Sermons in Japanese

Sermons in Japanese

モーセのような預言者

ジェイコブ・プラッシュ

モーセのような預言者

申命記 18 章 18 節はメシアについてであるとタルムードは言っています。

『わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。』

私たちはこの箇所がイエスに関してであると知っています。彼がモーセのような預言者なのです。

外国の圧政の下で生まれる

『さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に言った。

「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取 り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼 らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。』

(出エジプト 1 章 8 節-11 節)

モーセは外国の圧政の下で生まれました。

『そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。

これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。』(ルカ

アブラハムの旅

ジェイコブ・プラッシュ

創世記 12 章を開いてください。ヘブライ語では創世記を“ベレシート(はじめに)”といい

ます。これはイエスが生まれる約 2166 年前の話です。

主はアブラムに仰せられた。

(彼の名はまだアブラハムではなく、アブラムでした)

『「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、

あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。

地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』

『アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。アブラムは妻のサライと、』

サライとはヘブライ語で“わが王妃”という意味です

『おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。』

『さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在す

るために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。彼はエジプトに近づき、そこに入ろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。』

実際にサラはアブラハムと異母兄妹でした

『そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのび るだろう。」アブラムがエジプトに入って行くと、エジプト人は、その女が非常に美し いのを見た。パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの

ルツ記

ジェイコブ・プラッシュ

ルツ記はユダヤ人のシナゴーグにおいて、ペンテコステの祭りに朗読されていました。その日は異邦人の教会の始まりの日でした。ルツ記は、イエスがペンテコステの日に異邦人の教会を起こし、キリストの花嫁としたように、富を持ち権力あるユダヤ人の男性が、異邦人の花嫁を取り彼女の地位を引き上げた話です。

『1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘム [“パンの家”という意味] の人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。

  1. その人の名はエリメレク [わが神は王であるという意味] 。妻の名はナオミ。ふた

    りの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、

  2. ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。

  3. ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた [モアブ人は出エジプトのとき、ユダヤ人に不当な扱いをしたので特に軽蔑されていました] 。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。

  4. しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

  5. そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。

  6. そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。

  7. そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、

  8. あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

  9. ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」

  10. しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとす

    るのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとで

    もいうのですか。

モーセと燃える柴 “ヒネニ”

ジェイコブ・プラッシュ

『こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト 人が打っているのを見た。あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、 彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。次の日、また外に出てみ ると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに

「なぜ自分の仲間を打つのか」と言った。するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。』

 

『パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロ のところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。彼は井戸のかたわらにすわっていた。ミデヤンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちが父の羊の群れに水を飲ませるために 来て、水を汲み、水ぶねに満たしていたとき、羊飼いたちが来て、彼女たちを追い 払った。すると、モーセは立ち上がり、彼女たちを救い、その羊の群れに水を飲ま せた。彼女たちが父レウエルのところに帰ったとき、父は言った。「どうしてきょ うはこんなに早く帰って来たのか。」彼女たちは答えた。「ひとりのエジプト人が 私たちを羊飼いたちの手から救い出してくれました。そのうえその人は、私たちの ために水まで汲み、羊の群れに飲ませてくれました。」』

 

『父は娘たちに言った。「その人はどこにいるのか。どうしてその人を置いて来てしまったのか。食事をあげるためにその人を呼んで来なさい。」モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ」と言ったからである。』

 

『それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、 わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神 はみこころを留められた。』(出エジプト 2

l イントロダクション

マタイ 24 章・ルカ 21 章のオリーブ山の訓戒でイエスさまは偽教師、偽預言 者、偽クリスチャンに関して警告されました。 私が救われて間もなかった頃、 その箇所を読むと私の頭の中にはエホバの証人やモルモン教などのことが浮か びました。今世紀になって、また特に過去この 20 年間でカルトが急増している ことは紛れもなく聖書の預言した通りであり、そのことに疑問はありません。 ですが、それはイエスさまが主に警告していた偽教師や偽預言者ではありませ ん。イエスさまは終わりの時代に現れ、選ばれた者たちをも騙そうとする者た ちのことを語っていました(マタイ 24 章 24 節)。 

もちろん選ばれた者たちが騙されるなんてあり得ないという人たちがいます。 ですがそれ自体が嘘です。起こりもしないことをイエスさまが何度も警告する ことはありません。それはそうとして、イエスさまはクリスチャンを騙す人た ちに関して警告していました。モルモン教やエホバの証人に騙される人がいる

クリスマスがやって来る

ジェイコブ・プラッシュ

はじめに

“クリスマス”をヘブライ語では“ハグ・ハ・ノロド(Hag Ha nolod)”といいます。文字通りには“誕生の祭り”という意味です。ローマ 14 章 4 節ではどんな宗教の祭りを祝うか

についてさばいてはいけないと書いてあり、似たような文脈でコロサイ 2 章 16 節から 18節では、誰もあなたをさばかせてはいけないと書いてあります。どの祭りを祝うかということは、個人の文化と背景の問題であり、自分と主の間で決めるべき事柄です。私は人がクリスマスを祝うかどうかということには関心がありません。それは私にとって大きな問題ではないからです。私が関心を持っているのはクリスマス、または降誕についての神学です。イエスさまがいつ生まれたかは誰も分かりません。しかし、イエスさまが生まれたことは私たちみなが知っています。

私の家族はイスラエル人でハヌカの祭りを祝います。ヨハネ 10 章において、イエスもハヌカの祭り――すなわち宮きよめの祭りを祝いました。反キリストの到来を理解するためにはアンティオコス・エピファネス(B.C.215-164 セレウコス朝シリアの王)とマカベア家の出来事を通して理解することが非常に重要です。私たちはハヌカのパーティーを開いて未信のユダヤ人たちを招きます。

私の家ではクリスマスは祝わずに、降誕を祝います。私たちは教会に行って、キャロルサービスに参加します。それだけです。私たちは奉仕や生活に困っている家庭のために何かしますが、それ以上のことは何もありません。私の家族にとってクリスマスは完全に教会の行事なのです。お祝いとして私たちはハヌカの祭りを祝います。

クリスマスと終わりの日

クリスマス、またはキリストの降誕が終わりの日とどう関係があるのでしょうか。これを聞いて驚くかもしれませんが、その答えはすべてに関してです。

キリストの初臨(最初の到来)を理解しなければ、再臨を理解することは決してできません。キリストの初臨に起こったことは、再臨において繰り返され、反復されるのです。イ

呪いとクリスチャン

ジェイコブ・プラッシュ

初代教会は現代の私たちが失ってしまったあるものを持っていました。“私たち”と言うのは私のような人たちという意味です。御霊の賜物を信じる人たちのことです。

“教祖信仰”

現代の教会の中には無宗教の世界から、また偽りの宗教体制から来たものがあります。それは“教祖信仰”です。ヒンドゥー教祭司が言うことは何でも、信奉者や敬虔な信者は信じます。教祖様が言ったことは何でも信じてしまうということです。

ローマ・カトリック教徒は教皇の教えを信じます。正統派ユダヤ教徒はラビたちが言うことを何でも信じます。レッベ(現代のラビ)やツァディク(ハシド派指導者)が言うことなら、それが彼らにとっては神のことばなのです。イスラム教徒はイマーム(イスラム教指導者)に尋ねに行きます。イマームがアッラーのもとに直接行くので、信徒たちはイマームを通してアッラーのもとへ行くのです。

このような考え方はこの 30 年のうちに、特にこの 10 年間にまるで雪崩のようにキリストの体に押し寄せてきました。

ただ召された者や神から賜物を受けた者の言葉を、何も調べることなく、神のことばであると受け取る考え方がクリスチャンの中で大きくなってきました。その人が言ったから正しいのだという姿勢です。

タルソのラビ・サウロ

パウロは奇跡やしるし、不思議なことを行いました。彼は癒しを行い、パウロによって非 常に多くの人が回心しました。パウロは多くの教会を立て、新約聖書の半分を書きました。パウロはラビの中のラビであり、ヒレルの学校で学んだパリサイ人でした。パウロはラ ビ・ガマリエルの弟子だったのです。

想像してみてください、今の時代に有名なラビがイエスに人生を明け渡し、奇跡を行い始めたらどうなるでしょうか。人々はその人を教祖にして、その人が言うことは何でも正しいとするでしょう。

しかし、パウロは自分自身を教祖のようにすることはありませんでした。パウロはどのように言っていたでしょうか。

『しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福

音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです』(ガラテヤ 1 章 8 節)

シオンの娘

ジェイコブ・プラッシュ

私たちがよく聞かれる質問のひとつに教会内での女性と女性の役割があります。今回はこのテーマをクリスチャンの観点から、またユダヤ的観点から考えてみます。このテーマをより立体的に見ていくために幾人かの『シオンの娘』たちを見ていくこととします。まず皆さんがすでにご存知の箇所から見ていきましょう。最初のものは第一コリントの手紙です。

『教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです』1 コリント 14 章 34 節-35 節

閉鎖的なブレザレンはこれを文字通りに取ります。といっても聖書を文字通りに解釈すべきではないと言っているのではありません。ですがこの箇所は閉鎖的なブレザレンが行っていることを本当に意味しているのでしょうか。教会内の女性はただ座って、何も話すことを許されていない、ある人は聖書がその通りのことを語っていると言います。ですが確信を持って言えるのは、私たちがこの箇所をより大きな文脈をもって見るとき、そのような意味ではないということです。とはいえ、今日の教会内の現状が良いと言っているのでもありません。パウロはここで一体何を言わんとしていたのでしょうか。大きな論議を引き起こすもうひとつの箇所は第一コリントの 11 章 3 節から 7 節です。

『しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリス トであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることにな ります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです』1 コリント 11 章 3

主の日はヘブライ語で「ヤハウェの日」といいます。人間の堕落からその期間までは「サ タンの時」です。イエスがサタンを“この世の神”と認識していたその事実は、終わりの 時代にさらに強大なものとなるでしょう。神は歴史の中で働かれる神であり、歴史を通し てその主権を行使しています。しかし、ダニエル書の記述を読むと反キリストがその実体 を現わすとき、彼は時と法則を変えることが出来ると考え、聖徒たちは「ひと時とふた時 と半時の間」彼の手にゆだねられるとあります。(黙示録とダニエル書どちらも、歴史の 終焉であるその 7 年間を、2 回の「ひと時とふた時と半時」の期間に区分しています。それ はおおよそ太陰暦の三年半であり 1260 日です) 

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エリヤ 雨を降らせることのできる者

ジェイコブ・プラッシュ

『義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。』(ヤコブ 5 章 16 節-18 節)

エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨を降らせることのできる者でした。この箇所を通して、聖霊が私たちに伝えようとしていることは、もし彼ができるのなら、私たちもできるということです。私たちも雨を降らせることができます。しかし、それはどのような意味なのでしょうか?

雨は聖霊が注がれることの象徴

聖書の象徴の中で、様々な種類の液体は聖霊の異なった側面を表しています。

新しいぶどう酒は、聖霊を賛美の面において象徴している液体です。もうひとつの液体は、油であり、それは聖霊が注がれることについて語っています。一方、聖書の中の生ける水 はいつでも、聖霊が降り注がれることを表しています。雨は降り注ぎ、地下水となり、湧 き水となるのです。

イエスは次のような形で説明されました。『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。』(ヨハネ 7 章 38節-39 節)イエスは、生ける水とは聖霊が流れ出ることだとはっきりと語りました。『わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』(イザヤ 44 章 3 節)

エゼキエル 8 章 9 章

ジェイムズ・ジェイコブ・プラッシュ

エゼキエルとはヘブライ語で、「神の力によって」という意味です。彼の奉仕はまさに、ただ神の力によって実行されたものでした。預言者たちの名前は大抵の場合、神が定めたその人の奉仕の特徴を描き、表現しています。

エゼキエルは、初めイザヤによって預言され、後にエレミヤが預言したバビロン捕囚の到来の直後に登場しました。それは最終的にエゼキエルの時代に始まったのです。民が悔い改めなければ来ると言われていた、その裁きが実際に始まっていたのです。それははっきりと神の裁きとして始まったのですが、人々はそれを神の裁きではないと否定していました。すべてのことが行き詰っていましたが、人々は勝利が来ると主張し続けていたのです。これは今日の状態に似ています。『勢いのある教会(The Unstoppable Church)』(より正確に今の状態を言い表すなら“勢いのあるモスク”ですが)というような本があったりします。彼らの体は実際には重病にかかっているのに、自分の体に対して嘘を付いているようなものなのです。人々は単純に、事実に目を向けたがりません。イザヤやエレミヤが最初から現実に起こると予告していたことを、認めたがらないのです。

エゼキエルは神の裁きは継続し、ますます悪くなると予告しました。その理由は民の罪が継続し、さらに悪くなっていたからです。彼らは神の裁きが来ているのを見ても、悔い改めることをしなかったのです。また、このことは黙示録の中でもほのめかされています。神の裁きが頻繁になり、激しくなってきても、人は心をかたくなにし、神を呪い、罪にとどまったとあります。エゼキエルの時代にもそうであり、終わりの時代にもそうなるのです。エゼキエルは黙示録と深い関連があり、同じことを示しています。

エゼキエル 9 章 4 節『主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」』裁きが始まる前に、神の家、神の町の中で行われている忌みきうべきものを見る人たちがいます。また、神は言われます。「本当に私のものである者たちにしるしをつけよ。間違っていることを見て、何が間違っているかを理解し、嘆いている者にしるしをつけよ。裁きが来る前にしるしをつけるのだ。」

『また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上っ

て来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫ん

で言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」』(黙示録 7 章 2 節-3 節)黙示録

エゼキエル 8 章 9 章

ジェイムズ・ジェイコブ・プラッシュ

エゼキエルとはヘブライ語で、「神の力によって」という意味です。彼の奉仕はまさに、ただ神の力によって実行されたものでした。預言者たちの名前は大抵の場合、神が定めたその人の奉仕の特徴を描き、表現しています。

エゼキエルは、初めイザヤによって預言され、後にエレミヤが預言したバビロン捕囚の到来の直後に登場しました。それは最終的にエゼキエルの時代に始まったのです。民が悔い改めなければ来ると言われていた、その裁きが実際に始まっていたのです。それははっきりと神の裁きとして始まったのですが、人々はそれを神の裁きではないと否定していました。すべてのことが行き詰っていましたが、人々は勝利が来ると主張し続けていたのです。これは今日の状態に似ています。『勢いのある教会(The Unstoppable Church)』(より正確に今の状態を言い表すなら“勢いのあるモスク”ですが)というような本があったりします。彼らの体は実際には重病にかかっているのに、自分の体に対して嘘を付いているようなものなのです。人々は単純に、事実に目を向けたがりません。イザヤやエレミヤが最初から現実に起こると予告していたことを、認めたがらないのです。

エゼキエルは神の裁きは継続し、ますます悪くなると予告しました。その理由は民の罪が継続し、さらに悪くなっていたからです。彼らは神の裁きが来ているのを見ても、悔い改めることをしなかったのです。また、このことは黙示録の中でもほのめかされています。神の裁きが頻繁になり、激しくなってきても、人は心をかたくなにし、神を呪い、罪にとどまったとあります。エゼキエルの時代にもそうであり、終わりの時代にもそうなるのです。エゼキエルは黙示録と深い関連があり、同じことを示しています。

エゼキエル 9 章 4 節『主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」』裁きが始まる前に、神の家、神の町の中で行われている忌みきうべきものを見る人たちがいます。また、神は言われます。「本当に私のものである者たちにしるしをつけよ。間違っていることを見て、何が間違っているかを理解し、嘆いている者にしるしをつけよ。裁きが来る前にしるしをつけるのだ。」

『また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上っ

て来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫ん

で言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」』(黙示録 7 章 2 節-3 節)黙示録

エゼキエル 8 章 9 章

ジェイムズ・ジェイコブ・プラッシュ

エゼキエルとはヘブライ語で、「神の力によって」という意味です。彼の奉仕はまさに、ただ神の力によって実行されたものでした。預言者たちの名前は大抵の場合、神が定めたその人の奉仕の特徴を描き、表現しています。

エゼキエルは、初めイザヤによって預言され、後にエレミヤが預言したバビロン捕囚の到来の直後に登場しました。それは最終的にエゼキエルの時代に始まったのです。民が悔い改めなければ来ると言われていた、その裁きが実際に始まっていたのです。それははっきりと神の裁きとして始まったのですが、人々はそれを神の裁きではないと否定していました。すべてのことが行き詰っていましたが、人々は勝利が来ると主張し続けていたのです。これは今日の状態に似ています。『勢いのある教会(The Unstoppable Church)』(より正確に今の状態を言い表すなら“勢いのあるモスク”ですが)というような本があったりします。彼らの体は実際には重病にかかっているのに、自分の体に対して嘘を付いているようなものなのです。人々は単純に、事実に目を向けたがりません。イザヤやエレミヤが最初から現実に起こると予告していたことを、認めたがらないのです。

エゼキエルは神の裁きは継続し、ますます悪くなると予告しました。その理由は民の罪が継続し、さらに悪くなっていたからです。彼らは神の裁きが来ているのを見ても、悔い改めることをしなかったのです。また、このことは黙示録の中でもほのめかされています。神の裁きが頻繁になり、激しくなってきても、人は心をかたくなにし、神を呪い、罪にとどまったとあります。エゼキエルの時代にもそうであり、終わりの時代にもそうなるのです。エゼキエルは黙示録と深い関連があり、同じことを示しています。

エゼキエル 9 章 4 節『主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」』裁きが始まる前に、神の家、神の町の中で行われている忌みきうべきものを見る人たちがいます。また、神は言われます。「本当に私のものである者たちにしるしをつけよ。間違っていることを見て、何が間違っているかを理解し、嘆いている者にしるしをつけよ。裁きが来る前にしるしをつけるのだ。」

『また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上っ

て来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫ん

で言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」』(黙示録 7 章 2 節-3 節)黙示録

カシュルートと飢饉

ジェイコブ・プラッシュ

ヘブライ人の食事規定の律法は申命記 14 章と、レビ記 11 章に見受けられます。そのうち

レビ記 11 章はより包括的なものです。

『それから、主はモーセとアロンに告げて仰せられた。

「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。

すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなた がたには汚れたものである。それから、岩だぬき。これも反芻するが、そのひづめ が分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。 [反芻し、ひづめが分 かれていないといけないということ] また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひ づめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。それに、豚。これ は、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものであ る。

水の中にいるすべてのもののうちで、次のものをあなたがたは食べてもよい。すなわち、海でも川でも、水の中にいるもので、ひれとうろこを持つものはすべて、食べてもよい。しかし、海でも川でも、すべて水に群生するもの、またすべて水の中にいる生き物のうち、ひれやうろこのないもの [言い換えると甲殻類など] はすべて、あなたがたには忌むべきものである。これらはさらにあなたがたには忌むべきものとなるから、それらの肉を少しでも食べてはならない。またそれらの死体を忌むべきものとしなければならない。水の中にいるもので、ひれやうろこのないものはすべて、あなたがたには忌むべきものである

メズザー(門柱)1

士師記 14 章を読みましょう。

『サムソンはティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘でティムナにいるひとりの女を見た。彼は帰ったとき、父と母に告げて言った。「私はティムナで、ある女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、あの女をめとって、私の妻にしてください。」すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」』(1 節-3 節)

罪はとても簡単にまつわり付くものです。サムソンは不信者の女に弱かったのです。ここでの問題はその女の人種ではありません。中央アフリカのイスラム系民族を除いて女性が割礼を受けることはないのですが、問題なのは彼女の信仰だったのです。その当時、ユダヤ人が非ユダヤ人と結婚するということは、今日、信者が不信者と結婚することと等しいものでした。ですから、言い換えると、大切なのはその女の信仰だったのです。

サムソンは不信仰の女に魅かれる傾向を持っていました。15 章においては、その傾向のために大きなトラブルに陥ります。神は摂理と言われるような目的にしたがって、彼との関係の中で働かれていたのですが、サムソンはトラブルに巻き込まれていました。15 章 18節では、

『そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主に呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。』

とあり、サムソンのこの女との関係は次第に彼を苦境に陥らせ、最初は彼女の父親と、次にはペリシテ人と争いを引き起こしました。これが彼の記録されている、不信仰の女との最初の闘いでした。

私たちはサムソンに関して他の『ナザレ人の誓い』という説教を提供していて、そこでは髪の毛に関しての象徴も含み、ミドラッシュを扱っています。また、箴言 5 章に出てくる邪悪な女のことも扱っており、それは遊女に自分の力を明け渡すことについて語っていま

す。これは「ペシェル(pesher)=深い霊的な意味」です。さて、それでは今から士師記

16 章の「ペシェット(peshet)=本文の直接的、明らかな意味」を見てみましょう。

『サムソンは、ガザへ行ったとき、そこでひとりの遊女を見つけ、彼女のところに入った。』(1 節)

彼はもう一度行いました。彼はまた不信仰の女を見つけたのです。罪はとても簡単に付きまとうものです『…彼女のところに入った』これはヘブライ語では“ボー・ラー(bow l'ah)”といいます。他の説教から知っているかもしれませんが、ひとりの人が他の人に入ると、三人目の人が創造されます。私たちは神のかたちに造られ、「セオポモーフィック

メズザー(門柱)2

のりは洗い流せます。しかし、瞬間接着剤は削り取ることはできますが、洗剤や溶剤では落ちません。高分子化合物は表皮の上部を角質化して結合します。言い換えると、それがはがれるとき、接していた自分の一部は共に取れ、そこにあるはずがないしるしを残すのです。そのような結合は結婚を保つうえで、神さまが用いたものです。しかし、結婚関係以外において、それは良いものではありません。神はその罪を赦されるのでしょうか?もちろん。ではよみがえりやイエスが戻ってきたときにそれは問題となるのでしょうか?そんなことはありません。しかし、現在そのしるしは残ったままなのです。この結合には相互の弱さがあります。それはサムソンを感情的にし、デリラから霊的に影響を受け易くしたものなのです。

続けて見てみましょう。サムソンは愚かにも、彼の力の源がその髪の毛と関係するということをデリラに教えてしまいました。彼は主に関しての事柄を、主を信じていない者と共有してしまったのです。

『彼が深く眠っているとき、デリラは彼の髪の毛七ふさを取って、機の縦糸といっしょに織り込み、それを機のおさで突き刺し、彼に言った。「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」すると、サムソンは眠りからさめて、機のおさと機の縦糸を引き抜いた。』(士師記 16 章 14 節)

彼は自分が引き起こした悲運のどん底にいかに近づいているかを知らずに、もう一度うまくやってのけれるのだと思っていました。

15 節『あなたの心は私を離れているのに、―次に注目してください―どうして、あなたは『おまえを愛する』と言えるのでしょう。』

「あなたは私を愛してない!もし愛してるなら殺させてくれるでしょう。あなたは本当には愛してない。愛してるなら、あなたを襲いお金をいただくのに!」サムソンはどんなに愚かになったのでしょうか!彼が能なしのようにふるまったわけが分かります。この男は本当に狂っていました。そして、私も狂っていて、あなたも狂っているのです。罪は簡単にまつわりつきます。

この状況を理解しましょう。これは旧い契約のもとで起こりました。今、聖霊はすべて信

じる者のうちにあるのですが、当時はそうではありませんでした。旧い契約のもとでは、

ある特定の時期、ある特定の目的で、大祭司や預言者、王、族長、さばきつかさのような 人たちにしか聖霊は与えられませんでした。サムソンはそのとき、地上で唯一聖霊を与え られていた人であったかもしれません。彼はイエスの象徴として奇跡的に母の胎に宿りま した。また、主の使いが両親に現れ、その子の誕生を告げ、キリストが十字架を運びその 上に死んだように、サムソンも柱を運び柱をつかんで死にました。このように、旧約聖書 の中のすべての象徴が何らかのかたちでそうあるように、サムソンはキリストの象徴でし た。彼はその生まれる前から神に召されていた者であり、神が力を与えた者でした。彼は 神の御名のためにその御手が置かれている者であり、それは神の民の救いのためでもあり ました―サムソンはイスラエルのさばきつかさであったのです!神に召され、力づけられ、油注がれ、神によって雄々しく用いられました。しかし彼は絶えずその同じ愚かな罪にま いもどって行ったのです。

ミドラッシュ

ジェイコブ・プラッシュ

新約聖書の著者が旧約聖書を扱った方法

ミドラッシュとは、イエスやパウロの時代の古代のラビが用いた聖書解釈の方法です。改革者たちが 16 世紀の人間主義から拝借した、西洋の聖書の解釈、つまり文法的・史実的な解釈を含んでいますが、ミドラッシュはそれを単に第一歩と見なします。

聖書の様々な文書のジャンル-物語、知恵文学、ヘブライ的な詩や黙示文学-を扱うときに、それぞれを考慮に入れて理解するため関係性を探求します。そのアプローチの方法は書かれた順序に従うというよりかは、テーマに注目した読み方です。(※最初に必要な第一歩は、書かれた順序に従って読むことです。例えばそれはヨハネの福音書を章ごとに学んでいく方法です。テーマに注目した読み方は、ヨハネ 10 章の「わたしは良い牧者です」

という箇所によって、詩篇 23 篇「主は私の羊飼い」やエレミヤ 23 章「牧者たちについてこう仰せられる」のような箇所を理解するということです)

最も明らかなミドラッシュの指針は、ラビ・ヒレル(Hilell) による七つの基準(七つのミドロット)です。ヒレルは「ヒレルのパリサイ派神学校」の創設者で、そこでパウロがラビとしてガマリエル(使徒 5 章 34 節) に教えられました。ガマリエルはヒレルの孫にあたります。

ミドラッシュは教理を例証し、教理を明らかにするために、たとえ話や象徴を大いに用います。しかし、象徴は決して教理の基礎となりません。それは聖書の本文にある複数の層のようになったより深い意味を見出しますが、象徴的な解釈をする、フィロン(Philo

20B.C.-50A.D.) やオリゲネス(Origen

ミドラッシュ 園の中のイエス(1)

ジェイコブ・プラッシュ

モリエルミニストリーズに詳しくない人もいると思いますので、私たちがしているひとつのことを説明したいと思います。ユダヤ人信者たちを通して主が一世紀の教会を建て上げました。聖書はまずヘブライ人の文化に与えられました。私たちは初期のユダヤ人信者が読んだように、聖書を読むことを目標としています。何百年にもわたって、そのことをしようとした人たちはいました。特にプリマス・ブラザレンがそうです。私たちはこの終わりの日において、一世紀の教会がしたような聖書の解釈法を理解することは重要だと考えています。

(もうすでにご存知の方はすみません。しかし、この教えに耳が慣れていない人や、信仰に入ったばかりの人のために繰り返したいと思います。)

一世紀のユダヤ人信者が、ヨハネの福音書の最初の4章を読んだなら、創世記と似てい ると言ったことでしょう。ヨハネの福音書での「新しい創造」は、創世記の創造に対して ミドラッシュ(象徴・パターン)によって、それを深く探求しているものであると言うで しょう。ヨハネの福音書の中の「新しい創造」は、創世記の中の創造と関係があります。 創世記では神さまが地上を歩いていたとあり、人はエデンの園でそれを聞いたとあります。これはイエスのことを語っています。神学的な用語では、それはキリストの顕現と呼ばれ るもので、旧約聖書でのイエスの現れです。ヨハネの第一章ではことばは人となったとあ り、もう一度、神さまが地上を歩いているのです。

創世記で記されている、小さな光と大きな光とは、月と太陽のことです。ヨハネの福音書では、また小さな光である――バプテスマのヨハネが登場します。ヘブライ語の名前はヨハナン・ハ・マトビル(Yochanan Ha Matbil)と言います。そして大きな光はメシアであるイエス、ヘブライ語ではイェシュア・ハ・マシアハ(Yeshua Ha Machiach)です。

創世記では、神の霊が水の上を動いて被造物を生み出しました。ヨハネ3章では、水と霊によって生まれた者について書いてあります。また、御霊は水の上を動いて、今度は

「新しい創造」を生み出すのです。創世記の創造の三日目では、神さまは水に関する奇跡を起こされました。ヨハネ2章1節では、「三日目に」カナでの婚礼において、神さまはもう一度奇跡を起こされました。今回は「新しい創造」です。神さまは人に対しての最初

の計画を、アダムとエバの結婚のつながりによって始められました。イエスも、公の奉仕

をカナの婚礼において開始し、神さまの第二の計画も、結婚のつながりによって始まりました。ヨハネの福音書での「新しい創造」は、創世記の創造と多くの類似点があります。ミドラッシュ(象徴・パターン)的な考えをしているのです。

これのような聖書の箇所は無数に存在します。ユダヤ教の中でいのちの木といえば、ヘブライ語でエツ・ハイーム(ets hayyim)というのですが、いちじくの木に象徴されます。いちじくの木はエゼキエル47章と黙示録に登場しますが、最初のものは創世記の創造において登場します。ヨハネ 1

ミドラッシュ 園の中のイエス(2)

ジェイコブ・プラッシュ

反キリストも同じことをします。彼は貧しい人を気遣っているように装い、素晴らしい人道主義者だと思わせるのです。もし、あなたがマザー・テレサ――偉大な神の聖徒――についての、真実を言おうとするなら、ほとんどのクリスチャンが怒り出すでしょう。あなたはただ、引用するだけであるかもしれないのですが、彼らにとっては非の打ちどころのない人なのです。しかし反キリストと比べたら、マザー・テレサでさえイゼベルほど悪そうに見えることでしょう。

もう一度、ゲツセマネでは、欺く者としてのサタンがいます。その他にだれがいるのでしょうか?共観福音書をさっと見てみましょう。マルコ14章51節、『ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。』彼らがイエスを捕らえようとした時、裸で逃げた男がいます。彼は迫害の時に信仰を失ってしまう人々の象徴です。彼らは自分のいのちを救うために、救いの衣を着ずに逃げ去ってしまうのです。またそのとき、大ぜいの人がつまずきます。

迫害に関して問題なのは、迫害される必要の無い者が初めに、最も酷く受けるということです。しかし、他の人はそれが来たときには、背教してしまいます。

イエスが『人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。』(マタイ 24:10)と言ったことを思い出してください。明日にでもつまずき、あなたを裏切るクリスチャンとは、今日ベニー・ヒン(Benny Hinn)、コープランド (Copeland)やヘーゲン (Hagen)に聞き従っている者です。

また、登場人物に目を向けると、園には、神さま、サタン、裸の男がいます。『「だれを捜すのか。」と彼らに言われた。「それはわたしです。」』そしてもう一度、『「だれを捜すのか。」「ナザレ人イエスを。」「それはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう。」』三回、イエスは「それはわたしだ」と言いました。『もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。』これは「集団共有」です。「集団共有(corporate

solidarity)」という言葉は神学用語で、多くの人のためにひとりの人が代表するときに用いられます。ヨハネの福音書ではこの集団共有が多く見られます。

それでは集団共有の例をふたつ示しましょう。バラバ(Bar Abbas)とはアラム語で「父

の子」という意味です。彼は今日のテロリストと同じような者でした。私はイギリスに住

んでいるので、IRA(アイルランド共和国軍)や UVF(民兵組織)がいる北アイルランドに頻繁に行きます。彼らはプロテスタントやカトリックのテロリストです。基本的には彼らは、政治的な宗教の名によって、組織的な犯罪のようなものを行っているギャングなのです。プロテスタントとカトリックの双方が行っています。彼らは基本的にはギャングであり、最も凶悪な種類の宗教的な偽善者なのです。バラバによく似ています。

「だれを望むのか?」ピラトは言いました。「このテロリストか、それともラビ・イェシュアか?」あなたがたはこの人殺しを望むか、それとも、少女にいのちを与えたラビを望むのか?目の見えない者の目を開き、足なえを歩かせ、耳の聞えない者の耳を開き、人々に愛、平安や真理を教えたこの者を?

「バラバだ」と彼らは言いました。バラバは私たちすべての状況です。正しくない者た ちのために正しい者が苦しんだのです。バラバ(Bar Abbas)は“父の子”という意味です。 私たちが御父の子どもとなるために、イエスは私たちの代わりに十字架に向かったのです。四福音書のすべてが法律の手続きをする法廷の中に、福音を位置しています。イエスは私 たちの身代わりに裁判にかけられました。バラバのためにです。四福音書すべてが、法廷

ひとりのメシア ふたつの到来

ジェイコブ・プラッシュ

『彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』(使徒 1 章 4 節-8 節)

復興主義

現代、広く教えられている偽りの“復興主義”を理解することから始めてみましょう。

「主よ。今こそ国を再興してくださるのですか。」今日私たちは復興主義運動と呼ばれるものをよく耳にしています。

「国を再興する」という言葉は新約聖書でただ一度使われており、それは教会が勝ち誇ることではなくて、イスラエルに関して使われています。

復興主義運動はかつて存在しなかった、三つのものを回復させようと取り組みます。

彼らがしようとしている第一のことは、“ 支配主義(Dominionism)” や“ 勝利主義

(Triumphalism)”と呼ばれる、一種の終末論を回復させようとすることです。それはイエスが再臨し王国を建て上げる前に、教会が世を征服するといった間違った考えです。

教会は最終的には勝利を得ますが、それはキリストの再臨にかかっているのです。

平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいますと書かれて

あります。(ローマ

スミルナ――『没薬』より:『埋葬のための油注ぎ』――第 2・3 世紀

 スミルナの都市

スミルナ(現代のイズミル)は「ト・アガルマ・テス・アシアス――アジアの喜び」とし て知られていた宝石のように美しい場所でした。スミルナは当時も今も深い海に接する港 街であり、35 マイル(約 5.6 キロメートル)南にあるエペソとは激しいライバル関係にあ りました。紀元前 600 年頃にその町は地震によって破壊され、紀元前 4 世紀まで再建され る事はありませんでした。10 万人の人口を抱え、海の傍にはキュベレーの神殿を持ち、さ らにはアポロや、アスクレーピオス、アフロディーテー、またゼウスに捧げられた目を見 張るような神殿がありました。この都市は、発展した科学とぶどう酒の貿易で繁栄し、ラ オデキヤのように薬でも有名でした。

『また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。 初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。

「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は 富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタ

未来の教会史1

ジェイコブ・プラッシュ

だれもが未来を知りたいと思っています。このために人は占い師やオカルトなど、さまざまなところに行き未来がどうなるかを知ろうとします。しかしながら、イエスさまは私たちに未来を告げました。

私は信者になる前、よくまじない師のところに行き、タロットカードを読んでもらっていました。そのまじない師はカードを読むのが得意で、彼女はある日、私がイエスを信じるようになることをカードをもって言い当てました。その人はカードを見て「これが起こったときに戻ってきて、私を火あぶりにしないでおくれ。これは確かだが、戻ってきて火あぶりにだけはしないでおくれ」と言い始めました。彼女のまじないはかなり正確でした。オカルトは未来を予測することにおいて、とても正確であることがあり得ます。しかしながら申命記 18 章を読むと、“かなり正確”でもそれは十分ではないということが分かります。預言者は毎回、寸分違わず正しくなければならないのです。現代には多くの人が自分は預言者だと主張し、自分中心の預言の奉仕を立ち上げますが、彼らは起こりもしない奇妙な予測を立てます。それが起こったとき、人々はにせ預言者を弁護して言います、「この人はだいたいは正しいじゃないか」。それはそうかもしれませんが、ニュージャージーでタロットカードを読んでいたまじない師もだいたい正しかったのです。申命記 18 章は非常に明快です。主の御名によって語ったことが実現しなければその人はにせ預言者なのです(申命記 18 章 20 節-23 節)。主の御名によって語るのはとても危険なことです。その“預言”が神からのものでなければ語らずに、口を閉じておいたほうが良いのです。聖霊を消すことをしてはいけませんが、その言葉が本当に聖霊からのものであれば実現せずにいることはありません。

私は本当の預言者を目撃する機会がありました。イスラエルのカルメル山にある一室に 40人くらいの人と、(当時の呼び名でいう)ソビエト連邦から来た男性がいました。当時はイスラエルとソ連の間に外交関係や直通の飛行機もなく、その人はヨーロッパを経由して来ることしかできませんでした。その人はテル・アビブに降り立ち、誰かがベン・グリオン空港に迎えに行き、ガラリヤまで連れてきました。その人は英語で話し始め、預言や予告をし始めたのです。彼が話しているのを聞いたとき、私はこの男が本当の預言者か、またはにせ預言者であるだけでなく、頭がおかしいに違いないと思いました。この紳士は一冊の本を書き、その中で赤の広場(モスクワの都心部にある広場)で主の聖餐式をすること

について語っていました。その人が言うには、赤の広場で立ち上がった後、神は聖餐式の

杯をモスクワ川に投げ込むように言われ、ソ連政府が教会を迫害しユダヤ人にイスラエルへ移住することを禁止したために、神はエジプトにしたのと同じことをソ連にも行うと予告していたというのです。その人たちは「わたしの民を行かせよ」また「わたしの福音を宣べ伝えさせよ」、さもなければ神はあなたの帝国を滅ぼすと宣言していました。「私たちはあなたの地にのろいを宣言する――神はあなたの地をのろわれる」その後まもなくチェルノブイリ原発事故があり、ソ連が経験した中で最悪の収穫期を迎えました。そのクリスチャンたちはまた「神はソ連の戦争兵器を破壊される」と言いました。その直後、ソ連はアフガニスタンから引き上げ、ワルシャワ条約機構(ソ連を盟主とした東ヨーロッパの軍事同盟)が解体しました。次にその信者たちは、レーニンが永久的にミイラ化され展示されてある墓に向かって、「これは死をもたらす霊だ。神はレーニン崇拝を崩壊させる」と言いました。当時、ソ連にはレーニンの像や胸像だけを製造する工場が 11 ほどありました。その後、夜のニュースで、その工場がひとつ残らず閉鎖され、レーニンの像の首が切り落とされているのを私たちは見ました。その後、その信者たちはクレムリン宮殿の方を向き、言ったのです「神はあなたの帝国を滅ぼされる。ソ連は崩壊し、誰も信じることができないほど神は迅速に裁きを下される。『わたしの民を行かせよ。そしてわたしの福音を宣べ伝えさせよ』」

このようなことを 1984 年や 85 年に言うことは不可解なことで、全く考えられないことでした。神から本当にそのことを聞いたのでなければ、ただ気が狂っているだけでした。しかし、そう語ることが突飛であったにもかかわらず、語られた言葉はみな現実となったのです。私はそれからその兄弟に会うことも、彼の本を読んだこともありませんが、私はその人が言ったことと自分の目の前で起きたことを知っています。

未来の教会史2

ジェイコブ・プラッシュ

ローマ 昔と今

宗教改革の時期に起こったことは、現在ローマ・カトリック系の国々、特に南アメリカで起こっている途方もないリバイバルに比べると比較的穏やかなものでした。サンチアゴやチリでは毎週2万人もの人がローマ・カトリック教会を去り、ペンテコステ派になっています。グアテマラではこの 10 年間で人口の 10%がローマ・カトリック教会を去り、ペンテコステ派になっています。フィリピンとて同じです。アメリカでは、回心したローマ・カトリック教徒の数は驚くべきものです。アイルランドでは、今プロテスタントよりも多くのローマ・カトリック教徒が救われています。イタリヤでは1千を超えるアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの教会がありますが、小さなものはなく、実際すべての教会が新しいものです。宗教改革があった国々ではアッセンブリーズ・オブ・ゴッドが教派として衰退している一方、カトリック系の国々では躍進しています。私たちはマリアの問題が扇動的なものとなるのを確実に見るでしょう。『偉大なのはエペソ人のアルテミス(ダイアナ)だ』

――使徒 19 章 23 節-34 節

昔のローマ皇帝は崇拝されており、神の民はその崇拝行為を拒んだため殺されました。第二テサロニケ 2 章と、黙示録 13 章はそのことを語っています。ローマでの皇帝崇拝は反キリスト崇拝を前兆するものです。教皇の指輪に口づけをすることや、その他の同じような習慣は皇帝崇拝から由来しています。同じように、終わりの日において反キリスト、その皇帝は同じ有様で崇拝されることを要求します。それを拒否する者たちはその行為のゆえに迫害を受けるのです。

聖書は使徒 5 章 37 節や降誕物語などで、ローマ皇帝が人口調査を行ったことを記しています。聖書中で人口調査がどのように用いられているかを理解したなら、ダビデがイスラエルで人口調査をしたことが(1歴代誌

未来の教会史3

ジェイコブ・プラッシュ

エリヤ 昔と今

これについては説明できることがたくさんありますが、次のように説明しましょう。私たちはまずエリヤについて理解しなければなりません。

アハブ王はぶどう畑を欲しがりました――反キリストはダニエル書で麗しい地に入りました――しかし、アハブは簡単にはそのぶどう畑を取り上げられませんでした。そこで女王イザベルは彼のためにぶどう畑を我が物としようとしました。このことにより、エリヤフー・ハナヴィー(Eliyahu HaNabi)、つまり預言者エリヤとの争いに入ったのです。終わりの日に反キリストはそのぶどう畑を欲しがり、偽りの宗教体制を用いてそれを奪い取ります。このためにアハブはエリヤとの争いに陥ったのです。エリヤ、エリシャ、サムエル、またバプテスマのヨハネはすべてつながりがあります。ミドラッシュ的に、教会が思い付きもしない方法でそれらはつながりを持ちます。教会はギリシア的思考でユダヤ的な本を読んでしまっています。聖書中のどこでも、同じ地理的な場所で起こったことはミドラッシュ的につながりがあります。バプテスマのヨハネの奉仕はどこで行われたでしょうか?エリコの平原です。ここはエリヤの奉仕が終わり、エリシャの奉仕が始まったのと同じ場所です。サムエルは最後のさばきつかさでしたが、最初の預言者でした。バプテスマのヨハネは旧約における最後の人物でしたが、新約における最初の人物でした。使徒たちがユダの代わりを探しているとき、彼らは最初からイエスと共にいた者ではなく、ヨハネの奉仕の頃から共にいた者を探していました(使徒 1 章 21 節-22 節)。ヨハネは重要人物であり、過渡期にいた人物です。新約の時代はヨハネから始まりました。イエスからではありません。

バプテスマのヨハネとサムエルは誕生の際、同じような状況に置かれていました。人が奇跡的な状況で誕生するなら、そこには必ずミドラッシュ的なつながりがあります。エリヤとエリシャ、ヨハネは同じ霊を持っていました。そのように、邪悪な女が王をエリヤに敵対させました。同じことがヘロデヤとヘロデとに起こりました。邪悪な女が王をバプテスマのヨハネに敵対させたのです。これはパターンです。同じことが繰り返し、繰り返し起こります。両者に起こったことはエリヤに対して起こったことであり、それが終わりにも再びやって来ます。これについては語ることがたくさんありますが、とても複雑なもので

す。

アモス 8 章 11 節を見てみましょう

『見よ。その日が来る。――神である主の御告げ――その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。』

物質的なことが霊的なことを反映していることを思い出してください。神殿の幕が裂かれた時、物質的な出来事は霊的な出来事を反映していました。イエスは終わりの日に飢饉がやって来ると言われましたが(マタイ 24 章 7

結婚披露宴のたとえ

ジェイコブ・プラッシュ

『イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、』

――良い人でも悪い人でも集めたということは興味深いことです

『宴会場は客でいっぱいになった。ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『{友よ。}あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」』(マタイ 22 章 1 節-14 節)

この御国のたとえを理解するために、まずイエスの時代のユダヤ的な結婚の伝統を理解する必要があります。ユダヤ教においてイエスの時代は“第二神殿期”と呼ばれます。イエスの時代の結婚には三つの段階がありました。聖書本文に対する歴史的・文化的背景を見ることは、ドイツ語で“シツ・イム・レベン(Sitz im Leben)”と呼ばれることを見ることです。これは当時の状況での生活環境を見るという意味です。これをしない限り、私たちはイエスさまの語られていたことを理解することはできません。ユダヤ人の結婚は三つの段階から成っていました。

婚約・婚礼・成立

この三つの段階すべてが、結婚を有効にするために重要なものでした。結婚が有効なものとなるためにこの三つすべてが完成されなくてはならなかったのです。

このことは、マリアが永久に処女であったとするローマ・カトリックの教理的帰結と真っ向から反対します。ヨセフとマリアが性的に成立していない結婚生活を送っていたとすると、ユダヤ法によれば法的に結婚していないことになります。もしそうであるならば実質的にイエスが非嫡出子(正式な結婚をしていない関係で生まれた子ども)として育ったと言っていることになります。これはイエスとその地上での両親をいかに侮辱することでしょうか。しかしそれがローマ・カトリック教会の教えなのです。しかしながら、それは新約聖書の教えではありません。

婚約

婚約は現代の婚約とは異なっていました。私たちが婚約と呼ぶものと違い、古代ユダヤ人の婚約は法律的に拘束力があるものでした。これに最も近いものはここアメリカのいくつかの州――ほんとうに数は少ないですが――に見られるもので、ある人が正当な理由無しに婚約を破棄すると、民事裁判において契約破棄で訴えられるというものです。しかしこの婚約はそれをはるかにしのいでいました。婚約とはそのカップルがすでに法的に結婚したというものでした。それは私たちが考えるような単なる誓約ではなく、その人が法的に結婚したということを意味していたのです。婚約は契約上のものであり、法的な事柄でした。

古代中近東からの慣習を引き継いだ同じような契約は、“宗主権(suzerainty)”と呼ばれるものです。“宗主権”の慣習の中では、交わりの食事において印が押される契約があり、何らかの血を流すことによって契約が成立します。このために最後の晩餐においてイエスは

『これは、わたしの契約の血です』と言われたのです(マタイ 26 章 28 節、マルコ

エマオへの道

ジェイコブ・プラッシュ

ユダヤのカレンダーでは、今の時期、私たちは“ハグ・ハマヅォット(Hag Ha’Mazot)”と“ハグ・シャブオート(Hag Shavu’ot)”との間にいます。それは過越の祭りと週の祭り、つまり、イエスのよみがえりからペンテコステの日にかけての時期です。この時期にこそ、よみがえられたイエスは弟子たちに現れ始めました。園でのよみがえりを始まりとし、エルサレムで壁を通り抜け、ガリラヤ湖の岸辺で彼は現れました。そして有名なエマオへの道での顕現があります。それをここで見ていきたいと思います。

イエスに起こったことは、私たちにも起こる

ヘブライ人預言者ホセア――“ホシェア・ハナヴィー”――を見てみましょう。

『「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを 打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三 日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のよ うに、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」』(ホセア 6 章 1 節

-3 節)

この三節はイエスに関する預言ですが、ホセアは何らかの形で私たちにも同様に当てはまると語っています。

「主に立ち返ろう」この“立ち返る”という言葉は“テシュバー(teshuvah)”といい、ヘブライ語の“悔い改め”という単語で、神に立ち戻ることを意味します。私たちは自分たちが新生した時の悔い改めのことを考えますが、正しい教理を持ち、良い行いを持っているエペソの集会に対してイエスさまは最初の愛に戻るよう言われました(黙示録 2 章 4 節

-5

井戸のそばの女

ジェイコブ・プラッシュ

『イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳に入った。それを主が知られたとき、――イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが――主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。

しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその 子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコ ブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。

イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである――イエスは答えて言われた。

「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」

女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」

イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼

拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。

女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。』(ヨハネ 4 章 1 節-

30 節)

この“井戸のそばの女”の話を理解するために、最初に井戸が何を意味しているかを見ていきましょう。

聖霊の象徴

穀物のささげ物の象徴

ジェイコブ・プラッシュ

レビ記はヘブライ語で「そして、主は呼ばれた」という意味の「ヴァイクラー(V'yekra)」と呼ばれます。レビ記 2 章 1 節から

『人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならな い。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らの ところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、そ の乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。』(1 節-2 節)

『その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。また、もしあなたのささげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れないものでなければならない。あなたはそれを粉々に砕いて、その上に油をそそぎなさい。これは穀物のささげ物である。また、もしあなたのささげ物が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小麦粉で作らなければならない。こうして、あなたが作った穀物のささげ物を主にささげるときは、それを祭司のところに持って来、祭司はそれを祭壇に持って行きなさい。祭司はその穀物のささげ物から、記念の部分を取り出し、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。これは主への火によるささげ物の最も聖なるものである。』(3 節-10 節)

『あなたがたが主にささげる穀物のささげ物はみな、パン種を入れて作ってはなら ない。パン種や蜜は、少しでも、主への火によるささげ物として焼いて煙にしては ならないからである。それらは初物のささげ物として主にささげなければならない。しかしそれらをなだめのかおりとして、祭壇の上で焼き尽くしてはならない。』(11 節-12 節)

『あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの

穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。もしあなたが初穂の穀物のささげ物を主にささげるなら、火にあぶった穀粒、新穀のひき割り麦をあなたの初穂の穀物のささげ物としてささげなければならない。あなたはその上に油を加え、その上に乳香を添えなさい。これは穀物のささげ物である。祭司は記念の部分、すなわち、そのひき割り麦の一部とその油の一部、それにその乳香全部を焼いて煙にしなさい。これは主への火によるささげ物である。』(レビ 2

今日教会の中でユダヤ人の本当のアイデンティティーについての議論があります。誰がイ スラエルの十二部族の血を引いた子孫なのか、また教会はどこに位置するのか、神は異邦 人教会のためにイスラエルを永遠に諦めたのか、また現代イスラエルの世俗の市民たちは 神の選民なのかなど。これらはクリスチャンの間でイスラエルについて話す時に頻繁に登 場する質問です。

まずはじめに、異邦人の時について語っているふたつの聖書箇所を見ることから始めてみ ましょう。ひとつはローマ 11 章 25 節で、そこでパウロは救いという観点から語っていま

す。「異邦人の完成のなる時」。イエスはルカ 21 章 24 節で異邦人の時を、国家の預言的側 面から語っています。「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされま す」

ユダヤ人への神の目的は部分的また一時的に保留されました。しかし個人的にイエスを信 じるユダヤ人はいつの時代でも存在しました。それはただ一日にして終わったのではあり ません。神は「もう終わりだ――私は異邦人に行く」とは言いませんでした。異邦人の時は 使徒 10 章でコルネリオの家で最初に異邦人が信じたときに始まります。その後、使徒 13

第五章:仏教徒の道標 (2004 年 11 月 6 日)

この章では主にスリランカ、タイ、ビルマ、カンボジア、そしてラオスで見られる上座部仏教に焦点を当ててみたい。それはこの仏教形式は釈迦牟尼仏陀の当初の教えの原型に最も近いと主張しているからだ。他の宗派も同様にそう主張しているが、歴史的に言えば(神秘的な話ではなく)、上座部仏教学派の主張が最も実証されているように思われる。仏教について書かれたものの多くは、仏教の教えを理想化した不完全な肖像画を提示している。主題が広大なため致し方の無い難問ではあるが、仏教の肯定的な側面に焦点を当て、より困難な問題をさておき省く人々によって、より充実した良いものになる。この章では包括的な概説の肖像画を提示するとまでは言わないが、仏教のより曖昧であまり知られていない核心的な問題やジレンマを取り上げ、仏教は確かに魅力的にシステム構成されているものの、人がその運命を全うし成就する上で助けになるものではないことを示す試みをする。また、聖書の教理に基づいて上座部仏教とキリスト教信仰との比較を行なってみたい。この論文で私は以下の 8 つの副題、すなわち無我(anatta)、再生、涅槃、カルマ

(業)、女性、瞑想、科学、および神について明らかにしていこうと思う。 

無我(anatta)

デカルトは「我思う…故に我あり」という言葉で知られている。私の高校時代の歴史教師はそれをもじって「我ピンク色に思う…故に我はスパムであり」という駄洒落を言っていた(笑)。こうしたアイデンティティの証明とは全く異なるアプローチをとることにより、仏教は「我、存在せず」という観念で締め括った。ジョン・ギャレット・ジョーンズは、その著書『仏陀物語とその教え:ジャータカ物語(本生譚・前世物語)をパーリ聖典と関連づける』のなかで、ジャータカ物語に見られるような有名で一般的な仏陀の教えの表現と、より正統派であるパーリ聖典の四大ニカーヤを比較検討している。パーリ聖典協会の前会長 I・B ホーナーは、この本の序文で次のような推奨の言葉を述べている:「ジョーンズ氏は本生譚とパーリ聖典の双方に精通しているため、一見簡単そうに利用できるだけでなく、適性と正確さで信頼性の高い資料文書を作成することが出来るのです」 (ⅶ) 。ジョーンズは再生に関する章の中で“無我”の教義に言及し、正統派の信仰によれば魂は生まれ変わらない、何故なら仏教はそのような存在を認めていないからだ、と指摘している。:識(意識 vinnana)というものは、死の時点で消えてなくなる五蘊(ごうん)の一つである。身体そのものの物理的な基盤、或いは我々が望んだとしても身体に関連した物理的な構成要素を奪われた状態で、どうやって死を乗り越えることができるのだろうか?中間の長さの発言集(MLS)I313,320f のなかでゴータマ(仏陀)は実

際に、意識が持続するという“異端”に対してキッパリと反論している(34)。

“無我”の教義は釈迦牟尼仏陀の生まれ変わる再生物語であると想定されている『ジャータカ物語』総ての前提を根底から覆すものである。“魂”なくして生命から生命を繋ぐものとはいったい何であろうか?という問いかけに対して通常与えられる答えは、「人間が背負っているカルマ(業・因縁)は持ち越される」というものである。しかし、もし背負うべき因縁を持つ人がいなければ、この“カルマ”というものは何に付着しているのだろうか?ダニエル・ジョン・ゴーギャリーは、1885 年版

『キリスト教の証拠と教義』(パーリ聖典研究 44 年目にして知った)の中で、次のように書いている:

第二章: 日本の仏教: 極東における大乗仏教(2013 年 7 月 25 日)

日本は天然資源が限られているにも拘わらず、印象的な発明、独特の文化、それに見事に効率的な生活様式を備えた驚くべき国である。時速 320 キロで走行する新幹線に乗ったり、生魚を(安全に)食べたり、雪が降って猿たちが温泉に入って“ノンビリ寛いでいる”のが話題になったり、500 年もの歳月を経た古城の前で春の花見

(桜)を楽しんだり、大相撲の勝負を観戦したり、忍者、侍、空手、カラオケ、カワサキ、ヤマハ、キャノン、トヨタ、折り紙、寿司…といった言葉の発祥の国にいられる、こんなことを一体、他のどこの国で経験することが出来ようか?日出ずる国としても知られる日本には、非常に興味深い歴史がある。その歴史の多くは様々な宗教上の信念によって形成され、影響を受けてきた。

この章では、まず日本仏教の歴史的概要を説明し、次に今日で最もポピュラーな形態(その殆どが大乗仏教のカテゴリーに分類される)に焦点を当ててみたい。日本における様々な仏教勢力の知名度分布を示すものとして、付録 A の人口を参照して頂きたい。日本の仏教を見ていくと、幾つかのテーマが浮かび上がってくる:法華経(経は仏教典)の知名度、先祖崇拝、読経と数珠の使用、汎神(多神)論、神道(日本における仏教以前の宗教で、時には仏教と混合されることもある)、阿弥陀や観音菩薩、大日如来などの救済仏、それに歴史的に検証できる真実と対立する神秘的啓示の人気などである。もちろん日本仏教の様々な宗派には、上記テーマについて強調したり否定したりする差異があり、時には互いに全く反対の教義を説くこともある。この研究論文の目的は、人工的なシステムとは対照的に、聖書の確かな基盤を示すことにある。日本仏教のシステム自体は興味深いものではあるが、この

世の全ての人が必要とする天国へ導いてくれる究極の救いとなる力を持たない。

日本仏教の大部分が中国からの経典に依存していたため、中国仏教に見られるスンニャター(空)哲学はまた、日本仏教の基盤にもなった。これは例えば、空を指し示す禅の“ゼロ”芸術に見ることができる。サンスクリット語の“スンニャター”は日本語では空(ローマ字ではKū)と表記され、英語では“虚空”とも呼ばれ表記されている。日本仏教の様々な宗派に大きな影響を与えた法華経もまた、空の教義を強調している。8 世紀から 9 世紀に日本仏教・真言宗の開祖は、日本語で空(ku)を意味する中国語の漢字を用いて、自分の名前“空海”の表記によって空の哲学を披露している。

仏教に関連する日本史の時代

古墳時代(西暦 250

第四章:死者は人の魂を救えない (2012 年 6 月 14 日)

死者の力が及ばない物事は多い。その最たるものが、死者は人の魂を救えないことである。以前に執筆した『仏教徒の道標』と題した論文で、仏教の教えのいくつかを探究した。人生を旅に喩えるなら、仏教徒の地図には目的地が明記されておらず、地図の作成者はもうこの世におらず、そして地図そのものも、人間の主観的で限られ

た体験に権威を置いた、危険な霊言ばかりである。

私がこのような論文を書く目的は誹謗中傷ではなく、ただ単に仏教の限界を検証し創造主である神と和解することを歓迎する為である。この論文では、私が検証したい 5 つのトピックを掲げた。すなわち、1. 仏教における歴史的な不正確さ ; 2. 拠り所は自分自身 ; 3.人間の心の満たされていない 空虚 ; 4. 錨のない倫理観 ; 5.

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