヨーロッパの 40 パーセントの人口が滅ぼされるのをあなたは想像できるでしょうか?それが実際に起こりました。クリスチャンとユダヤ人に対する大虐殺が行われた後、ヨーロッパ人口の 40 パーセントが滅ぼされました。40 パーセントのカトリック系ヨーロッパ人が一夜のうちに滅ぼされたのです。中世には“腺ペスト”と呼ばれるもの、“黒死病”が流行りました。王は怒っていたのです!
ご自分の兵隊を出す
しかし主が本当に怒るとき、誰かがご自分の民を迫害するとき、彼はご自分の兵隊を出します。神はいつも彼らより悪い者たちを用います。イスラエルは神がペリシテ人やアッシリア人、バビロン人、ローマ人などを使うなんてことは信じられませんでした。しかし神はそうしました。神は彼らより悪い者たちを用います。そしてその者たちを裁きの道具として用いた後、彼らを除き去ってしまいます。
現代の神の裁きの兵隊は誰なのでしょう?聖書で世界情勢の中心にいた国々が、現在の世界情勢の中心にいるのは偶然ではありません。イスラムは背教したアメリカ、イギリス、ヨーロッパへの神の裁きです。イスラムは自分の民イスラエルへの神の裁きです。それは神の裁きなのです。その脅威にも関わらず、私たちの政治家、大統領は国境を守りません。これは神の裁きです。同時多発テロから1年経っても大統領は――私はこれを政治的に言っているのではなく、ただ事実として伝えているのですが――サウジアラビア人入国のためのビザ・エクスプレス・プログラム(Visa Express 身分証明無しでの入国制度)を継続していました。彼らは1年だけでも、この国(アメリカ)に入り住むために1万のビザをサウジアラビア人に提供していました。これは侵略です。フランスのパリは燃やされました。イングランドのブラッドフォードも燃やされました。ロンドンは爆破されました。私の故郷のニューヨークも爆破されました。スペインのマドリッドも爆破されました。
『王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。』
(マタイ 22 章 7 節)
そうです、殺人です。同時多発テロでは3千人が殺され、私の妹の夫もそのひとりでした。
3千人です。毎年アメリカで中絶されている赤ん坊の数はこれと同じでしょうか?違います。これは日毎にアメリカで中絶されている赤ん坊の数と同じです。殺人です。4千万人ですって?“ロー対ウェイド事件”から4千万人ですって?私たちの国は殺人者の国です
(現在は5千万人です)。王は怒っています!私たちは彼の裁きの下にいるのです。
ですが心配しないでください。『倒れた。バビロンは倒れた』(イザヤ 21 章 9 節、エレミヤ
51 章 8 節、黙示録 14 章 8 節、18 章 2 節)と書かれています。バビロンがその目的を果たすと、神は彼らを除き去ってしまいます。彼はアッシリア人を除き去り、彼らすべてを滅ぼしました。イスラムの最期は定められています。イザヤや他の箇所にはアラブ・イスラム系の首都に対する未だ成就していない大規模な破壊の預言があります。ダマスカスはイエスが来られる前か、彼が来られるとき破壊されるはずです。それはケダル(サウジアラビア)やアモン(ヨルダン)も同じです――これらの預言は未だ一度も成就していません。
そしてそのヘブライ語はただの“破壊”ではなく、“全滅させる”というものです。それはソドムとゴモラに起こった事に対して使われたのと同じ言葉です。これらのアラブの首都は地球の面から消え去ります。神は彼らを滅ぼされます。神はアラブ世界、イスラム世界に戦争を仕掛けられ、ご自分を裏切ったユダヤ・キリスト教世界に裁きと矯正の道具として用いた後、それらの国を滅ぼされます。
それが第一世紀に起こったことであり、それが最後の世紀にも起こることです。そしてそれが今現在起こっていることなのです!
祝宴での“不正装”
次に何が起こったでしょうか。
『それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。』
再び言います。これは救いの衣を着ていないことであり、子羊の祝宴にきちんと正装をしていないということです
『そこで、王は言った。『{友よ。}あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入っ
て来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。』(マタイ 22 章 10 節-12 節)
福音を退けた不信者が主の前に立つと、彼らは黙ります。無神論者は黙ります。彼らに言うことは無いのです。王に口答えすることは何もできません。
ユダヤ教でヤハウェは王です。ヘブライ語の祈祷は典礼による序文で始まります。「バルーク アター アドナイ、エロヘイヌ メレク ハオラム(Baruch Atah Adonai, Eloheinu Melech ha’olam)」――主なる神、宇宙の王に栄えあれ。ヤハウェは王なのです。
彼らは何も言うことが無くなり、黙り込みます!ダーウィン主義者も黙ります!ゲイやレズビアンの活動家たちも黙ります!中絶主義者たちも黙ります!NOW(アメリカ最大のフェミニスト団体)も黙ります!彼らは口をつぐみます!それはリベラルの神学者たちも同じです。今大きな口を聞いている者たちはどうなるのでしょう?黙り込みます!私たちも全員も次の三つの言葉を除いては口をつぐむようになります。「サンキュー・ジーザス
(Thank you Jesus)」私の場合は「トダー・イェシュア」の二言です。
『そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。』(マタイ 22 章 13 節)
ここ 10 年、12 年のうちに大きく広がったのが“霊魂消滅説(Annihilationism)”です。イギリスではこの教えは国教会の神政主義者であるジョン・ストットによって推進されました。「地獄は永遠で感じることのできるものではなく、ただ霊魂が消滅するだけだ」というものです。救われた――救われているはずのクリスチャンでもこれを教えている人がいます。彼らの苦しみの煙が永遠にまでも立ち上ると書いてあるギリシア語は興味深いものです(黙示録 14 章 11 節)。それは「アナバイネイ エイス アイオーナス アイオノーン
(anabainei eis aionas aionon)」といいます。これは単にヘブライ語の「とこしえからとこしえまで」をギリシア語的に訳したものです。彼らの苦しみは立ち上った、「アナバイネイ エイス アイオーナス アイオノーン」。この同じ言葉がイエスの永遠の大祭司職を表す際にも使われており、神の永遠の栄光に対して、また私たちの救いに対しても使われています。言い換えると、もし地獄が永遠で意識のあるものでなかったなら、天国が永遠で意識のあるものであることをどうやって分かるのでしょうかということです。これは同じ言葉です。ジョン・ストットは著書の中でこの問題を扱っていません。
地獄以上の“地獄”
ここで言われていることを見てみましょう
『そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこ
で泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」』(マタイ 22 章 13 節-14 節)
地獄以上の地獄があるとはどのような意味なのでしょうか。それは次のことです。聖書自体が地獄以上の地獄があると語っています。
それはただの“火の燃える池”ではなく、ただの“外の暗やみ”、そこで泣き歯ぎしりするだけの所ではありません。またただ“苦しみの煙”が永遠に立ち上るだけではありません。地獄はそれ以上のものです。この人は実際に披露宴に入り、それをその目で見、主を見ました。地獄はただの地獄だけではありません。それは天国に入れないことを意識するものとなります。その人たちは自分たちの得ることのできたもの、得るはずだったものを見ます。彼らは自分たちがあるべきだった姿、なることのできた姿を知ります。悔い改め、イエスを受け入れた者たちが持つことのできるものを彼らは知ります。どのようにかしてこの男は中に入ったのです!彼らは意識的に知るようになります。彼らが持っているものと逃してしまったものを。地獄には地獄以上のものがあります。
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」
A Prophet Like Moses - Japanese
モーセのような預言者
ジェイコブ・プラッシュ
モーセのような預言者
申命記 18 章 18 節はメシアについてであるとタルムードは言っています。
『わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。』
私たちはこの箇所がイエスに関してであると知っています。彼がモーセのような預言者なのです。
外国の圧政の下で生まれる
『さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に言った。
「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取 り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼 らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。』
(出エジプト 1 章 8 節-11 節)
モーセは外国の圧政の下で生まれました。
『そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。』(ルカ
2 章 1 節-2 節)
イエスは外国の圧政の下で生まれました。
邪悪な王によって脅される
『また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフ
ラ、もうひとりの名はプアであった。彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」』(出エジプト 1 章 15 節-16 節)
邪悪な王はモーセとヘブル人の男の子が殺されるように命令しました。
『その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。』(マタイ 2
章 16 節)
邪悪な王はイエスとユダヤ人の男の子が殺されるように命令しました。
両親の信仰
『女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。』(出エジプト 2 章 2 節)
『信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。』(ヘブル 11 章 23 節)
モーセの命は彼の両親の信仰によって救われ、保たれました。
『彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、』(マタイ
2 章 13 節-14 節)
イエスの命は彼の両親の信仰によって救われ、保たれました。
エジプトで守られる
『その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その
子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中か
ら、私がこの子を引き出したのです。」と言ったからである。』(出エジプト 2 章 10
節)
モーセはエジプトでひと時の間、保護を受けました。
『そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプト から、 わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。』(マタ イ 2 章 14 節-15 節)
イエスはエジプトでひと時の間、保護を受けました。
彼の知恵を上回る者はいない
『そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。」主はこれを聞かれた。さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。』(民数記 12 章 1 節-3 節)
モーセの持っていた知恵のために争おうとした者たちがいました。
『そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。』(ルカ 2 章 46 節-47 節)
その幼少時代から、イエスはその素晴らしい知恵と理解を示し、他の者たちは彼と競おうとしましたが、出来ませんでした。
ユダヤ人によって拒絶される
『民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」』(出エジプト 32 章 1 節)
モーセはイスラエルの民によって、ひと時の間退けられました。
『しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」』(マタイ 27 章 21 節-22 節)
彼の地上での生涯が終わりに近づくにつれて、イエスはユダヤ人に、『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。』(マタイ 23 章 39 節)と言いました。
『兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義と は、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであ り、』(ローマ 11 章 25 節)
イエスはイスラエルの民によって、ひと時の間退けられました。
異邦人に受け入れられる
『次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに「なぜ自分の仲間を打つのか。」と言った。するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか。」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。…モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。』(出エジプト 2 章 13 節-15 節・21 節)
モーセはユダヤ人に退けられましたが、異邦人に受け入れられました。
『そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。』(ローマ 11 章 20 節)
『わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者た
ちに、見つけられた。…それゆえ、神である主はこう仰せられる。「見よ。わたし のしもべたちは食べる。しかし、あなたがたは飢える。見よ。わたしのしもべたち は飲む。しかし、あなたがたは渇く。見よ。わたしのしもべたちは喜ぶ。しかし、 あなたがたは恥を見る。見よ。わたしのしもべたちは心の楽しみによって喜び歌う。しかし、あなたがたは心の痛みによって叫び、たましいの傷によって泣きわめく。 あなたがたは自分の名を、わたしの選んだ者たちののろいとして残す。それで神で ある主は、あなたがたを殺される。ご自分のしもべたちを、ほかの名で呼ばれるよ うにされる。』(イザヤ 65 章 1 節・13 節-15 節)
イエスはユダヤ人に退けられましたが、異邦人に受け入れられました。
家族から非難を受ける
『そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。』(民数記 12 章 1 節)
モーセは黒人のアフリカ人の女をめとっていました。
『イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。
「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。』(マルコ 3 章 20 節-21 節)
モーセは異邦人の妻をめとったために、自分の家族から非難されました。イエスはその予型や象徴において、主に異邦人である教会をめとったので、ユダヤ人たちは彼を非難します。ルツ記はペンテコステの日にシナゴーグで朗読されています。ユダヤ人が異邦人の妻をめとり、その子どもはベツレヘムで生まれ“買戻す者(贖い主)”と呼ばれたという話です。
罪を負うことを受け入れる
『そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を 犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もし、彼らの 罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」』(出 エジプト 32 章 31 節-32 節)
モーセは民の罪が赦されるよう神に祈り、その罪の結果と咎とを彼自身が負うことを受け
入れました。
『あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』(1ペテロ 2 章 21 節
-24 節)
イエスは民の罪が赦されるよう神に祈り、その罪の結果と咎とを彼自身が負うことを受け入れました。
四十日四十夜断食をする
『モーセはそこに、四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、彼は石の板に契約のことば、十のことばを書きしるした。』(出エジプト 34 章 28 節)
モーセは神の民に契約をもたらすために、四十日四十夜断食しました。
『そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。』(マタイ 4 章 2 節)イエスは神の民に契約をもたらすために、四十日四十夜断食しました。
神と顔と顔を合わせる
『モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。』(申命記 34 章 10 節)
モーセは神と顔と顔を合わせるような関係にありました。
『いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神
を説き明かされたのである。』(ヨハネ 1 章 18 節)
イエスは神と顔と顔を合わせるような関係にありました。
顔が輝いた
『モーセが主の前にはいって行って主と話すときには、いつも、外に出るときまで、おおいをはずしていた。そして出て来ると、命じられたことをイスラエル人に告げ た。イスラエル人はモーセの顔を見た。まことに、モーセの顔のはだは光を放った。モーセは、主と話すためにはいって行くまで、自分の顔におおいを掛けていた。』
(出エジプト 34 章 34 節-35 節)
モーセが神と顔と顔を合わせて会った時、彼は超自然的に光を放ちました。
『そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。』(マタイ 17 章 2 節)
イエスはモーセのように超自然的に光を放ちました。
声が聞こえる
出エジプト記で神は天から直接モーセに話しかけられ、声が聞えたとあります。
『すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。父よ。御名の栄光を現わしてください。」そのとき、天から声が聞こえた。
「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」』(ヨハネ 12
章 23 節-28 節)
神は天から直接イエスに語りかけられました。
墓が御使いによって守られる
ユダの手紙の 9 節の中で、御使いがモーセの墓を守っていたとあります。
『すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわ きへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、
その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上
がり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。』(マタイ 28 章 2 節-6 節)
イエスの墓をひとりの御使いが守っていました。
神の御名を明らかにする
『モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」』(出エジプト 3 章 13 節-14 節)
モーセは神の御名を神の民に明らかにしました。
『わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。…わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。』(ヨハネ 17 章 6 節・11 節-12節)
イエスは神の御名を神の民に明らかにしました。
民を養う
『その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンで
す。』(出エジプト 16 章 14 節-15 節)
モーセは超自然的に、多くの神の民を養いました。
『そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、 弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余り を取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。』(マタイ 14 章 19 節-20 節)
イエスは超自然的に、多くの神の民を養いました。
しるしと不思議を行う
『モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。それは主が彼をエジプトの地に遣わし、パロとそのすべての家臣たち、およびその全土に対して、あらゆるしるしと不思議を行なわせるためであり、また、モーセが、イスラエルのすべての人々の目の前で、力強い権威と、恐るべき威力とをことごとくふるうためであった。』(申命記 34 章 10 節
-12 節)
モーセは彼以前の誰もしたことのないような、奇跡やしるし、不思議を行いました。
『しかし、わたしにはヨハネの証言よりもすぐれた証言があります。父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行なっているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。』(ヨハネ 5 章 36 節)
主イエスは誰もしたことのないようなわざやしるし、不思議、奇跡を行いました。
血で契約を結ぶ
『そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の 仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、 主があなたがたと結ばれる契約の血である。」』(出エジプト 24 章 7 節-8 節)
モーセは山へ上り、血で契約を結び、神の民を血で覆いました。
『また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。』(マタイ 26 章 26 節-28 節)
『しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』
(ヘブル 9 章 11 節-12 節)
主イエスは山へ上り、血で契約を結び、神の民を血で覆いました。
旧約聖書には、エリヤやイザヤ、エレミヤ、サムエル、ダビデのような偉大な者が数多くいました。
しかし、モーセのような預言者はひとり主イエス・キリストであり、イスラエルの真実のメシアです。
The Road to Emmaus - Japanese
エマオへの道
ジェイコブ・プラッシュ
ユダヤのカレンダーでは、今の時期、私たちは“ハグ・ハマヅォット(Hag Ha’Mazot)”と“ハグ・シャブオート(Hag Shavu’ot)”との間にいます。それは過越の祭りと週の祭り、つまり、イエスのよみがえりからペンテコステの日にかけての時期です。この時期にこそ、よみがえられたイエスは弟子たちに現れ始めました。園でのよみがえりを始まりとし、エルサレムで壁を通り抜け、ガリラヤ湖の岸辺で彼は現れました。そして有名なエマオへの道での顕現があります。それをここで見ていきたいと思います。
イエスに起こったことは、私たちにも起こる
ヘブライ人預言者ホセア――“ホシェア・ハナヴィー”――を見てみましょう。
『「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを 打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三 日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のよ うに、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」』(ホセア 6 章 1 節
-3 節)
この三節はイエスに関する預言ですが、ホセアは何らかの形で私たちにも同様に当てはまると語っています。
「主に立ち返ろう」この“立ち返る”という言葉は“テシュバー(teshuvah)”といい、ヘブライ語の“悔い改め”という単語で、神に立ち戻ることを意味します。私たちは自分たちが新生した時の悔い改めのことを考えますが、正しい教理を持ち、良い行いを持っているエペソの集会に対してイエスさまは最初の愛に戻るよう言われました(黙示録 2 章 4 節
-5 節)。
『…主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。』(6 章 1 節)
とあります。イエスに起こったことは打たれることでした。同じ概念がイザヤで使われて
います。(イザヤ 53 章 5 節)――ヘブライ語で“パガ(paga)”という言葉は切り込みを入れることを意味します。この“パガ”という言葉――“打たれた”“切り込みを入れる”――はヘブライ語の“仲裁する”という言葉、“誰かの代わりに打たれること”を意味する言葉の語源です。傷があっても、主が癒しをもたらします。十字架上でイエスは私たちの代わりに打たれ、もちろん復活において言うなれば癒されました。そして主が私たちを打たれるときも、私たちを包んでくださいます。
『主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。』(6 章 2 節)
イエスに起こったことは私たちにも起こります。この箇所はただイエスが三日目によみがえると言っているだけでなく、私たちが三日目に立ち上がると言っています。イエスの死は私たちの死です。それゆえ、イエスの復活は私たちの復活なのです。復活を多くの実を結ぶものだと考えてください。
私たちは“携挙”や復活を待っているのではありません。携挙と復活はすでに進行中です。私たちはその中での自分の役割を待っているのです。復活は初穂の祭りにおいて始まりました――イエスは復活の初穂と呼ばれています(1コリント 15 章 20 節)。彼の死が私たちの死であるために、彼の復活は私たちの復活なのです。復活はすでに始まっており、私たちは単にその中での自分の役割を待っているだけなのです。キリストの昇天のように携挙はすでに始まっています。私たちはその中での自分の役割を待っています。このためにヘブル人への手紙 1 章は『この終わりの時には』という文脈をもって語っているのです(ヘ
ブル 1 章 2 節)。それは私たちがすでに終わりの時にいるからです。携挙と復活はすでに始まっています。
これを説明するのに最も分かりやすいのは、“ノルマンディー上陸作戦(第二次世界大戦時の連合軍のドイツ侵攻作戦)”であり、1944 年 6 月の“D-デイ”と呼ばれるものです。表向きには“D-デイ”は 1944 年の 6 月 6 日です。ですが、それは実際に 6 月 5 日、アメリカとイギリスの特殊部隊がパラシュートでドイツ戦線の後方に降下し、伝達手段を断ち切っていたときに始まっていました。この行動は極秘事項で、実際に起こったことは当時知られていなかったのです。ノルマンディー上陸作戦が 6 月 5 日に始まっていても、ただ限られた人しか侵攻作戦だと知りませんでした。次の“D-デイ”になって初めて、浜辺に陸軍と海軍が上陸してから、すべての人は何が起きているのかを知りました。
これは終わりの時に関しても同じことです。終わりの時はすでに始まっていますが、ただそれに“加入した者”だけが知っています。唯一私たちだけが知っています。それはイエ
スの復活と昇天をもって始まりました――この世はそれを分かっていません。私たちはま るで、ドイツ戦線の背後にパラシュートで降下して、大きな侵攻作戦のために準備してい たイギリス人やアメリカ人のようなものです。私たちがここにいるのは、ただ来るべき時、イエスの再臨の先導役をするためなのです。イエスは確かに戻られ、その“侵攻”も実際 に到来しようとしています。この“侵攻”はすでに進行中です。私たちはただすべての人 にそれが明らかになるのを待っていますが、今もすでに起こっていることを知っています。
イエスの死は私たちの死であり、イエスの復活は私たちの復活です。続けて見てみましょう。
『私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、…』(6 章 3 節)
四福音書すべてが語っているように、イエスは週の最初の日、ヘブライ人の初穂の祭り――
“ハグ・ハマヅォット”のまだうす暗い夜明けによみがえりました。そしてペンテコステの日の預言にあるように、
『大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。』(6 章 3 節)
雨が降り注ぐと地下水が形成され、そこから湧き出す“マイム・ハイーム”―― “生ける水”は聖霊の隠喩です。
『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節)
降り注がれる雨は聖霊の象徴です。それはイエスさまが聖霊と言われたヨハネ4 章、また7
章の生ける水を形作ります。このようにして読むとホセア 6 章 1 節には、まず打たれるとありますが、同様に復活もあります。その後、復活の後に聖霊が与えられることが書かれています。イエスに起こったことは私たちにも起こります。イエスの死は私たちの死、イエスのいのちは私たちのいのちであり、イエスの御霊の力は私たちのうちに現わされるものです。
バラバの集団共有
“集団共有(corporate solidarity)”と呼ばれる神学用語があります。“集団共有”とは大きな集団をひとりの人が代表するもので、その中でひとりの男性や女性が、ひとつのより
大きな集団の象徴となっています。受難物語、イエスの死と復活の箇所では多くの重要な
“集団共有”――私たちの象徴である人たちが登場します。最も重要な者のひとりが、アラム語で“バル・アバス(Bar Abbas)”――“父の子”と呼ばれる者です。私たちはルカの福音書で彼がピラトに引き出されたときに集団共有を見出します。
『しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」』(ルカ 23 章 18 節)
「バラバを釈放しろ!」ピラトはイエスを釈放することを望んでおり、この問題をヘロデに任せようとしていました。ヘロデは、イエスが見世物になっている限りは彼を放免することを良しとしていました。奇跡を行いさえすればヘロデは放免することに心を決めていたのです(ルカ 23 章 8 節)。ここで注目してほしいのはイエスが十字架に行かないためにすればいい事はただ、“ベニー”や“ケニー”のしていることを行うことでした。イエスが十字架を逃れるためにできたことは、しるしと不思議でいっぱいの奇妙な宗教のショーを行うことだったのです。
主イエスはしるしや不思議―― ヘブライ語で“セメイオン・ミプラオット( semeion
mipla’ot)”と呼ばれるもの――癒しや奇跡が、ご自分のメッセージや奉仕の中心になることを一度も許されませんでした。イエスの奉仕はそのようなものについてではありませんでした。これらのしるしは伴うものです。しるしや不思議は人が救われるための鍵だと主張する人たちがいます。これがジョン・ウィンバーの論拠です。ですが実際にはヨハネ 10 章には正反対のことが語られています。『…どのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか』(ヨハネ 10 章 32 節)
『信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによる』(ローマ
10 章 17 節)とあるように、信仰はショーを見ることによるのではありません。反キリスト
とにせ預言者は見世物を行い、国々を欺こうとします(黙示録 16 章 13 節-14 節)。彼らはユダヤ人を欺こうとし、背教した教会を欺こうとします。(実際、この人たちはすでに欺かれているのであって、より大きな欺きを待っているにすぎません)
ヘロデがイエスを送り返したので、ピラトはこう考えました、「さて、私はこの男をどうやって釈放しよう――彼は無実だ――そうだ、あのテロリストを使おう!」
バラバは、新約聖書で“熱心党員”と呼ばれている者たちのひとりでした。ヨセフスは熱心党員たちについて広範にわたって記し、彼らが“シキーム(シキム人)”であると告げていました。彼らは基本的に殺人やテロ行為を覆い隠すものとして宗教を用いていた者たち
で、現代のアルカイダ(イスラム系武装組織)や IRA(アイルランド共和国軍)などに非常に似ており、言葉にも出来ないほどの犯罪行為を行うために、宗教を傘や宣伝道具――外側の覆い――とする者たちでした。シキム人は自分の民を餌食にしました。ヨセフスはローマ人がユダヤ人に行ったことよりも、シキム人が同胞に行ったことのほうがいかに残酷であったかを書き記しました。バラバが属していたこの“シキーム”はローマ人が行ったことよりも、はるかに悪いことを行いました。
ここで出てくるのがその“バラバ(Bar Abbas)”です。この名前はヘブライ語ではなく、アラム語で文字通りには「父の子」という意味です。「誰を釈放しようか。バル・アバスかラビ・イェシュア・バル・ヨセフか?このテロリスト、殺人犯、犯罪者、この略奪者を釈放してほしいのか、それともガラリヤ出身で愛、平安、赦しを説いたこのラビ、少女を死者からよみがえらせ、盲目の者を見えるようにし、耳の聞こえない者の耳を開き、足なえの者を歩かせた――この愛の人をか?どちらにするのか。バラバかラビ・イェシュアか?」
そして「ホサナ!」と数日前には歌っていたその同じ群衆が、今度は「十字架にかけろ!バラバを渡せ!」と叫んでいました。
勝利の入城の際、イエスが見世物になっている限り、民衆は彼の側についていました。しかし、彼らの条件に合わなくなり、ほしいものが得られないと民衆は興味を失いました。
「十字架にかけろ!バラバだ!」すべてではなくとも多くの者たちが宗教機関によって煽り立てられていました。サンヘドリン(議会)は人々に「バル・アバスを渡せ!父の子を渡せ!」と言うように煽っていたのです。
私たちはみなバル・アバス
人が新生し、罪を悔い改め、イエスを受け入れると新しい名前が与えられます。その名前とは“バル・アバス”です。私たちひとりひとりが御父の子となったからです。「バラバを渡せ!」イエスさまが私たちの罪ゆえに御父からのろわれたため、私たちが御父の子となりました。「バラバを渡せ!」いつも現実はこのようなものです。
「東ニューヨーク出身のコカイン密売人、ジェイコブ・プラッシュを引き渡しなさい」「では死者をよみがえらせ、病人を癒し、足なえを歩かせ、愛と平安と真理を教え、少女に命を与えたこのラビをどうしますか?殺してしまいなさい!ジェイコブ・プラッシュを渡して、その人を殺しなさい!」無罪であるのに私の代わりとなってイエスさまが裁判にかけられたので、私が“バル・アバス”となりました。私は実際、イエスに向かって偽って訴
えられていたことについて――扇動の罪、私が犯した反抗の罪、冒瀆の罪、他の人を騙した罪、これらのこと、イエスさまが裁判にかけられていた罪状すべてに関して私は有罪でした。
私のことを“ジェイコブ”と呼ぶのは構いませんが、ただ分かってほしいのが本当の名前は――そしてあなたの本当の名前は――“バル・アバス”、バラバであるということです。私がどうしてバラバなのでしょう?私がどうして御父の子なのでしょうか?なぜなら本当の御父の子に対して人々が「十字架につけろ!」と叫び、彼が死んだために私が神の子となったからです。これが最初の集団共有です。
クレネ人シモンの集団共有
ですが、また別に集団共有が存在します。ローマ法によると、人がローマ式の十字架にかけられ処刑されるとき(ユダヤ人たちは処刑の方法として石打ちを用いました。十字架刑は純粋にギリシア・ローマ式の処刑法です)、その人は自分の罪状を背負わなくてはならず、自分の十字架を背負うことによって罪状が公に表明され、明らかにされていました。罪過を負った者が自分の十字架を運ばなければならなかったのです。それがローマ法でした。しかしここではまた違ったことが起こります。
『彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。』(ルカ 23 章
26 節)
なぜイエスは自分でその十字架を運ばなかったのでしょうか?なぜならローマ法によって、十字架を運ぶことはその人がこれから処刑されることのために有罪であることを意味して いたからです。イエスはその後の処刑について有罪ではありませんでした。シモンが有罪 であり、私も有罪であり、あなたも有罪なのです。クリスチャンになったユダヤ人信者でリチャード・ワームブランド(Richard Wurmbrand 1909-2001 “The Voice of the
Martyrs” の創設者)という人がいますが――私の妻の家族は、彼がルーマニアでユダヤ人社会から救われる以前から、彼のことを知っていました――その人はユダヤ人としてナチスから迫害を受け、その後にクリスチャンとして共産主義者から迫害を受けました。共産主義者たちは彼を 14 年間拘留し、その妻を逮捕し、彼らに対してひどいことをしました――拷問を行ったのです。私の妻は彼にルーマニア語で話すことが出来たのですが、彼が説教でこう言っていたのを思い出します、「イエスはただ単に『わたしはあなたの代わりに死にます』とは言いませんでした。『私はあなたの代わりに死にます、ですがあなたも立ち上がって私と共に死ぬのです』と言われたのです」。『主は二日の後、私たちを生き返らせ、
三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ』(ホセア 6 章 2 節)
彼の復活が私たちの復活となり、彼の死が私たちの死となる必要があったので、シモンは彼のうしろを進みました。それはイエスさまの“うしろ”であったと書かれてあります。『自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』(マタイ 10 章 28 節、16 章 24 節)『わ
たしの荷は軽い』(マタイ 11 章 30 節)イエスさまが本当の働きをなされたので、私たちはただその十字架を負うように召されています。イエスさまがそこにくぎ付けにされなくてはなりませんでした。
十字架を取りなさい!古い性質を十字架に付けなさい!古い人を十字架に付けなさい!古い女、古い人を十字架に付けなさい(ローマ 6 章 6 節)!自分の十字架を負って、わたしについて来るのです!もし誰かが古い人に関して有罪なら、それを十字架に付けて、わたしについて来なさい。
そうです、私たちはもうひとつの名前を持っています。あなたの名前は“ジャック”であるかもしれないし、“ジル”であったり、“ハリー”や“ハリエット”であるかもしれません。しかし名前がどうあれ、あなたの名前は同じように“クレネ人シモン”なのです。もしあなたが本当のクリスチャンなら十字架を負いましょう。
盗人の集団共有
まだ三つ目の重要な集団共有の例があります。私たちはそれを十字架刑の同じ章で見ることができます。
『十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」』(ルカ 23 章 39 節-43 節)
ここは重要です。私たちすべてが盗人、私たちすべてが嘘つき、私たちすべてが殺人犯です。私は盗人であり、嘘つきであり、殺人犯です。もし誰かが他の人の物を欲しがるなら、それは聖であられ、完全な神の目からすれば盗んだことになります。もし私たちが誰かの
妻に情欲を抱き、誰かの夫に情欲を抱いたり、自分が結婚していない誰かと寝たいと思っ
たなら、神の観点からはその人がそれを欲したためにすでに姦淫を行ったと見られています(マタイ 5 章 27 節-28 節)。私たちはみな姦淫を犯した者であり、盗人であり、みなが嘘つきです。誰かを正当な理由なしに嫌ったことがあるため、私たちはみな殺人犯なのです(マタイ 5 章 21 節-26 節)。
フォックス・ニュース(Fox News)や、この世での政治腐敗や、偽善、メディア、イスラ ム教徒のことを見ているとき、私は怒らないようにしようとする霊的な闘いを経験します。私は罪を嫌っているのであって、罪人を嫌っているのではありません。イエスさまの恵み を離れては、私も同じようであったことを思い出します。私たちすべてが殺人犯なので す。
ヨブ記や哀歌で言われているように、誰にも不平を訴える権利はありません。人生で本当に悲惨な経験をした人がいるかもしれません。それについては残念に思います。つらいことです。しかし、人に何が起こったとしても、神の目から私たちが罪人であるため、自分たちの人生がどんなにひどいか文句を言うことは出来ないのです。イエスさまだけが罪を持っていない唯一の方であったにも関わらず、最もひどい扱いを受けました。彼は完全に無罪であったのに不満をもらさず、口を開きませんでした(使徒 8 章 32 節)。私たちみなはまさに文句を言い、愚痴をこぼし、不満をもらします。イエスはそうなされませんでした。ここで三つ目の集団共有の例があります。盗人たち、すなわち“良い盗人”と“悪い盗人”です。
十字架上でひとりの男は「おいイエス、あんたがメシアだろう――こんな状態から抜け出させてくれ!」と言いました。彼がイエスに望んでいた唯一のことは、この人生、この世で自分に何かをしてくれることでした。そのような人たちが今もいます。そのような人たちはクリスチャンと名乗ることやキリストのもとに来るのを好み、招きの呼び掛けに手を挙げて応答し、イエスさまがこの人生とこの世で何かをしてくれると思う限り、伝道集会で前に出ます。
私はここで、イエスさまがこの人生とこの世で何かを出来ないとか、何かをしないと言いたいのではありません。イエスさまは確かにそうなされますが、それが本来の目的ではないのです。この世界には刑務所以外のことを何も知らないクリスチャンたちがいます。私はときどき、シャリーア法の下にありクリスチャンが迫害され、殉教しているインドネシアやバンダ・アチェで聖書を教えています。イエスさまが彼らに渡す唯一のものといえば殉教の冠です。しかし、驚くことに彼らは不満をこぼさないのです。
“良い”ほうの盗人は言いました。「見てください、私に何が起こったとしても私は自分の
罪を知っています。イエスさまはひとつの罪も持っていません。あなたの御国で私を思い出してください」
ふたりともイエスに声を掛けましたが、その動機はどのようなものだったのでしょうか。 自分がただこの世での無料チケットのようなものや、この世での良い生活を欲しいがため にイエスに話しかける人がいますが、そのような人たちは全くの的外れです。一方、イエ スに声を掛けた“良い”盗人は言いました。「私は自分がどのような者か、私のうちに善が 無いことを知っています。ですがあなたがどれほど完全に良い方であるかを知っています。どうか私をあなたの御国で思い出してください」
私たちはすべてが盗人なので、問題は“良い”盗人になりたいか、“悪い”盗人になりたいかどちらなのかということなのです。その“良い”盗人は逮捕されなかった者ではありません。“良い”盗人は自分が逮捕されるべき者であることを知っていた者で、自分を赦したいとイエスさまが思っておられることを知っていた者です。
復活の後の集団共有
これらが集団共有ですが、イエスの十字架刑の後にも集団共有は存在します。イエスの復活の後にも集団共有が見られます。そして毎年この時期、私たちはルカの次の章にある素晴らしい物語を読みます。この物語は多くの面で、クリスチャン生活がどのようであるべきかをまとめているものですが、ごくわずかな人たちしかこれを本当には理解していません。
『ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。』
彼らの目はさえぎられていて、イエスだとは分かりませんでした
『イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」』(ルカ 24 章 13 節-18 節)
もう一度確認しますが、これがペサハと週の祭りの間の期間であったというのを理解する
ことが重要です。ペサハと週の祭り――過越の祭りとペンテコステ――どちらも巡礼祭でし た。ユダヤ人たちはそれらをエルサレムで祝うために他の地域から来る必要がありました。従ってユダヤ人たちはもと来た場所へ戻り、引き返し、再びやって来るよりかは、できる ならただエルサレムに留まっていました。彼らはそうすることを好んだでしょう。多くの 人がエルサレムに滞在したので、人口は膨れ上がりました。それはちょうど休暇シーズン 中に人が増え、また休暇シーズン――休日の期間――が終わると人が減少するリゾートと同 じようなものです。
『イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエ スのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある 預言者でした。それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。』(ルカ 24 章 19 節-20 節)
宗教組織に責任があったことを注目してください。気付いてほしいのが、当時のそれはサンヘドリンであり、今日のそれはローマ教皇庁や世界教会協議会(ジュネーブを本拠地とし、340 を超える教会が所属するエキュメニカル組織)であるということです――彼らは未だにイエスさまを十字架に付けています。
『しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、』
三日目とは、聖書の象徴の中でいつも何らかの形で復活の経験をほのめかしています
『また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみま したが、イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたち の幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。そ れで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」するとイエスは言われた。「あ あ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリ ストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではな かったのですか。」それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。彼ら は目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。それで、
彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおか
た傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。』
彼らがイエスを迎え入れたことに注目してください
『彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡 された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼ら には見えなくなった。そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」す ぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まっ て、「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた」と言っていた。 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった 次第を話した。』(ルカ 24 章 21 節-35 節)
今日まで正統派ユダヤ人たちは過越の後の週に小さなセデル(過越の祭りの最初の晩餐) を営み、小さなセデルの食事を食べます。ですがイエスが子羊の婚礼まで過越の食事を食 べないと言われたため、使徒たちはこのように祝うことは出来ませんでした(ルカ 22 章 14 節-18 節)。使徒たちがこのパンを割いた場所にいることはありえませんでした。しかし、イエスはパンを割くことによってご自身を明らかにされ、それはホセアによって語られた ようにいつも「三日後」でした(ホセア 6 章 2 節)。
三日目
これはよく尋ねられる質問です、「三日三晩というのはどこから分かるのですか?イエスさまは水曜日に亡くなられたの?それとも木曜日?」話しを進める前に一度それを脇に置いて、次の箇所を読んでみましょう。
『そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。』(ルカ 23 章 44 節)
(原語は第六時から第九時となっている)
ユダヤ人は時間を日没から日没までという様に数え、いつも創世記の創造物語――“オール
(owr)”から“ホシェク(choshek)”、“光”から“暗やみ”――を基礎にしています。その日に何時間残っていても、太陽が一旦沈んでしまえばそれはひとつの日なのです。上の箇
所の記述が日食ではないといえる二つの理由があります。最初の理由はこれがニサンの 14日であったからです。ユダヤ人たちは太陰暦を用いていました。日食が起こるには月の周期が正反対でした。これは日食ではありません。太陽に何かが起こったのです。ホセアは三日目に主が私たちを生き返らせると書いています(ホセア 6 章 2 節)。
次のヘブル人預言者はこれが未来、また終末的な意味を持っていると伝えています。
『その日には、――神である主の御告げ――わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに地を暗くし、』(アモス 8 章 9 節)
イエスさまが亡くなられたとき、太陽は沈みました。アモスは太陽が沈むと預言しました。聖書の中で神が時間に干渉されたときがいくつかあります。パウロによると聖書的には三 つの天が存在します。(2コリント 12 章 2 節)
第一の天――地球の大気圏第二の天――宇宙空間
第三の天――永遠など
一方、時間はいつも第二の天、惑星運動を基礎にして算出・測定されています。厳密にいえば、惑星運動によらず粒子の放出によって動く原子時計というものがありますが、この時計さえも 10 億分の一秒単位でその計算を表さなければなりません。時間は第二の天に依存しています。
イザヤ書や黙示録で“シャマイム(shamayim)”――“天(複数形)”が巻き物のように巻かれると書かれているとき(イザヤ 34 章 4 節、黙示録 6 章 14 節)、それは宇宙空間が消えうせ、永遠が地上と接するということを意味しています。それは実際起こることであって、もはやそこには時間自体が存在しません。実際、ギリシア語で時間を表す言葉は“クロノス(chronos)”と“カイロス(kairos)”のふたつがあります。“クロノス”とは物事の順序であって、永遠において順序があるということを示唆していますが、永遠に時計はありません。永遠とはもはや時計自体が無いので、進み続けるものではないのです。
神は時間に干渉されます。ヨシュア記で日を動かさなかったと書かれてあるときに、神は時間に干渉されました(ヨシュア 10 章 12 節-13 節)。黙示録 8 章 12 節で神はもう一度
それをなされます。その日は一日が 24 時間から 16 時間へと短縮されます。ヒゼキヤ王が
癒されたときは、神は太陽を戻らせました(2列王記 20 章 9 節-11 節)。
ヒゼキヤがその治世に何歳であったかを読むと、イエスさまと同じ年齢であったことが分
かります――彼が 30 代のときに時計は戻ったので、時計は進められなくてはなりませんでした。言い換えると、イエスの十字架の時に太陽が沈み、日は前に進み、ヒゼキヤの治世に起こったことの埋め合わせをしたということなのです。ヒゼキヤは時計の影が戻り――日が戻ったことによって命を引き延ばされたのであり、同じ年齢のイエスは日が進んだためにその命は縮められました。
これはヒゼキヤに対して起こり、黙示録で起こり、ヨシュア記で起こりました。神が時間に干渉された時がいくつかあります。そうです、神はここでそれをなされました。イエスが死なれたとき、太陽は二度沈みました。二度の日没があったのです。何も問題はありません。十字架刑は金曜日に行われたのでしょうか?それは聖金曜日(Good Friday)ではありません。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネは十字架刑が太陰暦の過越に行われたと言っているのであって、太陽暦のイースターではありません。イースターは異教を起源とするものです。しかしながら4世紀にローマ・カトリック教会はそれを変えてしまいました。イエスは聖金曜日に死んだのではなく、ただ私たちが言えることは彼がある金曜日に死なれたということです。
金曜日に太陽は沈み、イエスが十字架から降ろされ、3時には太陽が戻り、また金曜日の夜には太陽が沈み、土曜日には昇ってきて、土曜日の夜に沈んだので、こうすると私たちは三日三晩を数えることができます。文字通りの三日三晩です。もしイエスが木曜日に十字架にかけられていたのなら、三日の代わりに四日となるので問題があります。しかしイエスの復活までの時間は三日三晩でなくてはならず、ラザロ(ヨハネ 11 章 14 節)や二人
の証人(黙示録 11 章 9 節)、ヨナ(ヨナ 1 章 17 節)と同じでなければなりませんでした。
クレオパともうひとりの弟子の集団共有
いずれにせよ、それは三日目であり、イエスさまはエマオへの道を歩いていました。そしてこの道を進むうちにイエスはクレオパともうひとりの弟子に会われました。しかし、彼らの目はふさがれていて、見ることができませんでした。イエスは彼らと歩いておられたのに、彼らは実際のところイエスだと気付いていませんでした。「話し合っているその話は何のことですか」と聞かれると、彼らはイエスがそれを知らないかのように起こったことを全て話しましたが、彼の返事は
『…ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて…』
でした。
その者たちが聖書を理解していないことに不満をもらしていたことに注目してください。
『それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。』(ルカ 24 章 25 節-27 節)
聖書、聖書、聖書です。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち」すべてが聖書の中にあったのです。
私たちの大半はお気に入りの節や、お気に入りの聖書箇所を持っています。小さな子どもでさえ、“ダビデとゴリアテ”のような寝る前に読んでもらうお気に入りの物語がありますが、それに何ら問題はありません。しかしそのお気に入りは全てを含んだものではありません。大事なのは聖書全体です。三回にわたって(ルカ 24 章 32 節を含めて)イエスは聖書、聖書、聖書と不満をもらされました。イエスこそが肉体をとられたみことばです。彼が“ロゴス”です。聖書はイエスが文字となって表された――聖なる書物です。
イエスは彼らと歩き続けていましたが、彼らはそれを知りませんでした。聖書を彼らに説明しようとされましたが、彼らはつかめませんでした。イエスさまは実際によみがえったのに、それが真実であっても理解することができませんでした。ここでイエスご自身の弟子たちは聖書を理解をしておらず、彼と共に歩んでいるという事実さえつかめず、ほとんどイエスのことが見えず、彼の言っていることを聞いていないという状況であったにもかかわらず、それでもイエスさまは彼らと歩んでいました。イエスは弟子たちと共にいましたが、実際には弟子たちはイエスと共にはいなかったのです。
イエスさまが私と共におられることは確かですが、問題は私が本当にどれだけイエスさまと共にいるかということです。ここにおられますが、私は彼を見ているでしょうか?もし聖書を理解しそこねているなら、見えてはいません。イエスさまはここにおられ、私に話しかけておられますが、彼の語っていることを理解しているでしょうか。もし聖書の言っていることをつかみそこねているなら、理解していません。私は人をキリストに導くとき、祈ることは神に話しかけていることだと言いますが、彼らが聖書を読むときは神さまが彼らに話しかけているのです。それは双方向の会話です。
教会に来て、このような説教を聞く時、私はイエスさまと歩んでいますが、交通渋滞にはまり、片手に携帯電話を持ち、もう一方にタバコを持っているような運転手を銃で撃ちたくなるようなとき――イエスさまは私と共にはおられますが、私は彼に気付いているのでし
ょうか。
イエスさまが目に見える形で隣に座っていたなら、私は引き金を抜くでしょうか。イエスさまが目に見える形で隣に座っていなくても、実際私の隣にいるという事実は否定することができませんが。イエスさまは私の言っている内容を聞いていますが、私は彼の語っておられることを聞いているでしょうか?イエスさまは見ておられますが、私は彼を見ているでしょうか?イエスさまは私に説明しようとなされていますが、私は本当に聞いているのでしょうか?
私は復活の力にあって生き、歩んでいるでしょうか?
大事なのは、イエスさまが実際に死なれた方であるということです。イエスの十字架刑の歴史性について私は何の疑いも持っていません。彼が私の代わりとして死なれたこと、十字架にかけられたこと、私はそれらを全く疑っていません。私がここで問題にしているのは、ジェイコブ・プラッシュがどのくらい、私がどれほど、私自身がどの程度イエスさまと共に死んでいるかということです。イエスが十字架に向かわれたこと、これについて私ははっきりしています。ですが、私はシモンのようにどれほど忠実にその十字架を運び、彼の足跡に従っているのかということです。これが問題です。
イエスは復活されましたが、ある人たちはそれを疑います。彼は実際に復活したのでしょうか?キリストがよみがえったことについて私は何も疑っていません――それは問題ではないからです。イエがよみがえったことについて、疑う余地が何もないほど私は確信しています。問題としているのは、私がイエスさまと共に、復活の力にあって生き、歩んでいるかどうかということです。これが私についての問題です。彼が死んで、よみがえられたことを私は確信しています。ですが、私は死んでよみがえったでしょうか?これが問題です。聖書はここにありますが、私はそれをどのくらい理解しているでしょうか。イエスさまは共におられますが、私は彼を見て、彼に気付いているでしょうか。イエスの語っておられることを私は聞いているでしょうか。しかし気付いてほしいのが、彼がご自身の姿を明らかにされたのはパンを割いたときであったということです。イエスさまが彼らと食事を共にする必要がありました。
聖書の中で、誰かが死者からよみがえった後に物を食べたと書かれててあるのは、それが文字通りに起こったことを証明するためです。イエスが少女を呼び起こされたとき、何か食べさせなさいと言われました(マルコ 5 章 43 節)。またラザロがイエスと食事をともに
したという箇所もあります(ヨハネ 12 章 2 節)。
復活は文字通り、肉体的なものではないとエホバの証人が主張する以前から、神はエホバ
の証人のことを知っていました。霊は食べる必要がありません。イエスが文字通り食事をしておられたのは、文字通りの復活が起こったからです。イエスが食事を取ったという事実は、文字通り、肉体的な復活があったということを証明しています。一方、イエスが姿を明らかにされたのは、パンを割いたときでした。
気付いてほしいのが、イエスはまだ先へ行こうとされていたかのようでした。ただその道を進もうとされていたのです。「まだ先へ行きます、また会いましょう、私はこの道を進んで行きます」そして弟子たちは言わなければなりませんでした。「待ってください!お入りください!」「我々と一緒に泊まりましょう」「私たちはもっと聞きたいのです!」「聖書についてもっと説明してください!」「あなたのみことばについてさらに説明してください!」「イエスさまについて私たちにもっと教えてください!」「さらに聞きたいのです!」
「泊って行ってください!」弟子たちはイエスを招き入れなければなりませんでした。
イエスを招き入れる必要性
これは今日でも同様です。いまだにエマオへの道を歩き続けているクリスチャンの一団がもしいるとしたなら、その人たちはラオデキヤのクリスチャンです。そこでイエスさまは言われます、『わたしは、戸の外に立ってたたく』(黙示録 3 章 20 節)。また言われます、
「見てみなさい。あなたは私を見えていない。あなたは私の言うことを聞いていない。あなたは実際の自分の裸に気付いていない。実際の霊的な状態を理解していない。物質主義や豊かさによって惑わされている。あなたはこれらのものが祝福のバロメーターだと思うのか?」
それらは祝福ですが、祝福を測るものさしではありません。それらは試金石ではないのです。ただ聞く耳のある者を除いては(黙示録 3 章 22 節)、彼らは見もしないし、聞きもし
ない(黙示録 3 章 17 節-18 節)。これがイエスの言われたことです、
『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。』(黙示録 3 章 20 節)
私と同じような人のほとんどはこの箇所を伝道の指針として用いますが、それは一向に構わないことです。私たち――私はいつもこの箇所を未信者に福音を伝えるときに用いているし、それは全く構わないことなのです。それは有効な適用ではありますが、聖書解釈の文脈において、ここで第一に語られていることではありません。この箇所が未信者の人た
ちに何らかの意味で適用できるにしても、イエスは主に未信者に向かってこれを語られま
せんでした。彼は私たちに対して語りかけています。「入って、あなたと共に食事をしよう」「あなたと共に食事を取ろう」「あなたは私と共に食事をし、私はあなたと共に食事をする」「私はこれらのことをあなたに説明しよう」
イエスさまはまだ先に行こうとされ、その道を進もうとされていました。イエスはあたかも進み続けるかのように振る舞っていました。弟子たちは彼を招き入れる必要がありました。彼らが招き入れたその時に、イエスさまはご自分を明らかにされました。その後、彼らは聖書を理解し、その後、実際のイエスの姿を見たのです。ただその後にだけ、彼らは実際に語られていたイエスのみことばを悟りました。ただその後にだけ、見ることができて、ただその後にだけ、本当に聞くことができました。
そうです、イエスさまはよみがえられましたが、私たちは復活の力にあって歩んでいるでしょうか?確かに彼は死なれましたが、私たちは死んだでしょうか?イエスのみことばは真実ですが、三度も弟子たちが聖書を理解していないことで彼らを愚かだと言われました。彼らは見ることができず、聞くことができませんでした。私たちはイエスさまとその同じ道を歩んでいます。イエスさまはおひとりでその道を進まれることに意を決し、そうしようとされていましたが、ディナーの誘いを断ることは決してありません。
神の祝福がありますように。
The Church of Smyrna - Japanese
スミルナの都市
スミルナ(現代のイズミル)は「ト・アガルマ・テス・アシアス――アジアの喜び」とし て知られていた宝石のように美しい場所でした。スミルナは当時も今も深い海に接する港 街であり、35 マイル(約 5.6 キロメートル)南にあるエペソとは激しいライバル関係にあ りました。紀元前 600 年頃にその町は地震によって破壊され、紀元前 4 世紀まで再建され る事はありませんでした。10 万人の人口を抱え、海の傍にはキュベレーの神殿を持ち、さ らにはアポロや、アスクレーピオス、アフロディーテー、またゼウスに捧げられた目を見 張るような神殿がありました。この都市は、発展した科学とぶどう酒の貿易で繁栄し、ラ オデキヤのように薬でも有名でした。
『また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。 初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。
「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は 富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタ ンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。あなたが受けよ うとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために
、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十
日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあ
なたにいのちの冠を与えよう。
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して 第二の死によってそこなわれることはない。」』』(黙示録 2 章 8 節-11 節)
注目すべき事柄は、スミルナという名前がギリシア語の『没薬』を意味する言葉から取 られたことです。没薬は基本的に埋葬の時、死者の体に塗るために使われていました。ヨ ハネ 19 章 39 節では、ニコデモがイエスの体に塗るための没薬を持ってきたとあります。 雅歌の中で没薬は、花婿が没薬の山に上ると描かれている箇所でそれとなく触れられてい ます。
『そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、 私は没薬の山、乳香の丘に行こう。』(雅歌 4 章 6 節)
乳香とはいけにえをささげる時に焚かれたもので、その山は当然のことながら、イエス が処刑されたカルバリの山を指し示しています。
スミルナは、おおよそ使徒の活躍した後の 2・3 世紀、つまりニケア公会議以前の時代か ら、コンスタンティヌス帝(紀元 321 年)やニケア公会議(紀元 325 年)までの時代と関 連しています。
イエスは黙示録 1 章のご自身の描写の中から、それぞれの教会が思い出すべきひとつの 側面を教会に念押ししました。スミルナはイエスが死に、そしてその死からよみがえった ことを思い起こす必要がありました。迫害は終わりではありません。その後に永遠のいの ちがあるのです。
「わたしは、あなたの苦しみを知っている」すべての教会と同じように、イエスは悪い ことを扱う前にまず何が正しいかを示します。スミルナは(フィラデルフィアと同じよう に)イエスが何の悪い点も見出さなかった教会です。その理由は、その教会が迫害を受け ていたからでした。文字通りにひどく迫害されながらも、信仰を保っている教会を批判す るのは非常に難しいことです。
ロンドンのソーホー(Soho)という町はフランスから来たユグノーと呼ばれる人たちが定 住した町です。ユグノーとは聖書を信じるクリスチャンで、ローマ・カトリック教会の手 によって激しく迫害された人たちです。「聖バーソロミューの日(8 月 24 日)」に人々は聖
バーソロミューの虐殺を思い起こします。当時のローマの権威者たちは、彼ら(ユグノー
達)に平和と安全とを約束し、公の会合を開くために招きました。しかしユグノー達が現 れた時、ローマの聖職者たちは彼らを処刑したのです。それは虐殺でした。このような迫 害のためにユグノーの生存者たちはイギリスへ移り住みました。ある者は北アイルランド に行き、帽子や織物、レースなどの貿易を始めました。他の者たちはホワイトチャペル周 辺のロンドンの東の端に定住しました。
結果としてソーホーは言うならばイギリスの「バイブル・ベルト(聖書の影響が強い地 域)」となりました。そこには当時おそらく世界のどこよりも多くのクリスチャンが密集し ていたでしょう。彼らは毎日祈祷会を開き、聖書研究を行っていました。そしてユグノー たちは家から家へと回っていました。しかし今日ソーホーはロンドンの売春街となってい ます。かつては主が崇められ、みことばが学ばれ、福音が宣べ伝えられ、クリスチャンた ちが日ごとに祈りや礼拝のために集まっていた場所が、ポルノと売春の巣窟となったので す。物事が逸れていくのに長い時間はかかりませんでした。そしてこのようなことこそが 今日の西洋世界で私たちが目にしていることなのです。
未来の歴史的・預言的な対型
サタンがスミルナの教会を地域的な迫害によって『十日の間』苦しめたことは、一般的 にキリスト教に敵対的だった一連の皇帝たちによる大きな迫害の 10 の期間を指すと言われ ています。皇帝たちはしばしばユダヤ人に対して反ユダヤ主義的な傾向を持っていました
。これは蛇と女の間に敵意を置くと書かれている創世記 3 章 15 節の預言と関連しています
。帝政ローマから教皇制によるローマ、また異端審問、鉄のカーテンの時代のソビエト主 義、また現代の原理主義イスラムに至るまで、アブラハム、イサク、ヤコブの神学的子孫 に敵対する者は、ヘブル人族長たちの人類学的子孫にも敵対します。真実の教会と、イス ラエルの両方が神の契約の民であり、預言的な神の救いの計画がその民にかかっています
。それゆえ、真実の教会とユダヤ人はこれまで、繰り返し同じ迫害者の標的となってきた のです。
ユダヤ人の絶滅にやっきになっているサタンの霊は、真実の教会をも絶滅しようと精を 出しています。ローマから始まり、教会に敵対した国々の大部分がどれもユダヤ人に対し ても敵対しました。ティトスが行った紀元 70 年のユダヤ人に対するエルサレムでの衝撃的 な出来事は、教会を迫害したネロによって受け継がれました。同じような傾向がクラウデ ィオス帝の治世にも顕著でした。二世紀に入ると、使徒の後の教会が始まりました。時を 同じくして、シメオン・バル・コクバに率いられたユダヤ人第二の反乱により、ユダヤ人 はエルサレムから除き去られ、聖書のイスラエルの地からのディアスポラ(離散)へと至
りました。ディアスポラはハドリアヌス帝の治世に勢いを増しました。その事と同時に、
それに続く一連の気の狂ったような皇帝たちによる教会への多くの恐ろしい迫害が起こり ました。その皇帝たちすべてが多神教を信じる異教徒であり、大半の者がバイセクシャル
(両性愛者)でした。
ローマ皇帝たちが自ら招いた道徳的退廃のために、それまでキリスト教徒に突き付けられ た故無き訴えがユダヤ人にも突き付けられ、すべてのことに関して彼らが責められていた ことは驚くべきことです。この種の非難はキリスト教徒の虐殺を正当化するために使われ
、コンスタンティヌス帝がローマ帝国を外見上だけキリスト教化した時に終わりましたが
、ユダヤ人に対しては継続されました。それはただ帝政ローマの権力によって実行されな くなっただけであり、教皇制ローマの教皇権によって継続されました。教皇制ローマの教 皇権は、いわゆる神聖ローマ帝国の下にその放蕩を続けました。この過程はネロとティト スによって初歩的な面を見せていましたが、スミルナの教会の性質をもって表される 2 世
紀から 4 世紀の時代にはっきりとした様相を呈しました。スミルナのクリスチャンが現地 で直面していたものは、2 百年間、ローマ帝国の中にあった教会を襲ったことの前触れで あり、縮図であったのです。
ドミティアヌス、マルクス・アウレリウス、セプティマス・セベリトゥス、カリグラ、 デキウス、ディオクレティアヌスらは、集中して迫害が行われた 10 の主要な期間を指揮し た皇帝たちです。異教ローマのポンティフよりも、教皇制ローマのポンティフ(教皇)た ちの方がより多くのキリスト教徒とユダヤ人を殺すことのできる鋳型を形成しました。実 際、私たちがすでに見てきたように、真実の教会はポンティフのパンテオン(古代ローマ の神殿)の外に置かれるレリギオ・イリシタ(違法な宗教)となりました。再び現代世界 において、私たちは同じことをヨハネ・パウロ 2 世(本名カロル・ボイティワ)とベネデ
ィクト 16 世(本名ジョセフ・ラッツィンガー)の教皇権において目撃しています。どちら
も自分達がいかなる全ての信仰とローマ・カトリック(彼らが主張する使徒ペテロの正当 なるキリスト教)との間の『橋渡し』だと自称しており、新生した、聖書的な福音主義を 非難しています。このような人たちはペテロの後継者ではなく、本来のポンティフの後継 者、帝政ローマの反キリスト的皇帝たちの後継者なのです。
神に背くことは政治的、道徳的退廃へとつながる
私たちが目にしている西洋民主主義国家での、政治的また経済的、社会的退廃が、西洋 の道徳的、霊的退廃の反映であることは疑う余地がありません。イギリスの国会の外壁に はラテン語で、「パテル・ノステル・クイ・エス・カエリス――天におられる我々の父」と 掲げられています。最近のテレビで発表された統計によると、現代、国会議員の大半が全
く何の宗教も信仰していません。その中で多数派なのが名ばかりの英国国教会員たちです
。その次に来るのが多くの無神論者や不可知論者たちで、次にイスラム教徒、仏教徒、ヒ ンドゥー教徒、ユダヤ教徒(救われていないユダヤ人たち。昔のディズレーリ首相はユダ ヤ人クリスチャンでした)、カトリック教徒などが続きます。これらの人々が、イギリス で実行されていたエラストゥスの教会システムを採用した政府のもとで、投票により司教 たちを任命しています(エラストゥス 1524-1583 ハイデルベルクの医者で、教会の権威 が世俗の政府を従わせるべきだと教えた人物)。このイギリス国会の中で神の存在さえも 信じていない幾人かの者たちが、英国国教会の聖職者を任命しているのです!
誰にも惑わされないように
エバはイスラエルの象徴、また教会の象徴であり、彼女は蛇によって惑わされました。 聖書中で蛇は欺きを表しており、一方、竜は迫害を表しています。スミルナでは蛇と竜が 同時に教会を攻撃していました。
マタイ 7 章 15 節や使徒 19 章、第二ペテロ 2 章はすべて偽預言者や偽教師について警告 しています。初代教会は外側にいた偽預言者からだけではなく、内側の者からも挑戦を受 けており、そちらのほうがはるかに破壊的でした。初代教会では当時アリウス主義者たち がいました。アリウス主義者とはアリウス(紀元 250-336)から名前を取られた者たちで
、イエスが創造された存在であるとし、イエスの神性を否定しました。今日それはエホバ の証人として再び現れています。「日の下に何も新しいものはない」――逆にその反対の主 義も存在し、『イエスだけ』が神であると信じ、御父をないがしろにする人たちもいます
現在カンタベリー大主教のローワン・ウィリアムズ(Rowan Williams)は、ドルイド教
(ケルト人社会における宗教)の式典に参加することに何の抵抗も感じない人物で、複数 の信仰を受け入れるリベラルです。彼は明らかに同性婚の許可や、同性愛者の任職に精を 出しています。ウィリアムズ大主教は、あのブレア政権(国会の民主主義的権威の多くを ブリュッセルの選挙によらないヨーロッパ政治へと手放した政権)によって任命されまし た。彼らはイギリスの経済的先行きとイギリスポンドを、選挙で選ばれた政府とイギリス 銀行の手から取り上げて、実質的にドイツ連邦銀行の後継である、フランクフルトの欧州 中央銀行の手に置きたがっています(訳注…ユーロ圏に入り通貨を統合し、EU とイギリス 経済を一体化しようとする試み)。イギリス女王は自身の持つ『国王の裁可(国王が持つ 法を発効させる権利)』を一体どのように 1972 年の欧州共同体議員立法(European Communities Act 1972)に与えてしまったでしょうか。女王はその決定によって自身の主 権、すべての統治者が守ると誓うものを明け渡してしまいました。
最近、BBC の国会記者は個人的な意見を表明しました。彼の立場は、国会民主主義制度
がヨーロッパの官僚主義に変換されたことで、ヨーロッパが今まであった民主主義の原則 から実質的に離れたと語っていました。非選出者たちからなる委員会は提案を作り、ただ ヨーロッパの国会へ助言を求めるだけになっています。国会はただの諮問機関(参考意見 を聞くだけの団体)となっているのです。
過ちや、失敗、問題があったとしても、ピューリタンたちが民主主義の伝統を設立する のに大きな役割を果たしたことは忘れてはならないことです。現代まで受け継がれた民主 主義の制度は、宗教的自由や良心の自由、信心の自由、また福音宣教の自由の出現と密接 に関連していました。ピューリタンと彼らの先駆者たちはローマ教会と英国国教会双方の 手によって非常に苦しめられました。彼らは今ある民主主義の伝統を聖書の価値観によっ て設立したのです。聖書的なユダヤ・キリスト教の道徳的原則から逸れてしまうとき、そ れらの原則の上に建てられている制度はひび割れ、それと共に消滅してしまいます。これ が今基本的に起きていることです。物事が良い状態から悪い状態へ、悪い状態から最悪の 状態へ変わるのに大した時間は必要ではありません。
ソビエト連合や、チェコスロバキア、ユーゴスラビアなどの東ヨーロッパの連邦国家は 崩壊し、選挙によらずに選ばれた中央集権的な社会主義エリートによって国々は支配され なくなりました。その一方で、西ヨーロッパは連邦国家に破滅を招いたその中央集権化さ れすぎた体制に傾こうとしています。現在の政府はイギリスをまさにこの方向へと推し進 めようとしているのです。聖書的なキリスト教から離れると、聖書的キリスト教がその形 成に貢献した議会民主主義から離れてしまうのです。
ローワン・ウィリアムズ大主教はドルイド教の祭典に参加し、ウェールズの神話の中で ドラゴンとして表されるケルト人の神の子の名前を儀式的な名前として受け取りました。 今日では黙示録が反キリストを竜と象徴していることは何の興味も引かないようです。そ れゆえ、彼が黙示録を『さまよう文章』と呼んだことが 2002 年 1 月 6 日のデイリーテレグ ラフ紙に引用されたのは何も不思議ではありません
「安っぽい紙に文字がびっしりと書かれ、次から次へと偏執的な妄想と 悪意で満ちている。それは聖職者がよく受け取る悲惨で、精神不安定な 者の手紙のようだ」
カンタベリー大主教にとって、イエスさまによって与えられたヨハネの黙示録は神の聖 なる言葉でもなければ、「偏執的な妄想と悪意で満ちている」ものなのです!
迫害への備え
イエスはスミルナの教会に、差し迫った迫害について警告されました。
『まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示 さないでは、何事もなさらない。』(アモス 3 章 7 節)
多くの国の歴史を通して、真実に新生したクリスチャンたちは当たり前に享受できるべ きもののために迫害されました。これが東ヨーロッパやローマ・カトリック教国、イスラ ム教国、社会主義国家などでの現実でした。現代、私たちが当たり前に受けている自由が 存在する理由は、16 世紀や 17 世紀の聖書を信じるクリスチャンの血によってそれが勝ち 取られたからです。しかしいったん人が聖書の真実に背を向け、主とその戒めから離れる やいなや個人の自由はそれと共に無くなってしまいます。そしてそのことが今起ころうと しているのです。イエスさまが現代西洋世界の教会に迫害に備えるよう呼びかけているこ とには疑う余地がありません。それはスミルナの教会に警告を与えたことと同じなのです
初代の信者たちの信仰はヘブル人への手紙に見出せます
『…またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されるこ とを願わないで拷問を受けました。』(ヘブル 11 章 35 節)
初代信者たちは、この人生とこの世で繁栄するためにイエスさまが死なれたと考えてい ませんでした。彼らは来るべき御国で自分たちが繁栄するためにイエスさまが死なれたと 考えていたのです。
『また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に 入れられるめに会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切 り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、』(ヘブル 11 章 36 節-37 節)
メルセデス・ベンツやキャデラックに乗って移動したわけではありません
『乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、――この世は彼らにふさわしい所ではあり ませんでした――』(ヘブル 11 章 37 節-38 節)
今日有名で、繁栄した説教者の多くがしているように、五つ星ホテルに泊まるなんてこ
とはありえなかったことでしょう!
『荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。この人々はみな、その信仰によ ってあかしされました…』(ヘブル 11 章 38 節-39 節)
これが初代教会の信仰でした。彼らはイエスがこの世でのリッチな生活を送らせるため に死なれたとは考えませんでした。イエスが死なれたのはもっと良い世界で、遥かに素晴 らしい生活を与えるためなのです。
『神の国は今』神学
そのような偽りの教理を信じることは「支配主義神学」であり、または「神の国は今」 神学とも呼ばれます。これは現代のカリスマ派やペンテコステ派の大半で非常に多くなっ てきています。基本的にそれはイエスが戻って来る前に教会がイエスのために全世界を征 服し、イエスのために御国を設立するという考えです。教会が今、その神の国だと主張し ます!それはまた「実現された終末論(over-realized eschatology)」とも呼ばれます。こ れは大きなムーブメントで、現代のイギリスやアメリカの多くの主要な福音派指導者によ り暗黙的に承認されています。よくある表現の中では、それは後の雨/神の子らの現れと いう異端的な要素とひとつになっています。それは 1940 年代のペンテコステ主義の主流に よって批判されていたもので、超カルヴァン主義的な再建主義と一緒になっています。そ の超カリスマ派の支持者たちの中にはアメリカ人で反イスラエルの説教者リック・ゴドウ ィン(サンアントニオにあるイーグルズ・ネストチャーチで、あからさまになった金銭ス キャンダルの件で有名)がおり、一方、改革派再建主義者たちはローザス・ラシュドゥー ニー(Rousas J. Rushdoony)やギャリー・ノース(Gary North)、デイビッド・チルトン
(David Chilton)などさまざまな神権主義者たちを引き込んでいます。
この種の非聖書的な教理はとても嘆かわしいもので、全く間違っており、キリストの体 にとって潜在的に非常に危険なものです。そして突き詰めれば聖書的ではなく、ただの希 望的観測です。イエスご自身が次のように明らかにされました
『人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノ アが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだ りしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり
、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その
日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。』(ルカ 17 章 26 節-30 節)
パックス・ロマーナと国際化の中でのスミルナの生活
貧しい国での人々への搾取など植民地主義には否定的な面がありますが、肯定的な面も あります。たとえばより最近の『パックス・ブリタニカ(イギリスによってもたらされた 平和)』ではイギリスははるかに危険な帝国を寄せ付けませんでした。東にはロシア、西に はフランスやスペインなどローマ・カトリック帝国が存在しました。イスラエルではイギ リス政府がバルフォア宣言を破棄し、ユダヤ人を約束された地に帰さず強制収容所で滅ぼ されるままにしたことなど、イギリス政府が行った悪事をみなが知っています。しかし現 代のイスラエルには道路設備、ハイファ港、空港などが存在します。その国の大半の社会 基盤はイギリスによって建設されたものなのです。
世界には人々が植民地主義をただ純粋に求めていた場所があります。ジブラルタルの人 々にスペイン人になるべきだとか、フォークランド諸島の人々にアルゼンチン人になるよ うに、また香港の人々に中国人になるように言ってみたらどうなるでしょう。彼らはむし ろイギリス人になることを望みます。それはコインの裏表です。またアジアやアフリカの 多くの国々でイギリスが去った後に何が起こったかを見てみてください。
これは搾取的な植民地主義や帝国主義を擁護しているのでは決してありません。しかし 言わんとしていることはコインに別の面があるということなのです。パックス・ブリタニ カの下でイギリスは状況が異なっていたなら極度の問題を抱えていたような世界に、相対 的な安定と、相対的な繁栄をもたらしました。イギリスは当時、その社会に存在した聖書 的な影響によって神に祝福されていたと多くの人々が個人的に信じています。イギリスは 200 年間にわたって、どの国よりも多くの宣教師たちを送り出しました。ウィリアム・ケ アリーやハドソン・テイラーなど多くの宣教師たちを思い出してください。今日もオペレ ーション・モビライゼーション(Operation Mobilization)や、ユース・ウィズ・ア・ミッ ション(Youth with a Mission)、クライスト・フォー・ザ・ネイションズ(Christ for the Nations)などの団体がありますが、かつてイギリスから出て活動していた真実で聖書的な 宣教団体と比べると、影もかたちもありません。
第二次世界大戦の後に『パックス・アメリカ』が訪れました。当時ソビエトの脅威があ
りましたが、NATO の下にアメリカはイギリスと手を組み、基本的にヨーロッパに平和を
もたらしました。征服した国々を占領し、搾取することとはかけ離れて、アメリカはドイ ツや日本を自由市場を持つ西洋的民主主義国家に変え、繁栄と豊かさをもたらしました。 これはすべてを肯定しているのではありませんが、イギリスが多くのクリスチャンで溢れ
、多くの宣教師を送り出す国となったとき神がイギリスを祝福されたように、その同じ理 由で神がアメリカを祝福されていたのです。第一にアメリカはどの国よりもイスラエルを 祝福し守ってきました。また第二にアメリカは現在宣教師を最も多く送り出し、多くの国 に最も多い額の宣教費を捻出しています。今日では宣教に使われるお金の 4 分の 3 がアメ リカから出てきたものです。もしこのような現実がなければアメリカの妊娠中絶率だけを 考えてみても、神の裁きはもっと早い時期に下っていたことでしょう。
一方でスミルナの時代には『パックス・ロマーナ』が優勢でした。ローマ人は他の勢力 を抑えながら、さまざまな学派から自分たちの哲学を作り出していました。フェニキヤ人 からは交易路を取り、あらゆる場所に道路設備を建設し、そのうちのあるものは現在も残 っています。イスラエルでは『ヴィア・マリス』と呼ばれる『海の道』の跡が見受けられ ます。ローマ南部の地下墓地の近くには『ヴィア・アッピア』と呼ばれる『アッピア街道
』が残存しています。ローマ人たちは社会正義のための裁判のシステムを作りました。ま た彼らは自分たちの言葉であるラテンを国際公用語(リンガ・フランカ)とはせずに、ギ リシア語をもってきました。そしてその決定によって福音が広がったのです。バビロン捕 囚の後には非常に大規模なユダヤ人のディアスポラ(離散)が起こりました。それゆえ、 ローマ帝国中の主要な町々には確立されたユダヤ人共同体がありました。それだけではな く、ヘブライ語聖書(タナク)のギリシア語翻訳である七十人訳が登場し、当時の国際公 用語で利用可能となったのです。それゆえパックス・ロマーナの時代に福音は異邦人の間 で広がる条件が揃えられたのであって、神は実際にそれを用いていました。その反面、パ ックス・ロマーナは自分たちに頼り、従順である者たちだけに平和と繁栄を与えました
The Woman at the Well - Japanese
井戸のそばの女
ジェイコブ・プラッシュ
『イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳に入った。それを主が知られたとき、――イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが――主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその 子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコ ブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。
イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである――イエスは答えて言われた。
「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」
女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼
拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。
女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。』(ヨハネ 4 章 1 節-
30 節)
この“井戸のそばの女”の話を理解するために、最初に井戸が何を意味しているかを見ていきましょう。
聖霊の象徴
聖書の中でさまざまな液体は、聖霊を色々な側面から表しています。
新しいぶどう酒は、礼拝の側面において聖霊を象徴する液体です。もうひとつの液体は油であり、それは聖霊の油注ぎについて語っています。
また聖書において生ける水(湧き水)とはいつも聖霊が注ぎ出されることについて語っています。イエスは次のような形で説明されました。
『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。』(ヨハネ 7 章 38 節-39 節)
イエスは生ける水は、聖霊が注ぎ出されることだとはっきり語られました。
イエスがこの生ける水について教えられたときは、スコット――仮庵の祭りの時期で(ヨ
ハネ 7 章 2 節・10 節)、その祭りで行われていた儀式のひとつは、行列を組みながらシロアムの池の水を汲み、レビ人に導かれて、水を注ぎ出すためにガバタ(*1)と呼ばれるところに行くというものでした。
このようなことを背景に、イエスは自分が生ける水を与える者だと言い、だれでも渇いているならわたしのもとに来て飲みなさいと言われたのです。
『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節)
聖霊は注ぎ出されるものであり――降った雨は地下水となり湧き水を生み出します。
ラインハルト・ボンケのような人がアフリカにおいて大きな成功を収めているのに、彼がドイツやイギリス、オーストラリアに行っても何も起こらないのはなぜでしょうか?
『わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、 一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。』(アモス 4 章 7 節)
今日、世界には多くの福音派教会の指導者たちがいて、彼らは間違って「正しいプログラムを組めば、それに応じた結果がついてくる」と考えています。
この考え方は教会成長運動(Church Growth Movement)から来たもので、人々が技術的に高度化した世界観を教会に当てはめようとした例です。
「ハードウェアに合ったソフトを買えば、パソコンでの操作は思うがまま」
このように彼らは聖書によらず、高度技術の世界観をもって教会論と宣教論を再編してしまっています。
聖霊はアフリカやブラジル、中国、インドネシアなどの場所で雨のように降り注いでいます。しかし、イギリスとオーストラリアは干ばつに襲われているのです。
聖書が教えているのは、神の命令によって、一つの場所には雨が降り、他の場所は雨が降らずかわききってしまうということです。
神には主権があり、嘆願されることはあっても操られることはありません
聖霊は注がれなくてはなりません。しかし、人がどんなに多くのプログラムを練って、多額の金をつぎこんでも、自分たちで雨を降らせることはできません。
神には主権があり、嘆願されることはあっても、誰かに操られることはありません。
さまざまな種類のユダヤ人
次に私たちはイエスの時代のサマリヤ人を理解する必要があります。当時ユダヤ人はサマリヤ人と関わりを持ちませんでした。今日、同じような関係が、北アイルランドのプロテスタント信者とカトリック信者の間に見られます。
イエスが最初に来られたときに存在していたユダヤ人は、今日存在するクリスチャンと確実に関連性を持っています。
サドカイ人:サドカイ人たちは超自然的なものを否定する合理主義者でした。彼らは復活や超自然的なこと、御使い、死後の世界などを否定していました。今日、英国国教会の主教たちは処女懐胎とイエスの復活を否定しています。サドカイ人はリベラルなプロテスタントにとてもよく似ています。
熱心党(ゼロータイ)/ ヘロデ党:当時、自分たちの政治観と教えを区別できないひとたちがいました。その中で左派であったのが熱心党です。ヨセフスは彼らについて多くの箇所を割いています。イエスの弟子たちの中にも熱心党員たちがいました。
今日そのような考えは“解放の神学”と呼ばれるもので、聖書の中での中心的な出来事はイエスの復活ではなく、出エジプトだと主張しています。それが国家を政治的に解放したものであったので、彼らはその教えをマルクス主義の弁証法と混ぜて主張しています。
そのような左派は南アメリカのローマ・カトリックや、リベラルなプロテスタントのツツ主教、他にはアフリカなどに存在しています。
一方、右派はヘロデ党と呼ばれました。それは今日でいうなら南アフリカにあるオランダ改革派教会、アメリカ南部の根本主義、北アイルランドの厳格な長老派などです。彼らは自分たちの持つ政治観と聖書を切り離せずにいます。
エッセネ派:三つ目のグループは奇妙な異端でした。彼らはユダヤ人の歴史に起ころうとすることを知っており、終末論的なことやメシアの重要性を知っていました。しかし、彼らは他者から自分たちを切り離し、そのようなことについての奇妙な信条を発達させました。最も注目すべきなのがこのエッセネ派で、死海文書からその存在を知ることができます。
現代では、キリスト教の中にいる再臨を強調する風変わりな異端がこれにあたります。
サマリヤ人:北の十部族が捕囚として連れて行かれたときに、イスラエルに少数の者たち
が残り、彼らはアッシリヤ人と結婚し、混血の者たちが生まれました。
この人たちは聖書と異教の宗教を混合し、シオンの山以外に自分たちの山(ゲリジム山)を持ち、ダビデの家からではない王をいただき、レビ人以外の者たちを祭司として立てました。
サマリヤ人はエズラやネヘミヤの敵であった者の子孫であり、エルサレムの城壁と神殿を再建しようとしたときに妨害しようとした者たちの子孫です。
ユダヤ人はサマリヤ人を嫌っていました。ユダヤ人は彼らを混血の民と見なし、ユダヤ教を混ぜ物にした者たちと考えていました。
現代ではそれはカトリックやアングロ・カトリック、東方正教会などの聖書と異教を混ぜ合わせる者たちです。例えば、ローマ・カトリック教会はレビ人以外の祭司制度を持ち、別の聖都を持っています。
しかし最も重要な特徴は、サマリヤ人がもうひとつの救いの教理を持っていたということです。旧い契約と新しい契約の双方において鍵となっていたことは、罪がどのように贖われるかという問題でした。
旧い契約の下ではそれは神殿であり、適切な場所で、適切な時期に、適切な祭司たちによってささげられるいけにえによって贖われました。サマリヤ人たちはそれに対して相対する祭司と山を持っていたのです。
罪はどのように贖われるのでしょうか?
彼らは土地のことについて意見を異にしていたのではなく、救いについて違った意見を持っていました。
パリサイ人:彼らの教理は他のどのグループよりも正しく、最も真理に近い者たちでした。イエスは彼らと多くの事柄に関して同じ意見を持っていました。イエスがサドカイ人と議 論したときは、唯一イエスを陥れようとしたときだけです。普段彼はサドカイ人たちを無 視していました。イエスは主にパリサイ人を相手にしたのです。
パリサイ人の中にも二つの主なグループがありました。シャンマイ学派の弟子たちと、ヒレル学派の弟子たちです。タルソのラビ・サウロ(パウロ)はこのヒレル学派で学んでいました。
パリサイ人たちは多くの事に関して正しかったのですが、ある問題を抱えていました。
そのひとつは口伝律法(*2)でした。彼らは自分たちの伝統に聖書と同じ権威を持たせたのです。
もうひとつの問題は彼らの目を盲目にさせた宗教的なごう慢さでした。パリサイ人は物質主義的な貴族社会を作り、自分の羊を養わずに、自分たちの地位を高めていました。
ミドラッシュ
パリサイ人たちはミドラッシュを理解していました。彼らはラビ・ヒレルが考案した七つの基準(ミドロット)を理解していました(その内容はかなり以前から存在していたものです)。パリサイ人たちは聖書に隠されている奥義を知っていました。
例えば、1 世紀のユダヤ人クリスチャンがヨハネの福音書を読んだなら、ヨハネ 1・2・3 章が創世記 1・2・3 章に対するミドラッシュであるということを認識していたでしょう。ヨハネの福音書での“新しい創造”は創世記の“創造”に対するミドラッシュなのです。
神は創世記のはじめで地を歩いており、ヨハネの福音書でも神が地を歩いています。
創造において、神はやみと光を区別されました。またヨハネの福音書の新しい創造において神はやみと光を区別されました(ヨハネ 3 章 20-21 節参照)。
創造において、霊は水の上を動いて被造物を生み出しました。『水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。』(ヨハネ 3 章 5 節)――と書いてあるように、ヨハネの福音書において御霊は新しい創造をもたらしにやってきたのです。
創世記では小さな光と大きな光がありました。またヨハネの福音書では小さな光――であるバプテスマのヨハネと、大きな光――であるイエスがいるのです。
創世記ではいのちの木が登場し、それはエゼキエル書、ヨハネの福音書、黙示録に登場します。
ヨハネの福音書では、いのちの木がいちじくの木に象徴されています。ナタナエルが『どうして私をご存じなのですか』(ヨハネ 1 章 48 節)と聞いたとき、イエスは『あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです』と言われました。ユダヤ人の象徴、ミドラッシュによって、イエスが彼に言おうとされていたことは、ただナタナエルが文字通りいちじくの木の下にいたということだけではありません。(もちろんそのことも含まれています)イエスはナタナエルに「わたしはあなたを創造のときから見ていた。この世のはじまりからあなたを知っていたのだ」ということを言っていました。
イエスはパリサイ人たちに向かって、『おまえたちは知識のかぎを持ち去り』(ルカ 11 章
52 節)と言われました。それはこれらのことを理解するためのかぎだったのです。
教会は何世紀にも渡ってこの知識のかぎを失っていました。教会はユダヤ人の書物を異邦人の書物として読み、ヘブライ的なものをヘレニズム的に読もうとしてきたのです。
私たちの解釈の方法は西洋の影響を大きく受けています。その読み方は 16 世紀の人間主義から来ており、新約聖書の著者たちからのものではありません。
新約聖書が旧約聖書を扱っている方法を見てください。そうしたときに分かるのは、教会が一部の理解しか持っていないということです。私たちの文法的・史実的な読み方は、中世ローマ・カトリックのグノーシス主義(*3)とスコラ学(*4)に対する反発なのです。
原点に戻るためのかぎは、使徒たちが理解していたように、聖書がユダヤ人的な書物であ
ることを再び認識することにあります。
福音書の中でイエスはみことばを理解するためのかぎを取りました――そのかぎとはパリサイ人たちが政治的、財政的、社会的な権力の基盤としてきたもので、それを用いて自分たちをエリート化し、宗教的な貴族制を作り出してきたものです。イエスはそのかぎを取って一般の民衆に与えました。
そのためにパリサイ人たちはイエスを嫌いました。彼らは本来であれば一般の者たち、民衆を養うべきでしたが、そうはしませんでした。
イエスが少年の頃、バル・ミツバ(*5)のためにエルサレムに上られたときのことを読むとそれが分かります。大人たちは彼の知恵に驚嘆していました。彼らはどこでのこのような知恵を得たのだろう。この子はどうやってミドラッシュを学んだのだろうと思っていました(ルカ 2 章 47 節)。
イエスは聖書を理解するための知識のかぎを一般民衆に与えました。
例をあげると、イエスはイザヤ5 章1 節から7 節のぶどう園のたとえを繰り返されました。
マタイ 21 章 33 節から 46 節では、『祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。』とあり、なぜ彼らがそのことに気づいたかというと、ミドラッシュを理解していたからです。
一方でイエスは、自分の弟子たちにはたとえの意味を個人的に教えられました。そのためにパリサイ人たちは彼を嫌ったのです。イエスはパリサイ人たちの手の内を明かしていました。
サマリヤでのユダヤ人ラビ
今日、厳格な長老派の牧師が――オレンジ色の帯を付け長い帽子をかぶって、カトリック教徒の多いイギリスの西ベルファストを歩かないように、普段サマリヤを通るユダヤ人ラビを見かけることはありません。
過越の時期にエルサレムから戻って来るラビが、ガラリヤ湖を背にして、サマリヤを通るということも同じことなのです。その行為は当時ラビたちが常識と考えていたことと正反対のことでした。
今日まで、正統派ユダヤ人たちは次のように祈ります。「神よ、私が犬や異邦人、女として生まれなかったことに感謝します」(キリスト教とユダヤ教が女性差別をしていると思っている人は、異教が行われている地での状況を見る必要があります。そこで女性は所有物であるかそれ以下です)
イエスはこのサマリヤ人の女に会うために、すべての社会的な慣習に反する行動を取りま
した。イエスは彼女に対して心を開いており、愛情深く、彼女のことを気遣っておられ、
直接的に関与され、ご自身のことを明かされました。その時点では自分のユダヤ人の弟子たちに対するよりも多くのことを彼女に明かされました。イエスは自分がメシアであることをはっきりと告げたのです。
二つの悪
イエスは彼女に生ける水を与えることを望んでおられました。ここで用いられているのはミドラッシュの考え方です。イエスがなされたことはエレミヤ 2 章 13 節から取られています。
『わたしの民 [ユダヤ人] は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。』(エレミヤ 2 章 13 節)
エレミヤはユダヤ人が二つの悪を行うことを予告しました。最初の悪は湧き水の泉であるメシア(聖霊を与えられる方)を捨てるということ。二つ目の悪は自分たちで水をためることのできない、こわれた水ためである他の宗教を作るということです。
今日のユダヤ教はラビ的ユダヤ教というもので、モーセとトーラーを基にしたユダヤ教で はありません。神殿も無ければ、祭司制度も無いのです。それは人が考案した宗教であり、何世紀にも渡って発達した宗教なのです。
ローマ・カトリック教が新約聖書のキリスト教でないのと同じように、ラビ的ユダヤ教はタナク(*6)のユダヤ教ではありません。
正統派のすべてのシナゴーグ(会堂)の屋根には、“イ・カボデ(ichabod)”――栄光は去ったと書かれています。彼らは神殿が崩壊したことを知っているのです。
ユダヤ人クリスチャンは過越の祭りに子羊を食べて祝います。彼らはひとりの大祭司がいるのでそうすることができます。その大祭司の名はイェシュアです。
一方で、正統派ユダヤ人や他のユダヤ人は過越の祭りに鶏肉を食べます。それは彼らが過越の祭りを正しく守ることができないという証となっています。
ラビ的ユダヤ教の始まり
ダニエル 9 章 26 節には、メシアは第二神殿が破壊される前に来て、死ななければならないと書かれてあります。そのときに旧約聖書のユダヤ教は終わったのです。
タルムードを読むと、贖いの日(ヨム・キプール)に至聖所の前に緋色のひもが吊るされ
ていたとあります。その緋色のひもの色が白く変わると、人々の罪は赦されたということを示していました。タルムードの中で、神殿が破壊されるまでの 40 年間、そのひもの色は白く変わらなかったということが記されています。言い換えると、イエスの時代からユダヤ人の罪は赦されなかったということです。(この話はタルムードの中に記されてあり、ラビたちもこれを認めています)ユダヤ人たちは律法ののろいの下にいます。
新しい宗教がヤブネ(パレスチナにある町)で始まりました。それを始めたのは、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイといって、ヒレル学派でタルソのラビ・サウロ(パウロ)と一緒にラビ・ガマリエル(ラビ・ヒレルの孫)から教えを受けていたパウロの級友です。
当時その学派には数多くの著名なラビがいました。そのひとりはラビ・オンケロスであり、聖書のタルグムという翻訳を行った者です。
しかしその中で、疑う余地がなく有名だったラビは、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイとタルソのラビ・サウロの二人でした。神殿が崩壊した後、すべてのユダヤ人がこの二人のラビどちらかに従ったのです。
当時、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイは後にラビ的ユダヤ教となるものの兆しをもたらしました。ラビ的ユダヤ教はレビ人の祭司制度をラビに、神殿をシナゴーグと取り替え、トーラーのほとんどを自分たちの伝統や非聖書的な書物と置き換えてしまいました。
ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイはその名を“力強い金槌”として知られていました。彼が死の床にあったとき、弟子たちが来てみると泣いているのに気づきました。彼らがなぜ泣いているのかと聞くと、「私はもうすぐ“ハ・シェム(*7)”に会おうとしている。その御名がほめたたえらえるように。私の前には二つの道が用意されている。ひとつはパラダイスに続いており、もうひとつはゲヘナに続いている。私は自分がどちらを宣告されているのか分からないのだ。そのために涙を流している」と彼は言いました。
ラビ的ユダヤ教の創始者は死が迫っているときに、救いの確信がなかったのです。一方で彼の級友であったタルソのラビ・サウロは次のように言いました。
『私が世を去る時はすでに来ました…今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。』(2 テモテ 4 章 6 節-8 節)
ミドラッシュ ― つながりを見出す
ユダヤ的な観点で聖書を読むとき、二つのことが地理的に同じ場所で起ったとき、たいていの場合、そこには神学的・霊的なつながりがあります。
例えば、ダビデ王はベツレヘムにおいて生まれ、“ダビデの子”であるイエスもベツレヘ
ムで生まれました。
エリヤとエリシャ、バプテスマのヨハネはみな同じ霊を持っていました。エリヤの奉仕はエリコの平原で終わり、エリシャはその同じエリコの平原で奉仕を開始し、バプテスマのヨハネもその奉仕をエリコの平原で行いました。
井戸のそばにいたリベカ
1 世紀のクリスチャンなら、ヨハネ4 章を理解するために、旧約聖書のどの箇所で女が井戸のそばにいたことがあったかを考えたことでしょう。「以前このようなことはどこで起こったのだろう?イエスさまはそれをどのように成就したのだろうか?」
ミドラッシュは同じような出来事が以前どこで起こったかを問います
私たちは象徴やたとえに基づいて教理を作りはしません。私たちは象徴やたとえを用いて、聖書の他の箇所にはっきりと記されている教理を論証するのです。私たちはグノーシス主 義には陥っていません。
ミドラッシュを理解するためには、何かが起こったとき、その場所で以前何があったかをさかのぼって見る必要がります。
アブラハムが老齢になったころ、彼は息子の花嫁を探すためにしもべを遣わしました(創世記 24 章)。アブラハムは贈り物――宝石――をらくだの背に乗せました。それは自分の親類に与えるため、またそのしもべがアブラハムに遣わされた者だということを証明するためでした。
父はその子に花嫁を準備するためにしもべを遣わしました。神はイエスのために花嫁を整えるため、聖霊を遣わしました。(それは神の三位一体を示すものだったのです)
そのしもべはイサクの花嫁となるべく定められた者を見つけられるように、神に導かれるよう祈りました。
『こうして彼がまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはアブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘であった。この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉 [井戸] に降りて行き、水がめに水を満たし、そして上がって来た。
しもべは彼女に会いに走って行き、そして言った。「どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」』(15 節-17 節)
リベカの兄のラバンは最初、そのしもべのことを信用していませんでしたが、アブラハム
からの贈り物を見たとき確信を持ちました。
『その娘は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。その娘は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。リベカにはひとりの兄があって、その名をラバンと言った。ラバンは外へ出て泉のところにいるその人のもとへ走って行った。
彼は鼻の飾り輪と妹の腕にある腕輪を見、また、「あの人がこう私に言われました」と言った妹リベカのことばを聞くとすぐ、その人のところに行った。すると見よ。その人は泉のほとり、らくだのそばに立っていた。
そこで彼は言った。「どうぞおいでください。主に祝福された方。どうして外に立っておられるのですか。私は家と、らくだのための場所を用意しております。」』
(創世記 24 章 28 節-31 節)
贈り物(賜物)はしもべが御子の花嫁を得るために遣わされたことを証明するものなのです。(これは使徒の働きでのことです)
“井戸のそばにいる女”というこのテーマは、ヨハネの福音書においてもう一度表れています。それは『ヤコブは私たちにこの井戸を与え…』と言った女です(ヨハネ 4 章 12 節)。
井戸のそばにいたラケル
『ふと彼 [ヤコブ] が見ると、野に一つの井戸があった。そしてその井戸のかたわらに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。
その井戸の口の上にある石は大きかった。群れが全部そこに集められたとき、その石を井戸の口からころがして、羊に水を飲ませ、そうしてまた、その石を井戸の口のもとの所に戻すことになっていた。
ヤコブがその人たちに、「兄弟たちよ。あなたがたはどこの方ですか」と尋ねると、彼らは、「私たちはハランの者です」と答えた。それでヤコブは、「あなたがたはナホルの子ラバンをご存じですか」と尋ねると、彼らは、「知っています」と答えた。
ヤコブはまた、彼らに尋ねた。「あの人は元気ですか。」すると彼らは、「元気です。ご覧なさい。あの人の娘ラケルが羊を連れて来ています」と言った。
ヤコブは言った。「ご覧なさい。日はまだ高いし、群れを集める時間でもありませ ん。羊に水を飲ませて、また行って、群れをお飼いなさい。」すると彼らは言った。
「全部の群れが集められるまでは、そうできないのです。集まったら、井戸の口か
ら石をころがし、羊に水を飲ませるのです。」』(創世記 29 節 2 節-8 節)
復活の後に石がころがされるまで、聖霊は与えられませんでした。
ラケルとレアのように
ヤコブはふたりの妻を持ちました。彼はラケルを望みましたが、最初にめとったのはラケルではありませんでした。彼はレアをめとったのです――彼女は本来の目的ではありませんでした。
ヤコブがレアをラケルと同じように愛せるようになってから、その後にラケルをめとることができました。最初はレアが子どもを多く産みましたが、最終的にはラケルの胎が豊かに祝福されました。
イエスはユダヤ人のために来ました(ヨハネ 1 章 11 節)。しかし、彼は異邦人の教会をめとり、彼らをイスラエルやユダヤ人と同じように愛せるようになってからしか、ユダヤ人をめとることはできません。
その後ローマ 11 章にあるように、ユダヤ人はイエスの元に帰ってきて、イスラエルは花嫁となることができるのです。
最初は異邦人の教会が子どもを多く産みましたが、最終的にはイスラエルが実り豊かなぶどうの木となります(ローマ 11 章 25 節-26 節)。
ルツ記は“シャヴォート(七週の祭り――ペンテコステ)”の時期にシナゴーグで朗読されます。ルツ記とは、裕福な男がユダヤ人の妻をめとり、ベツレヘムで生まれたその子が買い戻す者(贖う者)と呼ばれるという話です(ルツ記 4 章 14 節)。
そこで人々はボアズに向かって言いました。
『どうか、主が、あなたの家に入る女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように』(ルツ記 4 章 11 節)
このように彼らが言ったのは、教会がユダヤ人と異邦人とで構成されるべきものだからです。
霊的な次元で語る
ヨハネの福音書では、ナタナエルに始まりニコデモに対しても繰り返されていることがあ
ります。それはイエスが霊的な次元で語っていたということです――新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません――しかし、それを聞いていた人々は物質的な意味にとっていました。『もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか』(ヨハネ 3
章 4 節)
このことの例はヨハネの福音書を通して見受けられます。また他の福音書にも見られることですが、新約聖書の中ではヨハネの福音書において一番目立つものとなっています。
イエスがベテスダの池の近くにいた足なえをいやしたとき、彼にこう言われました。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』(ヨハネ 5 章 8 節)この男がいやされて床が必要でなくなったのなら、なぜイエスは「床を取り上げて歩きなさい」と言われたのでしょうか。なぜなら、床とは十字架の象徴であるからです――これから自分の体をずっと離してはならなかったからです。
言い換えると、イエスはミドラッシュ的に「あなたの十字架を取り、わたしについてきなさい。十字架の道を歩みなさい」と言われていました。
イエスはしばしば霊的な次元で物事を語られましたが、話しかけられた人たちは物質的なことしか考えていませんでした。井戸のそばにいた女も同じようです。
イエスが彼女に会ったとき、彼はすべての社会的な慣習を破って彼女の存在を認めていることを示しました。そして、まだご自分の弟子たちにさえも明かしていないことを彼女に明らかにしたのです。
イエスは、ユダヤ人から見て不道徳で、しかもサマリヤ人だと忌み嫌われていた女に大きな愛を示し、彼女を受け入れる心を示されました。
罪の贖われる方法
ふたりは会話をし始めました。彼女はユダヤ人が信じている多くのことを信じているようでした。彼女は族長たちを尊敬しており――私たちの父ヤコブと言い、トーラー(モーセ五書)を信じていました(サマリヤ人たちは聖書すべてを聖典としませんでしたが、トーラーを固守していました)。また彼女はユダヤ人と同じように、メシアが来ることを信じていました。
最終的に彼女はイエスがメシアであることをはっきりと信じさえしました。
ある人はこう言うかもしれません。「それで十分じゃないか。彼らは聖書を持っているし、族長を信じていて、イエスを信じているのだから。何かいけないところがあるのです か?」
しかし、その女はすぐさま『私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます』(ヨハネ 4 章 20 節)と言いました。イエス
はこれに対してどう言われたのでしょうか?
これは土地の問題でも、周辺的な問題でもありません。これは中心的な問題です。罪はどこで贖われるのでしょうか?
罪はどのように贖われるのでしょうか?ということです。
ローマ・カトリック教会は、救いが主に洗礼とざんげの秘蹟によって与えられると教えています。
これは秘蹟主義や洗礼による再生と呼ばれるものです。
救いは秘蹟によって与えられるものではありません。救いは生まれ変わることによって与えられます。
『しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。』
(ガラテヤ 1 章 8 節)
パウロはそのような人たちから離れなさいと書いています。それは彼らと何の関係を持たないということです。それが神の御使いであっても退けるべきなのです。モーセが岩を杖で打ったとき(出エジプト 17 章 6 節)、水が溢れ出しました。それはイエスが十字架にかけられて、聖霊が与えられることと同じことでした。
モーセがその岩を二度打ったために(民数記 20 章 11 節)、彼は約束の地に入ることができませんでした。それは大きな罪と見なされました。まさにイエスをもう一度十字架につけるようなことだったのです。
モーセが岩を二度打ったことは、
イエスをもう一度十字架につけるようなことでした
ローマ・カトリック教会はミサを行うごとに、何度もその“岩”を袋叩きにしているのです。彼らはミサがカルバリの丘でささげられたのと同じいけにえだと主張します。ということは、イエスは何度も何度も死ぬということなのです。
これがローマ・カトリックの教えです。
ただ一度だけで
私たちの大祭司は『まず自分の罪のために、その次に、(旧約のもとで)民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。』(ヘブル 7 章 27 節)
イエスはただ一度だけ死なれました。カトリック教会のミサの教えのように毎日死ぬとい
うものではありません――彼らはミサが同じいけにえだと主張し、キリストは礼典的に死なれると主張しています。
『また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』(ヘブル 9 章 12 節)
『キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。』(ヘブル 10 章 14 節)
サタンは絶えず、クリスチャンに十字架の完全さを否定させようとします。サタンに歪められたキリスト教のすべてが何らかの形で十字架を否定しています。
すべての欺きは信者であるあなたを十字架から離れさせるのです。
すべての欺きは信者であるあなたを十字架から離れさせます
繁栄だけを約束する説教者たち(ヘーゲンやコープランドなど)は、イエスが地獄に下り、そこでサタンと同じ性質を持ち、地獄で生まれ変わったと教えています。そこでイエスが勝利を得たと言うのです。
彼らの考えは十字架が救いにおいての中心でないために、十字架が信仰生活の中心でなくなっています。聖書が教える生き方とは、十字架を取りイエスに従い、十字架につけられた生活をすることです。
エホバの証人は十字架のことを“苦しみの杭”と呼びます。彼らはそれを十字架とさえ呼
びたがりません。彼らは救いが自分たちの組織から与えられると信じています。
また、内なる癒しと解放という分野で教えられていることのほとんどは、一種の巧妙な霊的誘惑であり、十字架の完全さを否定するようになっています。このことを信じている人たちは、祖母が占い師であったりする人(信者)を見つけては、彼らにそののろいから解放され、救い出されなくてはならないと言います。
聖書に基づいた癒し
聖書の中にあるすべての癒しは、ふたつのことに基づいています。それは赦しと十字架です。
人が私に対して何をしたかに関わりなく、私は神に対して最も酷いことをしました。私が
どれだけ傷つき退けられたかに関わらず、私は神に対して最も酷いことをしました。
神は私を赦したいと願っておられ、私も赦してほしいと望んでいます。しかし、そうなるためには条件があります。それは私が他者を赦すための恵みと力を神に求めることです。これがクリスチャンの内なる癒しの最初の基礎です。
二つ目は、『このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。』(ローマ 6 章 11 節)という原則です。
私たちはキリストと共に十字架につけられました。あなたは新しく造られた者です。昔虐待された子どもであっても、夫に捨てられた妻であったとしても、どんな人であったとしてもその人は死にました。あなたは新しく造られた者です。
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(2 コリント 5 章 17 節)
悪魔は絶えず、十字架の完全性を忘れるように仕向けさせます。彼のすることといえば、古い人を掘り返し、何らかの形で古い人のままで生きさせようとすることです。
私はここで、そのような良くない環境にいた人たちが色々な方法でのカウンセリングや、回復するための手段、助けを必要としないと言っているのではありません。そのような人たちは手助けを受けることが必要です。しかし、その基礎はいつも二つの原則、赦しと十字架となるべきなのです。
ローマ・カトリックもまたイエスの十字架の完全性を否定します。
イエスと井戸のそばの女はただ「私たちにはこの山があって、あなたたちにはあの山がある」と言っていたのではありません。
問題はどこで罪が贖われるのか。私たちはどのようにしたら赦されるのかということです。
イエスはその話を進める前に彼女に言いました。「女の人。あなたは良い人だ。わたしはあなたを悪く思っていない。あなたと会話をするためにすべての社会的な風習に反した。なぜなら、あなたはサマリヤ人で、女であり、遊女のようであるからだ。わたしはあなたと話をするためにすべてのマナーを破った。しかし、言っておかなければならないことがあります。救いはユダヤ人から来ます」
霊とまこと
イエスは霊とまことが大切だと言われました。彼女は正しい霊を持っていましたが、まこ
とを持っていませんでした。おそらくパリサイ人たちはまこと(真理)を持っていたでし
ょう。しかし彼らは正しい霊を持っていませんでした。
神にとって比較的容易なのは、正しい霊を持っている人たちにまことを与えることです。たいていの場合、まことだけを持っている人に正しい霊を与えることは容易ではありません。
それは極端なカルヴァン主義を持った人たちの態度の中に見ることができます。予定説とそこから発生するエリート意識はしばしば人種差別という形となって現れます。
実際に、超カルヴァン主義の教会がずっと存在していた場所のすべてに、社会的な不公平の歴史がありました。超カルヴァン主義が存在したアメリカ南部では人種差別と奴隷制があり、また超カルヴァン主義のオランダ改革派教会があった南アフリカにはアパルトヘイト(人種隔離政策)がありました。同じ超カルヴァン主義を持った厳格な北アイルランドの長老派の地域もそうです。これはカルヴァンのジュネーブでの警察国家にさかのぼることなのです。
人が食べるものではない
イエスは井戸のそばの女に対して、悪霊につかれた娘を持つスロ・フェニキヤの女に対するとのと同じような態度を取りました。『子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。』(マルコ 7 章 27 節)
表面的にはイエスはひどい人種差別をしていたかのように見えます。しかし、私は保証しますが、イエスさまはユダヤ人の少女と同じように、スロ・フェニキヤの少女を愛していました。
イエスがその女に言っていたことというのは、「あなたの宗教は人の食べるようなものではない。あなたがそのようなものを信じている限り、わたしが持つものを与えることはできない」ということなのです。
イエスさまは会話を先へ進める前に、彼女が信じる偽りの宗教を正しました。
ローマ・カトリックは人にはふさわしくありません。偶像礼拝をすることや、死者に向かって祈ることは忌むべきことです。救いは秘蹟によって与えられるものではなく、私たちために十字架上で流されたイエスの血から来ます。
霊とまこと。正しい霊を持たないなら、まことだけでは十分だといえません。またまことを持っていなければ、正しい霊だけで十分ということはありません。
イエスさまは何と言われたでしょうか。「女の方よ。救いはユダヤ人から来ます。あなたがたは知らないで礼拝しています。まことは彼らのものです」
救いは福音主義からやってきます。ローマからではありません。この井戸のそばの女のようなローマ・カトリック教徒たちが多くいます。正しい霊を持つ人たちです。
使徒の働きで、使徒たちがユダヤ人に退けられたとき、多くのサマリヤ人たちが福音に対
して心を開き始めました。同じように今日多くのローマ・カトリック教徒が心を開いています。
カトリック教徒たちの中で働かれる神
カトリック教国の中で神さまは働かれています。イギリスでペンテコステ派は衰退する一方で、イタリヤやフィリピン、ブラジルなどにいる何百万のカトリック教徒たちがキリストに導かれています。
ヨーロッパでは、宗教改革の影響が全くなかった東方正教会やカトリック教国の中で教会は成長しています。現代のアイルランドでは、プロテスタントよりも多くのカトリック教徒たちがキリストに導かれています。
同じことがイタリヤやスペイン、ポルトガル、ルーマニア、アルバニア、ロシアなどの宗教改革の影響を全く持たなかった国で起こり、福音は前進しています。
それではどのような場所で教会は衰退しているでしょうか?イングランドやウェールズ、スコットランド、オランダ、ドイツ、スイス、スカンジナビアなど、何世紀にも渡り真理を持っていた場所です。
カトリック教徒たちは正しい霊を持ち、まことを得たいと望んでいます。彼らは飢え渇いているのです。神はカトリックの人たちを愛しています。彼らは未来を代表していて、プロテスタント主義は過去のものとなってしまいました。
チリのサンチアゴでは毎週 2 万人もの人が救われ、ローマ・カトリック教会を離れていった時期が最近ありました。フィリピンでも同じようなことが起こっています。
グアテマラでは過去 10 年間で、人口の 10 パーセントがローマ・カトリック教会を去っています。
このようなことが起こっているので、教皇は事態を取り繕うためにその国々へと向かいます。
「アヴェ・マリア あ~会えて嬉しいや
どうか去って行かないで」
イエスは何と言われたか
イエスは何と言われたでしょうか。イエスはカトリック教徒たちに対してリック・ウォレ
ンのように話しかけられたでしょうか?またダーリン・チェックやヒルソングのようにカトリック教徒たちに話しかけられたでしょうか?
(注…日本のキリスト教書店では、マザー・テレサやザビエルの映画を販売して、まるで彼らが聖書的な救いの道を知っていたかのように思わせています)
「死者に向かって祈ってもよろしいですよ。救いの教理が違ってもかまいません。聖書とイエスを信じていればそれで十分なのです」と彼らは言います。
それは間違っています。十分ではありません。救いはユダヤ人から来ます。その山ではなく、あなたの罪が赦されるのはそのような方法ではないのです。秘蹟は罪を贖いません。
これがイエスの言われたことです。そして私たちもカトリックの人たちを愛するならば、同じことを彼らに言うべきです。
エキュメニズム
『ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」しかし、ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちは、彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」』(エズラ 4 章 1 節-3 節)
エキュメニカル運動は何を主張しているのでしょうか?
「私たちもあなたたちといっしょに建てたい。私たちはみなひとつじゃないか。イエスを 信じ、聖書も持ち、あなたたちの信じていることを信じています。妊娠中絶にも反対だし、同性愛にだって反対していますよ(私たちの中の多くの祭司は同性愛者だけど)」
ヒゼキヤは良い王でしたが、ひどい間違いを犯しました。自分の宝をバビロンの王に見せてしまったのです。そのことがあってから、イザヤが予告したようにバビロンの王が来て宝を奪っていきました。
福音派がローマと宝を共有してしまうと、その宝はいつかローマによって奪い去られるこ
とでしょう。ローマ・カトリックのエキュメニズムについての文章のすべてが同じこと、
ローマに戻ることについて書いています。彼らは公にそれを認めています。何も分かっていないのは思慮のないプロテスタントだけです。
人々はエキュメニズムがリバイバルをもたらす方法だと言い、ローマ・カトリック教徒たちが救われる方法だと言います。
しかし、ローマ・カトリック教徒が救われている場所(ブラジルやメキシコ、フィリピンなど)を見ると、その何千、何万、何百万もの人たちがローマから出てきたことが分かります。その人たちは「私たちはバビロンから去って来ました。今私たちはクリスチャンです」とあなたに言うでしょう。
エキュメニズムという異端を受け入れている社会はほとんど次のような社会です。過去にキリスト教国だった社会、そしてもはや真理に立っていないカリスマ派運動、みことばを知らない指導者たちやみことばに気を留めない指導者たちのいる社会です。
「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい」と彼らは言うでしょう。しかし、ゼルバベルとヨシュアは言います。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない」
グノーシス主義
ローマ・カトリックはグノーシス主義を基礎にしていることを思い出してください。グノーシス主義を信じている人と関わりを持つとき、彼らは同じ用語を使っていますが、彼らにとっては違う意味を持っています。
例えば、ニューエイジ(基本的にグノーシス主義)に関わっている人と話すとき、あなたが「私は光を見た」と言うと、彼らも「私も光を見ましたよ」と言うでしょう。
私たちにとって光とは唯一イエスのみ(ヨハネ 1 章 9 節)ですが、彼らには違う定義があり、内なる自己が照らされたことという意味で使っており、どちらも「光を見た」と言うのです。
また復興主義者たちが“神の国”や“勝利”といった言葉を使うとき、聖書と違う意味をもたせて使っています。
ローマ・カトリックとプロテスタントの神学者たちのエキュメニズム的な会議では、プロテスタント側が「私たちは恵みによって救われた」と言うと、カトリック側も同意して「私たちも恵みによって救われました」と言うでしょう。
英語の“グレース(恵み)”という言葉の意味は“受けるに値しない恩恵”というものです。ヘブライ語で恵みを表す言葉は“ケセッド(chesed)”というもので、“神の契約の中にある慈しみ”という意味です。またギリシア語で“恵み”とは“カリス(charis)”であり、
“賜物”を意味します。
つまり、福音派が「私たちは恵みによって救われた」と考えるとき、神の賜物、契約の中
にある神の慈しみ、自分たちが受けるに値しない神の恩恵について考えているのです。
しかし、ローマ・カトリックにとって“恵み”とは秘蹟によって得られる、何かこの世のものではない物質なのです。
なので、彼らはどちらも同意して「私たちは恵みによって救われた」と言う一方で、その用語に対する二つの違う定義を持っているのです。
水がめは置いていくが、その中にいる人たちは
霊とまこと。サマリヤ人の女はイエスが言われた生ける水に関しての言葉をそのまま受け取りました。
『女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」』(ヨハネ 4 章 28 節-29 節)
彼女はイエスに会った後自分の水がめを置いて、町の中の人たちのもとへと行きました。 彼女は自分の宗教を置いていきましたが、その中にいる人たちは置いていきませんでした。改心したローマ・カトリック教徒はローマ・カトリック教会を去るべきですが、その中に いる人たちは置いていってはなりません。
唯一の仲介者
救いは秘蹟によっては与えられません。生まれ変わらなくてはならないのです。ローマ・カトリック教会は、救いが秘蹟によって与えられると教えており、膨大な数の人たちを地獄に引き込んでいます。
マリアに祈ることは死者に向かって祈ることであり、神にとって忌むべきものです。ロザリオの祈りの中では、ひとつの祈りの中で 10 回はマリアに対して祈っています。
『女の中の祝福された方…』これは事実です。しかし「聖なるマリア、神の母」ということは聖書には出てきません。それは神に対する冒涜です。
「今我々罪人たちのために祈ってください。また私たちの死の間際にも」これはイエスとマリアを取り違えることです。聖書は『神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです』(1 テモテ 2 章 5 節)と言っています。
聖書はまたイエスのみが唯一の贖い主であると言います。しかしローマはマリアが共贖者
(イエスと共に罪を贖う者)であると言います。これらすべてのことはバビロンを起源と
する異端の宗教からやってきました。聖書からではありません。
ローマ・カトリックの中でも本当にイエスを愛し、神を求めている人たちがいます。正しい霊を持つ人はまことを受け入れます。しかし、正しくない霊を持つ人はまことを受け入れません。
答えられないほどの疑問
ローマ・カトリック教会の枢機卿であったヘンリー・エドワード・マニング(1808-92)は自伝の中で、祭司として人々がローマ・カトリック教徒になる何千もの理由を知っていると書きました。
しかし、彼は人々がローマ・カトリック教会を去る理由をひとつだけしか知りませんでした。それは神のことばを読み、結局どの祭司も答えられなくなるような疑問でいっぱいになる場合でした。
学者たちは少なくとも、カトリックの儀式の 70 パーセントが異教から来ていると言ってい ます。ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿は、彼の論文『キリスト教という宗教の発達』の中で「聖域や香、燭台、奉納の供え物、聖水、聖日、勤行の時期、行進、土地への祝福、聖職者の祭服、剃髪式(祭司や修道僧、修道女などの)、像などはすべて異教から来たも のである」と書いています(p.359)。
カトリックの中で最も偉大な二人の神学者、トマス・アクィナスとヒッポのアウグスティヌスは無原罪懐胎(マリアが原罪の無い状態で生まれたとする説)を否定していました。カトリックの聖者である聖ベルナルドは化体説を否定しました。ローマ・カトリック教会の中で生まれ変わったと主張し、真理を示されたときにそこを去ろうとしない人たちは、初めから救われていないか、反抗心へと陥っている人たちです。
正しい霊を持ったローマ・カトリック教徒がまことを聞くと、彼らはそれを喜んで受け取ります。
世界中に井戸のそばの男と女がいて彼らはイエスを待っています
そして私たちを待っているのです
(*1) ガバタ=エルサレムの総督官邸にある舗装された地域。ピラトがイエスを十字架に
かけるためにサンヘドリンに彼を渡した場所
(*2) 口伝律法=モーセ五書に関する教えや格言を集めたもの。律法についての“ここまでして良い”という境界を定める注解書の役割をなしている
(*3) グノーシス主義=救いが信仰や行いによらず、神秘的な知識を得ることによるとする教え。(グノーシス=ギリシア語で知識の意味)
(*4) スコラ学=中世ヨーロッパで後に“スクールマン”として知られるようになる学者たちが発達させたキリスト教哲学・神学のこと
(*5) バル・ミツバ=文字通りには“義務の子”。ユダヤ教で大人の一員として認められるためになされる儀式
(*6) タナク(Tenach)=旧約聖書のヘブライ語の名称。トーラー(モーセ五書)、ネヴィーム(預言書)、ケトゥヴィーム(文字通りには“諸書”、詩篇や、特定の歴史・知恵文学)の頭文字を取った言葉
(*7) ハ・シェム=文字通りには“その名”を意味するヘブライ語。ユダヤ人が神の名を口にすることを避けるために一般的に使っていた婉曲表現
Typology of the Grain Offering - Japanese
穀物のささげ物の象徴
ジェイコブ・プラッシュ
レビ記はヘブライ語で「そして、主は呼ばれた」という意味の「ヴァイクラー(V'yekra)」と呼ばれます。レビ記 2 章 1 節から
『人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならな い。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らの ところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、そ の乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。』(1 節-2 節)
『その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。また、もしあなたのささげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れないものでなければならない。あなたはそれを粉々に砕いて、その上に油をそそぎなさい。これは穀物のささげ物である。また、もしあなたのささげ物が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉で作らなければならない。こうして、あなたが作った穀物のささげ物を主にささげるときは、それを祭司のところに持って来、祭司はそれを祭壇に持って行きなさい。祭司はその穀物のささげ物から、記念の部分を取り出し、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。これは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。』(3 節-10 節)
『あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはなら ない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしては ならないからである。それらは初物のささげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇の上で焼き尽くしてはならない。』(11 節-12 節)
『あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの
穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。もしあなたが初穂の穀物のささげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。祭司は記念の部分、すなわち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。』(レビ 2 章 13 節-16 節)
ほとんどのクリスチャンは、ユダヤ人がタナク(Tenakh)と呼ぶ、旧約聖書での動物のい けにえはイエスの象徴であるなどの何かしらの考えを持っています。過越の傷のない子羊 は、イエスがどのような方であるかを示していたということを知っているかもしれません。神さまにとってひとりの罪の無い者は多くの罪ある者たちにまさっています。それゆえ、 ひとりの人が私たち全員のために死ぬことが出来たのです。またある人は贖いの日(ヨム・キプール)の贖罪のやぎのことについて知っているかもしれません。私たちはヘブル人へ の手紙 9 章から 11 章でそれについて読みます。大祭司は実際に二匹のやぎの頭に手を置き ます。それは罪をやぎの頭の上に置くことの象徴です。そして、彼らはそのやぎを通りに 連れ出し、人々はやぎにつばをかけ、足で蹴り、石を投げ、棒で叩き、罪のためにそれら を呪います。その後、やぎは町の外に連れて行かれ、そこで一匹はほふられ、もう一匹は 断崖に連れて行かれます。これはイエスに起こることの象徴でした。神は私たちの罪を彼 に負わせられ、エルサレムの通りで見せ物とされ、都の外に連れ出され、処刑されました。クリスチャンの多くは、これら動物の血のささげ物がイエスの象徴であったと知っていま す。しかしながら、穀物のささげ物に関してのことを考える人はあまり多くありません。
その本当の名前をタルソのラビ・サウロといったパウロは、イエスが成就されたモーセ五書、「トーラー」を私たちが確立すると教えています。その中のすべてのことがイエスを指し示しています。私たちは新約聖書のみを読むことによって福音を理解し、救われる方法を知ることが出来ます。しかしそれを深いレベルまで理解し、福音の豊かさを理解するためには旧約聖書の背景を知らなければなりません。私たちはイエスさまがどのようにして律法を成就したのかを知るべきなのです。
ここで穀物のささげ物はヘブライ語で「マッツァー(matzah)」といい、種をいれないパンです。もしかすると、マッツァーを見たことがあるかもしれません。ある教会では聖餐式のときにマッツァーを用いるからです。それには筋が入れられ、穴が開けられます。タルムードの中で過越しで使われる種をいれないパンはそうでなければならないと命じられているのです。このことは過越の子羊と関連しているとラビたちは言っています。これはま
さにイエスがヨハネ 6 章で語られたことであり、彼の体の象徴です。そのためにパンは筋が入れられ、穴を開けられ、その後、砕かれました。『彼の打ち傷によって、私たちはいやされ』、『彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され』た、とヘブライ人の預言者イザヤは私たちに伝えています。穀物のささげ物はイエスが私たちの罪のためにささげられたいけにえの象徴なのです。
穀物は三つの方法でささげられました。第一に、それは覆いの無い火の上、かまどでささげられます。第二に、平なべでささげられました。それは長い取っ手のついたフライパンのような物です。第三の方法は、私たちがヘブライ語で「ブタナー(b'tanur)」と呼ぶなべの中でささげられます。つまり、穀物は覆いの無い火の上、平なべ、なべの中でささげられたのです。私たちは三次元の生き物です。なぜなら、神さまは私たちを神のかたちに似せて(Imago Dei)、お造りになったからです。私たちは体、たましい、霊とで成っています。この性質は私たちがどのように三位一体の神のかたちに似せて造られたかを示すものです。私たちの三つの側面は創造主の三つの側面を示しています。私たちはある人が「セオポモーフィック(theopomorphic)」と呼ぶものであり、神のかたちに造られています。
この事実を踏まえると、イエスさまが私たちの罪のために死なれたとき、彼は体、たましい、それに霊において苦しまれたということが分かります。罪は私たちの存在のすべての側面を汚します。罪は肉体を汚し、たましいである意思や感情、知性を汚し、私たちの霊を汚します。私たちのすべての側面は罪のために汚れています。それゆえ、その罪を取り去るためにイエスさまは体、たましい、霊をもって贖わなければならなかったのです。
なので、まず穀物のささげ物は覆いの無い火の上でささげられました。かまどの上で穀物がささげられている時、すべての人はそれが焼けていくのを見ることが出来ました。このことは主イエスの肉体的な苦しみと関連しています。イエスはほぼ裸に近い状態で公に吊るされ、ローマ人による処刑を耐え忍んでいました。すべての人は彼が肉体的に拷問にかけられているのを見ることが出来ました。イエスが十字架につけられた時、彼は私の罪のために釘付けにされました。イエスがローマ人兵士たちに打ち叩かれ、その頭にいばらの冠を押し付けたられたのは私の罪を負ったからです。イエスは釘を受け、私は救いを受けした。正しくない者のために正しい者が苦しんだのです。
アメリカの“バイブル・ベルト(伝統的にクリスチャンが多い地域)”には大きな問題があります。その問題とは“文化的プロテスタント主義”です。言い換えると、そのような環境で育ったという理由だけで、福音が宣べ伝えられている教会に行き、福音を信じている人々がいるのです。その人たちはずっとそうしてきました。しかし、全き救いには至っていません。これが、私が世界中のバイブル・ベルトのある地域で見た大きな問題です。南
アフリカや北アイルランド、もちろん南アメリカでもその状態を発見しました。そこには
教理があり、信条があり、主を知っている人たちもいるかもしれませんが、そうでない人たちがいるのです。イエスが十字架に向かったとき、それはあなたのためでした。神はあなたの罪を取り、彼に負わせられました。そしてイエスの義を取り、あなたに着させられたのです。あなたはこれを個人的に受け入れなくてはなりません。そうでなければ何度教会に行こうともクリスチャンではないのです。
彼は肉体において苦しみを受けました。すべての人が穀物が焼けていくのを見ることが出来ました。彼への拷問は言うに耐えないほどのものでした。私はあるクリスチャン病理学者が記した死体解剖のレポートを一度読んだことがあるのですが、それはローマ式に十字架にかけられた死体についてであり、信じられないほどおぞましいものでした。現代の技術をもってしても、人を殺すためにローマ人たちがイエスに用いたほど残酷な方法を見つけることは難しいでしょう。
一方で、穀物は平なべにおいてもささげられました。その上で焼かれているとき、どのような状態であるかはただ部分的に見えるだけでした。そこで起こっていることをいくらかは見えたでしょうが、すべてを見ることは出来なかったのです。レビ記 2 章で見るこの平なべで焼かれた穀物は、イエスの情緒的・精神的な苦しみと関連しています。聖書が「たましいの苦しみ」と表現しているものです。
誰かが情緒的・精神的に苦しんでいるとき、また絶望や死別や何らかのものによって憂う つになっているとき、他の人は何が起こっているかを部分的に知ることは出来ますが、す べてを知ることは出来ません。少し離れると、平なべで焼かれている穀物を部分的にしか 見えませんでした。しかし、焼かれていくさまのすべてを見ようとするなら、真上に立ち、見下ろさなくてはなりません。従って、誰かが絶望や死別、救われなかった親類の死につ いて悲しんでいたとしても、他の人は何が起こっているのかを部分的に知るだけなのです。しかし、あなたを上から見下ろす方はすべてを知っています。主はすべてをご存知です。 他の人は敏感に察し、共感するかもしれませんが神さまはすべてを理解されているのです。
そうです。イエスは私たちの悲しみを負いました。彼は肉体的にも苦しみ、情緒的にも精神的にも拷問を受けました。
しかし、穀物がささげられる三つ目の方法があります。それはヘブライ語で「オーブンの中」という意味の「ブタナー」と呼ばれる物で、誰もその中を見ることは出来ませんでした。
イエスが十字架に向かったとき、三位一体の神の中で特別なことが起こりました。父なる
神が御子に背を向けました。さて、私たちが非常に気を付けないといけないことは、アメリカ南部を起源としたとんでもない異端の教えがあるということです。それは名ばかりの
“クリスチャン TV(Christian television)”というものの中で、金銭目的の説教者が広め たものです。彼らは「イエスは霊的に死んだ」と言い、イエスがいのちを引き取るときに、 彼自身「完了した。」「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と言ったにも関わらず、サタ ンが十字架上で勝利を得たと教え、イエスの言ったことは起こらなかったとする、完全に 冒とく的な嘘です。彼らは、イエスはサタンと性質がひとつになり、よみで三日三晩苦し みを受け、そこで生まれ変わったと教えています。これが金銭目的の説教者たちの信じて いることです。このようなことを信じているとイエスの十字架は信仰生活の中心ではなく、救いに関しても十字架が中心ではなくなります。「自分の十字架を負ってわたしについて来 なさい。そして、やがて来るべき世に希望を持ちなさい」と言う代わりに、彼らの信条は、
「名を挙げて要求しなさい(Name it and claim it)・あなたは王様の子どもなんだから・
神さまはあなたに金持ちになってほしい」というものや、『神の国は今(Kingdom now)』などのものです。これらはひどい異端の教えです。イエスは十字架上で勝利を得ました。悪魔ではありません。しかし、オーブンの中では何かが起こりました。その神性の中で何かが起こったのです。父なる神が御子に背を向けました。神さまは罪を見逃すことは出来ません。私たちはここで何が起こっていたかということについて、完全には理解しきっていません。
私たちはイエスの肉体的な苦しみを少しもないがしろには出来ません。その苦痛は耐え難いほどのものだったのです。そして、彼の情緒的・精神的な苦しみもそうです。聖書は簡素に「たましいの苦しみ」と書いていますが、これも事実です。しかし、イエスにより深い苦しみを引き起こしたのは三位一体の中で起こったことです。父なる神が御子に背を向けました。そのオーブンの中で何かが起こりました。私たちの罪を彼に負わせ、その義を私たちに与えるため、父なる神が御子に背を向けるといったような、危機的状態に神がどのようにして陥ることが出来たでしょうか?肉体の苦しみはひどく、精神的苦痛は耐え難かったのですが、霊的には起こったことはさらに悪かったのです。イエスは、私の罪とあなたの罪のために、その時、父なる神との交わりから切り離されました。
イエスは肉体において、たましいにおいて、霊において苦しみました。このように穀物はささげられなければならなかったのです。かまどでは、すべての人が見ることができ、平なべでは、上から見下ろす以外には部分的にしか見えず、なべ(オーブン)では誰も見ることが出来ませんでした。
そこで、穀物には油が塗られ、油が注がれなければなりませんでした。ヘブライ語での油
の基本的な単語は「シェメン(shemen)」といいます。それは油注ぎに関して使われます。
「キリスト」という言葉はギリシア語の「クリストス(christos)」から来ました。これは、
「油注がれた者」という意味のメシア、つまりヘブライ語では「ハ・マシアハ(ha Mashiach)」という単語のギリシア的な言い方です。イエスはその支配に関して油注がれる以前に、埋葬のために油注がれました。そして、第二コリントの手紙において、パウロが自らの奉仕について油注ぎの証拠を語ったときも、彼は使徒としての奇跡やしるしを初めに語らず、見捨てられたことや遭難したこと、石打ちにされたことなどを語りました。キリストから来る油注ぎ、真実の油注ぎの証拠は何よりもまず、十字架につけられた生活であり、この世に何の望みも置かない生活です。それはいわゆる“クリスチャン TV”であるように、世が見てからかう、ベンツなどの物質的な浪費ではありません。それは油注ぎではありません。油注ぎとは十字架につけられた生活であり、この世に望みを置かない生活、神のみこころであればこの世で苦しむ恵みを与えてくれる神、その方に信頼する者に与えられるものです。もしそれが死に至ろうとも、この世においての自分のいのちを惜しまない者、そのようなものが油注ぎの本当の証拠です。
イエスは埋葬のために油注がれました。油は穀物の上に注がれました。油と乳香です。イエスがお生まれになったとき、東方の博士たちは彼が王であるために、黄金を持ってきました。またその死のために没薬を持ってきました(没薬とは、ご存知のように埋葬のために死体に塗られる物で、それはヨハネ 19 章 39 節で見ることが出来ます)。そして彼らはまた乳香を持ってきました。香とは、黙示録を見るなら、それが聖徒たちの祈りだということが分かります。(訳注…黙示録 5 章 8 節)
このことを理解するために、雅歌の 4 章 6 節を手短に読んでみましょう。私たちは雅歌のことをヘブライ語で「ハシェル・ハシェリム(Hashir Hashirim)」と呼びます。これはアレゴリー(たとえ話)であり、ソロモンとシュラムの女との恋愛は、キリストと花嫁との恋愛の象徴です。4 章 6 節では次のように言われています、
『そよ風が吹き始め、
影が消え去るころまでに、
私は没薬の山、乳香の丘に行こう。』(雅歌 4 章 6 節)
花婿は花嫁のために死ぬという目的で、埋葬の準備にと油注がれていました。それは私たちがカルバリの丘と呼ぶ、没薬の山において、受け入れられるいけにえをささげるためでした。そのようにイエスは受け入れられるいけにえをささげるため、埋葬のために油注が
れていたのです。気付いているでしょうか。あなたが祈りに祈っても、讃美歌を何度も何
度も歌っても、それは関係がありません。それがキリストにあってなされたことであり、人が生まれ変わっていなければ、その礼拝は受け入れられません。キリストにあってなされたことだけが重要なのです。あなたは教会に行きたいだけ行くことが出来ます。それは良いことなのですが、それだけでは十分ではないのです。キリストにあることだけが重要です。続けましょう。
穀物は受け入れられる礼拝をもたらすために油注がれました。油と共に香がありました。しかし、穀物と一緒に蜜をささげてはいけませんでした。パン種もそうです。“種を入れないパン”それがマッツァーの意味するものです。なぜ、イエスの体を象徴しているパンにはパン種を入れてはならなかったのでしょうか。パン種とはどのようなものでしょうか?新約聖書は繰り返し、パン種について語っています。
第一コリント 5 章では、パウロは次のように言います、『あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの [ペサハのメシア] 過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。』(5 章 6 節-7 節)
パン種やイースト菌はそのパンの栄養価という点に関しては、何の貢献するところもありません。ただそれをふくらませるだけです。『あなたがたの高慢は、よくないことです。』第一に、パン種の示すものは罪ですが、特に高慢の罪に関してです。高慢は影響力の大きな罪です。それは他の罪を引き起こすものだからです。イザヤ 14 章において、最初の罪は高慢だったことが分かります。サタンは神になろうとしました。永遠の時の中で、サタンは神の権威を奪い取ろうとしています。イザヤ 14 章によると、高慢がサタンの最初の罪でした。アダムとエバの誘惑されたとき、人間の最初の罪も高慢でした。高慢は、他の罪を招く種類の罪なのです。誰でも、よこしまであったり、押さえられない欲望を持っていたり、怒りやすかったりする人であっても、根底には高慢があります。このように高慢は他の罪を生み出し、他の罪を引き起こすものです。
イエスさまが十字架の上でなされたこと以外に、私が誇るものがあってはなりません。それがすべてであり、イエスさまが私の罪を取り去り、死者からよみがえられたことだけを私は誇るべきなのです。イエスは神でしたから罪はありませんでした。彼が誇るべきことはすべてのことについてであったにも関わらず、何も誇りはしませんでした。しかし、私のような何も誇るところの無い者が、毎日高慢と戦っています。あなたもそうではないでしょうか。私たちは高慢と毎日戦いますが、イエスはそうされなかったのです。マッツァ
ーにはパン種は入っていませんでした。
またイエスはさらに語られます。『パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。』これは彼らの“偽りの教理”についてです。異端や間違った教理を見つけたときには、(偽りの教理を理解するにはただ、名ばかりの“クリスチャン TV”をつけるだけで十分です。その中には真実の教えより、偽りの教えのほうが多いのです)それはパリサイ人のパン種です。ふくらませるもの、それが高慢です。「神に示された!これが出来る!進んで行って征服するんだ!」といったものは霊的な高慢です。偽りの教理や異端があれば、その源泉はいつも霊的な高慢から出てきています。パリサイ人のパン種に気をつけてください。イエスの内には何の偽りの教えも、異端もありませんでした。彼の話されたすべての言葉は 120 パーセント真実です。そのマッツァーの中にパン種はありませんでした。もしそうでなかったならイエスは私たちの罪のために死ぬことが出来なかったでしょう。
もう一度言いますが、罪のあるすべての人より、罪のないひとりの人のほうが神にとって価値があります。あなたがどのくらい善い人かということは問題ではありません。天国に行くには十分に善い人ではないからです。また言い換えると、あなたがどんなに悪くても問題ではありません。神があなたを愛さず、イエスがあなたの罪を負い、そのいのちを与えられないほど人が悪くなることは出来ないからです。これが福音です。
しかし、このことをずっと耳にしながら、育ってきた人たちの場合は難しいものです。そ の人たちは 20 年や 30 年、40 年とこのメッセージを聞いてきて(人によって違いはあるで しょうが)何百回となく聞いてきた人もいるでしょう。その状況で未だに新しく生まれる に至っていない人がいます。これはとんでもない悲劇です。私の家族はイスラエルに住む ユダヤ人です。ユダヤ人は福音を退けたことにおいて、他の人たちよりも罪が重いのです。なぜならイエスはユダヤ人であり、福音はまず初めにイスラエルに来たからです。またロ ーマ人への手紙で言われていることですが、神はまずユダヤ人に責任を問うとあります。 なぜなら彼らは救いを受取ることができ、それを拒否することの結果も彼らに最初に下る からです。従って、福音をくりかえし聞き続けてきた人たちは、福音に容易に触れること の出来なかった人たちより、責任が重くなります。私は大学に入るまでは、新生したクリ スチャンがどのようなものか全く知りませんでした。そのようなことについて聞いたこと すら無かったのです。しかし、多くの人がそれを聞きながらも受け入れずに育ってきてい ます。その人たちは真理を知っているのです。そうでなかったとしても、少なくとも真理 は彼らの手の届くところにあります。私はよくアフリカやインド、中東に行きます。この 真理について、何も聞いたことの無い人々のいる場所に訪れます。しかし、その場所でも、日曜日ごとに教会に行く人たちはいるのですが、彼らの生活に何の変化も見られません。
マッツァーの中には、高慢や偽りの教理のようなパン種は何も入っていませんでした。罪
のないひとりの人が、罪あるすべての人のために死ぬことが出来るためです。
しかし、また、そこには蜜はありませんでした。その穀物にはなぜ、蜜がそえられていなかったのでしょうか?蜜に何か問題があったのでしょうか?私たちは聖書によってパン種とは何であるかが分かります。それなら蜜のいけないところは何なのでしょうか?なぜレビ記 2 章で神は穀物がささげられるとき、蜜が一緒にあってはならないと言われたのでしょうか?
箴言 24 章 13 節を開いてください。聖書はいつも他の聖書箇所によって解釈されなければいけません。そこで『わが子よ。蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。』とあります。蜜は甘いのです。ここで、蜜についてのヘブライ的な考え方を理解しておきましょう。ヘブライ語で蜜は「デヴァッシュ(devash)」といい、それは蜂を表わす「デボラ(devorah)」という言葉から来ています。デボラという女の子の名前はヘブライ語で“蜂”という意味です。一方、神の言葉である聖書を表わすヘブライ語は「デヴァール(devar)」といいます。神の言葉は甘いのです。黙示録の中で(またはエゼキエル 3章で)巻き物は口に甘く腹に苦いものでした。神の言葉は私たちの舌に甘いのです。それはいつも口に対して甘いにも関わらず、腹には苦いものです。聖書はとても興味深くまた励まされるものです。しかし、私たちには責任があります。ただ単に知識を増やすだけではなく、自分の生活を変える必要があるからです。口に甘く、腹に苦いのです。そうです私たちは蜜の部分だけ好み、苦味の部分は嫌います。
ヘブライ人は乳と蜜の流れる地に入りました。なのでいつの日か私たちも、乳と蜜の流れる地である天に入ります。これは象徴です。天においてすべてが愛らしいものとなります。しかしながら、私たちはこの世の象徴であるエジプトを出てから、そこに至るまでは荒野に滞在しています。砂漠は厳しい場所です。イスラエルの民のためにマナが降り注ぎましたが、それはちょうど蜜のような味がしました。今もその“マナ”は降り注ぎ、蜜のような味がします。
しかし、蜜には問題がありました。それは蜜自体に悪い点があるのではなく、私たちが蜜をどう扱うかという点において問題があるということです。箴言 25 章 16 節を見ると、『蜜を見つけたら、十分、食べよ。しかし、食べすぎて吐き出すことがないように。』とあります。蜜を食べすぎたなら、吐き気がします。私自身とても穏やかなペンテコステ派(カリスマ派)ですが、その中のすべての過激主義には反対しています。しかし、ペンテコステ運動の何が間違っていたか、ほぼ 30 年たったにも関わらず何のリバイバルも起こらない
理由について、ひとこと言いたいと思います。蜜が多すぎるのです。すべてのことが愛情
や感情、やさしくすることに基づいていました。彼らはただ口に残る甘さを求め、腹に残る苦味は欲しがらなかったのです。彼らは聖書的な神学の代わりに経験主義の神学を受け入れました。彼らの教理は自分たちにとって気持ちが良いので、そう作り上げたものです。それはこの世の心理学と変わりがありません。気持ちが良いという要因「気持ちが良いので、良いものに違いない」という考え方です。
『蜜を見つけたら、十分(必要なだけ)、食べよ。』――ある程度の蜜は必要なのです。 私たちはみな、愛情を必要としています。蜜は愛情と関連しています。子どもに最も深刻 な害を与える親が二種類います。ひとつは、子どもに厳格すぎる親であり、もうひとつは、子どもを甘やかし過ぎる親です。私には、アメリカ軍にいた叔父がいました。そして、彼 の職務は兵士を戦闘のために訓練することであり、朝鮮では英雄であって、ひとりの良い 兵士でした。しかし、叔父は自分の職業柄と、家庭生活を切り離すことが出来ませんでし た。結果として、子どもたちにとても厳しく訓練のように接しました。これが子どもたち に悪い影響を及ぼし、彼らは次から次へと非行に走りました。最終的には、子どもたちは 自分の人生に対して責任を負うのですが、その育てられ方は厳しすぎたのです。父親であ っても自分の子どもを一度も抱きしめたことの無い人がいるのを知っていますか?聖書は 母親の愛について語るよりも、父親の愛について多くの箇所を割いて語っています。なぜなら、神は父である神だからです。もし、子どもが父親の愛を分からなければ、その欠落 は彼や彼女の、神に対するイメージを不明瞭にします。子どもに対して非常に必要とされ る愛情を一度も示さない父親がいます。
ただ「必要な分だけ食べて」食べすぎないほうが良いのです。「こんな小さなヘンリーのお尻を叩くなんて、ヘンリーは良い子なのよ」と言っていると、ある日、もはや小さくもないし、良い子でもないヘンリーを探しに、警察がドアをノックするようなことになります。これも良くありません。
蜜を見つけたのですか?必要なだけ食べてください。私たちは蜜を確かに必要としていま す。しかし、食べすぎると吐き気がします。感情によって支配されて、霊的であることと、感情や感覚を取り違えている人たちを警戒してください。何が霊的かを決定するのは神の ことばにある教えです。私たちの感情ではありません。
さらに読み進めてみましょう。箴言 25 章 27 節『あまり多くの蜜を食べるのはよくない。しかし、りっぱなことばは尊重しなければならない。(新共同訳――蜂蜜を食べ過ぎればうまさは失われる。名誉を追い求めれば名誉は失われる。)』蜜を食べすぎている(感情に支配されている)人たちに出会ったなら、その人たちは霊的な高慢に陥っています。彼ら
は名誉を追い求め、まわりにいる誰よりも自分が霊的であると思い「私はあなたがたより
聖い」という態度を取り、間違って感覚と感情が霊的であることのバロメーターとなっているのです。そして「私たちは裁いてはいないし、批判もしていない」と言います。
私の家族はふたつの文化的背景、ユダヤ人とカトリック教徒の組み合わせです。私のユダヤ人家族たちはメシアなしに地獄への道を歩んでいます。しかし「ユダヤ人を愛している」と言いながらも、彼らに福音を伝えることをしないクリスチャンがいます。実際に、イスラエル人をその国に帰還させたいと考えている人たちが、「クリスチャン大使館(Christian
Embassies)」と呼ばれる組織を作っていますが、彼らは“愛”の名を語って福音を伝えずにいるのです。それは「私たちは、あなたたちユダヤ人を愛しています!地獄に行きなさい」と言っているようなものなのです。ユダヤ人を愛しているのならメシアについて語ってください。
「ああ、私たちはカトリックの兄弟たちを愛しています!」と言う人もいるでしょう。私の母は救いに関して主イエス・キリストよりも、マリヤ像に信頼しています。また彼女も地獄への道を歩んでいるのです。もし、カトリック教徒を愛しているのなら、彼らに真実の福音を告げるはずです。キリストの血ですべての罪がきよめられるか、煉獄(魂が天国に行く前に清めのため罰を受けると言われる場所)に行って自分の罪の償いをするかふたつにひとつです。どちらの福音を信じますか?パウロは、もし神の使いが来て別の福音を伝えても、私たちはそれを拒否すべきだと教えました。煉獄というものはありません。私たちは自分の罪の償いをすることはありません。なぜなら、キリストの血はすべての罪から私たちをきよめるからです。しかし、愛の名において人々はカトリック教徒を兄弟と呼び、彼らを死の恐怖につながれたままにします。これは愛ではありません。全き愛は恐れを締め出します。イエスが私たちの罪を負いました。しかし、愛の名において、あるクリスチャンたちは人々をそのような奴隷の状態のままにしておくのです。「ああ、でも私たちはカトリック教徒を愛すべきでしょう!」確かにそうです。だから彼らに真実を告げましょう。ピリピ 1 章 9 節において、私たちは愛と真理が互いに排他的ではなく、むしろ、互いに依存し合っていることが分かります。しかし、カリスマ派運動が穀物にではなく、蜜に目を向けているために、彼らはもはやこのことを知らなくなりました。
「必要なだけ食べて、食べすぎないように」
たましいの機能は意思、知性、感情です。人間の知性はとても良いしもべですが、悪い主人です。人間の感情もまた良いしもべですが、それは命取りになる残酷な、死を招く主人です。もし、神のことばの代わりに感情や感覚を用いて物事を考えている人がいるなら、その人は霊的な高慢に陥っており、霊的に自殺をするような道を歩んでいます。そしても
し可能なら、その人は他の者をも引きずり込もうとするでしょう。
そうです、穀物の上に蜜はありませんでした。イエスの十字架の内に感情は全く含まれていませんでした。父なる神は御子に背を向けました。しかし、私は蜜を得ました。――『…ほどに神は世を愛された』――私は蜜を得たのです。私が一晩を共にした女の子、鼻から吸っていたコカイン――イエスはその代価を払ってくれました。彼は釘を受けました。イエスは私のしたことによって木に吊るされ、私は蜜を受けました。イエスは蜜に触れることすらしませんでした。その穀物の上には蜜はなかったのです。
そこには蜜もなく、パン種もありませんでした。レビ記 2 章 12 節には『それらは初物のさ さげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇 の上で焼き尽くしてはならない。』とあります。初物の穀物はなぜ穀物のささげ物として、用いられなかったのでしょうか?初物(初穂)とは何かを理解しましょう。それは 4 月、 過越の週の間のヘブライ人の例祭でした。イエスはその時期に十字架にかけられました。 その週の日曜日、大祭司はキデロンの谷といって神殿の丘とオリーブ山のちょうど中間に ある谷に行きます。日の出と共にオリーブ山の後ろからさしこんでくる光が最初に照らす、その穀物の芽が初穂と呼ばれるものです。四つの福音書はすべて、イエスがよみがえった のは夜明けごろであったと記しています。言い換えると、大祭司が初穂を神殿に持ち帰っ ていたまさにその時、イエスは復活する者たちの初穂として死者からよみがえったのです。これが 1 コリント 15 章 20 節でパウロが言っていたことです。『しかし、今やキリストは、 眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。』彼がその初穂なのです。
それならどうして、穀物の初物は祭壇の上でささげられなかったのでしょうか?それはイエスが死なれたのが、それで最後だったからです。一度私たちの罪のために死なれ、墓からよみがえられたのなら彼が再び死ぬことはありえません。こういうわけで、モーセが岩を二度打ったために、約束の地に入ることが出来なかったのです。それはイエスを繰り返し十字架につけるようなことだからです。イエスは一度だけ死なれ、生ける水である聖霊が注がれました。
今日、エキュメニカル(教会統一)運動という大きな問題があります。ところで、救われた信者が救われた信者と一致するのはとても良いことです。私は新生したバプテスト派が新生した長老派や(過激ではない)新生したペンテコステ派と一緒に集まることに賛成です。私は救われたクリスチャンが一致するのを大いに支持しています。しかし、救われたクリスチャンがリベラルなプロテスタントや未信者と協調し始めたり、ローマ・カトリック教会と近づくことは全く違ったものとなります。ヘブル 7 章 27 節を見ると、『ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日
いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ
一度でこのことを成し遂げられたからです。』とあり、ヘブル 9 章 12 節では、『また、や ぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』と同じようにあり、ヘブル 9 章 28 節には『キリス
トも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが』ヘブル 10 章 10 節 には、『このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられた ことにより、私たちは聖なるものとされているのです。』とあります。ただ一度です。もし、何かが完全にされたなら、それをさらに改善することは出来ません。イエスはただ一度だ け死なれました。
それゆえ、コリント人への手紙で言われているように、イエスは初穂なのです。彼は一度 死なれ、一度だけ死者からよみがえられ、再び死ぬことはありません。なぜならそのいけ にえは完全だったからです。ローマ・カトリック教会のミサの教義はこのことを否定します。彼らはミサがカルバリでのいけにえと同じものであると主張し、イエスが何度も、何度も、何度も死なれると主張します。カトリックのミサの教理はイエス・キリストの福音を根本 的に否定しているのです。
ルターやカルヴァン、ツヴィングリなどの宗教改革者たちは、確かに完璧な人たちではありませんでした。彼らは多くの過ちを犯し、再洗礼派(バプテスト)を迫害さえしたのです。しかしながら、その一人ひとりはかつてローマ・カトリックの司祭であって、聖書を読んで救われた者たちでした。また彼らはローマ・カトリックの聖職者であっただけでなく、その中の知識人階層であり、聖書に立ち返り、それを原語のギリシア語で読んだとき何が間違っているかを理解した者たちです。すべての宗教改革者たちが、かつてカトリックの司祭であったが、聖書を原語で読み救われた者たちです。第二バチカン公会議(1962
‐1965)以降でもカトリックの教理は何も変わっていません。イエスはたった一度だけ死なれました。
穀物はまた塩で味をつけられました。もう一度“ことば”という考えに戻ってみましょう。ヨハネ 1 章『初めに、ことばがあった。』イエスはそのことばであり、聖書こそが“ことば”です。彼のことばが彼自身なのです。またそれは塩味のきいたものです。塩は古代中東で、唯一用いられた保存料でした。塩である神のことばは保存します。イエスの力が保存します。教会が伝道的( evangelistic ) でなくなったなら、次第にそれは福音的
(evangelical)ではなくなってくるでしょう。キリストを捨てると、そのことばも次第に 捨て去るようになります。そしてこれがリベラルなプロテスタントの陥ったことなのです。彼らは「宗教の形を備えているが、その中にある力を否定した」のです。彼らはただ聖書 の道徳的な教えだけ守ろうとし、主との個人的な関係を忘れてしまいました。“ことば”
はみことばです。一旦、ことばが見捨てられるとみことばもそれに続きます。言い換えれ
ば、一旦、イエスが捨てられると聖書もその後に続くのです。
私はイギリスに住んでいます。ロンドンのウェストミンスターにある英国国会議事堂の外壁には「pater nostra cuis en coeleas(天にましますわれらの父よ)」と記してあります。なぜならその国会議事堂は聖書を信じる清教徒により建てられたからです。しかし、その内側は無神論者やフリーメーソン、イスラム教徒などでいっぱいです。神はその他の者たちをご存知です。
この社会はなぜくだらないものになってしまったのでしょうか?なぜこんなに多くの犯罪があるのでしょうか?なぜ救われた信者や、牧師と呼ばれる者であっても離婚・再婚をしているのでしょうか?塩がその味を失ったからです。彼らはイエスから離れ去ったため、聖書の教えからも離れたのです。彼らが“ことば”から離れたので、みことばから離れたのです。イエスがみことばです。あなたが聖書から離れると、それにつれてキリストから離れるようになります。単純なことです。
塩は保存します。いわゆるバイブル・ベルトと呼ばれるところであっても、“クリスチャン”の間での不品行や犯罪、離婚は驚くべきものです。さらに驚くべきことは、それが今受け入れられてきているということです。私が救われたときクリスチャンが離婚して、再婚するといったことは聞いたことがありませんでした。もしそれが起こったなら、その人たちが救われる以前であったか、未信者の配偶者が去って行ったかのどちらかでした。それだけでした。そうでなければ決して起こりはしなかったからです。しかし今は、何の意味も成さなくなりました。とても有名な人たちがそうしています!新聞に出ていさえするのです!ハル・リンゼイ(Hal Lindsay 1929 年生まれの米国の伝道者)は三度目の離婚と再婚の最中であり、エイミー・グラント(Amy Grant 米国のクリスチャンシンガー)は離婚交渉中です。もはや何の意味も持たなくなりました。塩がその塩味を失ってしまったからです。
さらに詳しく見てみましょう。穀物はふたつの方法でささげられます。そのままの状態と粉々に砕かれた状態です。そのままの穀物と砕かれた穀物の違いとは何でしょうか?それはどちらも神のことばを示していますが、それはふたつの形でやってきます。神のことばが真実の聖霊の油注ぎのもとに教えられるなら、それが砕かれた穀物です。それはみことばを取りすっかり砕いて、人々が消化しやすい形で与えるということです。これは良いことです。しかし、そのままの穀物が最初に来ます。どんな聖書の教師もクリスチャンの本も、あなたひとりで神のことばを読むことに取って代わることは決してありません。『天路歴程』(ジョン・バンヤン著)や『悪魔の手紙』(C・S・ルイス著)、また A・W・トウザーに
よる本などはとても良いものであり、砕かれた穀物です。多くの良く砕かれた穀物があり
ます。しかしながら、そのままの穀物が最初に来ます。どんな教えや教師、テープ、ビデオ、本、インターネットもあなたの祈りを伴った、個人的に聖書を読むことに取って代わることは決してないのです。
みことばが“ことば”であり、主のことばであり、ことばの主です。主こそがみことばです。イエスは穀物であり、三つの方法でささげられます。イエスが私たちの罪を負ったとき体、たましい、霊において苦しまれました。その穀物はかまど、平なべ、なべ(オーブン)で焼き尽くされました。
イエスは王国の支配のために油注がれる前に、埋葬のために油注がれました。そこにはベニー・ヒン(Benny Hinn)のヘアースタイルもなく、ベンツや豪邸もありませんでした。そこには、油注ぎの証拠として十字架につけられた生活がありました。イエスは主へ受け入れられるいけにえをささげたのです。
蜜はありませんでした:十字架の上に愛情はありませんでした。父なる神は私の罪のために、御子に背を向けたのです。私は地獄のほか何も受ける価値はありません。しかし、私は愛情を受けました。イエスが私の罪を取り去ったので、私は地獄に行くことがなくなったのです。
パン種はありませんでした:そこには何の偽りの教理も、高慢も、罪もありませんでした。しかし、保存するための塩がありました。この塩で味が付けられた穀物は社会を保ち、国 や教派、教会、家族、あなたの人生と私の人生を保ちます。塩は腐るのを防ぎます。
そのままの穀物と砕かれた穀物:神が私たちのために用意されているものであり、神が望まれているものです。ある人々の場合、福音は全生涯を通して啓示されていますが、それは受け入れられていません。しかし、今日というこの時も、それを受け入れることが出来るのです。
クリスチャンは多すぎる蜜に警戒するように。愛情を差し控えてはいけませんが、またそれによって支配されないようにすることです。
これがすべてです。私たちの住んでいる国々は素晴らしいものです。しかし、アメリカやイギリスなどの国に何かが起きています。私たちが先祖たちから譲り受けた聖書的な遺産は急速に衰退しています。私たちの置かれている状況は次第に文化的なキリスト教としか呼べないほどになっています。本当には救われていない人々が何の行いも無しに、口ばか
りなのです。私は解決策を持っていませんが、神はすべてご存知です。その解決策とは穀
物です。私たちは問題を抱えていますが、神は解決策を備えておられます。
Who are the Jews - Japanese
まずはじめに、異邦人の時について語っているふたつの聖書箇所を見ることから始めてみ ましょう。ひとつはローマ 11 章 25 節で、そこでパウロは救いという観点から語っていま
す。「異邦人の完成のなる時」。イエスはルカ 21 章 24 節で異邦人の時を、国家の預言的側 面から語っています。「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされま す」
ユダヤ人への神の目的は部分的また一時的に保留されました。しかし個人的にイエスを信 じるユダヤ人はいつの時代でも存在しました。それはただ一日にして終わったのではあり ません。神は「もう終わりだ――私は異邦人に行く」とは言いませんでした。異邦人の時は 使徒 10 章でコルネリオの家で最初に異邦人が信じたときに始まります。その後、使徒 13 章でパウロやバルナバの働きがあります。
異邦人への移行は漸進的な(少しずつ進む)ものでした。一日の間にユダヤ人から異邦人 へ恵みが移ったのではなく、そこには移行期があったのです。そしてそれと同じように異 邦人の時は終わりに至ります。これは神がご自身の恵みを異邦人からユダヤ人に戻される 移行期のことです。
イザヤはメシアが千年王国に到来することを預言しました。初代教会はすべて前千年王国 説を信じていました。そして新約聖書は神が恵みをイスラエルに対して回復される時にキ リストは再臨すると書いています。神がユダヤ人を頑なにしたことは部分的であり、一時 的です。なので神はあたかもこう言っているようです。「私はあなたがたを呼んだが、あ なたがたは私の契約を破った。私はエレミヤを遣わしたがあなたがたは牢獄に入れた。イ ザヤを遣わしたがあなたがたは半分に切り裂いた。私はリバイバルをもたらす義の説教者
たちを遣わした。ヨシヤ王を遣わし、ヒゼキヤ王を遣わした。またエズラやネヘミヤを遣
わしたが、あなたがたはそのようなリバイバルを忘れてしまった。あなたがたは私の契約 を破り、今度は私の息子、メシアを退けた。私は異邦人のほうに行く」
しかしパウロはその状況が入れ替わる時が来ると私たちに語っています。したがってそこ には異邦人とユダヤ人という区別があるのです。それではユダヤ人とは一体誰のことなの でしょう?
創世記 12 章にはアブラハムへの 5 つの約束があります。またパウロはローマ 2 章 29 節で 本当のユダヤ人がどのようなものかを説明しています。パウロはそこで言葉遊びを用いて 書きました。
『かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、 心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです』
誉れという言葉が鍵となる言葉です。“ユダヤ人”という言葉はユダ部族――イェフダから来 ています。その本来の意味は“神の礼拝者(誉れを与える者)”というものです。パウロはこ こで言葉遊びをしています。パウロは誉れが人から来るものではないと言っているのです
。それは“ユダヤ人”の意味――ユダ部族からの神の礼拝者とかけた言葉遊びです。
“ユダヤ人”と再定義される異邦人
私たちが今日“ユダヤ人”と呼ぶものの一般的な定義は主にバビロン捕囚から生じたもので す。本来、彼らはイスラエル人と呼ばれていました。“ユダヤ人”という言葉がユダヤ人自 身からではなく、異邦人によりアブラハム、イサク、ヤコブのすべての子孫へ付けられた ことは興味深いことです。これは福音書でも顕著な事柄です。マルコ 15 章 32 節ではイエ
スはユダヤ人から“イスラエルの王”と呼ばれています。しかし同じ章の 2 節では彼はロー マ人たちから“ユダヤ人の王”と呼ばれています。イエスはユダヤ人にとっては“イスラエル 人”だったのです。“ユダヤ人”という一般的な言葉は主にバビロン捕囚の期間またその後に 主に発達したものです。第二列王記 16 章を見ると、南王国ユダに住んでいた住民の地理的 な位置を知ることができます。当時の“ユダヤ人”はただ、バビロン捕囚から戻ってきたユ ダの住民を指す言葉でした。本来彼らは“イスラエル人”と呼ばれていて、それはへブル人 から来ていました。“イスラエル人”はヤコブ、神と闘う者の子孫であり、それがユダヤ人 の特徴を形作っています。ユダヤ人は神と闘う者です。ヤコブは主の御使いと格闘しまし た。ラビたちはその御使いを“メタトロン”と呼んでいます。私たちはそれがキリストの顕 現――旧約聖書でのキリストの顕れであることを知っています。
ここで思い出してほしいのが、ヤコブは主の御使いと顔が見えるまで夜を通して格闘した
ということです。夜とは大患難に関して最も一般的に用いられる聖書象徴の比喩のひとつ です。「夜回りよ。今は夜の何時か。夜回りよ。今は夜の何時か」彼が戻って来るのは第 二の夜回りか、第三の夜回りか。「夜中の盗人のように来る」「わざを、昼の間に行なわ なければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます」ヤコブは夜の終わりまで格 闘しました。未信のイスラエルは大患難全体を経験し、その後、大患難の終わりにイエス を認めます。聖書中でヤコブという言い方がなされているとき、それはユダヤ民族に特化 した表現です。ユダヤ民族は神と格闘しています。一方彼らが国になる前、出エジプトか ら彼らは“ヘブル人”と呼ばれていました。
新約聖書はこれをさらに展開しています。新約聖書ではユダヤ人とは南部イスラエル人の 子孫、つまり、バビロン捕囚から帰還したユダヤの民、またマカベア家の後のハスモン王 朝を通ってきた者たちのことです。ですがヨハネはそれに特別な見解を加えています。彼 は他の福音書と違った独特な意味で“ユダヤ人”という用語を使っています。そのために誤 ってヨハネの福音書がクリスチャンの反ユダヤ主義を伝えているといわれていますが、私 たちは当時の背景を理解する必要があります。ギリシア語の“ユーダイオス(Ioudaios)” の翻訳に問題があるのです。ヨハネは、ヨハネ 4 章を除いて、“ユダヤ人”という単語を、 エルサレム内外に住みサンヘドリンが支配していた宗教組織のメンバーという意味で使っ ていました。したがって「ユダヤ人のために」や「信じたユダヤ人は」という表現を見る 時、彼らはみなユダヤ人であったことは確かなのです。それが意味していることは、その 宗教組織の一員であった者のこと、たいていがパリサイ人、時に他の分派のこともありま した。しかしそのすべての者がサンヘドリンの支配下にあったのです。使徒の働きはより 一般的な用語を使うか、“ユダヤ人”という単語をより一般的な意味で使っています。それ は異邦人ではない者、ガアル(在留異国人)ではないもの、サマリヤ人ではない者という 意味です。
ユダヤ教には主要な三種類があります。モーセ的ユダヤ教、タルムード的ユダヤ教、イス ラエルの法的ユダヤ教です。このうちふたつは有効で、ひとつはそうではありません。最 初のモーセ的ユダヤ教はタナク、旧約聖書の最初の五書、モーセ五書に見られるものです
。このユダヤ教は紀元 70 年から存在しえないユダヤ教です。預言者ダニエルはメシアは大 事神殿が崩壊する前に来て、死ななければならないと言いました。ミシュナのサンヘドリ ン 96b にもそうあります。実際、人々はイザヤ 53 章を禁断の章と呼んでいます。タルムー ドは事実ダニエル 9 章を読む者には呪いが下ると書いています。なぜでしょうか。それは
その箇所にメシアの到来の時期が予告されていたからです。メシアはやって来て、死なな
ければなりませんでした。ユダヤ人の多くは尋ねます。「もしイエスがメシアなら、なぜ 今も戦争があるのか」彼らはきちんと理解していません。ダニエルにはメシアが来て死に
、終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められていると書いてあります。メシアはその第二 の到来において世界的な平和をもたらすのです。
ユダヤ教ではふたつのメシア像があります。マシアハ・ベン・ヨセフ、それとマシアハ・ ベン・ダヴィード、つまりヨセフの子とダビデの子です。最初の到来においてイエスはヨ セフの特徴をもってやって来ました。それはユダヤ人兄弟たちに裏切られ、異邦人の手に 引き渡されるという特徴です。彼の兄弟はヨセフを最初の出会いで認識しませんでしたが
、2度目に会った時に彼だと分かりました。そして彼らはヨセフと共に激しく泣き、それ と同じことをヨセフの子にも行うのです。第二の到来においてダビデの子はメシアの王国 を建て上げます。そうです、イエスは平和をもたらします。ですが最初の到来は救いをも たらすために来られました。モーセ的ユダヤ教に関しては、それは紀元 70 年以降は存在し ていません。
誰も自分で聖書を読むだけでは、人々が信じさせようとしているものと同じ結論に至る人 はいません。本当に多くの人がただ新約聖書を読むだけで新生に至っています。誰もただ 新約聖書を読んだだけでエホバの証人になることはありません。誰もただ新約聖書を読ん だだけでモルモン教徒にならないし、(私の母親にこう言ったと言わないでほしいですが
)誰もただ新約聖書を読んだだけでローマ・カトリック教徒にはなりはしません。そして ユダヤ人の誰もトーラーを呼んで、タルムード的ユダヤ教がモーセや預言者のユダヤ教だ と思う人はいないのです。“ラビ”という単語はタナク(旧約聖書)に一度も登場しません。
二つ目のユダヤ教がタルムード的ユダヤ教です。それは紀元 90 年のヤブネの会議にてラビ
・モーシェ・ヨハナン・ベン・ザッカイが創設したものです。彼はガマリエルの学派出身 の聖パウロと同級生でした。彼はラビ・ヒレルの孫ガマリエルの元に、ヒレルのパリサイ 派神学校で他のラビたちと学んでいました。これはふたりのラビの物語です。ふたりの同 級生がいました。タルソのラビ・サウルとラビ・ベン・ザッカイです。紀元 70 年に神殿が 崩壊した時、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイはエルサレムから箱、棺桶に入れられなん とか脱出しました。そしてヘブライ語の正典――旧約聖書が定められた会議に集ったので す。彼は神殿の代わりにシナゴーグにしようと言いました。大祭司の代わりにラビたちを 置き換えました。そしていけにえの代わりにより多くのミツヴォート――善行を行おうと 決めたのです。
すべてのユダヤ人はこのふたりの同級生どちらかに従います。救いの確信が無かったヨハ
ナン・ベン・ザッカイか、イェシュアを自分のメシアと信じていたために救いの確信があ
ったタルソのラビ・サウロのどちらかです。
タルムード的ユダヤ教はモーセや預言者のユダヤ教ではありません。それは混ざり合った のものです――まさに名ばかりのキリスト教と同じです。タルムード的ユダヤ教にはさま ざまな形があり――ハシド派、正統派、保守派とあります。またリベラルな改革派は基本 的に人間主義者です。その宗教は本当の信仰に関するよりも文化や倫理的なことにかりあ っています。これがタルムード的ユダヤ教です。ですが三種類目のユダヤ教があります。 これは有効なものです。これがパウロや使徒たちが守ったものです。それはイエスがトー ラーを成就したメシアだと信じるユダヤ教、「メシアニック的ユダヤ教」です。しかしな がら今日のメシアニック運動の中にはさまざまなものがあります。
ユダヤ人が何でないかという地位の定義について考えてみましょう。パウロはローマ人へ の手紙 2 章 28 節-29 節でこう書いています。「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではな く、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人が ユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人か らではなく、神から来るものです」文字ではなく霊によります。
さて人目に隠れたユダヤ人についてですが、このふたつの節の誤解によって置換神学の考 えに推進力が与えられています。「我々が人目に隠れたユダヤ人なのだ。私たちの心は割 礼を受けている」というものです。しかしながら、もし誰かが手紙を受け取ったなら、手 紙全体の文脈を無視して、ある部分だけを引用することはできません。ローマ人への手紙 は手紙であり、そのような解釈は手紙のその先に書いてあるものと正反対のものです。11 章全体では、この手紙の著者であるパウロが聖霊(ルアハ・ハ・コデシュ)の導きのもと
、本来のオリーブの枝(ユダヤ人)と接木された枝(異邦人)の区別を付けています。
エレミヤ 31 章 31 節ではこのようにあります。「わたしは、イスラエルの家とユダの家と に、新しい契約を結ぶ。その契約は…(父祖たちと結んだもの)のようではない」神は新 契約を誰と結んだのでしょうか?教会でしょうか?イエスは教会とひとつも契約を結びま せんでした。彼はイスラエルとユダヤ人に結ばれたのです。もし神がユダヤ人との関係を 終わらせたのなら、神は教会とも関係を終わらせたことでしょう。もし神がユダヤ人との 関係を終わらせたのなら、私たちとの関係も終わっていました。幸運なことに、契約の有 効性は人の忠実さによるものではなく、神の忠実さによるものです。神は初めからご自分 の民が不忠実であることを知っておられました。イスラエルの背信に関することでも、そ れと同等またはイスラエル以上の背信が実際に教会の中にあります。
信じた非ユダヤ人、すなわち異邦人が信じないユダヤ人に取って代わったのは事実です。
自分の木から切り折られた不信のユダヤ人が信じた異邦人に取って代えられました。しか しそれは新しい木ではなく、同じ木 なのです。根は見ることができません。しかしもし 根が死んでいたなら、木そのものも死んでいるのです。もし神がイスラエルとの関係を終 わらせているなら、自動的に教会との関係も終わらせていることになります。
北王国の失われた十部族についてはどうでしょうか。聖書は彼らに何が起こったかを記し ています。北王国からの忠実な者たちはアサ王の治世に南に下り、自分たちの部族として のアイデンティティーを守りました。そのためにヤコブの手紙は“十二部族”に向けて書か れているのです。ルカの福音書の誕生物語に登場するアンナは、アシェル部族の出身でし た。ミシュナはずっと 3 世紀、4 世紀までそれぞれの部族の記録をたくさん残しています。 十部族は聖書によれば決して失われていないのです。他の者たちはアッシリア人侵略者た ちと雑婚し、サマリヤ人となりました。そしてその他はアッシリア帝国に散らばり、中央 アジアのユダヤ人共同体を形作ったり、ただ吸収されてしまいました。
ローマ人への手紙 2 章 28 節から 29 節を見てみましょう。「かえって人目に隠れたユダヤ
人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です」エレミヤ 9 章 25 節から 26 節は“割礼を受けているが割礼を受けていない者”という言葉を使っています。 そのような者たちに対して「エジプト、ユダ、エドム、アモン人、モアブ、および荒野の 住人でこめかみを刈り上げているすべての者を罰する」と書かれてあります。ユダが異邦 人の国々のただ中に書かれていることに注目してください。これはなぜなのでしょうか。 それは異教徒のようにふるまうなら、ユダヤ人は彼らに勝ったところが無くなるからです
。そのような人はユダヤの遺産を捨て去ってしまっています。自分たちのメシアを退けた ユダヤ人は自分たちのユダヤの遺産を放棄してしまっています。パウロが言うように彼ら はもう一度自分たちの木に戻されることができます。神はユダヤ人をとても簡単に信じさ せることができます。なぜなら神はそれより困難なことをもうすでにされたからです。そ れはエスキモーにユダヤの神を信じさせ、ベネズエラ人にユダヤの神を信じさせ、中国の 民に信じさせ、ヨーロッパ人にユダヤの神を信じさせたからです。イザヤ 11 章 1 節にある
、異邦人がエッサイの根のもとに来るという言葉が諸国の上に成就するなら、また軽蔑さ れたこの小さな国の神を非ユダヤ人に信じさせられるのなら、自分たちのメシアをユダヤ 人に信じさせることはいかに容易なことでしょうか。
割礼は改宗のひとつの象徴です。それでは非ユダヤ人で新生した者はどうなるのでしょう
?私たちはその答えをイザヤ 56 章 3 節とエペソ 2 章 12 節で見ることができます。「主に 連なる外国人は言ってはならない。『主はきっと、私をその民から切り離される』と」(イ ザヤ 56 章 3 節)神はあなたがユダヤ人のメシアに信仰を持つなら、ユダヤ人から切り離し
はしません。アブラハムがすべて信じる者の父と書かれていることを思い出してください
。それはアブラハムが異邦人からユダヤ人へ改宗した者であるからです。アブラハムは民 族的にユダヤ人であり、同時に異邦人でした。このためにアブラハムはすべて信じる者の 父なのです。このためにイエスの系図の中に異邦人が登場します。彼がすべての救い主と なるためです。パウロはエペソ 2 章 12 節においてギリシア語で政治的な市民権に関する言 葉を使っています。
『そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約 束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちで した。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中 にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです』(エペソ 2 章 12 節-13 節)
異邦人はイエスへの信仰を通して接ぎ木されました。それは養子にされることと、父祖へ なされた約束のためです。養子をする時、父親は法律的に子どもの父親になります。母親 は法律的に母親となるのです。そしてこれと共に聖書では、父祖の約束にあずかることも 書かれてあります。大半が異邦人で占められていたコリントの教会に対して第一コリント でパウロは「私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました」と書 いています。アブラハムの子孫(種)を信じる信仰によって、アブラハムは人種に関わら ずすべて者の父となりました。
第二に、改宗――信仰の転換によってです。改宗(回心)にもふたつ種類があります。仏教 徒が救われるとき、仏教徒であることをやめます。ヒンドゥー教徒が救われれば、ヒンド ゥー教徒であることをやめます。ユダヤ人が救われれば、その改宗には違った言葉――テ シュバー(立ち返ること)が使われます。その人は罪から神に立ち返り、ユダヤ人として のアイデンティティーが完全となるのです。異邦人のみが改宗できます。ユダヤ人は完成 されるのです。ユダヤ人の完成はテシュバーです。これは異教徒の背景を持つ黒人アフリ カ人の子どもがクリスチャンのポーランド人家庭に養子されることで説明できます。その 子は法律的な養子制度によりポーランド人となり、キリスト教に改宗しました。しかしそ の子が今度は大きくなり、ポーランド人の女性と結婚するとします。そうすると彼は結婚 によりポーランド人となり、ポーランド語を話し始めます。したがって彼は文化によりポ ーランド人になったのですが、彼の肌は黒いままです。これが非ユダヤ人がイエスの信者 となる場合に起こることです。父祖の約束を受けることによりユダヤ人ではありませんが 子となります。それは養子――改宗、宗教的な改宗によるものです。または婚姻関係によ り子となります。それはキリストが主に異邦人でなる教会の花婿であるからです。第一コ リント 9 章では、異邦人が主の聖餐にあずかる場合の文化変容について書いてあります。
彼らは本来の相続者とペサハ、過越の祭りの意義を祝います。これが異邦人クリスチャン
の地位です。
貧しさのためにヨーロッパの家族に養子されたこのアフリカ人の子どもを考えてみてくだ さい。いかなる法律的、婚姻的または文化的理由においても彼はポーランド人となりまし た。しかし彼はまだ黒人アフリカ人であるのです。彼はまだ自分のアイデンティティーを 保っています。それでも彼は本当のポーランド人なのです。彼は他のどの子どもとも同じ ように親から愛されています。子どもをひとり生むことと、子どもを養子することは同じ くらいの大きな愛を必要とします。その子どもは同じ法律的権利を持ち、法律的地位を保 っているのです。
次にユダヤ人に関しては法的な立場があります。最初のものはイスラエルの帰還法です。 シオニズム運動の父祖たちはこれを議論しました――数年間ではなく、数十年間にわたっ てです。最終的にベン・グリオンが言いました。「誰がユダヤ人なのか、我々の敵に決め させよう」彼らはその通りにしました。ユダヤ人の祖父をひとりでも持っていれば強制収 容所に行けとナチスが言ったために、イスラエル政府もユダヤ人の祖父がひとりいればア リヤー(帰還)を行い、イスラエルに移住する権利があると定めました。これが本来の帰 還法です。
第二にハラハー的な(ユダヤ法的)法律があります。これはユダヤ人の宗教法で立てられ たものです。ハラハーによるとそれは母系の血筋によるものです。ある人の母親がユダヤ 人で、その人がユダヤ教へのハラハー的な改宗を経ているなら――言い換えるなら割礼で すが――父祖の約束に入ることができるというのです。第三のものは、イスラエルのラビ が定めるユダヤ人の定義で、それは本来ハラハーの定めるものと同じであるべきものです
。ですが現実はイスラエル政権の窮状によって物事は複雑化しています。世界には約 55 の 民主主義の国がありますが、その中で唯一ユダヤ人が宗教の自由を持てない国があります
。それがイスラエルです。これはイスラエルのラビが定めるユダヤ人の地位です。彼らは 数世紀前にラビ・ヨセフ・カロ(Yosef Karo)が定めたミツヴォートの法典『シュルハン
・アルーフ(Shulchan Aruch)』を受け入れなければならないと言います。そしてもし『 シュルハン・アルーフ』を受入れないならば正式にユダヤ人となれないのです。このため にアフリカ系ユダヤ人(ファラシェ)の中で葛藤が起こり、インド系ユダヤ人( イェフデ ィン )また正統派でないユダヤ人の間でも葛藤が起こります。反シオニズム主義のラビは 何の問題もなくラビでいられますが、改革派やリベラルのラビたちは資格を持てないので す。私たちはこれまで人々がどのようにユダヤ人の宗教の自由を奪ってきたかを話してき ました。ユダヤ人の歴史的な惨劇や侮辱を私は認めます。しかしイスラエルもユダヤ人の 宗教の自由を否定し、特にメシアニックジューに対して同じことを行っているのです。
これによりイスラエルの法律的立場が考えられます。数年前に彼らは、他の信仰にかつて
改宗したことのある人はユダヤ人ではないと定めました。特にミクベー・ブリット( mikve-brit)、洗礼を受けた場合です。その当時にあってもそれは政治的圧力の強い決定で した。法律的な立場におけるユダヤ人の定義をこれまで 4 つ見てきましたが、それを見る とそこに共通認識が無いことが分かります。そこには法律的共通認識も、宗教的共通認識 も無いのです。彼らは政治の便宜に合わせてユダヤ人のアイデンティティーの定義を気ま ぐれに定めているのです。
聖書的な分類
聖書はどう語っているでしょうか。旧約聖書、タナクにあるのは主に父方の系図ですが、 歴代誌には母方の系図もあり、ルツ記の記述もあります。これは非常に重要です。正統派 のラビたちは系図に基づいてイエスのメシア性の信用を落とし、新約聖書の正当性を攻撃 します。しかし彼らが言いたがらないことは、ラビ的な文書自体(サンヘドリン 25C)が ルカの系図はマリヤのものだと言っていることです。「いや、ユダヤ人のアイデンティテ ィーは父からでなくてはならないのだ」との反論が返ってくることがありますが、ラビた ち自身がユダヤ人は母方の系図によると言っているではありませんか。ラビたちは自分た ちの中で矛盾を起こしています。一方で、歴代誌とルツ記には母方の系図の前例となるも のがあるのです。
新約聖書はより寛大です。系図は母方であ
仏教徒の道しるべ スコット・ノーブル
第五章:仏教徒の道標 (2004 年 11 月 6 日)
この章では主にスリランカ、タイ、ビルマ、カンボジア、そしてラオスで見られる上座部仏教に焦点を当ててみたい。それはこの仏教形式は釈迦牟尼仏陀の当初の教えの原型に最も近いと主張しているからだ。他の宗派も同様にそう主張しているが、歴史的に言えば(神秘的な話ではなく)、上座部仏教学派の主張が最も実証されているように思われる。仏教について書かれたものの多くは、仏教の教えを理想化した不完全な肖像画を提示している。主題が広大なため致し方の無い難問ではあるが、仏教の肯定的な側面に焦点を当て、より困難な問題をさておき省く人々によって、より充実した良いものになる。この章では包括的な概説の肖像画を提示するとまでは言わないが、仏教のより曖昧であまり知られていない核心的な問題やジレンマを取り上げ、仏教は確かに魅力的にシステム構成されているものの、人がその運命を全うし成就する上で助けになるものではないことを示す試みをする。また、聖書の教理に基づいて上座部仏教とキリスト教信仰との比較を行なってみたい。この論文で私は以下の 8 つの副題、すなわち無我(anatta)、再生、涅槃、カルマ
(業)、女性、瞑想、科学、および神について明らかにしていこうと思う。
無我(anatta)
デカルトは「我思う…故に我あり」という言葉で知られている。私の高校時代の歴史教師はそれをもじって「我ピンク色に思う…故に我はスパムであり」という駄洒落を言っていた(笑)。こうしたアイデンティティの証明とは全く異なるアプローチをとることにより、仏教は「我、存在せず」という観念で締め括った。ジョン・ギャレット・ジョーンズは、その著書『仏陀物語とその教え:ジャータカ物語(本生譚・前世物語)をパーリ聖典と関連づける』のなかで、ジャータカ物語に見られるような有名で一般的な仏陀の教えの表現と、より正統派であるパーリ聖典の四大ニカーヤを比較検討している。パーリ聖典協会の前会長 I・B ホーナーは、この本の序文で次のような推奨の言葉を述べている:「ジョーンズ氏は本生譚とパーリ聖典の双方に精通しているため、一見簡単そうに利用できるだけでなく、適性と正確さで信頼性の高い資料文書を作成することが出来るのです」 (ⅶ) 。ジョーンズは再生に関する章の中で“無我”の教義に言及し、正統派の信仰によれば魂は生まれ変わらない、何故なら仏教はそのような存在を認めていないからだ、と指摘している。:識(意識 vinnana)というものは、死の時点で消えてなくなる五蘊(ごうん)の一つである。身体そのものの物理的な基盤、或いは我々が望んだとしても身体に関連した物理的な構成要素を奪われた状態で、どうやって死を乗り越えることができるのだろうか?中間の長さの発言集(MLS)I313,320f のなかでゴータマ(仏陀)は実
際に、意識が持続するという“異端”に対してキッパリと反論している(34)。
“無我”の教義は釈迦牟尼仏陀の生まれ変わる再生物語であると想定されている『ジャータカ物語』総ての前提を根底から覆すものである。“魂”なくして生命から生命を繋ぐものとはいったい何であろうか?という問いかけに対して通常与えられる答えは、「人間が背負っているカルマ(業・因縁)は持ち越される」というものである。しかし、もし背負うべき因縁を持つ人がいなければ、この“カルマ”というものは何に付着しているのだろうか?ダニエル・ジョン・ゴーギャリーは、1885 年版
『キリスト教の証拠と教義』(パーリ聖典研究 44 年目にして知った)の中で、次のように書いている:
「我々はまず仏陀の教えとして、ある行為を行った者とその報い或いは罰を受ける者は同じではないこと、つまり行為を行った者と罰せられた者の間に関係があるのではないことを立証してみよう。その関連性は実行者とその行為から生じる善悪の関係ではなく、なされた行為とその結果、その結果の受け手が誰であろうと、その関係であるとされる。このことは、善い行いをした者に報酬を与えるという、あらゆる既知の正義の原則に反するものであるが、仏教に於いて、報いは善行について回り、善行をした者が必ずしも報いを受ける訳ではない。これは輪廻転生を繰り返す魂は人の中に存在せず、生命的存在を構成するパンチャ・スカンダ(五蘊)は死を
もって終わりを迎え消滅するという仏陀の教義からきている」(54-55)。
無我を信じるということは例えば、アドルフ・ヒットラーが死に、彼にまつわる一切の“存在”(五蘊)集合体が消滅したときに、彼のとてつもなく悪いカルマが誰か或いは何か(下等な昆虫かもしれない)に付着し、その悪魔的な所業や苦しみの理由については全く意識しなくなることを意味する。これは正義と呼べるのだろうか?一体、“誰”が罰せられるのか?このシステムで報われるのは“誰”なのか?仏教で「自己を磨く」、「己に帰依する」…etc.という風に、“己れ”という言葉が用いられる場合、これは明らかに便宜上用いられているのであって、絶対的な自分を表現している訳ではない。ワールポラ・ラーフラは、その著書『ブッダが説いたこと』の中で、仏教における自己または魂の存在を指摘する人たちに対して次のように反論している:「…仏陀の教えでは、この世における人間の存在はこの五つの集合体
(前述の五蘊━色・受・想・行・識━と同じ)だけで構成され、それ以上のものはない。この五つの集合体以上のものが存在すると、彼はどこにも言っていない。”第二の理由は、仏陀が断固として一度ならず明白な言葉で、複数の箇所で、アートマン(真我)、魂、自己またはエゴというものが人間の心の内外に、或いは宇宙のどこかに存在しないと否定したからである」(56-57)。
我というものはないが再生はあると説いていたにも拘らず、仏陀は依然として、宇宙は非倫理的なものではないという確信を持ち続けていた。これが倫理的な宇宙であるとする仏陀の確信と関連させながら、ジョーンズは次のように結論づけている:「この確信が彼の教えの合理的かつ分析的な部分に健全な根拠があると主張することは出来なかった。実際のところ、これら2つの間には絶望的に両立しがたい矛盾があると言っても過言ではないように私には思える」(36)。しかし、もし魂がなければ、なぜ仏教徒は輪廻転生を免れる為にそこまで大変な努力をするのか、そしてまた、なぜ仏陀はそれが彼の“最後の生まれ変わり”だと宣言したと言われているのだろうか?(釈迦対話集Ⅱ.12)?最後に生まれたのは「誰」?無我(無魂)の教義は大乗仏教の“空”(万物の空しさ)の教義を予見しているのである。上座部仏教では、自己は空であると主張したのみであった。
一方、イエスは魂の計り知れない価値と実在性を宣言された:「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」『マルコによる福音書 8 章 36 節~37 節(口語訳)』。
再生(生まれ変わる)釈迦牟尼仏陀が最後に生まれ、世俗的な快楽を捨て去る有名な物語では、幾つかの疑問が生じる。もし釈迦牟尼仏陀が前世に数え切れないほどの人生を本当に経てきたのなら、なぜ彼の父親は人生のより過酷な側面から彼を保護する必要があったのだろう…彼は修行のために世間を自身の目で確かめる目的で王宮を出たとき、なぜ死や貧しさや老いを目の当たりにしてこれほど驚いたのだろうか? ジャータカ再生物語を額面通りに受け取るなら、彼は人生のこういう過酷な現実のすべてに精通していたに違いない…というのも、ジャータカ物語によると、彼は時として人生の残酷な側面にも関与していたようである。「…この一連の物語の中で、菩薩(仏陀)自身が何らかの形で殺害または障害に関与していると描写しているものがある。当該箇所はジャータカ物語(本生譚)93、128、129、152、178、233、238、246、
315、319、384 話である」(ジョーンズ,61)。本生譚 547 話のなかで、彼は二度強盗になり、ある時は賭博師となり、また二度ほど巨大な蛇になっている(ジョーンズ 18~19)。また、本生譚 538 話によれば、彼はウサダ地獄で八万年を過ごさなければならなかったとあり、苦難について精通していたことになっている(ジョーンズ,43)。それでは、なぜ仏陀は死や苦しみの事実に直面して、まるで経験したことも見たこともなかったかのように心を打たれたのであろうか?この質問に対する一般的な答えは、前世を思い出すのは心が惑わされることなく不信感から解放され、記憶の深いレベルに達することが出来る瞑想状態の時でなければならない、というものだ。しかし、心や人が構成されていると言われるすべてのもの(五蘊)は死を免れず存続しないと言われている場合、如何にしてその様な情報を心に保持できるのだろうか?ただし実際には、この有名な仏陀の克己(悦楽との訣別)出家の話は
『パーリ聖典』の中には記載されていない。
パーリ聖典では、仏陀は生まれてすぐの赤ん坊の頃に真っ直ぐ立って歩き、これが自分の最後の生まれ変わりであることを宣言したと言われている。「我は世の首長であり、世の長老であり、世の第一人者である ━天上天下唯我独尊━」(Ⅱ.12) 。もし不滅の魂が無いのならば、どうして赤ん坊がこのような高尚な言葉を口にすることが出来るのだろうか?ジャータカ再生物語では、無我の問題が浮上してくる。というのも、仏陀の教義では前世を思い出すための永続的な魂は存在しないのに、仏陀はどうやって前世を“思い出す”ことが出来たのか、瞑想では説明がつかないからだ。正統派の物語の中でもなお無我の問題は残る。それは、永続する魂などは無いという仏陀の無我の教義と、終わりが見えて安堵している永続する魂の視点から語り出す赤ん坊とが対照的だからである。無我と再生の狭間の教義上の不一致は、知性を満足させないまま、作り出された倫理観で良心を宥めようとするものである:「二つの命題が対立する場合、最も簡単な解決策は何れか一つを無視することである━まさに本生譚でなされたように。本生譚においては無我の教義と同一人物の生命が連続するという教義との間に矛盾するところはない。それは無我の教義は単に無視されているからである(ジョー39)。
釈迦牟尼仏陀は倫理観を手放したくなかったが、彼のシステムは知的にも“功徳配分”においても人々を矛盾に導くものであった━悪人も善人も現世から来世への魂の繫がりは無いと言われている━かくて、或る“運命”を受け取った者は、それを“獲得”した者ではないのだ。
しかし、この様な生まれ変わりの難しさとは別に、実際に生まれ変わったと主張する人の現実のケースはどんなものであろうか?アーネスト・バリアは、彼のオンライン記事(www.comparativereligion.com/reincarnation1.html)『輪廻転生の現代的証拠としての前世回想』)のなかで再生/生まれ変わり研究分野における第一人者のひとりであるイアン・ステイ-ブンソンの言葉を引用している:「私の経験では、催眠術によって呼び起こされるいわゆる前世の人格というものは殆ど全て想像上のもので、催眠術者の暗示に従おうとする患者の一途な熱意の結果である。催眠状態では人は誰でも非常に暗示にかかりやすいということは周知の事実である。この様な研究は実は危険性を含んでいる。ある人はその記憶と思われるものにひどく怯え、またほかのケースでは呼び起こされた前世の人格が長い間、心から消え去ることを拒否して離れなくなってしまった」『オムニマガジン 10(4):76(1988)』。
バリアは、この現象が“偽りの記憶症候群”と呼ばれていることを指摘し、「法廷ではこれらの危険性を認め、殆どの場合、催眠状態で行われた証言や、事前に催眠状態にあった目撃者の証言は受け付けない」と述べている。催眠術によって“記憶”が呼び起こされないその他の場合はどうなるのか?バリアは、通常この対象となる人々の層に注意を促している:
「前世を自然に思い起こす追憶体験の大部分は、特に霊に対する識別力が殆どない 2 歳から 5 歳までの子供たちによって生み出されている。そのため、外部の精霊によって操られ易い状況になっている。子供が成長するにつれて、それら外部のエンティティは子供に影響を与える力を失っていき、そのため、10 歳を過ぎると前世の記憶が失われてしまうのだと思われる。」
イアン・ステイ-ブンソンが調査したケースのなかに、人は実際に自分自身を同時に表現する2つの人格を持っていたという事例がある。子供の場合のように、個人が人生の中で脆弱な時期にあるときに(特に両親が彼らを霊的活動の中心に連れて行った場合)、霊の憑依や“仲介者”である霊媒として行動していたことが説明される場合が多い。この外部の精霊による干渉は、再生研究が極めて主観的な性質のものであることを示している。バリアはステイ-ブンソンの結論で締めくくっている:
「以上の理由により、この現象の研究者として知られるイアン・ステイ-ブンソンは彼の著書『生まれ変わりを示唆する 20 の事例』の中で、彼が研究した事例はこの本のタイトルが示すように再生を示唆しているだけであり、証拠とは見なされないことを認めざるを得なかった。ステイ-ブンソンは次のように続けている:私がこれまで調査した全ての事例には欠点があります。これらをまとめてみても、証拠らしいものは何も提供しません『オムニマガジン 10(4):76(1988)』。もしこれが事実である場合、それらは例の憑依を示唆している可能性もある。」
このように外部の霊が惑わす可能性がある以上、瞑想中の僧侶や尼僧がこの外部の影響を受けないと言えるのだろうか?瞑想とは本来、このような外部からの影響を受ける扉を大きく開いているものである。僧侶や尼僧は瞑想中に様々なことを経験し、それを仏陀の教えの確認に数えることが出来るであろう。しかし、彼らは実際そうしていたのだろうか?そもそも、彼らがそのような“記憶”を得ようと努めたのか、また、その体験が主観的なものである場合、これを確認として数えることが出来るだろうか?たとえ、人が本来は自ら知り得ない情報を明らかにできたとして
も、その情報は外部の霊が知り、伝達することができるものなのである。
そのような“記憶”を手に入れる為に、人はなぜ催眠状態であったり、子供のように無知な心を持ったり、瞑想中の変性意識状態になったりする必要があるのだろうか?もし再生が“まこと”のものであれば、なぜ世界の数十億という人々が、文化的背景に関係なく、それを明らかにしないのだろうか?なぜ赤ん坊が“前世”の言語や他のいかなる言語(バブバブ以外の言葉)も話せないのか?これが恐らく無我の教義を生み出した(記憶の欠如を説明する)理由であろう。しかし、この場合ジレンマは倫理的な領域にとどまり(永続的な魂がなければ真の正義はありえず)、生命から生命への接続点を持つという現実的な問題は未だに解決されないでいる。「…そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように」『ヘブル人への手紙 9 章 27 節』。
涅槃
チルダースは彼が編纂した『パーリ語辞典』で、nibbanam(サンスクリット語で涅槃)とは何かについて非常に明確な答えを提示している。彼は次のように述べている:「しかし、存在することは苦しみであるということから始まる信条は、存在からの解放が最高の善であるということで終わらなければならない。したがって、消滅は仏教の最終到達点であり、その教えの忠実な遵法者に与えられる至上の報酬であることがわかる」(265)。“消滅”という言葉はこの場合、あまり良い言葉ではないだろうが、そこには人の考え及ばない他の理由がある。ワールポラ・ラーフラはこう指摘する。「涅槃は自己の消滅ではない。それは、消滅させるべき自己が無いからである。もし仮にあったとしても、それは幻想の消滅であり、つまり自己という誤った観念の消滅である」(37)。
チルダースは涅槃を“至福”と表現する正典と他方で“消滅”と表現する正典がある理由を説明し、双方とも意味するところは同じだが、“至福”は最終的な消滅の前の一時的な状態に過ぎないことを明らかにした:「私は仏教の到達点は消滅であり、そして涅槃は永遠の死に先行するほんの短い至福のひと時であることを示した…釈迦牟尼仏陀が“悟り”の境地を彼の門弟たちが到達する最高レベルの理想としたことは十分考えられる。このことは徳の高い生活による至福の純粋無垢な状態を想像していた人々には信じ難いことに思えるかもしれないが、全てが彼の入滅ということで終わってしまうのである。しかし、彼がこのように行動したことは確かであり、存在の悪と人生の苦痛に対する彼の非難が何であれ、悟りの境地はカルマ(因縁)に発するもので彼がカルマを根絶し、いかなる存在も無くなるかもしれないという意識の至福に基づくことを覚えておく必要がある」(268)。ラーフラはまた、涅槃とは存在しないことであるとも述べている:「涅槃を悟った仏陀や阿羅漢(羅漢と同じで阿羅漢とも綴る)の死を表す般若心経(Parinibbuto)という言葉がありますが、これは「涅槃に入る」ことを意味するものではありません。般若心経とは、仏陀や阿羅漢はその死後に再起しないため、単に“完全過ぎ去る”“完全に吹き飛ぶ”“完全に消滅する”という意味であり、般若波羅蜜多とも呼ばれています」(41)。
仏教の宇宙観では、様々な天界、地獄、地上現世…等々、31 の存在世界があるとされている。これらはすべて永遠ではなく一時的な仮のものだと言われている。これら 31 の世界のどれも涅槃ではない。何故なら、これらの世界はすべて無常と苦しみに陥りやすいと言われているからである。天界でさえ涅槃になりえないとすれば、涅槃は存在を超えたものであることが改めて理解できる。また、31 の世界のうち、上位 20 の世界は瞑想状態と並行していると言われている。言い換えれば、瞑想をしている人はこの上位 20 位までの世界を体験できる筈なのだ。人が達成できる最高の
瞑想状態はまた、涅槃がどうあるべきかを最もぴったりと表すのである。
「また、“無の境地”(nirodha samapatti)と呼ばれる第 9 の段階も、幾つかの経典に記載されている。この段階になると、すべての精神活動が完全に停止し、心臓の鼓動や呼吸さえも停止する。生命は単に身体の余熱という形で存続している。人はこの状態に数日間とどまり、最終的には予め決められた時間になると自発的にこの状態から抜け出せるという。この状態は誰もが生きている間に最終的な涅槃を体験することに最も近いとされ、“身体で涅槃に触れる”と表現される」
(キーオン 91~92)。
精神的な活動さえ中断された時、そこから完全な停止に至るのはそう遠くないということがわかる。そして、これはパーリ聖典の教義である更なる無執着へと段階が
進行し、最終的には実存への無執着に到達するという諦観の教えと一致する。
パーリ聖典において涅槃は“至福”の状態として説かれているのか、それとも“停止” の状態として説かれているのか、という議論のなかで、ジョーンズは次のように注釈している:「もしこれが“至福としての涅槃”だとすれば、私は※第四ニカーヤ
(仏陀の法話の本体)の中にその根拠を見出すことができません。私の知る限り、涅槃を肯定的で超越的な状態の至福とする考えを支持するような言葉は、第四ニカーヤの中には一つもありません」(152)。この議論の脚注で、ジョーンズは上座部仏教学者の間で最も一般的に支持されている見解を明らかにしている:「ジャヤティレケが超越論的な涅槃観を採用しているが、彼の元教え子カルパハーナがこれを非難して、(上座部仏教学派内で)より一般的な止観論を主張しているのは興味深いことである」(202)。※パーリ聖典の経蔵を構成する五部のうち第四番目[増支部]のこと。ニカーヤは部と訳す。
A.L ハーマンは彼の論文『仏教における二つの独断』の中で、大乗仏教と上座部仏教の双方に関連させて、涅槃のもう一つの難しさを指摘している。最近の大乗仏教では涅槃を至福とする考え方が主流だが、正統派の上座部仏教では涅槃を止観とする考え方が主流である。ハーマンは、涅槃をどのように解釈しようとも、それはジレンマおける独断であることを示している:
「涅槃のジレンマとは、もし涅槃が情熱・欲望・感情などの完全な欠如であると否定的に捉えるなら、それは死んでいるのと同じであり、死に至る目標を誰が追い求めるのだろうか?涅槃はこの最初の解釈においては自殺である。一方において、もし涅槃が平和と静寂の存在として肯定的に見られ、私が望むすべてが満たされると捉えるなら、欲望は終息したり吹き飛ばされたりせず、涅槃の意図全体が矛盾することになる:即ち、涅槃はこの第二の解釈では一貫性のないものとなる。しかし、涅槃のジレンマは続いており、涅槃はそれを否定的に捉えるか肯定的に捉えるか、どちらかでなければならず、第三の選択肢はない。ジレンマの結論は、涅槃とは自
殺による消滅か一貫性のない継続のどちらかである、ということになる」
(170)。
ハーマンは、次の厳粛な文書をもってこう結論づけている:「この様な哲学的問題に直面して根拠のない独断を保持することの影響は、仏教を経験的真実や理性から彼方へと遠ざけ、真実が単なる有用性によって測られる“疑わしいプラグマティズム”、或いは真実が完全に放棄される“非理性主義や神秘主義”へと近づけることになる(或いはなった)ことであろう」(174)。この結論の脚注で、ハーマンはさらに次のように説明している:「…“疑わしいプラグマティズム”と“非合理主義”や“神秘主義”は、まさしくその後、一方では南方(上座部)仏教が、他方では北方(大乗)仏教が、それぞれ辿った道筋であった」(174)。
もし最近の大乗仏教の見解が正しいと言うなら、それはパーリ聖典の教義に反するもので、釈迦牟尼仏陀が実際に教えたことに最も近いものである。もし大乗仏教徒が異なる解釈を主張したい場合、それはどのような高等権威に基づいているのであろうか?これは仏陀の権威を否定し、代わりに神秘的な啓示に依存することになる。他方において、もしパーリ聖典の止観が実際に仏陀の説いたものだと認めた場合、平たく言えば、仏教の考え方は「あなたが本当に善良であれば、あなたは消滅する」ということになる。大乗仏教徒がこの教義を変えようと試みたのは疑いのないところであるが、その主張をバックアップする権威がないため、それは徒労に終わった。ただし、当初の主張(止観)の背後にある権威も十分ではない。欲望が苦しみに繋がり、苦しみが実存の主な特徴である代わりに、希望と再起への道がある。本来の涅槃とは、仏教の教えはゼロへの道であり、それは空(サンスクリット語でスンニャター)と消滅に相当する。
生きることから抜け出す代わりに、イエス・キリストは渇きを癒し、有意義に、そして永遠に生きるための方法を提案されている:イエスは女に答えて言われた、
「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、私が与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」『ヨハネによる福音書
4 章 13 節~14 節(口語訳)』。
カルマ(業)
カルマ(業)とは、「良いことをすれば良いことがあり、悪いことをすれば悪いことがある」というように…幸せがすべて“自業自得”であるかのように思わせる、大衆受けするシステムである。これは世界の不平等や明らかな不正を説明するものだと思う。しかし、このシステムの意味するところをもう少し詳しく見てみよう。カルマはちょうど重力と同じように自然の法則であると言われていますが、ただ、物質を支配するのではなく、倫理観を支配するというだけで、物質も影響を受けると言われている。もし、それが自然法則に過ぎないのなら、遺伝法則が予期せぬ(殆どの場合、有害な)要因によって何かのはずみに影響を受けるのと同じように、それは突然変異の影響を受ける可能性があると言うことではないのか?この様なシステムに信頼を置くことができるだろうか?このジレンマについて、ジョン・ジョ-ンズはこう指摘している:「カルマの結果の倫理性(道徳性)は、カルマのプロセスが厳密に非人格的であることを疑問視しているようである。もし、カルマのプロセスが倫理的なプロセスであるとすれば、我々が経験によって証拠を持っている倫理性の唯一のタイプは、人格に関連するものだからだ。このように、カルマの非人格的な属性と倫理的な属性の間には緊張関係がある」(37)。
カルマの影響によってもたらされるものは、パーリ聖典の中に明確に列挙されている:「この場合は、極めて残酷、無慈悲に生き物を殺傷しようと襲いかかるので、短命なバラモン若者となる」。その反対はこうである:「この場合は、もし人が生き物への強襲から逃れてこれを回避し棒や剣から免れることができれば、すべての
生き物に対して慈悲に満ち心優しい生活を送る事ができる長寿の若者となる」
(MLSⅢ,P.248253)。これらと正反対の結果は容易に推測できるので、簡潔を図るために、パーリ聖典から幾つか否定的な結果のみを列挙してみよう。(これら引用文の省略部分は経典の通りであり筆者が省略したものではない):
「この場合は、元来その手や剣でもって生き物に害をもたらすところから、多くの病に導く。」「この場合は、怒りに燃え憤怒を示しているところから、醜悪さをもたらす。」「この場合は、他人に対する尊敬や敬意をねたむが故に、評価されない。」「この場合は、人にベッドや一夜の宿や灯りを与えないが故に、貧しさをもたらす。」「この場合は、称えるべき他人を称えないので、家族の不幸をもたらす。」「この場合は、人が尋ねるべきところを尋ねないので、知恵を欠くことになる。」━それでは、私がしたことによって私が幸せになる為には、何が求められるというのであろうか?
このように、病気、醜さ、卑小評価、貧困、卑しい家柄であることの原因が我々の為に綴られている━これらのことは、前世においてなされた悪行、雑言、悪意によるものである。このようにカルマは人生の不平等を、その人が受けるべき価値に応じて説明している。このシステムでは、貧しい人は貧しいのが当然であり、豊かな人は豊かであるのが当然である、…etc.この様な考え方は、体の不自由な人を刑務所の犯罪者と同じカテゴリーに、物質的な所有物を持つ人をヒーローのカテゴリー
に位置付けているように思える。これらの結論は本当に妥当なのか?
人の人生における複雑な倫理的影響はすべて、知的な存在によってではなく、単なるエネルギーの力によって記録されることになっている。そして、更に問題を深刻にするのは、死んだ人には魂がないと言われ、この蓄積された倫理的な銀行口座がいかにして再割り当てされるかという問題が提起されている。カルマとは仏教システム上の良心であるが、その実際の働きや存在については解明されていないままである。ジョーンズは仏陀についてこう述べている:「彼の教えの合理的で分析的な部分━特に無我の教義━がそれをどんなに否定するように見えたとしても、この惑星とその先の感覚的な生命である衆生を支配する低迷は非倫理的なものではないことを確信していたようだ」(36)。仏陀は倫理性を否定できなかったし、かといってそれを自分の教義と同調させることもできなかった。しかし、これらの困難はさておき、厳密に言えば、我々は自分に値するふさわしいものを本当に望んでいるのだろうかと、自分自身に問いかけるべきではないか?
カルマのシステムは、善行が悪行を補うことが出来ると想定している。それはまるで追加したり取り出したりすることの出来る銀行口座のようなメリットがあると考えられている。倫理性に適用されるこの種の理屈は、法廷では通用しない(裁判官は被告人の人生における善行と悪行のバランスを考慮して犯罪を赦すことはないのだ) 聖書的に言えば、倫理性は銀行口座のように善行から悪行を引いてバランスを取るようなものではないし、その逆もまた然りである。むしろ、倫理性は人間関係に根ざした一連の期待である。親が子供の世話をすることを期待しているように、子供は親を尊敬することを期待している。夫や妻、友人、仕事仲間、従業員、…etc.誰もが良い関係とはどういうものなのか、一定の期待を抱いているものである。もし夫が浮気をした後で、妻に素敵なプレゼントを贈った場合、収支は帳消しになるのだろうか?あたかもビジネス上の取引であるかのように、彼は自分の違反を修正したのだろうか?人間関係における許しあいはあっても、倫理観というものは銀行預金のように取り扱われてしまう非人間的な公式ではない。同様に、ある人が殺人を認め、自分の一生をかけた蓄えを彼が殺した隣人の未亡人に差し出したとしたら、その裁判官は殺人の処罰を取り消すであろうか?彼は(自分が殺害した)隣人を愛するという義務に背いたのだ。その人物がどんなに多くの善行を積んでいたとしても、殺人の罪は罰せられる。
これとは逆に、もしある人が高潔に暮らし、その国の法律を全て遵守している場合政府はその人の善行に対して報奨金を与えるだろうか? その人は期待されていることを単に果たしただけであり、政府は感謝していますが、ただその人がなすべきことを実行していると見なすだけであろう。それによってボーナスポイントを獲得するわけではない。違法した場合は不利になるが、善い行いをすることは単純に期待されるのみである。善行を 100 回積んでも悪行を 1 回働けば、その人は義務を 100 回果たしたことになるが、1 回違反をしたと記録される。従業員に 100 回給料を支払ったが、すでに 100 回の支払いで彼らは利益を得たからと言う理由で、その次の回には給料を払わないという雇用主をどう考えたらいいか?或いは、ぼんやりした生徒に対して 100 回は癇癪を控えた短気な教師が、その次の回にはカッとなって生徒の一人に蹴りを入れたとしたら?この場合、教師の点数は“99 点”ということ
(100 回の善行から 1 回の悪行を引いたもの)になるのか?その教師は 100 回の義務を果たし、1 回の違反をしたことが記録されるのである。
人は、自分になされた罪を犯した他者を許すように求められている。何故なら、自分自身にも罪のリストがあるからである(恐らく、罪を犯した人とは異なる領域において):「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう」『マタイによる福音書 6 章 14 節~15 節(口語訳)』。一方、神には罪がないのだから、赦す“義務”はない。法廷における裁判官には罪が無いわけではないが、同様に犯罪を赦す義務はないのである。
聖書によれば、我々に期待されているのは“善行”だけではない。我々がなすべきなのは最善を尽くすことである:「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」『マタイによる福音書 5 章 46 節~48 節(口語訳)』。もし、ある人が恐ろしい人生を送り、残酷な罪の数々の長いリストを積み上げてきたとしても、その後改心して立派な市民として余生を送れば、過去は帳消しになるのでしょうか?改心して生きていることは予想できたが、以前の犯罪のリストはまだなお記録に残っている。同様に、犯罪者がその罪のために刑期を終えたとしても、それで罪が消え去るものではない。何故なら、彼らの最善を尽くすことは最初からずっと期待されていたからである。罪は人の生涯を通じて積み重ねられ続け、そのリストには、我々に対する他人の罪を許さない、という罪も含まれているのである。
聖書のシステムは完全に個人的なものである。ポジティブなモラルもネガティブなモラルも、単なる“点”として人間関係から切り離すことはできない。倫理に背くことは、ただ悪い選択をしたりマイナス点を積み重ねたりすることではない。それには全て関係性がある。聖書の法則は二つの命令に要約される:━すなわち神を愛し、人を愛せよ。倫理を否定することは、生命を創造された生ける神に反抗することである━。求められる義務を正しく認識することは、人間関係の立ち位置を変えることでもある:「このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育係となったのである。それは私たちが信仰によって義とされるためである」『ガラテア人への手紙 3 章 24 節(口語訳)』。まず法律があり、それによって罪の程度を認識することができる。その認識とともに、我々の罪のために十字架の上で死んでくださった罪のないキリストの愛に気づくのである。そのことに気づけば、イエスキリストへ立ち帰ることが出来る。すると、かつては“義務”だったことが喜んでなすものになるのである:「わたしはもう、あなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。私はあなたがたを友と呼んだ。私の父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである」ヨハネによる福音書 15 章 15 節(口語訳)』。一方、倫理を受け入れながらも、道徳の関係的側面を拒否することは、大洋を横断する船からの迎えを断り、信じられないほどの距離を泳いで渡ろうとするようなものだ。聖書はそのような人を呪われた者と表現している:いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである『ガラテア人への手紙 3 章 10 節』。
我らの信仰がキリストにあるかぎり、我らに対する罪は十字架に釘付けされている。そして、我らの創造主として彼は赦す権威をお持ちの唯一のお方なのだ。すべての罪は神に反するものである。他の人に対してなされた罪でさえ、それらの人々に対しても行われますが、神はその罪を犯した悪人の所有者であり、悪用された我々の人生の所有者であられるので、結局は神に反するものとなる。人が自分の能力で悪行の泥沼から這い上がることは絶望的である。しかし、全ての人に希望がある。神の赦しの申し出は、獲得したり要求したりするものではなく、己の罪の深さを自覚し、自分自身ではなく神に信頼を置いて本当に悔い改めるすべての人に与えられる無償の慈悲の贈り物なのである:「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるものである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いよるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである」『エぺソ人への手紙 2 章 8 節~9 節(口語訳)』。
女性
パーリ聖典によると、ある人はある人生では女性として生まれ、次の人生では男性として生まれ変わることができる…etc.などと言われている。しかし、500 話を超えるジャータカ物語(仏陀の生涯を網羅したものではないが)の生涯にも、パーリ聖典のどこにも、仏陀が女性として登場することはない(ただし、一度や二度は女性だった筈だと推論されることはある)。ジョーンズはこう述べている:「最も印象的な事実は、菩薩の姿は非常に多様であるにもかかわらず、彼は一度も女性や雌の動物として現れたことはないということである。木の精や妖精として現れる時でさえ、彼は常に男性である」(20)。彼の多くの人生に登場する親友のアーナンダは、一度だけ女性として登場する(ジョーンズ,113)。さらにジョーンズは、本生譚『ジャータカ物語』の教義と正統派『パーリ聖典』全般とを対比させる:「しかし、ジャータカ物語では悪女の堕落が普通であり、徳の高い女性は例外に過ぎないのに対して、友人が堕落する可能性は非常に低く、殆んど言及されていない。これは聖典の立場とは異なるものである。そこでは、疑いもなくセックスと結婚は悪であるが、愛と友情も同様である。何故なら、これらは個人的な愛着や苦痛を伴う(あるいは苦痛を伴う可能性のある)感情に人を巻き込むものだからである。聖典が祝福することができる唯一の愛は、完全に分離された一般的なもので、
“すべての被造物に対する無限の友好的な心”である」(115)。
この様な徳の高い女性の一人について、ジョーンズはこう述べている:「ジャータカ物語のなかで稀有な存在である徳の高い女性は、その徳を前世の出生時で得た功徳に負っている━男性として!」(43)。パーリ聖典自体、その中で女性についての描写は殆どない:「…しかし、女性は性行為や出産に飽くことがなく(本生譚Ⅰ 72)、“彼女たちは統制が利かず、人を妬み、貪欲で、知恵が足りない”ので、宮廷に座ることも、事業に乗り出すこともないのである(本生譚Ⅱ92f)」(ジョーンズ
78)。尼僧の為の教団設立に関連して、ジョーンズは次のように書いている:「アーナンダがゴータマに女性の為の別の教団を認めるよう説得したとき、ゴータマはこのことについて非常に憂鬱そうな顔をしていたと伝えられている。彼はこう言った━仏教内法の中身が純粋な形式で保たれる期間を半減させることになるだろう」(ジョーンズ,77;本生譚Ⅳ184f)。『修行規律集Ⅴ』でも、仏陀が弟子のアーナンダに向かって、もし女性たちが仏門に入れば、仏教の真理は千年どころか五百年しか持たないと予言している:「真実の発見者によって宣言された教えと規律について道を外れることがなければ、バラモンたちの修行は永続し、仏教の真理は数千年長続きするであろう。しかし、アーナンダよ、女性たちは真実の発見者によって宣言された教えと規律から道を外れたので、いまや、アーナンダよ、バラモンの修行は永続せず、仏教の真理は 500 年しか持ちこたえられないであろう」(356)。
女性が仏門に入り“道を外れ”、既に 500 年が経過していることから、上記の経典上の聖句は誤りなのか、それとも“真実の仏教理”(true dhamma)が 500 年しか続かないというのは真実なのか、という疑問が生じる。もし偽りであると言えば、パーリ聖典に偽りがあることになる。もし真実であると言った場合でも、パーリ聖典に偽りがあるということになる。既に 500 年が経過しているので“真実の仏教理”はもはや存在しない。
この同じ経典の中で、仏陀は女性の影響力をカビに例えて次のように言った:「アーナンダよ、カビという病気が稲田の全体を襲うとき、その稲田は長持ちしないように、アーナンダよ、女性がどんな真理と規律で出家をしても…バラモン(梵天)の苦行は長続きしない」(356)。また同じ経典『修行規律集Ⅴ』には、女性の入門を認める為の 8 つの条件が綴られている。それらの中で、仏教における女性の男
性に対する従属的な役割を浮き彫りにしている二つの事例を紹介する:
「出家した尼僧は(たとえ)100 年経っても、尊敬の念を持って挨拶し、席を立ち、合掌して敬礼し、出家した僧侶に正しい敬意を払わなければならない。そしてこの規則は尊重され、尊敬され、崇拝されるものであり、生涯決して犯されることのないものである」(354)。今日から尼僧による僧侶の教戒は禁じられ、僧侶による尼僧の教戒は禁じられることはない。この規則も尊重し、尊敬し、崇拝されるものである…」(355)。
この基本的な姿勢を練り上げて、チベット(タントラ)仏教はより極端な表現をしている。元チベット仏教徒のヴィクトル&ヴィクトリア・トリモンデイ夫妻は著書
『ダライ・ラマの影:チベット仏教における性愛、魔術および政治』の中で、その
816 ページ(ドイツ語)にわたる内容の大部分を女性差別の話題に割いている:
「このテーマの複雑さを鑑み、我々は演繹的に研究を進め、仮説という形で研究の核心となる記述を本書全体に前置きすることを決意した。したがって読者は、その真偽のほどは、その後の調査によって初めて明らかになる、というステートメントを手に出発し道を歩むことになる。その記述が正しいか誤っているか、自らの方法で判断してほしい。この仮説の立て方はやむを得ず、着手段階では非常に抽象的なものになっている。しかし、我々の研究の過程で、この仮説は血と生命、そして残念ながら暴力と死の表現でも満たされることになる。我々の核心的な声明は次の通りである:タントラ仏教の神秘は、普遍的なアンドロセントリックな力を得るために、女性原理を犠牲にし、エロティックは愛を操ることにある」(この著書は現在、英語のハードコピーとしては入手できないが、ドイツ語の全文英訳はオンラインで閲覧できる:http://www.trimondi.de/SDLE/Contents.htm)。
上座部仏教に話題を戻すと、ジョーンズは本章譚やパーリ聖典に出てくる各場面の
陰に隠れた舞台裏で、女性に纏わる教義上の体操(知的訓練)を説明している:
「なぜ、これほどまでに公正な性に対して猛攻撃がなされるのか?その答えの最も確かな手掛かりを与えてくれるのが、本章譚 61 話だと私は確信している。この物語は、主に若い男性に家庭生活や性的な関わりを思い止まらせる為に作られている。これまで見てきた様に、家庭生活のもつれから目を逸らす正統的な理由は、家庭生活が“束縛”であり、“自己”の幻想と他の“世間”への執着を助長し、無我の実現という
“離脱”においてのみ、真の平和を見出すことができるからである。またジャータカ派が無我の教義を慎重に避けていることも見てきた:同じ人間がある人生から次の人生へと移り変わっていく…という彼らの大前提を覆すものとして、無我の教義を避けるのを見てきた。このように、ジャータカ派の立場では無我の教義を避ける必要性がある為に、女性は非常に大きな犠牲を払っている。スケープゴートとなるなかで、彼女たちは自己の尊厳を保つことが極めて困難になったのであろう。ジャータカ派に育てられた上座部仏教の女性は、自分に対して特定の目が出るようにサイコロが細工され大きく傾いていると感じたに違いない…ちょうど、あらゆる確立に逆らって自分の結婚がうまくいくことを望んだ在俗の仏教信者さながらに…」
(99)。しかし、仏教に背くことなく、仏教界の多くの女性は前世からのカルマに基づき、自分の低い身分を当然のこととして受け入れている。クレオ・オザーはその著書『仏教と中絶』の中で、「一般的に、タイの女性は男性に対して過少評価されており、この状況は仏教によって支持されている…」(33)と書き、バンコクのスラム街で女性を研究調査したところ、「大抵の場合、女性は“悪いカルマか十分な善行の欠如のために女性として生まれた”という仏教徒信念のもとに自分の運命を受け入れた」(35)ことが分かったと書いている。
聖書では、女性は“カビ”“商売ができない”“若い男性よりも地位が低い”“男性が汚される原因”“直面するどんな苦しみも受けるべきもの”とは見なされていない。聖書では女性と男性は異なる役割と責任を持つとされているが、神の経済における信者の相続は平等である:「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからであるもしもキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである」『ガラテア人への手紙 3 章 27 節~29 節(口語訳)』。レムエル王の母による教えが書かれた『箴言 31 章』では、徳の高い女性は商取引において賢く、力と名誉をまとい、知恵の言葉を口にし、夫から信頼されていると称賛されている。
瞑想
仏教徒の瞑想は、“宗教的な”活動とは対照的に中立的なもの━つまり単なる瞑想として紹介されることが多い。様々な世界観の背景を持つ人々が、ちょうど身体的運動が肉体を鍛える訓練であるように、それがまさに一種の精神鍛錬であるという前提で自ら進んでそれを試そうとする。これは、仏陀の教義をせっせと買わずに、ただユニークで平和な、或いは有意義な体験をしたい人にとって魅力的なアトラクションである。しかし、瞑想は本当に中立的なものであろうか?パーリ聖典のなかで
殆ど言及されていない箇所で、瞑想の時間が騒動になったと報告されている:
「実際、“比類なき戦車乗り”としての仏陀の名声を著しく損なうような出来事があったのだから、それが捏造されたとは考えにくい。私が読んだ仏教に関する本には、どこにもこの話は出てこなかった。『KS V 284』には、仏陀が 14 日間のリトリートに出かける前に、瞑想の対象として“厭わしく愛されない者”を推薦したことが書かれている。彼が帰ってきたとき、悲しいことに修道会が減少していることに気づいた。というのも、非常に多くの僧侶が指示された“厭わしく愛されない者”について黙想し、は姿を消してしまっていた。“この身体について悩み、恥や嫌悪を感じ、自分を殺す武器を探していた”のであり、…実際に自殺を図った者がいたからである。アーナンダは、仏陀が将来“他の瞑想の方法を教えて下さる”のが良いのではと提案した。ゴータマはこの提案に応え、門弟たちに将来“呼吸に基づいた瞑想をするように”と教えた」(ジョーンズ,76)。今日に至るまで、“厭わしく愛されない者”(人間の死体のような)は仏教における瞑想の対象として有効であるが、呼吸に集中するような他のタイプの瞑想は遥かに一般的である。上記の聖典の一節は、仏陀の全知全能(これは他の聖典の一節で主張されている)についての疑問を提起している。仏陀は僧侶が自殺を図ることを知りながら、とにかくこの様な厳しい形式の瞑想を命じたのか、或いは全く知らずし
て、全知全能の存在ではなかったのか?(現在では後者の見解が一般的である)
呼吸に集中する、自分の思考を自分のものでないかのように観察する(“我”という概念から解放され“客観的に”思考を観察する)など、より一般的な瞑想にも危険はある。あたかもそれは自分自身のものではないかのように人の考えを見つめような、一段と基本的な瞑想の中にも危険が潜んでいる。それでもなお、ラーフラはそうした瞑想を勧めている:「科学者が何かの対象物を観察するように、主観的な反応をせずに、外側から観察しているかのようにそれを調べてみてください。ここでもまた、あなたは主観的に“私の気持ち”や“私の感覚”として見るのではなく、あくまで客観的に“ある気持ち”や“ある感覚”として見てください。“私”という誤った観念を再び忘れるべきだ」(73)。パラヴァヘラ・ヴァジラナーナは“呼吸の瞑想”を扱った章で、ヴィパッサナー瞑想と呼吸を関連づけている:
「洞察の瞬間、彼は息を吸い、息を吐き、無常を熟考することによって永続性のアイディアから、苦痛を沈思することによって幸福のアイディアから、無我を熟考することによって自己のアイディアから、反発を沈思することによって喜びのアイディアから、離脱を熟考することによって情熱のアイディアから、停止を沈思するこ
とによって発生の原因から、放棄を熟考することによって執着から心を自由にする」(255)。
また、呼吸の瞑想に関連して、ヴァジラナーナはこう指摘している:「かくて、この二つの段階で呼吸という身体的要素は完全に静寂化されると言われている。この状態に到達するために、“彼は息を吸ったり吐いたりのマインドフルネスを実践するのである」(243)。この例では、呼吸の目的は呼吸することではない!脚注で、ヴァジラナーナは『ヴィシュッディ―マーガ』283 に基づいて、「呼吸のない状態が 8 つある:母の胎内、水に溺れたとき、無意識の存在、死者、不苦不楽、無意識の形界、無形界、すべての感情および知覚の停止達成(243)であることを指摘している。アーネスト・ヴァレアは彼のオンライン記事でヴィパッサナー瞑想の危険性をさらに指摘している:
「…精神状態(チッタ・サマパーティ)に関する仏教徒の観想に伴う経験は、感覚と心に異常な働きかけをすることによる周囲の現実の誤認として説明することが出来る:「瞑想者は自分自身の精神状態をコントロールしようとせず、受動的に行ったり来たりするのを見ているうちに精神状態はますます速く、予測不可能に変動し始める。しばらくすると、この混沌とした活動は、観察者自身の心ではなく、何か別の源から、心の出来事が勝手に生じているような強い印象を与えるようになる。瞑想者がこの練習を続けていると、観察されている心の出来事と観察している心との間に明確な分離があることにも気づかされる。瞑想がさらに進むと、心の中の出来事も観察している心も、まるで観察者のものではない、異質で非人間的なものに見え始める。この時点で、瞑想者の“我”の感覚は混乱し、弱まり、ついには短時間のうちに完全に消滅してしまう…」(エリザベス・ヒルストローム『精霊の試練』
IVP1995,p.114-115)(www.comparativereligion.com/Buddhism.html)
人が自分自身を観察する“第三者”になり、「我」という観念を放棄するとき、それは認めないときは、それはまるでハンドルを放棄して助手席に座っているようなものである。このことは、たとえそれが“単なる”欺瞞であったとしても、外部の霊が入りこんできて、非常に現実的危険な影響を及ぼす可能性を示している。なぜ、人は
“より高い真理”を受け入れるために、変性意識状態に移行しなければならないのか?不動産業者が、売ろうとしている家の価値を十分に理解する前に、心を変える
薬を飲む必要があると言ったら、我々はこれを疑わずにおられようか?
瞑想の究極の目標は、聖典で言えば涅槃━つまり、個人の非存在による苦しみからの解放である。基本的なレベルで仏教の瞑想を試みる多くの瞑想者は、これを最終目標としていない。彼らの目標は心の平和,心の健康、或いはただ何か他で得られないユニークなことを経験することかもしれない。しかし、瞑想の道をさらに進んで涅槃を目指すようになると、瞑想者は自分の感情からますます離れていき、精神的にハンセン病患者のようになっていく。物理的なハンセン病患者は、触覚を失った人である(そのため、熱いストーブにもたれかかると危険で、引き離す衝動がない、etc.)。感情から完全に離れた人は精神的なハンセン病患者になり、一見非常に平和に見えるかもしれないが、彼らは必要な警告を与え、他の健全な機能を提供する感情にも気がつかない。
瞑想の道筋には至福の状態や超能力さえも得られると言われているが、聖典の教えによれば、これらは究極の目的である完全な止観(涅槃)から逸脱するものとして拒否されるべきものである。したがって、瞑想の“ポジティブ”体験は、止観という“鉤
(フック)”に繋がる“擬餌針(ルアー)”に過ぎない。最高レベルの瞑想(ニローダ・サマーパティ━停止の吸収および消滅の獲得)に関して、ヴァジラナーナは
「しかし、最高レベルの瞑想状態で経験されるのは涅槃の状態、すなわち全ての精神活動の停止であり、これは最終的な涅槃の状態に匹敵する」と、書いている。最終的な涅槃は“カンダ・パーリ・ニッバーナ”と呼ばれ、五蘊の完全な停止であり、阿羅漢は死に際して到達する(467)。
個人的なレベルでの瞑想の危険性は別として、瞑想はそれが主張するような客観的な基準を提供するものではない。瞑想は科学的と言われることがあるが、それは瞑想では仏陀の主張が体験可能であると言われるからである。しかし、先に述べたように瞑想者は、何を経験することが出来るかを予め指示されているのだ。この期待は、人々が期待されたものを生み出すように仕向けるので、客観性を失わせてしまう。インストラクターが「前世を見ることが出来る」と言えば、彼らは既にそのような傾向を持っている。また、パーリ聖典に記されている“間違った”或いは異端の見解があるため、それは客観的ではない。言い換えれば、もしある人が瞑想をして、“私は確かに永遠の魂がある”というような異端的な体験をしたら、それは否定されてしまうであろう。
仏教の瞑想はもともと本質的に強い関係性をもっている人々を対象とし、彼らの心をより機械のように動かしてしまう。“生きとしてけるものに慈悲を与える”という瞑想であっても、その焦点は、この課題に対して心を向ける自分自身の能力に充てられ、慈悲は切り離されたものであることを意味している。瞑想がある一つの対象に集中し他のすべての思考が排除されると、神との関わりを我々に呼びかける良心
の声が沈黙し、代わりに心が離反し孤立を深める方向に向かうのである。
『箴言 18 章 1 節』には、「自分を孤立させる者は、自分の欲望を追求し、すべての賢明な判断に逆らう」と、書かれている。孤立すれば自分の欲望は達成されるかもしれないが、この状況は、美味しい食べ物や親密な交わりを与えてくれる愛情深い両親の世話を拒否して、代わりに森で暮らそうとする子供に喩えられる。食事の提供を拒否し、衣服を着たり、教育の申し出を拒絶したりする…etc.そのような子供は生き延びるのが困難になり、最終的には両親とコミュニケーションをとる能力さえも失ってしまうであろう。聖書における瞑想とは、神の律法とご性質を考察し、神とともに時を過ごすことを意味している。神がご自分の子供たちを“養い”コミュニケーションをとられ、人生の重荷を取り去られ、知恵を授けてくださるという関係性のプロセスである。
科学
これは釈迦牟尼仏陀の全知に対する主張(或いは彼を代弁した『パーリ聖典』の主張)を浮き彫りにする話題である。事実が記された書としてのパーリ聖典はどの程度信頼できるものなのか?もし釈迦牟尼仏陀が直接または間接的にこれらの書物を触発しなかったとしたら、真理を測る基準はどこにあるのだろうか?そして、もしパーリ聖典が仏陀によって触発されたと主張するならば、何故これほど多くの事実誤認を含んでいるのだろうか?もしパーリ聖典が真理と誤謬の混合物であるなら、その教えに自分の運命を委ねることは良薬と有害な薬の両方を処方する医者に自分自身委ねるようなものであり…まさにギャンブルである。この科学セクションの経典の引用は全てパーリ聖典からのものであり、その解説ではない。
ディガ・ニカーヤ(『仏陀の対話Ⅲ』;137~139)には、仏陀または転輪王になるべき人物の 32 の印(しるし)が列挙されている。それらの中で、歯が 40 本であること(なんと赤ん坊の時に!━そのような評価がなされる時期『仏陀の対話Ⅱ』; pp13~18)と、書かれている。通常、子供の歯はその半分の 20 本しかない。成人した大人には合計 32 本の歯があり(ホッケーをあまりしなかったと仮定して)、4 本の親不知歯を抜いた場合は 28 本である。大人の顎に 8 本の余分な歯をはめ込むのはかなりの偉業だが、赤ん坊の顎に 20 本の余分な歯をはめ込むというのは、顎の大きさ的にも信用的にも本当に大変なことなのである!
32 の印のうち、もう一つは、転輪王または仏陀は広く長い舌を持っている必要があるいうことである。では、どの程度の大きさなのか?『マッジマ・ニカーヤ(中観)MLSⅡ』では、セーラと呼ばれたバラモン僧が仏陀に会いに来て、彼にある 32 の印を探した…「そのとき、王はご自分の舌を突き出され両耳を前後方に撫で回され、それからその舌で両鼻孔を前後方に撫で回され、額の全体を舌で覆われた」
(335)。なんとまぁ…驚いた!仏陀像には様々な表情と様々な姿勢のものが数多あるが、私は彼のこの様な解剖学的な側面を際立たせた仏像を見たことがなく、しかもこれは正典の権威によって認められているものなのだ。
地震の原因に関するアーナンダの質問に答えて(『増支部』Ⅳ;pp.208‐210)仏陀は 8 つの理由を挙げている。最初は地球の構造に関するごく自然な説明だが、続く 7 つの理由では、様々な“悟りを開いた者”が記念碑的な偉業を達成すると、地球は震えながら反応すると仏陀は述べている。最初の地震の理由では、我々は彼の言うことと、地球の構造と地震の原因に関する現代科学の知識との間には、幾つかの本当の相違があることを見る:「アーナンダ、この大いなる地球は水の上にあり、水は風の上にあり、風は宇宙のなかに存在しているのだから、大きな風が吹けば、水を震わせ、水の震動は地球を震わせる。アーナンダよ、これこそ大地震が顕現する第一の原因、第一の理由である」。
この例と以下の幾つかの例は“物事の実相”(仏陀が与えると主張する洞察力)との対応関係がないことを示している。これらは単なる奇蹟の事例ではなく、それらの証拠に基づいて是とするか非とするか個別に検討する必要がある。むしろ、現代的で議論の余地のない世界の知識(例えば大陸の配置、最も高い山の高さ、海の大きさ… etc.)と照らし合わせて検証できる“現実の主張”の例なのである。
『仏陀との対話Ⅲ』には、8 万歳まで生きた人類の祖先が、様々な悪行を経て次第に寿命を縮められ、僅か 10 年になってしまったという記述がある。その当時、これらの人々は 5 歳で結婚し、少なくとも 9 歳かそれ以前までに子供を妊娠したであろうと推定されている(9 歳では既に老化が始まっているため)。この経典に於いて、これらの人間は猿ではなくハッキリと人間と呼ばれている。そして、倫理的な生活が増えるに伴い、人間は再び寿命を延ばすと言われている。もしこの語が寓話に過ぎないのであれば、なぜこの経典では、よく知られた都市がこの歴史/預言の一部であるとしているのだろうか?:「そのような人間のなかで、我々の時代のベナレスはケトゥマティと名付けられるだろう…」(73)。また、もしこれが寓話的であるなら、人間の寿命が 8 万年に戻ったときに現れるとされる未来の仏陀メッテーヤの予言もそうだということになる。
“誤りに陥ることができない”者の口から出た別の“現実の主張”(『仏陀との対話 Ⅲ』25)のなかで仏陀は、大海原には 100~500 ヨージャナ(由旬:古代インドにおける長さの単位)の長さの魚がいると言っている:
「そしてまた、僧侶たちよ、大海は偉大な生き物の住処である。これらの生き物は,
:ティミ、ティミンガーラ、ティミティミンガーラ、アスーラ、ナーガ、ガンダーバである。大海の中には 100 ヨージャナ(長さ)の個体生物がいて、200…300…
400…500 ヨージャナ(長さ)の個体生物がいるのだ」(『規律の書Ⅴ』333)。
パーリ語テキスト協会辞書によると、1 ヨージャナは 7 マイルに相当すると言われている。つまり、500 ヨージャナの魚は 3500 マイルの長さになる。この距離がアメリカ合衆国の幅(西から東まで)よりも約 700 マイル長いことを考えれば、これは途方もない話である!また、世界の海で最も深い部分は約7マイルで、平均的な深さ
は約 3 マイルであることから、これは全く釣り合いがとれない魚だと言える。
霊的領域であろうと物理的領域であろうと、物事を“ありのまま”に表現する全知全能の人なのだから、彼が身体の病気を診断し、適切な治療法を処方することが出来てもおかしくはないように思えるのだが。しかし、『規律の書第四巻』には、仏陀知識が現代の水準に達していないこと、ましてや全知全能でないことを端的に示す語が幾つも出てくる。その一例として、仏陀が豚の生肉を食べ生き血を飲むことを肯定している:「その時、ある僧侶が(原文のまま訳す→)人間以外の病気に罹っていた。教師と訓戒師らは彼を看護したが、回復させることはできなかった。彼は豚の屠殺場に行き生肉を食べ、生き血を飲んだところ、彼の人間以外の苦痛は治まった。彼らはこのことを王に報告しました。彼は言った:“僧侶たちよ、私はある者が人間以外の苦痛を持つときには、生肉と生き血を許そう” 」(274)。
ここで言う“人間以外の苦痛”とは、この行についての脚注で指摘されているように、悪魔の憑依を指している可能性がある。仏陀が認めた治療法は“人ならざる”霊 (悪魔)を生身の肉と血に溺れさせることである。これが実際に賢明な方法となるような病気があるのだろうか?なぜ仏陀は、イエス・キリストがよく行ったように、このような邪まな抑圧者を追い出さなかったのであろうか?また、イエス・キリストの癒しがしばしば“直ちに”という言葉を用いて表現されたミニストリーとは対照的に、仏陀は様々な治療法を許可し、その後にしばしば“彼は良くならなかった”
(278~279)という言葉を用いて表現されているのだ。この様な出来事に続いて、仏陀が適切な治療法を持たないことを示す別の一節がある:
「“僧侶たちよ、私は痛むところを覆うために一枚の布を許可する”。 痛みは痒くなった。“僧侶たちよ、それには辛子粉を振りかけることを許可する”。 痛みは化膿した。“僧侶たちよ、それを燻蒸することを許可する” 傷の腫れた肉がめくれ上がった。“僧侶たちよ、塩の結晶の破片でそれを切り取ることを許可する”。傷の痛みが癒されることはなかった」(279)。
誰かが物理的な現実についてあまりにも無知であるとき、我々は、遥かに重々し
く、永遠に重要な霊的な現実について、その人を信頼すべきなのか?
最後に、進化論は仏教と非常によく一致しているように見える(創造主は必要なし)からといって、仏教が科学的であることを意味するのであろうか?仏陀は究極の人類の起源を説明せず、起源について推測することは人生において無駄な試みの一つであると述べた(そのような推測は涅槃に繋がらないため)。しかし、もし造物主がいないとしたら、もし全てのものがランダムに、突然変異で、非人格的な偶然によって生まれたとしたら、我々の世界に倫理(或いはカルマの正義)や美しさがあると期待できるのであろうか?進化論と仏教との間に一貫性がないことは別として、もっと根本的な問題がある━進化論は依然として理論であり━ダーウィンによる“発見”から何年経過しても、進化を証明するものは増えるどころか、減っているのだ。例えば、猿から人間に至るまでの有名なラインアップは、でっち上げだったり、完全に猿であったり、完全に人間であることが明らかにされている。ミッシングリンクは依然として見つかっていない。www.answersingenesis.orgというウェブサイトには、博士号を持つ創造科学者が、この世界の創造主を支持する証拠を提示する記事、オーディオ、及びビデオが掲載されている。進化論的思考で育った人にとって、造物主は“非科学的”に聞こえるかも知れないが、公正な検証なくしてこの証拠を却下することは、それ自体が非科学的なことである。我々はそれが同年代の意見であるとか、人生における倫理的嗜好に合致しているというだけで、何かを受け入れるべきだろうか?客観的な人間であれば、たとえそれが神への道を意味したものであっても、それが導く証拠に進んで従うであろう。
神
ジャータカ物語(543)では、創造主に関して質問が投げかけられている:「なぜ彼の被造物は皆、苦痛を背負っているのか?なぜ彼はすべての者に幸福を与えないのか?(中略)」(ジョーンズ 144)。仏教における不可知論/無神論と自己努力の協調は、人類の為に独自の管轄権を主張している。この世において非常に明白な苦しみは、しばしば愛に満ちた力強い神を拒絶する理由として挙げられる。聖書のヨブ記は、この世の明らかな不正の問題を取り扱っている。人は自分の置かれた状況に判断を下すことで、その状況について知り得ることを全て知っていると思い込んでしまう。ヨブも同様の不満を抱いていた。何故なら彼の視点からは、自分が直面していることに正義を見出せなかったからである。それに応じられ、神はヨブに四つの章に相当する質問をされたが(『ヨブ記 38 章~41 章』)、それはヨブにとって自分の知識が実際、如何に限られたものであったかを思い知らせるものだった。神の審判の席に就くということは、我々の有限な視点に基づいて何が正しいかを知ろうとすることである。創造主が未だ考慮しておられなかった知識を、そのような人が持つというのであろうか?この世の虚栄心は、我々だけで問題を処理できると思い込むのではなく、方向性と刷新を求めて我らの創造主に向かわせるべきである。イエスは弟子たちに神の御前にへりくだることの必要性を説かれた:すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」『マタイによる福音書 18 章 2 節~3 節(口語訳)』。我々がこの世でよく目にするものは、往々にして不公平な
ものばかりである━不正な繁栄、“罪のない”人々が困難に直面している…etc.
しかし我々は、神が世界を正義で裁く審判の日を含む、永遠の視点を知る必要がある。仏教に於いては、神が存在するかどうかという問題は、無駄な哲学的思索の範疇に置かれている━というのも、この問いかけは、人々が涅槃を通して苦しみを終わらせるのに役立たないからであろう。幸いなことに、神を知ったからといって涅槃(無我の境地)には至らない。また、仏陀は全知全能ではないので、何が価値ある探究に値し何が価値ない探究であるかについて、彼の推測を信用することは到底お勧めできない。我々の家の電化製品がうまく機能していない場合、取扱説明書をめくったり、その電化製品のメーカーに電話したりする。それと同様に、我々を創造された神は、人生のジレンマに対する答えをお持ちなのである。
締め括りこのように仏教を分かり易く見てみると、仏教を旅に喩えるなら、ロ-ドマップには既知の虚偽の主張が含まれ、もはやこの旅の“発見者”は手助けを提供することもできず、そして最終的には、目的地に到着すると消滅してしまうような旅になるのではないか。仏教は魅力的なシステムだが、それは人を愛する神から遠ざけ、朽ちることのない永遠の生命から遠ざけ、その結果、我らが造られた目的、つまり━罪を洗い流し創造主と関わる人生━“それを獲得する”ことによらず、主イエス・キリストが十字架の上で我々の罪をご自分の身に請け負ってくださった、このことによって可能になったものから我々を遠ざける道を案内する。このことを拒否することは、天国へ至る真のロードマップや旅の手助け、そして我々を裏切らないガイドをも拒否することである。このことを認め受け入れることは、我々の創造主との信頼関係を始めることなのである。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである」『ヨハネによる福音書 3 章 16 節~18 節(口語訳)』。
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日本の仏教 極東における大乗仏教
第二章: 日本の仏教: 極東における大乗仏教(2013 年 7 月 25 日)
日本は天然資源が限られているにも拘わらず、印象的な発明、独特の文化、それに見事に効率的な生活様式を備えた驚くべき国である。時速 320 キロで走行する新幹線に乗ったり、生魚を(安全に)食べたり、雪が降って猿たちが温泉に入って“ノンビリ寛いでいる”のが話題になったり、500 年もの歳月を経た古城の前で春の花見
(桜)を楽しんだり、大相撲の勝負を観戦したり、忍者、侍、空手、カラオケ、カワサキ、ヤマハ、キャノン、トヨタ、折り紙、寿司…といった言葉の発祥の国にいられる、こんなことを一体、他のどこの国で経験することが出来ようか?日出ずる国としても知られる日本には、非常に興味深い歴史がある。その歴史の多くは様々な宗教上の信念によって形成され、影響を受けてきた。
この章では、まず日本仏教の歴史的概要を説明し、次に今日で最もポピュラーな形態(その殆どが大乗仏教のカテゴリーに分類される)に焦点を当ててみたい。日本における様々な仏教勢力の知名度分布を示すものとして、付録 A の人口を参照して頂きたい。日本の仏教を見ていくと、幾つかのテーマが浮かび上がってくる:法華経(経は仏教典)の知名度、先祖崇拝、読経と数珠の使用、汎神(多神)論、神道(日本における仏教以前の宗教で、時には仏教と混合されることもある)、阿弥陀や観音菩薩、大日如来などの救済仏、それに歴史的に検証できる真実と対立する神秘的啓示の人気などである。もちろん日本仏教の様々な宗派には、上記テーマについて強調したり否定したりする差異があり、時には互いに全く反対の教義を説くこともある。この研究論文の目的は、人工的なシステムとは対照的に、聖書の確かな基盤を示すことにある。日本仏教のシステム自体は興味深いものではあるが、この
世の全ての人が必要とする天国へ導いてくれる究極の救いとなる力を持たない。
日本仏教の大部分が中国からの経典に依存していたため、中国仏教に見られるスンニャター(空)哲学はまた、日本仏教の基盤にもなった。これは例えば、空を指し示す禅の“ゼロ”芸術に見ることができる。サンスクリット語の“スンニャター”は日本語では空(ローマ字ではKū)と表記され、英語では“虚空”とも呼ばれ表記されている。日本仏教の様々な宗派に大きな影響を与えた法華経もまた、空の教義を強調している。8 世紀から 9 世紀に日本仏教・真言宗の開祖は、日本語で空(ku)を意味する中国語の漢字を用いて、自分の名前“空海”の表記によって空の哲学を披露している。
仏教に関連する日本史の時代
古墳時代(西暦 250 年~538 年) |
織豊時代(西暦 1568 年~1603 年) |
飛鳥時代(西暦 538 年~710 年) |
江戸時代(西暦 1603 年~1868 年) |
奈良時代(西暦 710 年~794 年) |
明治時代(西暦 1868 年~1912 年) |
平安時代(西暦 794 年~1185 年) |
大正時代(西暦 1912 年~1926 年) |
鎌倉時代(西暦 1185 年~1333 年) |
昭和時代(西暦 1926 年~1989 年) |
足利時代(西暦 1333 年~1568 年) |
平成時代(西暦 1989 年~2019 年) |
令和時代(西暦 2019 年~現在)
古墳時代(西暦 250 年~538 年): 基盤この初めの時代は、その当時に造られていた大きな埋葬塚“古墳”に因んで名付けられた。日本の伝説によると日本国家の始まりは紀元前 660 年とされているが、現代の歴史家は日本国家の始まりを古墳時代に置く:「…現代の歴史家は、3 世紀後半から 4 世紀前半にかけて大和地方に政治勢力の中心地が築かれたと控えめな表現で記述をしている。彼らは日本国家の始まりを紀元前660 年とするのは約 1 千年も早いと見なしている」(メーソン & ケイガー,25)。
「仏教以前の日本の宗教は、カリスマ的な力を持つ存在(精霊、人物、動物)、物、場所などの神の崇拝を中心としていた。このカリスマ性は宗教的な側面だけでなく、
政治的および審美的側面も持っていると認識されていた」(ロビンソン,241)。 後に、この仏教以前の日本の宗教は神道として知られるようになった。「このアミニズム的宗教と呼ばれる神道には、創造主も聖書も存在しない」
(メーソン&ケイガー,33)。
「日本の初代天皇は紀元前 660 年に即位していないが、日本の皇室制度は今なお、世界最古の世襲制度である」(メーソン& ケイガー,32)。「現在の天皇がその子孫である大和朝廷一族の首長は、太陽の女神(天照大御神)の直系子孫だと主張した
…」(メーソン& ケイガー,32)。「1946 年、天皇は自らの神性を公式に否定し、 1947年、伝統的な戸籍制度が解体され、もはや個人はその家族の宗教に束縛されることはなくなった」(ロビンソン,264)。
「…神々は無数に存在し、本質的に非道徳的であり、神々の間に確立された秩序はなかった…。この様に、日本という国を統一する為の主要な課題の一つは、神々の間の階層を説明する為のしっかりした一連の物語を確立し、様々な氏族が同様に、一つの階級制度に組み込まれるようにすることであった。これらの物語の真実性は
戦場で試され、勢力バランスが崩れると関連する物語は改作に反映された」
(ロビンソン,242)。
仏教の主張は、“…不確実な物語よりも普遍的な原理”に基づいているというものであった(ロビンソン,242)。仏教もまた不確かな物語に助けを求めており、結局の
ところ、その原理の基盤が不確かなものであることは本論文で後述する。
飛鳥時代(西暦 538 年~710 年): 逡巡
「仏教が日本にもたらされたのは、恐らく朝鮮半島からの移民が最初であろう…し
かし、皇室レベルでの最初の接触は 552 年に記録されている」(ロビンン,243)百済(当時の朝鮮における三大国の一つ)の聖明王は仏像と経典を添えて仏教が
「究極的には最高の知恵に繋がり、あらゆる祈りが成就される」と伝え、敵に対する軍事支援を日本の天皇に要請した(ソーンダース,92)。10 年後の 562 年、日本に仏教を紹介したこの朝鮮の王は、「…ついには殺害され、彼の国は新羅に滅ぼされてしまった…」(ソーンダース,92)。
一方、日本国内ではこの新しい宗教に対して多くの人が疑惑の目を向けた。中臣氏と物部氏は新興宗教に反対したが、蘇我氏はこれに賛成し受け入れ、一族の家を寺院に建て替えて朝鮮からの仏像を安置した。しかしながら、やがて疫病が発生し、その仏像がこの原因だと非難の声が上がった。中臣氏と物部氏は、「…寺院を焼き払い、その仏像を運河に投げ入れた」(ソーンダース,93)。 数年後に別の仏像が安置され、また疫病が発生した。この度も仏像は川に投げ込まれたが、それでも
疫病は治まらなかったようで、それで仏像は川から引き上げられ元に戻された。
物部氏は「…我らは美しい“天岩舟”に乗って天から舞い降りた神(神道の神)の子孫である」と、主張した(メーソン & ケイガー,39)。 朝鮮半島からの渡来人の子孫である蘇我氏は、587 年に物部氏を軍事的に破り、仏教がより大きな影響力を持つようになった。
「後に日本仏教の開祖とされる聖徳太子(573 年~622 年)は…朝鮮の職人を輸入して寺院を建立させ…彼らの為に朝鮮人僧侶と尼僧を派遣させた」(ロビンソン,244)。
聖徳太子も蘇我氏の一員であり朝鮮半島からの渡来人の子孫である。聖徳太子は
『法華経』の解説書も書き下ろし、それは日本で非常に著名な経典となった。
「仏教経典は全て中国語で書かれていたため、日本は朝鮮の仲介を通すよりも中国
との接触を直接した方が良いのではないかと考えるようになった」(同上)。
奈良時代(西暦 710 年~794 年): 実験
710 年に飛鳥から奈良へ遷都がなされた。奈良時代には仏教の六宗派 ━ 俱舎(くしゃ)、成実(じょうじつ)、三論(さんろん)、法相(ほっそ)、華厳(けごん)、律(りつ)━が存在した。「俱舎、成実、三論は教義を学ぶカリキュラム科目の域を出るものではなかった…」(ロビンソン,245)。現代に至るまで活発な支持を得て存続しているのは法相宗、華厳宗、そして律宗のみであり、これらを合わせても日本人口の約半分を占めているに過ぎない。以下、現存する三宗派の信仰について概要を説明しよう:
⒈ 法相宗(ほっそしゅう)
「法相の教えでは、あらゆる物事には実体がなく、我々の心にそのイメージを投影または反映することによって存在する…」(ソーンダース,121)。「…法相宗は、
あらゆる存在の内部に仏性があることを認識してない」(ソーンダース,123)。
⒉ 華厳宗(けごんしゅう)
「華厳宗の世界観は、宇宙の太陽仏である大日如来と、太陽の子孫だと主張する氏(uji うじ:部族や氏族)である天皇とを同一視することによって、政治的イデオロギーに適合させた」(ロビンソン,245)。「…奈良時代に栄えた華厳宗は、全ての現象は根本的に一つで重なりあい、相互に交換可能であると説いた」(メーソン&ケイガー,239)。「華厳宗の基礎となっている『華厳経』もまた、本質的に禅と密接に結び付いている。それらは宇宙の様々な側面が完全に相互依存の関係にあるという一種の宇宙神論を説いている…しかも、仏性はあらゆる物の中にあり、一粒の塵のかけらにも人間の内部と同じくらいある」(ソーンダース,204~205)。日本仏教の多くの宗派は、仏性に関する法相宗と華厳宗の信仰に見られるように、互いに相手を打ち消し合っている。
⒊律宗(りっしゅう)
「中国の“Lu(呂)” あるいは“ヴィヤナ(律)”に因んで名付けられた律宗は、ヴィヤナ・ピタカ(律蔵:僧侶の規律や道徳や生活様相などの法典)の解釈に携わっていた。…この宗派はまた、日本で僧侶に聖職位を授ける(叙階)の儀式を担当して
いた」(Noriyoshi,163)。
平安時代(西暦 794 年~1185 年): 融合
784 年、帝都は奈良から長岡へ、794 年には平安(現在の京都)へと遷都がなされ、少なくとも名目上は 1868 年までここに留まった」(ソーンダース,134)。この時代には、2つの新しい仏教宗派が出現した:天台宗と真言宗である。「…天台宗と真言宗の両者とも、神道の神々が実は偉大な宇宙仏の応化身(応現した身体)であると主張した」(ロビンソン,246)。「…天台宗、真言宗の両者とも、再生(カルマ)、修
行(禁欲生活)、自己努力という上座部仏教の基本概念を保持していた」
(メーソン&ケイガー,100~101)。
⒈ 天台宗
最澄(さいちょう)(767 年~822 年)は中国へ渡り様々な宗派で学んだ後、天台宗を創始した。比叡山に総本山を置いた。「比叡山は日本の主要な僧院の中心地となり、16 世紀末に破壊されるまで存続した。最盛期には 3 万人の僧を抱え、3 千以上の建物があった…。寄進されたその莫大な富を盗賊から守るため、僧侶の一部を武装させる必要があった。これらの武装した僧侶は派閥を形成し、後に総本山住職の地位継承を巡る争いに巻き込まれていった」(ロビンソン,247)。「…次世代の主要な改革僧侶たち ━栄西(えいさい)、道元(どうげん)、法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)、日蓮(にちれん)━ らは総じて、初期の僧侶としての修行キャリアを比叡山で過ごしたが、そこで目撃した腐敗が彼らの寺院改革への大きな動機づけとなった、とされている…」(ロビンソン,248)。「天台宗では、生きとし生ける存在の最終的な救いへの信仰があった…人間だけでなく全ての生命は基本的に同じであり ; それは存在の根本的な統合という概念である…。この教えは大乗仏教の重要な経典のひとつである法華経に基づいている。法華経は、ゴータマ(仏陀)が涅槃に入る直前に説いた最後の説法であるとされている。
実際には、ゴータマが入滅してから長い時間をかけて編纂されたものなのだが…」(メーソン&ケイガー,102)。先ほどの上記 5 名の改革僧侶たちは、いずれもある程度は『法華経』の影響を受けていた。
「最澄は天台教義を固持し、普遍的な救済、すなわち全ての衆生に仏性の絶対性が存在することを認める帝釈天の教義を信奉していた」(Michio,270)。 2004 年に、天台宗は日本人口の 2.7% を占める信徒を擁していることを明らかにした。「天台
宗は太陽の汎仏である大日如来をダルマカヤ(仏教における根本真理)の実現者として認識している…」(ソーンダース,144~145)。
⒉ 真言宗
真言宗の開祖、空海(774 年~835 年)もまた、中国に留学して学んだ。日本には高さが16~21mに及ぶ彼の像が4体ある。「空海は般若(カシミール地方の僧)から経典と数珠を授かったとされており、日本の空海像ではその数珠を持っている姿がよく描かれている」(ソーンダース,154)。祈りに際して数珠を用いるのは、キリスト教よりも何百年も前にヒンドゥー教で執り行われていた慣習である。
「真言宗創始者である彼は、日本語の読み書きを大幅に簡略化する五十音節文字表を考案した」(ロビンソン,248)。「真言宗では、全宇宙とは中心的な太陽神、大日如来の顕現・放射であるとする一種の汎神論を展開した」 (ソーンダース,
161)。 「大日如来の明白な太陽神としての性質(太陽神像)は、いとも容易にこれを日本土着の太陽女神・天照大御神(神道との二重システム)に結びつけることができた…。」(ソーンダース,168)
「真言宗はチベット仏教やタントラ仏教(密教)の影響を強く受け混合した大乗仏教であり、儀礼的な話術や神々との神秘的な結合などが強調されている」(メーソン&ケイガー,105)。真言宗の経典は、「…ヒンドゥー教の影響を強く受けたパンテオンを含み、純粋な仏教ではない多数の神々を含んでいる」とされる。(ソーンダース,161) 真言宗の修業では、弟子は「…大日如来 が教えるムドラー(神聖な印相ゼスチャー)とマントラ(神聖な御言葉や呪文)を介して身体と言葉を調和させよ。そうすれば、高尚で色彩豊かな曼荼羅(聖画)の視覚化とともに、これらの身体的発現に自分の心を傾けることによって完全な調和に達することが出来るであろう…」(ロビンソン,248~249)。これらの修業の到達すべきゴールは実際に大日如来となることであり、これは真言宗の汎神論と合致する。「真言宗は精神統一を旨とするヨガ行のタントラ聖典に基づき…大日如来(偉大な太陽)の身体、話法、心
を模倣し、その偉大な存在との同一性を仮定する修行を積むことである」
(ロビンソン,248)。
紀元前 590 年頃、預言者エゼキエルはイスラエルの神殿がバビロンによって破壊される前に預言をして、イスラエル民族の神への不誠実さを書き記した。彼らは太陽を崇拝した。【彼はまたわたしを連れて、主の宮の内庭にはいった。見よ、主の宮の本堂入口に、廊と祭壇との間に二十五人ばかりの人がおり、主の宮にその背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた。時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、あなたはこれを見たか。ユダの家にとって、彼らがここでしているこれらの憎むべきわざは軽いささいなことであるか。彼らはこの地を暴虐で満たし、さらにわたしを怒らせる。見よ、彼らはその鼻に木の枝を置く。」】『 エゼキエル書 8 章 16 節~17 節(口語訳)』“枝を鼻のところへ”持ってくるという表現は、現代でもまだ使われているが、これは多分、崇めまつる動作の中でかぐわしい香りのする棒(線香)を立てて捧げる姿勢を意味している。創造主である神にくるりと背を向け、神の被造物を拝むという忌まわしい行為をしたのである。
真言宗の汎神論な思想は美術にも反映されている。「真言宗では真理(=宇宙仏)とは、人生の好ましい側面だけでなく不愉快で不気味な側面も含まれると考えていた」(メーソン&ケイガー,115)。また、大日如来の不気味な側面と関連して、
「…智慧の王(明王)と呼ばれる第二群の神々グループ ━不動(サンスクリット語
で Achala) ━シヴァ神の姿をした不動明王 ━ 剣と綱を手にした姿で描かれることが多い;彼は剣でこの世の悪魔を切り倒し、綱でそれらを縛る…2つの牙を突き出した恐ろしい形相をしており、その背後には炎が燃え上がっている」
(ソーンダース,176)。不動が由来するヒンドゥー教では、シヴァ神は破壊者である。「今日、明王は主に真言宗で崇拝されている…。実際、明王は明らかに大日如来の姿をしており、悪と無知に対するその怒りを表している」(http://www.onmarkproductions.com/html/fudo.html)。汎神論では、人生の悪の側面さえも“神”の一部である。倶(く)利(り)伽羅(から)の呪文経典では、「不動は直立した剣に巻き付き炎を纏った蛇や竜の姿をしている」
(http://www.onmarkproductions.com/html/dragon.shtml)。
真言宗は今日も日本の多くの人々に支持されている。不動明王は蛇や竜に変身することができ、破壊者シヴァ神に由来し、大日如来の顕現であるとされている。聖書では、この蛇や竜のような存在が誰であるかを明確に宣言している。「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経た蛇は、地に投げ落され、その使いたちも、もろともに投げ落された。」『 ヨハネの
黙示録 12 章 9 節(口語訳)』※聖書の御言葉…最終章に至るまで口語訳を引用
2004 年、日本人口の約 9.9%が真言宗信徒であると考えられている。
鎌倉時代(西暦 1185 年~1333 年): 改革
1185 年、天皇は権力を奪われ、将軍の権威が台頭して新しい政治体制が誕生した。
帝都は依然として京都に置かれ、天皇はその称号を保持することを許されていたが、政治の中心は将軍が住む鎌倉へと移された。この時代、京都近郊の比叡山には天台宗から袂を分かち日本仏教の改革者となった 5 人の傑出した僧侶たち、即ち、栄西、道元、法然、親鸞、そして日蓮がいた。
⒈栄西と道元:禅宗
2004 年では、禅宗信徒が日本人口の 2.6 パーセントを占めるとされていた。これはかなり低い数字だが、国際的には禅は恐らく日本仏教の最もよく知られた宗派である。「明庵(みょうあん)栄西(1141~1215)は 1202 年、京都に最初の禅寺(中国語ではチャン寺)を建立した…栄西の禅の折衷主義に対する不満を抱き、次世代の多くの僧侶たちが、より不純な要素の少ない教義を日本へ持ち帰ろうと自ら中国へ渡航した。それを実行した第一号が道元希玄(1200~1253)である…《禅とは、本質的に“思考を脱-思考すること”である》と、道元は言っている。考えを止めることは、どのような手段で考えられるのか?“超-思考”である」(ロビンソン,251)。変成意識状態禅は、悟りに至る道として瞑想に焦点を当てている。禅という言葉はパーリ語の “jhana(ジャーナ)”とサンスクリット語の“dhyana(ディヤーナ)”に由来してい
る。「4つのディヤーナ(瞑想には4段階ある) はエンスタシー(法悦)の度合いが増していくことを特徴とする一連の変成意識状態として理解するのが最も適切である。エンスタシーという言葉は、文字通り“内に立つ”という意味である。つまりエンスタティックな修業とは、修行者の感覚と思考を外界との接触から引き離し、その意識の中身を軽減することを目的とするものである」(グリフィス,38)。「道元の思想と初期の仏教思想との間には、強い類似性を見ることができる:脱-思考という内部思考は、視界を超越した正しい見解を用いて見解を超えていく、正しい観察方法につながる…。道元は曹洞宗の開祖として認められた」
(ロビンソン,252)。
上座部仏教に受け継がれている初期仏教は、瞑想の目的や手法の一部が禅と類似している:「ジャーナと は…瞑想のテーマ以外の全ての感覚入力が意識から完全に排除される法悦状態を意味する。より高い禅のレベルに至ると、瞑想者は言葉を発することも動くことも出来なくなる…。パーリ聖典によれば、ゴータマ(仏陀)は、彼が選んだ(特定されていない)瞑想テーマに集中して注意を向けることで得られ
る4つの古典的なジャーナによって、悟りの境地に達した」(キング,88)。
言語や論理を超えて日本ではダルマ(達磨大師)の名で知られるボーディダルマ(菩提達磨 470~534)は、中国における禅の開祖と言われている。「ボーディダルマの教えは、伝統的に仏陀の教えにまで遡る。仏陀は説法中に花を手に掲げて微笑んだことがある。カシュヤパだけが、仏陀が自分の教義の真髄を表現する為の言葉の不十分さを象徴することを意図したのだと理解していた。これこそ、ボーディダルマが中国へもたらした“無言行の伝統”であり、それ以後、空域の支配者(絶対者である神)を直観的に理解する伝達方法となった」(ソーンダース,208)。952 年に編集された『祖師堂集』によると、ボーディダルマは壁に向き合い 9 年間、いっさい言葉を発しなかったとされている。これが伝説かどうかは別として、無言の哲学思想に通じるものが
ある。この合理的思考に異議を唱える傾向は、現代の禅にも続いている。
「禅は、誰も実際に自分で考えて悟りの境地に達することはできないし、ましてや他人との論理的な議論に依存することは出来ないとしている。合理性は最終的に直観的な洞察に道を譲らなければならず、それだけが人を自然で自発的に生きられるよう解放する…」(メーソン&ケイガー,169)。この種の倫理や宗教に対するアプローチは現実の世界とはマッチしない。もし教師が生徒に対してテストの点数や合理的な要素を度外視して“直観的に”成績をつけたとすれば、生徒から「それは不公平だ」と言う抗議の声が上がってくるだろう。もし医者が“直観的”そして“自発的” に 薬を処方すれば、患者は死んでしまうだろう。テストの点数など合理的な要素もそうだが、経済的な判断、運転上の判断、倫理的な判断…etc.などに適用された場合、同様のカオス状態が惹き起こされるであろう。“見解を超える”“思考を超える” という“悟りの境地”は、明らかに真理を抑圧している。合理的な思考の自由の代わりに経験が過度に強調され、その結果、真理から遠去かることになる。我々が日常生活で用いる合理性は、霊的な真理を理解する際にも適用できる。
公案(修行者が悟りを開くための課題として与えられる禅の問題または問答)とは禅における合理性に“打ち克つ”一つの方法であり、例えば「片手で拍手する音は何ですか?」といった問いかけを瞑想するようなものだ。公案に加えて、時には“衝撃の雄叫び”(気合)も用いられる。「公案とは、いわば未整理のテーマであり、しばしば非論理的に知性を混乱させ、直観に訴えて理解させることである。《喝!!》を入れるが如く、それらは抑制的な知的プロセスを回避しながら、直接的な直観理解力を確立する為のものである」(ソーンダース,212)。「…可能な限りあらゆる角度からこのような質問(公案)を投げかける目的は、決定的な解答を求めることではなく、“既成概念を超えた”ダイナミックさに益々もって精通しようとするところにある…」(ロビンソン,252)。ある宗派で用いられた思考を超える他の方法は(現在も同様)、棒でビシッと叩くことである:「…棒は大声で喝を入れるが如く、━体罰的に肉体を通じて━ 思考を担う心をビクッと刺激して悟りに至らせるべく用いられたものである」(ソーンダース,213)。より長い公案の一例として、中国のある僧院においての事例がある。「南泉普願
(F.Nansen,748~795)の僧院の北堂と南堂の僧侶たちは、一匹の子猫を巡って激しく論争を繰り広げていた。南泉普願はその猫を捕まえ、論争している僧侶たちの前でそれを持ち上げて、「お前たちの中に、なぜ私がこの子猫を殺してはいけないのか言い当てる者がいれば、その命を助けてやろう」と言った。僧侶の誰も口を利かなかったので、南泉普願は子猫を地面に叩きつけて殺してしまった。一日の外出から帰って来た趙州従(J.Joshu,778~891)という僧が南泉普願に迎えられ、「もしお前がそこに居合わせたら何と答えたか」と問われた。この時、趙州従は草履(藁のサンダル)を脱いで頭の上に乗せ、南泉普願の前から立ち去った。そこで南泉普願はこう言った、「もしお前がそこに居合わせたなら、猫は助かったであろう」。趙州従の行為は肯定でも否定でもなかった。言い換えれば、いかなる問題に対しても唯一の解答は空(欠如)であることを表現し、問題の不存在を指摘することで、決して語られることのない無言の救いの言葉を構成していた。
(ソーンダース,212~213)。
「現在、禅宗の僧院で般若心経(ナーガ蛇がインド仏教の僧ナーガールジュナに与えたとされるもの)が学ばれており、万物の究極の空虚の概念は禅の思想に影響を与え続けている」(ソーンダース,204)。この様に社会に対して否定的な哲学理念が多く存在する。趙州従が子猫について無関心だった反応は、古典的な仏教の“無心” と、大乗仏教の“万物の空虚”(サンスクリット語でスンニャター)の教義を組み合わせたものである。この“究極の空虚”は、万物の中に仏性があるとする信仰(華厳宗の宇宙即神論参照)と対照的である。ただ、これまで見てきたように、禅では理路整然とした一貫性が優先されることはない。
禅の人気作家である鈴木大拙(だいせつ)は、「禅は一神論でも汎神論でもなく、禅は一切その様な呼称を許さない…そうした概念の規定を全て拒む。だから禅は理解するのが難しいのだ」と、書いている(鈴木,41~42)。そして鈴木は、禅とは何
かを“定義”する為に、密雲円悟(みつうんえんご)(1566~1642)を引用している:「禅の偉大な真理とは、誰もが禅を持っているということだ。自分自身の存在を見据えて、他人を通して探究するのではなく…その光の中で全てが吸収される。主客の二元論を黙らせ、双方を忘れ、知性を超越し、理解から自分を切り離し、直接、仏心のアイデンティティに深く入り込みなさい。これ以外に現実はない…」(鈴木,46)。鈴木は、禅が拒んでいるとする円悟の概念メイキングや呼称を引用することで、自分自身に矛盾を生じさせているのである。また、この引用では「禅の光の中に於いてすべてが吸収される」という汎神論的な記述も見られる。禅の信徒は“知性を超越”するよう求められ、論理や常識を置き去りにする非常に危険な場所に連れて行かれる。
上記の子猫の公案で、それがもし人間の赤ん坊だったら、やはり無関心な態度のまま頭に草履(藁のサンダル)を乗せただろうか?キーオンは 1996 年に出版した著書の中で述べている:「日本では…妊娠中絶が合法であり、毎年 100 万件もの中絶が行われている。これを数字で比較すれば、人口が日本の 2 倍以上の国であるアメリカの 150 万人に匹敵する」(キーオン,102)。アメリカという国もまた、すっかり神や胎内の赤ん坊に示すべき慈悲から遠く離れてしまっている。無関心に傍観する態度が、ある事は実に悪であり、ある事は実に善であるという問題を引き起こす。もし人々が無関心で孤立した人生を歩むなら(皮肉なことに無関心の見方に執着しているが)、この人生にかけられるフィルター(運命に対する平静の中庸とも呼ばれている)は、究極の善である神を見逃し、明らかに悪であるものを避けられないようにしてしまう。
⒉法然と親鸞: 浄土真宗これは現在、日本国内で最も人気のある仏教である。2004 年の時点で日本国民のおよそ 15.3% が浄土真宗の信徒だと自認している。「阿弥陀仏(浄土真宗)は他力、すなわち阿弥陀仏を通しての救済を強調するが、禅は自己の内なる救済を強調する。全ての人間は仏性を持っており、この仏性は“自己の実現”を通して認識できる」(ソーンダース,228)。「天台宗と真言宗における阿弥陀仏の存在は、密教の神としての存在を証明するものである。従って、他の密教の神々と同様に、阿弥陀仏は瞑想の対象であった…。ただ阿弥陀仏の名(念仏)を唱えるだけでは十分ではなかった…」(ソーンダース,189)。法然と親鸞からの影響を受けて、この天台宗と真言宗が強調したこと(禅のように多くの自己努力を伴う)は変遷を遂げた。
法然(1133~1212)は浄土宗を創始した。これは、人が死んだら阿弥陀仏の助けを借りて浄土に往生できるという考えに基づいている。「カリスマ的なリーダーであった彼は、1日に 7 万回も念仏を唱えるよう説教し、それを自ら実践することで、社会のあらゆる階層から門弟を引き寄せた」(ロビンソン,254)。親鸞(1173~
1212)は法然の弟子であった。「彼は法然に師事するよう観音菩薩によって夢の中で導かれ、1201 年に弟子入りして学び始めた」(ソーンダース,198)。親鸞は、その後に劇的な構想を得て、最終的に真宗(浄土真宗として知られる)を創設するに至った。
「比叡山で 20 年の歳月を独身禁欲の制約に苦しんだのち、親鸞は夢の中で観世音
(日本では観音菩薩)が現れ、将来に結婚する若い女性の姿となって現れることを約束する」という啓示を受けた(ロビンソン,254)。親鸞は結婚し、それから更に「…阿弥陀仏の救いは唯一、念仏(仏の名前)を唱えればよい」という啓示を受けた(ロビンソン,254)。「親鸞の教義は法然のものと同様に、様々な乱用や誤解を招きやすいものであった。親鸞の実子である善鸞(ぜんらん)は、罪へのあからさまな誘引となるような煽情的な教えを説いた。親鸞は最終的に息子との一切の関係を断ち切らなければならなかった」(ロビンソン,255)。
「法然は、念仏を唱える繰り返しの回数が多ければ多いほど、浄土に往生できる可能性が高くなると考えていた」(メーソン&ケイガー,164)。長年にわたって「阿弥陀仏を 1 回唱えるだけで十分なのか、それとも繰り返し唱える必要があるのか」という論争がなされた。今日でもこの二つの宗派は現存しているが、真宗(1 回唱える)の方がより人気がある。「中国、韓国、それにベトナムでは、阿弥陀仏への帰依と乾坤(けんこん:韓国では Son、ベトナムでは Thien)瞑想とが組み合わされ
たものが定着し、一方、日本では浄土宗と禅宗の別々の系統に分かれた」
(コーレス,263)。
中国の道綽(どうしゃく)禅師(562~645)は、「…ロザリオを浄土真宗の修行に導入し、一般の信徒と僧侶が共に数珠の刻み目を利用して記録的な[念仏]の回数を唱えたとされている」(コーレス,253)。これとは対照的なイエスの御言葉がある
「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている 」
『マタイによる福音書6章7節(口語訳)』。親鸞は阿弥陀仏を第一に信仰していたが、観音(日本で最も高く聳え立ち像の数も最多)にも敬意を払っていた。浄土真宗の経典に描かれた阿弥陀三尊画には「阿弥陀仏の両側に彼の慈悲と智慧を表す化身菩薩である大いに慈悲深い観音と大いに力強い勢至(せいし)が居る…」(コーレス,253)。しかしながら、これら二尊(阿弥陀仏と観音)はどちらもキリスト以後に現われている。しかも、彼らは歴史上では実在していない聖人伝の創作である。
「法然が瞑想と功徳を削ぎ落し、信仰と念仏だけを残したのに対し、親鸞はさらに削ぎ落し、他力への信仰だけを残し、自力信仰を全く残さなかった」(ロビンソン,255)。タイの有名な仏教学者ポー・オー・ パユットーは、「仏教がどこに広がろうと、或いは教えがどれほど歪められようと、人間の努力に対するこの強調点は決して変わることはない。この 1 つの原則が失われたなら、それはもはや仏教ではないと自信を持って断言する」と、述べている(38)。パユットーによれば、浄土真宗は仏教と呼ぶべきではない。それは自己努力を強く求める態度が全く欠けているからである。
たった一人の救い主一見したところ、阿弥陀仏はキリスト教における神の役割 ━ つまり善行ではなく、恵みによって救いをもたらすという役割を果たしているようである。しかし、全能の神と阿弥陀仏との間には幾つかの大きな相違点がある。:「阿弥陀仏は…宇宙全体から見れば唯一無二の特別な存在ではなく、多くの仏のうちの一尊でしかない… 彼は宇宙全体を創造したり、維持したり、破壊しているわけでもなく、宇宙全体を存在論的に支えているわけでもなく…宇宙全体のために…存在論的に“いと高き御力”として崇拝者たちの上に立つわけでもない…仏ではない時代があったのだから彼の人生は無限というものではない」(コーレス,247~248)。
浄土教の教義に変更を加えたのは法然と親鸞だけではなかった。「瞑想ではなく読誦であること、そして阿弥陀仏の誓願から利益を得ることが出来る者に罪人を含めること…この2点が、インドの阿弥陀教義からの主な中国式逸脱点である」(ロビンソン,196)。浄土教の教義は長い年月とともに多くの変更が加えられてきた。真宗はただ浄土教の教義から迷走しただけでなく、人を救う権威を持たない架空の人物を追い求めて現実からも大きく外れてしまった。我々が医者を探す時、良い資格と信頼性を求める。保険会社を探す時も同様に、確実性と信頼性を求めるものだ。
救い主を求めるとき、我々はそれ以下を期待すべきではない。むしろ、それ以上のものを期待すべきだ。「ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない」『イザヤ書 43 章 11 節』。「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる 。わたしは神であって、ほかに神はないからだ」『イザヤ書 45 章 22 節』。「きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」『ルカによる福音書 2 章 11 節』。
全能の神はただお一人である!神は「わたしのほかに救う者はいない」と、語られた。それでもイエスは“救い主”と呼ばれている。これは、イエスが全能の神そのものだからである。
イエスの救いは広範囲にまで及ぶものだ。イエスと共に十字架に磔(はりつけ)となり、その時に信仰を持った盗人にまで救いは約束されている。それは空約束ではない。イエスは死から蘇ったとき、その権威を証明した。イエスが死から蘇った復活に関する歴史的な記録には、多くの法律家をイエスへの信仰に導いた力量がある。〖十字架にかけられた犯罪人の片方が、「あなたは救い主キリストではないか。それならば、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言い続けた。もうひとりのほうは、それをたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか?われわれは自分のやった事の報いを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、この方は悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、私を思い出してください。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう 」〗『ルカによる福音書 23 章 39 節~43 節(口語訳)』 イエスはどのような人生を歩んでいる人でも救うことができる。浄土真宗寺の2人の住職、それぞれの曾孫娘 2 人が「どのようにしてクリスチャンになったのか?」第三章をご参照いただきたい。
⒊日蓮: 日蓮宗
2004 年、日蓮宗の各宗派は日本人口の約 13 %を占めている。日蓮(1222~1282)も天台宗を離れ、法華経のみに着目して彼の仏教宗派を形成した。「日蓮は、法華経だけが純粋な真実のダルマ(仏教における法)を含んでいると考えた。他の全ての仏教宗派は間違っている…」(ロビンソン,256)。「日蓮の人生は仏教の指導者というよりも、神道シャーマンの形態に倣っていた。彼はその勇気と…時には霊媒のそれに似ている彼の個性によって信奉者を惹きつけた」(ロビンソン,256)。「…彼が勧めた修業は極めて単純なもの:即ちお題目(マントラ)━《南無妙法蓮華経》を繰り返すことだった…その後、彼は自分の信仰を表現した御本尊と呼ばれる曼荼羅(まんだら:聖画)を創りあげ、それを注視しながら
帰依の意を表明する拝礼の宣言を繰り返した」(ロビンソン,256)。
“日蓮”という名前は彼の本名ではなく、“太陽の蓮”を意味する彼自身の命名である。「…日(にち)は、真の信仰の太陽のみならず、日本そのものを象徴している。蓮 (れん)は、ハスの花を表わす」(ソーンダース,231)。日蓮はまた多くの著作を残している。「…これらの著作は他の宗派、特に阿弥陀仏や禅、そして後には真言宗や律宗の誤りを指摘することに費やされた。実際、これら 4 宗派に対する不利で敵意に満ちた批判が日蓮宗の不可欠な特徴となった」(ソーンダース,233)。「日蓮は普遍的な救済の教義を推進したが、彼の宗派は日本の宗教史上、最も排他的でしばしば過激な集団へとエスカレードしていく」(Michio,273)。日蓮はかつて、「罪のないモンゴル人の首を刎ね、日本の敵である念仏(浄土)、真言、禅、律の僧を無傷のまま残しておくのは誠に遺憾である」と、述べた。
(メーソン&ケイガー,165)。
「日蓮は、法華経の本来の仏性についての複合瞑想…永遠の釈迦牟尼仏陀と経典の真実、そして全ての存在は究極的に一体であるという確信に信仰を定める…として、その教義を示したのである(ロビンソン、256)。この信仰は日本仏教の他の宗派(華厳、天台、真言、禅)と同様に、非常に汎神論的に聞こえる。
例えば天台宗において、「…人間の生命だけでなく、全ての生命は基本的に同じであるという思想、つまり存在の根底にある統一性の思想があった…。…この思想は法華経に基いている…」(メーソン&ケイガー,102)。このような“存在の統一性”、仏陀と“すべての存在”の究極の一体とされるものは、善悪の区別を付けることは出来ない。あらゆる森羅万象は一つであり、それは善も悪も包含することになる、という汎神論的なものである。日蓮が「善」と「悪」を判別しようと試みても、法華経に基づけば、その根拠はない。日蓮は善悪について無関心ではなかったが、自分の体系の中に、この宇宙の悪とは別の権威を備えた基準を持たなかった。全能の神のみがその完璧な基準を提供することができるのである。
観音
京都には 1000 体の観音像を擁するお寺がある。それらの像の周りには、28 体 の
「護り神」が居り、その多くは頭や腕に蛇を巻き付け、悪魔のような形相をしている。これら 28 体の護り神の大部分は、ヒンドゥー教の教えに従ってそのまま日本へ持ち込まれたものだ。このことは、“神”が悪魔のような存在に護られているということは、何か意味があるのではないだろうか?悪魔が真実を宣伝し広めようとしないのは確かである。ダライ・ラマは男性でありながら観音の化身だと言われてお
り、通常、観音は女性の姿で描かれている。「中国では、観音は最終的に女性の外
観として表現された」(ロビンソン,108)。ところで、“Canon”(キャノン:カメラ・プリンター等のメーカー)商標名もまた観音に因んでいる。
(http://www.canon.com/about/history/outline.html)。
観音は法華経では聖観音(ショウかんのん)という名で登場する。法華経には、観音は女性、少年、少女、ガルーダ(鳥)、ナーガ蛇にさえ姿を変えることができる
と記されている(www.bdkamerica.org/digital/dbet_t0262_lotussutra_2007.pdf)。
「観音経が法華経に編入されたのは、遅くとも紀元前3世紀のことである」(ロビンソン,108)。「…弥勒菩薩(ミロクぼさつ)や文殊菩薩(モンジュぼさつ)、それに聖観音(観音)…これらは史実上の存在ではない。そのうちのどれも、人間の英雄の神格化であるという証拠はない…。「紀元前 3 世紀までは天上の菩薩への帰依を説く経典は無かった…」(ロビンソン、105)。
日本にはアメリカの自由の女神像より高い観音像が 10 体、高さ 17~100mの観音像が 32 体 もある。悲しいことに、この伝説的な実在していない偶像に何百万円もの大金が注ぎ込まれ、一方で、本当に我々が称賛し注目すべきお方、すなわち創造主を無視することになっている。神は偶像崇拝ではなく、イエスが教えられたように
“霊と真実(まこと)”をもって礼拝されることを望んでおられる。イエスの存在は、歴史の上で非常に多く確認されている。奇蹟を起こし、完璧な人生を送り、死から蘇り、イエスの生涯は彼が地上に生まれる何百年、何千年も前に、旧約聖書で何百もの詳細な預言が為されていた。イエスは言われた、「…わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」『 ヨハネによる福音書 14 章 6 節(口語訳)』。
足利~江戸時代(西暦 1333 年~1868 年): 停滞
この時代、「曹洞(そうとう)宗と臨済(りんざい)宗(ともに禅宗)以外の全ての仏教宗派は、自分たちの利益を守る為に武装社会を形成したが、数十万単位の夥しい人数が虐殺される顛末となり、国家統一の手段としての仏教の威信が失墜し崩壊した」(ロビンソン,257)。この時、政府の中枢は江戸(現代の東京)に置かれた。鎌倉時代(1185 年)から明治時代(1868 年)初頭まで、日本は概ね将軍(幕府) によって支配されていた。「…長期の平穏無事な体制維持が続き、新しい思想や外国からの挑戦や課題がもたらされなかったことが結局、仏教組織の活力を失わせ、徳川時代の終わり(1868 年)には、その状態はせいぜい“無気力”としか呼びようがなかった」(ソーンダース,247)。「…明治時代の(1868 年)初め、仏教は最も弱体化していた。徳川幕府に統制されてきた空虚の時代、その徹底した長年の支配下での矮小化は、この宗教が幕府の権力と同一視されることで終止符を打った…。
1867 年、幕府は崩壊し、その翌年に仏教は解体され、その大部分が無力化された」
(ソーンダース,255)。
明治時代(1868 年~1912 年): 改革
明治維新は社会の様々な側面に影響を与えたが、しかし当然ながら、「…藤原氏と歴代の征夷大将軍によって簒奪された天皇を正統な地位に戻す」ことから始まった
(メーソン&ケイガー,258)。神道の興隆は天皇の興隆と密接に関連していた。
「1870 年、政府は大教、すなわち“偉大な教義”の名の下に神道を国教とすることを宣言した。強力な布教活動が開始され、伝道神官が全国に派遣され、彼らの任務は儒教と仏教の誤りを正し、神道の思想を擁護することにあった」
(ソーンダース、257)。
大正~令和時代(1912 年~現在): 革新第二次世界大戦後、「…天皇は公的にその自身の神性を否定し…個人は家の宗教に束縛されることがなくなり、農地改革政策が施行された…。国家によるこれらの発令の複合的効果は日本史上初めて、宗教に関係のない政府を樹立し、個人には完全な信教の自由を与えることだった」(ロビンソン,264)。新興宗教が続々と乱立した。その一方で、「世論調査では、日本人の多くが自分を特定の集団に所属しているとは考えていない」(ロビンソン,265)。
⒈ 創価学会創価学会の仏教は、日蓮宗の分派である。1938 年に始まり、日蓮の教えをベースにしている。「この宗派は、日蓮の伝統的な修練である読誦を推奨している…ただし読誦のモチベーションは、現世の目的(ご利益)を達成することである:即ち、職場での昇進、経済的成功、家庭の調和、身体的・精神的不調の緩和などである」
(ロビンソン,265)。「御本の巻物は創価学会信仰の宗教的核心である」(デュムラン,259)。「この宗派の特徴には、池田大作会長の霊性が明確に反映されており、「御本尊様どうか本日これを成し遂げられるよう助けてください」と、毎日熱心にお祈りするよう信徒に説いている」(デュムラン,259)。「日蓮の教えの総体、即ち法華経のビジョンに従った絶対的な現実を象徴的に表現する為に創作した曼荼羅の中で 、━ 日蓮正宗と創価学会が格別に重要視しているのが ━ 《御本尊》である …中国の表意文字が縦に書かれた巻物…」(デュムラン,258~259)。デュムランは総本山の大石寺を訪れて次のように書いている:「…私はそこに居合わせた若者たちの、あらゆる人間的恐怖を排除した強烈な信念に感動しただけでなく、同
時に彼らの気質は紛れもなく御本尊との個人的関係を示していると感じた」
(デュムラン,259)。
デイビッド・ヘッセルグレイブは、創価学会仏教徒と日蓮宗(当時の統括組織)の不和について書いている:「四半世紀前に 1 億ドル(今日の為替レートでは優に 2 倍以上)をかけて建てられた正本堂(日蓮宗寺院の境内にあり総本山の中心建物だが、大部分が創価学会の寄進によって建てられた)は、仏教界で最も印象的な建造物のひとつだった。しかし、著名な建築家、政治家、様々な宗教指導者たちの嘆願や抗議があったにも拘らず、日蓮宗の僧侶が3,500 万ドルもかけてこれを取り壊してしまった!権力闘争と派閥争いは 1991 年、遂にクライマックスに達し、法主・阿部日顕は池田(創価学会会長)と彼の全ての信奉者を破門するという急進的な措置を講じた」
www.emsweb.org/images/stories/docs/bulletins/hesselgrave_nichirenists_2_2000.pdf。日蓮正宗と創価学会の対立は第二次世界大戦後まで遡り、1952 年、当時の創価学会会長の戸田城聖が、日蓮正宗の僧侶の 1 人に、罪状告知書への署名を強要した。
「名指しされたこの僧侶は、戦時中の創価学会への弾圧と、牧口常三郎(創価学会創立者)が指導者として国教である新党との習合と、身延山の他の日蓮宗分派との組織合併を支持したので彼が獄死したことへの責任を追及された」(デュムラン,258)この様な対立はさておき、創価学会の会員は御本尊を重視し、その御本尊とは、
「…日蓮聖人ほど偉大なお方は他に居られません…」と会員が語るのを、デュムランは聴いた(デュムラン,259)。その人格は「時に霊媒に取り憑かれたかの様な」(ロビンソン,256)死者である、日蓮を呼び起こすとされる巻物と関わりを持つことは、言うまでもなく霊的に危険なことである。これについては後ほど“使い魔”について論じる際に詳しく説明したい。
⒉レイキ(靈氣)レイキは、ヒンドゥー教の思想(例えばチャクラ…人間の身体の中枢にある気やエネルギーが集結し出入りする七つの中心点)を、日本流にアレンジしたものである。
1922 年、仏教の修行を積んだ後に臼井甕男(ウスイミカオ)は、レイキに関する天の啓示を受けたという。その方法は“超自然的な影響力”によって治癒をもたらすことを目的としている。「…看護師、カウンセラー、そして特にマッサージ療法士の多くが仕事の補助としてレイキを用いています」(ユンゲン,95)。「レイキは 1970 年代半ばに日本からアメリカにもたらされました。この特殊な療法の実践者が 50 万人に達するまで約 20 年の歳月を要した…。2005 年には、その人数は全米だけで療法実践者 100 万人という驚異的な数字にまで急増しました!!」(ユンゲン,13)。
レイキは世界中に 500 万人のフォロワーがいると言われている。
(http://www.reiki.ne.jp/reiki_japan/en.html)。
「…多くのレイキ実践者は、霊界とのチャネリングによるコミュニケーションを言語化したことを報告しています」(ユンゲン,97)。レイキでは“レイキガイド”と呼ばれる精霊によって導きがなされる。あるレイキマスターは、「彼らは私の背後に立ってプロセス全体を指示し導いてくれ、私が思うに、彼らはまた、全てのレイキマスターに対してこれを行っているのだと思う。アチューンメントを受けると、彼らの存在を強く、常に感じることができる。時には彼らを見ることもできる」と、彼女自身の経験を書き綴っています(ユンゲン,95)。これらは、人々を愛する神から遠ざける“偽りの奇跡”なのだ。
⒊霊友会霊友会は 1925 年に日蓮宗の分派として設立された。1963 年、会員数は日本人口の
3.6 %を占めると発表した。現在、世界中に 500 万人の会員がいる。
(http://reiyukaiglobal.org/introduction.php)。「それは法華経に基いており、親孝行と祖先への敬虔な尊敬と義務を強調している」(ソーンダース,281)。「…祖先への崇拝がその教えと実践の中核をなしている。一般人にも容易に理解しやすく、シャーマニズムの共同創始者が信奉者に媒介した霊と魂の世界にアクセスできる」(デュムラン,241)。
葬儀と精霊
「…伝統的な仏教は、日本文化的な過去の遺物として以外は、その魅力の殆どを失っている。“葬式仏教”とは、多くの人がこの伝統的宗派を指す時に用いる呼び名で、多くの僧侶が儀式的な役割を担うようになったことを考慮している」(ロビンソン,265)。「多くの寺院は葬儀施設と化し、その管理者たちは主に死者の為の高給な儀式に関心を寄せている」(デュムラン,217)。「地方の武士と農民の支持を取り付ける手段として、曹洞宗(禅の一派)はある程度の人気の高い民衆の信仰や儀式を吸収したが、何よりも死者の為の葬儀や供養を考案し、この特徴は、日本全国の殆ど全ての仏教宗派の特徴の 1 つとなった」(Noriyoshi,169)。
「浄土、真言、天台各宗派の間で今も親しまれている写経の由緒ある儀式は、これは死者の霊を鎮め、修行者の功徳を積み、写された経典への信仰を深める為に行われる」(Unno,323)。同じく“死者の魂を鎮める”ことと関連しているのが、お盆の行事である。「…盂蘭盆会(うらぼんえ:日本ではお盆と呼ばれる)は 6 世紀に中国で始まり、まもなく日本に導入された…盂蘭盆会-祭事の起源は、阿鼻地獄(餓鬼道ともいう)に落ちて倒懸(逆さ吊り)で苦しむ母の姿を神通力の幻視を通して悟った目連尊者(モクレンそんじゃ)の伝説に由来する…母を救う為に彼は仏陀の助言に従って、何百人もの僧侶に食事を振る舞った」(Unno,320)。この物語は随分と後になって創作されたもので、何かと多くの伝説を含んでいるパーリ聖典には載っていない。この物語は、「それは中国由来の経典で『盂蘭盆経』と呼ばれている」に由来する(ロビンソン,215)。「…盂蘭盆会の祭事内容の多くは非仏教的なものである」(Unno,320~321)。お盆祭事の主な目的とは「…死者が適切な旅をするのを助け、彼らが悪意を持って生者に危険を及ぼすのを防ぐ」(ロビンソン,215)ことである。
日本の仏教の多くの宗派では、霊との関わりがトレードマークとなっている。神道はアミニズム的な宗教であり、霊を鎮め、加護を求める儀式など…etc.が、執り行われる。聖書では、“身近な霊”とは、実は悪霊のことである。全能の神は、霊を呼び出し崇めたり、交信したりすることを禁じておられる。人が死んだら、この世に浮遊することはない。「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後、さばきを受けることとが、人間に定まっているように…」『 へブル人への手紙 9 章 27 節(口語訳)』とある。既に死んでしまった人の為に、我々が出来ることは何もない。彼ら
が人生で何をしたにせよ、その判断は完全で公正な神によって裁かれるのだ。
この世の霊界にいる霊は故人となった家族メンバーではなく、天使か悪魔のどちらかである。もし我々が神の教えに従わずに、神の家族に迎え入れられたとしたら、慈悲深く力強い存在のふりをした悪魔に欺かれる危険に晒されている。悪魔は人々の注意を神から遠ざけ、霊的に偽り束縛する絆を結ぼうと試みる。神の家族の一員であるクリスチャンでさえも用心するようにと言われている。「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである」『ヨハネの第一の手紙 4 章 1 節(口語訳)』。「ためす」という言葉は“裁判にかけるように調べる”━ という意味である。我々は彼らのメッセージを聖書の基準と比較することによって、これを行うのである。神は、我々が御言葉以外のところから霊的な指示を求めてはならないことを、聖書の御言葉のなかで非常に明確に示された。「あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前
から追い払われるのである。」『 申命記 18 章 10 節~12 節(口語訳)』キリストより約 700 年に生きたイザヤは、全能の神の代わりに死霊を信奉する人々を叱責した。「人々があなたがたにむかって“さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ”という時、民は自分たちの神に求むべきではないか?生ける者のために死んだ者に求めるであろうか?ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない 」『イザヤ書 8 章 19 節
~20 節(口語訳)』。神は全ての霊を支配する権威を持っておられるので、我々は劣った霊に悩まされる必要がない。全能の神に身を委ねれば、神が我々の人生を導いてくださる。
全能の神道路にコンピュータのマウスが落ちていたとしたら、それに製造業者があることを誰も疑わない。コンピュータマウスはひとりでに出来上がったのではない。たとえ作り手が見えなくても、コンピュータマウスそのものが生産者の存在を示す証拠になる。コンピュータのマウスを製造する工場はある。けれども、本物のマウスを生み出す工場はない。コンピュータのマウスは、その“尻尾”を使ってコンピュータに情報を伝えることができるのが特徴で、“尻尾”がなく“リモート”で情報を伝えるタイプもある。しかし、本物のマウスには自分の脳があり、その脳から自分の身体に命令を伝達することができる。
コンピュータのマウスは“ハイテク”ですが本物のマウスは作れないので、実のとこころ、コンピュータのマウスは“ローテク”、本物のマウスを“ハイテク”」と呼ぶべきであろう。本物のマウスを創ることが出来るのは神のみである!神の姿は見えないが、マウスの存在そのものが創造主の存在の証拠なのだ。コンピュータのマウスよりも遥かに複雑であるため、偉大なデザイナーが存在しなければ、自分で作ることもランダムで生まれることも出来ない。神はまた人間を創造されたが他の動物とは異なり、神はご自分の似姿に人間を創造された。猿には警察猿も裁判所も刑務所も図書館も哲学猿…etc.などもいない。彼らは本能に従って生きている。人間には善悪を選択する自由がある。人間はいつの日か、自分の人生で何をしたのか、また創
造主である神にどう対応したのか、神から責任を問われることになる。
現在のところ、地球上でもっとも高い偶像は中国にある毘盧遮那仏(密教における大日如来)で、その高さは 128 mある。全能の神と比較すれば、その像は塵芥のようなものだ。万物を創造された全能の神を人の手で造った偶像に納めることが出来るだろうか?たとえ、高さ 8000mの頭が雲の中に隠れる偶像や、高さ 12000mの頭が雲の上に突き出す偶像を造れたとしても、それは全能の神に比べれば、まだまだチッポケなものだ。「主はこう言われる、天はわが王座、地はわが足台である。あなたがたはわたしのためにどんな家を建てようとするのか?またどんな所がわが休み所となるのか ?」『イザヤ書 66 章 1 節(口語訳)』
日本仏教においては大日如来が太陽神として崇められ、神道においては天照大御神が太陽の女神として崇められている。太陽は我々の崇拝の対象として相応しいものだろうか?また、宇宙はそれ自体、大日如来の顕現だと言われている。宇宙は我々の崇拝の対象として相応しいだろうか?太陽は確かに質量ともに巨大で驚嘆すべきものである。しかし、宇宙の他の部分と比較すると、それは同様に小さなものだ。太陽と宇宙は神の驚くべき設計を指し示している。全能の神は被造物から切り離され、それよりも遥かに偉大な存在なのである。また、宇宙はいまだに罪によってもたらされた呪いの下にあり、神の力の不完全な反映に過ぎない。我々は被造物ではなく創造主を崇拝すべきである。
ジェイソン・ライルは、太陽と我々の宇宙についての洞察を深めている。「太陽は月の約400 倍の距離にある。驚くべきことに、それはまた 400 倍も大きい。つまり、月と同じ角度で同じ大きさに見え、空の同じ部分を覆っていることを意味する
(月は日食で太陽を完全に覆い隠す最適なサイズ)…もし太陽が空洞だったら、100 万個以上の地球を収容できる…1000 億個の星を持つ天の川の広大さに思いを馳せた時…創造主の圧倒的な力を見せつけられる。しかも、銀河系は我々のものだけではなく…天の川銀河には、少なくとも星の数(1000 億個)と同数の銀河があると推定
されている」(http://www.answersingenesis.org/articles/tba/splendor-of-creation#fnMark_1_1_1)。
宇宙はとてつもなく広大で(太陽が小さく見えるほど)、全能の神はその創造された宇宙よりも更に偉大である。〖主は言われる、「人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか?」主は言われる、「わたしは天と地とに満ちているではないか?」〗『 エレミア書 23 章 24 節(口語訳)』数値と心日本の国土はカリフォルニアより小さいのに、人口はカリフォルニアの3倍以上ある。アメリカ合衆国の全人口は日本の約 2.5 倍しかない。つまり、アメリカ全土の人口の約半分がカリフォルニア州へ移動して、日本の人口密度とほぼ同じになる。日本は他国と比較してかなり小さな国であるにも拘わらず(けれども大規模で非常に勤勉な労働力を持っている)、立派に経済成長を成し遂げた。「…年間生産量の持続的な増加により、日本は今日、経済大国として米国に次ぐ地位を占めるに至った」(メーソン&カイガー,361,著作権 1997)。最近になって中国が第 2 位に躍り出たが、日本は依然として世界第 3 位である(GDP で測定した場合)。
この様な経済的な強さの中で、日本、中国、アメリカの多くの人々の心は、全能の神ではなく、お金に従うことにしたのである。「どの僕(しもべ)でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる」『ルカによる福音書 16 章
13 節~15 節(口語訳)』。
デール・ソーンダースの著書『日本の仏教』では、1960 年と 1963 年に出版された他の 2 冊の本を引用し、日本仏教の各宗派の会員数を示している。1960 年~1965 年の間に、日本の人口は約 9585 万人だった。ソーンダースの本の統計を用いながら、総人口に占める割合で当時、最も人気のあった仏教の 7 つの宗派を紹介する:浄土真宗(真宗ともいう)14.9%、創価学会 10.4%、禅宗 9.6%、浄土宗(浄土真宗の前
身)3.7%、霊友会(日蓮宗の分派)3.6%、真言宗 3.1%、日蓮宗 2.3%である。また、真宗の人気を反映して 1918 年に出版された本(『刑務所の紳士』)には、当時
の刑務所のチャプレンがすべて真宗の僧侶であったと書かれている(石井,49)。
1960 年/1963 年の統計では、日本人口の約 69.6%が仏教徒だった。1995 年の統計では、人口の約 69.6%が仏教徒で、93.1%が神道であることが判明している。キリスト教徒は 1.2%、その他の宗教は 8.1%である(ブリタニカ百科事典)。仏教を信仰する人と神道を信仰する人が重複しているのは明らかである。多くの人が神道と仏教の両方を信仰していると考えている。この 2 つの宗教は、時には強制的に区別さ
れることもあったが、互いにシンクレティズムを持った歴史がある。
2004 年の統計と比較すると、当時の人口 1 億 2760 万人に対し、仏教徒は約 44%であることがわかる。奈良系宗教が 0.56%、禅宗 2.6%、天台宗 2.7%、真言宗 9.9%、日蓮宗 13%、浄土宗 15.3%(オブライアン)と、なっている。ここでは創価学会、霊友会、日蓮が日蓮宗という括りになっているようである。まとめると、やはり浄土宗、真宗、日蓮が法華経を極めた宗派が最も多く、真言宗、天台宗、禅宗の占める割合も大きい。
現在、世界で最も高い像は中国にある毘盧遮那仏で、高さは 128m。日本にはアメリカの自由の女神像(高さ 46m)よりも高い観音像が 10 体ある。日本で最も高い仏像は、110mの阿弥陀如来である。高さ 13m から 110m まである日本の仏像のう
ち、上位 4 種類は次の通り:毘盧遮那仏(3 体)、空海(4 体)阿弥陀如来(4 体)観音(32 体)(http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_statues_by_height)。これらの像に注ぎ込まれる巨額の資金は、人々の心が何処にあるのかを物語っている。「あなたの宝のある所には、心もあるからである」『マタイによる福音書 6 章 21 節』。
様々な仏教の人気は、様々な仏教の宗派の人気と比較して、少し異なるイメージを与える。真宗の人気が高いので、阿弥陀如来像が多くなると思われる。観音像は圧倒的な人気だが、観音像だけを扱う宗派がある訳でもない。しかし、観音は法華経に大きく登場し、創価学会、日蓮、霊友会、天台宗が崇敬している。真宗や浄土宗でも、阿弥陀仏の次に観音が位置付けられる。毘盧遮那仏は真言宗の中心仏であり空海(AD774-835)は真言宗の開祖である。だから、この配分はある意味、理に適っている。
締め括り大乗仏教は日本や中国を中心にその他各地で、様々な形で表現され信仰されている。この大乗仏教の中には、互いに全く正反対な思想の宗派もあるが、“悟りの境地はごく少数の人間が得られる”とする上座部仏教(小乗仏教宗派の中で唯一現存する)に対して、より多くの人を対象としているため、大乗仏教の分派だと見なされている。大乗仏教は歴史的に後発スタートであり、既に欠陥のあるシステム(小乗仏教)に多くの新しい着想を神秘的に付け加えた。この章では日本における大乗仏教の欠陥を幾つか見てきた。
真言宗を始めとする汎神論的な見方を重視する宗派は、もしすべてが含まれるなら(真言はとくにこの点でハッキリしており、他の宗派もそれを示唆している)、悪もまた“仏性”に含まれると考えると、自らを内部崩壊させる。禅は、他者との交避けながら沈黙の説教と“論理を超えた”アプローチに依存し、何かを伝えようとすると自滅する。真宗は自己努力(自力)の虚しさを見抜きながら、限定的で想像上の存在を信じて助けることを提案する。日蓮宗の諸宗派は、法華経にも同様に信憑性の無いものがある。法華経は 200 年頃に編纂されたが(ロビンソン,85)、ゴータマ仏陀の最後の説法であると主張しており、信憑性を高めるには約 600 年遅すぎたことになる。「死者の霊」を呼び出す他の様々な宗派も同様に、それらが実際は欺瞞的な霊を呼び出していることを知らず、限定的で暗中模索の状態である。これに加えて、どんなに劣った霊でも、我々が永遠の救いを見出すのを助けることは出来ない。神は全知全能である。全能であるが故に、神に全幅の信仰を置くことを期待さ
れているのであって、神に 50%、他のものに 50%という訳ではない。
これらの思想のどれかを、我々を救って天国に連れて行ってくれる筈の“乗り物”に喩えるなら、それらはガソリンもタイヤも無い、あるいは想像上のものでしかなく、我々をどこにも連れて行く能力のない乗り物のようなものである。この地上には道路を走る立派な乗り物を製造する工場があるが、我々を天国に連れて行く乗り物を製造する工場はない。全能の神だけが人を天国に連れて行くことが出来る。そしてそれは、イエス・キリストを通して聖書の御言葉で啓示されている神の条件に従わなければならない。
元犯罪者の石井藤吉は、1916 年にクリスチャンになった。彼は次のような言葉を書き残している:〖また、刑務所の教戒師や牧師、そして、人の死に立ち会う者たちは、「人が最後に口にする言葉はその人の魂の奥底から出たものであり、嘘を口にして死ぬことはない」ということで一致する。イエスの最後の言葉は、「父よ、彼らを赦したまえ。彼らは自分たちが何をしているのか分からないのですから」でした。だから、この最後の言葉がイエスの真実の心を明かしたものだと信じるしかありません。この御言葉は私に何を明らかにしたのでしょう?それをキリストの慈愛と呼ぶべきでしょうか?それは彼の憐れみなのでしょうか?何と呼べばいいのか、私には分りません。ただ、言い表せないくらいの感謝の心で、私は信じたのです。この簡潔な文章によって、私はキリスト教の全体像に導かれていったのです」〗
(石井,36)。
キリスト教は単なる思いつきではなく、歴史的、預言的な証拠によって立証されている。これは極めて重要で不可欠なことである。体験や夢、あるいは幻影といったものは、現実の霊的な証拠にはならない。そのような“証拠”は、法廷で忽ち退けられてしまうだろう。キリスト教にあるのは、イエス・キリストとその教えに関した、人生を変える素晴らしい真理だけでなく、法廷で証明できるような証拠でもある。我々の創造主である神は、我々の全ての礼拝と信仰に値する。今日、あなたはイエスの御許に来て、彼を信じるだろうか?「そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない」『ヨハネの第一の手紙 5 章 11 節~12 節(口語訳) 』。
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死者は人の魂を救えない
第四章:死者は人の魂を救えない (2012 年 6 月 14 日)
死者の力が及ばない物事は多い。その最たるものが、死者は人の魂を救えないことである。以前に執筆した『仏教徒の道標』と題した論文で、仏教の教えのいくつかを探究した。人生を旅に喩えるなら、仏教徒の地図には目的地が明記されておらず、地図の作成者はもうこの世におらず、そして地図そのものも、人間の主観的で限られ
た体験に権威を置いた、危険な霊言ばかりである。
私がこのような論文を書く目的は誹謗中傷ではなく、ただ単に仏教の限界を検証し創造主である神と和解することを歓迎する為である。この論文では、私が検証したい 5 つのトピックを掲げた。すなわち、1. 仏教における歴史的な不正確さ ; 2. 拠り所は自分自身 ; 3.人間の心の満たされていない 空虚 ; 4. 錨のない倫理観 ; 5. イエス・キリストから離れ迷うこと; である。またこの論文では、仏陀が芸術において最も一般的に関連付けられている
“動物”についても明らかにしたい。
仏教における歴史的な不正確さダンマ(仏教法典)まず、仏教徒の正典であるパーリ聖典は(仏陀の時代か
ら)随分と遅れて編纂されており、他の仏教宗派の経典はさらにその後に書き留められたものである。カリフォ
ルニア州立大学のジェフリー・フェイドリンガー
(Veidlinger)教授によれば、パーリ聖典はおよそ紀元
前 70 年にスリランカで執筆された (Veidlinger,23) : 「現在では多くの学者が、パーリ・ティピタカ聖典は彼らの創始時代から紀元前 1 世紀までの約 400 年の間に口伝で継承されたと考えている」(Veidlinger,2)。
2004 年版仏教百科事典のなかで定められた日付は更に遅い。ペンシルベニア州立大学のチャールズ・プレビッシュ教授は、「紀元前 25 年にスリランカのヴァッタガマーニ王のもとで上座部仏教議会が開催されました…パーリ仏教聖典の執筆によって、上座部仏教の伝統的な経典の三つの吊り篭の蓋を“閉じる”ことへの取り組みに関与する会議でした」と、記述している(188)。これはケネス・ロイ・ノーマン(ケンブリッジ大学元教授)がヴァッタガマーニ王の治世を推定した年代(紀元前 29~17 年)とも一致していて、その時代にパーリ聖典は執筆された(ノーマン,10)
また、執筆された時代から現存する最古の稿本までの間に膨大な年代差がある。Veidlingerによれば: 「…小乗仏教(上座部仏教)における伝統的な手書きパーリ聖典は 19 世紀の写本の中に多数現存する。これまでに発見された最古のパーリ聖典は 6 世紀まで遡る…それは選ばれた 1 句 1 節の集まりである…1411 年にスリランカで発見された現存する最古の稿本は『相応部』(パーリ聖
典の経蔵・五部のうちの第三番目)だ…」(14-15)。
これらの年代は、2 つのウェブサイトからの引用でも確かめられる:「現存する最古の有形遺物(経典)はネパールで発見されており時代は 8~9 世紀である。独自の経典で最古の完全写本は 15 世紀のものである。そして 18 世紀以前の完全な経典写本はない。」
(http://dharmastudy.net/the-pali-canon)
「…ネパール以外、インドの何処からも現存する写本は出ていない。PTS(パーリ聖典協会)発足以後、学者が
利用している写本の殆どは 18~19 世紀のものであ
る。」(http://www.palitext.com/subpages/lan_lite.htm)
同様に、ドイツの学者ヒニューバーはこの状況について次のように確証している:「完全な経典を継続的に書き残すという伝統はせいぜい 15 世紀後半に始まったばかりだ。そこで、小乗仏教派が文献としてすぐ利用できる原典資料は、仏陀から約 2000 年もの時間的な隔たりがある」(4)。ここで“完全な経典”という言葉はパーリ聖典からの個々の経典全体を意味する。もし現代の学説に従って仏陀の死を紀元前 410 年だとすれば、仏陀と完全なパーリ聖典写本との年代差は 2000 年以上となる。そこで、仏陀の時代からパーリ聖典完成まで 400 年、最古の独自の写本まで約 2000 年(それ以前にも幾つかの断片は見られる)、そして仏陀の時代から最古の完全なパーリ聖典に至るまでには 2000 年以上の年代的な隔たりがある!
それとは対照的に、我々にはイエスキリストが死から蘇られてから約 150 年後に独自の新約聖書の稿本(それ以前にも幾らかの断片は見られる)があり、キリスト復活
300 年後の完全な聖書の原稿がある。死海の洞窟から発
見された紀元前約 200 年の旧約聖書がある。
19 世紀にパーリ聖典はビルマで石に刻まれた…
「ミンドンが初めて機械で刻印された硬貨をビルマに紹介した。そしてまた 1871 年にマンダレーで第 5 回仏教評議会を開催した。彼はすでに 1868 年に世界最大の書籍を発行していたが、それは Tipitaka(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵)と呼ばれる 729 頁もの大理石に刻まれた仏教パーリ聖典で、各頁の石板はスラブ構造床の小さな仏舎利塔の中に納められていた…」
(http://en.wikipedia.org/wiki/Mindon_Min)「石に刻まれた」というのは、永続的なもので変えることのできない絶対なものに対する慣用句であるが、トレバー・リングはミンドン王の事業について、「経典を刻む際の誤りは訂正されなければならなかった…」と、記述
している(124)。この訂正は 1954~1956 年ビルマにおける第 6 回仏教評議会で行われた。
スリランカ [ここで最初(紀元前 25 年)にパーリ聖典が執筆され注釈本(西暦 500 年)が編纂された] の歴史中では、この経典は 12 世紀に取り除かれ追放されている。
「ParakkamabahuⅠ世(1153~1186)が 12 世紀にセイ
ロンで仏教を改変したとき、Abhayagiri と Jatavana 寺院の僧侶たちは、大乗仏教の流儀に従って再任された。その結果、彼らの経典は次第に消失し、一つだけ現存する小乗仏教経典は唯一の大乗仏教寺院 Mahaviharara のものである。」(Hinuber,22)
パーリ聖典の歴史は石に刻まれたものとは遠くかけ離れている(それが意図されたものだとしても)。いわゆる仏陀自身の御言葉(パーリ聖典の Vinaya Pitaka)でさえ
も、彼の教えの純正さを損なわれることが防がれ腐敗していないわけではないと指摘している。仏陀は彼の 10 人の主要な弟子の 1 人であるアーナンダと会話している最中に預言:「アーナンダよ、もし女性たちが真実の発見者によって宣言された教えと規律について道を外れることがなければ…バラモンたちの修行は永続し仏教の真理は数千年長続きするであろう。しかし、アーナンダよ、女性たちは真実の発見者によって宣言された教えと規律から道を外れたので…いまやアーナンダよ…バラモンの修行は永続せず、仏教の真理は 500 年しか持ちこたえられないであろう」(356)。
女性たちは(修道女になる)“道を外れ”既に 500 年がすでに経過したので、彼自身の御言葉によれば、その教えは期限切れになった。もし我々がそれは誤った預言だと言えば、パーリ聖典の権威は傷つけられ、仏陀は偽りの預言者となる。もし我々がそれは真実の預言であると言えば、それはやはり偽りとなる。なぜならば、既に
500 年が経過しており、結局、「真実の教え」(それが真実であるかどうかの預言も含む)はもうどこにも存在しないからである。
シュラーヴァスティー・ ダンミカは自らも熱心な仏教徒でありながら、上座部仏教(小乗仏教)を破壊的に批判する文章を書いている。彼はその著作の中で幾度かキリスト教の長所を告白している:「キリスト教はタイの人口のごく少数派であるが、タイの非政府社会事業ではかなりの割合を担っている。他の上座部仏教の国においても同様である。」「存在する僅かな上座部仏教徒の社会事業への資金は地域社会の枠を超えてもたらされ、そのような社会事業は通常、西洋ないしキリスト教の影響を受けて行われる…キリスト教の社会事業を模倣しているか、キリスト教徒が奉仕する社会活動に対抗する為に行われている。」「キリスト教において、愛を信徒の生活と実践の中心に据えてきたものとは何なのだろうか?上座部仏教において、このことを阻んでいるものは何なのか?」(http://www.buddhistische-gesellschaft-
berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf)
それにも拘らず、彼はパーリ聖典そのものに欠陥があるとは認識していない。「悲劇なのは、パーリ聖典に於ける仏陀の教えが、恐らく他のどの古代の教えよりも現代の問題やニーズに上手く対処できるということである。」と、彼は主張している。
これは実に皮肉なことだが、特にその数ページ後で彼はパーリ聖典の権威を損ない、パーリ聖典ではなく彼自身の意見を用いて現代の問題に対処する自己矛盾に陥っている:「仏陀の教えがどうであろうとも、仏教徒が女性を修道生活から締め出すのは間違いで、21 世紀の今日、男性に次ぐ地位を常に要求するのは不適切で、女性をある種の伝染病であるかのように扱うのは卑劣である、と考えるだろう。彼らはこの問題や他の幾つかの問題点に関して、仏陀が語ったカラマ経典を指針とする。「伝統に従って進むな…聖典に従って進むな…しかし、ある事柄が正しく、善であり、巧みであり、それに従ったり実践したりすると幸福や利益がもたらされることを
あなた自身が知っている時には、それ従いなさい」(A.
Ⅰ,188) (http://www.buddhistische-gesellschaft-
berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf)
先ずパーリ聖典を高く評価し、次に「仏陀の教えがどうであろうとも…」と、その権威を否定し、そして女性の役割に関しては仏陀の教え(“…はどうであれ”の教え)に従わない、と述べている。この場合、彼はまさに 5 世紀の仏教解説者ブッダゴーサや現代の上座部仏教徒の行いについて批判したことを、彼自身がしている:
「多くの上座部仏教徒は、ブッダゴーサの解釈が仏陀の言葉と矛盾する場合でも、ブッダゴーサの側につく」(上記ウェブサイト参照)。ダンミカは仏陀の教えと矛盾する現代的な解釈を思いつくという点で同じことをしている。そして、彼は権威としての仏陀の教えに立ち帰るが、その権威を弱める為に、「…聖典に従うなかれ…」と、述べている。何故、聖典に従わないのか?何故なら聖典がそう書いてあるからだ。これは自虐的な論理である。自分の意見以外、何の権威も無いことを如実に示している。彼は自分の視点で正しいものを何でも選ぶ事が出来るのだ。
ここでの本当の問題は適切な解釈を見出すか、或いはパーリ聖典の字義に厳格に拘るようなことではない。問題なのは、その原典自体に欠陥があり、人々の最も深い精神的な必要性への答えを与えられないことである。パーリ聖典の歴史的信憑性の低さを超えて、より重要な疑問は、「そもそも仏陀は霊的なテーマについて教える権限を持っていたのか?」ということだ。仏陀はただ人間
(知識が非常に限られている)であり、現在では死者なので、例えば、「あなたはどこで永遠の時を過ごすのか?」「人生の目的は?」「人はどこから来たのか?」といった究極のテーマについてアドバイスを与える資格は全く無い。
実際、仏陀はしばしば永遠の問題よりも現世のことに人々の注目を集めるだけで、これらの重要な題目から人々の注目を逸らせている。もちろん改革を求める現代の僧侶たちには仏陀以上の権威を求める余地はない。すべてをご存知で、死をも超える力を持たれ、この世を創造し所有され、人々に霊的な真理を教えるに足りる権威をお持ちなのは神様だけである。ここにパーリ聖典で用いられる極端な誇張の幾つかを示す 2 つの物語がある… 「パーリ経典の律(Vinaya)の中で僧侶になろうとする者は必ず「お前は人間か?」という質問を受けることになっているが、その理由について説明する驚くべき信じられないような話がある。その話によると、ナーガ(鎌首をもたげてあたかも仏陀を雨から守るように見える大蛇)が姿を変えて僧侶になった。「そしてある日、仲間の僧が夜中に起きて明け方まで瞑想歩行の修行を行うため外出した。大蛇は同房の仲間が出かけたことを確かめて深い眠りに就き、眠っているうちに元の姿に戻ってしまった。蛇は部屋一杯にふくれ上がり、そのトグロは窓から外へ突き出た。しばらくして、彼の同室の僧が自分の部屋に戻ろうと思ってドアを開けると、部屋中が大蛇で一杯に塞がれていた…彼はその光景を見て仰天し、叫び声をあげた」(Strong,19995;P62)。
パーリ聖典の中にもう一つ信じられない出来事がある。それは現在に至るまで(具体的に言えば━“この世界が続く限り”)存在すると思われているが、屋根がないのに雨が降りこまない家である。「…Majjihima-Nikaya(中篇の物語)の中に、寺院を修理する為に陶芸家の住居の屋根を“借りた”僧侶の話がある。ただ、この陶芸家と盲目の両親は屋根を人に貸すことになって怒るでもなく、7 日間、言葉にならない喜びに包まれた。このとき「因果関係」の法則に従えば実に奇妙な現象が起こったのだ。ものすごい豪雨で村中、国中が水浸しになったが、この屋根のない家には一滴の雨も降り込まなかっ
た。そこでこの《Gati Kara の家》の光景はそのまま永久
に保存するように命じられた。」(King,121)
著者は以上の現象について今風な説明を加えている:
「この場所は永遠の都市ベナレス(Benares)周辺のどこかであろう。インド政府はそれを突き止めるべきである …とくにネール氏は敬虔な仏教徒のようだから。いとも簡単なことだ。ベナレスから半径 100 マイルそこらの範囲内で村の首長の家を詳しく調べる必要がある。そして、この素晴らしい場所を探し出すことだ。それが発見されれば仏教が人類に与えるインパクトは大きく、インドの旅行業者も大きな収益を得ることが出来るだろう」
(King,121)。
また、ビルマ人が正典とする『ミリンダパーニャ』(ミリンダ王の議論)も、歴史的に不正確な例であり、ヒニューバーは、「メナンドロス(ギリシャ王)は歴史上の実在人物であるが、ミル(ミリンダパーニャ)は非歴史的な経典である:ミリンダ王は仏陀の同時代人である 6 人の異教徒に語りかける!」と書いている(83)。メナンドロス王は仏陀から 250 年以上も歴史的に隔たっていたのである。
一方、ルカのよう人物を例にとると、聖書の記述は、それに敵対する人々によって歴史的、考古学的に厳しく精査を経た上でも確証されている。これに関するやや専門的な著書としては、コリン・ヘマ―の…『古代ギリシャ歴史書として設定された使徒言行録』がある。いわゆる仏教経典の歴史と呼ばれるものには不正確なものが多い。パーリ聖典は膨大な伝説のセクション項目を包含している。こられの聖典は“物事のあり方”についての物理的な報告文という点では正しくなかったので、一体全体、自分の永遠の魂に関して、何故それらを信頼したいと思うのだろう?仏教の経典で永遠の魂は否定されているが、歴史的な不正確さを持つ書物の中に、精神的・霊的な不正確さが存在することは、それほど驚くべきことではない。悲しいことに、皮肉なことに、彼らの経典に権威が欠けているため、仏教徒は神を探すようになる代わりに、彼らはより自分自身に依存する傾向がある ━ 自分自身の教えによれば、それは永続せず、常に変化し続けるものだ。
拠り所は自分自身パーリ聖典と史実の相関関係が欠如している事については仏教徒もある程度承知しているので、仏教の経典は重要視されていない。この経典への熱意がなくなると、それに取って代わって自分自身の中へ意識が集中する。し
かし、それでも問題は解決されず、魂は存在しない
(Anatta)という仏陀の思想からすれば、このことは問題の解決を難しくするだけだった。ワールポラ・ラーフラは『ブッダが説いたこと』の中で述べている「…仏陀は一度ならず、アートマン、魂、自分自身、或いは人の内外または宇宙のどこかにあるエゴの存在を、明白な言葉できっぱりと否定している」(Rahula,56―57)。
仏教における 3 つの伝統的な避難所(心の拠り所)は、仏陀、教義、僧侶社会である。一般に避難所へ向かうという考えは、我々が外部から助けを求める状況を想定している。人は制約を受け限定された存在だから、無限の信頼できる隠れ家を欲しがるものとされる。これらの避難所は 3 つとも荒廃して役に立たず、さらに悪いこと
に、第 4 番目の避難所が提案されている。それが“自分自身”である。パーリ聖典Dhammapada の教え
(Kumarakassapa の母の前世物語)は、“自分自身”を前面に押し出してくる:
「Bhikkhus と bhikkhunis、他人に頼りきる彼らは人生
の進歩も繁栄も得ることができない。だから、人は自分自身が避難所か主君であり、他人は誰も我々の避難所に
はなれないのだ」(http://www.buddhapadipa.org/plinks/MHAR-6ELBY2)。
この 3 つの避難所はジャータカ本生譚(説話集)の解説で重視されている。“自分自身”は最高に重要な避難所として強調されているのだ。しかしながら、結局のとこ
ろ、これらの避難所は 4 つとも信頼に値しない:
Ⅰ.「ダンマ」(仏教における法典)を避難所とすることは、全般的にその教えが指し示す方向として避難所を自分自身の中に造ることだ。しかし、その教えが史実として信頼できないことは明らかであり、又その教えは仏
陀の教え「聖典に従って進むことなかれ」と矛盾する
(A.Ⅰ.188)。もし人がこの訓戒を無視して聖典に従え
ば、人は途中で再びそれによって進むのを阻まれてしまう!現在多くの仏教徒は仏教経典を超越的、不変の権威として捉えておらず、それは人々の現代的意見(経典に
優る自己依存)に従って修正されてもよいと考えている。
Ⅱ. 「仏陀」を拠り所とすることは、救いの手を差し伸べることができない死者に頼るということだ。伝説と信憑性のない歴史に満ちている彼の伝記で人々を救うことはできない。
Ⅲ. 「サンガ」(僧侶社会)に救いを求めることは、自らの苦しみを抱え絶え間なく変わる(anicca)、永続性のない自己(anatta)に依存すること(dukkha)である。上記のジャカータ物語の中にも「他人に頼る者は人生の繁栄、進歩は得られない」との記述があるが、それは僧侶社会への依存をも意味している。
Ⅳ. 自分自身の中に拠り所を持つということは、まさに限られた避難所に身を置くことである。これでは人の限界を超えた問題は解決しない。自己は一瞬のうちに無視され(anatta魂の不在)、次にそれは逃避の場所と化してしまう。
どんな人でも、本当に自立しているだろうか?別の言い方をすれば、自分というものに本当に頼ることができるだろうか?他人から何も受け取らず、神からも何も授からないと言い切れる人がいるだろうか?“自分自身が拠り所である”というスローガンを一貫して実践できる人がいるだろうか?
例えば、ある仕立屋が何らかの理由でこのスローガンを掲げてしまったとしよう。彼はまず、自分の衣服をすべて自分で仕立てなければならない。他人が仕立てたものや購入したものを着用することはできない。但し、綿花畑や養蚕場などから自分で収穫していない織り糸や布地を用いることはできない。また、自分で製作したものでなければ鋏やミシンを利用することはできない。更に、その為の鉄鉱石を自分で採掘し精錬しない限り、どんな裁縫道具も製作ことはできない。だが、他人の製作した道具を用いずにどうやって鉄鉱石を採掘するのだろうか?すぐ仮説を立てる我らが仕立屋は、自分で植物を植えて調理しない限り、何も食べることができない。しかし、彼自身が製作した調理器具以外、何を用いて料理することができるだろうか?ちなみに、彼自身で建てた家以外に、果たして彼は何処に住むことができるのだろうか?
もし、この哀れな人が、人間の依存から自分を切り離すことに時間と労働の極端な要求を感じ始めたら、恐らく彼は森に行って暮らしたいと思うだろう。森では(都会でもそうだが)、神が創造された多くのもの ━ つまり食料となる植物や避難所となる樹木、生命を維持する為の水など…ect. に、依存しなければならないのである。神が与えられた口がなければ食べられないし、手足がなければ何かを作成することができない。同様に、神から授かった頭脳と魂がなければ、考えることも選択することもできない。いくら自分の避難所になりたいと願っても、究極の、いや時間的や現実的にも、自身の限界が自分の拠り所となることを許さないという真実に直面しなければならない。
人間の心の満たされていない空虚仏教国においても、仏教だけで満足している仏教徒は稀である。良い仏教徒であると自認している人の多くは、ありとあらゆる種類の非正統的なアイテムで仏教の教えを補っている。
タイでは神話のガルーダ鳥が国の守護神として通貨や公式書類に使われている(ガルーダ鳥はヒンドゥー神話に由来するが、仏教神話にも用いられる)。ナーガという蛇は、仏陀の守護神の一種である(例えば、仏陀がトグロの上に座っていたと思われる時、フード[庇]のように鎌首をもたげたコブラが彼の頭部を雨から守ってい
た)。また、巨大なナーガ蛇の彫刻が、多くの仏教寺院で不気味に飾られているのをよく見かける。この神話のなかで、ナーガ蛇はガルーダ鳥の敵であり、それはタイ、バンコクの民主主義記念碑にも描かれている。つまり、奇妙なことに、タイの守護神は仏教の守護神の敵となっているのだ。
「神について関心を持つ必要はない」と、人々に告げることは、あたかも仏陀が「考えることは重要ではない」と、語ったかのようだ。それはすべての人間に生まれつき備わっているものであり、何故なら神は“神を知り、神を崇拝したいという渇望を持つ者”として我々を創造されたからだ。しかし、この渇望を他のものに置き換えることで、満足できないまま探究が続いてしまうのだ。それはちょうど誰かが鳥に「飛ぶことは重要ではない」と言って、それからその鳥の翼を切り取ってしまうようなものだ。次世代の鳥の翼は正常に成長するが、「飛ぶことは重要ではない」と言われる環境の中では、鳥は翼を飛ぶためではなく、土の中で使うようになる。しかし、彼らは依然として飛ぶことを“渇望して”いるはずだ。鳥が飛ぶように創造されたように、人間は神を愛し崇敬するように創造されている。仏教は、創造主を知りたいという人間の心のニーズを満たしてはくれないので、探究も続いていく。しかし残念なことに、それは神に繋がる真理と正義の探求ではなく、個人的な繁栄のための探究になってしまっている。神を拒絶した後、人々は偶像をつくり、それを代わりに崇拝する傾向がある。
タイ仏教徒の一例としては、
ジャトゥカム・ラマテープの御守り(7~12 世紀の仏教帝国シュリーヴィジャヤ王国に実在した 2 人の王子に因んで名付けられた)がある。リチャ-ド S.エールリッヒの記事(2007 年)ではこう記述されている:「エコノミストによれば、ジャトゥカムの御守りの売り上げは、過去 2 年間で 5 億ドルに達したという…。現在タイ国内の店頭に 100 種以上の御守りジャトゥカムが並べられ、業者間の競争が激しい。中には人の気を惹く魅力的な名前、例えば「百万長者への道」「お金が舞い込む」というような大富豪シリーズものがある
(http://www.globalpolitician.com/22711-thailand)。欲に目がくらみ借金して御守りに大きな投資をしたものの需要が落ち込んでしまい、多額の負債を抱え込んだ寺院もある。それはかなり皮肉なことである。人は、「百万長者への道」
「お金が舞い込む」という神秘的なメダルで一杯の倉庫があれば、富を保障するものと考えたことだろう。現実はそうではなかった。真実の神を求める代わりに、人々はいわゆる神、つまり彼らの欲望の実現を約束する力を求めた。この“役に立つ”神を求める態度が問題の核心である。アーサー“Art” カッツ牧師は、偶像崇拝とは
“神への崇拝”というよりも、むしろ“自己への奉仕”
であると定義づけ、人間の心の問題を明らかにした。
我々の起源の問題や何に焦点を当てることが重要かという問題についての古典的な仏教のアナロジーは、矢で射られた者の話である。その男は、矢がどこから飛んできたか、誰が射たのか、どんな弓で射たのか…etc. などに気を揉まず、矢を抜くことに焦点を当て集中する!ですから、人間は世界の始まりや仏陀の行く末など、《形而上学的な質問》に煩わされる必要性はない。しかし残念なことに、神を傍観者に追いやることで、真の(永遠の)救いの源も見逃されてしまう。神は見過ごされ、拒絶され、まるで傷ついた人が医者に「あっちへ行け」、言うようなものだ。トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」『ヨハネによる福音書 14 章 5 節~6 節(口語訳)』。
仏陀の歯や骨の破片などの仏教遺物は、一部の仏教徒にとって重要な関心事となっている。今日は DNA 検査の時代だから、すべての遺物が同じ DNA を持っているか調べてみるのも一興だろう。なぜこのようなテストが行われず、公表もされないのか?そして、いったい何故、遺物を持つことが重要なのか?仏陀はただの人間であったし、物質的なものへの執着心は邪魔ものだ、とされている。その仏教徒によって実践されていることは明らかに非仏教徒の慣習である。理由は明白で、人々の心の隙間は満たされず精神面の探求が多様な表現を通じて続けられているからだ。残念ながら真の答えは考慮から除外されてしまった。多くの仏教コミュニティは仏陀の分骨を持っていると主張しており、なかには彼の歯を持っていると主張するところもある。彼らは仏陀のどんな歯でもいいから欲しがる。しかし、その歯を彼らはどうしようというのであろうか?ここで、ちょっと駄洒落を許して欲しい。彼らは神をないがしろにし、創造主に代わってものを創り出そうと(この場合は歯の創造)している。仏陀の 40 本の歯
(パーリ聖典によれば仏陀は赤ちゃんの頃に 40 本の歯を持っていた)のうちの 1 本を探し求めたり、又はそのような歯を崇拝することの代わりに、栄光は神に与えられるべきなのだ。遺物を探し求め神をないがしろにすることは、歯ぎしりするのを仕向けるだけであろう:「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするであろう。」『ルカによる福音書 13 章
28 節(口語訳)』
錨のない倫理観自己を促進し高める様々な哲学がある。その主な論旨はこうだ:「自分自身に集中し望むところを実行せよ」もしくは「自己に焦点を当てて集中し支配者に従え」。仏教はその基本を「自己努力によって集中し善を行え」とする点でこれと異なる。ただ、そこには“善”を定義する卓越した権威がなく自己が焦点であるべきだと定める超越的な権威かないという点では同じである。言い換えれば、これらの総ての哲学においてなされた主張は、“いったい誰が命じるのか?”という質問で反論することができる。ミュンヘンでの演説の中で、アドルフ・ヒトラーは正面切って自己努力を強調した:「ドイツ国民の将来は、我々自身にかかっています。我々自身の労働、勤勉、決意、大胆さ、そして忍耐を通じて我々ドイツ国民
が立ち上がった時にこそ、我々は再起することができ
る。」http://www.earthstation1.com/Hitler.html
彼が自分自身に焦点を当てた結果…彼が引き起こした戦争でおよそ 600 万人のユダヤ人が死亡し 600 万人以上の死傷者が出たことを万人が知っている。
仏教は自己重視について似て異なる思想を持っていて、
「誰でも自分が拠り所だ」と唱えている。1950 年、ソロモン・W.R.D.・バンダラナイケがまだセイロンの首相になっていなかった時、世界仏教徒連盟を前に、「人間は、神の意志に関係なく、何が正しくて何が間違っているかを自分で自由に決めることができる」と、宣言した。:「仏陀は、人間の心が神の意志に服従する必要さえなく、何が正しか間違っているのか物事の成否を自分で自由に決定できる時、人間の究極の自由があると説いた…」(Swearer, 117)
このような哲学があるので、首相に選出されてから3年後、何者かが彼を狙撃して致命傷を負わせ、何が正しいかを自分で判断したことに驚くべきではなかった(彼は 1956 年に首相に選出され 1959 年に暗殺された)。その何者かとはヒンドゥー教徒タミル族の人ではなく、彼の政府が社会的に疎外した、しかし僧侶だった同士の仏教徒であった。彼は単にバンダラナイケのアドバイスに従い、自分で決定したのだった。そして“究極の自由”はセイロン(1972 年からスリランカと呼ばれている)に何をもたらしたのか?論文には、「スリランカの過激派の僧侶たちにとって中庸は無い」と 2007 年に書かれていて、武力行使に反対しない仏教僧がいることは明らかある:「25 年間スリランカに荒廃をもたらしている戦争が新たな恐ろしい局面を迎えるので、Rathana とその同志強硬派の僧侶たちは、2005 年後半に政権の座に就いたマヒンダ・ラジャパクサ大統領に公約を守るよう、
軍事力で強敵を打ち負かすよう強く要請した」。
(http://www.theage.com.au/articles/2007/06/15/1181414
556706.html?page=fullpage)内戦の原因はバンダラナイケ政府がヒンドゥー教徒のタミル人やその他の少数派を軽視し社会的に疎外した当時に始まった。:「バンダラナイケが仏教徒市民宗派を支持したことは、スリランカ島においてのシンハラ族多数派とタミル人少数派間での共同紛争をシンハラ族の熱狂的な仏教徒が激化させることになった。1983 年、その
紛争は依然として未解決の同胞相争う内戦に突入する」
(Swearer,117-118)。
歴史的に見てその内戦は、紀元前 101 年にセイロンから仏教徒ではないタミル人の打倒を求めたドゥッタガーマニー王の時代まで更に遡る。「ドゥッタガーマニー王は仏陀の遺品を彼の槍に装着し、彼の闘いは自分の利益の為ではなく宗教の推進の為であると主張した。」(上記ダンミカのリンク参照) ドゥッタガーマニー王と共にやって来た仏教僧たちでさえ、「…袈裟を脇にやり闘争
に加わるよう促され、仏陀の直弟子 arahats(悟りを得た聖者)のようになろうとした幾人かは、まさにそうした」(ダンミカのリンク参照)。
仏教は通常それ自体は暴力や不道徳を支持しないが、人間に空虚な状態を作り出し、そこでは心の拠り所の錨が投げ捨てられ“自己”が中心となる。実際、著名なタイの仏教学者ポー・オー・パユットーは次のように述べている、「仏教がどこに広がって伝わろうとも、その教えが歪められようとも、この人間の努力に重きを置くことは決して変わらない。もしこの一つの原則が失われたな
ら、それはもはや仏教ではないと確信をもって断言する」(38)。
「上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教を結ぶ基本的接点は、1967 年の第一回世界仏教徒僧侶集会(WBSC)において作成された各宗派の違いを超えて、全仏教徒の一致を目指す重要な声明である」。その中のポイント三番目で仏教の教義には創造主である神は含まれてないことを明確にしている:「我々はこの世界が神によって創造され支配されたとは信じない」。1981 年にこれは次の通り改訂された:「上座部であれ大乗であれ、我々はこの世界が神の御心によって創造され支配されたとは信じな
い」。1981 年に声明も出された:「…すべては関係があり、相互に依存し、相関関係にあって、この宇宙には絶対的に不変で永遠なるものは存在しない。我々は仏陀の教えに従って、すべての条件付きのもの(samkhara)は
永続せず(anicca)、不完全で満足できず(dukkha)、またすべての条件付き・無条件のもの(dhamma)に自我はない(anntta)と判断する」。
(http://en.wikipedia.org/wiki/Basic_Points_Unifying_the_Therav%C4%81da
「…この宇宙には絶対的に不変で永遠なるものは存在しない」と宣言することで、それは結果的に倫理の仕組みを支える基盤をかなり軟弱なものにした。宇宙の起源は仏陀が答えられなかった質問の一つである。然るにパーリ聖典は、絶対不変な人格を持った主観的な創造主である神の存在を否定した。そこで我々は興味深い難問にぶつかる。この世界に人間は存在するが、一人の人間を我々の宇宙の起源とすることを仏教は許さない。何か人間でないものから何か人格を備えたものがもたらされるのだろうか?例えば岩石を例にとる。岩石は人間ではない。この人格のない岩石から人格を備えた存在の生まれる可能性があるだろうか?
さらに、倫理は属人的なもので(岩石は倫理を持たない)、カルマ(業)は非人格的な力だと言われる。ジョン・ジョーンズはこの矛盾点を要約している:「カルマの結末に関する倫理性(道徳性)は、カルマの過程の厳密に非人格的な性質に対して疑問を呼び起こす。何故なら、もしカルマの過程が倫理的な過程であるとすれば、我々が経験によって真偽を立証できる倫理の唯一のタイプは、人格に関連するものだからだ。このように、カルマの非人格的な属性と倫理的な属性の間には緊張関係がある」(37)。個人的な倫理観がどのようにして非人間的なものから始まったのだろうか?これは無神論者が抱える問題と同じである。言うまでもなく、無神論者や仏教徒は善人になる道を選ぶことができる。ただ、いとも易々と、無神論者は悪人にもなれる。神がいなければ、これはただの意見でしかない。問題は「無神論者は倫理的になれるか?」ではなく、「無神論者は倫理的になるべきか?」である。神がいなければ、無神論者は偶発的に出来上がった化学物質の集まりに過ぎず、「なるべ
き」は人の行動に関する単なる意見に過ぎない。
タイには仏教徒僧侶の 2~3 倍の売春婦がいて(僧侶およそ 30 万~40 万人に対し売春婦およそ 80 万~100 万人)、これは 95%が仏教徒であると推定される国の話
である…売春婦の多くは、まだ自分を仏教徒だと考えている。タイの僧侶について、ダンミカ(Dhammika)は「2002 年に発表された調査によれば、タイの僧侶の死因のトップは喫煙に関連する病気だった」と、書いている。これは、欲望を排除しなければならないという“四聖諦(四つの聖なる真理)”を説く宗教としては皮肉な現象である。喫煙は“欲望”が働く行為の典型的な例である。ここでのポイントは、仏教の教義と矛盾した生き方をしている仏教徒がいる、ということではない。キリスト教や他の宗教の人たちにも、その教えと矛盾した生き方をしている人はいる。私が明らかにしたいポイントは、仏教の教えそのものが、意図せずにしてこの様な結果を招いているということである。非人間的なカルマのシステムの中で自己に焦点を当て、将来何度も生まれ変わることを想定すると、多くの人が先延ばしにする態度や、差し迫ったニーズや目先の欲求を処理するだけの実際的な哲学を採用していることは驚くに当たらない。そして、非人間的なシステムの中で、人々はやっぱり霊的な世界との個人的な接触に飢えている。しかし不幸なことに、それは偶像崇拝に繋がることが少なくない。皮肉なことに偶像崇拝は、非人間的な物事の扱いを強化する。聖書では、偶像崇拝は売春に喩えられている。売春とは、非常に個人的なものを取り上げ、それを二人の人間が互いに利用しあうだけのビジネス取引である。偶像崇拝もまた個人的な関係ではなく、ただ単に相手を利用することを促進する。結局のところ、聖書の個人的な人格をもった神は探し求められなかったので、それは“お互いが損をする”だけの状況である。「わが民は木に向かって事を尋ねる。またそのつえは彼らに事を示す。これは淫行の霊が彼らを惑わしたからである。彼らはその神を捨てて淫行をなした。彼らは山々の頂で犠牲(いけにえ)をささげ、丘の上、かしの木、柳の木、テレビンの木の下で供え物をささげる。これはその木陰がここちよいためである。それゆえ、あなたがたの娘は淫行をなし、あなたがたの嫁は姦
通を行う」『ホセア書 4 章 12 節~13 節(口語訳)』。
これは仏教を改革しなければならないという意味ではない。ダンミカは上座部仏教を手厳しく批判しているにも拘わらず、仏教に改革をもたらしたいと望んでいる。彼は自分の改革への努力が、かつての仏陀の努力ほど限定的であるとは考えていない。仮に彼が現代仏教を仏陀自身の基準、あるいはそれを超える基準にまで引き上げることができたとしても、システム全体は依然として人間の意見に基づいており絶対的な権威に欠けるものとなろう。彼は自分が満足のいく改革をもたらすことに成功するかもしれないが、神の道を無視することで、この努力は最終的に現在の仏教の全ての限界を示すことになる。
我々はセイロンの元首相が宣言したようには、何が善で何が悪であるかを自分たちだけで決めることはできな
い。ヒトラー政権時代のドイツの法律のように、時として国の法律自体が非倫理的な場合もある。この場合、国の法律は倫理的な立法府の議員のように機能しており、非倫理的で任意の事柄を思うままに促したり、倫理的な事柄を禁止したりしている。仏教そのものがまさに、それに相応しい権限もないまま独自のルールを作りあげているのだから、反逆の法律家のようなものだ。仏教の倫理が辿り着く結論は常に無垢ではない。チベット仏教が信奉する非倫理的なことの興味深い事例とし
て、ここにダライ・ラマに対する 8 つの痛烈な質問がある:(www.trimondi.de/EN/deba03.html)
神を無視するようなシステムは、最終的に人間の意見だけに倫理観を委ねなければならない。これが仏教の苦境である。多くの指導者は高尚で人道的な理想を唱えるだろうが、それは単なる意見であり、それを裏付ける権威はない。また、権威が欠如しているため、他の指導者は倫理観を強調することはない:「鈴木俊隆-老師は、禅の修行には形式が必要性であることを強調しながらも、倫理観は文化に左右されるという理由で、弟子のために倫理規定を設けることを避けた。その様な規範は、試行錯誤を繰り返しながら時間をかけて徐々に発展させる必要があると述べた…彼の一般的な倫理的相対主義は、アメリカの性風俗の革命を推進した世代に強くアピールし明らかに魅力的であった(Robinson,304) 。この禅仏教の老師がしたように、あるチベット仏教の指導者もまた倫理観の重要性を軽視した:「トゥルンパは倫理的規範が瞑想を打倒することを意図した“エゴの官僚制”の一部と見なした…トゥルンパ(Trungpa)の著書は…非常に人気があり、倫理規範を率直に拒絶したことは悪評を呼んだ」(Robinson,304-5)。
上記の 2 つのケースにおいて、その結末は予想できたことだった:「鈴木老師は 1971 年に、チョギャム・トゥルンパ(Chogyam Trungpa)は 1987 年に死去した。両者とも亡くなる直前にアメリカ人の Dharma(法)の相続人を任命していた;彼らの相続人の 2 人ともすぐにセックススキャンダルに巻き込まれ、最終的に任命された組織から除名される結果となった。やがて、他の禅、ソン
(韓国の禅)、チベット仏教センターでも同様のスキャンダルが発生し、アメリカ人指導者だけでなくアジア人指導者も巻き込まれ、これらは孤立した事例ではなく、一
般的なパターンの一部であることが明らかになった」
(Robinson,306)。
魂は存在せず(行為の報酬や罰を受ける永続的な人間はいない) 再生はある、と教えているにも拘わらず、仏陀は依然として、宇宙は倫理的ではないという信念を持っていた。これが倫理的な宇宙である、という仏陀の信念に関してジョーンズは次のように結論付けている:
「彼はこの信念が彼の教えの合理的かつ分析的な部分に根拠があると主張できなかった;実際のところ、これらの二つの間には絶望的に和解しがたい矛盾があると言っても過言ではないように思える」(Jones,36)。
キリスト教哲学者のフランシス・シェーファーは次のように書いている:「非個人的な事から始めれば、それをどのように表現しても、倫理には意味がありません」
(37)。また、プラトンを例に取りあげ、シェーファーはこう書いている:「我々はこの点でプラトンの説が完全に正しかったことを理解しなければなりません。彼は絶対というものがなければそこに倫理はないと主張しました。これがプラトンのジレンマに対する完全な解答です。彼は自分の絶対的なものを根付かせる場所を見つけようと時間を費やしましたが、彼の神々が十分ではなかったため、決して見つけることができませんでした。しかしここに、すべての悪を追い払う性質を備え持ち、その品格は宇宙における倫理的な絶対である無限を司る人格神がおられます」(42)。
プラトンの立場は仏陀のそれと似ている。仏陀は絶対的かつ人格的な神の存在を拒否したので、倫理のようなものが存在するという彼の確信を正当化することができなかった。人格を持たない非人間的なカルマ(業)で個人的な倫理観を説明することはできない。仏教徒たちは、不変かつ絶対的に機能するカルマの様なものがあると説いた仏陀の限り有る結論に依って信仰を深める必要がある。仏陀は有限であり無我、非永続的、非絶対的な心を通して、どうしてこれらの結論に達することができたのだろうか?
仏教徒は一人の人間の結論を信じなければならない。その結論は、同じく絶対的でない、主観的で神秘的な瞑想の結論によってより強化され補完されることもある。もしある人が瞑想して、自分が(恐らくは過去に生きてきた人生で)まだ誰も名乗り出ていない未請求の財産の真の相続人であることを“発見”した場合、裁判所はこの瞑想による啓示を証拠として受け入れ認めるだろうか?その瞑想は夢と同レベルであり、もちろん法的な証拠としては認められないだろう。仏教徒は、物事の道理についての主張を裏付ける証拠がなくても信仰によって歩まなければならない。
我々が住んでいる世界は、行き当たりばったりの非個人的な始まりだけでは生まれない方法で、それ自体驚くほど住むのに適合している。木や植物は酸素を排出し、二酸化炭素を摂り入れる。人間と動物はちょうどその反対のことを営んでいる。我々の胃袋は身の周りにある食物を消化して利用することができる。我々には目があり、この器官を使用する為に必要な光もある。渡り鳥の本能は、我々の世界の地形に適応している。また、人間には倫理観が備わっているが、これは進化や非個人的な始まりでは説明できるものではない。
タイのパユットーという僧侶は、上座部仏教の観点から、次「世界を創造し人間の運命を支配する神など存在しない。人は自分自身の主人である。その道は、祈りや迷信から解放された自助努力の道である」と、述べている(10)。また、日本での仏教復興について、パユットーは、「その教えがダーウィンの進化論のような近代科学の新しい発見や理論に適合することが分かり、仏教は再評価されました」と、書いている(129)。何百万年もの間、無作為に非個人的なチャンスを経験しても倫理観の安定した基盤にはつながらず、ましてや進化という科学的基盤は、ドキュメンタリー映画『進化論のアキレ
ス腱』のように、かなり挑戦的なものである
(https://creation.com/eah-review)。人間の倫理観は動物の世界で見られるものとは異なっている。動物には警察も裁判所も刑務所もない。動物に倫理を強制しようとするのは不条理なことだ。人間の倫理観を全て手放すことも、同様に不条理なことである。我々は生来、倫理的な存在として創造されたのだから。
仏教の雑誌、ウェブサイトや書籍などの様々な記事を読んでいると、仏教には多様な倫理論が提唱されている。しかし、これら全ての問題点は形而上学的に(一貫した合理的な方法で)固定できないことである。仏教徒は善き人間たるべき様々なシステムを提案することができるが、これらのシステムにおいて善を定義するものは、最終的には人間の見解にすぎない。個人的な倫理は、非個人的な力から生じるものではない。その代わりに、個人的な存在である仏教徒は、独自の倫理を作り上げてきた。ただし、これは究極の権威を持つものではなく、何が良いことかを教える権威を持っておられる我々の創造主を全く考慮に入れていない。
イエスキリストから離れ迷うことイエスは言われた、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」『ヨハネによる福音書 10 章 11 節(口語訳)』。羊が迷子になるには多くの間違った道がある。羊の群れの中に居るためには、イエス・キリストとの関係が必要になる。仏教徒はどの様な点で神の道から外れているのだろうか?まず、仏教徒は神を愛していない:〖イエスは言われた、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である。「自分を愛するようにあなたの隣人(となりびと)を愛せよ」。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている〗『マタイによる福音書 22 章 37 節~40 節(口語訳)』。
また、仏教徒は神への信仰や信頼を持っていない:「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神の居ますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである」『ヘブル人への手紙 11 章 6 節』。この信仰は盲目的な信仰ではなく、神が私たちに与えてくださった証拠に基づいている。神を考慮から除外することで、仏教徒は神に相応しい畏敬の念を払わない:「主を恐れることは知恵のもとである、聖なるものを知ることは、悟りである」『箴言 9 章 10 節』(口語訳)。多くの仏教徒は、神を恐れる代わりに精霊を恐れて生活し、色んな霊
魂を宥めようとして束縛され囚われの身となる。
自分自身を拠り所にすることによって、仏教徒は神への謙虚な依存の余地を残さない:「…神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」『ヤコブの手紙 4 章
6 節』 。「よく聞きなさい。心を入れかえて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう」『マタイによる福音書 18 章 3 節』(口語訳)。仏教徒は神を賛美する代わりに、瞑想と想像上の前世を賛美することによって空虚な空想に従う:「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり…」『ローマ人への手紙 1 章 21 節~22 節(口語訳)』。
「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」『ヨハネによる福音書 17 章 3 節』。神を知ることが目的地である。これは個人的なものである。神は人々に、知性を駆使して霊的な冒険をするよう呼びかけたのではない。一部の偽医者の処方箋が一時的に大成功することもある。インチキ医者たちが合理的なものを処方したとしても、彼らが正当な医者であるとは限らない。仏陀は幾つかの合理的な倫理を規定したが、人々を神から遠ざける幾つかのことも規定した。瞑想が経験につながるか否かが論点ではない。仏陀の資質が著しく欠けている。神は我々に経験を求めるのでは
なく、神との関係を求め、神に従うよう求められている。アダムとイブか神の禁じられた果物を取って食べることの何がそんなに悪いのだろう?不従順という明らかな罪もさることながら、彼らは“神から離れた知識を求める”という過ちに引っかかった。これは様々な形で表面化する過ちであり、その一例が占星術である。人々が新聞の占星術欄に目を向けると ━それは神から外れた知識を求める一種の予言である。これを行うには、人は神がすでに啓示した真理を抑え込まなければならない。問題は無知であることではない。それは真理を知らないという問題ではなく、真理を知りたくないという問題なのだ。神が啓示したことを知りたくないという態度は、それに従いたくないという気持ちから端を発している。たとえその知識が神の存在の認識に過ぎないとしても、誰もが神について何らかの知識を持っている。しかし、ひとたびその知識が抑圧されると人は別の答え、━“神から離れた知識”を求める傾向がある。
これは仏陀が陥ったのと同じ過ちである。神からの知識を求め創造主を認める代わりに、彼はその真実を抑圧し、瞑想を通して神から離れた知識を求めた。瞑想はちょうど占星術やタロットカードと同じような予言の一種である。この過ちのより深い問題は、それが不信感の表れであるということだ。神を信頼し神との関係を持つ代わりにその関係は断ち切られ、「神は本当に…と言った
のか?」という、巧妙な蛇の言葉が繰り返される。
仏陀は真実の代わりに空言を人々に与え、その結果は霊的な悲劇をもたらした:「あなたは偽りをもって正しい者の心を悩ました。私はこれを悩まさなかった。またあなたがたは悪人が、その命を救うために、その悪しき道から離れようとする時、それをしないように勧める」
『エゼキエル書 13 章 22 節』。結局のところ、愛情深い羊飼いの庇護の下に置かれる代わりに、仏教徒は悪魔、すなわち蛇(仏教が崇めているが実際は悪魔である蛇神ナーガ)の前に置き去りにされた。
テント生活者 または フード(庇屋根)付き?簡潔に言えば、死者は人生の最も重要な質問への答えを見つけるのを助けることはできない:「私はどこから来たのか?」「なぜ私はここにいるか?」「死ぬとき私はどこへ行くのか?」聖書はこれらの質問に答えることができる。イエス・キリストは生きておられる。主は死から蘇えられた。「あなたは創造主と和解したいです
か?」もしそうなら、あなたは神をないがしろにし、神に与えられた栄光を神に称えなかった罪を含め、自分の罪を神に告白することから始めることができる。「も
し、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」『ヨハネによる第一の手紙 1 章 9 節(口語訳)』。神は一人ひとり誰でもイエス・キリストを信じ、神との個人的な関係を持つことを望んでおられる。
私が本書で取り上げた項目の幾つかを頭字語:HOODED で要約してみた。これが、仏教徒の置かれている極めて不安定な状況である。まさに仏陀自身の如く、それはフード(庇屋根)のように鎌首をもたげた巨大コブラが、腰かけている彼らの頭上に止まっているようなものだ。
人生の最も重要な質問に対する答えが不十分であったり、無視したりするため、まるで怪我をした人が医者に立ち去れと言っているようなものである。もう一方で頭字語 CAMPER がある。これはクリスチャンが持っている証拠を表すもので、聖書への信仰を人生の最も重要な質問に答える為の非常に合理的で信頼できる基盤にしている。ここまで多くの理由を提示してきたが、今、選択はあなた次第である。「神の愛に応えますか?」「謙虚に神の御許に立ち帰りますか?」「子供のような信仰心
で、あなたの人生を神にお委ねしますか?」
仏教の不確実性 (HOODED) |
クリスチャンの証拠 (CAMPER) |
極めて非人間的な起源 (Highly Impersonal beginning) |
天地創造 (Creation) |
誇張された物語(Overblown stories) |
考古学による立証 (Archeology) |
2000 年以上の経典の空隙 (Over a 2000 year Scripture gap) |
御言葉の写本 (Manuscripts) |
予言的な洞察力の欠如 (Devoid of prophetic insight) |
多くの預言 (Prophecies) |
経験は主観的な試金石 (Experience is the subjective test) |
自身の目で見た証人たち (Eyewitnesses) |
死せる不在の指導者(Dead and absent leader) |
キリストの復活 (Resurrection) |
HOODED の“経験”(経験は主観的な試金石)についてもう少し詳しく説明する:「瞑想は非常に主観的なもの
(瞑想によって“学び得た“ものは証拠として法廷で認められない)であるのに加えて、瞑想は霊界への危険な扉を開くものでもある。瞑想者は意識の変容状態に入る必要がある。仏教における瞑想による覚醒への道のりを説明した上で、ロビンソン&ジョンソンによる仏教の歴史的入門書では、:「覚醒の内容は、結果として倫理的に変容したシャーマニズムが 3 分の 2、現象学が残り 3 分の 1 である…」と、要約している(19)。ロビンソン
&ジョンソンはシャーマニズムを次のように定義している:「最もシンプルな言葉で表現すればシャーマニズムとは、意識の変容状態から知識や力を得ようとする為の努力である」(290)。
数年前、バンコク在住の知人の大家さんが瞑想の指導を受けていた。ある時、彼女が瞑想をしていると、目の前にぞっとするような恐ろしいものが現れた。彼女は怖くなって慌てて部屋を飛び出してしまったそうだ。その後、瞑想の師は彼女に、「心配しないで、戻ってその醜い存在に仏教の“安らかな”道を教えなさい」と、言った。このようにして悪霊は、自分が何か善行をしていると思わせるよう彼女を騙したが、実際には安らぎについて学ぶようなふりをしながら、彼女を欺き続けて邪悪な欺瞞者の前に束縛していたのである。パーリ聖典は、この記録や私の以前の論文にあるように、歴史的にも科学的にも不正確な情報を提供していることが分かった。したがって、霊的な領域でその指示を信頼することは、同じように惑わされ誤った導きを招くことになる。瞑想は、人を最も深いレベルで開き、正確で客観的な真実によってではなく、自分を愛してくれる神から離れた主観的な経験に導美かれるようにする。写真(Photograph):
(http://patokallio.name/photo/travel/Thailand/NongKhai/Buddha_Naga2.JPG)
HOODED:フード(庇屋根)のように鎌首をもたげた七つの頭を持つ蛇神に覆われた仏陀 パーリ聖典では七つの頭とは書かれておらず、七日間と七重に巻かれたトグロに因んでと書かれている(パーリ語で編纂されたパーリ聖典にある無量寿経典)。以下は、仏陀と蛇神ナーガについての経典に基づく記述である:「それからナーガ王ムチャリンダは棲家を離れ、彼のトグロで仏陀の身体を七重に取り囲んだあと、鎌首をもたげて大きな庇屋根(フード)のように彼の頭上に広げて立ち、寒さや暑さ、虻や蚊、風や日差し、そして気味悪く忍び寄る這うものから彼を守ろうと考えた。その七日間の精進期間の終わりに、仏陀は精神集中の囲みから姿を現された。それからナーガ王ムチャリンダは空が晴れわたり雨雲が無くなったのを見届けてから、仏陀の身体から彼のトグロの囲みを取り去りました。そして自分の姿を変えて若者の姿になり、仏陀の前に立って手を合わせて崇めた」
(http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/ud/ud.2.01.irel.html)。
聖書の最後の書では、悪魔は竜、蛇、悪魔、そして、サタンと呼ばれている。:「この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使いたちも、もろともに投げ落とされた」『ヨハネの黙示録 12 章 9 節(口語訳)』。タイ語、ラオス語、ビルマ語、シャン語、インドネシア語、マレーシア語、カンボジア語、ベンガル語の聖書の『ヨハネの黙示録 12 章 9 節』ではナーガという言葉がそこで使われており、ナーガを悪魔の竜と同一視している(そして聖書には、この存在が仏教美術において通常描かれている様に七つの頭があると書かれている ━『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』)。聖書は明らかに竜・蛇(ナーガ)が悪いと教えているが、パーリ聖典ではナーガは善であると教えている。エデンの園の初めから、人類を欺いたのは蛇(『ヨハネの黙示録 12 章 9 節』のナーガと同一視されている)であった。聖書は━ それが神の御言葉であることを示す歴史的、預言的な両
方の証拠を持っている。蛇は人類の友では非ず。
また、聖書の最初の書である『創世記 3 章』で、蛇の姿をした悪魔がエデンの園でエヴァとアダムを惑わすこと
を指して使われている蛇の単語が、ヘブライ語で
“nakash”(ナカシュ)となっているのも興味深い。これは、サンスクリット語の“naga”(ナーガ)と発音が似ている。面白いことに、サンスクリット語の最初の考古学的証拠はインドではなく、紀元前 14 世紀のシリアで発見されたものである。シリアはイスラエルの北隣国であることから、ヘブライ語とサンスクリット語の
“蛇”が関連していると考えるのは、さほど不自然ではない。アーリア人(サンスクリット語をもたらした)が仏教に及ぼした影響については、付録 A をご参照ください。『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』にあるギリシャ語の
“drakon”は、少なくとも8つのアジア言語の聖書で
“naga”と訳されている。ギリシャ神話の“ドラコン” は、西洋の“恐竜”のようなドラゴンではなく、“蛇” のような概念である。
ダニエル・オグデンは著書『ドラゴン:ギリシャ・ロー
マ時代の竜神話と蛇神崇拝』のなかで、ギリシャ語の
“drakon”について次のように述べている「…“蛇”という言葉はドラコンの完全なセマンティックフィールドにより良く適合しています…」(4)。また、オグデンは“ドラコン”が、「…実に単純明快に蛇の形をしている存在(例:ラドン)…あるいは他の形態のなかで、蛇の形で姿を現すことができる(例:アスクレピオス[彼の他の形態は人間])存在にも使われることがあると指摘している。アンキペードは複合ドラゴンの最も典型的な種類で、腰から上が人型で下が蛇のような生き物です」(4)。ダニエル・オグデンによる“ドラコン”の説明では、ドラコンもナーガも半人半蛇の姿になったり、完全な蛇の姿から完全な人間の姿になったりするということで、ギリシャ神話と仏教神話との重複があることがわかる。パーリ聖典には、僧侶のふりをしたナーガなどの例が挙げられている。プリンストン大学仏教辞典によると、「ナーガは図像的には人間の頭と胴体を持つが、フードのように広げてもたげた鎌首と尾を持っている」とある(1383)。
“ナーガ”はギリシャ神話に登場する“ドラコン”という言葉の文字にぴったり適合するだけでなく、ヘブライ語の“ナカシュ”(英語では“serpent”)と音韻が似ている。『ヨハネの黙示録 12 章 3 節』では、“ドラコン” を“ナーガ”と訳しているアジア言語は少なくとも8つあり、仏教におけるナーガは、人類を欺くことを目的とする、悪魔の形態の一つであるという結論に達する。当初からそうであったが、今でも人類は『ヨハネの黙示録
12 章 9 節』に登場するギリシャ語“ディアボロス
(diabolos)”の影響から脱しなければならない。これは“告発者”を意味する英語“デビル”の語源となった言葉である。偽りの告発者、欺く者(ナーガ)は、仏教の伝説では悟りを開いた仏陀の傍らに一緒に座っていた者である。仏陀は誰と一緒に座っていたのか?彼らは、
「そのような友がいれば、誰が敵を必要とするだろうか?」と、言った、イエスは人類の真の友人であり、創造主である父なる神と我々が和解できるように、我らの
罪のために十字架の上でご自身を犠牲にされた。
締め括り
シュラーヴァスティー・ダンミカ(Shravasti
Dhammika)はスリランカにおける瞑想について、次のように書いている。:「…瞑想者たちは、まるで精神病院の長期入院患者のように歩きまわる。実際、このような瞑想センターで過ごす人の中には、深刻な精神的問題を抱えることになる人がいるのは、決して珍しいことではない。1990 年代にスリランカの或る界隈では、“カンダボダの 1 ヶ月はアンゴダの 6 ヶ月”というジョークが流行っていたようだ。カンダボダはコロンボにある有名な瞑想センターで、アンゴダはコロンボの主要な精神
病院である」(http://www.buddhistische-gesellschaft-
berlin.de/downloads/brokenbuddhanew.pdf)。
前回(本書第 2 章)と本章で書いたことを要約すると、仏教徒は誤ったロードマップを手にし、頼りない自分自身に頼れと言われ、その頭上はホバリングしている蛇のフードで覆われている、ということになる‼ 代わりにイ
エス・キリストを紹介してもよろしいですか?
聖書を裏付ける考古学上の証拠について、マーク・ケーヒル(Mark Cahill)は次のように書いている:「聖書の中に登場する人物、その肩書、場所について裏付ける考古学的発見が 2万 5,000 件以上ある。高名なユダヤ人考古学者ネルソン・グレック(Nelson Glueck)は、“聖書の記述を覆すような考古学上の発見は、これまで一度もなかった”と、断言している」(Cahill, 65)。ライオネ
ル・ラックフー(Lionel Luckhoo)(1914~1997)は、高名な弁護士で後に福音伝道師となったが、245 件もの殺人事件の裁判で最も多く無罪判決を出した人物としてギネスブックにも登録されている。彼はこう言った:「私は 42 年以上にわたり世界各地で弁護を担当し、今も現役で活躍しています。そして私は、イエス・キリストの復活の証拠には疑いの余地が全くないと、はっきりと言います」( http://www.conservapedia.com/Lionel_Luckhoo)。イエス・キリストは肉体を持った全能の神である。イエスは宇宙の創造主である。彼は33 年間、我々の間で生きられ、奇跡を起こし、人々を癒し、悪霊を追い出し、権威をもって教え、十字架につけられ、墓に葬られ、3 日目に死から蘇えられた。イエスの弟子たちは、自分の流した血で復活を証しすることを厭わなかった。何百もの預言がイエスの宣教に先立ち、彼によって成就された。これらの預言の殆どは仏陀が生まれる前から与えられていた。イエス・キリストは他の宗教指導者のように死んだ人ではなく、生きておられる。彼こそが我らの罪を清め、我らを天国に受け入れる権威を持つ唯一の存在である。しかし、彼を拒絶することは、嘘を支持して真理を拒絶することだ。あなたは真理を愛していますか?どんな犠牲を払ってもイエス・キリストに従う意思がありますか?救いは無償で提供されますが、天の父なる神を人生の主とする為に神に委ねることには一定の費用が掛かり、“自分”を主として維持することには、より大きな費用が嵩む。イエスは道であり、真理であり、命である。
テント生活者 CAMPER:
「信仰によって、アブラハムは他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を受け継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ」『ヘブライ人への手紙 11 章 9 節(口語訳)』。
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